はてなキーワード: 品質とは
演技やロボットのアクション描写とは当時の水準でも相当高かったよね
もちろん全部がしっかり組まれている必要はないし、ご都合主義がダメとも思わない
けど、全体的に低品質というか薄味感が否めない
というより、あえていうとキャラの個性を立たせるためのストーリーであり、BGMによる演出を優先していたって感じがする
ギアスの暴走とかゼロレクイエムとか、みんなこれ面白いと思っていたんだろうか?
終盤で軍艦をつかってチェスをしているって描写はマジでナンセンスすぎるよなーって思っていたし
当時リアタイしていたけど、夢中になってストーリーを追いたいって感情は全然わかなかった
大昔(30年以上前)、タバコを避けて外食しようとすると、本質的に高級なお店か、オーガニックレストランみたいな選択肢しかなかった。
当時のオーガニックレストランの玄米菜食メニューは、いま振り返ると玄米が堅すぎで渋くてなにか間違っていたのではと思うが、
味噌や醤油は当時スーパーの棚にならんでいるものとは段違いで、ちゃんとした味噌や醤油の味や香りのすばらしさに目覚める切っ掛けになった。
もう一方の、「本質的に高級なお店」っていうのはどういうお店かというと、冷凍の半製品や耐熱ポリ袋・耐熱ラップやシリコン紙みたいなのを調理に使わない、昭和以前の伝統的な教科書通りのやり方で、木や竹やサメ皮の調理器具を使って出汁をとって下ごしらえして料理する(鍋は流石にアルミや銅、真鍮だと思うけど)、そんなお店。1000円位でものすごくしっかりしたランチを出していた宝物のようなお店があった。そこでランチを食べるとめちゃくちゃテンション上がる。(なんでそんな値段でやってられたのかよくわからない。半分趣味だったのかも。)
そんなお店でご飯を食べていたことがすごく人生の充実感の支えになっている。ちなみに、今はそんな宝物のようなお店は近所になく、同じようなものを食べたいと思えば桁が一つ上がるお店に行かなくてはいけないが、支払いの桁が上がっても大した品質のものになかなか出会えず、寂しい限りだ。
去年から稼働している現場で、以前からあったReact Nativeの面倒を見ているんだがまあこれがひどい出来なんだ。
jQuery時代に見かけたようなコードをやたら見かけたので思わず懐かしくなってしまった。
リファクタリングしようとしたけど直す範囲が広すぎてアプリを壊しかねなかったので、早々に諦めてだましだまし保守をしていた。
そんな中今年に入ってアプリのリニューアルの話が出てきた。React Native捨ててSwift/KotlinやらFlutterに書き換えるとかそういうのではなく、デザインの刷新といくつかの機能改修。
このままだとアプリが更に魔窟化するので、マネージャーに色々相談したところいくつかの事実がわかった。
ということだった。
結局現状のまま進めるわけにはいかず、要件定義の傍らリファクタリング作業をしている。
そういう経緯もあったので、リファクタリングとテストの工数も積んだ上で見積もりだしてもらってる。
「レガシーアーキテクチャをモダンアーキテクチャに刷新」なんてよく聞く話しだけど、
実態は「長年の増改築とだましだましのリフォームが限界になってきたので新築で建て替えます」何だと思う。
最近は「Vue.jsからRemixにマイグレーション」なんて見かけるけど、悪いのはVue.jsじゃなくて禄に設計しないでコード書いてるエンジニアと、
リファクタリングには予算でないけどマイグレーションなら予算取れるという悪しき風習。
年がら年中フロントエンド刷新しているような会社は地雷なので行かないほうがいい。
クリエイティブの3千円のスピーカーを1週間使用したらエージングで劇的に音質良くなったとか言ってるけど
エージングってそんな劇的に変わるか?
商品の品質が時間経過で変わるってんなら品質の見極めがえらい大変になりそうじゃない?
レビュー記事なんかも基本新品でやってるだろうからオーディオ製品全般のレビューがアテにならんよな?
店頭で試聴したりする意味もないわな。エージング具合がわからんし。
まあギズモードはどちらにせよあんま信用してないけどエージングでそんな変化があるのかは別の話として気になるわ
なんか検索したらガチ測定してるページ出てきたけど誤差としか言えないレベルのようだ。
単に耳が慣れるだけとかなんでは?
