はてなキーワード: プラスアルファとは
会社での評価を得るための起爆剤が無いので、社会人一年目にしてなかなかの危機を迎えている。仕事が頑張れない。
だからどうしたって話かもしれないけど、私としてはかなり深刻な問題で、以下自分語りでしかないんだけど、昔からあまり褒められる方ではなかった。し、それで周囲の評判を全然気にしない子供だったので、そのまま成長してしまった私は今更周りの評価を得たいとは思えないままここまで来てしまった感がある。
仕事自体は好きだし、したい仕事に従事できてるのは嬉しい。けど、日々の業務プラスアルファの部分で周りとの差ができていることが辛い。しかもそれが評価を得られないことに対してではなく、上司や先輩に対してこんな私であることに申し訳なさを感じて辛い。
なんのために仕事をするかについては散々就活期に考えたけど、なんのために評価を貰うかなんて考えてなかった。お金が欲しいわけじゃないし、誰かに承認してほしいわけでもない。こんな私が働いているのが間違っているような気がして、心苦しい。
結局、どの会社でも実績を評価されるのだから、私は社会的な生活を辞めたほうがいいんじゃないか。徒然と文章を書きながら思うんだけど、仕事を辞めたい理由がそれって周りに納得してもらえるかな。数ヶ月間ほぼ毎日泣き通しなので、そろそろ打開しないと心が死んでしまう。
○朝食:なし
○昼食:チャーハン
○間食:カマンベールチーズ
○調子
はややー。
仕事を頑張ってた。
テストをする工程なんだけど、どうしても異常系はミスしがちだね、今日だけで二つもミスってた。
ミスはミスだから、真摯に受け止めて反省して直せばいいんだけど、
どうしても「いやそもそも、異常のときにこんな複雑な処理をさせる前提に問題があるし、その前提を共通化できていない共通基盤チームにも問題がありますけどね!」と腐してしまう態度も、少しだけ、ほんの少しだけある。
あるけど、瞬時に自分の中に住んでもらってアドバイスをよくもらうはてなブックマーカーの人が
そういう態度をとっちゃいけないんだよ。
なにかよくないことを言われるのはわかりきってるので憂鬱です。
○ポケダン青
今日の目標は達せれただけでなく、プラスアルファができたのでよかった。
●iOS
○グラブル
日課はこなした。それと復刻イベントでガチャチケの二枚目を交換。
OK・4.グラブル:島H、マグナ(火、闇、光)、討滅戦マニアック二週、共闘デイリー、イベントデイリーをこなす
○明日やりたいこと
・1.健康診断に行く
血を抜いたあとは怖くて行きたくないなあ。
・3.醤油を買う
毎回、「iPod touch+ガラケーが最強」と書き込む層がいた。
彼らは今、MVNOに乗り換え、「MVNOおじさん」「格安SIMおじさん」と揶揄されている。
年を経て、小金を得たいまは「株主優待」にハマり、日本企業の株高を支えている。
配当よりも優待のオトクさが重要。だから、企業が優待を縮小すると大きく叩く。
「遅い」といいつつ、無料のネットを見て、無料のクーポンや特典で昼食代を浮かし、
浮いた資金は新たな株購入に当てる。
プラスアルファの趣味はアニメ、フィギュア、釣り、自転車など。
20代の頃の習慣をひたすら守ろうとして、新しい技術に反発を示す。
最近、よく記事を見かける「モラハラ夫」ではないかと思えるようになってきた。
ただ、「子どもは早く寝かせる」「家事は年収や得手不得手に応じて分担する」
<同じ最終学歴の世代平均より大幅に低い>という事実しか述べていない。
正しいことを主張して何が悪いのか。
いわく、モラ夫は、
・釣った魚(妻)に感謝しない、贈り物すらない
・ふとした一言で機嫌が悪くなる
・義母や会社の同僚、政治家、メーカーなど、特定のこと触れると激昂する
・何でも「妻が悪い(幼い子どもは悪くない)」という
・口癖は「身の丈にあった生活」
氷河期世代は辛すぎる。
同じ氷河期でも、新卒で定職につけた女性は輝こうとがんばってるよ?
