はてなキーワード: 自責とは
病識がなく、加齢のせいだとおもったり、自責的になっているところ、将来の希望が持てないことなども含めて典型的な鬱の症状です。
易疲労、浅眠、性欲の低下など身体症状も、鬱で説明が付きます。
たいていは大丈夫と思いますが、甲状腺機能低下症など内分泌疾患でも鬱と似た症状が出ることがありますので、精神科や心療内科の前に内科を受診してみても良いかもしれません。
心配なのは、病院にかかることすら億劫で難しい場合があることです。信頼できる友人やご兄弟などご家族がいらっしゃいますでしょうか。
1000人規模の会社にお勤めとのことですので、おそらく専属の産業医の先生や保健師さんなどに相談しても良いかもしれません。つながりのある病院さんがあるとよいです。産業医の先生はメンタルヘルスに詳しくない可能性はあります。
お大事になさってください。
性別にあぐらかいて何もしないし、なんならミソジニーで家事育児を女にやらせて奴隷作る気満々の奴まで紛れてる「日本男だから」だからね?日本男ガイジはすぐ他責
女は生まれた瞬間から愛想とコミュニケーションとソーシャルスキルと親切、思いやり、身なり、相手に与えること、メイク、などなどのモテスキルを叩き込まれるが男はソーシャルスキルカスのままで甘えてるんだよな
顔面も内面もブサイク、能力も低いのに、性奴隷だけは欲しいと吠え面かいて人に好かれる努力はしない
男もそれらモテスキルと内面磨けばよほどの終わってる奴じゃない限りはモテるから?
なんならクソブス無能でも仏のような良い人でソーシャルスキルに長けてて愛想良くて太陽のようで誰からも愛される優しさの権化みたいな奴はモテてるからね
蹴り殺したいとか言い出すクズでバカで無能幼稚な頭の悪いブスがモテるわけないだろ
お前は生存競争に負けたんです
こんなの常識です人に聞く前に分かれよ
https://anond.hatelabo.jp/20230203134636#tb
何番煎じだよと言われるくらいにポピュラーというかあるあるネタだったんですね。知らずになんの捻りもなくお気持ち表明してしまい失礼しました。
コメントを読んでいてなるほどなぁと思いました。
もし自分が夫の立場だったとしたらまず先輩に誘われても行かないし、強引に連行されたとしても罠にかかった鹿やその後の処理は見ない。先輩が何と言おうと無理。それでも処理に携わる事になったら、なるべく痛くないようにしたいし、罪悪感から自責してしまう。そして自分が命を頂戴したからには無駄なく食べると思う。
そういう感覚が夫からは感じられなかったのが引いた原因なのかもしれない。
ちょっと違うかもしれないけど、牧場で牛を撫でたあとに併設レストランでステーキを食べるのとか抵抗があるので私はそういう方面で繊細なのかも。
魚は可哀想じゃなくて哺乳類だから可哀想というのは正直少しあります。見た目が可愛いからかな。植物まで離れると可哀想という感覚はないです。ありがたいとは思うけど。
ただ、釣った魚を食べない、釣るだけ釣って放流するのはちょっとなぁと思う。
夫には「私は肉を食べるけどそういう屠殺とかの話は想像するのも嫌だからもうしないで」と言ってみました。それに対しては「そうか、嫌な思いさせてごめんね」という反応でした。
最近「被害者や弱者はみんなが思ってるようなのじゃないんだぜ!」みたいなのが流行ってるから、もう一つ。
こんな恐ろしいひどい事件、赤の他人である自分達ですら加害者が憎くて堪らないのに、被害者はきっと想像を絶するほど加害者が憎くて、苦しめて苦しめて殺したいに違いない!被害者に刑を決めさせればいい!