上記の問いをChatGPTで問いかけると次のように答えが出た。
↓
IMAXシアターでIMAX用に撮影されていない映画を上映する理由はいくつかあります。
映画館の体験の向上: IMAXシアターは、通常のシアターよりも大画面や高品質な音響システムを備えています。そのため、普通の映画でも、IMAXで上映されることでより没入感のある体験を提供することができます。
ビジュアルの向上: IMAXシアターの大画面は、通常の映画よりも視覚的な効果を強調します。したがって、IMAXシアターで通常の映画を上映することで、観客はより広い視野で映画を楽しむことができます。
音響の向上: IMAXシアターは、優れた音響システムを備えています。これにより、通常の映画でもより迫力のある音響体験を提供することが可能です。
映画の特別なイベント: 特定の映画がIMAXで撮影されていなくても、それをIMAXシアターで上映することで、特別なイベントやプレミアムな体験として位置付けることができます。これにより、観客に新しい視覚的および音響的な体験を提供することができます。
IMAXシアターでIMAX用に撮影されていない映画を上映することは、映画鑑賞の新たな魅力を提供し、観客により豊かな体験を提供することができる方法です。
だって!!
特別な条件で鑑賞が出来る作品をこんな理由で除外されるなんてひどすぎる。
そうは思いませんか??
たぶん何も考えてないでそれ
ワイもスーパーの青果でバイトで特売の日に品質の割に相当安いツマイモを品出ししてて見事な芋にテンション上がって横にいたお客さんに「これ138円っすよ?安くないっすか?一本どうです?w」ってクソ雑に話しかけてもうてやっちまったと思いつつ
あっさり断られて「そっすか、残念スwまたの機会にお願いします~w」って返して苦笑いされたわ
その女店員もそんな感じで「集めてんのかなこの人?」って思って衝動的に聞いただけだと思う、コンビニのバイトって割と退屈だし
まあその
他人はカネがかかる場面以外ではお前が思ってるほど考えて行動してないぞw
追記じゃなくて、投稿を分けて仕舞えばいいかなと思ったので、こちらで解説します。
letitbomb78 増田のレビューは削除されており、それらしいレビューがあるかを目印にできないとなると、ヒントとして成立するのは「デマ本である」「欧米Amazonでは発禁」のみだと思うが、この2つで辿りつける人がいるのか?
Amazon removes 92 books promoting Holocaust denial - The Jewish Chronicle
アマゾンは、ホロコースト記念日を前にユダヤ人団体から賞賛を浴び、ショア(ホロコースト)否定を助長する92冊の書籍を削除した。
アマゾンは近年、この問題に対する世論の圧力の高まりに直面していた。アマゾンは現在、17カ国にまたがる数多くの書籍と850以上のハイパーリンクを削除している。
いわゆる「ホロコースト否定(Holocaust Denial)」です。
上のブコメの人が、ヒントを出してあっても気付かないほど、日本ではほとんど話題に上らない分野です。
ホロコースト否定が日本で話題になったのは、おそらく今まででたったの2回程度です。
一度目は、西岡昌紀という神経内科医が、1995年1月に、文芸春秋社の若者向け月刊誌だった『マルコポーロ』にホロコースト否定の記事を書いてちょっとした騒ぎになったことがありました。
その記事のせいで、売れ行きのよかったその月刊誌は速攻で廃刊になってしまいました。
二度目は、2015年10月に、高須クリニックの高須院長が「南京もアウシュヴィッツも捏造だと思う」とツイートして炎上して話題になったのを記憶している方もいるかと思います。
高須院長が〈アウシュビッツは捏造〉ツイートに抗議受け酷い反論! ご意見番扱いするメディアはなぜこの問題を報じないのか|LITERA/リテラ
しかし、欧米では1970年代頃からだと思いますが、何度も問題になっていました。細かい話を入れると1950年代からと言ってもいいかもしれません。
欧米ではベストセラーの歴史家として人気のあった、『ヒトラーの戦争』などを著したデヴィッド・アーヴィングが、自身を「ホロコースト否定者」だと、歴史学者のデボラ・リップシュタットにレッテルを貼られて名誉毀損で訴えた事件は、『否定と肯定』なる変な邦題がつけられた映画でも有名です。
欧州では20カ国弱で、ホロコースト否定の主張を公に行うことは法律で規制されています。
米国では憲法修正第1条で言論の自由が厳格に認められているため、規制はされていませんが、米国のAmazonやFacebook、Twitter(現X)、Google(YouTube)等の大手ネット企業は世界的企業のためか、ホロコースト否定を原則的に違反行為として規制しているのです。
フェイスブック、ホロコースト否定の投稿を禁止 - BBCニュース
さて、ここからはいきなり私的な話になりますが、どうして私がホロコースト否定に対して異常に反感を持ち始めたかというと、2019年頃だったかと思いますが、たまたまNetflixやAmazonプライムなどで配信されていたホロコースト関連の映画に少しだけハマったからです。
そこからどういう経緯を経たかは覚えていませんが、日本でもホロコースト否定の主張をネットで行う人がそこそこいることが見えてきたのです。
