はてなキーワード: 固有名詞とは
藝大は実質固有名詞という話ご存知ない?
中国ではコミュニケーションの効率化のために複雑な漢字(繁体字)を撤廃し簡体字を採用した。
科学技術分野等の発展を目指す上で、英語のようにシンプルな表音文字は有利でありそれらに打ち勝つためである。
一見狂気の沙汰に見えるかもしれないがこれはプログラミング言語に置き換えると非常に合理的である。
そう考えると、日本語の欠陥とはなんだろうか?
英語の「You」、中国語の「你」にあたる言葉があなた、お前、君、貴様...統一されておらず、いまいち浸透していない(日常生活で使われない)。
その結果われわれは二人称ではなく「○○さん」と固有名詞でお互いを呼び合うことを余儀なくされており、
名前を知らない人との会話が生まれずらくなってしまっているのである。
日本人が村社会で内向きで排他的で上意下達で陰湿でオタクで変態なのはすべてそのせいである。
ではどうしたら良いか?既存の二人称でメジャーな「あなた」は他人行儀なイメージがつきすぎているため、
そこで「そち」である。
教師と学生、上司と部下、男と女、だれしもが「そち」しか使えなくすることで日本人のコミュニケーションは加速する。
想像してみてほしい、誰にたいしても「そち」と言える世の中を。
知らない人に話しかけるときも「そち」。客や上司と話すときも「そち」...
先日ホットエントリに入っていたブログエントリ、Colorful Pieces of Game『書籍「ゲームの歴史」について(5)』にて、
との言及があった(現在は修正済)ので、校閲業界では若輩者の私ですが、書籍の制作において「校閲は何をしているのか」を少しばかり紹介しておこうと思い立ちました。
まず前提としてご理解頂きたいのは、一冊の本が世に出るまでには様々な工程を経るわけですが、その中で校閲が関わるのは「かなり後のほう」という点です。
書籍の制作において最も時間を要するのは「筆者が原稿を完成させるまで」、次いで「社内の了承を得て刊行が決まるまで」のプロセスだと思われますが、校閲の出番は更にその後です。通常、校閲にゲラが回ってくる段階では既に発売日・刊行部数etc.が決定しており、余程の(筆者都合の)問題でも起きない限り(*1)動きません。つまり、「企画に無理がある」「内容がおかしい」といった理由で刊行を延期ないし撤回させる権限は、そもそも校閲には無いわけです。
校閲者でもフリーランスなら「降りる」という選択も可能ではありますが、企業に所属している場合だと、誰かが作業を引き受けざるを得ません。こうなると、多くの場合は「誤字・脱字etc.のチェック、および最低限(=具体的には固有名詞・年月日etc.)の事実確認のみ行う」という対応となります。
「ファクトチェック」という言葉も指す内容が広いのですが、最優先でチェックすべきは、前述したように固有名詞・年月日etc.です。その次に、筆者の行った引用・要約etc.の確認作業(*2)が来るのですが、その際に「筆者の主張は妥当か」という評価を下すことは、校閲の権限を超えています(*3)。
そもそも筆者は誰よりもその分野に詳しいから本を書いているのであって、その内容を筆者以上の緻密さでチェックできる人間は、論理的には存在しないはず。そして、筆者の主張を世に出すことが妥当ないし有意義だと編集者・版元が判断したから、企画として動いているわけです。こうしたことを踏まえれば、校閲者の有する権限が編集者に比べるとかなり限定的なものに過ぎないこともお分かり頂けるかと存じます。言い換えますと、筆者・編集者が「内容はグダグダでも構わない」と開き直っている場合、校閲に抵抗する余地はありません。結果として事実誤認のオンパレードと化した本が世に出てしまった場合、その咎は筆者と編集者が負うべきである、と一介の校閲者としては考えます。
また、「チェックしようがない事柄」も存在します。例えば、筆者が行ったインタビューを基に書かれた原稿ですと、発言内容の真偽(*4)、あるいは遡って「本当にインタビューは行われたのか」を問うても意味がありません。また、専門的あるいはマニアックな内容(*5)だとか、そもそも記録が残っていないために手も足も出ないという例も、ままあります。
