はてなキーワード: 自責とは
初診、1箇所しか行っていないので何が正解かもわからないが、ただの実例として
◾️病院の探し方
・精神科、心療内科、メンタルクリニックなどの名称があるが、初診のハードルを下げる意味で「心療内科」「メンクリ」を名乗る医院が多いぐらいで多分それほど差はない
・病院のwebサイトを見て、心理士のカウンセリングも受けられると書いてある所の方が医療と心理分野の連携が取れていて「薬をやたら出して点数稼ぐ医者」を避けられる可能性が高いらしい※昔大学の心理学科の授業で習った。これは対患者のコミュニケーションもそれなりに心得ている医師に出会える可能性も高いと思う
・Googleの口コミ、epark等各種口コミサイトの個別の意見は書いてる人のメンタルも不安定なので信頼性は微妙だが、総じて良い意見が多い/少ないの偏りは医院ごとにまあまあある。
・初診は電話予約の所か多い 得てしてそういう医院の方が評判が良いようにも見える
◾️問診の備え
・初診の問診票フォーマットを書こうとすると結構まとまらないのでメモも書いていくと良い 書くことで思い出す症状も結構ある
・最初に、何を相談しにきたのかを書く。私の場合は「仕事のストレスをコントロール出来ていないと思う」と書いた※ストレス源が確定されるかが適応障害、うつ判断に関わると見たので書いた。仕事が原因だと自覚があったので、直近の労働時間も伝えた。月合計250hぐらい
・身体の自覚症状について書く。胃痛、腹痛、下痢、動悸、頭痛、眩暈などの有無や食欲、睡眠の不調は問診項目にもあると思うが、私の自覚症状には他に大きい音が怖くなる、頭に靄がかかる感じがする、人の目が見られなくなる、仕事について誰かに相談しようとして涙が止まらなくなる など
・感情面の動きなどを書く。抱えているのが悲しみなのか怒りなのか無力感なのか、自責に駆られているのか誰かへの苛立ちなのか、何も感じなくなってきたのか。その辺りにフォーカスして書いた。患者がどんな環境に置かれているのかの情報は、ここまで挙げた3項目に関わる所だけ簡潔に。医師はカウンセラーではない。必要であれば聞いてくるのでとっかかりレベルに
◾️診察
・書かなかったけど聞かれたこと
通院のきっかけ
(私の場合、友人に仕事のことを話そうとしてめちゃくちゃ泣いてしまったこと)
(はっきり「すくないです」と伝えた)
家庭環境
(片親とかでもないが、なんとなくコミュニケーションが希薄な家に育った、とは伝えた)
手を洗いたくなるか
(神経症っぽい部分があるのかの確認と思われる Noと答えた)
朝起きれるか
(寝覚めは良いというか意識の浮上と同時に動悸がしてた)
・他、思ったこと
はじめてのメンクリだったが、私の行ったところは個人名で呼ばれないようになっていたり、次回診察日時が印刷される診察券を貰えたりという工夫があって、なるほどと思った 待合室は共同
上記の診察の結果私は適応障害、出来るならすぐ休職 の診断が出た
休職したくてきた訳ではなく、鬱になった時のためのかかりつけを作りたいのと薬などで眠れる、元気になれるなら処方を願いたいだけなのだが…もうダメなのか?と聞いたら
ストレスがはっきりしているからには離れるのが最優先との答えだった
誰かの参考になるかはわからないが、一例として置いていく
自責も過ぎると心を病むぞ
当たり前の話だけど、
そもそも開発チームに敬意持ってない人が、開発チームに敬意持てと言ってもそりゃ無理、というものだろう。
※開発チームが敬意を持っているかどうかはここでは語られていないけど、まーどっちでも。
大事なことは、
開発者って、こういう悪意がいつも自分に向けて飛んでくる立場だということ。
それが、あくまで究極的には「代理人」の立ち位置であるカスタマーサポートとの決定的な違い。
開発者自身が自分で作りたい量のソフトを作りたいように作れる業務環境は、あることはあるけど特殊。
そして、そういう系統の開発は、たいてい研究などのノンプロフィットか小規模開発。こういうチームが、費用が発生するカスタマーサポートと組むことは無い。
つまり、この開発チームは、会社上層部の方針や、企画チームなどのリクエストに従って開発をしている。
厳しいQCDでソフトを作ることを強く要求される。これが開発者の現実。
ノーバグで作ることはほぼ不可能で、規模が大きくなるほど、コード改修量当たりのバグ発生確率は上がる。
そして、バグに起因する不具合やらシステム障害が出ると、いろんなところから詰められる。
バグは回避困難なので、開発者はある種負けが約束された仕事、ともいえる。