そう思いがちだ。
たとえ重犯罪でも。
それは、汝の敵を愛せよという精神ではない。
一番有名なのはストックホルム症候群だ
誘拐や監禁などにより拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、さらには信頼や結束の感情まで抱くようになる現象。
解放後に犯人をかばう証言を行う者や犯人に恋愛感情を抱く者までいるという。
逃げられない状況下では、犯人を好きになるしかない。また、犯人の優しさや人間味に惹かれてしまう。
虐待すればするほど子供は親を慕うものになると小山晃弘も言っていた
酷い毒親、虐待親でも慕う子供は山ほどいる。大人になっても洗脳が解けないことはザラにある。自分の親が毒親だなんて認めたくないことだから。
家庭という閉鎖的な空間で虐待に晒されているとそれが普通だと錯覚する。親との温かい思い出もある。親の機嫌をとるため、親のことを好きになる。虐待を受けても、自分が悪い子だからだと思い込む。
大事にされるのに慣れなくて、優しい養親に反発したり、殴るパートナーを選んでしまったり、自分の子に同じことを繰り返したりもする
性的虐待も同じ。
性的虐待を受けても父親を嫌いになれない、あれを除けばいい父親だと言う少女や女性は少なくない。
自分から求めてしまった、快感を感じてしまったという体験談も…それが罪悪感を植え付ける
自分の中のダメージを少なくするために、なかったことにしようとして被害後も加害者に普通に接したり、あろうことが加害者に好意を持ってしまう人もいる
レイプから始まる恋は実際ある、と小山晃弘も言っていた。まぁ関係ない人のコラ画像を使ったりしていて悪質だが。
「学生時代痴漢にあって、最初怖かったけど快感に目覚めてしまった」と語る裏垢もあるし、それを見て勘違いしてしまう痴漢野郎もいる。
ストックホルム症候群と同じく、ダメージを少なくするための防衛機能なのだろう
加害者に好意を抱いたり、快感を感じたりはしなくても、加害者を憎まず「自分が悪いからだ」と自分を責めて終わってしまう人もいる。
「他人のことならあなたは悪くないと言えるが、自分の被害に対しては自分が悪いのだと思ってしまう」と語る性被害者は少なくない
ネットでは「いじめたやつ許せない!」的な声ばかりが大きいが、「いじめられたのは自分が悪いのだ」と結論付ける被害者は少なくない。
昔リア中の時に朝日中学生ウィークリーを読んでいたが、いじめ相談的な投書欄に「いじめられる方にも原因がある」的なのが殺到した時期があった。しかも、「いじめられた自分はこうやって乗り越えた。だからいじめられる方も変わるべきだ」的な投書もあった。
「いじめた子に謝って今では親友です」「いじめてきた子に自分も不愉快にさせたと謝って今では親友です」的な体験談を複数見た。
そこに、ストックホルム症候群的な心理はないといえるのか。
いじめられっ子を助けたら、そのせいで自分がいじめのターゲットになり、あろうことが助けられたいじめられっ子がいじめる側に回る
「鬼」とかいう話題の漫画でもあったよくあるケースだけど、これもいじめられっ子がいじめっ子を憎んでないからだと言える。憎んでないから媚びるし、一緒に恩人をいじめる
体罰もそう。
「悪い自分を殴ってくれた先生に感謝してる。体罰は必要だ」と語る大人は少なくない。
「言うこと聞かない奴は殴る。殴った子ほど後に慕ってくれる」とのたまった顧問もいた
意外なことかもしれないが、加害者を憎むより、自分が悪いと思う方が楽なのだ。憎むのはエネルギーが要る上に、被害は自己肯定感を失わせ、自責に向かわせる。
更に問題なのが、「被害に遭った自分が悪いのだ」を他人にも押し付ける奴がいることだ
山口達也に襲われた女子高生をセカンドレイプしてた女性達のうち何人かが「私は電車で痴漢されたことがあるけど自分が悪いと反省したのに」「セクハラでキスなんて私もされる。よくあること」と言っていた。
「私はレイプされても我慢したんだから、痴漢くらいで訴えるなんて甘えてる」
