はてなキーワード: 突っ込みとは
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
この増田を読んで、音楽大好き人間のおれからすると、「あぁ、こういう人が音楽業界をダメにしたんだな」とは別に思わなかった。
音楽業界がダメになったのは、そもそもこんな「責任者探し」なんかをしてしまう音楽市場に関わる全員だということにまず気づくべきだ。
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
これにケチをつけたのにケチがついてそれにケチが…というのが流れ。
この一連の流れでまず問題なのは、「いい音楽」の定義があやふやなまま書かれていること。
どうしようもないことだが、万人に共有される「いい音楽」の定義など存在しない。
だから必ずどこかの側面を切り取って、暫定的にでも定義しないといけない。
ここでは、どうも「良い"音質"」や「満足の行く機材や環境」で作られた音楽のことを指しているように思われる(もちろん定義されてないからよく分からない)。
次にカメライターを自称する「かさこ」さんのブログ記事に移る。
「金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス感覚なき職業音楽家の末期症状」
http://kasakoblog.exblog.jp/18220333/
つまり予算とは関係なく、いい音楽は良いんだ、と言いたいらしい。
1000万のストリングスだろうが、200万のストリングスだろうが、そこに聴手が差を感じなかったら、意味のない800万かもしれない。
では、高品質の音楽とは何なんだろうか。誰がそんなことを決めるんだろう? その定義がない。
「金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス至上主義の末期症状」
http://anond.hatelabo.jp/20120622221514
なんか論文テイストなタイトルで、かさこさんのブログに商業主義の極みみたいなものを見出し、ボロクソに書いている。
つまり「商業主義」だからダメなんだ、ミュージシャンが良いと思ったものだけを作らない。
また作っても全然評価されないようにした商業主義が悪い、といって、マスコミ叩きもついでにやってしまう辺りが可愛い。
増田に求めるのは酷かも知れないが、さすがに音楽の歴史をあまりに知らなさすぎて苦笑する。
ビートルズが商業性のない芸術だとか言ってる時点でもうあまり喋らない方がいい。
ここでの「いい音楽」の定義は、歌い継がれる事だそうだが、歌い継がれるということは大衆に商業的に成功したからなのでは…と、これ以上は突っ込みどころ満載なので次に行こう。
「音楽業界をダメにしたのは「レコード会社」じゃなく「アーティスト」だろ」
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
まず音楽は大衆娯楽なんだ、日本にとっては!と強く断言している。
が、この国のみならず、音楽は全世界で宗教や娯楽、芸術と深く結びついていて不可分の存在だろう。そもそもなぜそれらが同時に成立してはいけないのかが分からない。
ある人からすれば芸術に聞こえるし、ある人からすれば宗教的な境地に達するものもある。もちろん娯楽にもなる。音楽とはそういうものではないのだろうか。
また、大衆に迎合せず、自分たちの好きな音楽のみを作り続けるミュージシャンを「アーティスト」とカッコで括り、どういうわけか彼らが音楽業界をダメにしたことになっている。が、論拠がない。
これが一番意味不明だった。なんで「アーティスト」は法律の問題に触れないといけないのか。そしてそもそも声を上げたかどうかちゃんと検証していない。ただ自分の聞こえる範囲内でいなかっただけなのに、一般化している。むちゃくちゃな主張だ。
この記事では、つまり大衆に向けてしっかり受ける音楽を作ることが「いい音楽」で、自分たちの好みや主義を通すことが音楽業界を破壊したということになる。また極端な話だ。
このように結局、「いい音楽」というものが定義されないまま話が進むから、何の実りもないケチの付け合いになっているのが残念だ、と、流れを概観して思う。
