はてなキーワード: ガンダムWとは
・意志を持ったガンダム(喋る)→ガンダム・センチネル(ALICE)、機動戦士ガンダムSEED外伝(ハチ)
・ガンダムは敵(主人公の属する社会もしくは人類全体の)→ガンダムW、ガンダム00
・ガンダムが合体ロボット(もちろんパイロットも複数)→ガンダムAGE キオ編 AGE3(爺孫合体)
・異世界転生(ガンダムが剣と魔法のファンタジー世界に召喚される)→聖戦士ダンバイン
・ガンダムを製造する会社の話(戦争とかしない)→これは思いつかない
・オーガニック的なガンダム(オーガニック的な何か)→ブレンパワード
・アーマードガンダム(身体は闘争を求める)→機動武闘伝Gガンダム
・宇宙刑事ガンダム(若さってなんだ)→機動戦士Zガンダム デイアフタートゥモロー
ないな
SEEDが作ったのはただの数字だし今のところその作品デザインはどこにも受け継がれてない
あえて言うとしたらやっぱりガンダムWから受け継ぐBL要素だろうな
グッズはやはり腐女子に媚びる話にすると分かりやすく売上が上がる
プラモは分かりやすい方向性のデザインにしたら毎回ノルマで買ってくれる、ここらへんはライダーと一緒だな
ガンダムにBL入れとけばウケるだろっていうのはSEEDから、ガンダムWからの受け継ぎといえるか
多分俺だけじゃないと思うんだよな
俺はガンダムWについてそんなに詳しいわけじゃないから間違っている部分も多いと思うが一応ガンダムWを知らない人に説明すると
ガンダムWの主人公後継機にゼロシステムなるものが搭載されている
大雑把に言うと「超高性能AIがパイロットの脳に直接『勝利するための最適な行動』をフィードバックする」システムだ
そのフィードバックされる情報ってのあくまで『勝利するための最適な行動』であって
勝利するために必要ならパイロットが死んでしまうような行動や味方を殺すような行動をシステムが司令する
で、川上が見せた「素早く動くためなら人体の負担は無視するAI」ってすげえゼロシステムっぽいなと(そういう意味では川上の見せた映像はすごく興味深く見れた)
と考えるトレーズっぽく見えてきて
なんだこれガンダムWじゃんって思った
大学入学とともにインターネットに触れ、ネットの隆盛をウォッチしてきたつもり。
貴重な時間を無駄にしてしまったとも、時代の変化をリアルタイムで体験できた唯一の世代ともいえる。
ネットに触れる前、1995年は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、Windows 95発売と、今につながる転換点となる大きな事件があった。
アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」は、1995年10月~1996年3月放送。今年は、TV版エヴァ最終回から20年でもある。
当時、声優の緒方恵美さんのファンだったので、初回からビデオで録画し、各話とも何回も何回も繰り返し見た。
今週、口腔外科の1泊2日の手術のため、入院することになり、Kindleセール時にまとめ買いした「貞本版エヴァ」を最終回まで初めて読んだ。
実は、コミックは当初の数巻は買っていたが、発行の遅さに購入をやめていた。
読みながら、アニメ版のセリフやカットが蘇る。後半は1997年上映の劇場版のシーンが浮かぶ。
媒体は紙ではなく電子書籍になり、当時は存在しなかったスマートフォンでページを送る。
一部のアニメファン・声優ファンが熱狂していた当時、誰がこんな未来を予想しただろうか。
しかも、エヴァはマニアの作品ではなく、ネット上ではスタンダードな作品に「昇格」した。
1995年は、「エヴァ」放送前は「ガンダムW」が人気を得ていた。
「エヴァ」がなければ、アニメ・マンガはもちろん、ネットやエンタメ全般のトレンドも今とは違っていたはず。
毎週、画質の汚いビデオテープを繰り返し再生し、セリフを覚えるまで見て、大げさではなく、人生が変わった。
物議を醸した最終回放送後、ラジオや新聞も取り上げるようになり、世間も騒ぎ出した。
一般的には旧劇場版、新劇場版のほうがムーブメントだと認識されているかもしれないけれど、
誰が何と言ってもエヴァのピークは1996年3月。とにかく20話以降、続きが気になって仕方なく、毎回、衝撃的だった。
ファン同士のつながりは、アニメ誌だけ。パソ通では盛り上がっていると聞いたが、触れる手段はなかった。
あれから20年、コミック版を見て、週1回放送の「テレビアニメ」だったこそ、ハマったと感じた。
