はてなキーワード: たらい回しとは
コンピュータやプログラミングが好きで、その技術で以て社会に貢献したいと考えている人へ告ぐ。
日本のSIerなどに就職しても、給料以外に得るものなどない。だから、就職するな。
もし、コンピュータの技術で人の役に立ちたいと思うなら、オープンソースのプロジェクトに参加したり、本などを書いたりした方が良い(後者は一発当てると生活に不自由しない程度には稼げる)。
まず、世のSIerやPGに就職したところで、実質的に価値のあるソフトウェアを作ることは、まず無いと思っていい。
案件の大半は、コンピュータリテラシーの低い老人向けのクソ下らない業務システムなどだ。信じられないかも知れないが、「FAXと連動する」みたいなソフトウェアは、今も日本中で生産され続けている。
おまけに客自身が、そのシステムで実現したいことを本質的に理解してないから、従来紙の上でやっていたことを、そのままパソコンで行うだけのシステムを作ることになる。
ついでに言うと、SEやプログラマの仕事が設計やコーディング等の知的業務だと思ったら大間違いで、「客の送ってくるエクセルやパワポ資料の体裁を保ちながら、丸番号つきのスクリーンショットを追加する」みたいな下らない仕事が開発と同じくらいある。
あと、「IE9で動かない」とか「Firefoxで見たときだけテーブルの枠線が薄くなる」みたいな、本当にどうでもいい理由で既存のライブラリを利用せずに、フルスクラッチで書こうとする勢力が多数。
あと、日本の職業エンジニアのレベルは本当に低い。趣味でプログラミングを学んだその辺の学生の方がずっとレベルが高い。
まず、職業エンジニアのほとんどは、アルゴリズムとかオブジェクト指向設計とか、プログラムの性能や保守性に関わる知識を全然知らない。ハードウェア、データベース、ネットワーク、セキュリティ等のシステム運用に必要な情報技術の基礎知識を一通り知ってるエンジニアなんて、全体の1%もいない。
そもそも、業務で使っているプログラミング言語すらまともに勉強していない。「Effective ○○」みたいな本に書いてあるようなベストプラクティスをことごとく無視してクソコードを量産する。クソコードはそのプロダクトが死に絶えるまで残り続けて、改修のコストを指数関数的に増加させる。
下請けのゴミにもなると、ググって出てきたコードを意味もわからずコピペして「動かないんですけど」とか言ってくる。それでも仕事はある。
あと、ソースコードをバージョン管理していない会社すらわりと存在する。(「GitではなくSVNを使っている」とかいう意味ではない。文字通りバージョン管理していないのである)
こんなことは別にIT業界に限らないんだろうが、要はレベルの低い人ほど偉そうで、全体の足を引っ張っているわけである。
ここで言うレベルっていうのは、別にJavaやC++などを使いこなせることを意味してるわけじゃない。仕事の内容や目的をきちんと理解して、自立して仕事ができるかどうかだ。
お前んとこの独自フォーマットのエクセル出勤簿をシステムに取り込む機能が本当に必要なのか、よく考えて欲しい。あと、パソコンの使い方レベルの問い合わせを、開発者までたらい回しにしないで欲しい。本当に無駄でしかない。
この状態で『人が死なない以上の利益ってあんの?』とは?現実は死んでいるし無策放置だからまた死ぬが?
病院も逼迫した状態から落ち着いた状態になったりしていないが?
欧米並みの死者数に至るまではフィリピンに次いでの死亡率で無策放置でも『日本は成功している』なのか?
