はてなキーワード: 土俵とは
優秀な人はなんぼでもいるし、優秀な人に優秀さだけで勝負はできないってのがわかってきた。
本物の優秀な人って、いるもん。
それが自分じゃないってのは、何年か研究者をしていたら痛感する。
海外行って、35過ぎてPNASファーストとか、NCSに2,3番目程度持ってる! って人なら、
決して珍しいわけじゃないから、それが他を圧倒する業績とは思われないみたいだ。
ただ、いま不安に思っている優秀だけど平凡な学生たちに、とびきりのアドバンテージがひとつある。
それを使えば、優秀な人に勝ち得るはず。
ポスドク・特任助教の実態のような試料みてると、35歳前後の人たちがポスドクの主流。
4割程度がそうみたい。
その年代になって勝負するなら、まじでNSC数報もってるような、本物の優秀な方以外、公募じゃ目をひかない。
それはだって、本当に優秀な方たちも同じ土俵で勝負してくるんだもん。
しかし、実績は不充分でも、信念のある研究をして、いくつか普通のところに論文がでているならば、
若さはとびきり魅力的な要素になる。
実績は、これから出すだろう、変にポスドク経験長くないぶん、扱いやすい、素直そう、青田刈りする価値ありそう、
基準としては、着任時に30歳までがボーダーだと思う。
今年度30を迎える人は、業績が乏しかろうがいまが売り時だよ。
自分はもっとできる、まだ妥協するにははやい、もうすこしビッグラボを経験したい、そういうのもすごく価値があることだけど、
それで得られたであろう何かと、若さを失うことは、公募戦争じゃつりあわないようだ。
研究者としたらプライスレスな飛び切りの価値だけど、あくまで公募戦争では、だからね。
ストレートで学位とって、1,2年海外のビッグラボに行ってきたら、4,5報しかなかろうが、とにかくパーマネントとろう。
Fランでもどこでもいいからとにかくパーマネントに出しまくる。
ポジションにつかなきゃ、長期的には勝負にだってならないのだから。
太く短く研究したいなら、ポスドクやって40で首くくるのもひとつではあるけど、自分の研究を世に見せ続けるなら、
とにかくポジションを得て続けることだ。
続けていれば、運が向いてくることは絶対あると思う。
環境に文句言っちゃいけない。
説得力もたすために一応。
実績は、4,5報程度、NSC無しです。
こんな世の中なのになんで受かったんだろう、ってすごい不思議だったけど、
まあでも、俺の場合は若さが効いたとおもうけど、若さが大事っていうのはほんの一例かもしれない。
昔、イチロー、田口と外野を守って鉄壁の外野陣を作っていた一角に、元西って人がいるんだけど、
彼は、二人とまけず劣らずの強肩と思われていたけど、本人はそう思っていなかったらしい。
元西は、
「強肩の人より、はやくベースに球がとどけばいい」
と考えて、捕球から送球までをいかに速めるか、送球の精度をあげるにはどうするか、を練習したそうな。
これはとっても教訓的な話だと思う。
優秀な人に勝つには、何で勝負するか、それを考えるのが大事なことかも。
終わったような話だけど、「虚構新聞なんかのために夫を嫌いになりたくない」(http://anond.hatelabo.jp/20120813213141)とその記事が釣りであることを暴露した「はてな匿名ダイアリーに虚構日記を書いたらホットエントリ入りしたでござるの巻」(http://d.hatena.ne.jp/muteit/20120814/1344953099)を読んで考えたことを書きます。
「虚構新聞なんかのために夫を嫌いになりたくない」はたくさんの注目を集めたという点で話として面白いかもしれないが、「釣り」という観点から見ると全く面白くないんですよ!虚構新聞よりも面白くないんですよ!
