はてなキーワード: リコーダーとは
【発達障害】多くの教員は「忘れ物をしない普通の子」として生きてきたから「やる気があったら忘れるわけない」という発想になる、という説
https://togetter.com/li/1112722
この人たちはどうして欲しいんだろう
テストで100点満点中10点しか取れない、ハンドボールがあさっての方向に飛んで行く、歌えば音階を外しまくる
こういうのはまあしょうがないって言ってもいいけど忘れ物はしょうがないなあじゃ済まないんだよね
教科書を忘れてしまったら周りの席の子が見せてあげなきゃならない
はさみを忘れたら先生が予備のはさみを貸してあげなければならない
用意してないなら教室の隅でボーッとしてろ!なんてのは許されないわけだから
「せんせぇ~~わたしの○○がありませぇ~~んわすれましたぁ~~」
「ぼく○○がないんですけど、どうしたらいいんですかぁ~~」
そうやって数人のボーダー児童が毎日毎日何かを忘れてその度に周りがフォローしてあげなければならい
支援学級の児童ならしつこいくらいに担任が忘れ物をしないように配慮してなんなら保護者に電話かけて念押しとかできるけど通常学級でそこまで面倒見れない
結局、「通常学級にいるけど実質障害児なんだからたとえ毎日忘れ物をしても僕は私は特別に怒らないでほしかった」ってこと?
もっと言うと健常も障害も関係なしに「忘れ物はしょうがないんだから誰が何を何回忘れても怒っては駄目、フォローは学校で全部やれ」ってこと?
は~……
怒らなかったら健常の子も気が緩みに緩んで忘れ放題になるでしょうね
予備のリコーダーや教科書やコンパスや体操着や給食着やありとあらゆるものを忘れ物をすることを想定していくつも余分に用意しろと
当時小学生で、妙な好奇心が強い年頃だったからか異様によく覚えていて、影響もかなり受けている。
何しろ年明け早々には阪神淡路大震災、3月には地下鉄サリン、夏には映画「学校の怪談」、秋には新世紀エヴァンゲリオン放映開始だ。
その中でもやっぱり地下鉄サリン事件・オウム真理教は印象的だ。
今では考えられないけど、朝から晩まで妙な新興宗教の変わった修行(水中で息止めるとか、生き埋めになるとか)やら洗脳ソングやら幹部の高学歴っぷり(上位大学はほぼ揃ってたはず)が報道されてた。
テレビというのは当時メディアの王様で、「テレビで堂々とやってるのなら」って感じで皆普通にオウムの話をしていた。
子供も影響を受けて、音楽の授業を真面目に受けて、放課後に洗脳ソングをリコーダーで練習したりしてた。
しかも学校の怪談ブームの真っ只中で、学校でコックリさんやったりオカルト話したり、テレビでスプーン曲げやってたり。
オカルトマニアにとっては「あれ、俺たちマニアだけどマジョリティじゃない?」って思えるくらいの時代だったと思う。
秋から始まったエヴァにはキリスト教モチーフが沢山出てくるし(子供の頃は難しくて分からなかったけど)。
その後の97年の少年A事件、99年のノストラダムスの大予言など、90年代後半はとにかく世紀末というのがぴったりの世相で、今の若い人が惹かれるのも分かる。
僕もあの時代のことは妙に懐かしく、不謹慎ながら魅力的に思い出してしまう(思い出補正がかかってるだろうけど)。
何というか、アニメの世界観が現出しちゃった感じの世の中だった。
この「あっ二次元の世界観が現実に!」に近い感覚は多分ネットの祭りなんだけど、最近は大規模な祭りもあんまりないしねぇ。さてどうしたものか。
小学生だった僕たちはオウムがなんなのかよくわからず、「悪いけど珍妙なオモシロ集団」として、言うなればショッカーみたいな扱いで笑っていた。
特に学校の帰りに尊師マーチを歌うのは「なぜか大人に怒られる」という背徳感もあって非常に楽しく、リコーダーはオウムソングの演奏マシンと化していた。
あの頃は楽しくて仕方なかったが、今考えるとサリンやVXみたいな物質を普通に製造して、オウムに反対したら即座にぶっかけにかかるとか、悪夢みたいな時代であった。
皆さんはどんな思い出がありますか?