最近ですと、漫画・アニメ・ゲーム・音楽etc.に関する記述・論評をチェックしたい場合に、「信頼の置けるデータベースが見当たらない」という問題もあります。有名なシーンやトピックなら各所で言及されている場合もあるにせよ、本来なら現物を取り寄せて実際に確認するのが望ましいのでしょうが、実際の校閲作業でそんなことをしているわけにも参りません。最終的には筆者を信用せざるを得ず、どうにも頭の痛い問題です。
ついでながら、校閲を通す場合の金銭的なコストにも触れておきます。
例えば物議を醸した『日本国紀』の場合、一般的な相場ですと、素読み(=ファクトチェックは行わず、誤字・脱字etc.のみ指摘する場合)は初校なら15万円程度、再校で10万円程度(*6)。更にファクトチェックも求められた場合、かかった時間に応じて別立てで請求することが多いのですが、作業可能な時間は刊行スケジュールに制約されることを考慮すると、20万円程度が上限かと思われます。当然ながら「作業量を考えると、この日程(or支払額)では無理」ということもあるわけで、そういう場合は「できる範囲で確認作業は行うが、手が回らなかった部分は、ともかく著者を信用する」という対応も起こり得ます。
気の利いた編集者ですと、先回りして「ファクトチェックは不要です」と言ってくれることもあるのですが、実際には「ツッコミどころが多過ぎることを編集者も自覚しているが、それを筆者との間で摺り合わせる時間も気力も無い」だけじゃないのか?と、一介の校閲者として邪推したくなることはあります。『ゲームの歴史』の制作進行は、どんな感じだったんですかね。
ともあれ校閲者としましては、単純な誤変換の見落としetc.の指摘に関してはひたすら恥じ入るばかりですが、「文章が破綻している」「内容が間違いだらけ」といったレベルのご批判でしたら、できれば筆者か版元へ向けて頂きたいと願う次第です。
(*1)個人的に経験した中で最もアツかったのは「筆者の不祥事(新聞沙汰になりました)が発覚して、既に校閲済=刊行間近の新書の企画が飛んだ」という事例です。誤訳の指摘も含めて、ファクトチェック、すげえ頑張ったのに……。
(*2)挙げられている資料がアクセス困難で詰む事例は珍しくありませんが、中には筆者自ら資料を開示して「引用や要約が適切か確認してほしい」と依頼してくる例もあります。そういう場合は当然ながら、校閲者が責任を持って作業に当たることになります。
(*3)もっとも「前段と後段で主張が食い違うのでは?」といった指摘は起こり得ます。
(*4)無論、明白な事実誤認(記憶違い、言い間違いと思しき例など)が含まれていれば、その旨は指摘します。
(*5)とりあえずネット上で検索を試みたものの、ほとんど筆者自身による論文しかヒットしない、という事例は実際に経験しました。
(*6)ここを著者と編集者で校正することにしてしまえば多少ともコストを圧縮できるわけですが、その結果どうなるかというと……
テレビでやってた言葉遊びで、あたまとおしりの文字を一文字ずつ出して間の文字数が多い熟語(固有名詞可)を言えたほうが勝ちってのがあった。例:あたまは「あ」おしりは「い」→答「アイス(1点)」「アノニマス(3点)」アノニマスの勝ち
でね、テレビみながら家族で問題出しあってて、自分達の名前で問題だしてるうちにおしりに「は」が付く熟語がなくて行き詰まったんだよ。うちの娘の名前、おしりに「は」が付くんだけど、なので「あたまは○(名字のあたまの文字)で~、おしりがは!」って問題出されたんだけどおしりに「は」が付く熟語ってことごとく濁るのよ。
「歯」「葉」「刃」は2文字以上の熟語になるとだいたい濁る。みつば、よつば、やえば、でっぱ、にまいば、さかば…。
無くはないよ。シーア派とか走破とか、なくはないけどすごく少ない。
これって「は」が接続詞に使われるからおしりに付く場合は濁るのかなぁ。少し前の増田でたまごがけごはんだろ~!って話題あったけど、後ろが濁るとその前の言葉が濁らないてやつの亜種じゃないかしら。