最初にも書いたが、もう犯人探しなんかしている段階じゃない。敢えて言うなら全員が犯人なんだと思う。ぼくも君も含めて。
少なくとも、ごねたところで、現状はどうにもならない。
確かに、音楽の状況は変わった。
音楽コンテンツに支払う金額は少なくなった。当然のように市場は縮小する。
予算が下がる。確かに音質は落ちる。ストリングス楽団を必要するような高予算の音楽は簡単に作れなくなった。
ただ、予算は音楽の質と比例しない。ぼくはミックスと音質がクソみたいな初期BUMPOFCHICKENが好きだ。ハイファイで澄んだ音質の新曲は聴きすらしなくなった。
だからといって悪い訳ではない。ぼくにとっていい音楽でなくなったBUMPの新曲は誰かにとってのいい曲になっただろうから。
こんな風に変わっていく現状の中、レコード会社の人たちはレコード会社で、ミュージシャンたちはミュージシャンで各々の問題を考えて欲しい。
ぼくは門外漢なので何も言えない。ぼくはリスナーだから、リスナーの目線でものを言う。
ぼくは、単純に音楽をもっとたくさん聴いて、たくさんお金を落とせばいいと思う。
CDが売れないのが問題じゃなくて、音楽市場にお金が流れない現状があるなら、それは結局のところリスナーが財布のヒモを縛っているからだ。
お金を落とす価値のあるミュージシャンがいない、本当に良いなら喜んで金を出す。よくきく言い訳だ。
違う。逆だ。お金を払って、身銭を切って買った音楽だから、真剣に音楽を聴く。せっかく払ったお金をムダにしたくないから。
いま、音楽は猛然と無料化の方向に向かっているが、それでは絶対に音楽業界は良くならない。なぜならリスナーが育たない。
音楽はタダで聴けてはいけない、とは言わないが、やはりそれは限定的であるべきだ。
イタチごっことは分かっているが、もし本当に無料で違法にダウンロードされることが音楽市場にお金が流れない原因だとするなら、
人件費を割いてでも、YouTubeやニコ動などのストリーミングサイトを巡回する人員をもっと設けるべきだと思う。
先程にも書いたが、音質と楽曲の良し悪しの判断は必ずしも道を同じくしない。
音質が多少悪くても楽曲が気に入ってしまえば、タダを取るリスナーが多い。
そして、音楽が安くなることに関してだけは、大賛成。今、iTunesなどでは一曲が200円かそこらで買える。
作り手には申し訳ないがリスナーからすると、やはりこれくらいが限度だと思う。CDはちょっと高すぎる。
逆に、ダウンロード販売などで安く手に入る音楽の在庫はもっと拡充しないといけない。
iTunesなどで販売されていない曲がユーチューブでタダで手に入るとか、さすがにそれはユーチューブ使うよ。
つまり、リスナーは身銭を切って音楽をきくべき、と同様に、身銭を切りたくなるような仕組みをレコード会社やミュージシャンは考えていかなくてはならないだろう。
少なくとも、パッと思いつく上記のようなことはできないといけない。
いや、文体なんか変えてないし同じ奴がやってることを隠そうとしてないし気持ち悪がられまいとも思ってねーだろ
なんかきみの突っ込み方はズレてんな
『良い子の諸君!徹夜で頑張ったと言うのは、上司が進捗管理できない無能だと表明したい時だけにするんだぞ!でなければ無能なのはキミだ!』(四次元殺法コンビの口調で)
StudyGiftには、問題があった。
また、悪影響があった。
徹夜でなんか作ったこと。というとミもフタもないので、それぞれ解説する。
最初に言っておくと「かの女性」の為にお金を集めるサービスとしては成功しているし、ゴールも手法も明確だ。
卒業のために大学に払う金が欲しい→いくらいる?→クラウドならPayPalで集めるか→PayPal寄付駄目だから対価作ろう→個人だけじゃなくて企業窓口も
そして成功している。目標金額以上に集まったし、企業応募も多数、炎上マーケティングとして大成功。
当たり前だが、嘘をついて金を集めたらたいてい詐欺になる。
(詐欺罪の要件は結構面倒で「詐欺→錯誤→財物処分→財物移転」が必要になる)
そして、寄付する側にとって「間違ってました」や「誤りがありました」は結構致命的な事だ。
内縁の夫婦が、ITファウンダを騙してWebサービスからまんまと集金する。
その心の内は誰にも判らないから、行動で判断するしかない。どう判断されるだろうか?