結局、「お前ら何バグ出しているんだ」「お前ら何納期に遅れてるんだ」という怒られは覚悟する必要がある。
技術的負債のたまったシステムの改修なんて、ほぼ負け確定の勝負だ。
それでも「いやだ」という選択肢はまずない。
でさ、リリース後に発生するシステム障害や不具合、これを責められるのも、なかなかつらい。
「お前(達)が無能だから」とか「お前(達)のせいだ」という悪意に満ちた言葉が、ちょっとだけオブラートに包まれて飛んでくることもあった。
事実自分に起因する話だから、責務上仕方ないんだけど。人のせいにできないし、逃げ場はない。
カスタマーサポートは「あいつらのせいで」と責任を移譲できるけど、開発者には責任の移譲先はない。
開発者でもなすり合いはあるんだけどさ、バグを出したやつが誰なのかは割と明らかなので逃げ場はない。
しかも厄介なことに、責任といっても、単なる評価的な責任だけじゃない。
簡単だったらいいんだけど、超難問だったり、再現条件が見つからないようなバグもあったりする。
そして、解けるかどうかすらわからない難問を目の前に、顧客とかサポートから詰められることもある。
「早く答えてください!」とか「◎◎日になったのですが、まだ回答が来てません。なぜですか、答えてください」とか。
ただでさえ目の前の問題が難問だというのに、目の前の問題に苦戦していることについての説明責任までついて回るんだから、かなりメンタルが削られる。
なんでこの人たち給料が高いんだろう。
給料高いのが気に入らないなら、そりゃ開発者になるのが一番です。
皮肉でもなんでもなく。
開発者になるまでの努力をして、開発者になって1年やれば、多分実態がわかる。
それが「大したことない」と思えるなら、それは開発者が適職という事。
万事解決じゃないですか。
私も陰口叩かれてて草
新しい上司が就任した時に個人的に面談があったのだが、「皆さん、私さんだけに言い方キツくないですか?」と聞かれた。
確かに、私は他のスタッフと年齢が離れてるのもあって、こちらから積極的には雑談を振ったりとかはしてなくて(振られた話題は受け答えしていた)、ちょっと浮いてるよな〜…くらいは思っていたし、確かに相手からの言葉が他の人に比べてキツイよな…と思うことはあった。
だから、その思った通りに返したら、
上司から「もし、悩みとか嫌なこととかあったら聞くので、声かけて下さいね」という感じの言葉があって、それで面談は締め括られた。
それから2ヶ月が経ったある日のこと。
その上司が当たりのキツい他のスタッフとデスクで何か盛り上がっている。私はいつも通り話に入ってなかったが、明らかに私の容姿に関する陰口(年齢の割に老けてる、耳が遠い、おでこにシワがある)などのゴミのような言葉がやりとりされていた。普段なら「鏡見ろよ、おばあちゃん」くらいにしか思ってなかったが、形だけでも面談で心配してくれていた上司がノリノリで私の悪口を聞いているのが、結構ショックだった。
まあ、仕事をうまく回すための付き合いもあるだろうし?立場は分からないでもなかったが、あまりにも醜いその場では同じ空気を吸うのを憚られたので、その旨をオブラートにくるんで、なんなら「私がいると業務の運営に差し障るので」と自責発言をしてまで、上の上司に伝えて担当を変えてもらったのでした。
悪いが誤読してると思う。
これめちゃめちゃ繰り返してる奴ら居るが、
明らかに描かれてる「尾行して、追い越す」描写をなんで見落とすのかわからん。
あと元増田で指摘されてる「ターゲットの尾行してたから同僚の不倫も目撃したんだろ」もスルーしてるし。
・ぶつかったあとでスマホが落ちて割れている。そんなに都合よくスマホが落ちるか。落ちてスマホが割れるか。落ちて割れなかったケースは省略されているとも取れるが、それなら主人公はしょっちゅう(ほとんど毎日のように)ぶつかり行為をやっているということになる。警察にも逮捕されずそんな行為がずっと続くものか。
主人公は「歩きスマホをしている女性」(=落ち度のある女性)のみを狙っており、本人的にぶつかり行為を自己正当化できる余地を残している。
相手が前を見ていないからだ、というのはレスバでも主張している。
割れたスマホは「(自分が悪い癖に)権利ばかり主張する女」の象徴であり、レスバ場面につながる。
・ぶつかって女性が落としたスマホを主人公が持っている。これは強盗でありぶつかりとは(漫画のテーマ的にも)意味が違うのではないか。
ここからずーっと「割れたスマホは女の象徴である」だけで終わる。
というかあのグニャグニャに歪んだ喋るスマホをなんで実際に持ち帰ったと思った???