anond:20230122100735 のブコメで「オレ、「ガンダム」って今や固有名詞とはいえず、たんなる一般名詞に過ぎない状態だと思うのだけど。もやは過去にさかのぼってグレンダイザーをガンダムと言ってもいいくらい。」というものがあったが、これはまさにそうで、増え続けるアナザーガンダムはもはや「ガンダム」の境界をわからなくさせている
では、なぜサンライズとバンダイが新作のロボットアニメを「ガンダム」として立ち上げるのかといえば、それは「ガンダム」なら商売になるからだ。30年以上前のガンダムの小説に出てきただけの脇役ロボットのプラモデルが、いまになってもプレバンで即売り切れる。これは「ガンダム」の看板があるおかげだ
新作ガンダムが登場するときによく耳にするのが、「これガンダムでやる必要あるの?」だ。しかし、逆だ。なんでもガンダムで構わないのだ。サンライズは、過去のIPを有効に活かすために、過去に制作した数々のアニメを、いまから遡及的に「ガンダム」にしたほうが良いのだ
機動巨神ガンダムゴーグ、機動機甲神ガンダムガリアン、機動戦士ガンダム 無限のリヴァイアス、機動戦士ガンダム 宇宙をかける少女、機動革命機ガンダムヴァルヴレイヴ……
こうすれば、これらのアニメのプラモも「ガンプラ」として売り出せる。転売ヤーも買いまくる。ガンダムエースにも掲載できる。Gジェネにも登場できる。約束された未来が待っている。クラッシュギアやサイバーフォーミュラはもとより、ラブライブもシティーハンターもガンダムであってはいけない理由なんてないのだ。つまりサンライズとバンダイは今からでも境界戦機をガンダム認定して小売店さんを助けるべきなのだ
○ご飯
朝:おぞうに。昼:なし。夜:おぞうに。
○調子
○ 探偵撲滅
・はじめに
巷を騒がせている100名近い連続殺人を続行中の八つ裂き公に対抗すべく、優秀な探偵が所属する探偵同盟の中でも選ばれし13人が孤島に集まり検討会を開く。
そこのなぜか探偵としてはまだバイトで駆け出しな主人公が参加することになるが、その孤島は既に八つ裂き公による殺人の舞台になっていた。
理想探偵、外道探偵などのコードネームを持つ優秀な探偵たちの中に八つ裂き公が居るとしか考えられないシチュエーションに、主人公は無能探偵の二つ名を授かり捜査を始めるのだった。
あらすじだけ見るとダンガンロンパフォロワーな感じだが、所謂「新本格ミステリ」の文脈の色が濃く出ている。
西尾維新のアレね。
と一言で終わらせるのは勿体ないので紹介する。
「史上最凶の護衛伊草弟切」
みたいな格好いいけど、別に後々登場する訳ではなく、その時々に味付けのためだけに登場するだけ。
こういうのを格好良いと思う回路が出来ているので格好良いと思った。
(とはいえ、それをやり続けてる西尾維新本人は別格なんだよなあ、零崎はじめてえ……)
・幻想的な描写を交えながらホワイダニットを誘導するような文章を重ねながら物理トリック一本背負い
北山猛邦のアレね。
と一言で終わらせるのは勿体ないので紹介する。
文体ととある特殊設定が相まって、現実と虚構が曖昧になる描写が多い。
その割にハウダニット重視の謎解きが多く、ホワイダニットは最後の最後まで重視されない。
||「よっ! 氷!」||や
||「糸さまー! こっち向いてー!」||や
声援を上げながら楽しくプレイした。
前例のあるトリックだからダメと言っているんじゃなくて、トリックは見せ方であり、それがゲームになることによって斬新…… さは特にないか。
(北山のアレもこの作品も十角館の再放送ではないが、新本格とは根本的にそうだと言っている)
浦賀和宏のアレね。
と一言で終わらせるのは勿体ないので紹介する。
探偵というジャンルがこれを想起させるのか、本質的に物語はそこに行き着くものなのかはわからないけど、そういう問答のシーンが長尺である。
面白い/面白くないは、正直別にどちらとも思わなかったという答えになる。
ただ、割と真っ直ぐな回答なので、シンプルだなあとも思った。
クローズドサークル内の描写がほとんどで、市井の人々の描写が無い点が悪い意味で狭く感じた。
もう少し広いところで議論した方が、具体性をもてて僕のこのみだったかもしれない。