おそらく一番反感を覚えたのは、YouTubeにある『ホロコースト論争』なる動画チャンネルの動画です。多分、「ホロコースト」関連の動画を見ているうちにおすすめに出てきたからだと思います。
私自身は、その詳細な内容は分からなくとも、いわゆる歴史修正主義者(ホロコースト否定派)たちがネット上で嘘(=誤り)ばっかり言っているのを朧げには知っていたので、「なぜそんなにデマを広めるのか?」と憤ったのです。
しかし、その時にもっと驚いた(というか呆れた)のは、その動画のコメント欄ではその大半が主張の賛同者で占められていたことでした。
それで、Yahoo!知恵袋に「どうしてホロコーストを否定しようと思うのか?」みたいな質問をしたりしていたら、何人ものホロコースト否定論者が当時知恵袋に巣食っていたことも知りました。
それら否定論者は、どこで知ったのか、とんでもなく細かい論点を事細かに幾つも示して、「証拠も全くない上に、これだけたくさんの疑問があるのだからホロコーストなど嘘である」と主張していました。
直感的に、それらの細かい論点は全部出鱈目なのだろうとは思ったものの、あまりに細かい話ばかりで、当時無知だった私には具体的な反論はほとんど不可能でした。それは、『ホロコースト論争』の動画に対しても同様でした。全然知らない話ばかりなので、どうしようもありません。
しかし、日本語で細かくホロコースト否定へ反論したサイトもほとんど存在せず、ホロコーストの歴史自体をざっくり学ぶのは容易ではあるものの、否定議論のような細部の話には打つ手がなかなか見つかりません。
ただし、日本のネットでのそれらホロコースト否定派が使っている情報自体は、日本語のものがありました。「歴史修正主義研究会」だとか、「ソフィア先生の逆転裁判」(※現在はwebアーカイブ以外には存在しない)だとかいうサイトです。
どうすれば反論できるのかと考えあぐねていたら、知恵袋である人から、外国語のサイトに有名な反修正主義者のサイトがあると教えてもらったのです。
私は英語すら全然ダメで、Google翻訳ではちょっと意味がわかりにくかったところ、2020年の半ばごろにDeepLという翻訳エンジンが日本語化対応したとはてなでも話題になったのです。早速使ってみたところ、とんでもなくわかりやすい日本語を生成することがわかったので、「これなら理解できる!」となったのでした。ただし、当時のDeepLの翻訳品質は、2024年現在よりかなり低品質です。
また、その方は、過去に日本でもホロコースト否定への具体的な反論をしていたサイトが Webアーカイブに残っているとも教えていただきました。
どうにかこうにか、そのようにしてホロコースト否定へ反論するための武器を整えていった結果、約4年経過後の現在、note上には300記事以上もの反ホロコースト否定関係の記事があります。
noteは英文記事の翻訳が中心で、多すぎて何から読めばいいか分からないという諸兄には、現在休止中ですが、自分で起こした記事を中心としたはてなブログもあります。
ちなみに、noteで最もアクセス数の多い記事は、なぜか以下の記事です。なぜこの記事がダントツでずっとアクセスが多いままなのか、理由がさっぱりわかりません。
ナチスの縮んだ頭、人皮のランプシェード、人体から作った石鹸、人毛の織物? 伝説から真実を見極める(1)|蜻蛉
まぁ、最近ではホロコースト否定派に正面から反論しても大して意味はないか、と諦めています。単純にホロコースト否定派は頑迷なまでにホロコースト否定を信じており、新興宗教から脱会させるのが至難の業であるのと同じように、本当に無意味です。
ですが、Amazonレビューでは本当にそこそこ「参考になった」票を貰えていたので、その程度には役に立てたかなと自分なりには満足だったのです。100個以上付いてたものもありましたしね。
たまーに、それらホロコースト否定主張に反論していた私のAmazonレビューをTwitter上で評価してくれる人さえいました。
永久にレビューできなくなったのでその楽しみもなくなってしまいました。
あとは単に細々とこの趣味をnoteやブログで続けるだけですね。もしよろしかったら、noteでサポート(投げ銭)ください 笑
追記:
hazlitt 翻訳と称して他人の記事を転載してる note の記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係が不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません
とありますが、もちろん著作権上の問題は認識しております。著作物を勝手に翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます。
が、翻訳公開しているものは無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報に限定しており、Google翻訳等の自動で翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています。
もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスもダメなのではないのでしょうか?
日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所で海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースだからいいのでは?と返されています。
別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報の提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります。
元リンクは示しているのですから、引用したいのであればそちらを利用して自分で翻訳するのが当然だと思いますが。
要は。
日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。
それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。
本なんてその程度の扱いでいいものだし、本に限らずあらゆる産業の商品・サービスはそのように扱われて然るべき。
それが商業というもので、そうした方がビジネスのパイが広がり、商材も洗練されていくから。
抜きん出たものをさらに目立たせることで、より多くの人に認知され、共有され、その分野の裾野が広がる。言い換えればバズらせることができる。
それくらいのことをしないと、世の中にはあらゆる商業分野や消費的娯楽があふれているわけだから、認知してさえもらえない。
例えば今ゲーム業界では、市場規模を成すセールスの8割はサービス運営型のものから来るようになった。
それはなぜかというと、運営型ゲームの多くは基本無料の形態をとっており、「手に取る」ハードルが限りなく低くなったからだ。
それくらい、みんなが知っている、みんながやっている状況を作ることは大事だ。
ハードルが下がることで、消費者にとっても、常に手軽に「相見積もり」ができるような状況になっており、都合がよい。
だから無料で触れてもらって、良し悪しはその後で判断してもらうという態度こそ、消費者のセンスや知性を信用する誠実な売り方だ。
音楽や映像などの分野もサブスクの隆盛によって、「見てもらう」のにかかる費用がにわかに低廉化している。
そうした音楽・映像コンテンツを導入口にして、イベント等のファン商売へと誘導することで利益をあげている。
翻って、書籍分野の売り方を見てみると、電書という選択肢が増えたくらいで、ビジネスモデルは変化していない。
売れている本をより売るために目立たせるくらいでは、正直言って生ぬるすぎる。
手に取るハードルを低くできない以上、「絶対に外さない」ように一極集中させるのは理にかなっているだろう。
本当に書籍文化の未来を願うなら、考えることは真逆であるべきだ。
「隠れた良書」とされがちな性質を帯びた作品というのは、もともとその分野にどっぷり浸かっている人が、商業的なアシストがなくとも自分で探し出していける。
逆にそういう発掘の楽しみが残っていた方が、商業に食い荒らされない方が、良いとさえ言えるだろう。
ゲーム業界で言い換えるなら、SteamのインディーやPC・PS5などの買い切りの大作タイトルにはもっと優れた作品がある、それは事実だが、それを声高に叫んだとしても、そういう古い「あり方」が主流に返り咲くことはないのだ。
むしろ現実には、基本無料ゲーム開発のために資金と人材が集まり、ビジネス面では主戦場と化しているのがここ十数年の流れだ。
コアで偏狭なゲームファンはそれを直視できずにいて、運営型ゲームのガチャシステムなどを古い認識のまま嫌い続ける。
もちろん中身を重視するなんたらアワードのような世界では、AAAタイトルがマニアに評価され続けるだろう。
だがAAAタイトルを触れるのはゲーム消費者全体を俯瞰してみると、本当にマニアだけになっている。それは悪いことではない。
ゲームという「あり方」が柔軟に広がって裾野を広げた結果、おじいちゃんでもポケGOを楽しんでいたりする世界を一概にダメとは言えないだろう。
それと同じように考えれば、商業主義を嫌い、「隠れた良書」のようなものをアピールすることがいかにズレているか分かるだろう。
伸びているものをさらに伸ばして多くの人を巻き込み、素晴らしい方向へ成長させる圧力を生産者側へかけていくことが、誰も想像できないような膨らみ方をした未来の文化を作るわけだ。
モバイルゲームでは、開発費が高騰して、競争が激しいのに失敗リスクが大きくなっていることから、技術力や繊細な運営センスがない会社は早々に撤退を余儀なくされ、淘汰が激しくなっている。
この中を生き残って成功していく会社は、従来のゲーマーが評価するAAAタイトルを部分的に超えた品質のものを作れる能力を持ちつつある。こうやって想像を超えた進歩をしていく世界、面白いだろう。
本で例えるなら、なろう系ラノベをくだらないと言って一掃しようとするのではなく、なろう系をさらに洗練・発展させて世代を超えたジャンルへと育てていこう、あるいはそういうものが見たい、という考え方をすべきだ。