声・音楽抜きで、ストーリーだけ追うと、陳腐で、今となっては、それほど新鮮味はない。
特にミサトと加持のからみは、出産後、恋愛感情が消失した身には、眩しく羨ましかった。
貞本エヴァの主役は、トラウマに囚われた大人子どものミサトに思える。
名作と呼ばれる作品は、後から評価されるパターンもあるけれど、時代とのリンクが大きい。
「エヴァ」は、当時、学校や親との関係に悩んでいた人の心の支えだった。
新劇場版は、毎回、見ているけれど、TVアニメ版リアルタイム視聴時の熱さには及ばない。
いっそ、子どもと一緒に映画館に行ける日まで、完成しなくていい。
10年後、「あれから30年」と振り返る頃、自分はどうなっているのか、アニメファンが目立つネットはどうなっているのか。
スマートフォンが普及し、よりリアルタイム性が重視されるようになった結果、
コンテンツの大半は消費するものになり、「心の支え」にはならなくなってしまった。
未来は予想しない方向に転がっていく。生きることは、歳を重ねるごとに厳しくなる。運転ミスは命取りになり、仕事で失敗したら貧困に転落する。
今も昔も、現実の世界の他者は、「助けて欲しい」「悩みを聞いて欲しい」という叫びを聞いてくれない。
ネットでいくら検索しても、答えはどこにも見つからず、一人で頑張って解決するしかないと悟ったけれど、いま、とても不安だ。
○朝食:なし
○昼食:考え中
○夕食:考え中
○調子
むきゅー。
昨日のうちに洗濯とかはしたので、今日はゆっくりのんびりの日。
○ポケモンの思い出
一夜明けてネットを色々見てみると、出るわ出るわの、ポケモンとの思い出記事。
便乗しようかしら、と思ったけど、僕にとっては赤緑からの20年間ずーーーっと現役のコンテンツで、
「この時期はポケカ」
「この時期はトレッタ」
「この時期は本編」
「この時期はポケダン」
みたいな、どのポケモンにハマっていたか、って違いはあれど、
基本的にずーーーっとポケモンを遊んでいるから、思い出を語るのは難しいんだよなあ。
僕とポケモンの出会いは別コロでした。(別冊コロコロコミックのことです、)
ちなみに、何故ボンボン派だったかというと、ガンダムが乗ってたからです、僕の父親は重度のガノタで、
ガンダムと名の付くものは全部買ってたんじゃないか? ってぐらいのオタクだったため、GガンやWのときた版が連載していたボンボンを買っていたんですね。
なんだけど、風邪か何かで学校を休んで寝てたときに、祖母がお見舞いに子供向けの雑誌を買ってきてくれたんです。
さすがに細かい文面までは、もう覚えていませんが、
「多彩な技を使いこなす植物ポケモン」的なことが書かれていたんです。(豊富な、だったかなあ)
そう「多彩な技」この一文が、僕とポケモンの20年間の始まりでした。
今にして思うと、
「いや、ポケモンは全員四つまでしか技はないし、フシギダネってそんなに技豊富か? 粉系ばっかやん」
とか思うけどね。
で、何故「多彩な技」って一文に惹かれたのか? というと、
ドラゴンクエスト5の話をツラツラ書くことになるので、省略します。(おお、今にして思うと、後のポケダンを作るチュンソフト最後のドラクエじゃん)
ざっくり言うと、ドラクエ5の仲間モンスターの特技の少なさにガッカリしていた的な話です。
(当時は攻略本とか持ってなかったし、ここに誤解があることは勘弁してね)
「フシギダネを育てて、多彩な技で相手を翻弄したい!」ということで、頭がいっぱいになったんですが、
そこはさすがに小学生、強請ってもすぐには買ってもらえませんでした。
当時の僕は中学受験のために、塾通いの日々でした。
って、今調べると僕は小学三年生だか、四年生から塾通いだったのか……
別に勉強漬けだからどうのだの、親の教育がどうのだって文句を言うつもりはないけど、
今にして思うと、色々面倒くさかっただろうなあ、親が。って思いますね。
余談はさておき「そこの塾のテストで良い点数をとれたら、ポケモンを買ってあげる」と親と約束したんですよね。
(ちなみに、ゲームボーイは父親がSAGAをするためにもう持ってた)
当時は「国語」「算数」の二科目を塾で学んでいたんですが、
っていうか、僕は未だにあの中学受験特有の方程式を使わずにつるかめとか旅人の問題を解くの出来ないんですよねえ。
「国語」に狙いをしぼって、ひたすら漢字を覚えて、文章問題に慣れるために問題集をやたらめったら繰り返しやったりしてましたね。
