はてなキーワード: はあちゅうとは
「殺したい」とか本当に書き込むバカが現れるとは、度を越して笑っちゃうレベル。
はあちゅうだけではなく、#metoo運動そのものに対して、後ろから撃つアホ。
こういう凶人は徹底的に叩かないとダメ。
お前元増田?
とお前は言ったでしょ?
実行に移すと、遅かれ早かれ
警察に捕まるわけだよね?
その時に、
って言うよりも、
「理由は無いです」
と言う方が罪は重くなる可能性は高いという話だよ。
言わずと知れたこの件。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev
今回の論点は、
である。パワーを使ってセクハラをする、あるいは、パワハラの手段の一つとしてセクハラを使う、というものを告発しているのである。
パワハラとセクハラが絡み合い、その根元はパワハラであるというものについての告発である。
これに対して過去の童貞いじり発言には、パワハラがほぼ存在しない。(中にはちょっとした名のある人の全体に向けた発言に勝手にパワーを感じ取ってしまう人たちもいるため、「ほぼ」とした。)
「筋が悪い。」
この筋の悪い批判は、論点と関係ない部分をあげつらって攻撃しているだけであり、過去に実際に童貞いじりがあろうとそれがセクハラであろうと論点に関係がない。
論点に関係ないのに、論点に絡めた文脈での「童貞いじりセクハラ批判」は、完全に別件であり、誹謗中傷となり、下手すると「ただの人格否定」まで落ちてしまう。
童貞いじりがセクハラかどうかは、「セクハラを伴う”パワハラの告発”」が落ち着いた後にカウンターとして別で行うべきなのである。
こういった批判は、時間が経てば自然といつもの「はあちゅうさんが嫌いだから、ことあるごとにdisっている人たち」にまとめ上げられて過疎化するはずだったのだ。
過疎化していくにつれ、まじめに#metooについてやセクハラを伴うパワハラについての議論が活発になったはずだった。
また、きちんと考えてから投稿する人間の中には、平日暇ではない人も多い。
土日にいろいろ考えを投稿しようと考えていた人たちが見る見るうちに話が変わっていって「あーあ。」となってしまったケースも多いだろう。
じっとしていればよかった。
ということだけだったのだ。
それができずに、はあちゅうさんからヨッピーさんまで釣れてしまったために、論点の中心から離されてしまった#metooもBuzzFeedもいい迷惑である。
そもそも、今回の件、まず勘違いしている人も多いし、もしかしたら本人も思い込んでいるのかもしれないが、
はあちゅうさんのやりたかったことは、本当は#metooを後押しするであるとか、社会的意義を感じて立ち上がるなんてものでは全然なかったはずだ。
彼女を突き動かしたのは、
「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」
という一言に尽きるのだろうと思っている。
言ってみればいじめられっ子が、8年越しでいじめっ子に強烈な一撃でぶちかましてやっただけなのだ。
学生時代は自分はやられるタイプではないと思っていたのに自分はいじめられたんだというやるせない気持ち、
少し離れればただのクズ行為をするおっさんだという事実、そんなもんに当時傷つけられた自分の若さ、バカさ、
今の自分ならあんなおっさんやり返してやれる力を持ったのにという自信、
そんなやつに当時ただ従って人を差し出したんだという強い後悔、申し訳なさ、
こんな気持ちが普段見えない奥底に渦巻いていて、ふとした時に、やっぱり自分は傷つけられたんだという事実が心に影を落としてふと苦しくなっていたのだと思う。
同時に、まあ、別に今はもういいんだけど。とも。
しかしこういった気持ちは、消え去るものではなく何かの弾みで顔を出し、膨らんだりしぼんだりするものである。それは、その人の名前を見たり聞いたりしたときフラッシュバックする。
そんななか、岸さんは4月についに電通から出資を受け自分の会社を立ち上げ、あげく本も出して世間に注目されてと、自分の無視できない場所にどんどんと顔を出してきた。
あんな奴がいまだにチヤホヤされて評価されている理不尽さ、ますますの調子に乗りっぷり、…もう、耐えられるわけがない。
証拠は残っている。自らの発信力はある。世間に広めるのに筋のいい媒体も協力してくれる。
つまり、はあちゅうさんの中で、仕返しをするのにメリット・デメリットを天秤にかけた結果、ついに圧倒的にメリットの方が上回ったから実行したというだけの話なのだ。
岸さんとは近い業界にいるとはいえ、仕事の方向性は全く違うから手を回されたとしても大きな影響はない。むしろ自分はこういったネット上の流れに乗って自分の道を切り開いてきた自負も実績もある。
対して、岸さんはもともと電通のクリエイティブで個人の名前を売っていたとはいえ、所詮狭い業界内で巨大企業の庇護の恩恵を受けて活動していた中、
