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はてなキーワード: 中二病とは

2018-01-12

anond:20180112123056

コピペは甘え

第10回あなたが選ぶオタク川柳大賞|インターリンク

1位 「壁ドンを やってくれるの ルンバだけ」(617票/ぴんくのかば/40代)

2位 「二児の父 夜に見るのは 二次の乳」(615票/がわねり/20代)

3位 「ありのまま? 姿見せるの? 出来るかよ!」(469票/少しも痛くないわ/40代)

4位 「減塩医者が言おうが ぱるる推し」(375票/のるばすく/40代)

5位 「二次元の 嫁に貢いで 妻放置」(327票/ガラス(弱)/20代)

6位 「落ちつけよ なぜ好きなのか 聞いただけ」(278票/カバチ/30代)

7位 「推しメンが 次々卒業留年」(264票/ガッシー/30代)

8位 「泣くのなら 泣かせておこう 父と母」(262票/すぷれくす/30代)

9位 「博識と オタクの違い 顔だけです」(249票/オタク側の人/30代)

10位 「人生ハードモードプレイ中」(235票/キモヲタ28号/20代)

11位 「バレンタイン(笑)花火大会(笑)クリスマス(笑)」(228票/ノーツ/20代)

12位 「嫁を乗せ 人は轢かぬが 人が引く」(228票/貼りきっていこう/40代)

13位 「妹の 結婚式に 呼ばれない」(197票/ピーター/30代)

14位 「ンゴゴンゴ ンゴゴンゴゴゴ ゴゴゴゴゴ」(159票/のんちゃん/30代)

15位 「部屋の中 積ん読 積みゲー 積みフィギュア」(157票/入り江わに/50代)

16位 「中二病 治ス藥ガ 見附カラズ」(107票/大天使レナエル/20代)

17位 「『綺麗な子…』 その一言百合が咲く」(105票/だいいちげんり/20代)

18位 「提督と P と狩人 掛け持ちす」(95票/兼業能家/30代)

19位 「甲子園 BL、PL 萌えた夏」(84票/チャーミー/20代)

20位 浅すぎる 職場のいじり オタハラ化 (81票(敗者復活枠)/ミクとかが嫁だろ?/40代)

anond:20180112001841

「女には~~な傾向があるから

ってのも十分炎上しがちな地雷ワードだと思うけど。

実際こう言われてイラッと来る女ってのは世の中多いと思う。

「女は男に愛されたいでしょ」「女は結婚したいでしょ」「女は子供産みたいでしょ」「女はピンクが好きでしょ」とか散々炎上してるよね。

しろ腐女子に「(腐女子じゃない)女には~~な傾向があるから(私は違うけど)」と平気で言う人が多いのに違和感がある。

「(腐女子じゃない)女」に対して、昭和ミソジニーオヤジかよと言わんばかりなステレオタイプ押し付け腐女子、よくいるよね。

「女は恋愛の事しか考えてなくて少女漫画を本気にしていて男と結婚すれば幸せになれると思ってるバカな生き物、でも私は違うの」的な。

非オタや、オタクでも乙女系の人を物凄く見下していたり。

そういうのが若い腐女子に多いのは、一種中二病(「バカ他人とは違う賢い私」と思いたい)だからというのもあるんだろうけど

とっくに中二年齢を過ぎていてもそういう認識の人も見る。

2018-01-07

中二病でも恋がしたい!って何でこんなに評価されてるの?