ちなみに、そのときに加納朋子の「ななつのこ」に収録されてる短編を題材にした国語の問題を解いたのが、
うーん、子供の頃に触れた文化は今の僕を形作っているなあ。
結局、努力のかいあって、夏頃に買ってもらえたんですよ。
たしか、夏休みに入る前、七月の前半ぐらいのテストだったと思う。
いやーこれは嬉しかったね、なんとその塾で一番良い点数をとったんですよ。
しかも「漢字の問題を全部間違えてるのに、文章問題が満点」っていう、なんか凄いもったいない感じで、
一番をとったんですよ。
「フシギバナ」
「ピジョット」
「ギャラドス」
「ファイヤー」
「フリーザ」
これは、ガンダムWに登場するヘビーアームズというガンダムのパイロットで、
多彩な技を使いこなすフシギダネにふさわしい名前だ! と思ったのを未だに覚えています。
(他のNNは覚えていないけど)
殿堂入りしてからも、図鑑埋めたり、レベル100を目指したりと、かなり長い間プレイしていた記憶がありますね。
ただ、64を買ってもらったのが、ポケスタ金銀発売後だったので、ポケスタを使った遊びができなかったんだよなあ。
少なくとも、アニポケがオレンジ諸島に入るぐらいまでは、ずっとプレイしていたと思います。
そう一人で。
一人で。
ポケモンの思い出を語る上で、ダイヤとパールが出て、Wifiでネットの向こう側に行けるようになるまでの間、一人でプレイしていた。
という事実から逃れられないですよね。
僕は友達のいない子供だったので、顔付き合わせての通信プレイをしたことがないんですよね。
(社会人になって、ポケカ初めてからはポケカの流れでやったことあるけどね)
ユンゲラーもゴーストもゴーリキーも進化させたことないんですよ。
いやもう、学生時代はずーーーーっとイジメられっ子だったので、楽しく友達とポケモン、なんて夢のまた夢なんですよ。
クラスメイトっていうのは、僕に突然殴り掛かってくる人たちだったからね。
なんか、嫌な思い出しか湧いてこないので、ポケモンの話に戻ろうかな。
緑版を楽しんだまま、ポケスペ(当時は作画が別人でしたね)もハマったし、アニポケも楽しく見てましたね。
ただ、お金かかるから、ポケカは旧裏すら最後まで付き合ってないですね。
(その後、BWで復帰します)
で、待ちに待たされた金銀が出て、銀をGBカラーと一緒に買ってもらったんですよね。
ただ、このとき僕は中学受験の追い込み真っ最中だったから、合間合間にやってただけで、ガッツリプレイしてないんですよね。
だから今では、ジョウトの思い出はHGSSの方が強かったりします。
さらに、インターネットとWindows98がお家にやってきて、
ダーテングのことを好きになるのは、もう少し先の話です。
ルビーが出るも、当時はミステリとノベルゲにガッツリハマってて、
かつ、Windowsを使ったあれやこれやで、ぐへへへ、ってしてたので、
「ポケモン? 小学生の遊びでしょ」的なノリで、そこまでハマってなかったんですよね。
(ああ、この時のネットでの僕の活躍は、未だにグーグル先生が覚えてるので思い出せるが、まあ辞めておこう)
ファイアレッド、リーフグリーン、コロシアム辺りは、もう発売日当時には買ってすらいませんでした。
(GCはチュンソフトのアレをやるために買ってたけど)
そして、高校生になって……
そう「ポケモン不思議のダンジョン」です。
上で書いた通り、僕は当時ノベルゲにハマっていました。
「ポケダンねえ、シレンGBをミレンまでクリアした僕にかかればお茶の子再々、サイサイシーさ!」(当時僕がネットのチャットでよく使っていたジョーク)
と、軽い気持ちで買うも、ドハマり。
感動的なストーリーでぼろぼろ泣き、清森の超絶難易度に悶絶し、とポケダン赤はもうかなりやり込みましたね。
不思議のダンジョン恒例のセーブデータに表示されるアイコンを全部揃えるのに一番時間がかかったのが、ポケダン赤な気がしますね。
(シレン2のモン壺絡みのアレも普通にやると時間かかるんだけど、なんか僕シレン2に関しては、かなり旅の神クロンの追い風が吹くんだよねえ)
そんなわけで、またまたポケモンの世界にハマりだした、僕なんですが、
今度は大学受験が待ってました。
当時、笠井潔にハマっていた僕は哲学科で哲学の教授になるんや! という、夢がありました。
なんですが、まあ色々あって、就職に強い地元の情報科の大学に入ることになります。
そこでプログラムと出会い、今の仕事にも繋がってるわけですね。
そうえば、はてなIDを取得したのは、この辺りかな?
