はてなキーワード: 憲法違反とは
孤立無援の低賃金労働者の代表。キモ金を救わない限り、生活保護の金額はそれに合わせて引き下げられるに決まってるじゃん
だって、それで生活しててかつ誰もそれを憲法違反だって言ってないんだから
論理的に言ってまずは現状のキモ金達の生活は、健康で文化的ではないっていう立場を法的に明確にしない限り、生活保護の引き下げは妥当となる
誰が考えたってそう
キモ金をキモいから救わなかったツケが、受給者に行くわけだど、多分はてさにとってはそれは良いことなんだろうな
国を叩くのが目的だから、文句を言いつつ本音では燃料キターって感じなんだろう
合理的な考え方の持ち主なら国に受給額の引き下げを行わせない為にも、キモ金の生活状況がまず憲法違反だとするはず
これをやらないってことは、本音は上の通りなんだろう
どんなに声高に建前を叫んだところで本音が透けて見えててひたすら滑稽
頭悪いの丸出し
何故いままさに死にかけてるとは思わないのか。都条例で指定されたものはAmazonで年齢制限ではなく販売すら原則出来なくなるということも知っているのだろうか。
印象で文句を言う人たちは実態を知らないので基本的なことを言わざるを得ない。
2010年に都条例で規制が強化されて全国にも波及している。最近長崎ではアイアムアヒーローがエロ本屋でしか買えなくなった。
業界は嫌々ながら都条例を飲んだ。しかし今度はその条例以上のことを条例ほどの根拠もなく要求する人たちが出た。目的は手段を正当化しないのだが、不快というだけで全国のメジャー店舗から一定の漫画が消える。
また、都条例は根拠不足、データ捏造、憲法違反、恣意的運用、議論する時間のなさなど様々な疑問点があり、法治国家としての問題だったこともお忘れなく。
なるほど。
確かに古典的リベラルが制度的な圧政からの市民の開放を目的に誕生したんだろうけど、現代のリベラルは「自分の自由のために相手の自由を奪うこと」を許さない。つまり、多様性を認めるということで、「人種やLGBTなどの少数派や弱者などのマイノリティを自分がマジョリティだというだけで否定しない、尊重する」という思想のことだと私は理解している。単純な反戦や反権力だけのことをリベラルとは言わない。
翻って日本のリベラルサヨクは政治的に強い立場の人を悪として、敵として攻撃することだけに執着する。つまり、リベラルが生まれたときの手法だけを真似て、相手の意見を聞いて尊重するということをしない。
特に日本では時代劇的な、物語的な、アニメでよくある勧善懲悪が大好きだ。いじめている人が黄門様に懲らしめられる結末に喝采する。スカッとジャパンだ。小池劇場でも都知事選、都議選で大勝したのは都議会にドンがいたからだ。しかし、衆院選では安倍首相が絶対悪たり得なかった。
現実はそんなに単純ではない。世の中は勧善懲悪にはできていない。絶対悪や絶対善など存在しない。特に政治の世界ではそうだ。よく効く薬には必ずと言っていいくらい副作用がある。今回の衆院選でも安倍一強と煽って、安倍首相を民衆の敵のように主張する。国民にそう信じ込ませようとしている。国民を馬鹿にして、愚民でいることを求めている。国民もそれくらいは理解している。
安倍首相だって全てにおいて正しいわけではない。ツッコミどころも多い。それも国民はわかっていて、相対的に期待できる政治家が、政党が他にいないことが問題なんだ。野党は安倍首相の手法を憲法違反だと囃し立てるけど、憲法だって絶対的なものではない。むしろ憲法改正を取引材料にして、自分たちの目指す政策を与党に認めさせる。そんな政治家が野党にいてほしい。
しかし、リベラルサヨクは絶対悪vs正義の味方の対立を煽る。古典的リベラルの解放運動のごとく、自分の正義を疑わない。それはリベラルの思想を受け継いているのではなく、手法だけ真似しているに過ぎない。だから日本のリベラルサヨクは思想的にリベラルではない。
だから「リベラルの成仏する日」はリベラルな思想が成仏するのではなく、手法だけ利用しようとする日本的なリベラルサヨクが成仏して、日本に真にリベラルな思想を持った政党が生まれる日なんだ。
最近、北朝鮮の脅威に備えるために憲法9条を変えろという意見をよく見聞きするんですが
実際変えたところでどんな意味があるんでしょうか…?