じゃ、なにがいかんのか。
普通に考えたら、集めたお金をどうするかは検討されててしかるべきだ。
学費が足りない。じゃあいくら?
余った金は誰が管理する?誰が取り出せるようにする?どのタイミングで?
奨学対象者が逃げたらどうする?返金要求されたらどうやって返す?返さない?
学費支援をするにあたって、考えておくことはそこそこはあるがそこまで多くない。
大学に授業料の払い込みも終わった後に、何のリターンもせずに奨学対象者が逃げたとする。
で、その個人が50万円の返金を求めたときに、拒めるのか?その根拠があるのか?
利用規約では『支援者と起案者との間で解決』することになっている。
金を集めたその責は、起案者=奨学対象者が負うことになっている。
負いきれるのか?
さて、情報があいまいで、金の流れも不透明(というか考えてなかった)、ではさらに何が不味かったか。
学費支援プラットフォームを謳うのであれば、最低でも「プラットフォーム」の体裁だけは整えておくべきだった。
indexに直接書くのではなくて、/woman1/に書くだけでも違ったはずだ。
『今後、かの女性以外のたくさんの学生を支援出来る。』と思っているはずなのに、
その学生をどうやって支援するのか考えていない、もしくは、考えているように見えなかった。
どうやって学生を集め、どうやって寄付を募り、寄付者側はどうやって選ぶのか。
そのプラットフォームは学生をどう守り、どう学業を支援するのか、どうやって卒業までフォローするのか。
何も見えてこない。何の仕組みもそこにはあるように見えない。
CGMサービスを作りました!と言って、HTML1枚だけが納品されたら、たぶん怒ったり呆れるんじゃなくてミスを疑うだろう。
まあ、諸々のことが徹夜の頭で朦朧としていたから気がつかなかった、という事にしておこう。
じゃあ、プラットフォームが無いこと以上に悪いこととは?
どうやって選んだ?どうやって選ぶ?
選考対象者は他の支援を受けられないのか?奨学金をもらっていないと証明した?
今流行の三親等以内の支援は、不問とするのか?
学業が出来なくても良い?
『個性を全面に出し、全力でアピールする事で支援を集める。』という理念は示された。
誰に対してどうアピールすれば良いのか。
どうやら、全力でアピールするとは、Livertyスタッフに対してらしい。
個性を前面に出すというのは、SNSで注目されることだったりするようだ。
そして、次に採用されなかった誰かは『Livertyスタッフへの付け届けが少なかった』と思うんじゃないか?
ま、それは私設のあしながおじさんでは良くある話かも知れないが。
さて、先ほどの『私設のあしながおじさんでは良くある話かも知れない』というのは嘘だ。
非常に問題のある言いぐさだ。謝罪しよう。ごめんなさい。本当に申し訳ありません。
なぜならば、それは既存の奨学金制度にツバを吐きかける行為だからだ。
それと同じ事をStudyGiftはした。
JASSOのような奨学金は、申し込み資格も、学力水準も、家計水準も詳らかにされている。
もちろん既存の奨学金には問題点も多い。単なる学生ローンだとか、踏み倒すヤツがいるとか。
でも、それで学校に行けている人が大勢いることも確かだ。
明確な基準で。
JASSOは1兆円規模の予算を誇る。つまり、知り合いに奨学金利用者が居る可能性はとても高い。
だからまあ、奨学金利用に関して誤った情報は、すぐに正されるだろう。
でも、今後クラウドで似たようなことをするときには、最初から色眼鏡で見られる。
もっともっと隙無く、もっともっと完璧を求められ、多くの制限が付けられる。
当たり前に出来ていなければならないことだけではなく、さらに多く。
でも、それぐらいで良いのかも知れない。
そう。
親族が居るだろう。知り合いが居るだろう。
過去、悪評は消えた。人の噂も七十五日、同窓会に出なければ悪行はバレない。
人は80年から生きる。後、60年近く残っているのだ。今までの時間の3倍だ。
誰もがその名前と、その顔と、やったことを探せる。
経歴とは、誇りであり、呪いでもある。
今回の「炎上」は、どうだ?