1期放送当時、OPで目が痛くなって切って以来ずっとそう考えていた。そもそも中二病邪気眼ゴッチャゴチャにするようなアニメ面白いはずがない。だってそうだろう。表題にしてることに対してすら無理解作品面白いはずがないじゃん。つうか見ていて痛えんだよ。高校生にもなって痛い言動連発して周りに変な空気作ってるようなオタクを見てると、あの頃の自分達が邪気眼でこそないなりにオタクであることにイキって変な言動してたの思い出すから見てらねえぞと。それ以前にこれって田中ロミオAURAのパクりじゃねーかよくこんなの堂々と世に出せたな!と。そこでもう既に信用できねえ!と。

それから5年して、ニコニコで一挙放送を見る機会があって、自分の頭も冷めてきたので見ることにした。それなりに人気のある作品だし第一印象だけでコケにして見ないままにしておくのも勿体無い気がしたから。流石に映画化されるならそれなりに面白いのかも知れないんだろうなと。だって田中ロミオAURA映画化したし。あれは面白かった。映画館にいた連中が後ろ姿だけで濃ゆいオタクだと分かる所なんて特に。あの映画は本当に面白いよ。映像で見るとヒロイン気合い入りっぷりの痛さと必死さが強烈に伝わってくる。


中二恋の感想を簡潔に言うと『普通の良作』でしかなかった。良作ではあった。加速する自意識形成現実自分を追いつかせたくて特別になろうと必死にあがく中高生の姿を通して青春を描くというコンセプトをしっかりとなぞれていた。ひたすら邪気眼の痛い言動とそれの映像化だけで乗り切るのかと思ったら、以外にもシナリオはそれなりの物だった。普通学生という幻想を求める主人公も、モテいか軽音楽部に入る男友達も、リアルタイム邪気眼を続けるヒロインも、高校デビューで頂点を目指すヒロインも、誰もが自分自意識を受け止めてくれる場所を求めてそれぞれに必死に生きている。いつもいつでも本気で生きている。そこに特別理由が加わってしまっていることにノイズのようなものを感じはするし、そんな特別を用意して結局オチがあの程度なのはどうなのかと思うが、そういう結局何も起こらないような所を含めて高校生青春を描いていると見ることも出来る。本人たちは必死なのだが傍から見るとアホらしい日々の滑稽さと、結局世の中そんなもんだけど自分ことなんだから必死になるしかないという気持ちが渦巻く世界を可愛く楽しく描写されている普通の良作だ。

で、話がタイトルに戻るけど。普通の良作すぎて映画化されるほどの作品には感じないんだが、これ二期からスゲー面白くなったりするのか?まあ今から見るんだけど。

追記:

二期見たぞ。普通の良作からちょっといい凡作まで下がったぞ。

邪気眼という設定がただの三角関係に飲み込まれしまってただ展開の遅いだけの恋愛物になった。そもそも自分はこのアニメに多くを求めすぎていたんだろう。これだけ人気があるならただ可愛い子とイチャイチャするだけの疑似ハーレムなはずがないと思っていた。違った。オタクの中にはそういったただの疑似ハーレムで終わっている作品を求めている層がいることを完全に忘れてた。そういう層向けに全力投球して見事に萌えしか興味がないオタク一本釣りしたのがこの作品だったんだ。いやー勉強になった。自分には合わなかったけど、ああいうのが大好きと臆面もなく言えそうなオタクの顔は結構思い浮かぶわ。ちょっと評判がよくて、自分にもフックしそうな部分を感じても、直感的に駄目そうだと思ったら辞めておいた方が無難って事かな。今後のアニメ視聴プランに活かそう

2018-01-06

anond:20180106143617

オッサンじゃなくて中二病患者では

その年頃にとって、教師は「ウザい大人」の代表格だから

頭脳だけ中二病のままの逆コナンかもしれないが

生理的に無理」自体よりそのカマトトっぷりの方がどうかと思う

背が高いイケメンが好きなのは当然だし責めない。

相手容姿気持ち悪くて仲を深めたくないという感覚も当然だし責めない。

しろ

今まで背の低い人や、太った人、顔がごく普通レベルの方々ともおつきあいしてきたので、見た目で人を選別してる自覚がなかったけれど、友達に「もっと背が高くてイケメンで、その人の性格だったらつきあいたい?」って聞かれて妄想してみたら、付き合いたいと思った自分愕然でした。