「ドッキリ」が面白い理由は、信じられないようなことにターゲットが騙されているのが面白いからです。嘘のような話を画面の中の人間が素直に信じてしまう(ように見える)から面白いんです。しかし、「現実と誤認する人が大勢出てきてもおかしくない嘘」に騙されてしまったひとを咎めたり、笑ったりすることが面白いとは言えません。虚構新聞で騒ぎになった橋下市長のTwitter義務化の嘘がつまらなかった理由も同じ所にあります。虚構新聞の場合、橋下市長がTwitterを義務化したかどうかは、嘘か真実か調べることが出来たかもしれません。しかし、「虚構新聞なんかのために夫を嫌いになりたくない」はプライベートを切り取ったエントリなので、短い文章の中から本当かどうか判別することは現実的にはほとんど無理です。つまり、「ありそうもないことをおバカさんが信じる光景を画面越しに見守る」エンターテインメントとしては失敗しているわけです。
もう一つ面白くない理由は騙すやり口です。この「釣り」ゲームは騙す側にとって非常に有利なゲームですよね。匿名ダイアリーという場は、エントリの内容以外の情報を読者に与えることなく、ノーリスクに嘘がつけます。個人と結び付けられていないので、嘘が見破られたとしても雲隠れして別人を装っておけば追及から逃れることができます。失敗して注目が集まらなかったとしたら、実はあの話は嘘だったとブログに暴露せずに黙ってまた新しく注目されるような嘘をでっち上げればいいんです。きっと、匿名ダイアリーにはひっそりとひと目に付かず過去ログの中に埋もれていった嘘がたくさんあるのではないでしょうか。
今回、せっかく面白い(?)嘘話でたくさんの人に興味を持たせることに成功したのに、自分のブログというホームグラウンドで一方的に勝利宣言するつまらないネタばらしのお陰で台無しです。誰かわからない人にみんな(ということにしておきます)で面白く騙されていたはずなのに、ブログのネタばらしでは勝手に一人の名前を持った騙す人間とその他大勢の無名の騙されるおバカさんにすり替えられています。はてな匿名ダイアリーという土俵の上で嘘をついたなら、同じ匿名ダイアリーの中のなかで嘘をばらし、説明してほしいと私は思います。
「釣り」=「たくさん騙したほうが勝ちで騙されたほうが負けという暗黙のルールにのっとったゲーム」というつまらない価値観が早くなくなり、騙される側も面白い嘘だったなと思える嘘が増えてきて欲しいと思います。他にも色々書きたいことがありましたがこのへんで。
に対する返答として適切なのは次のどれでしょうか?
正解は3。
韓国のほとんどの人達は「日本が独島を韓国から奪い取ろうとしている」と思っています。彼らからすれば、日本側が領有権を主張してくるであろうことはまさに想定どおりなのです。ですから1や2では改めてお互いの論理をぶつけ合うだけで、結局堂々巡りになるのがオチです。「ほら皆さん、日帝は領土拡大の野望を捨てていません」などと向こうの民族主義者の政治的宣伝に使われて終わりです。
それに、第三者の国から見た場合、まるで同じレベルで島の奪い合いをしているように見えてしまうでしょう。それこそまさに相手の思う壺。議論で相手と同じ土俵に立っても良いことはありません。
そこで、3の「独島はそこではありません」という答えです。
竹島の領有権を主張するわけではなく、独島という島の領有権主張を否定するわけでもなく、ただ相手の勘違いに気づいてもらうためだけの短い指摘となっています。
(※この辺りの意味が分からない方はこの動画が分かりやすいと思います。)
韓国に竹島を描いた古地図は存在するか 日韓古地図の比較 - YouTube
注意しなければならないのは4の「そこは独島ではありません」とは別物だということです。
違いが分かるでしょうか。
4の「そこは独島ではありません。」の場合、その後に高い確率で「そこは竹島です。」が連想されてしまいます。そのため単なる領有権主張と取られかねません。これではメッセージとしての価値が半減してしまいます。
では3はどうでしょうか。3の「独島はそこではありません」の場合、後に連想されるのは「独島はここ(別の島)です」のような言葉です。
そのため相手や議論を見ている第三者の頭に「そこではない?では、どこだと言うんだ?」というクエスチョンを抱かせることができるのです。このように相手が僅かでも話を聞く態勢になれば、そこから対話を始めることができるようになります。