かの女性の誇りか?
本当に?
でも、お金は常に足りない。1兆円でも足りない。
誰もが納得する使い方などきっと無い。
でも、そうあろうとすることは出来る。
5月17日にリリースしたのはなぜだろう。それが6月17日でいけなかった理由は?
徹夜をせずに、一ヶ月リリース日を延ばす決断が、なぜ出来なかったのか。
JASSOにヒアリングに行き、大学に相談をしただろうか?なぜ出来なかったのか。
周りの「大人達」は、理念に共感しお金を出す前に、ほんの少しでも考えられなかっただろうか。
これはもしかして、必死に大道芸を披露する学童の目の前の道路に、コインを投げる行為じゃないのか?
欲しいんだろ。もっと面白くアピールしてくれよ。おお、良くできたな。ほら、拾えよ。
なんだよ、ほしがってるガキが居て俺が金を出すのがいけないってことか?
子供が思慮深くないのは、愚かだからじゃない。経験が無く、若いからだ。
でも、その若さが今後の一生を毀損すると思ったら、止めるのが「大人」じゃないのか?
Wikipediaからの盗用がバレたときの「秀逸な」言い訳というものが出回っている。
好評なようだけども、突っ込みどころが多いので、マジレスしておきたい。
出回っているのは、
教授「えっ」
という問答だ。
おそらく、
という状況を想定している。
ツイッターを見ていると、「この手があったか」「これは使える」「この言い訳最強じゃね」という反応が見受けられる。
どうやら、こう言ってしまえば「教授」はしぶしぶ「学生」を無罪放免にするはずだ、と思われているらしい。
Wikipedia の編集履歴にはアカウント名かIPアドレスのどちらかが残っている。
また、個々の編集でいつ、どこがどの程度変わったのかも逐一残っている。
(例:http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%91%97%E4%BD%9C%E7%89%A9&action=history)
これに基づいて「教授」は、「学生」がそれを書いたアカウント/IPアドレスの使用者であるかどうかを問うことができる。
アカウントだったら、「学生」はそのアカウントを持っていることを証明しないといけないし、
IPアドレスだったら、住まいに合ったIPが運良く使われていることを祈るしかない。
「アカウントのパスワードを忘れた」「昔のことだからよく覚えていない」
などと、うやむやにすることもできるが、その時点で信憑性は落ちる。
また、ひとつの項目のテキストの大半が古い版から受け継がれていることはよくある。
大部分が6年前に書かれていたりしたら、「学生」は中学生当時にそれを書いたことになってしまい、かなり無理が出てしまう。
ちなみに、一見色んなアカウントから投稿があるように見えても、主著者のアカウントを割り出すのはたいてい難しくない。
ボットや軽微な編集が大半だったりしてどんどん飛ばしてみていけばいいからだ。
さて、「学生」が抗弁した結果、「学生」が Wikipedia に書いたのだと「教授」が認めてくれたとしよう。
それでも、「教授」がレポートのその部分について改善を求めることは十分ありうる。
(とにかく5000字自分で書けば合格、みたいなのは論外としておく)
まずは記述の正確性。
マイナーな項目は、ファンや信奉者やアンチの思い込みでまみれていることが多い。
盛り上がっている項目は、編集合戦で荒れていたり、その後処置でバッサリ中身が抜けていたりする。
そういう項目では、明らかに不自然な論理や、常識と外れたことが書いてあったりする。
ソースが付いてること、ソースがまともであること、過激な表現が混ざっていないことくらいは最低限検証しておきたい。
そこまでやるなら、Wikipedia じゃなくてソースを読めといいたくなるが……
では、「学生」の運が良かったか知識があったかで、コピペした範囲に特に間違いがなかったとしよう。
それでも、良い Wikipedia 項目が良いレポートになるとは限らない。
(現実問題として、教授がそこまでレポートの質をチェックするかということは置いておく)
Wikipedia は百科事典なので、専門家向けではなく、初心者向けにどちらかと常識的なことを書いたものだ。
百科事典と同じことを書いているレポートがまともなものになるだろうか?