で、巡り巡ってようやく「ダーテング」を好きになる話ですね。
ルビーと同じようなストーリーなのに、色々違っていて楽しめたんですが、
クリア後のアレです。
そう、未だに挑戦している人もいるであろうアレです。
「バトルフロンティア」です。
ポケダンを苦労しつつも、清森を突破した僕ですら、
このバトフロはあまりにも難しすぎました。
ポケモンのストーリーって、基本的にレベル上げてゴリ押しすれば勝てるんですが、
バトフロではレベルが統一されるので、ゴリ押しできないんですよね。
どうすればいいのか?
そして、個体値は少なくとも素早さに関しては最大値じゃないと、そもそもゲームとしての読み合いが成り立たないレベルで意味がない。(トリルないから最遅も意味ないしね、あーでも、グラードンとカイオーガの天候変化組は例外かな)
っていう、今ではもう常識になっている知識を知りました。
これが、僕がポケモンの沼にもうしっかりどっぷりつかった瞬間でしたね。
まず優秀なポケモンを孵化させるためには、とりあえずデタラメでも良いから、数をこなすのが早そうだ。
と当りを付けた僕は
「タマゴグループが二つあって」
「孵化歩数が短い」
「オスメス比率が普通」
この条件に合うポケモンを探すことを始めました。
出来れば、陸上グループがいいなあ(遺伝に使うドーブルも陸上だから)とか色々探すうちに見つけました。
「タネボー」です。
タマゴグループが陸上と植物という、連絡網的にかなり優秀な二つ。
そして、3840歩というかなり短い孵化歩数。
こりゃ良いんじゃね?
と思い、孵化!
孵化!
孵化!
孵化!
孵化!
僕の大学一年生は、ずーーーーっとGBA片手にタネボーの孵化をしていましたね。
そこで生まれた
4V(HACS)、せっかちのタネボー。
メス。
そう、念願の3Vの壁を突破した、初めての4Vが
メス。
ここで、僕の心が折れました。
「もういいや、この山ほどいるタネボーをまず実際に育成しよう」と。
ところが、
とりあえず、葉緑素を生かすために晴れPTは確定。
残り一枠、うーん、良い技ないし適当に猫騙しでも入れておこう、シングルじゃ腐りそうだけど。
で、次は相方か。
晴れ始動。
耐久があって、弱点が少ない子か……
弱点が少ない?
ヤミラミって弱点ないんだよねえ(第三世代当時の話、今ではフェアリーが弱点)
エンテイはコロシアムで厳選とか死ねるから、ヘルガーにしよっと。
「ダーテング」
「ヤミラミ」
「ヘルガー」
と、こんな感じの思考回路を経て、
晴れPTが完成しました。
もちろん、見ての通り、三世代当時で考えてもこのPTは弱いです。
(ラティとかどうやって突破するつもりだったんでしょ)
そんなポケモントレーナーの当たり前が、それはもう、それはもう楽しいことに気づいたのです。
始めは孵化歩数だのタマゴグループだのの、打算で育て始めたダーテングのことが、
フロンティアで一緒に戦ううちに、どんどん好きになっていき。
そして、偶然なんですが
このPTなんと、全員が悪タイプを持っている
「悪統一」でもあったんですね。
これに気づいて、僕は
それから、ダイヤ、パールでネット対戦デビューをしてからは、そりゃもうポケモン漬けでした。
きあいのタスキによって、晴れ始動を行いつつ、大爆発で退場できるようになったダーテング。
プラチナで不意打ちを覚えて一気に晴れ下での物理アタッカーとしてかなりの地位にたつことになったダーテング。
悪統一!
この縛りと育成、対戦の楽しみによって、僕はもうかなりネット対戦にのめり込みました。
ちなみに、僕が対戦していたのは、2chの社大スレというところでした。
BWですよ。
ここまで、基本的に
BWですよ。
BWでランダムネット対戦が導入されて、ますます対戦にのめり込もうと思った僕は、
「そろそろ悪統一を辞めて、普通にPTを組もうかな」と思っていました。
それをするのに、世代交代というのはちょうど良いタイミングだと思ったのです。
思ったのに
これですよ。
もう本気でポケモン作った人に聞きたいんだけど
「かそくアチャモのために、五冊攻略本をかって、しめりけミズゴロウを五匹ゲットして、ブックオフに攻略本を売る」
これが、楽しいと本気で思ったんですかねえ?
誰が「わーい、好きなポケモンのために攻略本いっぱい買うの楽しい!」って思えるわけ?
おかしいでしょ。
でもそれは、明確に貰えるポケモンがハッキリしてたし、
少なくとも、一枚買えば一匹貰えるっていう簡単なルールだったじゃん。
映画前売り券はまだいいわ、映画何回も見ればいいんだから。(よくないけど)
攻略本何冊も買って何になるわけ?