「ここ(別の島)です。なぜなら韓国人によれば独島とは『古地図にある于山島』のことであるか、『1900年の大韓帝国勅令にある石島』のことなのですから。」
と過去彼らが苦し紛れに掘った墓穴に誘い込むことも出来るのです。
「ここは俺の家だ!」
「なんだと?ここは私の家だ!」
これではただの喧嘩ですね。
「ここは俺の家だ!」
「あなたの家は隣ですよ。」
想像して下さい。
「竹島は日本の領土だ!」「韓国は出て行け!」というような相手と鏡写しのメッセージではなく、「独島はそこではありません」という横断幕一色で統一されたデモの光景を。
他の国から見ても中々笑いを誘う領土紛争の構図になると思いませんか。
(追記:この記事はもちろん「これで解決」というような答えの提示が目的ではなく、よく見られる買い言葉的な反論や罵倒がむしろ逆効果であって、それよりもこうした方が有意義ではないかという趣旨に基づいたものです。外国にも(韓国にですら)一度は両方の主張を見てみようとする層は密かに存在するわけで、これはそのような層に分かりやすく訴え、「いや、独島そこじゃないから」を常識にしていくのが狙いです。)
(追記2:ブコメで『彼らは実効支配を正当性の根拠にしようとしている』というご意見を頂きました。根拠が実効支配のみに限定されていくことは、その経緯・実態を考えれば正当性どころか非正当性を顕わにするだけで、こちらにとって望ましい方向だと考えます。)
仕事上関わっているひとりの男がいる。
正確には、関わりたくもないが関わらなきゃいけない男、だ。
49歳、独身。
もったいぶって話し出した内容は、わたしに「M男を調教するときのアシスタント」にならないかというものだった。
調教されている姿を女性に見られるという新たな興奮を味わわせてやりたいとのことだった。
男は何度かこの台詞を言った。
「こんなことなかなか人に言えないのだけど
なぜ君に言ったかというとね、男の子たちの悶える顔がとてもいいので常々一人で見るにはもったいないと思っていたんだョ。
きっと君の勉強にもなるとおもうんだよネー。」
「それに中には調教が進むとフェラをしたがる子もいてね、そういうときはフェラさせるんだけど。
はめてほしいって子もいるけど僕はホモにはなれないのでね。(とはいいつつはめたことはあるらしいが)
イケメンが多いし、モノもいいから、セックスはいいとおもうよ。
私は男の子の喘ぐ顔は参考に見たいので、まず1回その場に同席させてもらい、
アシスタントをするかどうかはそのあと決めるとの返事をした。
(はめることについては、
男の言うイケメンやらモノの良さなどあてにならないと思っているし、
M男とセックスすることに興味がないし、今好きな人がいるからほかの人とセックスすることは考えられないのだが、
とにかく男に気持ちよくしゃべらせることが大事であると判断した。)
それから男は、自らの恋愛事情について話し出した。通話時間は1時間強に及ぶ。
電話をかけてきたのは深夜12時を過ぎたころ。
聞いてもいない男の恋愛事情であるが、驚くべきことはその内容が
以前聞かされたときの内容とまったく順序も言い回しも同じであることだった。
ボケであろうか。
いや、さらに細かく説明は加えられていたのでボケではないのか。
自分は女性にマメなタイプで土曜日は彼女たちと毎週会っている。
さて男が男性を調教するようになった原因(要素?)のひとつに、
(彼女が僕に惚れちゃってサーと言っていたが、下心は男の側にあったのはほかの人からの話で間違いない)
さらなるキャリアアップの為に彼女は専門学校に通うことになっていたそうだが、
男は彼女のフォローをするつもりであったらしい。
それは金銭面、生活面、仕事面で。(同じ業界で男が大先輩という立場なのだ)
彼女は産みたいといったそうだが、大きなお腹をさせて学校にいかせるわけにはいかないし
この業界で本気でやっていくには(そのための学校入学であるわけだ)、
堕ろせ、と ”言ってやった” らしい。
彼女は悩んだ末、堕ろしたそうだ。
その後男に別れ話を切り出し、二人は別れた。
別れにより男が多少傷心した矢先、通っていた会員制SMクラブで男性の調教を頼まれ一皮剥け(精神的な意味で)、
ハイ、ハイ、ナルホド、ナルホド、と相槌をうっていると、男の電話は続く。