・https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/korean-news-xyz
なお、BuzzFeed Newsと「公式アカウント」のやり取りは、「韓国デマサイトの管理人やけどもBuzzFeedの記者からDMがきた」として、掲示板「おーぷん2ちゃんねる」で公開されていた。
こうやって、ネトウヨ(の嫌韓)が踊らされてるということが、ある意味暗示されたようなものだろう。
こういった、「踊らされている」という事実は、以後BuzzFeedが大いに支持されれば、ネットでのデマを検証する(ファクトチェック)動きに追随しようとするネットのメディアも出てくるはずだ。
(現に「ねとらぼ」あたりがその傾向を示すような記事を出していたはず)
すると、それらはいずれYahooニュースやFaceBookで日頃のニュースを済ましている人間にも、ネトウヨ的思想が、Twitterの人気取りに利用されたり、まとめブログ等のアクサス稼ぎのための手段として使われている(現状、あの巨悪な「はちま起稿」等がある時にはデマをばら撒き、扇動的なタイトルをやめないのは、アクセス稼ぎ→収入のためであると考えるのが一般的ではないだろうか?)
すると、ネットの見知らぬ相手に自分が馬鹿だとは思われたくない傾向を持つ人間は、それまで「ネットで真実」による嫌韓を示していた人間がくるりと手のひらを変え、嫌韓デマを叩く側に回るようになる。
要するに、ネトウヨ、嫌韓はかつてのペ・ヨンジュンの「冬のソナタ」がブームを博したように、また一時的なブームに過ぎないのかもしれない。と自分は考えている。
そして、ネトウヨが消えた後、これまで「うわwwwwwwwwww韓国最低だなwwwwwwwwwwwwwwww」とか言ってた、Twitter民、はてなブックマーカー、FaceBook民、あとニコニコユーザー。いろんな人達が手のひらクルーをする時期がそろそろ来るのかもしれない。
そうなったとき、用心深い人はかつてのTweet履歴を消したり、自分のブックマークを鍵付きに編集したり(そのための一括編集ツールを自作したり)、FaceBookの書き込みを消したり、ニコニコの韓国批判動画(ソースはまとめサイト)をFooさんのリコーダーに差し替えたりして、そして以後、また「ネット上の賢人」を振る舞うような輩が出てくるかもしれない…
そんなわけで、誰か、そういったユーザーのかつての前ポジションをまとめる仕組みが必要なんだと思います。だれか作ってください。
そんな事言われたという記憶は全く無い。
また最近、やらないといけないことを忘れる。
3つくらい平行して仕事をしていて、Aの1段階目が終わって、Bの1段階目が終わって、Aの2段階目をこなしていると、BやCの事を忘れてしまう。
忘れないようにメモしようとしても、電話がかかってくるとその瞬間忘れて、メモを取ることすら忘れる。
周囲から「どうしようもない奴」と言われて笑われているのが分かるので、毎日苦しい。
症状をググってみると発達障害と出てきた。
でも子供の頃はそんな事無かった。
いや、発言を聞き漏らす事はたまにあったけど、
一度だけ、「リコーダーを持って集合」と言われた時に、リコーダーの部分を聞き漏らした事がある。
すると先生から「お前はどうしていつもそうなんだ」と怒られたのを強烈に覚えている。
その先生からは非常に嫌われていて、心当たりが無い事を全部自分のせいにされたので、これもその一つなのだろうと今まで思ってきたけれど、
本当に記憶が無いだけでいつも何もできていなかったのか?と今更不安になってきている。
発達障害は先天的なものだというから、大人になってから発症することは無いのだろう。
じゃあ昔から発達障害で、老化したことで症状が出てきたとか、そんな事あるのかな。
でも病院を調べてみたら初診料だけで2万5千円とか出てきた。
出せねーよそんな大金。
どのみち治療は無理だ。
正直学校に無駄がないかと聞かれればあまりそんなことがないと思う。
音楽とか体育とか、やってたことのすべてをやらなきゃいけなかったのだろうか。
小学校しか使わないリコーダーの練習も、ポートボールなんて身長の格差をするだけの競技も、わざわざ国が金をかけてまですることでもないような気がする。この話はどう考えても思い出補正で否定はされるだろうが、義務教育に高校大学で時間と費用を費やして疲弊してる若者とかそれを見て焦る大人を見ているとやっぱり学校もこのままでは無駄が多いのだろう。