・主人公が女性が落としたスマホをわざわざ拾って集めることに意味がない。ぶつかって落としたスマホをコレクションするという趣味があるようにも思えない。
・事件的にもぶつかりと強盗ではレベルが違う。なぜ警察沙汰にならないのか。舞台は都会であり、周りに人がまったくいないような田舎ではない。こんな犯罪を繰り返すのは難しいのではないか。
・そもそも落として割れたスマホを拾って逃げるようなシーンがない。そういうシーンが省略されているにしても、自分からぶつかっておいて逃げるような行為はぶつかりおじさんの行動原理とあっていないのではないか。
ここまで全部それ。
割れたスマホは主人公にとっての「女」で、スマホ落下から部屋に帰ってからのスマホとの会話は心象風景である。
・主人公は電車内では痴漢に間違われないように手をあげているような人間で、内心の善悪はともかくとして慎重な性格をしている。ぶつかりシーンが現実だとしたらやたらと大胆というかキャラが違わないか。
「痴漢に間違われないように手を上げている」は微妙なとこじゃないかな…
仮にそうだとしても、前述の通り男は「歩きスマホをしている女」のみにターゲットを定めており、
仮に抗議されてもお前が悪いと言えるようなエクスキューズを確保している。
やたら大胆、という評価には当たらないだろう。
(個人的には、主人公は「歩きスマホをしている女からぶつかられた」という自己正当化のためのストーリーを自分でも半ば信じているんじゃないかと思う。
自分の悪事を自分で引き受けることができないほど小心な人物ではないか。
根拠としては、父が死んだあと、暴言に対して明確な自責の表現がないこと。
むしろそこから逃げるように「これからは残業できます」とまるで軛から逃れたかのような物言いをしている。
慎重かといえば、職場で同僚を「あの女」と呼んだり、発作的に父に暴言をぶつけたり、残業の法規制を無視しようとしたりとあまりそうは思えない)
興味持てるように色々聞いてるのに個性を出してこないし求められなくて、しかしスペックの確認ばかりはしつこく同じような話を繰り返す。しかし捨てられてるわけじゃなくマッチングしようとはしてる。これで努力が足りないなら、男は相手に歩み寄ろうともしないで「好きにならせて」貰わないといけない駄々っ子だ。男から責任を奪って子どものような扱いにするのは他責思考じゃなくて責任の放棄なのに、自説を述べる努力もせずにデリカシーに注意を払わず開けっぴろげに陰口を言って「キモいのは自分が悪いかも」なんて露ほども考えずに女性のせいにしてる人はまず自責して。道化を気取ってるつもりなら別だけど。
そりゃ理想を言えばそうだよ。
筋力を落とさないように体重を減らせるならそれに越したことはないよ。
でも、ちょっと考えてみろよ。
食事制限も運動も全くしてこなかった我慢頑張りゼロ生活を続けてきたやつが
いきなり食うもん減らして運動もするなんかできるわけねーだろ。
最初からそんなクソ高い理想を追い求めるからダイエットは長続きしねーんだよ。
そんなにすぐに切り替えて両方継続できる奴はブクブク太ったりしねーんだよ。
どっちかから始めろ。
まずはどっちかから始めて習慣化させて、
「どっちかはできたけどどっちかはできなかった」と自責を減らすことにも繋がるが
逆に考えれば「どっちかできたからどっちかはやらなくても大丈夫」と自分を甘やかすことにも繋がる。
ジムで汗かいた後にビールぐびぐび飲みながら脂っこいもん食ってる奴みたいにな。
自己責任論が広く叫ばれる昨今の日本社会で、自責を過度に重視し他責を非難する風潮が見受けられる。しかし、そうした考え方が社会福祉や個人の精神的安定に悪影響を及ぼすことも少なくない。本稿では、自責を批判し他責を再評価する視点から、日本社会の自己責任論への問題提起を行う。
まず、自己責任論が生み出す過度な自責意識は、個人のストレスや精神的苦痛につながることがある。自己責任論は、問題や失敗があればまず自分を責めるべきだという考え方を推奨する。この考え方は自己改革や向上心を促す効果がある一方で、過度に自分を追い込む結果を招くことがある。例えば、努力してもうまくいかないことがあるが、それを自分のせいだと自己否定に陥ることがありうる。このような状況はうつ病や自己肯定感の低下につながる。
他責の再評価により問題や失敗に対する対処が柔軟になることが期待される。他責により自分以外の要因や環境を考慮することで、問題解決に向けて新たな視点を持つことができる。例えば、自分の失敗や問題を周囲の人々や状況、制度などの要因と捉えることで、自分の力だけでなく、他者の力も借りることができるようになるのである。視野が広がることで、問題解決の方法も増えるのだ。
仏教の教えの中で、他力という言葉がある。他力とは、自己の力だけでは解決できない問題に対し、他者や仏の力を借りて救済を求めるという考え方である。この他力の考え方は、自己責任論に対する有益な示唆となる。自己責任論が過度な自責意識を生み出すのに対し、他力の考え方は、他者や環境との関係性を重視し、問題解決への道を広げてくれる。他力を受け入れることで、自分だけでなく、周囲の人々や環境と協力し合い、互いに支え合うことができるようになる。また、他力を受け入れることで、自己責任だけでなく、他者や環境への責任も意識し、より良い社会を形作ることができるようになると考えられる。
結論として、過度な自責を批判し、他責を再評価する視点は、日本社会における自己責任論の問題点を浮き彫りにする。仏教の他力の考え方を参考に、自己だけでなく他者や環境との関係性を大切にすることで、個人の精神的安定や社会全体の福祉が向上することが期待される。今後の日本社会においては、自己責任論から脱却し、他責の再評価と他力の考え方を取り入れることがより良い社会を築くための重要な鍵となる。
自分で解決できる課題って世の中少ないよ。物事って他人が関わってくるから。