「でも本当に堕ろしたかどうか、ボクはわからないんだよネー。だって病院についていっていないカラ。」
この話も以前聞かされたとおりである。
以前聞いたときは「じゃあ産んでいるかもしれないんですね?そういうことですね?」と聞いたのだが、
「いやいや、多分おろしていると思うよ」
「・・・・はぁ。」
と会話は終わった。
もともと偉そうな態度の人物であったらしいが輪をかけて偉そうになっている。
あの人は幼稚なんだよ。悪い人ではないんだよ。
自分の器をでかくして、ああいうのも可愛いと思えるようになるのがいいよ。
上司は私が男について批判するたびに言う。
それに、報いはちゃんとうけているんだよ、と上司は言う。
いま進めている大きな仕事に関して、
人脈のなさ、本業での仕事のできなさ、才能のなさ、が露呈している。(本人は気づいていないが)
たしかに報いはちゃんと受けている。
金銭面は二人の恋人に援助してもらっているとのことだ。
ちなみにこの二人は二股かけられていることは知らない。
この前風邪を引いたとき、二人ともお見舞いに来るので大変でしたよ。
片方の恋人が部屋を片付けて出て行ったあと
病身を起こして部屋を散らかし直したのですよオホホ、と笑っていた。
上司には黙っておいてくれと言われ先日までは黙っていたのだが
メールには「自分が変態であることに驚いたかもしれないが、いつかは君に言うつもりであった、
いま君と共にできることとしたらこういうことかと思って云々」と言い訳のような長文のメールが届いたのだった。
「君をアシスタントとして使いたいなら俺を通すべきだよな」
黙っておいてあとからわかるとなると、私の筋も通らないことになっていたとも言われた。
こういうことについては相談していいとも言われ、どうでもいい他人にうやうやしくおしつけられた秘密を持つという緊張の期間は終えた。
さて残る困ったこととしては、3番目の彼女の名前を聞かされていることである。
どんな仕事をしているかなども聞かされている。(とても優秀で将来有望な女性だったそうだ)
彼女が妊娠し、産みたいといったものの恋人(男)に堕ろせといわれたことも聞かされている。
男の恋人にも、一人には先日会った。かわいらしい方だった。
どちらの女性の連絡先もフルネームも知らないが、本気で探せば見つけられそうな気がしているのだが、
男が「おもしろい映画」を作れるようになるには
>ミードの社会学に照らしてIとmeに置き換えてみたんですが、なんかちょっと違うような。
うんなんかちょっと違うような。
ニコ動っていうのは社会の「一部」であって決して社会そのものではないから、そもそもme形成に至るような「動かしようのない他者性」って発揮しえないんじゃないですか、という話でもあるし、ニコだけ切り離して「社会」単位とするとそれはそれで独特のme形成があるんじゃないのとも言えそう。
「化膿してる」っていうのはどっちかというと後者的な意味でヤバいってつもりで言ってます。でも社会がヤバいっていうレベルじゃなくて、ボカロだけで形成した社会単位が通用しない場面に適応できないタイプの個性みたいなものを純粋培養するかたちになりかねないのでそうなっちゃった本人がつらかろうみたいな感じです。
そもそもボカロだけでme形成っていう時点で相当特異だし。ボカロのプラットフォームと言えば当然ニコニコ動画ですがあのサイトはボカロだけでなりたってるわけじゃなくて、生放送だの討論だのニコニコ技術部の野生のプロ動画だのとオモシロかつやや社会派みたいな動画番組もないではないのでニコ巡ってるだけでも言うほど社会性欠如しなさそう、というのが体感。
>一般論としても公共の場で鬱々としたことを言うなって感じ
これも暴論。そんなこと言い出したら既存のアーティストのうち一体何人が曲を引っ込めねばならなくなるか知れたもんじゃないw
谷山浩子とか倉橋ヨエコあたりニコでも人気ですが全滅しますね。
ニコ動って基本的にライブ会場的な「公共」性を持ってるサイトであるわけなので「イヤなら見るな」でおしまいです。
>社会的な役割を放棄している以上、社会の総体をコントロールしてる側のやりたい放題ってことにもなりますし。
何か飛躍していませんか。ボーカロイド曲にハマることと「社会の総体をコントロールしてる側のやりたい放題になる」ことの関連性がわからないしその仮想敵みたいな「コントロールする側」が何者かもよくわからない。
ビートルズやマイケル・ジャクソンならいいの?
