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2023-05-14

「バズれアリス 富士伸太」を読んだ

こんにち、インターネットにつながる端末を所持している者は常にネタバレリスクに晒されている。

話題の新作などネットの海には断片的な情報が漂い、発信者個々人にその気はなくとも、知って/知らされてしまうことが多々ある。

私はアンサイクロペディアを許さない。

  

私は基本的映画漫画小説、事前情報を極力断つようにしている。

シン・ゴジラ シンウルトラマン シン仮面ライダー すべて回避成功してきた。結果、すべてドハマリして周回した。

  

失敗もある。

グリッドマンユニバース映画の公開自体を忘れ、公開前日に気づいた。なんとか初日の公開に駆けつけた結果、5ユニバースした。

  

プライベート問題もある。生後間もない子どもを抱え、昼夜問わず授乳に体が悲鳴を上げている。

10年前よりたるんだ体、シワの増えた顔。

濁流の如きトレンドの流れに追いつこうとするのは20億の針に等しく無謀だ。

  

正直に言おう。バズれアリスも発売日の後に気づいた。

出版業界では初動の売上が続巻に大きく影響することは知っていた。

迂闊!何たる失態!

慌てて書店で買い求め(Amazonで買うよりもリアル店舗で購入したほうが出版社的側には覚えがめでたいらしい)、先程読了した。

富士先生になにか貢献できないか

先生ツイートをたどるとリツイートキャンペーンを開催していることに気づいた。まだ間に合う。

ROM専アカウントが日の目を見る時が来た。

普段ネット大海を深く静かに潜航している私だが、以前から追っていた作者となれば話は別だ。

富士/伸太先生へ届けこの思い!

  

以下、感想

例えば「帰ってきたウルトラマン」 最終回伊吹隊長の「ウルトラマンを援護しろ!」というセリフ燃えた。

例えば「劇場版仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命ガイアメモリ」 住民の声援と風の力を受けてパワーアップしたWの姿にイオンシネマで嗚咽した。

例えば「ドラゴンボール」 元気玉の力を集めるにはMr.サタンの助力無くしては成功しなかったところに鳥山明漫画力の真髄を見た。

  

そう、たまらなく好きなのだ。私は。

一般人の声援を受けて立ち上がる主人公の姿が。

民衆祈りを力に変えるヒーローの姿が。

女の子が一人で頑張る姿を見る/読むだけで泣けるのは齢を重ねたせいか

配信者と視聴者関係宗教信者形容されることはままあるが、それを商業作品エンタメとして成立させた富士先生の手腕と着眼点の鋭さに敬服する。

  

最後いちばん重要なことだが、昔から知っている作者の方が今も活動を続けているのを見ると、嬉しくなる。

続刊期待してます

2022-05-27

新 は ジャック

新マンというのは、帰ってきたウルトラマン通称で、のちにジャックと名付けられたらしい。

新は、ジャック

そして、シンは、ジェクトだ。

2022-05-18

シン・ウルトラマン感想

30代前半の二人で観てきた。

私たち世代はちょうどウルトラマンテレビでやっていなかった世代で、今回がはじめて観るウルトラマンとなった。

私はエヴァンゲリオンが好きで、庵野さんの映画を観たくて行ったクチだが、友人はエヴァすら観ていない。

とりあえずの感想としては、シン・ゴジラの焼き直しだなぁと思ったのが第一

怪獣ウルトラマンが本当に現れたら日本政府(と官僚)はどう対処するのか」という描写映画の大部分を占めているが、「それシン・ゴジラで観たよ」という気持ちになった。

初代ウルトラマンだと科学特捜隊は国際組織ということになっているから、日本官僚組織位置付ける必要は必ずしも無かったのではないか

官僚組織ドラマを描く過程物語矮小化されてしまった気がする。

次にウルトラマンデザインが意外と格好良くなかった。

成田亨真実正義と美の化身』をデザインコンセプトとしたと公式サイトにあって、その経緯は胸を打つものがあったが、実際あんまり格好良くなかった。

全体的につるっとしているデザインCG感を増幅させてしまっていて、ダメージを受けても傷つかない(体のラインの色が変わるだけ)というのが戦闘の緊迫感を減退させていたと思う。