(浦賀のオタク描写のことを、生死感を問答する際に重要な一般的な市井の人々の描写だと思ってるわけではない)
・身も蓋もない展開
矢野龍王のアレね。
と一言で終わらせるのは勿体ないので紹介する。
殺人事件と最後の生死感を問う部分はやりたいことがハッキリしていたのだけど、迷宮を彷徨いデストラップに四苦八苦するところは身も蓋もなかった。
仕掛ける側も、解く側もなんでもありだし、死体がないなら疑うのもベタ中のベタすぎて、はは…… ってなる。
商業的な事情の水増しを感じるが、小説よりは、ゲームの方が複数人制作ということもあって、水増しが納得できなくはないのが、なんとも。
(矢野龍王は水増し力を鯨統一郎から学ぶべきだったんだよなあ、いや水増し力というか、それを批判されても動じない心というか)
関田涙のアレね。
と一言で終わらせるのは勿体ないので紹介する。
ゲームでトイレのシーンがないとかお風呂のシーンがないとか難癖を付けるの嫌いなんだけど、この作品は難癖とかではないです。
というのも、序盤はお風呂やトイレがある場所で休憩しているしそれらを利用する描写がある。
しかも、冒険が進むにつれ気温が上昇しているという描写もあるせいで汗をかく描写も多い。
さらに匂いに関するトリックや、匂いに関する長けた能力を持った人もいるため、体臭を言及するシーンも多い。
こうなると常日頃から、そのような単語で検索してはPixivのブックマークを肥やしている身としては居ても立っても居られない。
(関田涙の蜜の森の凍える女神の凍えるシーンの詳細な描写の二次創作をどれだけ探しても見つけられなかったことを思い出すなあ)
(なお、そのようなジャンルの僕のオススメの作家さんは緑茶みちさんとイソポティラミスさんです)
・さいごに
清涼院流水が好き。
てらいなく、本当に好きなんだよね。
【ローグライト】脳筋魔法使いは進学したい|なす太郎|note
ウディコンで1位取ってフリゲ2022で9位のゲームなんだが、このゲームの親切さはちょっと凄いな。
マウス操作のゲームだけど画面のほぼ全ての情報を右クリックで確認できる。
ゲームってプロが作った8000円のですらまず最初は画面に表示されているものの意味を手探りで把握していく羽目になるんだが、このゲームはそれが全部右クリックすれば分かる。
能力の効果、基礎ステータスの意味、次に起きる事柄、ゲーム側がユーザーの方に提示することを選んだ情報をユーザーが受け取れないことがないようにする親切さが凄い。
たとえばフロムソフトウェアのゲームなんかは意図的に「ユーザー側が情報を受け取りきれないように仕向ける」という部分があるんだが、多くのゲームはそういう目的もなく「ユーザーに説明していないアイコンや固有名詞を使ってユーザーに説明した気になっている」というコミュニケーションエラーが起きる。
このゲームは画面に出ている情報に対してユーザーが「え?これ何?」と思ったら右クリックすればすぐにその答が出る。
たとえば画面に表示されている盾のアイコンをクリックすると「ディフェンス:攻撃によって相手から受けるダメージが減る」という情報が得られる。
これによってユーザーは「アイコンでなんとなく意味がわかるけど、本当にそうなのかな?」という疑問を解消できる。
同じ意味を持つ情報は同じアイコンで表示するように統一され、プレイヤーが覚える必要のある情報自体が圧縮されているのもありゲームとユーザー間のコミュニケーションが極めてスムーズだ。
そもそもフリーゲームってのはとっくに蛸壺化したマニアックな世界になっていて、もうゲームオタクがより尖ったゲームを投げ合うマニアのための場所になっている。
だから色んな要素が説明不足でも「つまりあのゲームのシステムと同じね」で受け入れてもらえる土壌があるし、分かりにくいときも「意味を調べるのも含めてゲームだよね」で許されてしまう。
結果としてフリゲは「ゲームに詳しい人同士の暗黙の了解」に支えられることに依存し、「実際にゲーム内で数字が動いているのを見て始めてその意味に確信が持てる要素にまみれたUI」が常態化している。