ImagineもMan in the mirrorも社会派ソングで熱狂的に支持されましたけど未だに宗教弾圧や戦争やホームレスの問題って根本解決に至ってないですよね。
>こういうのがボカロ曲と同じ土俵(ありていに言えば無料でフルで聞ける状況)でもっと対等な状況になるといいんですけどね。ボカロ曲がIに埋没してるのと同じくらいその他の場所でmeたる活力を得るような曲が流行ってるわけでなし。
「ボカロと同じ土俵」っていうのはタダでフルで聞けるだけじゃなくてそこに聴き手が関与する余地が必要で、その点では既存型のアーティストは物凄く不利なので無理です。あなたの主張としてはむしろ逆で、ボカロをアーティストの土俵で対等にさせるには、という風にもっていくべきところだと思います。そう考えるとボカロはたちまちただの楽器に堕してしまって人間と同じ土俵に乗せてはっけよいしたところで何も起こりませんけどね。
今思いついたことですがボーカロイド曲の流行り方っていうのはどれくらい関与可能であるか(派生動画が作りやすいとか面白いとかテーマや歌詞であれこれ言ったり考えたりしてどれくらい遊べるか)にかかっているので、テーマが暗い方が関与しやすい=流行りやすい傾向はあるのかもしれません。暗い曲や裏がありそうな曲の方が解釈余地が広がるしifが作りやすい。で、そういう遊び方をするとなると前向きな歌の勝機は薄いです。同調してアツくなって終わりなので。
環境だけなら既にponponponはyoutubeで無料でフルで聞けるし現に3000万再生の大台に入ろうとしてるレベルです。今調べたらニコにもあって120万再生くらいだった。
ただしニコの方はボカロカヴァーが本家を上回る再生回数、かつそのまたカヴァーである「歌ってみた」が再生回数最大だったりしてます。これは流石に予想外。
ニコニコ動画のランキングは社会の一部でありながらIがmeとならずに垂れ流しになる場所で、恐らくそういった意味でランキング自体は別にI垂れ流しの状況でいいんじゃないか。ただ、その内容を見ていると、全体的な傾向としてmeであることに嫌気が差しているように見える。「傷を舐めあった結果化膿してる」=このままmeが放棄されてIに埋没すると「ぐずぐずとした破滅」を迎える=社会自体が(個人的に付言するとすれば「主体の上には」)成り立たなくなるのではないか=これってマズいんじゃないの?
ミードの社会学に照らしてIとmeに置き換えてみたんですが、なんかちょっと違うような。一般論としても公共の場で鬱々としたことを言うなって感じですが、音楽という暗示効果のある媒体でそれが発信されて、しかもそれが(かなり熱気を持って)評価されているというのは、けっこう危ない状況だと思います。繰り返しになりますけど、meが放棄されてIに埋没する問題とか、そうやって社会的な役割を放棄している以上、社会の総体をコントロールしてる側のやりたい放題ってことにもなりますし。
ポスト現代の歌については、古典的なロックが流行らないのはわかってるし、だからと言って今のままIを受け入れてmeを放棄するユートピアを提供し続けると間違いなく「ぐずぐずとした破滅」を迎えることになるから、前代よりIに依った形で再びIをmeたらしめる作業が出来るほどの活力を生み出せるようなあり方って無いんですかね、という議論です。ponponponは私の持っているイメージに近いと思いました。こういうのがボカロ曲と同じ土俵(ありていに言えば無料でフルで聞ける状況)でもっと対等な状況になるといいんですけどね。ボカロ曲がIに埋没してるのと同じくらいその他の場所でmeたる活力を得るような曲が流行ってるわけでなし。
された訳なんですよ。唐突に。思っても見なかった方向からふっかけられて、動揺してしまっている状況なんですよ。