特に後者について、カラータイマーというのはひとつ発明だったんだなと思った。

最後に思い付きを書くと、終盤にさしかかるところで、これはキリスト教っぽいお話だなということを考えていた。

神に比類するウルトラマンが、有限な人類の姿に身をやつし、人類を救うというのはかなりイエス伝ぽい。

ググってみるとその類似性を指摘する人がたくさんいて、勉強になった。(『ウルトラQ』の「Q」はQ資料から来ている、とか眉唾ものだけれども、結構おもしろい)

そんな感じで、なんやかんや書いたけれども、人の考察を読んでいたりする時間も含めると、結構楽しんでしまった。

初代ウルトラマンセブン帰ってきたウルトラマンぐらいは観ようと思わされた一作だった。

2021-08-22

ウルトラマントリガー』の感想で興味深いものがあった話

※この日記は『ウルトラマントリガー』という作品批評するものではありません。




既に5話まで放送されている、ウルトラシリーズ最新作の『ウルトラマントリガー』。

番組開始直後に興味深い感想を見掛けたことを思い出したので、チラシ裏のメモ程度に綴っておく。

前提として、増田は根っからの『特撮作品ファン』で、世代こそウルトラマンでいえば『ウルトラマンメビウス』以降のまだ若い世代ではあるが、例にも漏れず本作もリアルタイムで視聴している。

簡潔にその見掛けたという感想の中身を説明すると、

ウルトラマンが喋ってなくて物足りなかった」

というもの

残念ながらもうかなり前に見た感想なので、どこで見たのかは全く覚えていない。

しかしこれは、昔から円谷作品、ひいてはウルトラマンという作品群をずっと追いかけてきた増田自身にとっては新鮮極まりないものだった。

というのも、それまでは「ウルトラマンは喋るべきではない」という感想をよく見ることが多かったので、なおのこと衝撃的な感想だった。


ウルトラマンといい作品シリーズに詳しくない人のために、少し解説する。

ウルトラマン」とは、1966年放送された『ウルトラQ』に次ぐ、空想科学特撮シリーズ第2作『ウルトラマン』より登場した、M78星雲の宇宙人だ。

劇中ウルトラマン自身が、自らの意思で喋ることは《あまり》なく、基本的戦闘中でも掛け声のみとなっている。

まあ言ってしまえば初代ウルトラマンは第1話から喋っているし、『ウルトラマンレオ』のとある回では初代が「俺たちはアストラを殺す!」と言った台詞は、今もファンの間ネタになる迷台詞だ。

はいいつつも、実際そんなに毎回喋ってる訳ではなかったので、ウルトラマンは無口、という感覚が刷り込まれていったのは間違いない。

しかしそれも、平成前期までのこと。『ウルトラマンマックス』までかな。『ウルトラマンメビウス』の時点ではもう結構台詞あったと思う。

平成後期からウルトラマンは、まあ当時の円谷プロ事情なども相まってはいたが、色々挑戦してた。

その中で、火付け役となった『ウルトラマンギンガ』という作品を筆頭に、ウルトラマン普通に喋る=アフレコなどで主人公役の俳優戦闘中にも台詞を話すことが増えた。

当時としては、「ウルトラマンが喋るなんて!」という批判も多かったし、以降もその傾向が続いたので、一部の往年ファンからはかなりの反感を買っていたと思う。

個人意見を述べさせてもらうと、ウルトラマンが基本喋らないため、「ウルトラマン側が思い付いた作戦ナレーション説明する」というのが、昭和作品から平成最初期にかけてはお決まりだった。