だがこのゲームはそうして産まれるコミュニケーションエラーをユーザーの側から「これが分からないです」と確認に行けるようになっている。
こういったシステムを「ゲーム内辞書」や「HELP」という形で用意するゲームもあるが、それらはゲーム内の全ての情報をいきなり網羅している中でユーザーがまるで図書館の中で調べ物をするように情報を検索していく必要がある。
このゲームの採用した「分からない所、確証が持てない物を右クリックすると、詳細が得られる」というのは、それらの不親切さを排除し、「必要な人に、必要な時に、必要な量の」情報が与えられるちょっと極めて優れたUIだ。
ゲームは究極的にはコントローラーを通じての機械と人間のコミュニケーション、ひいては造り手の遊ばせたいゲームとユーザーの頭の中にあるゲーム体験のコミュニケーションであり、「この情報、この行為に対しては、こういった意味、リアクションが発生する」というのがスムーズに行かないとチグハグになってしまう。
たとえばポケモンの新作は「店を出る時は十字キーの上を入れれば店を出られたのに、店を出た途端にカメラが逆になったせいで十字キーの上を入れたままだと出た店にそのまま入り直してしまう」という部分がUI、UXの欠陥であると指摘されていた。
UIというのはゲーム体験においてトップクラスに重要なのだが、軽んじられることも多く、しかしそれによって損なわれるゲーム体験はかなりの物がある。
ロシアへの攻撃の情報を好意的に受けてるひとがたくさんいるんだよ
もっとやってやれみたいなさ
だから納得出来ないんだよ
ロシアの行動にも納得出来ないけど、ひとが死んでいくのを肯定的に見てるひとがいるのにも納得出来ない
悪が打ちのめされるのを見たいだけなんじゃないかとしか思えない
現状を肯定するってことは、もしプロパガンダや情報操作、スパイ活動で現状のようなことを起こしたら
やっぱり、戦争そのものを否定する形に近いところで話をしないとダメなんじゃないか?
北朝鮮がミサイル打ってきたときに打ち返さない選択とれるのは日本のほうで、打たせないようコントロールすることは出来ないんだよ
コントロール出来ないロシアに対して、ウクライナに戦争そのものを否定する形に近いところで、選択肢を考えてもらうことってそんなにおかしいことか?
どうなんだよ
なあ?
このへん、文学研究と経済学研究とのあいだの感覚の違いだよねえ。
という感覚があるわけよ。したがって、
という結論になる。正直、こんなのどれも人文系研究者としては当たり前すぎて、反射で「いや直訳させろよ」って思っちゃう案件なんだよな。
ただこれは人文系が、文学作品とか、歴史上の人物の書簡とか、とにかく細かな原文のニュアンスを大事にする学問だからであって、経済学の人が「いや、細かなニュアンスが多少おかしくても、経済学理論が問題なく訳せてれば重訳でええやん……」って思う気持ちはわかるし、出版社が「文学作品ならともかく、こんな話題作なら、仕事が遅いフランス語の訳者よりささっと出してくれる英語の訳者に頼みますわ……」ってなるのもわかる。
外国文学の場合は、そもそも読者層が上に書いたような「人文系の論理」を内面化してる場合が多いから、多少進みが遅くても直訳した方が出版社の利益になるんだよね。「あの○○をちゃんと原文から訳してくれたのか!」って評判になるので。
このへんの制約が緩めなのはジャンル文学かな。『三体』もエーレンデュル捜査官シリーズも重訳だけど、みんな気にしてないし。エーレンデュル捜査官シリーズなんてアイスランド語の固有名詞表記がメチャクチャだけど普通に受容されてるからな……。ただこの2作に関しては、「『三体』中国語版は当局の意向で改変がなされており、劉慈欣の意向が反映されているのは英語版」とか、「アイスランド語はマイナー言語であり、『アイスランド語のミステリをコンスタントに翻訳できる人』はほぼいないので、重訳でも仕方ない、ないよりマシ」とか、そういう擁護論を組み立てることもできる(実際、ワイはこの理由があるので納得してる)。でもピケティはねえ……フランス語でこんな擁護は無理でしょ……なので北村さんが怒るのもわかるんだよね。
ブコメへの返信はanond:20221211132121で。