はてなキーワード: 戦士とは
エロじゃないときもしてるけど、相手がしょぼい時だけなのは事実だな。
常識側に立つ方(自称常識人・おフェミ)が目を疑うような言葉を並べているのが闇なんだよな
匿名ならではの遠慮の無さで好きに言葉使っているワイくんの増田投稿の方が
口汚い言葉を並べるくらいなら淡々と発達障害について語る・議論すれば?って思うが
自由の表現戦士も自称常識人・おフェミも発達障害者か精神疾患者なんだろうなってのが感想
自称常識人・おフェミ → ○○はいけない>○○をする愚か者には何をしても言っても良い・・・と発達障害にありがちな極端思考
自由の表現戦士 → 発達障害にありがちなTPOが理解出来ない
芸能人SNSでの自慢話を過激に腐したり、ネット戦士ではなく真面目に社会運動してるのに過激な言葉を使って批判したり、
世界的に有名なプロジェクトのリーダーがFワード連発な上に中指立てたりしてるので、その延長上のノリなのかも知れんが
はてな民「気に入らない相手に侮蔑的なレッテルを貼って嬉々としても自分が信用を失うだけ。」
はてな民「この界隈は本当に醜いな」
はてな民「批判にこういうレッテル貼りで返すのはマジで幼稚で終わってる」
はてな民「意見が合わないからってこうやって汚い言葉で揶揄するようなこういうのは良くない」
全部ブーメランで草
ハフポストが書いたような『作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待。男性による未成年の少女への性暴力や性加害そのもの』(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624f8d37e4b066ecde03f5b7)と言うのは完全に否定出来る内容だった。
つい胸に目がいってしまうとか意識してしまうような展開だとかそう言うのは描かれつつも、大人としてコンプライアンスを意識して絶対に女子高生に手を出してはいけないとか、社会人ヒロイン相手にも変に意識してると思われたら気持ち悪がられるとか、そう言うシチュエーションをギャグとして描き出してる一種のラブコメ的な作品だった。
またこの文言、そもそもは『作品で描かれているのは数々の痴漢行為』としていたのを『作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待』と書き換えたもの(https://twitter.com/gerogeroR/status/1515599242773303296)だけど、法で定められる痴漢行為は無かったことから改めたものの、ある程度男性の加虐性があることにしないと自分達の言い分が通らないから『性的な虐待』と書いた程度のものだろうと思う。
次に、女子高生かくあるべしとしたステレオタイプを促す作品かどうかだけど、そんなもの皆無でしょ。
確かにこの作品は胸の大きな女性が好みな男性作者が理想の女子を描いてラブコメしてるけど、このミラーリングはせいぜいイケメン男子が好きな女性作者が理想の男子を描いてラブコメしてるくらいのレベルで、どちらにしても理想の異性を描くと言う行為は大前提として『こんな奴はいない』があると思う。だからこそ理想であり都合よく描けるのであって、ましやそれをステレオタイプだなんて対極にも程がある文句だなと思う。
ちなみに月曜日のたわわに所謂パンチラは一切出てこない。作者が興味ないらしい。私も興味ないけど。
対して胸が大きい女性は女子高生のみならずガッツリ会社員ヒロインも出てくる。何を描きたいかハッキリし過ぎてる。
むしろ個性のなさ(ステレオタイプ)で言えば男性描写の方に問題ありそう。顔がなくて髪型でしか見分けられないから、女子高生と電車に乗る男と会社員として働く男が別の男と認識するのに時間かかりました。
結局表現物は何を思ってどう描かれたかより、見た人がどう受け取ったかの方が圧倒的に重視されてる世の中だと思う。
描き手の0から100まで理解しましたなんてのは無理で、私はこう思ったと言う千差万別な感想で溢れてるから。
ましてや誰かの理想なんてカロリーの高いものが誰かにとってはキモいとも取れるのは当たり前で、それを楽しめる人は楽しんでると言うそれだけのこと。
以下、駄文
と言うか、着衣してても性的に表現してるからアウトなんて言うのは、あらゆる創作物を対象として考えた時、私はラインが引けない。
月曜日のたわわなら、大きな胸が男性からして性的な魅力を持って描かれたからアウト、とかなんだろうけど、じゃあイケメンが女性からして性的な魅力を持って描かれたからアウトも通る。
一々書かれたものに性的な意図を持ってるかどうか書いた人に確認しなきゃいけなかったり、それが性的なのかどうか男女平等に且つ曖昧なラインを誰の判定に任せるのか等、またそれだけコストかけてリターンはどれだけあるのか、色々と包括して私は今の規制派の意見じゃ全く割に合わないとしか思えない。
そんな必要はない、たわわは性犯罪を助長するからたわわは規制だなんてごり押しして特例の前例を作ってしまうと、後々誰がどうこの特例を悪用するか、一度でも特例の規制は作るべきではないと思う。ましてやたわわ程度のもので。
たわわも引っかかるラインでわかりやすいのは未成年描写はアウトだけど、創作物からあらゆる未成年描写を排他って、いかがですかね?