ということは、結局友達の指摘通り、ビジュアルが異性として見れない、生理的にムリってことなのかと思った次第です。

こうやってしらじらしーくカマトトするのが信じられない。いい大人が。

見た目で好きになったり無理だったりするなんて当然のことじゃん。

男なら相当の中二病でもそこを否定していい人ぶるような恥知らずはさすがにいない。

なのに女だと成人してても平然とこういうすっとぼけをする奴がいる。

本当に恥ずかしいのは「生理的に無理」な相手がいることではなく、しらじらしい自己演出の方だろ。

中二病の「自分設定」を真顔で語っていいのは15歳までだよ。


イケメンが好きでブサメンキモいなんて当たり前の事じゃん。

だって美人が好きだし普通以下の女は性欲抜きでまじまじと見るとキモいなって思っちゃうことしょっちゅうよ。

そういう誰にでもある動物感覚とぼけて「純真な私」を演出しようとする中二病患者って俺の体験では女にしかいない。

あとは反転したタイプでやたら得意げに「生理的に無理!」って連呼するイキり女いるけどあれも超馬鹿だよな。便意をいちいち周囲に報告する池沼レベル行為をやりながら何か挑戦的なアクトをしてますって顔やイケてる女ですって顔をする。マジで池沼



そういう女にリアルでもしょっちゅう遭遇するんだよ。

そのたび「ウオオオオ!」って叫びたくなるぐらいこっちが恥ずかしくなるんだよ。

女ってなんでこうなの?


https://anond.hatelabo.jp/20180105132421

2018-01-05

https://anond.hatelabo.jp/20180104132743

古文漢文が何の役に立つかってそりゃ高校になってまで中二病患ってるバカ共に山月記読ませるためだろ

anond:20180105180012

名誉中二病監督作品から

恋愛要素の有る作品は全てエロゲー扱いするような拗らせ童貞には向いてる映画だと思うがなあ

anond:20180105132924

「ククク、汝の真の姿を知るのは我だけ…」

みたいな感じで中二病ごっこすると楽しい

2018-01-04

中二病映画サブタイ、テイク・オン・ミーだけど、ててててってってってっててててて ててててってってってっててててての邦画うかんでくる

2018-01-02

anond:20140626233041

なんでキムタクが株を上げるんだ?あんないい年したおっさんで中身がガチンコ中二病みたいなやつと同じ苗字だったら恥ずかしいわ。

2017-12-29

エディタ背景色は白がいい

結局黒背景にしていたのはただの中二病だったんだ。

2017-12-26

anond:20171226095350

おもしろ」を追求する上でプラス要因だから広まったんだろ。

ポリコレ重視している作品がヒットしたという実績が積み重ねられて

しろポリコレ重視しないとヒットしない、となってる訳で。

ヒットするって事は、より多くの人が面白いと感じたということ。

メジャーヒットするものなんて全部クソ、俺は他人と違った感性を持ってるから、と言う中二病患者にとってはつまらいかもしれないが。

まあ中二病患者だと「世のタブーに挑む」と言う名目でただ他人が嫌がる事やってるだけのものでも

反抗心故に面白く感じたりするものだけど、それで大ヒットは無理だわな。

2017-12-25

anond:20171225110809

いやいや、宗教がなくとも実生活において円滑なコミュニケーション障害になるなら周りに合わすくらいしますよ

そこで反発するのは単なる中二病患者ですよ

初詣したくらいで神教を持つ民族だと思われたら困ります

それにライフスタイルっていうのは強制されてやるものじゃないでしょう

あなたは歯磨きや風呂強制的にしているわけ?