なぜ、男性は足を引っ張るのか。
20代はケチでも許せた。30代は本来なら余裕を持って暮らせるはず。
世の中に名を残す人物、成果を残せる逸材になるには、目標を上に掲げなくてはならない。
原因はわかっている。モラ夫は総じて給与が低すぎる。
大手MVNOは、利用者が「MVNO苦学生」「MVNOギャル」と呼ばれるような
若年層向けのサービスに成長してほしい。
俺はさ、子供の頃から塾に通ったり、あんまり真面目に勉強はしなかったけれど両親からのプレッシャー等々乗り越えて、第1志望ではないもののそれなりの大学に入ったそれなりの職につき、仕事での様々なストレスを乗り越えて結婚して子供もできてアラフォーでどうにかこうにか年収も1000万円前後になった。
年収が600万円程度まではどんどん生活が豊かになる実感があった。でもその先は所得税の累進性が高くなり、公的補助の制限がチラついてきたり(実際にはまだない)であんまり豊かになった気がしない。
地元が田舎なんだけど、かつての同級生は早々に結婚して既に子育てを終えていたりする。
彼らの子育てっていうのは高校までな。その先の学歴を親がつけてやるっていう発想はない。だから学費なんてほとんどかからない。一次産業従事者ばかりなので食卓は豪華に見える。
一方こちらは彼らよりもはるかに年収はあるけれども、子供2人を自分と同じレベルに再生産するためには大きな学費がかかるわけで、学資保険プラスアルファのお金を積み立てているので生活レベルは彼らより貧しいかもしれない。
学生時代にたいして勉強もせず楽しいことに明け暮れ、早々に結婚してたいした責任もない仕事をして低い年収で税金はほとんど納めず国からの補助はたくさんもらい、子供にも金をかけず、普段の生活ではそれなりな贅沢ができる彼らの人生の方が勝ち組に思えて仕方がない。
富の再配分ってのはさ、それはやっぱり資産課税だと思うさね。努力して得た収入を理不尽に奪われるのはおかしいよ。相続税とか配当への課税とかは強化すればいいけど、年収1000万円が豊かなのかって言ったら、片働きで子供2人いたらぶっちゃけ貧乏ですよ。共働きすればいいじゃんって言われても家庭にはそれぞれ事情があんのよ。
家に侵入した米兵に、少女は「殺される」と妹を抱きかかえてはだしで窓から飛び出し、近隣の知人宅に逃げ込んでいた
当然ひどい事件で加害者は死ぬべきだと思うが、あえて地元マスコミを批判しよう。
まずは統計だ。
実のところ、こうした犯罪は日本人か米軍かを問わず日常的に起きている。
http://www.police.pref.okinawa.jp/docs/2018091100187/
俺が疑問なのは、
「なぜ8000件のうち米軍関係者の犯罪だけ詳細にディティールが報じられ、
その他数千件はほとんど報じられもしないのか?」という一点だ。
誰だって、こんな事件のディティールを知れば義憤に駆られるだろう。当たり前だ。
上の統計じゃ去年は殺人・強盗・放火・強制性交等が71件もあったらしいが、
取材しようってんなら全部日本語で完結する8000件の方がよっぽど楽だろうに、なんで報道しないんだ?
そうこうして、俺たち一般市民は身の回りで起きている米軍と無縁な8000件の事件がどれも悲惨だってことを知らないピュアな状態で、
いきなり今回の読谷みたいなヘビーなディティールを知るわけだ。
8000件の中身を知ってる状態と知らない状態で、怒りの質も量も向きも同じだったと自信をもって言える?
認知バイアスにハマってなかったと断言できる?
私の趣味は旅行のパンフレットを眺めてどこに行くか考えることだ。実際に旅行することもないわけではないが、やはり遠方だと妄想旅行で終わってしまうことが多い。
で、旅行代理店の店頭にはこれでもかと色々な旅先のパンフレットが並んでいるわけだけど、つい最近被災したばかりでまだボランティアの受け入れすらままならないような場所のものも普通に置いてある。
まだ東北のように被災してから年数が経っているところなら分かるけど、北海道なんか大丈夫なのかよおいと思う。関西方面も場所によってかなり被害の差はあるようだけど、平年のように「そうだ、京都行こう」とか気楽に行っていいものか気になる。
倉敷は有名な美観地区は無事らしいけど、すぐそばに豪雨の爪痕が残っていたらなんだか複雑な気持ちになるんじゃないかという気がする。
今の時期だと紅葉シーズンや年末年始の予約を受けるつもりなのかなと思うけど、特に夏の短い北海道に紅葉見物に行くなんて可能なんだろうか。
明らかに無理そうな場所は始めからパンフレットを置かなければ良いのにと思うけど、少々先の日程なら現地経済のためを思って予約できる状況にしておく方が親切なのか。
私の考えでは、行ってもいい条件って、
○ライフラインが復旧しており、現地の人が普通に暮らせるプラスアルファ程度の余裕がある。
○物流や交通機関が問題なく動いており、現地の人が暮らすために必要な物資の他に観光用の土産物や観光施設用の食料品などが普通に供給可能である。
○少なくとも多くの観光客が訪れるであろう場所にはあまり被害がなく、二次災害の恐れも極めて少ない。
…という感じなんだけど、現地の人はどう思っているのだろう。
混乱の極みにある被災地だとボランティアの受け入れさえ手間であろうと思われるのに、呑気に観光で行って良いものだろうか。東日本大震災のときを思うと何でも自粛すれば良いというもんでもなさそうだが、自治体別に「観光に来てよし」「近隣在住の被災地支援ボランティアだけ受け入れる」とか意思表示をしてほしい。
まぁ一番大変なときに観光を受け入れるかどうかとか考える余裕もないんだろうけど、北海道と沖縄行きのパンフレットが普通に旅行代理店の店頭に並んでいるのを見ると、「これでいいのか?」ともやもやする。
例の「部族の漫画」じゃないけどさ、企業は「仲間であること」を強く求めてくるわけで、「能力がある」かどうかは二の次なわけ。
「常日頃からアンテナを張って脳内インデックスを書き換えてるひとじゃないと俺たちの仲間とは認められないよね」と言われてしまえばそれまで。
じゃぁ考えてご覧よ。「ちゃんとそれなりのスキルをもつ、ハゲ散らかした50歳」と「いろいろよくわかってないけど、素直で元気な25歳」が「隣で一緒にシゴトさせてください」と来たときに、どっちを採用する?