現状でtwitterや、はてブコメントで見られる新型コロナウイルス対策への意見に対して、どうしても違和感を覚えることが多いので、私の考えをここに記します。私は物書きの専門家ではないので冗長な文章になると思いますが、できればどうか最後まで読んでほしいと思います。よろしくお願いいたします。
現状で実施されている一般的な対策といえば、「マスクをする」 「手洗い・うがいをする」 「3密を避ける」 「不要不急の外出・遠出はしない」などが挙げられ、それらは感染拡大を抑止するという面で一定の成果を上げられたと思います。私も現在に至るまで、それらを忠実に守って生活しています。
しかしながら今後、我々が考慮し実施すべき対策というのは、そのような「抑止」を目的とした対策を超えて、「感染することを前提とした対策」ではないのかと。それが「正しく恐れる」ことではないのかと思います。
ここで批判を覚悟で敢えて申し上げると、今、この私の文章を読んでいるのは、先に挙げた対策を忠実に実施して感染を免れた誠実な方々がほとんどだと思います。しかしそれは、貴方や私が自粛を頑張ったからではなく、
に過ぎないということです。なぜなら上記の対策は100%感染を防ぐものではなく、その確率を下げることしかできないものであること。つまり、いくら自粛しようが感染するときは感染するし、逆にパチンコに出入りしようが、昼カラオケに行こうが、沖縄旅行しようが、感染しないときは感染しない。単なる確率論だということです。
「そんなこと言われなくても分かっている」という人が多いと思いますが、最初の違和感として、それを認識していない人が多いと思います。自粛している自分が感染しないことが「当然のこと」のように思い、自粛しない(できない)人をあからさまに叩く行為などは、それを表しています。「たまたま感染しなかった者」が「不幸にも感染してしまった人」を叩くことの浅はかさにどうか気づいてほしい。たとえそれがフーゾクやらキャバクラなど夜の街に出入りして(従事して)感染したとしてもです。感染した人にかけるべき言葉は、「どうか1日も早くよくなられますように」だけです。なぜなら自粛している貴方も私も、今後感染してクラスターを発生させる可能性が0ではないからです。
つまり、今後考慮しなければならない対策とは、「感染を前提とした」対策=「クラスターが発生しても大丈夫」な対策です。それが「ウイルスと共存する対策」であると私は思います。ですが世間は未だに「ソーシャルディスタンス」やら「新しい生活様式」やら、言葉は生まれても「抑止」の域から出ていない。…そこに大きな違和感を覚えます。「抑止」は間違ってはいませんが、今後は次のステージへ移行すべきだと思います。
本来、今実施している「自粛=抑止」対策も、「医療崩壊」を起こさないことが目的であって、「感染しないこと」が目的ではなかったはずです。もちろん誰も感染などしたくはありません。今回のコロナは場合によっては症状が急激に悪化して肺炎から様々な合併症を引き起こし、最悪は死に至らしめるものとしてインフルエンザなどとは違うものです。しかしながら完全に撲滅することができない以上、インフルと同様の捉え方をせざるをえないものと私は考えます。
ここで、なぜ人はコロナを恐れてインフルは恐れないかを敢えて書きます。インフルは実は今回のコロナ以上に毎年それが要因と考えられる死者を多く出しています。しかしそれをほとんどの人が恐れないのは、ある程度治療方法が確立しており、それが一般に認識されているからです。ワクチンもあれば対応薬もある。だがコロナはそれが今のところ確立していない。だから
「感染したら俺も死ぬかもしれない。俺は死ななくても周りの家族を死なせてしまうかもしれない…恐い恐い…」
この過剰な不安が「コロナ恐怖」の本質であると思います。まずはこの恐怖を取り除かない限り、私が先に挙げた「ウイルスと共存する対策」は浸透できないと思います。なぜならそれは「自粛を必要としない」対策、究極の意味では「マスクもしない」「3密も守らない」という対策なのだから・・・
「バカかお前は。そんなことしたらまたクラスターが発生して感染者が増大して今までの努力が水の泡になるだろうが!」
そういう声が聞こえてきそうです。そのとおりです。私が言うのは「クラスターが発生しても大丈夫」な対策ですから最終的に自粛は必要ないことになります。果たしてそんなことが可能なのか・・・。私は可能だと思っています。それにはまず我々の「意識改革」が必要です。
ここで皆さんにお聞きしたいのですが、「もし貴方が今、まさに新型コロナウイルスに感染したらどうしますか?」と質問されたときに、どう答えるでしょうか? …多くの人は「最寄りの医療機関に電話する」「保健所に対応策を確認する」「最悪は119番する」などと答えるのではないでしょうか。…少なくとも私はそうです。
ではその対応をとった後、具体的にどの医療機関に運ばれて、どのような検査をして、不幸にも感染が確認されたらどのように治療が進むのか完全に把握している人はいるでしょうか・・・。ほとんどいませんよね、私もそうです。でもそこに「コロナ恐怖」の本質があると思っています。
「感染したらどうなるか分からない」 「ちゃんと医療が受けられるか分からない」 「場合によっては、たらい回しにされて手遅れになるかもしれない」・・・
ワクチンなどの治療方法がまだ確立していないことも相まって、このような医療体制に対する自身の不明確さが「感染したらやばい!」=「自粛」という意識につながるのだと思います。無理はありません。誰でもそうです。しかしそれを改善していく努力=意識改革が今後必要であると思います。そしてそれはワクチンなどの治療方法が確立する前から必要なものと考えます(なぜならワクチンとて100%完全治療に足りえるものとならないのだから)。
これは決して自粛を否定するものでもなく、また現状の医療体制を完璧に把握しろということではありません。そうではなく今後は「感染することが前提」という意識改革のもと、全ての人が感染した時に慌てず恐れず適切な対応がとれる社会を、国民全体で一丸となって確立すべきということを言いたいのです。医療関係者だけではなく、政治もマスコミも、そして国民一人ひとりも全て…