なんなら、昭和作品の、さら最初の頃の作品に至っては、ナレーションもなしによくわからん技使って、怪獣宇宙人に勝ってたことはざらであった。

なので、ウルトラマン歴史的には

「よく分からん技使って倒した」

から

説明受けてもあまり分からん技を使って倒した」


を経て、

「分かりやすウルトラマンが技名言ったり、作戦を喋ってくれて、そして倒した」

という変化が起きている。


閑話休題。そう言うこともあって、現在ウルトラマンは喋るのがデフォルトになってた訳なのだけど、ウルトラマントリガー最近作品としては珍しく「あまり喋らない」タイプ

これは、前作の『ウルトラマンZ』とは完全に対照的で、むしろこの『Z』の存在が、前述した「あまり喋ってなくて物足りなかった」という感想に繋がってるのだと思う。

『Z』は驚くほど面白かった。星雲賞を受賞したニュースが先月あったが、納得の出来だった。そんな『Z』の良かったところのひとつに、ウルトラマンと変身する主人公の掛け合いが面白かった点だ。

また少し話題が逸れるが付き合ってほしい。お願い。

ウルトラマンはいくつかの《タイプ》がある。

これはいわゆるティガとかダイナのような戦況に応じて姿を変える《タイプ》でなければ、初代とセブンのようなシルバー族とレッド族等といった設定でもない。

作中における主人公ウルトラマン自身立ち位置みたいなものを、便宜的に《タイプ》と呼ばせてもらう。

細かく分けると非常に多いので、ざっくり二つのタイプに分ける。

例えば初代や帰ってきたウルトラマン平成ならマックスなどのような『人にウルトラマン自身が憑依するタイプ

もうひとつが、セブンや80、平成ならメビウスオーブのような『ウルトラマン自身が人の姿に化けているタイプ

ウルトラマンZは前者の憑依タイプで、なおかつウルトラマンと変身する主人公人格が明確に分かれていて、時には意思疏通して相談することもあった。

憑依タイプの補足をすると、昔はウルトラマンと変身者の意識が完全に混ざったり、むしろ乗っ取られてるに近いパターンが主流だった。帰りマンエースなんかは完全にそのタイプだ。

平成に入ってからは、海外作品オーストラリアの『ウルトラマンG(グレート)』が、人格が別々で互いに対話できるウルトラマンの先駆けであり、以降このタイプ(私はグレートタイプと呼んでる)のウルトラマンも増えた。

Zはまさにグレートタイプで、主人公のナツカワ・ハルキウルトラマンZの、コミカルテンポのいい掛け合いが絶妙だった。

この効果もあって、普段ウルトラマンを観てなかった人も、『Z』きっかけにシリーズファンとなった人が増えて、かつ『トリガー』を初回から見たという人も多いはずなのだ

からこそ、『Z』の作風である「喋るウルトラマン主人公の掛け合い」に慣れていた分、「喋らないし、要所でちょっと主人公が話すくらい」の『トリガー』に物足りなさを感じた《Zファン》が多いのでは……?

というのが考察。書いてたら楽しくなって、見返してたら長くなってた。ごめんね、このタイミングで謝っとく。

からファンとしては、新規層が増えて嬉しいと思うに加え、今までは見ることが出来なかったタイプ感想まで現れて、興味深く感じた次第。

「喋る」「喋らない」が良いかいかについては増田は語るつもり無い(強いて言えば「良い側」とだけ言っとく)けど、『Z』を通じて新規ファンが増えたのは個人的にも嬉しい。


新規層には意外に思うかもしれないけれど、2013年の『ウルトラマンギンガ』が始まるまでは、新たなウルトラマンが登場する完全新作のドラマ作品は長い間無かった。

映画では度々やってたけど、地上波連続ドラマとしては06年の『ウルトラマンメビウス』以来。もちろん翌年の07年に『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』が1クールやってたけど、新しいウルトラマンが出てたわけでは無かった(それっぽいキャラはいた)。