「いじめられる方にも原因がある。自分がいじめられて変わったようにお前も変われ」
「俺の時代は体罰は当たり前だった。体罰が禁じられて甘えたガキが増えてる」
「今はなんでも毒親毒親と。私は暴力アル中etcの親にも感謝してるのに」
「今の女は甘えてるのよ。私は夫に殴られても我慢して尽くしたわ」
これ、全部見た。
人は自分の身に起こった事(幸福でも不幸でも)に理由付けをしたがる。
普通の人でも不幸が連続して降りかかった時に「俺は前世で悪いことをしたのか」と溢してしまう。
「あなたが受けた虐待はあなたが前世で悪いことをしたからです。あなたがその体験をしたいと選んだのです」的なスピには、意外と虐待の被害者がハマってしまう。自分の受けた不幸に理由付けをしてくれるからだろう
殺人事件の被害者遺族なら犯人を憎みまくるはずだって?それが、そうでもない。
「心にナイフを忍ばせて」という、酒鬼薔薇事件の被害者遺族を追った本(ブコメ見たので訂正。そっくりな別の事件の被害者遺族を追った本)では、加害者に対して被害者遺族が同情的なコメントをするシーンがある
また、死刑賛成派のルポルタージュでは、死刑囚が被害者の兄と手紙で交流し、被害者の兄が「彼を死刑にしないでください」と頼み込むエピソードがあった
死刑反対派の森達也氏も、死刑を望まない遺族は意外と多いと言っていた。遺族と言っても生前の被害者と良い関係とは限らないが…
断っておくが、被害者に原因があるとか被害は大したことないとか言いたいわけではない
むしろ、だからこそ虐待もいじめも体罰も性犯罪もDVも殺人も、許されないし痛ましいのだ。
もちろん、全ての被害者が憎まないわけではない
加害者が憎くて堪らない、殺したい、そんな人の方が自然だろう。
だが、加害者を憎まない、憎むことすらできない被害者は「意外と」いる。
そして、被害者は加害者の代わりに自分の味方や同志を憎むことがある。
虐待を受けても親を慕う子供は、親から引き離そうとする大人を憎むだろう
発展途上国だかで性的虐待、児童買春の被害に遭っていた女の子が保護された後、不自由に耐えきれず何度も施設から逃げ出して売春しようとしたって、その人の人生を綴った本に書いてあった。きっと、施設に連れ戻し不自由な生活を強いる保護してくれた大人を憎んだのではなかろうか。
前に「九州の田舎に嫁いだ語り手がレイプ未遂に遭って、姑に『みんなあの男に足入れされて我慢してるんだから』と説得されるも振り切って被害届を出したら、『未遂のくせにズルい』と被害を受けた女性達から嫌がらせされるようになった」という地獄みたいな話を読んだ。
レイプ男には仕方ないと諦めて立ち向かわないが、「被害を我慢しない裏切り者」は憎み、嫌がらせする。
とんでもない毒親だと思ったが、加害者よりも、弱い立場であり目の前にいる子供を責める方が楽だからだろう。
子供の被害=自分の被害のように感じてしまい、でも子供は自分の思い通りにはならない別個体なので、「自分が辛い目に遭ったのは子供のせいだ」という風になってしまうのだろう
ナチス政権下では、ユダヤ人を虐げる中にはユダヤ人もいた。他のユダヤ人と違って特別扱いをされていた。
そんなユダヤ人も、しまいには他のユダヤ人と同じように殺された。
ユダヤ人自身からも、「ユダヤ人が虐げられたのは自業自得」という意見は出ていたのだ
彼らは「あなたはいいユダヤ人だ」と褒められていたのだろう。そして、「他の悪いユダヤ人がいるから私達ユダヤ人は差別されるんだ。本当に迷惑だ。許せない」と思っていたに違いない
よく「被害者が叩くのはわかるけど第三者が口を出すのはよくない!」と言われたりする
だが、私は明らかな加害があれば第三者こそ叩くべきだと思う。何故なら散々述べたように、被害者は被害者だからこそ、意外と加害者を憎まないからだ
第三者が「それはおかしい」と言う事で、被害者も「そうかこれはおかしいんだ。おかしいと思っていいんだ」と目覚める事は多い。虐待でもいじめでもハラスメントでも。