そりゃあね、言った相手にそれほど害意があったとは思わないですよ。思ったことが、こう小石みたいにころっと、口から溢れてしまったんでしょうよ。
愚言とも思っていない、何気ない一言にしか過ぎなかったのだろうとは思うんです。まあ、ままあることですよ。私自身、そういった発言をしていないとも限らない。
でもね、だからといって砂のような憤りは拭いきれないんですよ。水に流してしまえばいいんだろうけれども、考えてしまうわけなんですよ。
どうしてと。なぜそんなことを言われなければならないのかと。私はただ普通に、漫画を読んで面白かったから笑っていただけじゃないかと。
だというのに、何故、漫画を読んで笑えていいねなどと言われなければならないんでしょうか。
もうそんなこともできなくなってしまったなあと、呟かれなければならないのでしょう。
この発言のどこが腹立たしいって、勝手にこしらえた土俵に私を引きずり出して、ただ自らの敗北を認めているだけであるところが腹立たしいのです。
笑える理由に疑問を呈してくれたり、漫画なんかで笑えるなんて気楽でいいねと鼻白んでくれたりしてくれたなら、少なくとも何かしらの返答は可能だった。
読んでいる漫画を勧めることも、趣味を恥じ入ることも、相手の不寛容に反発することだって容易にできて、私は私自身の心情を難なく口に出せていたはずなのです。
なのに、勝手に敗北を認められてしまっては、言い様がないじゃないですか。水を差すだけ差しておいて、ずるいではありませんか。
遅効性の刺を、無意識の内に放つだなんてあんまりです。その咎を、私は受け止めることしかできないのに。どうして簡単にしこりを残してくれるのですか。
気にし過ぎであることは承知しています。些細な事なのだから、呑み込むことも致し方ないものだとは思うのです。
しかしながら些細な事だからこそ余計に疑念が募るわけで。グジグジと思い悩んでしまうのです。
若いからね、とでも言い返せばよかったのかもしれないと、今更後悔したりして。
ま、かなりすっきり致しましたん。
結婚したのは20代半ば。ずっと共働きで旦那との関係は未だに恋人気分。
私と旦那の年収はほぼ同じくらいなので、共同生活に必要なお金は家に入れるけどそれ以外のお金は各人の自由。
お互い自分の欲求(物欲、食欲、等)を我慢することはあまりない。
自分の欲しいものは勝手に買うし、家事はありがたいくらい本当に平等。
むしろ二人で分担できる分、一人暮らしの時よりすごく楽。
でも30目前になると出産のタイムリミットが迫ってきてる気がして
産むか産まないか、つまりは自分の人生どうするか分岐点にきてる。
今いる大企業に留まって、子供産んで産休もらって、ママさん社員として働く。
産休・育休は100%取れる環境。むしろそういう福利厚生を求めて転職してくる人が多い印象。
だけど、今までのような面白いプロジェクトにつかせてもらえる機会は激減するだろう。
留学もしてみたい。
ぶっちゃけ結婚願望なんてなかった私が、本当にステキな旦那に恵まれて結婚できた。
きっとこの人じゃなければ結婚なんて考えもしなかった。
そんな気ままな生活を送っていたけど30代目前になると
既に子供を産んでる女友達からはママ友に昇格しなよオーラ凄いし
実際自分も子供は好きだしそろそろ子供授かりたいなーとも思うけど
もしかしてどちらかが不妊症なのかもしれないけど、逆にそれはそれでいいかーと思ったり
世の中のママみたく働きながら子育てとかできる気が微塵もしないし
留学もしてみたいし
とかとか、色んなことを考えあぐねてしまう。
既に子供がいる男友達は「大変だけど意外と生活変わらないよ、趣味も仕事も前の通り続けてられるし」
とか言うんだけど、それってつまり奥さんが相当頑張ってるってことでしょ?