それが今や、毎年新作が観られて、それを色んなファン層の人たちと一緒に観ることが出来て、そして色んな感想が生まれて。

良い世の中になったな。増田の小さな幸せ

2021-08-20

はてな世代日本特撮蔑視はクソ

庵野秀明松本人志 対談」を見る。

庵野が「シン・ウルトラマン」&「シン・仮面ライダー」が控えていることもあり、

かなり濃ゆい昭和特撮談義に花が咲いていて非常に興味深かった。

あの二人のクリエティティの源泉は昭和特撮だ、と言ってしまっても過言ではないと思う。

さてここで本題。

はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれ世代の連中は学生時代少年ジャンプ

全盛期だったせいか、とかくアニメ漫画ばかりを必要以上に過剰に持ち上げて、

当時洋画に押されて元気が無かった日本特撮を幼稚だショボいだとメタクソに貶す輩が多い。

この世代より生まれが5年以上早いと昭和特撮は本放送再放送で目にしてることが多いし、

5年以上遅いと平成特撮テレビなり劇場で見たり、あるいは昭和特撮

レンタルで見てきた連中も多く、そこまでの拒絶感や蔑視ほとんど感じない。

最近の子供もサブスクで新旧作品が観られる分、日本特撮リベラルと言ってもいいと思う。

年寄り除くとこの限られた世代けが日本特撮を取るに足らない低俗なモノとして、蛇蝎の如く嫌ってる。

その時期にノリダーとかゴレンジャイやってた悪影響もゼロじゃないけど、

それにしても嫌い方が酷推ぎてこの世代あんまり近寄りたくないんだよな。


そのくせ日本特撮オタクタランティーノティム・バートン、最近なら

ジェームズ・ガンギレルモ・デル・トロなんかの作品は神の如く崇めたりしちゃってさ。

それこそエヴァシン・ゴジラもそう。お前らが好きなもんの構成成分に日本特撮は相当含まれているんだ。

一旦、色眼鏡を外して純粋作品として楽しもうや...って言っても、もう無理だろな。彼ら既に中年差し掛かってるから

追記

なんかワクチン打ちに行って一休みしてる間に思いの外、伸びてた。

ほらな、トラバにもブコメにもいっぱい湧いてきただろ?

脊髄反射で「ショボい」を連呼する輩たちがワラワラとさ。こいつらだよ、俺が糾弾したいのは。

なんつうか「特撮」と聞くと単に映像技術の事と捉えてるんだよな。

特殊技術現代視点から見るとショボいという表層的な事で作品そもそも価値や優劣が決まると信じ込んでる。

俺が言ってるのは撮影技術は勿論、緻密なデザインストーリー、設定・世界観構築なども含めたトータルの話なわけ。

先の対談で松本が触れてたように、ウルトラセブン地球人=善、宇宙人=悪という構図に常に疑問を投げかけてた。

すなわち「正義vs悪なんていうキリスト教二元論そもそも疑ってかかるべき」、という超リアリスティックスタンスだった。

その思想権化が「超兵器R1号」や「ノンマルトの使者」というエピソードだ。説明めんどいからググってくれ。

そら今じゃその手の物はありふれてるだろうが、よく考えてみろよ?1967年製作の子供向け番組だぞ?めちゃくちゃ慧眼だろ。

次作の帰ってきたウルトラマンでは、宇宙人聴覚障害者無垢少年に化けて侵略を企てる、というエピソードもある。

この宇宙人は、周囲の人間には聞き取れないテレパシー主人公ウルトラマン挑発し続ける。

「こいつが宇宙人だと叫んで私を引っ捕まえるか?止めとけ。周囲からきちがい扱いされるぞ。ははは。」とか嘲笑ってな。

良識ある大人たちは「聴覚障害者無垢少年」を疑って尋問するなんて真似は道義的にまずできない。その弱みを突いた。

ダークナイトジョーカーも青ざめるような道徳ジレンマを容赦無く投げつけてくるわけ。これで1971年製作ね。

俺が見て欲しいのはこういう根っこや芯、いわば思想の部分である。上っ面でバカにしたり、貶すのはやめろ、って話だ。

あと、その時期には戦隊メタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。

でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。

追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったか・・・」とか白状するんだよね。

多分通過儀礼として特撮「卒業」して、洋画アニメ流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。

俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダム普通に好きだからその手の発言出会う度に悲しくなる。

その時期のビデオ劇場オンリーウルトラマン仮面ライダー挙げてる奴いるが、流石にそれ系は観る人が相当限られてたと思うぞ。

俺も好きだけどね。パワードとかZOとかさ。でも悲しいけど、一般知名度は無いに等しいよ。誰も知らないよ、ケイン・コスギウルトラマンだったなんて。

追記2:

ちょっと気になったので、最後にこれだけ言わせて。

単にこの増田ウルトラマン以外を特撮だと思ってないだけだった

一例として挙げたまでだよ。そんくらい分かるでしょ。俺だって話したいよ。

例えば大魔神ミニチュアの素晴らしさとかスペクトルマンの毒々しい怪獣デザインとか、

メタルダーの凱聖クールギンの常軌を逸した格好良さについてとかさ。

でもそんなマイナーなこと長々と書いても誰も見ないっしょ。

10年で区切った上に前後5年約20年間の世代を一括にしてバカにした上で

俺の周囲だと異様に多いって観測範囲も狭いし、全トラバ16個でブコメも超拡大解釈してもせいぜい悪く言ってるの10個そこらなのに

ワラワラといっぱい湧いてきたって自分喧嘩を売った人数に対してしょぼい反応なのに騒いでる。

これ、ちょうど良い比較サンプルが同時期に出てきててさ。

このファーストガンダムに関する記事

https://anond.hatelabo.jp/20210404105223

あんたみたいにわざわざ集計するのめんどいからしてないけど、

「絵やデザインが古すぎて見たくもねえわ」「ショボいしダサいし興味ない」

「でも幼稚だからな」その手のトラバブコメほぼほぼ見受けられないんだよな。

俺が指摘してるのはこの扱いの違い。印象だけの思考停止否定する奴の多さよ。

俺がマイナス方面の問いかけをしたかマイナスの反応が返ってきたと言わんばかりだけど、

実際特撮が良い方面話題になってもこれとさして変わらない反応が毎度の如く見受けられるからな。

他にも「そんな奴見たことねえよ」とか言ってる奴がいるが、ほら現に居るだろうがよ、って話。

2020-09-16

anond:20200916142105

この道わが旅」って面白い来歴の楽曲なんだな。

ダイの大冒険に使われたのは帰ってきたウルトラマンによるカバー版だが、オリジナル版を歌ってたのが自民党議員愛知和男政治家になる前に歌手活動をしてたというわけでもなく、現役バリバリ衆議院議員の時に発売されている。

2018-09-26

ウルトラマン帰ってきたウルトラマンは別人

ということはもしかしてエステに行く前のナオミとTBCから帰ってきたナオミも別人なのでは・・・

2018-09-12

最近ウルトラマンはつまらない、というより"物足りない"

こんなタイトルを書いて、さぞアンチウルトラマンのようにみえるが、私はウルトラマンが好きである

放送中のウルトラマンルーブは楽しく見させてもらっている。『ルーブ』とは何者なのか、なぜロッソとブルはグルジオボーンと落ちてきたのか、愛染マコトの狙いは何なのか・・・・・・。現時点で10放送しており、そろそろ折り返し地点である

だけどはっきりいえば、何か物足りなさを感じる、というより、面白さに欠けている。楽しく見られているが、面白いかどうか・・・・・・と言われると、微妙だ。

この不満は実は遡ればウルトラマンオーブからある。いや、ウルトラマンオーブで感じたその不満は一部だけで、本格的に感じたのはジーからだろうか?

何が不満かというと、怪獣に魅力が感じられないのである

なにやら最近はそのルーブの登場人物である愛染マコトのおかげで、懐古厨は愛染マコトだ、なんてまことしやかにネタにされているがはっきり言わせてもらうと、最近ウルトラマンには怪獣の魅力に欠けている。

何故怪獣が出現し、何故怪獣が暴れるのか。ウルトラマン根本的な話の主軸はそこであって、それに対して人間ウルトラマン立ち向かうものではないか

最近だとウルトラマンXの「怪獣は動かない」だとか、ウルトラマンジードでも「ココロヨメマス」が面白かった。ちょっと紹介がてらどこが魅力的だったのかを説明する。

ウルトラマンX第10話「怪獣は動かない」には、不動怪獣ホオリンガが登場する。1か月前、山々に囲まれ坂根村に突如として出現したところから物語が始まり、それまで全く動かず無害であることから村のマスコットキャラクターとして売り出そう、という話を村人たちがしている。しかホオリンガが栄養失調に陥っていることが分かり、Xの世界防衛チームXio(ジオ)は治療弾を注射する計画をするが、一人の少女がそれを止めようとした・・・・・・