って書くつもりだったが忘れていた
追記2
だいたいが強烈な原体験を抱えていて、それに伴う怒りや憤りが活動のエネルギーになってるのよね。界隈で働きていたのでその突破力の凄さは肌身で感じている。
その怒りが社会構造に向けられているうちは良いのだけど、他の組織や支援者に向けられるとまあ悲惨。吸い寄せられて薪をくべる取り巻きが現れるし、穏健な味方は去っていくし、面倒臭いやつ扱いされて結局事業がスケールできなくなる。
うまくやれてる団体の代表者は原体験を抱えながらも「自分のような不幸の連鎖を少しでも止めたい」というスタンスの人が多いかな。身の回りの人を少しでも救いたいっていう、人斬りを止めた剣心みたいな感じ。
危ういのは、「自分のような不幸の連鎖は完全に止めるべき」っていうスタンスの人。怒りのエネルギーがとにかく強い。その「あるべき」が他者に向けられるともの激しい攻撃性が発揮されるし、果たせていない自分に向けられると自責感で潰れる。もっとも、多くの人はそんな強い怒りのエネルギーを受け止め切れるだけの心の強さもないので、結局は他責に転じてしまうのだけど。
まぁ何が言いたいのかというと、もしあなたが社会的弱者の支援活動に従事したいなら、代表のキャラクターはよく見定めた方が良い。怒りを程よい距離感で活動のエネルギーに変えられている人は超優秀。
今年はちょっと奮発して高級レストランに行こうと8月くらいからレストランを予約していた。
最低でも1週間は自宅療養だから体調が戻ったとしてもクリスマスイブ外出できないことは確定した。
彼女も自分もとても楽しみにしていた分、ものすごい申し訳なさそうで、ずっと電話越しで泣いてた。
ちょっとメンヘラまで行かないが、自責を重く捉えすぎるところがあったので、正直この件で申し訳なさを感じすぎて別れを切り出しそうなレベルだった。
そんな中、
「さっき確認したらまだレストランのキャンセル代0円だったし、その金で来月あたり(彼女)ちゃんがずっと行きたいと言ってた(某観光地)に泊まりに行こうか!」
という切り返しができる俺、モテだわ。(しかも初お泊りという)
今彼女は解熱剤飲んだら落ち着いたとその計画を練りはじめてる。
我ながらモテってこういうことだよなと惚れ惚れしてる✨
従業員30人ほどの弊社。社長は誰に対しても分け隔てなく接するフランクな人なんだけど、いかんせんツイートの頻度が多すぎる。
いわく、SNSブランディングに力を入れてるとのことではあるんだけど、昼に何食べたとか今日もジム行ったとかいります?社長を通した弊社の魅力なんて微塵も漂ってこないんだが。
最近は悩んでるのか自責的な呟きと後日の削除が多くて、気持ちはわかるけど後ろをついてく社員としては先行きに不安を感じてしまうのよね。
いわゆる嫌われ者のHSPなんですが、おかげで気にしいな事すら口に出せなくなりました。「繊細さんタイプだよね!」と言われると、面倒くさがられてるんだろうな、気をつけなきゃと思うからです。
とはいえ、隠した所で気になるものは気になるし心配になるし自責でしんどくなるしでとうとう人と話すのはおろか、人の多いところを歩くのも辛くなってきました。眼鏡やイヤホンやハンドクリームなんかを試してみましたが、視覚聴覚嗅覚をひとつでも奪われると自分に残る情報量が減りすぎて事故に合わないかと心配になって更にしんどいです。リモートワークになったお陰で他人の出す音や振動には悩まされなくなりましたが、オンラインミーティングやチャットツールでのやり取りで相手の考えていることを感じ取ろうとしたり深読みしてしまうので、これはこれでしんどいものです。
そんな訳で、いい加減疲れてしまったしこのままいくと多分病む気がするので、どうにか鈍感になる方法を探しているんですが、本もネットも「それが出来たら苦労しないわ」という解決法ばかり。もっと具体的な行動でおすすめはありませんか?その行動を取ることで結果として徐々に鈍感になっていく、みたいな事になれるのが理想です。