仮に今自衛隊が無かったとして、「9条があると自衛隊を作れなくて日本を守れないから、9条を変えて自衛隊を作ろう」というならわかりますが
現実には自衛隊は存在するわけで、9条を変えたところで現状は何も変わらないのでは…?
そもそも現行憲法でも個別的自衛権は否定されていないはずなので、北朝鮮のミサイルを撃ち落とすことは今の憲法のままでもできるわけですし
学校で9条を習う時、「政府は、自衛隊は『必要最低限度の実力』であり、憲法違反ではないとしている」と教わりました
それともいままでの日本政府の見解のほうが間違っていたということですか?
「違憲っていう人もたまにいるけど、政府が戦力ではないから合憲だって言ってるし、自衛隊をなくすわけにもいかないからいいんじゃない?」
という感じの認識の人が、現在使われている教科書で勉強した人には多いと思います
憲法は、時代の流れに合わせて問題があったらどんどん変えていいものだと思います
例えば同性婚は憲法違反だからできないという話を聞いたことがありますが、実際に同性婚したくてもできない人が困っているのなら、
しかし9条を変えても現状何も変わらないので、変えるメリットがわかりません
逆にデメリットとしては、北朝鮮に「日本が戦争しようとしている」と思わせてしまい、北朝鮮が軍拡を正当化するための言い訳として利用することが予想されます
そもそも自衛隊はアメリカ軍などに比べたらはるかに規模が小さく、しかも日本は北朝鮮の脅威の最前線に位置しているのだから、
どこか遠い国の戦争に首を突っ込んでしまったら国内の守りが手薄になり、本当に日本が攻めてこられたとき守れないと思います
9条を残すと、自衛隊の海外への大規模な派遣を求められたときに断る口実として、日本の国益のために利用出来るというメリットがあると思います
9条変更反対だとネットで書き込むと「反日だ」などと言われてしまうのですが、
むしろ自分は日本を愛しているがゆえに、実際に日本が攻められたときにどうしたら守れるかを真剣に考えた結果、
9条変更は日本を守ることにはならないのではないかと思いました
もちろん、自分は憲法を絶対に変えてはいけないなどとは思っていません
今後もっと詳しく勉強していく中で、もし仮に変えるメリットがデメリットを上回っていると思うようになったとしたら、自分は9条変更賛成派に回るだろうと思います
2ちゃんねるや普通のまとめサイトはネトウヨに独占されていて、
ちょっとでも彼らと違う意見を書き込むと見るに堪えないような汚い言葉で罵倒されてしまいまともに話が通じないので、
皆さんお忘れではないですか?
【参考】
7裁判官に国民の審判 「冤罪」「原発」を聞く - 産経ニュース http://www.sankei.com/politics/news/171016/plt1710160008-n1.html
今回野党が装填にしようとしている、安保法制は、少なくとも憲法9条の枠組みの中では、たしかにNGですよ。
政治が憲法に縛られなくても良い前例を作ってしまったことは、許されないことだと思っています。
ただ、三権分立の中で、そこの歯止めをかける役割を担っているのは、「野党」ではなく、「司法=最高裁」でしょう。
それなのに、違憲立法審査権を行使せず、こんな状況を生み出しているのは怠慢ですよ。
かと言って「お灸をすえた」結果、誕生した民主党政権は強烈なトラウマになった。
今政権交代なんかしたら大変なことになるが、かと言って、このまま放置しておくのも嫌だ!