ちょっと話が飛ぶけどさ、残業ってマネジメントがうまくいってない証拠じゃん?本来は適切な能力をもつひとに適切なタスクを割り当てて かつトラブルに対するある程度のバッファーを持っておけば残業は発生しないはずで、残業がつねに発生してるということはそのマネジメントがうまくいっていないということで、つまり管理者の怠慢か能力不足なわけで、それをタスク担当者がサービス残業でなんとかするって、そもそもおかしいじゃん。
タスク担当者としてそれなりに最善をつくしてその上で時間内に終わらないのであれば、あとは管理者が調整してなんとかしなきゃいけないよね。
そういう意味では、適切なインプットに対して適切なアウトプットを返してくれるひとのほうがタスクの割り当てを管理しやすいので、管理者としてありがたいはずなんだけど、なぜかありがちなのは「与えられたことに対してプラスアルファを返してくるやつのほうが優秀」みたいな考え方。
「お金を入れたらジュースとお釣りを適切に返してくれる自動販売機」の方が管理しやすいはずなんだけど、「余分にお釣りを返してくれる猿」のほうが優秀って、もうそれマネジメントしにくくなるし、「余分なお釣り」を前提に予定を立てなきゃいけなくなるじゃん。
「俺はマネジメントの経験が少ないから、申し訳ないんだけど優秀なお前が先回りしてなんとか助けてくれないか」でプラスアルファを求めるならわかるんだけど、「俺は管理者だ!常にプラスアルファをもってこい!言われたことしかしないやつは評価を下げるぞ!」はおかしくない?マネジメントしてないじゃん。高度経済成長期とかバブル期ならそれで回るんだろうけどさ。
んでさ、もう一回言うけど、企業は「能力あるひと」よりも「仲間になれるひと」を求めてるんだよね。
何が正しいとか正しくないとかじゃくてさ、どんなに適切な能力を持っていても「あー、こいつは仲間にしたくねーな」と思われたら採用されないし、能力なんてなくても「このひととは一緒に仕事をしたいな」と思わせることができれば採用されるのさ。どんなに勉強してて優秀でも「こいつ鼻につくな」と思われたらはじかれるし、バカでアホでも愛されてれば席は残るわけ。もうそのへんの感覚は「学校」という閉鎖された空間で十分学んだでしょうに。
そのへん何回か転職活動をしたことがあるひとなら肌でわかるでしょ。面接で能力アピールとかあまり意味はなくて、むしろ「あなたの部族に加えてください」「私はすぐに部族の一員になれます」的なアピールのほうが有効だったりするよね。
ごく一部のスーパーマンみたいなエンジニアの人は別よ?そういう人はガンガン勉強して革命でもイノベーションでも起こしてくれてればいいと思うの。そうじゃなくて残りのよくいるエンジニア99%のことよ。
プライベートの時間をつかって勉強するべきとかべきじゃないとか、そうじゃなくって、「部族にひとたちから愛されるためには何をしたらいいか」なわけ。正しいとか正しくないとかじゃなくて。
ついでに。
フリーランスエンジニアがいて、中年になると仕事が減ってくるらしく、ぷらぷらしてるのね。IT業界にいる人は「忙しい忙しい」で残業だらけらしいんだけど、その割にアルバイトを雇ってなんとかなる仕事でも無いらしいんだよね。
かたや、一人親方の大工さんがいて、もう70歳近いんだけど、その人はもう3年先まで仕事が埋まってるんだって。そうかと思えば「日雇い人夫」みたく誰にでも出来るタスクまでちゃんと分解してあったりして、やっぱそのへんは業界の歴史と経験なのかね。
もうさ、「オレって勉強好きなエンジニアですげーだろ?プライベートで勉強しちゃうんだぜ?サービス残業でプラスアルファの結果だって残しちゃうぜ!だからオレの仕事はアルバイトなんかにこなせる仕事じゃないんだぜ!あー忙しい忙しい!」ってずっっっとやってりゃいいじゃん。
きっと愛されるよ。
元増田は法律の話をしているのではなくて、なぜ悪いことだとされているのかについて話しているようなので、それに応じた話をする。
売春は日本では確かにそれ自体としては違法ではない。違法とされているのは青少年を買春することと、売春を斡旋することだ。だから合意の上で大人の男女が性行為と引き換えに金銭のやり取りをすることは違法ではない。
違法ではないが、それでもやはり一般的には悪いことだとされているし、これは日本だけの話ではない。世界中の多くの文化で、売春は非道徳的だとされている。
なぜか?