おかしいでしょ、どう考えても。
マグナゲートが糞ゲーとか、
ポケモンダッシュが糞ゲーとか、
ポケモントローゼが糞ゲーとか、
そういう次元の糞ゲーじゃないんだよ、
効率よく攻略本を買うために、仕事頑張って給料たくさんもらいます、じゃん。
それゲームじゃないじゃん。
という感じで、もう第五世代にはかなりガックリ来て、ろくにプレイしていません。
BW2に至っては買ったけど御三家すら貰ってないです。
なんだけど、XYが出て、
愛するヘルガーが、メガヘルガーになることで、より晴れPTのアタッカーって側面が強くなって、
なんだかんだ、今ではポケモンを楽しんでます。
第六世代からは、シングルじゃなくて、ダブルを専門にすることで、
より愛するダーテングが活躍できるようになったし、
サンパワー晴れ熱風というメガヘルガーのロマンを追うのは超楽しい。
いやうん、でも最近のネット対戦はポケットモンスターというよるガルットモンスターだから、最近ちょっとやってなくて、
リア充とコミュ障についての一般的理解についてはすでに得られているものと仮定する。ところでこれは世界一般の傾向とは言いがたい。コミュニケーション力のあるなしは、たしかに社会での成功につながったり、リーダーとして選ばれる資格ではあったりするものの、社会全体を二つに分けたりはしない。同じ趣味を共有する者たちは、リア充であろうとコミュ障であろうと仲良くする。同じようにリア充であっても価値観、例えば政治信条が違うなどすれば必ずしも仲良く話したりはしない。これは西洋社会のことを説明したのだが、アジアや中東やアフリカがそれぞれ違うかもしれないが、いずれにせよ世界で一般的な社会構造とはいえない。
日本での特徴は、コミュニケーション力が高く集団のリーダーになりうる人間に、その他大勢のある程度コミュニケーション力ある人間がコバンザメのように付着し、そしてその外的構造であるコミュニケーション力がかなり低い人間を自分たちの場にいれないように蹴落とそうとするところにあると考える。ある種のコミュ力の低い人間、たとえば極めて知能の高い人間や有名スポーツ選手などはリア充集団に歓迎して迎えられるが、それはリア充集団が彼をどう捉えるかによって決定されている。つまり、社会構造の決定因子はリア充クラスタの集団意思に拠っている。
ここでアニメ・ゲームをはじめとするオタク文化を考察すると、ここは実のところ必ずしもコミュ障 ∋ アニメオタクという符号が成立しないことには、この分野に詳しい諸家はすでにお気づきのことと思う。大方コミュ障はアニメ好きを許容し、リア充はアニメを毛嫌いするような一般的合意があるように思われるものの、その結果としてリア充クラスタにおける「アニメ好き」趣向は、まるで韓国における「親日」と同じレベルのタブー、クラスタからの脱落を意味しかねない極度にセンシティブな因子なのである。かくしてリア充構成員はたとえアニメ好きであったとしてもそれを隠蔽する傾向にあると推察される。一見すると強力に両クラスタ間を分別する因子がオタク文化のように感じられるかもしれないが、実のところ本質的な差異である「コミュニケーション力(あるいは空気を読む力)」に比較するとオタク文化の識別能力はさほど高くない可能性がある。リア充クラスタにおいて本来オタク文化を好む傾向を持つものは、宮崎アニメ好きやゲーム好きなどという仮の衣をまとっていたりすることがあろう。
ここでコミュニケーション力の高い人間の中でもリア充クラスタを引っ張るほどに実力の高いものには、上記のタブー要因が作用しないことにも注意したい。かくしてリア充リーダークラスに認められたオタク文化、例えばゲームであるとか、エヴァンゲリオンなどと言ったものは、一時的ではあってもリア充クラスタに受けいられることはある。しかしその発言権を有するのはリーダークラスだけであって、構成員はたとえエヴァンゲリオンが面白いと感じてもそれを口にだすべきではないわけだ。
もしこれを読むリア充構成員が、そんなことはなくて本質的にアニメなどくだらなくて毛嫌いすべきもの、自分はどこまで言ってもあんなものを理解することはない、と思うとしたらそれは知性のなさを吐露するものと捉えられよう。どんな文化にもその文化の理解と経験からなる文脈的解釈があって、たとえば夏目漱石を読みたいたいならその背景のあの時代の日本の小説文化をわかっていないと凄みがないし、ゴダールを楽しみたいならヌーヴェルバーグについての一定の知識がないと到底わからないだろう。これらのマニアックな趣味ならばこの発言はすぐに受けいられるが、これはたとえばレディー・ガガだって、浜崎あゆみだって、「読モ」だって同じ事だ。「読モ」なんていうのはあからさまに文脈的文化であり、芸能界と大衆一般文化・特に女子高生文化との異常な接近を意味しているに過ぎず、これがたとえば欧米社会に言って受けいられるようなスター性がある人間たちだとは到底思えない。それはしかし逆も真であって、現在の欧米のセレブリティが普遍的価値を持っているわけでもない。さらに欧米であったって、日本のアイドル文化の文脈を理解した者たちは、熱烈にモーニング娘を支持したりする。結局のところ文脈だ。そしてその文脈を理解した時、アニメの面白さというものが血となり肉となって味わうことができるのであるが、アニメの文脈を捉えようとしたことのないリア充が「アニメなんて子供のものでつまらない」と言った時、文脈をきちんと理解した時彼が同じようにつまらないと思うかどうかはわからない。本当はそのアニメの強力な支持者になりうる資質をもっていたかもしれない。