分かりやすく例えると
「貴方、今日マスクとかしてませんね? 感染したらどうするんですか?」
「いやあ、感染したくはないですが、もし感染してもこれこれに連絡すればちゃんと対応してもらえて治療が受けられますし、万一重症化してもその後の入院施設も必要な機器も全て確保されていますし、その間の補償も確立していますから~。それでも感染が元で死んでしまったら、その時は寿命だと思って諦めますわ~(^o^)ニコー」
極端な話、誰もがこう言い切ることができる社会になればよいのではと。
繰り返しますが、これまでの自粛を主体とした対策を否定するものではありません。マスクも有効だし、手洗い・うがいも今後も励行すべきです。しかし「自粛」を基とした「新しい生活様式」には大いに違和感を覚えます。「ウイルスを克服する」とは「以前の生活に戻す」ことだと思います。
幸いにもいまだに要因が不明ですが、少なくとも日本国民には「ファクターX」と呼ばれる何かが存在し、欧米に比べて新型コロナウイルスによる「重症化」が低く抑えられていることが分かってきました。もちろん今後も更なる検証が必要ですが、「ねずみ算」式に重症者や死者が増えないことが今後も予測されています。これまでの統計的なデータや現状での医療機関の状況などを精査し、どれだけの感染者が発生したら、どれだけの割合で重症者が発生するか、またその切り分けを正しく判定する方法および、その後の医療措置(診断方法、病床、機材等)が確保される体制を確立すること。それを皆が理解すること。そうすれば徐々に現在の「自粛」中心の対策から以前の生活様式に戻していき、最終的には「元に戻しても大丈夫」な体制を確立することができるのではないかと。それが今後の実施すべき対策ではないかと思います。
1. 全ての人が感染することを前提とし、感染後の全ての対応が円滑に行われる体制を確立し、それを皆が理解することである。
2. そのためには全ての人の「意識改革」がまず必要である。「感染を抑止」しながらも「感染を前提」とすること。
これ、私は必ずできると思っています。そのためには、やはりまず「政治」にリーダーシップをとってほしい。日本国民は法で定められたわけでもないのに、お上から自粛しろと言われたらそれを忠実に守る、いい意味では「優秀」な国民です。しかしそれはひとたび方向性を間違えれば、「歪(いびつ)な正義」従って、それに沿わない「少数派」「弱者」「異端」等を排除する全体主義に陥る可能性も持っています。(正直、今回はウイルスよりもそっちの方に恐怖を感じました。) 現状を正しく検証し、明らかになった理論に基づいて元の生活に戻すための方向性を社会全体に打ち出してほしい。全ての人にコロナ以前の笑顔を取り戻すための「道しるべ」を示してほしい。それが政治の役割であると考えます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。ここまでの内容に関して、様々なご意見やご批判、ご指摘があろうかと思います。それらは大いにしていただきたいし、また私の認識で誤っているところは今後も修正を継続していきたいと思っています。ただ「皆で現状を克服しよう!」ということ、そして「感染した人を叩かないこと」だけは重ねて申し上げておきたいと思います。ありがとうございました。
こんな御時世ですからね
市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。
ある日、渡辺は体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師から軽い胃潰瘍だと告げられた渡辺は、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、市役所を無断欠勤し、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。そんな中、飲み屋で偶然知り合った小説家の案内でパチンコやダンスホール、ストリップショーなどを巡る。しかし、一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。
その翌日、渡辺は市役所を辞めて玩具会社の工場内作業員に転職していようとしていた部下の小田切とよと偶然に行き合う。何度か食事をともにし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。自分が胃癌であることを渡辺がとよに伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」といった。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気づき、次の日市役所に復帰する。
それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。渡辺の通夜の席で、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取ったのだった。新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった助役など幹部たちが退出すると、市役所の同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績をたたえ、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めた。
通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺をたたえていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の創った新しい公園は、子供たちの笑い声で溢れていた。
日本はコロナに今までかかった人が少ない割に、医療体制が崩壊って、諸外国に比べて貧弱じゃない?