子供のいる女友達で「産む前と意外と生活変わらないよ、趣味も仕事も前の通り続けてられるし」
なんていう人は見たことがないんだよ。
大学時代は同じ土俵で競争していた男友達と、実は同じ土俵にはいないんだなーと今更ながら気付く。
女で良かったとは思うけど、たまになんで私女なんだろーと思う。
どうしようかなぁ。
タフな議論が物凄く好きだし、12時間ぶっ続けで討議しても飽きないくらいの議論好きだ。
だから、本質的な対立の無い相手に対しても、ある種意見や提案のストレス・テスト的な意味合いを込めて
反論を試みることが多い。どんなすばらしく見える意見や提案もある程度「叩いて」みないと真価はわからないものだと思っている。
そういう風に経営をやって来た。俺が論戦を挑む時はネガティブな意味合いはなく、ただ単にあらゆる側面から
提案や意見の真価を問うているだけだ、と部下には理解して貰って来たと思う。
自分が面倒くさい経営者であり上司であることは十分理解しているけれど、その代わり俺は闊達な議論こそを是として
どんな立場にある人間にでも、極めて自由な発言を許して来た。俺に対して「おまえは間違っている」と面と向かって言える会社を目指してきたし
ある程度は実現出来て来たと思っている。だから、会議ではかなり荒っぽい言葉が乱れ飛ぶ会社になった。
形式的なものは一切重視しない、立場も上下も無い。意見をひたすら出せ、戦わせろ。という会社の風土には満足している。
ところで、最近新しく人を雇った。財務・会計のスペシャリストで、別の会社から引っこ抜いてきた。
一般的な観点から見れば、高い給料を払っている。会社の規模から考えれば、少々ムリをしたと言えるかもしれない。
しかし、この人材を動かしてみるともちろん専門領域では想定通りの有能さを見せるものの、
議論が成立しないのだ。「反論」を人格否定と受け取られてしまう。そして、自分の専門領域以外では一切の発言をしない。
俺は、部下の職務内容は100%理解しておきたい人だ。現実的にはそれは難しいとしても、最低限部下の土俵で論議が出来なければいけない
と思っている。だから、彼が提出して来たレポートや企画書にも、細かく質問・意見を出す。わからないところは教えろと言う。
彼はこれが煩わしいようなのだ。専門領域外には口を出さないから、自分の領域にも口を出すな。そういうことらしい。
もちろん、俺はそれを絶対に認められない。
そして、財務・会計のスペシャリストとして雇ったとはいえ、会社全体のことも理解して貰わなければ困る。
率直に物を言い合うことを是とする他のメンバーと同じ土俵に立ってもらわなければ困る。
「この会議にわたしが呼ばれる理由がわかりません」とか、ホント困る。つーか、俺言ったよね?面接であれだけ念を押したよね?
ウチには基本的に何かのスペシャリストしかいないけど、業務領域は一切特定されてないって言ったよね?
そりゃ、元が大企業の人だからわからんでもないけど、ウチクラスの会社で「専門領域しか触らない」なんて出来るわけないのよ・・・。
ウチの会社にジェネラリストっていうか、専門的な職能を持たない人間って社長の俺しかいないんだからさ・・・。
我が社は、誰かが提案を上げて来たら、他のメンバー全てがその提案の粗を探す。
徹底したブラッシュアップを図る。ミーティングは闘争的にやれ、つまらない会議するくらいなら帰れ。
そーいう会社なんだよ。そりゃ、あなたの職能は高いよ。だから高い給料出してんじゃないですか。
確かに、自分の専門領域にケチつけられるのは不愉快かもしんないよ。でも、ウチってそーいう会社で、別にみんな
あなたが憎くてバシバシ議論振って来てるわけじゃないのよ。むしろ、あんたを尊重しているから矢のような質問と反論が来るのよ。
論戦と人格否定は違うし、それは全くかかわりないってことを、どうやったら理解してくれるんだよ・・・。
そりゃ、プレゼンが始まったらガンガン質問と批判が降り注いだのにビビったのはわかる。
でも、それがウチの社風で俺のスタイルなんだよ。変える気はないから、適応してくれよ・・・。
毎回会議の後にブチギレて憔悴しきった顔されても困るんだよ。別に、会議が終わった後の飲み会に来いとまでは言わないから
ウチの会議のやり方には慣れてくれ・・・。ウチでは合意と意思疎通のためだけのミーツは一切やらないんだよ。会議は常に議論なんだよ・・・。
そして議論の中でどれだけ敵対しても、個人間の対立にはしちゃいけないんだよ。そーいうルールなんだよ。わかってくーれーよー・・・。
「ちゃねらーの思いつき」とかの煽り文言とか「死刑制度がなかったら冤罪でとっ捕まってもいいのかよ?」とかの極論返しとかが無ければ、
森氏は被害者の気持ちが本当にわかるのか?とかなんとか言っているのだが、
http://diamond.jp/articles/-/16819
死刑に値する人物は社会に存在していたら害を為すから処分した方が好ましい、
ということで導入されているに過ぎない。
死刑をやめて青天井の禁固刑を取り入れた方が抑止効果があるのならそうすればいいが、
日本はそのように判断していない。
また、例えば終身刑を導入した場合、罪人の一生分を税金で飼い殺すことになる。
一生社会に貢献する可能性のない人間に税金をかけるというのは、ただの無駄遣いである。
もう一度言うが、死刑制度を導入した方が社会のためになるから導入しているに過ぎない。
また、記事では「検察が作り上げた虚偽の事実」について書かれているが、
この問題の本質論は、
「年金基金運用者をプロと扱っていること自体、実態に乖離している」
ということでは?