ここでまず第一の議論に入ろう。先日、プリキュア好きのアホな若者が未成年者略取の事件を起こした際、プリキュアを見るような成人男性は幼い女の子を誘拐しかねないから監視すべきかという議論があった。ここで、金銭目的ではない幼女略取事件を起こすための決定要因はロリータ・コンプレックスの存在にあるとする。これはいいだろう。
おそらくコミュ障・ロリコンの人間はプリキュアを見ている。それは否定しがたい。相関も出るだろう。コミュ障でミリタリーが好きな人はエリア88を好むかもしれない、そういった趣味傾向の行先として当然の帰結であろう。しかし、リア充・ロリコンは、上記の社会的プレッシャーによりプリキュア好きを公言しないか、もしくは好まないもののそれは文脈理解の不足によるもので、コミュ障と同じだけのアニメ文化の洗礼を受けた上で見てみると、その人間の本質的な趣向はプリキュアを是とする可能性がある。プリキュア視聴という因子は、リア充でロリコンの人間を識別する能力を全く持たないと考えられる。
そこで、プリキュア視聴の幼女略取事件発生に関する精度が高いためには、コミュ障の条件付けでは相関があるものの、リア充の条件下では相関が出ないと思われることから、そもそも幼女略取を起こすのはコミュ障であってリア充は起こさないかもしくはとても可能性が低いという前提が必要だ。しかしこれは確認されていない思い込みである。過剰な前提である。コミュニケーション力の有無によって幼女性愛傾向が決まるというのは過剰な前提だ。そもそも幼女に話しかけてつれさってどこかで何かしようという行為はコミュニケーションによって成立しているように思われる。
であるから、現在の情報をもとにプリキュア視聴によって幼女略取を推定できると考えられるとは思われない。しかし研究対象としては興味深い。本当にコミュ障でプリキュアを見てという人がほとんど幼女略取事件を起こしているのか、それとも実はリア充で、社会的理由によりプリキュアを見ていない者が、ロリコンなので幼女略取事件を起こすのか。報道などを総合する限りは、野球選手で幼女にイタズラした事件なども含め、必ずしもコミュ障だけがこの手を事件を起こしているとは思われない。私の直感では、「プリキュア視聴」の識別能力はさして高くないものと思われる。私はここでことさらプリキュア好きな人を擁護したいのではなくて、我が子を守ろうという社会的行動にあってプリキュア好きを調査する行為はおそらく無意味であって、それよりももっと他の面を充実させることで犯罪抑制を図ってもらったほうがよいだろうという思いから述べたものである。
次に第二の議論に移りたい。
最初に述べたようにリア充クラスタにおいて、アニメ好きというのは集団からの集中攻撃を受け、個体として排除される可能性を生むほどの強烈なタブー因子である。それでは、人生のある時点においてコミュ障クラスタからリア充クラスタに移動した人間においてはどうであろうか。これは一般には「大学デビュー」などと称される現象として観察されている。
これは私の話である。高校時代はエヴァやガンダムW、3x3アイズやああっ女神さま、ロードス島戦記といったそんな世代だ。コミケは所要で行きそびれたが、今から考えると正解だったか。萌えとかいう言葉はなかった、と思う。大学に入った当初くらいはエスカフローネやウテナを見ようとしていた記憶もある。しかし内容については一切記憶が無い。私は結果として、アニメ好きを決して公言せず、周囲に同調して「この年齢でアニメ見るとかヤバい」「twitterのアニメアイコンキモい」とか言い始めるようなそんな人間になっていた。実際には周囲の人間は、「こいつちょっとオタクくさいよな」とは思っていたかもしれないが、リア充クラスタというものは、大学レベルで就職なども視野に入りポリティカリー・コレクトな発言を志すようになると、「僕はリア充クラスタに入信したいです!過去のことは水に流します」という気持ちでありさえすれば受け入れてくれるものである。そしてなれないおしゃれな服を買ったり、カラオケではやりの曲を歌ったりするのである。高校まではバカにしていたような、軽薄な恋歌を。そうやっていると、「彼女」が得られるのだ。現代日本社会において、古代ローマ帝国における「ローマ市民」を意味する社会階層に移ることができる。
ところで彼女を得たり、彼女を得るための努力をしたりしているうち、軽薄だと思っていた恋愛の歌が、実際に経験してみると自分の気持ちや彼女の気持ちをわりとうまく表現しているということに実感が至り、そうそう軽薄といってバカにすべきものでもないなとも思う。とはいえ思ったこと感じたことを書いただけで、より深い洞察はどこにもないが。ショッピングも、自分がその中で役割を演じる主体となってみると、無駄な時間と思っていたそれがわりと楽しいものと感じる。買ったものが無駄であることに変わりはないが。