とくに道徳なんてまったく記憶にない。いじめも横行してるし、自殺も増えるし、教科書の話も一個も覚えてない。たぶん一番役立たない。道徳なんて国語と社会やればわかっていく話なのだ。
その分を給食費とか食べる時間に回した方が私はいいと思う。15分の食事をさせながらよく噛みなさいなんて話をせず、ゆっくり食事する時間があった方がよっぽど落ち着くだろう。
教師も精神病が増えたようだし、学校の勉強をもっと効率的にさせて、学校にいる、学校を動かす時間を減らさないと、学校が人の心身含めて国をまるごと食い潰すようになってしまいそうだ。
最近、男女によって性的な意味でのキスは同じなのかどうかを考えてる。
パートナーや配偶者にキスする場合だったら、愛情表現だとか、安心を求める行為とかってのは男女共に共通意識はあると思う。
自分は男だが、自分が性的な意味でキスをするときには「キレイなものを体内に入れたい」って欲求がある。
自分は童貞じゃないため、ある程度女性に対する根拠のない「女の子は何もしなくてもいい匂いがする」みたいな漠然とした幻想はあまりないが、それでも女性の唇、唾液にキレイというか、おいしそう(味覚的な意味ではない)というか(これがなんともうまく表現できない)イメージがある。
話は変わるが、よくある話で、学生時代に好きな子のリコーダーを舐める、というのがある。
実際にそれをした、またはしたいと思う人にしか分からないと思うが、どういう欲求からくるのだろうか。
前述したパートナーや配偶者に対するキスはスキンシップとしてだと思うから「リコーダーをなめる」という行為には当てはまらない
リコーダーをなめる人は私と同じイメージでキレイなものを体内に入れたいと思うのか、または自分のものを相手の体内に入れたいと考えるのか
女性の場合はどうか、女性も好きな異性のリコーダーをなめたいと思うのか、そもそも女性の場合、「完全に性的なキス」というのはあり得るのか
女性にも「キレイなものを体内にいれたい」「あいての体内に自分のをいれたい」にあたるイメージはあるのだろうか、また女性ならではかもしれないが「相手もので汚されたい」というイメージもあるかもしれない。
男性は女性に対してどんなに経験を積もうとも「女性、またはそれにかかわるものは美しい」という切ってもきれない永遠のバイアスがあるのではないだろうか。
男性は長いこと付き合うとその女性にあきる、性的興奮を覚えないなどという俗説もあるが、これはそういった幻想やバイアスがなくなって行くからではないか。そしてどんなヤリチンでも一定の幻想やバイアスを他の女性に抱いては消え、抱いては消えを繰り返すのではないか。(いだく、とだくのダブルミーニング)
男性が女性の匂いに対する評価として「ムラムラする、そそる」などはよくあるが、女性が男性の匂いに対する評価として「彼氏の匂いが安心する」という様に性的というよりは安心という評価が多いように思う。
女性が「パートナーの体に飽きる」といった話はあまり聞かない。
それは女性にとって愛情表現やスキンシップが性欲と密接に結び付いているため飽きるということがあまりないのではないか。
俺の子供時代はまだ詰め込み学習が幅を利かせていた時代で、全国展開している塾が満員御礼の時代だった。
御多分にもれず教育ママだった母のもとに生まれた俺は、ある程度の金銭的余裕もあり、勉強以外にも多種多様な習い事を受けた。
週二日の塾が2つ、毎日の家庭学習教材が一つ、習字、そろばん、スイミングスクール、英会話、野球
小学校までは季節毎に活動部活が変わるため(期間制だった)、サッカー、バスケ、水泳、陸上と、受けられるだけの部活動を行い
中学からはバスケ部に所属し、上記習い事と家庭学習に加えて学校一練習量の多い部活を両立した。
今、俺は学歴も必要ない、上記の様々な分野とは全く関係ない生活を送っている。
基本的に能力が平均的以下な俺は、これだけ勉強しても偏差値63が限界だった。県内一の進学校に落ち、滑り止めの私学に入った時には、
間もなく母は死に、解放された私は全ての柵を捨て、勉学を一切放棄し、成績不振で留年が決定したと同時に高校をやめた。
皮肉なことに、高校をやめてから進んだ道が今の職業に繋がっている。
中学卒業までの生活は、基本的に苦痛だった。毎日毎日勉強のノルマがあり、母にチェックを得てから眠る日々だった。
習い事もノルマでしかなかったので、いかに効率的に終わらせるかという一点にしか興味がなかった。
(例外として、学友の多く所属していた野球をしている時、塾の休憩時間にお喋りをしている時は楽しかった。)
興味の無い習い事は、一定のレベルまでしか身につかなかった。具体例を上げると、夏休みの習字の宿題評点で銀賞をたまに貰うくらい。水泳部でマイナーな種目の三番手くらい。