とりあえず、たわわ広告規制に反対する人へ表自戦士やらエロを守りたいだけやら馬鹿みたいな揶揄が飛んでますけど、上記を読んで貰えば分かる通り、反規制派なんてものじゃなくて、規制に然るべき理由とそのラインが腑に落ちるものであれば、大体の人は何が何でも規制に反対とかそんなんじゃないと思います。
表現の自由戦士VSフェミニストの争いは全く持って無駄な諍いだ。
多少表現できないものが増えようが、マーケットには何の影響もない。
なぜならクリエイターはできうる表現の中から最良のものを作ろうとするし、消費者の側も実際に作られた表現の中から最もいいものを選ぶだけだからだ。
最初から選択肢にないもののことを気にする人間なんて、ニッチもニッチの超マイノリティだけであり、市場全体で見れば誤差みたいなものだ。
人間は「選べるもの」の中からしか選ばない。初めから選択肢を狭めておけばそこに何の疑問も抱かない。
だって見てみろ、日本ではチンコマンコを直接写せば逮捕されるという、とんでもなくラディカルな表現規制がずーっとまかり通っているが、それに異議を唱えて法改正を訴える表現の自由戦士はいないだろ?
裏ビデオで逮捕されるAV会社たちを擁護して、こんな法律は人権侵害だ!憲法違反だ!などと叫ぶ表現の自由戦士はいなかっただろ?
つまり、彼らの中で大事なのは「法律でそう決まってる」ってこと「だけ」であり、その法の内実が道徳的に善いとか倫理的に正しいとか、そんなことは歯牙にもかけないのだ。
だからたとえば「未成年を性的に描く表現物は流通禁止」などの条例を一旦通してしまえば、それに異議を唱える人なんていなくなるのだ。
もし異議を唱える人が現れたとしても、「だって違法じゃん」の一言だけで軽くあしらわれるだけだ。
今必死に表現の自由がどうだとか言って騒いでいる戦士たちですら簡単に「あしらう側」に回るだろう。
彼らが興味あるのは「法律でそう決まってる」こと「だけ」なのだから。
一度決めてしまえばもう終わりだ。
ハートクローゼットというバストの大きな女性のための洋服ブランドの代表がたわわ騒動に参戦
企業イメージ的にはフェミの側に付いたほうが良かったのだが、祭りの空気にやられてか正反対のムーブをしてしまったため、購買者の怒りを買ってしまう
特に代表女性のtwitterはプレゼントキャンペーに応募する条件となっていたたため、表現の自由戦士が集まる祭り会場となったtwitterスペースを購買層が聞いていた人が多かった。
表現の自由扇子はいつもの祭りって感じで終わるけど、この会社はリアルに損害を被って、でも自由戦士たちは助けたりはしない。またネットの祭りにうっかり便乗してリアルダメージ被るアホの子企業が出たなあという感想
5個かどうかは数えてないけどちょっとやってみっか
「『特定属性の人への嫌がらせを娯楽化した作品』の一面広告を許容するべき(批判するべきでない)」
と主張するなら、
「特定属性の人への嫌がらせを娯楽化した作品である」という前提は合意を得られていない
彼らの「直接に人を身体的に傷つけないなら、その表現は場所を問わず全て許容されるべきだ(批判するのは表現規制だ)」という主張
「許容されるべきだ」と「批判するのは表現規制だ」が同じ主張であるという前提は合意を得られていない
というか「表現する自由があり、批判する自由がある」という主張が存在するくらいなので明確に異なるものとして認識されている
差別表現だという主張は一方だけが言っているものであって、合意を得られたものではない
君らってまず「差別だ」と断定して、以後その前提が絶対崩れない想定で話を進める戦法ほんと好きだよね
それが性的嫌がらせ描写であるという前提は合意を得られていない
あなたがそれを嫌がるのは自由だが、漫画のキャラクターはあなたではない
「本邦外出身者に対するものであるか否かを問わず,国籍,人種,民族等を理由として,差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動はあってはならない」とあるので、当然女性差別もヘイトスピーチ対策法の対象範囲にある。
女性差別がヘイトスピーチ対策法の対象範囲にあるかどうかは別の議論が必要
というか「日本人が日本人を叩くことはヘイトスピーチではない」「もちろん日本人オタクを叩くこともヘイトスピーチではない」という主張はリベラルからさんざん聞いたものだが
これらと「でも日本人男性が日本人女性を叩くのはヘイトスピーチだ」を両立させるのは無理がある
