表現の自由戦士VSフェミニストの争いは全く持って無駄な諍いだ。
多少表現できないものが増えようが、マーケットには何の影響もない。
なぜならクリエイターはできうる表現の中から最良のものを作ろうとするし、消費者の側も実際に作られた表現の中から最もいいものを選ぶだけだからだ。
最初から選択肢にないもののことを気にする人間なんて、ニッチもニッチの超マイノリティだけであり、市場全体で見れば誤差みたいなものだ。
人間は「選べるもの」の中からしか選ばない。初めから選択肢を狭めておけばそこに何の疑問も抱かない。
だって見てみろ、日本ではチンコマンコを直接写せば逮捕されるという、とんでもなくラディカルな表現規制がずーっとまかり通っているが、それに異議を唱えて法改正を訴える表現の自由戦士はいないだろ?
裏ビデオで逮捕されるAV会社たちを擁護して、こんな法律は人権侵害だ!憲法違反だ!などと叫ぶ表現の自由戦士はいなかっただろ?
つまり、彼らの中で大事なのは「法律でそう決まってる」ってこと「だけ」であり、その法の内実が道徳的に善いとか倫理的に正しいとか、そんなことは歯牙にもかけないのだ。
だからたとえば「未成年を性的に描く表現物は流通禁止」などの条例を一旦通してしまえば、それに異議を唱える人なんていなくなるのだ。
もし異議を唱える人が現れたとしても、「だって違法じゃん」の一言だけで軽くあしらわれるだけだ。
今必死に表現の自由がどうだとか言って騒いでいる戦士たちですら簡単に「あしらう側」に回るだろう。
彼らが興味あるのは「法律でそう決まってる」こと「だけ」なのだから。
一度決めてしまえばもう終わりだ。
「昔は女子高生と結婚できたのに、法改正しやがって許せねえ!」ってのが表現の自由戦士の本音なんだよ。 アフリカ中部の人々も全く同じ考え
表現規制と未成年淫行は別の文脈だろ? オタクたちは未成年淫行で炎上した有名人たちを嬉々として叩いてるぞ