2024-03-21

相対主義悟りぶっているけど、無知開陳している

相対主義は「人それぞれが真理を持つ」という考えのこと。

プラグマティズムも、物事実用的側面を見つければそれが真理であると言っており、実用的側面をどう見つけるかは人それぞれなので相対主義に属する。

一見すると聞こえはいいだろう。「人それぞれ」という言葉から多様性存在すると一見思ってしまう。

ところが相対主義は実のところ「他者理解する行為放棄する」ことに等しい。

他人は別なんだから理解することはできない」といって、別の考えを持つ人を区別するようになる。

これは多様性の逆を行っている。

絶対的道徳はない」という人に「殺人が良いと言える道徳観が存在するか」と聞くとNOという。NOとはっきり言えるなら、絶対存在するということだ。

「人それぞれで、絶対的な真理なんかないんだから、そんなもの目指さなくてもいい」となって、真理の追求を馬鹿げているとみなしてしまう。思考停止のことである

政治でも経済でも道徳でも「正しさ」の追求を無視はできない。「国民幸福であるためにこうすべき」「犯罪をこう定義すべき」等。

相対主義によって堕落してしまうと「絶対なんてないんだし、適当でいいんじゃなーい?」と無知開陳し、考えることを放棄するのである

特に民主主義国家場合には致命的である

民主主義では投票が重視されるわけだが、これが働くためには、事前に人それぞれの正しさをぶつけあって議論し尽くしている必要がある。

相対主義形態社会構築主義蔓延すれば「説得力だけの扇動政治家」だけが支持される。

まり相対主義社会構築主義下での民主主義は、その場のノリで物事が決まる衆愚政治へと成り下がる。

そもそも相対主義者は「人それぞれ」を絶対としているのである。「絶対なんてないと言っていて、相対主義絶対と言うのはおかしい」と指摘されても、相対主義者は言い返せないだろう。

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