Wikipedia の内容は、それなりにサイズのある項目でさえ、あくまで「調べ物の手がかり」といったレベルであり、
専門書や論文で必ず触れられているような事柄を書き落としていることがある。
量があるように見えても、瑣末な事柄を書きつらねているだけだったりもする。
専門書をちょっと見れば分かるようなことが書いていなければ、そのレポートが高評価を受けることは難しいだろう。
またあまり考えずに盗用した場合、トピックは合っていても、レポートのテーマにフォーカスできていないということも起こりがちだ。
Wikipedia の項目は、よくできている項目だとしても、トピックについての色んな観点をちょっとずつつつまみ食いしてできている。
「教授」が求める論点に照らしてみれば、何をダラダラ関係ないことを書いてるんだ、と思われる可能性はある。
……ということで、Wikipedia をコピペしてレポートに貼り付けることはリスクが高いと思う。
みんなが楽しそうにしてるから、ああそれって楽しいんだ、みたいな。
統合失調症だからってわけじゃなくて、前からそうだったような気がする。
むしろ、統合失調症になってからは、楽しいふりをしなくなった分、潔いくらいに思える。
人から見たら、感じ悪いって思うかもしれないけど、楽しくもないのに無理やり関わるより、
誠実な気がするのだけど。
そもそも、私に関わってほしいと思ってる人は、少ない気がするんで、ほかの人に無関心だから人に
人とかかわるのは最低限にしてる感じで、話しかけられたら、答えるけどって感じで。
人は嫌いじゃないから話すんだけど、話すことないんだよね。
コミュ力の欠如ってことなんだろうか、それともそれ以前に、
感動してないというか、鈍感で、外部のことにあんまり興味が持てないんだよね。
そして、退屈だなーと思うわけで。
生きてて迷惑じゃないといいなーと思うわけで。
まあそんな感じに近い。休日はたまに彼氏と会ったり、月一エステ行ったり。
そんな感じだけど、統失にしては上出来なんだろうか。
「彼氏がいて、フルタイムで働けて手取り20万以上あって何の不満があるのか」っていう人もいたな。
いや、そういう意味では不満は…あるな。収入も、そして結婚もしたいが。
でも欲をかいても仕方がないっていうのもあるし。
結婚して、今みたいな状態だったら、相手が幸せになると思えないから、
結婚しなくていい。そもそも子供が生める病気でもないし、年齢的にも厳しいから、
そもそも相手が望んでないというのが一番大きいな。
結婚しなくていいっていうのは、自分が傷つかないための言い分かも。
でも、冷静に考えても、やっぱり結婚は相手に悪いなとおもう。
はああ、課題山積みなんだけどね。
と思うんだよね。
そらのやえがみやメガネのあれは
正史として「炎上マーケティング失敗例」みたいに記録されてるけど全然そんなんじゃない。
追及した側もされた側も一致であれは炎上マーケティングだった、ということに「してしまった」だけ。
追及する側がなんでそうしたのかって言うと
そらの一味の悪質さをまとめやすくて宣伝しやすいのがその説明だったから。
そらの一味がなんでその間違ったレッテルを受け入れたかって言うとチャチなプライドで初動を誤ったから。
えがみやめがねを心の無い守銭奴モンスターみたいに言ってる人が結構居たけど実態は全然そんなこと無くて
彼等二人とも「面白い人でありたい」「面白い人として一目置かれたい」みたいな自己実現欲求はすげえ強かった。
彼らがなんとかタイムズで目立ちたがり的アクションをするとき、半分はカネやPV目的でも
もう半分は真面目に「これならどうだ、面白いでしょ」って真面目だった。
でもその度に「くそつまんねえ」「スパムやめろカス」っていう心無い罵倒を浴びて、
「真剣に面白がってもらおうと思って駄目だっただけなんです」とか真面目に釈明するより
「はいそうです金目当ての炎上マーケットですよ!ばれたかー!」って言う方が彼等としてはプライドを守れた。
「ひどい喧嘩でPV稼ぐ」っていう炎上マーケティングの一環として処理されちゃったけど、ちょっと考えて欲しい。
別に悪口じゃないが、フランチェスコさんってそこまで有名人か?