結局のところ彼女に最高のプレゼントを購入し、サプライズ込みの記念日を演出する自分がいながら、その傍らでそれを冷めた目で見つめている自分がいる。オタクコミュニティの言説への親和性はその後もずっと高く、それになんとなく寄り添う気持ちは持ち続けている。
ところがだ。たとえばネットで、オタクへの攻撃的言説があったとしよう。両世界を知る人間としては私は言うが、そのほとんどは謂れ無き差別、思い込み、妄想のオンパレードで、リア充側に理があるといったことはほとんどない。実のところ私と同様に二つの世界を移った人間が、コミュ障的世界への決定的決別を宣言するがために、わざと理不尽な攻撃を繰り出しているのではないかと思えるほどである(そもそもネット系ツールで自分の主義主張をかましてしまうような人間が、オタク文化に一度も染まったことがない可能性はどれほどなんだろう。はてなならまずそれはないと言い切れるが、twitterなら真っ当な人間もいるのかもしれない)。ここでわたしは実名世界ならば「まあまあ」といったところでお茶を濁すところだ。一方匿名であれば、コミュ障側への深い理解と共感、リア充の身勝手さへの反感を述べるのである。それができるのがネット世界であった。わたしの年齢だと、大学くらいから徐々に浸透してきたものだ。
ところがそれに対する反応はどうか、「上から目線だ」「こいつオタク装ってオタクじゃねえ(やはり短期間でも離れると会話についていけなくなる世界だ)」「とにかくむかつく」というような、つまり、リア充がリア充そのものの発言をした時よりもよりいっそうの猛烈な反発をくらっちゃったのである。うん。くらっちゃった。僕はコミュ障のオタク達を助けたかっただけなのに・・・
ここでは韓国において、日本のリア充にあたるのが「反日」、コミュ障が「親日」と考えよう。親日っていうのがいるのかいないのかわからないと言われるかもしれないが、私は少なくともそれなりに知っている。しかし強烈なプレッシャーがあり口にだすことができないという。社会で生きていくのに困難さすらともなう、場合によっては転向を要求される、転向しさえすれば許される。これがコミュ障クラスタと似ていないと言えようか。一方、反日クラスタの中では、ちょっと過激すぎて理不尽とも思われるような反日的発言(日本の高校生のバットは圧縮バット、みたいな)が容易に許される、やや知的に劣等な面が見られる。そう、これがリア充クラスタだ。「親日」側は日本の「コミュ障」よりもはるかに強烈に弾圧され法律まで持ちだされて言論封殺されているような環境ではあるが、構造としては似ている。
そこで李大統領は、就任前の経緯や就任当初の発言を見るに基本的には「親日」側の人間であるように思える。韓国政界でもそのように攻撃されていた。であるが、そこは韓国だ。私が実は井上喜久子姉さん(17)が好きなんですーなんて口が裂けても言えないのと同様に、李大統領も本来の親日発言をすることはできないのだろう。した瞬間に引きずり降ろされる。しかしそれでもなんとかしてやりたい。僕はもうアニメ好きには(親日には)決別してしまったように社会的には行動していたとしても、自分は自分として評価されなくてもいい、ただし何か一つでもアニメ好きの人たちが嫌われない、少しでもよく思われるように、こちらがわ(反日側)の内部からそのクラスタを説得できるようなことができないものだろうか・・・
アニメが危険なものだなんて証拠はないって言わなければ(過去の記憶だけにとらわれず前向きに行こう)、でも僕自身はアニメ好きなわけじゃないって付け加えないとねリア充の人たちから疑われるし(従軍慰安婦への謝罪が不十分だ)、あとアニメ好き側の人も振る舞い方を少し気をつけたほうがいいよねって書こう(天皇陛下に来てもらって謝罪をするなど大胆な行動が必要だ)、そうするとリア充側も納得するだろうし・・・
で、もちろんリア充の方に向けて発言してるわけだから、自分はアニメを支持するわけではないっていうニュアンスをちゃんとただよわせなきゃ(来たいなら来ればよい)、そうしないとむしろ自分が攻撃されてしまうしね・・・
それで猛烈な反発を食らってしまった。ほんとは僕はあなた方のために行動したかったのに・・・(日韓関係の専門家を集めて、真意が伝わっていないと不満をもらす)
どうだ、見事にハマっているわけではないか。李大統領はかつてオタク文化にハマったコミュ障住人で、ある時点でリア充クラスタに移ったのだがあの時のオタク文化に恩を返したい、そんな義理堅いやつなんだ。だけどそんなことしてオタク側から猛烈に反発くらっちゃったわけなんだな。
という壮大な妄言はここで終わりです。
ガンダムWの誰だかのせりふだって言う話を聞いたことがある。
20年以上アキバを愛好している人間から言わせて貰うと、「悪い」と断言できるものって数年前、中央通りの店舗でも平気でエロゲー系のポスターやPOPが歩道に出てたときくらいじゃないかと思う。
裏に入ればそういうのがあっても仕方ない。だって売れるんだもの。あとその手の人たちは見てて楽しいんだよ。
売れなくなったから仕方ないんじゃない?