2017-12-20

anond:20171219203735

オタクに近寄ってくるのは浅い考えで金儲けしたい馬鹿大人にちがいない」みたいな中二病わずらってんの?

anond:20171219200337

刹那自体中二病ご用達単語なんだから誰でも読めるだろ

刹那い」なんて言葉は見た事がないが普通に刹那は読めるぞ

2017-12-17

はあちゅう氏の件について

https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.uyKYgqKXA#.jsmOYWnBd

まつりさんもはあちゅうさんも、告発がここまで話題になったのは彼女らに容姿端麗だとか学歴だとかネームバリューだとかがあってのものだ。

まつりさん事件の時にもブコメなどで言われてたけど、これが男性だったら話題にもならない。

今回のハラスメント事実でなくても、こういうパワハラまがいなもの特に体育会系周りでは当たり前のようにある。

某電力会社賠償回避するために「個体脆弱性」という言葉を使っていたが、

彼らにとっては男性被害者はまさに脆弱個体から仕方がないと自責の念に駆られることはなく、

同じような間柄の友人たちと酒の肴の一部として消費される。

男女間だけでなく、男男間、女女間の不合理で非条理な負荷を強いる行為殲滅すべきだ。

もちろん、体育会系的な、人間欲望に集中したカタギじゃないやり方をしないと関係を築けない間柄は未だに存在するし、

企業間だけじゃなくて国家間でそれが必要とされていることはあるだろう。

が、それをましてや仲間内で強いるのはマクロでみれば社会の損失になるだろうし、生きづらい日本の生きづらさを助長する罪にならない悪事である

こうした被害が発生するのは蔓延った空気、ナメられてはいけないという虚栄心によるものだ。

綺麗な女を抱いたやつがすごい、金があるやつがすごい、影響力がある方がすごい、楽して儲けたやつがすごい、

人を傷つけても動じないメンタルの強さ(?)がすごい、逆らったら怖い俺がすごい。

まるで中学生の延長のようなメンタリティに思うだろうが、これが社会の中でまだまだ中核を席巻しているのは事実である

対策としては、こうした原始的欲求に対し名前をつけ、それがカッコワルイという社会的風潮を作ることだろう。

ヤンキーだって中二病の1種であることを広めることでその文化は廃れていった。

それはまさに、皮肉だが広告代理店であれば実現可能なことだ。

たくさんの大人に肩パットを入れさせたり、車を所有することが一人前だと思わせたり、過剰なルッキズム形成したりと、

文章にすれば狂気に思えることを成し遂げられるのが彼らの仕事だ。

お金を払ってライターに書かせたインスタント文章謝罪を表明する、表層的な謝罪ではなく、是非とも行動で示してほしい。

自分には「仕事しかできないから「仕事」で社会還元していくなんていう精神的負荷が低く、実質なんの埋め合わせもしていない活動ではなく、

上位層で恥ずかしいとされている政治的感情的表明によって、自分が行った悪事の再発防止のみに絞った活動をすべきなのだ

糾弾された人々の今後の動向を見守って生きたいものである

2017-12-13

anond:20171213000612

オレは同じような時に「何かすげぇ自分酔ってるな」と思った

酒じゃなく、気分よ、気分

中二病みたいな感じを感じたのね

から判るけど、お前は中二病である自分に鈍感なんだよ

2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-12-10

anond:20171206010544

俺も、妄想しかしないが

NEDO監査は節穴すぎる。

 

監査はいわない、大抵の新規事業やら予算だのなんだのを仕切るおっさんたちは、IT音痴だと思う。

業者からの言い値で通そうとしてしまう。

疑わない。

確認しない。

比較しない。

自分がみたてた事業は高額でなければならないとか思ってるのかもしれない。

本当は数十万でできるようなことでも、数億の事業といえばかっこいい、とか思っているのかも。

って、中二病か?!

2017-12-08

anond:20171208122035

それを中二病だと思ってるのがヤバイ。真性高二病って感じ。

anond:20171208120356

中二病が抜けきれない子供が「アル中みたいなボク(実際は全然飲めないけど)」ぶりたいだけ、ってのが共有されてるならともかく

本気にしていて規制すべきとか言ってるのもいるようだが

これが規制されるくらいなら大五郎4Lが規制されるだろ

2017-12-03

ディストピアって言葉流行ってるみたいだけど。

宇野某の「母性ディストピア」の影響?アニメ批評っしょ。

使い方がみんな中二病的だよな。

2017-12-01

anond:20171201181616

自意識過剰で今の自分の扱いに納得できないだけという可能性もある

差別でなければただの中二病ですね

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