(どうでもいいけどアンチ表自戦士の人がsenbuuと対立するの珍しいな)
「特定属性の人への嫌がらせを娯楽化」の部分が一致してなきゃ意味がないと言っているのだろうが、それはあくまであなたの見解であって合意を得たものではない
たとえば元増の「不快に思う人がいても実害がないなら」という部分が本質だと考えるならこの例で十分一致している
そして既に述べた通り「特定属性の人への嫌がらせであるかどうか」「実害があるかどうか」も意見が分かれている段階なので、仮定の上に仮定を重ねても意味はない
はてブで本論に対する反論をしない表現の自由戦士が多数いるの見て、やっぱ図星かと思った
jzhphy 「載せるべき」ではなく「載ってても別にいい」だからね。わざとすり替えてんだろうけど。月刊ムーあたりが「世界を切り開こう」みたいな良さげフレーズで全面広告しても疑似科学礼賛かなんて反応せずにスルーだよ。
本性あらわしたね
表現の自由戦士にとったら、「中韓ヘイト本が日経の一面広告に載ってても別にいい」らしい
まあ、表現の自由戦士の論理を突き詰めればこうなるのは当然ではある
jzhphyは問いから逃げた他の自由戦士に比べればまだマシな部類だろう
そう、
「『特定属性の人への嫌がらせを娯楽化した作品』の一面広告を許容するべき(批判するべきでない)」
と主張するなら、
「中国人や韓国人への嫌がらせを娯楽化した中韓ヘイト本の一面広告も許容するべき(批判するべきではない)」
と主張しなきゃいけなくなるんだよ
彼らの「直接に人を身体的に傷つけないなら、その表現は場所を問わず全て許容されるべきだ(批判するのは表現規制だ)」という主張は、差別発言(表現)を「人を身体的に傷つけない」という理由で肯定してしまうから
「『一部の人が不快になるだけで、身体的な被害は出ない表現』を批判するな」と言うなら、「土人は知能が低い」「チョンは近親相姦ばかりしてる」「チビには人権がない」といった表現も「一部の人のお気持ちが傷付くだけ」だから「批判してはならない」となる
jzhphyのコメントや、本論には全く反論せず重箱の隅をつつくことしかしない表現の自由戦士が多いのを見て、表現の自由戦士は結局、「場所を選ばず差別をする自由」が欲しいだけなんだと言うことがよくわかった
yujimi-daifuku-2222 ちなみに現実とは異なるセックスファンタジーは実在の人間への嫌がらせという基準を採用した場合、ほぼ全てのBLと理想化された男性が登場する女性向け恋愛ドラマや映画もまた、嫌がらせとして規制対象ですね。
女子高生に「頑張ったねクーパー靭帯」というLINEを送る性的嫌がらせ描写をなかったことにして、「セックスファンタジー=実在の嫌がらせ」という一切主張していない前提からお気持ち批判する国語力のない自由戦士
反論できないとこうやって嫌味を言うことしか出来なくなるのが表現の自由戦士
国語の勉強については読解力のないyujimi-daifuku-2222に言ってくれ
senbuu ヘイトスピーチは違法だ。比較するなら喫煙広告などにしろ。少年漫画雑誌にタバコのCMはありかなしか? 追記で2000字以内で答えなさい
君の言う「違法なものは違法なものとしか比較してはいけない」というメチャクチャな前提に乗ってあげると、
「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」がヘイトスピーチ対策法だと言いたいなら、
「本邦外出身者に対するものであるか否かを問わず,国籍,人種,民族等を理由として,差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動はあってはならない」とあるので、当然女性差別もヘイトスピーチ対策法の対象範囲にある。したがって女性への嫌がらせを娯楽化した漫画と中韓ヘイト本を比較するのは君のメチャクチャな前提に従っても問題はない
あとそもそも「違法なものは違法なものとしか比較してはいけない」は論理性が皆無なので君は反論できていない
jzhphy 「載せるべき」ではなく「載ってても別にいい」だからね。わざとすり替えてんだろうけど。月刊ムーあたりが「世界を切り開こう」みたいな良さげフレーズで全面広告しても疑似科学礼賛かなんて反応せずにスルーだよ。
フェミ側が戦士とか弱者男性とかレッテル貼りしまくってるせいでまた酷いスラングが生まれてしまったぞ…
5chだと規制派が何言っても
どうすんのこれ?