割り切って喧嘩に巻き込んで炎上PV稼ぎするならもっといくらでもネームバリューのある人はいる。
つまりあれは「意図的な炎上狙い」とか「PV狙い」とかじゃなくて
本気でカッとなってああやってただけで、
そらののとこに持ち込んだのも単に引っ込みが付かなくなっての流れの上のこと。
発端やりとりだけ抜き出すと
メガネのフランチェスコへの絡み方が唐突過ぎると言うか脈絡不明すぎて
「喧嘩を売るために喧嘩を売った」ように見られたんだけど、実は全然違う。
あのときフランチェスコは「裏を取るのはライターとして当然(もううろおぼえ)」みたいな自分の仕事関連の呟きをしてたんだけど
メガネはその数日前にソースが無茶苦茶なフカシ記事書いて壮絶に突っ込まれて何回目かのプチ炎上してたのね。
だからメガネの中では数日前から一続きのアクションだったわけあれは。
「わざとクソみたいな記事や内容の無い記事ばっかり書いてる」
みたいに言われてたけど酷い誤解で、
当人はいたって本気で記事を書いてるだけだった。
その証拠に
記事が心無いモヒカンに突っ込まれまくってズタボロプチ炎上するたびに
相手論陣の中で一番頭や口喧嘩の弱そうな相手をtwitterから探し出して
そいつだけを脅したり問い詰めたりして謝らせて
「一勝一敗」みたいな格好を作るのがメガネの恒例行事になってた。
数日前の「ソースでたらめなクソ記事書きやがって」っていう袋叩きの心の傷が癒えてなかった。
だからちょうどソース主義者の中で気や喧嘩が弱そうな奴をtwitterで探してたんだと思う。
パッと見で「女→気が弱い→ちょっと脅せば泣きが入る」っていう雑な計算が組みあがっちゃった。
あのアイコンをよく見ればコワい面構えとか謎の斜め上見ポーズとか、ヤバい相手なのが察知出来ると思うんだけど
彼はそういう細かい神経が絶望的に発達してない人だった、面白くない記事量産からもわかるとおり。
「あれ、これはおかしい」「チョロい女でも若い女でもない」と気付いたっぽい反応をしてて
戦線撤収に動き出す速度は遅くなかったんだけど
彼のフォロワーや友人は「強いメガネさん」という虚像のフォロワーなので
「あの喧嘩広げましょうよ」みたいなストリーム放送出演の誘いを断れなかったんでしょう。
そらのもあんなのがPVになるとの計算でメガネに話振ったんじゃなくて
「付き合いのあるメガネさんが無名の女に生意気な口答えされてるからお手伝いしてポイント稼ごう」ってだけだった。
で、ああなるともう一味全体として、
プライドや虚像を保つためには「PV狙いの炎上マーケットだった」ってストーリーを受け入れるしかなかった。
「小さいプライドのために喧嘩吹っかけて相手間違えてエラい事になりました」はそれよりずっとかっこ悪いから。
http://anond.hatelabo.jp/20120521121033
長くなったけど、
万が一迂遠なそらの一味擁護みたいに機能してもあほらしいと思って当時は書けなかった。
自分から炎上マーケですなんて言うのは大抵プライドや意地で言ってるのばっか。
家入一味だって別に炎上で稼ごうと思ってたわけじゃなくて感情的になってる(or親分をフォローして点数稼ぎしようとしてる)だけ。
学生を本気で支援する気があるなら、まず、あんな提示の仕方はしないだろう。
あんな援助の価値に疑念を疑問を抱かせるような、突っ込みどころだらけの説明のままで援助募集を提示すれば、炎上することくらい誰にでも分かる。家入氏は敢えて、炎上で話題性が盛り上がるのを予期して戦略的にやったのだろう。
しかし、その非難と叩きの炎の中に、実名と顔晒した学生を投げ込んで燃やすのは、一体どんな学生支援なのか。