それは売春が性のダンピングであり、性の過当競争をもたらすからだ。
順を追って説明する。
まず、男女が住んでいる世界、つまり人間社会を、子孫繁栄という共通のゴールを目指しつつも、個々人が自分の利益を追求する経済市場だと考える。
この市場でやり取りされているのは、1、資源、2、労働力、そして3、性的魅力である。この三ついずれも個人の利益となるし、また子孫繁栄というゴールを目指すのに役に立つものである。
さて、問いは、「なぜ売春が悪いこととされるのか」だが、売春というのは主に若く性的に魅力のある女性が男性を対象として行う行為だから、話を簡単にするため「性的に魅力のある女性」の視点からこの市場を考える。
あなたがこの市場に参加する一人の女性であるとしよう。あなたが持っている市場価値の上で最大のものは、先にあげた三つの価値(資源、労働力、性的魅力)のうち、最後の性的魅力である(もちろん、現実にはいろんな女性がいるが、「性的に魅力のある女性」の視点からの話なので、平均的な「性的に魅力のある女性」を想定すれば、最大の価値が性的魅力であるというのは妥当な仮定だろう)。したがって、この市場においてあなたが個人的利益を最大化するためには、この性的魅力をいかに高く売るかを考えることになる。
もしあなたが、安易に売春によってこの最大の価値を資源や労働力と交換してしまったら、市場に何が起こるだろう? もしあなたが、唯一の売春をする女性だったら、あなたはたくさん売春して、たくさんの労働力と資源を得ることができるかもしれない。しかし、他の女性が黙って見ているわけがない。資源も労働力も限られているのだから、他の女性は、あなたよりも少し良い条件を男性に提示して、やはりたくさんの労働力と資源を得ようとするだろう。これが性のダンピングである。こうしたことを他の多くの「性的に魅力のある女性」が行うことによって、売春によって得られる利益は急激に下がって行く。これが性の過当競争である。
これは魅力のある女性個人個人の利益が減少するだけにとどまらない。性の過当競争により、女性がわずかな資源と労働力しか得られなくなったので、子孫繁栄というゴールは達成できなくなってしまう。わずかな資源とわずかな労働力で性的魅力を享受できるようになった男性は、自分が生きて行くのに必要な最低限の労働と、買春をするために必要なプラスアルファ以外の労働力供出も資源獲得も行わない。
女性が売春を始めることによって、市場原理によって最終的には当の女性も個人的利益を得られなくなり、子孫繁栄もできなくなってしまうのである。
これを防ぐためには、性的に魅力のある女性が、その保持する性的魅力を「出し惜しみ」する必要がある。これが、人類の多くの文化に見られる、「婚姻」と「婚前交渉の忌避」をもたらす。これはちょうど、本当は労働をする体力もあるし、短期的には経営者のいいなりになって働いた方が自身の利益になるにも関わらず、長期的な労働者の利益のためにはストライキをする必要があるのと同じである。
もちろん、自分だけが出し惜しみをしていても、他の女性が売春をしていては、ただ自分が取り残されるだけとなってしまうので、他の女性が売春しないような策略が必要になる。これが、売春を悪いこととする性道徳や、簡単に性的魅力を男性に差し出す女性をあばずれだのビッチだのと言った侮蔑表現で罵倒する文化の合理性である。
まとめると、売春が悪いこととされるのは、売春をすることによって性の過当競争が起こり、女性個人がその性的魅力から利益を得られなくなり、子孫繁栄にもさしさわるからである。