全て自分が原因と判断するようなのは、正しい改善は行えないでしょ。
他人がクズだからいじめられてる時でも自分がクズだからいじめられてると言い換えるようなのだろ?
そんな奴はかかわる人間を変えるって当たり前の改善を行えないしな。
自責思考は成功するって言ってるのは、他責思考で禄でもないやつのほうが多かったかな。
自責思考のやつはどっかしらで、自分が原因と判断し続けて、人生こけてるのが多いから。自責が大事とは言わない。
だから他責思考のやつは最終的に自責が大事っていって、自責思考のやつは最終的に他責が大事って言ってることが多かったな。
とことんまで自己批判を行って自責を突き抜けたら結局は親のせいっていう真理に到達するんだよな
実力も運のうち、ペアレントクラシー、貧困の再生産、親ガチャ…結局は人生運だよねっていう話。大谷の遺伝子を受け継いで大谷が育った環境で育てば誰だって大谷になれるんだよね。大谷の兄は大谷が育った環境では育ってなかった。彼には兄がいなかったから
結局成功者は運がいいだけ(努力を続けることができる素質・グリットを持ってるか否かも含めて運であり遺伝)なのだから、成功者は謙虚であるべきだし、その運の良さを社会に還元すべきなんだよね
つまり、運がいいだけで稼いだ金を障害とか持ってる運のないやつに還元するべきなんだよね
結局は人生は運であり、成功者は謙虚であるべきだという意見が世界的に見て政治的正しさを纏うようになれば(俺はいずれそういう時代がくると思うが、日本は遅れるだろう)そのうち弱者男性がポリコレ棒で調子に乗った成功者を撲殺することで溜飲を下げることができるかもしれない
そこがなんかもう絶望的なんだよなあ
米を買うのが夢とかいう金のない弱者男性が自己責任標榜する自民支持してウーバーイーツ頼みまくってる俺が反自民なのおかしいでしょ。あいつらなんて安倍なんかを支持してたって大していいことなんてなかったはずなのにさ。株なんか買えねえだろ
今までだったら弱者男性はバカだしじゃあ大好きな自己責任で野垂れ死ねば?って思ってたけど。
最近サンデルの本読んで(途中だけど)、運悪くバカに産まれてしまったような頭弱者男性のネトウヨみたいな奴をどう扱うべきかってのは俺の中で一つの論点になってる
だから野党は方針転換するべきなんだよな。クソフェミに媚びるようなことをするんじゃなく、「結局は人生は運であり、成功者は謙虚であるべきだ」というメッセージを伝えて、成功者に納税させる。山本太郎はいい線いってるかもね
フェミニズムなんて票にならねえよ。フェミニズムへの取り組みを後退させたところでフェミどもは「立憲にはがっかりしたから自民に入れるわ」なんてならねえんだからほっとけよ。つーか当の女ですらフェミニズムの観点から野党に入れますわとはなってねえだろ別に
バカなネトウヨどもは頭弱者でほぼほぼ障碍者なんだから、かしこいリベラルさんが噛んで含めるようにアプローチするべきなんだよな
野党はママじゃない!とか言ってないで本当にママであるかの如く弱者男性に寄り添うような政策を打つべき
クソフェミがくだらないポスターなんかでぎゃあぎゃあ騒いでも北風と太陽の北風みたいに弱者男性側は態度をかたくなにするだけなんだよな
そうじゃなくて一見迂遠そうに見えてもじっくりと弱者男性に浸透する活動をするべき。ここに大票田があるわけじゃん
テクノロジーを駆使して女もあてがうべきなんだよ。電脳空間でのハーレム構築なりクローン人間なりセクサロイドなりさ
そういう研究にバカフェミがぎゃあぎゃあ言わせるんじゃなくて、黙らせて研究を前に進めさせればいい
だからさ、リベラルは大量にいる親ガチャ失敗バカどもの機嫌を取るべきなんだよな
まあ、同時に俺は、ろくに考えもせず覚悟も決めずにガキを産むなってことは言っておきたいけどね。子供を運ゲーに巻き込むなっていう話
わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入・容姿・コミュ力・モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。
そしてその層の生きづらさと鬱屈の責任を、弱者男性と対をなす「強者男性」ではなく、「弱者男性を相手にしない女性」に結びつけてきた。
声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。
こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやすい議論だった。
自分を弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面から向かい合ったら、そこには自責の余地が生まれる。
自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。
考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。
それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。
弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。
そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。
ところが去年、白饅頭が医療従事者を社会的強者として叩いて炎上した。
https://togetter.com/li/1926636
今回、わかり手が大谷の容姿をネオテニーだ中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。
https://togetter.com/li/2098940
どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性」自体を直接射程に入れた議論だ。
「医者はもっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的でブルジョワっぽいからキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家が経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュア・エリート出身者」「メス化」…。
ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、
それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。
(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者=医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)
彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間で活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。
だから彼らは、そうした現実をファンタジーの方に合わせようとして、
彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。
彼らは強者男性にいつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。
雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、
そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。
この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、
こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。
そこで語られるのは、端的に言えば、教育・就職先・文化資本・社会階級をめぐる堂々巡りの自意識だ。
そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。
単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIXや鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って
高収入を得て美しい妻を娶って生まれた自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が
人生の勝ち組であり、その中でも新参者や中途半端な位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。
この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、
トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、
そこにはもはや「女性は弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。
一億総中流と言われた社会が解体しきって、日本でもペアレントクラシーによる
階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。
わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。
その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組だから、という皮肉な現実はさておいても、
そもそもこうした露骨な階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。
タワマン文学時代の強者男性とは、すなわち階級的強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。
そうしたペアレントクラシーによる階級の固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。
でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。
そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。
語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさない真実というものがある。
病識がなく、加齢のせいだとおもったり、自責的になっているところ、将来の希望が持てないことなども含めて典型的な鬱の症状です。
易疲労、浅眠、性欲の低下など身体症状も、鬱で説明が付きます。
たいていは大丈夫と思いますが、甲状腺機能低下症など内分泌疾患でも鬱と似た症状が出ることがありますので、精神科や心療内科の前に内科を受診してみても良いかもしれません。
心配なのは、病院にかかることすら億劫で難しい場合があることです。信頼できる友人やご兄弟などご家族がいらっしゃいますでしょうか。
1000人規模の会社にお勤めとのことですので、おそらく専属の産業医の先生や保健師さんなどに相談しても良いかもしれません。つながりのある病院さんがあるとよいです。産業医の先生はメンタルヘルスに詳しくない可能性はあります。
お大事になさってください。