私は立憲民主党の枝野氏の演説に、賛同しています。(でも政権は取ってほしくありません)
政治が守るべきルールを守るのは当たり前のことであって、そこがしっかりないと「俺達は雰囲気で政治をやっている」状態になりますよ。
そんなんで、現在の日本の停滞をなんとかするような施策が前進するはずもない。
政治家は憲法に則って、「自国民が昨日よりも幸せに過ごせるにはどうしたらよいか」を真剣に考え、実現していくのが仕事でしょう。
おそらくこの点において民意は一致するんじゃないでしょうか、支持政党は関係ないですよね。
もし、今回の選挙で「はじめて」最高裁の裁判官が罷免になったら、
違憲立法審査権を真面目に行使しないと、最高裁判所は立ち行かない。
司法のチェックが厳しくなるので、立法府は、憲法の枠組みの中でその時その時の問題への対処を考える。
もしくは、憲法を改正してから法律を作るという手続きをきちんとやる。
国民は、憲法によってどのように政治家を縛るのかをきちんと考える。
これがあるべき状態なんじゃないでしょうか。
投票は棄権しても良いけど、「最高裁裁判官の国民審査」はきちんとやりましょう。
私からは以上です。
田中角栄はロッキード事件で総理大臣をやめた、と思っている若い人が案外多いけれど、それは間違い。
田中角栄が総理を辞任したのは1974年の11月の終わりごろだ。
時系列がおかしい。田中が辞任した時点では、ロッキード事件など、世の中の人は何も知らなかった。
『文芸春秋』が、立花隆の「田中角栄研究ーその金脈と人脈」と児玉隆也の「淋しき越山会の女王」というレポートを掲載し、金脈問題批判が沸き上がって退陣に追い込まれた、というのは、間違ってはいないのが、かならずしもすべてを説明したものではないと思う。
元祖「文春砲」は、確かに田中辞任のきっかけではあるけれども、もともとグラグラしていたからこそ、倒れたのである。
この時点での田中金脈問題というのは、あくまで「疑惑」や「倫理的問題」の集積であって、刑事事件に発展したわけでもない。
田中角栄が「金権政治家」であることくらい、当時の人々はみんな知っていた。
田中角栄も当然札束をばらまいていたにもかかわらず、自身もものすごい財産をつくっていた。
学歴のない「庶民宰相」で、とくに事業で成功していたわけにもかかわらず。
その跡地の一部は、今、公園になっているけれど、サッカーのグラウンドを緑がとりかこむ、たいそうな敷地面積である。
就任当時、田中内閣は支持率60パーセントを超え、当時としては最高記録だったという。
で、日中国交回復を成し遂げて、「決断と実行」を掲げた田中内閣はそれなりに支持されていた。
物価が急上昇するなかで、大蔵大臣が現職のまま急逝、後任の蔵相にライバルの福田赳夫(「あなたとは違うんです」の福田康夫の父)を起用するも、経済政策はうまくいかず、参院選ではタレント候補としてNHKアナウンサーの宮田輝を候補にしたり、金をばらまいたり、あの手この手をつくすも、選挙後の追加公認しなければ過半数を保てないほどの(55年体制の当時としては)大敗。
田中を見限った複数の政治家が内閣をさり、ガタガタになったところで、田中角栄を襲ったのが「文春砲」だったのである。
こうして考えてみるとオイルショックそのものは、田中角栄が起こしたわけではないのだけれど、その対応を適切に取れなかったことが、田中角栄が総理を追われた真の原因なのだろう。
なぜこんなことをつらつら思い出してみたかといえば、結局のところ、この国で選挙の結果を左右する要因というのは、さほど変わっていないのだよなあ、と思ったからだ。
たしかに、モリだのカケだので安部がお友達に便宜をはかったり、自らもなにか利益をえてるんじゃないのか?といわれれば、多分そうなんだろうけれど、そんなことより、日々の生活を左右する景気が大事だよ。