表現の自由の戦士さんはおっぱいしか守らないのか、嫌韓も兼ねてるけど我慢ができるのか…
たぶん昨日の検討会の結果からしてもあいつらは脳内美少女動物園で、いずれにせよ一貫した理屈などないので言っても無駄なのよな…w
最初、02環境でゲートボールをしていたのだけど、あまりにもバランスが悪くて、さすがに蜃気楼とキラスネは縛ろうぜって話から身内で生まれたフォーマットなんだけど、結構バランスよかった。
具体的なルールとしては
って感じ。
メリットとしては
あたり
正直2期はグットスタッフとワンキル、デッキ破壊しかいなかったようなもんなので、理不尽なゲームを押し付けてくるワンキルデッキを締め出して、コントロールとビートダウンとコンボでなんとかメタが回るかな・・・?って感じのレギュレーションになってる。
今30代後半で、昔遊戯王に触れてた人が古いカード使って遊ぶならこれほど楽しいフォーマットもないと思うので、よかったら一度遊んでほしい。
https://twitter.com/nae_auth/status/1516394011325571072
このツイートが話題となっている。スレッドの上のほうで「ゾーニング」がどうこうと言っているので、『月曜日のたわわ』の問題についての話ということでいいはずだ。
このツイートで特に問題になっているのは、「自由な娯楽を嗜むには一定以上の知性が必要で、そうでない人には自制が難しく作品に影響され自分勝手で感情的な行動をとりやすくなってしまう」という部分だ。
多い批判が「選民思想だ」みたいな話である。まあ選民的でないとは言い難いのだが、youtubeとかYahooニュースのコメントとか見ればわかると思うけど、世の中話が通じない人っていうのはかなりいる。娯楽作品を「正しく」楽しめる人っていうのは、楽観的に見て、世間の半分、いや三分の一……くらいは……いてほしいが、多分「マイノリティ(!)」である。
この主張は、要するに娯楽作品の犯罪描写に影響されて犯罪を起こす、という話に基づいている。これについてはいくつかの研究があったと記憶しているが、肯定的だったり否定的だったりする結論が出ていたはずだ。
これらの研究のどちらが正しいかという話をしたいわけではないので、まあそこはなんとも言い難い。ここで問題なのは、科学的な議論ではなく、表現の自由のような社会問題を論じるときに、このような(たぶん)科学的な研究に基づいたフリをして、賛成・反対に立つ人間が主張することである。
そういう人たちが、論文を読み比べた結果としてどちらの研究がより正しいと考えられるのでそちら側に立つ、なんて手順を踏んでいるわけがない。結論に合致する研究を持ち出すだけだ。大麻合法化とかの話もこういう議論が行われているはずで、これの良しあしがどうとかいう以前に、議論が成立するはずがない。
で、いわゆる「表現の自由戦士」(この言葉に「ネトウヨ」とかみたいに侮蔑的なニュアンスが含まれているのかもしれませんが、単に他の表現を知らないので使っている、とポリコレ的な言い訳をしておきます)の側にとってマズいのは、学者の間で、「人間は娯楽作品の表現に影響されて犯罪を起こす傾向がある」という考えがコンセンサスを得てしまうことだろう。
彼ら戦士たちは、上記のようなことはない、という立場の研究にかなり依拠して自らの主張を保持しえているのだから、もしそういうことになったら大変だ。大体学問の世界は割とリベラルが力を持っているわけで、結構危機的なんじゃないだろうか。
わざわざこんな文章を書くくらいだから、私も娯楽作品の内容に規制がかけられたくはない側の人間である。単にポリティカルにコレクトな内容の娯楽なんか読まされてもクソつまらないからというだけなので、「表現の自由戦士」のみなさんには怒られそうですが。