時間を費やしても全く成長の意欲が無かったうえに、(あとから気づいた事だが)才能も劣っていたために、ただの器用貧乏が生まれた。
逆に、何もしなくてもいい点数がもらえるものが幾つかあった。教科で言えば国語、現国は、何も勉強しなくても90点は取れた。漢字の書き取り以外は間違える気がしなかったし、実際ほぼそうだった。
音楽も同じ様に、リコーダーの演奏も平均よりはるかにできたし、小学生時分のイベントで特別な楽器を演奏できるとあらば名乗りを上げた。文化祭や学芸会の劇ではサックスやアコーディオンを誰に習わずとも独学で勉強し、演奏した。歌は基本的に手本となる生徒だった。
夏休みの昆虫スケッチは習字よりも良い賞をもらえることが多かった。
今になって子供時代を振り返ると、なぜあの時に今の道に触れることができなかったのかと後悔する。なぜ専門家の道を最初に考慮しなかったのか。
その道は、後になって発見しても遅いのだ。高校入学時に洞窟を発見しても、辺りはもう夕暮れなのだ。
母に対して思う事はそんなに無い。死んでから時間が経っているのもあるが、上記生活の辛さと、その他少しのいい思い出、それに同情と申し訳無さが合わさってある程度フラットになっている。
今日は僕の思い出話を聞いてもらおう。
もう、15年も前になるだろうか。小学校の卒業式の謝恩会だったと思う。不登校気味だった同級生の女の子が、バイオリンを演奏することになっていたのだった。それまでいつも、ぽかんとあいた彼女の机を見てはたして僕はその子のことを何秒間考えたことがあっただろうか。不登校気味のあの子が着飾って堂々とバイオリンを演奏するとは想像できたのだろうか。必死に演奏する彼女の姿をみて、僕は心のどこか深い部分を打たれたのだった。だから、あの子がエルガーの「愛の挨拶」を演奏していた瞬間、弓を引く腕は真っ白で、その腕に掛かった髪はどこまでも黒かった。
僕はまったく楽器ができない。小学校で習ったリコーダーすらまともに吹けなかったが、あのバイオリンを演奏する風景はとても好きだった。あの子は私立の中学へと進学してったから、それからの行方を聞いたことはない。いまあの子はどうしているんだろうか。ふと蘇った思い出。
好きな人と間接キスがしたい、と言う友達の手伝いをしたことがある。
具体的には、放課後に6年生の教室に忍び込んで先輩のリコーダーを探す友達のために、廊下を見張った。
憧れの先輩がもうすぐ卒業してしまうから、最後の思い出を作る手伝いをして欲しい。そういうお願いだった。
告白でもするのかなあと思ったら、リコーダーにこっそり口を付ける、という計画だった。
正直ちょっと引いたし、「それはやめた方がいいんじゃない?」というようなことは言ったと思うが、彼女は引かなかった。
先輩にはつき合っている人がいるし、告白しても振られるに決まってる。だからせめて、間接キスがしたいの。
こんなこと相談できるの、増田ちゃんしかいない。お願い。お願い。
そんな風に言う友達を諭せるほどの正義感はその頃の私には無く、
彼女が教室で何かをしている間、教室の中は見なかった。見ちゃいけない、と思ったのか、恥ずかしいから見ないで、と言われたのか、
その両方だったのかは忘れたけれど。
中学での彼女は確か普通に同級生の彼氏が出来てた(と噂で聞いた)し、結構可愛らしい顔をしていたしで、
今も多分、変に拗らせたりすることなく、ごく普通のキラキラ女子として暮らしているんだろうなぁ、と思う。
あの時の記憶がもう彼女の中に無かったとしても、別に今更彼女の行いを糾弾しようなんて思ったりはしない。
でももし本当に、綺麗さっぱり忘れているのだとしたら。
自分に都合の悪いことを都合良く忘れてしまえる人は、得なのかもしれないなぁ、って思った。
都合の悪いことを忘れられずに自己嫌悪に陥る人よりはずっと楽に、生きていけるんじゃないかなぁ…って思った。
ちょっとずるいかもしれない。でもそれが健全であるような気がしないでもない。
あ、わかると思うけどこの前の屋上の話で炎上した人の関連エントリ読んでて思い出したことです。
ほとぼり冷めたのにまたほじくり返してごめんね。
の元増田です。
『思い当たるフシ』というやつをリストアップして持っていこうと思います。
既に検査が明日に迫っているものの、「増田に上げる」という目的意識でも持たないといつまでも先延ばしにしそうなので……。
【現在の状況】
■普段の生活で困っていること
■あまり困っているわけではないがADHDの特性に当てはまりそうだと思うこと
こんなところでしょうか。書き連ねてみるとひっどいものですね……。