学生を支援すると言うなら、炎上や世間の非難を防いで、study giftに登場した学生を守るための措置を講じておくのも、支援として当然必要なことだ。もっと説得力ある説明を提示できなければ公開にストップをかけておくのは、学生支援プロジェクトを名乗る者達の義務だった。
家入氏には学生を真面目に支援する気なんて無いよね、と受け取られても当然だ。実際にやっている行動から透けて見えている以上、いくら真剣さを口で語られても白々しさが拭えない。
家入一真(Kazuma Ieiri) @hbkr
批判するのも幻滅するのも勝手だけど、studygiftが多くの学生を救える継続的なシステムになり得るとただ信じて作った事だけは解って欲しい。坂口さんは賛同してその最初のケースとして出てくれた。見せ方や言葉が足らない部分があるのだろう。正すべきは正す。あとな、絶対やめないよ馬鹿野郎
支援に値しない(と見える)ものを支援対象として提示しているから非難され叩かれているのであって、学生支援のシステムを作ること自体がダメだと言われているのではない。そこを家入氏は、学生支援システムを作ること自体が叩かれているように摩り替えて発言している。
しかも要約すると「未熟な面もありますが、善意でやっているので、そこは分かって下さい」
まるでゆとりの言い訳だ。例えば、ほら、子供が「僕は町のゴミ拾いをします」と言ったものの、果たしてそれがゴミかどうか吟味せずに、地面に落ちていたものは他人の財物でも何でもゴミとして拾ってきてしまう。当然に怒られるのだが、すると「でも、善意でやったんだから、そこは評価して下さい」と自己弁護する。
これから沢山の学生を支援するために、大人の配慮が期待される人が、こんなゆとりめいた幼稚な対応で大丈夫なのか?
あと五年十年経った時に、坂口さんはこのstudy giftに噛んでいたIT企業のおじさん達をどう思うのだろうか。学生や、自分のことを本気で考えてくれた素晴らしい人達だと思えるのだろうか。人間として尊敬できる配慮があったなあと思うのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20120511214417
昔墜落事故で遭難した人が横たわる仲間の死骸を食べて生き延びたという話を聞いた。
この場合は既に死んでいたが、絶海の孤島に遭難して他に全く食物がない状態で、
仲間の遭難者を殺して食べたらその人は殺人罪に問われるのだろうか?
3行目までと4行目がまったく繋がってない。
(論理をチェックしながら文章を書く癖をつけよう。
一貫性の無さや話があっちこっちに飛ぶなどの欠点は文全体に見られる。)
「食べるための殺害は殺生ではない」を言いたいのであれば
「今日はマックより人肉の気分だな」と街中で人を捕食してもよいわけだ。
もし逆に「極限状態で初めて人肉を食うオプションが有り得る」ということが言いたかったのであれば
は繋がってこない。
「種の保存」なんて何十年も前に否定されてる。
賢しげにゴチャゴチャ考えてる割に物を知らなすぎる。
その種族を捕食する動物や植物が減ってしまい、またその種族が捕食する動物や植物が増えてしまい、
最終的には生態系全般が崩れ、すべての種族の存続が脅かされるからである。
(自然は均衡してるのではなくサバイバルと滅ぼしあいの過渡期に過ぎない。
知識がゼロでも少し考えればわかるはず、これまで環境も生態系もどれほど激変してきたことか。)
また、同種殺しを「忌む」理由について説明しだした筈なのに
見えざる手の均衡みたいな所に着地する脳のボンヤリ具合もひどい。
要するに「自然界の維持」は各生物種にとって意識的なことか無意識的なことか?
