はてなキーワード: 土俵とは
ポップカルチャー評論家宇野常寛「ARBはいかにもな90年代Jロック(キリ」オレ「ARBは80年代なんだが」宇野「ぐぬぬ」http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/237067
この人達勘違いしてるよ。宇野氏はポストモダニスト。歴史実証主義への深刻な懐疑が
思想形成の根底にある。
何故彼がこんな挑発的な主張をしたかといったら、歴史実証主義が現代ではもう「無力」だからだよね。
ポストモダン・フェミニストの上野千鶴子は、従軍慰安婦・南京大虐殺論争に加わった時、
なんとウヨク修正主義者を実証的に批判する吉見義明らを批判した。
上野曰く「南京大虐殺はなかった」と主張するウヨクも、あったとするサヨクも、実証主義を使って
そんな土俵でウヨク批判に実証主義者は無力すぎる。それを第三者が見たら、
「ウヨクもサヨクも同様に確からしくない」という印象を持つでしょう。
重要なのは、過去を生きた人の身になって想像しようとする気持ちと、物言わぬ「痕跡」の声に
戦後生まれのアジア人が、日本軍に殺害された被害者の声を想像して代理できるように、
宇野氏も70~90年代当時を生きた日本人として「ARB」を受容し、語ることができる。
ARBを聴いて「いかにもな90年代Jロック」「いかにもな「虚構の時代(by大澤真幸)」のロック」と感じた
彼の感想は、1個の体験的事実であって、この印象を他人が抹消することはできない。
物知り顔で「あの時代の空気は~」って説教垂れる老人は、自分の感じた空気感が正しいと
独断している事がタチが悪い。偏った体験とセンスを持つ1人でしかなくなんの根拠もないのに。
個別の事実よりも、全体として過去がどのような感じであったかを再構築する想像力が重要でしょう。
相対主義の世界で、ロックやアニメといった個々のコミュニティを正当化せずに、
色んなコミュニティを見て周り、その上でニュートラルであろうとする誠実な意思が必要でしょう。
閉じたコミュニティからの偏見剥き出しの批判に意味はないでしょう。
正しさは正しくあろうとした人物を、未来の人々が正しく判断するでしょう。
この期に及んで「俺の言ってることが分からん奴は馬鹿だ!愚民だ!破滅しろ!!」
と言ってる人たちも、いい加減に今までやってきた事の内容と結果を省みる時だと思う。
ポピュリストが出てきたなら、自陣営でもポピュリストを作ればいいじゃないか。
組織票固めるだけで勝てるようなご時世じゃないってことは嫌になるほど分かってるだろ。
有権者が政策の中身まで見てくれるような期待をする方が間違いだ。
どうせテレビで投票決めるんだから、テレビ映りのいい奴を連れてこいよ。
相手が自分らを攻撃するからって、同じ土俵でネガキャンやってどうするの。
「そこまで必死になるほど既得権手放したくないのか」って思われて終わりだよ。
特に新潮・文春はゲスいネガキャンしてたけど、ああいうの一般有権者ドン引きだから。
あと、共産系の支援団体が平松の応援してたみたいだけど、完全に逆効果だ。
それが出来ないってのは、どちらかに、人付き合いについての何かが欠けている。
別に、これは良い悪いの話じゃない。
「出来ない」とか「欠けている」とか、明らかに良い悪いの土俵の話になってる件。
まずはじめに断っておくが、自分はアスペなので嫌いな人はこのエントリを読まないでほしい。
私はアスペルガーという理由で医師から精神障害者の認定を受けている。
障害者であるかどうかという事自体は自分で決められる事ではないし、避けて通れない問題として割り切って生きていくつもりだ。
ただ思う事がある。ナチスドイツが障害者を排除しようとした様に、現代でも少なからず障害者を忌み嫌う人がいる。
それはそれで結構だし、個人個人がどう思うかという感情にまで一障害者である私が干渉しようとは思わない。
その人たちが私に対して死んでほしいだとか考えているのと同じように、私もその人たちの事を嫌いだと思っているし考えたくもない。
しかし、社会の一員として外に一歩踏み出してみると様々な人達と関わりをもたなければならない。それが嫌でしょうがない。
障害者という身分上、どう転がっても健常者と同じ土俵で生活できないからだ。
人間関係で大きなハンデを背負っているに等しい私が一体どの様にして一般的な人たちと同じように暮らせるのだろうか。
私の場合現実から逃避してきた。好きな事だけをし、障害者年金で飯を食い、適当に勉学をして、あとはやりたい放題で、本来の福祉の意味として社会復帰のために与えられた金を使ってのうのうと暮らし、社会活動に参加しようとは微塵も思わなかった。今後もこの考えは変わらないだろう。
私は敵意を感じる。もし今後時代が逆行してまた障害者を排除する流れになったら、私は必死になって最後まで抵抗するだろう。
往生際が悪いと思われるかもしれないが、私は私の都合で簡単に殺される訳にはいかない。
もちろん、上述した例は極論だが、様々な場面において私は誰にも邪魔される筋合いはないのだからそこだけは分かってほしい。
終わり。
フェミクラスターの人に「女の方が恋愛においては有利ですよ。出会い系サイトでは女を名乗ると返信がたくさん来るので選び放題(などなど)」と言ったら、
こういわれた。
「女性向け雑誌に男を振り向かせるための恋愛特集が組まれている。女の方が有利なんてありえない」
「そういうことを呟くあんた自体ホモソーシャルの圧力を受けているのではないか」
挙句の果てに「同じ土俵で勝負するのが不利な人ほど(オタク、キモメン、ブサメン)ホモソーシャルの脅迫を受けている」と言われた
個人的な意見だが、女はイケメンや経済力のある人、包容力のある人、精神的に強い人を好きになり、そういった人はホモソーシャルの中での地位は高い
だが、キモメン・ブサメン・経済力がない人、精神的に弱い人は女から好きになってもらえず、ホモソーシャルの中での地位は比較的低い
女はホモソーシャルの中から上位の集団を選び、恋愛したければ上位集団に属するように努力しなさいと暗に言っている
女が上位集団だけを選ぶようなことがなくなれば、下位に属する人たちは上位に属するように努力する必要もないし、下位に属することで苦しむこともない
フェミクラスター人間はそういってるが、お前たち女はホモソーシャル社会から恩恵を受けている
なのでフェミ達は口ではそう言ってるが、実はその気は全くない
そんなに解体したかったら、優れた男の子供を持ちたいという本能自体捨てて、ホモソーシャル社会自体がいらなくなるようにすればいいだろ
追記
美男と女の場合、美男に女が大勢寄ってくるので、美男が力関係上は有利
でも、ブサメンと女の場合、女にブサメンが大勢寄ってくるので、女の方が有利
なので、フェミクラスターの言っていることはあながち間違いではないが、妥協をすれば、いかに自分が有利に立場に立っているか気づくと思う