そういうわけで、学問の世界が(日本のクソバカな)リベラルにとって都合のいい方向に行ったときに、表現が規制されるということはこのままでは避けられないし、実際(単にクレームとそれへの対応によってではあるが)様々な「自主規制」が幅を利かせ始めている状況である。
一方で「創作に影響されて犯罪を起こすことはあり得ない」というのは、ある種創作を矮小化しているのではないか。
そこで、リベラルの理屈をひっくり返して使ってしまえばいいのだ。ここでは、「娯楽作品の犯罪描写に影響されて犯罪を起こす人がいる」という話はある程度事実だと認めてしまおう。
でもって、「自制が難しく作品に影響され自分勝手で感情的な行動をとりやすくなってしまう」「自由な娯楽を嗜む」のに必要な「一定以上の知性」がない人もいるという側面もあるにはあるだろう。(ただし、私はこういうのは「知性」というよりは、「常識」とか「(人文・社会・自然)科学的な素養」の問題なんじゃないかと思う)
宮崎勤事件の報道をリアルタイムでは知らないが、要するに宮崎勤がオタクで、ロリコンポルノに影響されて事件を起こした、という理屈がまかり通っていたはずだ。Wikipediaを読む限りはそれは否定されているようだが、有名ではなくとも、そういう事件はあったにはあっただろう。
日本で語られる「犯罪の動機」が大体警察の作文であるにしても、根っこにそういうことが潜在的にあること自体を否定するのは困難だろう。
しかし、宮崎勤事件もそうだが、センセーショナルに報道される事件というのは、無差別殺人みたいに、わかりやすく怖くて視聴率が取れる事件である。たいていの犯罪は、非常に狭い人間関係での問題か、経済的な問題によるものであって、そういう事件はレアケースなのだ。
まして「自由な娯楽を嗜む」のに必要な「一定以上の知性」がない人が、それが原因で事件を起こすというのは、世の中の犯罪のなかでも非常にレアケースで、リスクは自動車とかのほうがはるかに高いだろう。
そんなことをいちいち予防して回るのは、過保護としか言いようがない。
しかし一方で、そういうので「不安だ」とかみんな言うわけである。ちょっと違う話だが、(ポルノとかじゃなく、ガチの)性犯罪者にGPS発信機をつけて位置情報を公開すべきだ、と言う話について、「不安を解消するためには、この程度の人権の制限は必要だ」という意見が、有名人から発信されていた。個人的には、人権をそんな風にとらえる人間が同じ社会にいるのは結構「不安」なのだが……。
リベラルな人らが大好きな日本国憲法を読めば、権利の制限は「公共の福祉」に基づくべきだ、とみんな理解できるはずだ。「安心」なんてものは「公共の福祉」なんかではありえないだろう。「不安」なんてことのためにいろんなことを規制するのは、公権力がやるべきことではない。
大体、世間の人々が不安になるのは、マスメディアの報道に「影響されている」からだろう。日本はこんな社会なのに、恐ろしいことに犯罪は減少傾向だったはずだ。みんなもっと科学的思考をしてほしい。特に学問しか取り柄のないリベラルな学者のみなさんは、このような世間の風潮を批判すべきであって、それに便乗して、多くの善良な人々を、人権などクソほども守られない日本の監獄にブチこめるようにすることなんか望むのでは、「リベラル」という言葉は無意味どころか逆の意味になるじゃないか。なってるんですけどね。それも「グローバル」に。
「表現規制」に反対する側が言うべきなのは、以下のようなことだろう。
「娯楽作品には人を影響する力があるし、それによって犯罪を起こす人もいるかもしれない。でもそんなの犯罪の中ではレアケースですよ。あなたたちテレビの報道に『影響されて』言ってるんじゃないの?そんなことのために我々『一定以上の知性』がある人々から自由を取り上げるのは、『マイノリティ』の迫害だ!」