だって、売れないものをお店に出してるだけじゃ仕事にならないでしょ。
そういう風景に戻したければ、まずネットでゲームを買うシステムを失くしてDELLやAcerも含めてショップブランドのPCの値段を全て15万円以上にする必要がある。
そこまでやれば、それなりにまた自作というか組み立てPCの時代はくるだろうしネットでゲームが買えなければ少しは客足が増えるかもしれない。
時代は変わる。
個人的に秋葉原は好きだし、今でも無意味に秋葉原に通い続けてるよ。
もちろん言いたいことはわかるし下手なパフォーマーがいるよりは、スケボーやバスケしててその近くでインディーズが歌ってる風景のほうが好きだ。
でも俺が本当に好きだった秋葉原、というのはガンダムWやエヴァンゲリオンが出てきた時代より前。
エヴァンゲリオンの大型ポスターやらPOPやらが歩道に出てきたとき、卒倒ものだったね。
何て恥ずかしくてかっこ悪い街になってしまったんだと思ったよ。エヴァンゲリオンだよ? あんなの中央通りで堂々とたくさん張り出されるなんて秋葉原も狂ったかと思った。
そんなものが出てくる前の秋葉原はさ、書院やコードレス電話のポスターやらがよく目について、ゲーム機やゲームソフトは言うまでもなくバーコードバトラーとかおもちゃ系もよく見かけた。
ああいう街が一番好きだったんだ。
そして今増田が思っているようなことは10年以上前に考えて、これも時代かと悟ったわけだ。
好きなものが変わっていくのは受け入れがたいときもあるけど、ここ15年くらいは特に変化が激しかったわけだし今更そんなこと思っても楽しくないだろうから新しい秋葉原を楽しむように心がけるのが一番だよ。
俺なー、最初初期ガンダムくらいしかガンダムシリーズで面白いと思えたのなかった。
他のシリーズはなんかこう、シリアスで真面目で素人から見ると退屈っていうか・・・
ガンダムオタ以外立ち入り禁止みたいな閉鎖的なアニメが多い気がした。
(頑張って見ようとしても退屈で見れなかった。でもガンダムWの劇場版は見たけど面白かった。女キャラ可愛い。
皆ハッピーエンドっぽくて良かった。自爆装置という死亡フラグが無駄になるのが良い。SEEDはバッドエンド)
で、賛否両論のSEEDができて、個人的にはアニメとしては面白くて見てた。
(ガンダムシリーズを見てきた人にとったら腹の立つ出来だったかもしれないけど。)
「ほらほらこういうのが面白いんだろ?」みたいなぶっつけ仕事というか、
練り込んだストーリーというよりもその場その場の快楽主義みたいなアニメでちょっと違和感感じたけど、
まぁ面白かった。SEEDは素人達をガンダムシリーズへ引き込む為の餌みたいなアニメだったと思う。
それで、SEEDとシリアスなガンダムシリーズの中間を取ったようなのが今期のガンダムだと思ってる。
だから一応見てみる。最初が例えつまらなかったとしても、きっと後で巻き返してくれると信じてる。
(もし見てなかったら、後で「見てれば良かった」と後悔する可能性があると思う)
でも後悔しても数年後借りれば良いから、今見たくない人は無理して見なくても良いと思う。
俺アニメがテレビから消えたら色んな事に集中できて深夜にも起きてなくて済むから
見たい物が少なくてちょっとほっとしてる。