先進国の中では実際人口あたりのキャパは少ないんでしょ。医療従事者に感謝とかいう風潮があるけど、いや体制が貧弱だよ。って気がする。当然、その状況下では頑張ってもらっているし、皆が皆に感謝している社会がいいってことはわかっているけど、もともとの体制とか弱いよ。
個人的には儲け主義で無駄を削ぎ落としてきたから、こういう自体に対応できない気がしてならない。
コロナじゃなくても入院が難しいとか、救急患者の病院たらい回しとかある。俺のいとこは両足骨折で救急車で運ばれて受け入れ先がなく1日家で過ごしたことあるし。正直相当痛いし不安だと思う。救命病棟のようなドラマのように寝ずに頑張って感動みたいなドラマあるけど、救命なんかギリギリで運用している事自体がすでに破綻だよね。
医療体制がどこまで?(保健所は?とか厚生労働省は?)って話もあるけど、いつまでも PCR検査増やせないしさ。大変なら看護師免許なくてもここまで手伝ってもらうボランティアや雇用を始めてもいいと思う。
未来のことはどうなるか誰にもわからないけど、日本だけ感染者数が少なくて、免疫を持った人が少なければ、日本だけ世界と交流できない取り残された世界が待っているんだよね。ワクチンや抗体が出来るかどうかわからないけど、それが出来ないときは集団免疫で一度かかって免疫を持つ人が増えることで収束なんだとすれば、それに向けて一定数の感染が必要なんじゃか無いかな?それに向けた医療体制が必要だ。
少なくとも、
「医療従事者ありがとう」だけど反省すべき点はいっぱいあるよね。他の国より弱い部分があるよね。今後改善していこうね。って風潮になってほしい。
今朝から熱が出た。思えば先週の土曜にメトロで都内に出た。30分程度で帰ったが、ヨドバシと書泉に行った。往復か店内で貰ったかも
それ以外は毎日自宅とたまに最寄り駅のスーパーに買い物に行っている。やはり都内に出たのが駄目だったのだろうか
正直自律神経が狂っただけなのか、疲労の熱なのか、新型コロナなのかはっきりしない。市販薬飲んでいいのかも分からない
共働きで子育て世代なので子供は元気に遊んでいるしうるさくて邪魔に思える。自室とかもないから隔離とか夢。換気をたまにしつつ水分補給するだけ
もう熱を測るのも怖い。このまま呼吸困難までたらい回しにされて入院するのだろうか。どうして自分がコロナにかかるんだ。いや、なんで自分が重症化するんだ。健康診断オールAだぞ
本当に怖い。直せないしなんの病気か分からないのは辛い。テレワークだから仕事もしないといけない。どうしても遅れて溜まってきている
死にたくない。怖い。いつ終わるの、この新型コロナ
夫が熱を出した。
とりあえず今は部屋やタオルを分けたり、触った部分をアルコール消毒したり、お互いマスクをつけたり、そんなことをしながら面倒を見ている。
心配なのは4日後に家で見れないほど重症化した時、どうやって病院に検査を受けに行けばいいのかだ。
車は持ってない。夫はペーパードライバー、私は障害の関係で無免許だ。
私の実家が近くにあるので、恥ずかしい話ではあるが、今まで車が必要な時は乗せてもらっていた。
もし4日後夫の熱が下がらなかったら、検査を受けに行くことになったら、実家の車に頼るしか無いのだろうか。
病院はきつい坂×3の上にあるのでふらふらの夫に歩いて行かせることはできない。車が必要だ。
しかしタクシーで行くと運転手さんに移してしまうかもしれない。
救急車は今の時期たらい回しにされるって聞くし、そもそも救急車はタクシーの代わりじゃない。
どうすればいいんでしょうか。
東京などの新型コロナの感染が拡大している地域から来た人に2週間待機を要請するのは他の地方でもやってるのに、何故か岩手だけ叩かれる。
特に証拠も無いのに、東京から移住してきた高齢者を焼き殺したと言われている。
里帰り出産の妊婦がたらい回しにされたという話も、見出しの付け方がおかしい。
まず本来は居住地である千葉で出産予定だったという時点で里帰り出産ではない。
感染症対策が不十分であった事は落ち度といえるが、かといってそれが整っていない状況で受け入れるべきではない。
医療関係者への感染ももちろんだが、逆に医療関係者から妊婦や新生児への感染のリスクもあるはずだ。
ことさらおかしな対応を岩手の行政や医療機関、住民が取っているとは思えない。
酷いケースでは秋田県上小阿仁村の医者いじめの話を根拠に、岩手を叩いている人まで見かけた。
いくらなんでも雑過ぎる。
もちろん岩手の行政や医療機関に問題のある対応は見受けられるが、岩手だけがことさら酷い対応をしているというほどではないはずだ。
多かれ少なかれ他の地方でも、首都圏など感染が拡大している地域から来た人はまず感染を疑う体制を取っている。
クラスター感染や院内感染が同時多発的に起きれば、地方の医療体制では対応できなくなるのは自明だからだ。
その危機感が行き過ぎて、行政や医療機関で対応に問題があったという指摘は他の地方でも出ている。
にもかかわらず岩手だけことさら閉鎖的、差別的な対応を取っていると叩かれている。
問題点は改善されるべきだが、問題がある事を根拠に特定の地域に対する差別的な言動が許される訳ではないはずだ。
岩手の話題については報道される量もここ数日で急に増えてきている。
岩手バッシングの流れがネットだけでなくマスコミにも生まれつつある。
今後岩手叩きの風潮が加速して、岩手で院内感染や大規模なクラスター感染が発生した際に支援をするなというような声が出てこない事を祈る。