ネタバレになっても構わないのであれば話すが、実はホオリンガは坂根村に伝わる神様で、ホオリンガは現れると次第に新たな山に生まれ変わる怪獣だった。地面に根付き、栄養を大地に送り、自らが山に変わることがホオリンガの怪獣としての使命だったのだ。そうとはしらず栄養を無理やり注入し、あろうことがホオリンガを動かそうとしたことで、ホオリンガは激怒花粉をまき散らして暴れ出してしまう。そこで本作のウルトラマンウルトラマンXが戦うのである

次にウルトラマンジード第10話「ココロヨメマス」。例に挙げたタイトルがすべて第10なのは偶然なのでご容赦願いたい。

突如として地球に、怪獣ザンドリアスが飛来した。なぜザンドリアスが地球へやってきたのか。本作での防衛組織に当たる、犯罪をはたらく宇宙人を取り締まる機関AIB(エーアイビー)の愛崎モアは、相手の心を読むことができる宇宙人、ゾベタイ星人のナビア(地球での偽名はサトコ)と協力してその真意を確かめる。

オチだが、実はザンドリアスは恋煩いを患っており、好きな女の子告白できず、勝手玉砕して地球に飛来したのだった。ゾベタイ星人は嘘をつかない性格らしく、このザンドリアスの気持ちを「くだらない」と言うが、モアがそれを一蹴。誰かを思うことにくだらない事なんてないと啖呵を切り、本作のウルトラマンであるジードと協力しているゼロに、ザンドリアスを宇宙に返してくれるよう進言したのだった。

今回あげたタイトル共通点はまさしく「なぜ怪獣が現れ」そして「暴れるに至ったか」という、怪獣の生態であるとか、怪獣の心象であるとか、怪獣のものドラマの中心においている。ウルトラマンらしさを語っているわけではないのだが、怪獣が出現する以上、こういった意味付けは重要だと思う。

だがジード本編における大多数の話と、現在放送中のルーブはどうだろうか。基本的怪獣は、作品内の悪によって召喚されたものか、悪人のものが変身したものである

ジードに登場する伏井出ケイことストルム星人は、ウルトラマンベリアルに心酔し、ジード=朝倉リク同様、ジードライザーを使い怪獣召喚したり、自らベリアル合成獣として変身したりしている。野良怪獣が現れたのは、ザンドリアスとギエロン星獣の回くらいではなかったか? そして現在放送中のルーブは、愛染マコト怪獣召喚し、そして自らも『ウルトラマンダークオーブノワールブラックシュヴァルツ』という真っ黒なウルトラマンオーブになったりする。怪獣物語アクセントを足す調味料程度でしかないのだ。

いや、ウルトラマンルーブは世界観として「怪獣存在しない世界」だから理由付けとして怪獣召喚するしか方法がない、という意見は分かるのだが、それにしたって「その怪獣が出現する意味」が無さすぎるのである。第10話に登場し、おそらくそのまま第11話でも出るであろうルーブ由来の新怪獣、豪烈暴獣ホロボロス狛犬のような見た目の神聖怪獣っぽいのに、結局は登場は愛染マコトがホロボロスクリスタルを使って召喚させたに過ぎない。しか召喚理由は、ウルトラマンルーブことロッソ=湊カツミとブル=湊イサミに、ウルトラマンとしての適性テストと称して召喚されたのだ。これじゃあせっかくの新怪獣もただの試験官だ。これだったら別の怪獣でもいいじゃないか

別に宇宙人怪獣使役したり、召喚することが悪いとは言っていない。遡ればウルトラセブンだってピット星人がエレキングを飼っていたし、帰ってきたウルトラマンではナックル星人がブラックキング用心棒として使役していた。だが、ただ無意味召喚させるだけの今のウルトラマンには、話としての物足りなさが露出していて、見終わった後特別何も感じない。