自説の一貫性すら構築できないのは本当に頭が弱いとしか言いようが無い。
結論を言えば守られるべき普遍的「自然界」なんてものは存在しない。
かろうじて個々の”種”にとって都合のいい環境が有り得るだけ。
次の理由は、自由に人を食べてよいという社会になると、自分や自分の大切な人が食べられてしまう恐れがあり、
(中略)
先進国では医療と科学技術が進歩したため本来自然状態では死んで然るべき老人や障碍者が生き延び、生まれてくるべき子供が生まれてこなくなった。
引用するに耐えない「中学生のボクチンが考えた未来の課題」をネットに貼り付ける理由は何か。
もう羞恥心の問題になる。
君のお母さんでもダチでもない、仮にも世間様たるインターネッツで公開する文章がこれでよいのか。
「種族の存続を目指すため」と「自分が食われたら嫌だからそういうルールを決めた」
という非常に単純な2点しかない。
倫理的理由などない。
要するに君は何も言ってないのと同じ。
食物連鎖をはずれ生態系を管理する責務をも負わされている人間にとって、
もはや「なすに任せよ」原則は適用されない。
(中略)
「種族の存続を目指すため」という目的にかなうのであれば、上記の後者の「社会的ルール」はいくらでも柔軟に変更して然るべきであろう。
自分が生きるために別の人間を食べる。そいつを食べなければ自分が死ぬ。
このような状況は上記の「各個体が時に他の生命を奪いながら利己的に振舞うことにより、結果として種族の存続が実現する」という自然界の原理原則の縮図である。
こういう文章を読まされる側は一読して混乱、再読してチンプンカンプン。
ブックマークコメントが君の話を半ば無視したものばかりなのも、
・君の脳はこのボリュームの文をまとめる知力がまだ無い。
5分の1の文字数できちんと意味が通る文を書くほうが訓練になる。
・もっと本を読もう。たくさん本を読めば材料が増えるし思考力も向上する。
どちらも足りないうちに大上段の議論を世に問おうとしてもゴミの生産にしかならない。
・気負いはわかるが「私は」とか「然るに」なんて文体は使わなくてよろしい。
頭の中で「~なのである」とか独特な日本語で突っ込み入れ続ける無気力男が、積極的で行動的な美少女に無理やり巻き込まれみたいな。
http://anond.hatelabo.jp/20120501000137の、
に対して、http://anond.hatelabo.jp/20120501002027が
と突っ込み、それに対する返答(http://anond.hatelabo.jp/20120501223527)が、
いや、日本の特性を知ってるだけさ
しかし、日本の特性を知っているだけでは他の国との比較はできないし、比較しようとする考えはナンセンスだというのがおれの主張(http://anond.hatelabo.jp/20120501231030)。
思えば山本七平の昔から、日本人はこういう連中に騙され、日本disを吹き込まれてきた。もううんざりだ。
ダメな国民性を指摘するのによその国を持ち出すのは止めてくれ。改善したいと思っているのなら最悪の手法だ。子供だって、なんでAちゃんみたいにできないの!って叱ったらすねるだろ。
まあクダを巻きたいだけなんだろうけどさ。もうちょっと突っ込まれにくいクダの巻き方を覚えた方がいいと思うよ。
母親になって痛感している事がある。
母親が我が子の長所として「優しい」と言うのは、本当に意味がない。
私の子供は今6か月だ、本当に優しくて可愛くていい子だと思う。
冷静に考えたら6か月の赤子が何か優しい事が出来るわけがない、手加減なく引っかき殴り蹴り暴力の限りを振るってくる「痛い!」と言えば面白がって笑う、しかしそう解っているのに、私は心の底から「優しい子」だと信じ切っている。
今日は2回しか夜泣きをしなかったからよく眠れたよー本当に親孝行で優しいいい子だなぁとか、心底思いこんでしまう。
多分母親には何か子供が優しい子だと思いこまされるような脳内麻薬が出ているのだ。
頭は「赤子だぜ優しいもへったくれもないぜ冷静になろうぜ」と突っ込みを入れるが、心が「優しい子」と主張し、子供の存在の優しさに幸せになるのが母親だ。
子供はそこに存在して酷い事をしないだけで、母親から心の底からの「優しい」って称賛を得られるものなのだ。
今からこれでは、お花を摘んでくる、動物をなでる、誕生日プレゼントをくれるなど、何か優しい事をやり始める年齢になったら、優しいって思い込みは完全になるだろう。