「自分は年金運用を志してトラック会社に入りました」なんてケースは、まずゼロだろう。
恐らく根っからのトラック野郎で、クルマ・トラックが好きなのに、
体を壊したか失敗したか何かで、年金担当という「閑職」に追いやられた、
※新聞社志望者が記者志望ばかりで、経理・人事志望者が少ない(というか、いない)と
某新聞社が嘆いていたが、それと同じ。
要は、「能力なし・意欲なし」で、しかも金融知識の勉強期間ほぼゼロの人間が、
「能力豊富・意欲あり・十数年間金融知識の勉強してきた」という歴戦のツワモノの
金融プレーヤーと同じ土俵に乗っかる、ということ自体、無理があるのである。
単に国(企業)の制度の都合上、いきなり多額のカネを渡されているだけだ。
プロは自己責任にして、プロ向けは規制緩和する」という政策だが、
閑職意欲なし年金担当者を「プロ視」して、彼等に関する規制を緩和したことに無理があるのでは?
金融庁は「お前ら軍人なんだから、戦時国際法で軍人扱いするぞ」と言っているが、
徴兵軍人側(=年金担当者)は「自分の意思でこの職業になったんじゃないのに・・・」と
ぼやいている、そんな感じ。
起業に必要なのはそもそも能力じゃない。「カネとシゴトを引っ張る力」ただこれだけだと思う。
いや、俺はITな人じゃなくて単なる自営業者だからそもそも土俵が違うのかもしんないけど。
でも、それって逆に言えば「そこさえクリアすれば敵は少ない」ってことでもあると思うのね。
だから、若手があんまり起業するようになると困るな。俺のパイ減らさないで欲しいよ。
日本じゃ「若くして起業した」ってだけである種のカリスマ性になるわけだし。
みんなが「ノマドが・・・」とか言ってる間に俺は金持ち口説いて出資を得てたわけで。
若い世代はみんな揃ってマト外れなことしてて欲しいな。金持ちの絶対数は限られてるから。
みんなドラッガー読みながらジョブズのご尊顔を拝んでノマドノマド言ってフェイスブックで交流して講演会に感動してればいいと思う。
ところで「ノマド」って言葉の枠の中に自分をハメ込んで属性付けをしてる時点で、原義から言えばそれノマドじゃなくね?
というか、おまえらただのおくれて来た脱構築主義者じゃねーか。40年くらい前に流行った概念の名前変えただけだろ。
あれは単に「公務員が仕事サボってる」ってだけだから。正当な理由もなく仕事サボればペナルティ課されるのは当然の話なわけ。
起立命令自体が正当な職務命令で、さらに思想信条の自由の侵害にも該当しないという事は、過去両手両足の指じゃ数え切れない程度には判決が出てるわけで。
とは言っても容認されるのはせいぜいが訓告処分だから、教師側はぶっちゃけ痛くもかゆくもないんだけどね。
ナイーブに考えて、下品で息苦しいのである。
逆に質問なんだけど、じゃあ「上品な政治家」って実在の人で言えば誰?その人は政治家としてどんな実績をあげた?
橋下が批判に対して幼稚な反応するのは、そもそもその批判自体が幼稚だからだよ。
「バカ」と言われたら「何だとこのバカ!」と言い返すのが橋下のスタンス。もちろん、橋下も言い返す相手は慎重に選んでるけどね。