ウルトラマンAだってヤプールが超獣を作っていたじゃないか、それと同じじゃないか。という意見が出る前に一言いえば、ウルトラマンAだって超獣の個性をふんだんに使い、その超獣が話の主軸になっていた。最近平成作品でもよく出るアリブンタは、地下鉄を襲って人を蟻酸で溶かすシーンは恐怖そのものだったし、二次元超獣ガマスは撮影した時のカメラネガに潜み、焼き増しすればするほど増えるというとんでもない超獣だった。きちんと怪獣能力物語の中心となってストーリーが展開している。でも今のウルトラマンは、人間ドラマほとんどを費やし、怪獣は結局最後に出現させて倒されて、はいおしまい。これじゃあんまりじゃないか

過去怪獣を出すなとか、そういうわけじゃないのであって、さっきも言った通りザンドリアスやギエロン星獣オーブならまさかの戀鬼やラゴン、Xだとバードン宇宙化け猫・・・・・・過去怪獣でも、何故現れたのか、何故暴れるのか、何をしたいのかを描くことは可能じゃないか人間ドラマも嫌いじゃないが、そろそろ怪獣がメインの脚本を見てみたい。

ウルトラマンルーブ。おそらくこれまで通り予定では全25回。残りの15回で、見終わった後に清々しくなれるような話が来てくれることを願う。

2018-03-09

ウン十年ぶりに北斗の拳を読み返してる

ガキの時には勿論全く気付かなかったけど、

どう見てもシン撃破ユリア奪還にて物語終わらせるつもりだったろうに

人気拡大による集英社から延命指示で無理矢理引き伸ばしてる感丸出しだな。

当初の北斗神拳南斗聖拳はどう見ても一対一の関係だったのに、他派の南斗〇〇拳が次々出てくる。

取り残されたシンだけが大枠の「南斗聖拳」なのが笑える。帰ってきたウルトラマンみたいだ。

今は「南斗孤鷲拳」と名称が付いているらしいがさっき初めて知ったよ。

で、ケンシロウ以外の北斗兄弟は全員極悪人にしようと思ってジャギを出した。

同じパターンで暗黒面に堕ちたトキを出してみたものの、同じプロットになるのを

避けるために「実は偽物のアミバだった!」という後出しジャンケンで無理矢理軌道変更。

これに則って幾多の強敵ラオウも深みのある人物設定にしようぜ、ってなったんだろうな。

極め付けが南斗五車星、この辺りになってくると設定的にかなり厳しくなってくるが

ここに至ってもジュウザやフドウという名キャラを生む。なんたるファインプレーだ。

その場しのぎの後付設定連発で世界観に異様なまでの奥行きが出て

結果的大河ドラマ様相を呈してくるあたりが名作と言われる所以だな。

ラオウ撃破後はこの後付け設定のアイデアがさすがに枯渇、

また設定の野放図な乱立によって自縄自縛になってしまう。

人気もみるみる失速して行き、ガクッと息絶える。栄枯盛衰だな。

2016-09-03

シン・ゴジラ東宝庵野秀明円谷プロに引導を渡した作品

やっとシン・ゴジラを見たのだけど、VFXがすべてCGなんだな。

着ぐるみミニチュアもない。

最初ゴジラ特技監督円谷英二映画だった。ミニチュアのセットを着ぐるみ怪獣破壊して回るのを如何にも巨大怪獣いるかのようなアングル映像合成で見せる映画だった。ゴジラの爆発的ヒットを受けて、東宝怪獣映画シリーズ化を決め、それは同時に円谷の職人芸を見せる為のシリーズとなった。円谷は特撮専門の制作プロダクション設立予算糸目をつけずに職人芸のこだわりを突き詰める場となった。

シン・ゴジラには大量のクレジットロールが流れるが、円谷の文字はない(はずだ)。

東宝ゴジラを再創造する仕事庵野に託した。その目論見は当たったようだ。円谷晩年作品帰ってきたウルトラマン」へのオマージュクリエイターとして知られるようになった庵野が何を考えてこの仕事を請けたのか、知るところではない。結果がすべてだ。