ま、リーマンショックとその後の不景気を民主党が直接つくったわけじゃないかもしれないが、ちゃんと対応できてなかったよ、あの人たち。
田中角栄の時代、インテリさんや社会党の人は「自衛隊は憲法違反だ!」って叫んでたけど、普通に自衛隊はあったし。
北朝鮮はいまみたいな危険な国とは思われてなかったけど、「自衛隊がしっかりしてないと、いずれ北海道にソ連が攻めてくる」っていってる大人はいっぱいいたし。
法律に違反しても、バレなければ警察に捕まらないという反論もあるだろうが、(そういうネタもある)、基本的に見つかれば処罰されるということが法律に対する違反をさせない仕組みになっている。(そうじゃなくて倫理だという考えの人もいるかもしれないが)。
憲法に違反した場合にどのような罰則があるのか、または、罰則はまったくないのかということを考えてみた。
憲法は権力を縛るものであるから、憲法に違反するのは行政府か立法府、場合によっては司法府である。この三者が相互に監視して憲法に違反したところを処罰するということだろうか。しかし、議院内閣制なので多数派内閣なら議会から処罰されないだろう。そして、最高裁判所の違憲立法審査権は、日本の場合機能しているとは言い難いが、法律に対するものであり、内閣が直接違憲行為をした場合に最高裁判所が介入する規定がない。
では、内閣の違憲行為に対してまったく対応が出来ないのかというと、そうでもない。議院内閣制なので内閣の違憲行為に対する処罰は、国民が選挙の際に下すことが可能である。つまり国民が違憲行為をした与党を選挙で負けさせることが違憲行為に対する処罰となり得るわけだ。
警察は法律違反を取り締まる権力を持っている、それは、法律違反を知っていながら勝手に見逃すようなことは許されないということである。金(に限らず、物とか接待とか、退職後の就職先とか)を受け取って法律違反を見逃すような警察は腐っている。警察が腐っていれば世の中は乱れる。これが世の道理である。
神は「道理あれ」いい、そしてそのようになった。
というジョークは聞き流してもらって、
小池百合子からダメ出しを食らったリベラル(日本の政治ではゴミの意味)の集まりだよ?一般人のリベラル(石多めの玉石混交)ならともかく
立憲ってのも憲法で国をしっかり縛りましょう。ってことだから、封建時代ならともかく、すでに自由民主主義の今から既存憲法を大事にしても、憲法に縛られる不自由な世界しかやってこないよ。
たとえば厳密に解釈すれば憲法違反の自衛隊だね。改憲せずに立憲主義を大事にすれば、自衛隊はなくすしかない。
そもそも国政で改憲を争点にするなんて、政党もマスコミも馬鹿だね。
グレーゾーンなのをいいことになんやかんやちっさいことにいちゃもんつけて罰金を支払わせてるのが迫害ではないと?
被告は迫害だと感じて憲法違反だと思ったから、略式なんちゃらをブッチして白黒つけようと裁判に出た。顧客とトラブルがあったわけではないんだよ。
衛生管理等の整備が必要なのは当事者は十分わかっていて、できている。
天下り要求なのか権威の押し売りなのか内情はよく分からないけど、免許なんかなくてもある程度の安全性は確保されてるということ。ある程度というのは、食品衛生管理者がいたからって食中毒は起こるよね。って意味で。
直接体に触れる職業に免許という首輪があるからと言って、彫り師にそれが絶対必要なのかというと、疑問だ。だってそれって、今までやってたことの追認でしかないでしょ。意義は薄い。
だいたい免許制になっても、今回のように文化的迫害が起こらないとも言い切れない。
なぜなら、今回の迫害は被害者のない「犯罪」で、刺青への差別心からくる邪推が発端になってるから。
無自覚な差別主義者が今回の判決を擁護することを、権力側は讃えるだろう。権力者の権威を担保するからね。やっていることは圧政、迫害、脅迫なのに、権威があれば正義と崇められるんだもん。