2024-04-04

仏教の嫌なところは、悪を克服する概念がないこと

今、禅語の本を読んでいるんだけど、「不思善不思悪」という言葉があると知る

それによれば、善にも悪にもとらわれるなということらしい

旧約聖書を信奉してきた俺としては、「悪」は確かに存在するし、悪を克服しようとする人間行為こそ尊重されるべきと思っているので、「善も悪もない」みたいな相対主義はなかなか信用できない

そもそも仏教は「倫理的絶対性」を追求すること、言い換えれば真理を追求することを放棄しているようにも見える

俺は「人それぞれでいいじゃん」は思考停止と思っているので、善悪というトピックに関しては仏教はなんの参考にもならない

ただし「足るを知る」といった概念聖書にも通ずるところがあるので、その部分は許容できる

  • スッタニパータ読みなよ 悪に染まるな近付くなっていうのも仏教の教えの一つだよ

    • 悪友とか悪習とかいったものを斥けろという教えはあるが、動機が個人主義的で他者のために悪を滅せよという発想に欠けるというのはあるかもしれない 言ってしまえば、社会変革の意...

      • 善悪の両輪を永遠に回し続ける事では根本的な解決にはならない 悟りを開くことで慈悲心が発露し、表面的な善悪を超えた真の善、「悪を含まない善」が為せるというのが釈迦の善悪に...

  • 悪を克服しようとする人間の行為こそ尊重されるべきと思っている まさしく執着。 我、他山の石を見たり。 以て今生に活かさんとす。 南無南無

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