一方の円谷プロは、今もウルトラシリーズの新作を作り続けているが、基本的過去ウルトラマン作品知的財産権管理で食べているようなものだ。円谷の特撮日本お家芸と言われた時代は完全に終わったな、というのがシン・ゴジラ最初感想だった。

2016-08-22

シン・ゴジラもの言う人たちは

みんな、ここがピンとこないこれが良くない、ああだったら良いのに自分ならこう表現するのに

って欲求は2次創作で満たせば良いと思うよ。

漫画でも良いし絵が描けないなら文章でも良い。

アラサー世代はこっそり開発してたスーパーXⅣや14式メーサータンクとか登場させれば良いし

腐女子の皆さんは内閣腐前面に押し出しストーリー作れば良いし(もうやってるか・・・

家族愛恋愛描写が欲しければいくらでも組み合わせたりすれば良いし

死者の描写が足りないって人は、逃げ惑う人々や避難所に熱線直撃とか考えれば良いし

バッドエンドが欲しかった人はいくらでも絶望的な展開にできる

石原さとみが気に食わなければキャスティングだって脳内いくらでも変換すれば良いし

ゴジラの設定に無理があると思ったならより現実科学に即した設定に変えても良い

特に若い人たちは今の時代自分たちにとっての「帰ってきたウルトラマン」を作ったら良い

私(庵野)は好きにした、君たちも好きにしたまえ

2007-07-13

断罪! 断罪! また断罪!

関連性は薄いけど、なんとなく連想したのが中学生のころに授業で見た『青い目、茶色い目』というドキュメンタリー

青い目か茶色い目かでクラスの生徒を分け、青い目の人は優れ茶色い目の人は劣っていると決めて一日を過ごし、翌日は逆に、茶色い目の人は優れ青い目の人は劣っているとして過ごす。という実験授業。

http://teraken.gooside.com/aoimechairoime.html

あとはスタンフォード監獄実験とか、それを元ネタとした映画es』とか、アイヒマン実験とか、『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」とか。

権威とか集団での同調意識とか、そういうのは恐ろしいことにもなるよな。いや、必ずしも恐ろしいわけじゃなくて便利だったり優しかったりする面もあるんだけど、うまく距離をとらないと否応なく飲み込まれてしまって、身動きできなくなってしまうかもしれない。

2006-10-03

[]WikiWikipedia

古い記事ですまないが。

「swk'slog」をきっかけに、mixiで多くの日記を拝見したり、はてなアンケートを採らせていただいたりして調べてみると、ウィキペディアの略称として、「ウィキ」が使われることが非常に多くなっているようなのだ。

最初はへぇぇぇと思ったけど、ウルトラマンを初代ウルトラマンと呼んだりするようなことかと思い直す。

例えばブログエントリ最近仮面ライダーって書かれてたらそれはまず仮面ライダーカブトのことだろうし、それが去年のエントリなら仮面ライダー響鬼のことになる。これは仮面ライダーという名詞があらゆる仮面ライダークラスで、特定のライダーを指さないおかげでコンフリクトが起きない仕組みになっているから問題ないのだけれども、一方で、ウルトラマンメビウスウルトラマンと呼んだりなんかすると、ウルトラマンというのはインスタンスとしても存在するためにコンフリクトが生じる場合があるんで、こういった場合は逆にウルトラマンのことを初代ウルトラマンと呼んだり、初代とだけ呼んだりするなどエイリアスを作成することによってファンはコンフリクトを回避し、今ではそれが一般化されている。

なので、帰ってきたウルトラマンが出た以降みたく、WikiWikipediaというさよなら三角が一般化されれば、(日本語圏内では)WikiそのものをWikiツールと呼んで区別したり、そのWikiツールの説明書きに「Wikipediaのように……」なんて書かれたりするようになっていくと思われるので、(日本語圏内だけの話だし)そこまで心配することでもないよね。

おそらくめたるまんの中の人にとってWiki = Wikipediaではなくて、今最も熱いWikiは別にあるんだろうなぁというところに落ち着いた。

 
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