ついに独立して本当の意味で個人の名前で勝負しなければならない非常に大事な時なのである。
その流れで本も出している。
また、一部上場企業である電通の出資も受け、社会的信用が死活問題となった時でもある。結果からもわかるとおり、こういったスキャンダルは致命傷となる。
通常、こういった仕返しを一発やってやった場合、正面から暴力を使った場合は、心情的には同情され社会的には許されつつ制度上の違反については(酌量される部分もありつつ)淡々と処罰が下り淡々と受け入れたりする。
他の手段をとる場合は、誰がやったかわからない方法を取るなどやや陰湿的な方法になるため、世の中にあいつが勝ったんだということを見せつけることが難しくなる。
代表例は、なんだろう、まとめサイトの「スカッと」タグあたりでも漁ってみてください。
どちらにしても「完全勝利」はつかみにくい。
そんな中、今回は、目的も支持されるものである上に手段も正当であり、めったにない完全勝利が見込めるチャンスがやってきたのである。
やらない手はない。
その仕返しの中心的役割を担う媒体として#metooとBuzzFeedを利用しただけである。
これはこれで全く問題ないし、むしろ#metooはこれを社会的にサポートする機能となるだろう。いじめをした人は正直どっかでやり返されるべきなのだ。
BuzzFeedにはそれを周知する媒体になれるという社会的意義もあった。
なお、追随している人で相手の名前を出さない人もいるが、#metooは相手の名前を出して実行した時に、よりあなたを守る効果が発揮されるということは頭の片隅に置いておいて欲しい。
最初、はあちゅうさんがこの件に関してはもう取材は受けないという宣言をされた時、「すごい!やり遂げるんだな!」とカタルシスに似たものを感じたものだった。
しかしその後の、余計なことから何から何まで発言しまくりの現状を見ると、たぶん上記のことは肌で感じてスタートを切っただけで、やった後の自分の動き方の想定まではあんまりしていなかったんだなーと残念に思った。
やはりどこまでいっても、本質は自分がかわいい女子大生ちゃん止まりなのだなと。
https://lineblog.me/ha_chu/archives/67293039.html
それに対して岸さんという人は、さすがメディアの頂点の会社で第一線でやってきただけあって、撤退の仕方が完璧である。徹底的に完全撤退。その後完全沈黙。兵法!
1.まず、勝ち目のない内容と認識するや、発表前に個別に謝罪。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev
2.つぎに、発表されるとともに即謝罪。
それも改ざんの恐れがなく、最後まで通しで自分の主張を読んでもらえる自コンテンツのみで謝罪。
岸さん側の感覚に立ってあえて改ざんといっているが、謝罪メールを取材相手のBuzzFeedに送るとしたらどうなるか。
行間にたっぷりはあちゅうさんやBuzzFeedの見解を差し挟まれながら発表され、読者が読みながら大きく印象の誘導をされる恐れがあるのだ。
エビデンスのある部分、のちのちバレそうな部分は完全に謝罪し、ファジーでエビデンスが出なそうなところは否定してしっかり楔を打っている。(登壇をやめさせるように相談した経緯については、ついバレないだろうという希望的観測が出てしまったのだろうか。もう電通の庇護にないことを忘れてしまっていたのかもしれない。)
https://note.mu/kishiyuki/n/n363633a5776e
3.それでも沈静化の目がないと感じるや、代表取締役を即辞任。
(2017/12/29現在:今見たら会社ページが「2017年12月18日 代表取締役の異動(辞任)に関するお知らせ」だけになってる!まじか!まっさらに完全撤退。最初はまだ通常のいろんな会社情報が載ったままだったんだよ。)
いじめられっこの復讐の鉄則は「不意をついてピンポイントで大将に大ダメージを与え、ヒット・アンド・アウェー」である。
社会人としての戦い方で、せっかく大きな勝利を収めたのに、自らの自意識から、小さいながらもまたしても1つ負けがついてしまったのだ。
今回は力を持っているはずの自分が、自らの下手クソさで起こした敗戦である。
せっかく、消えはしないまでも大きな傷はスカッと仕返しして返せたのに、完全勝利で終われるはずだったのに。
はあちゅうさんの心の中に小さいシミとしてまたしても残ってしまわないだろうか。
最悪なのはヨッピーさんである。私怨の復讐を成し遂げた直後の「友達」が語る擁護の言葉には百害あって一利なしだ。
まず、内容云々ではなく、いくらもっともらしいことを言っていても「友達の発言」以上には聞いてもらえない。
それが正しいものだとしても(実際、筋として間違った話はしていないしちゃんとしたこと言ってるんじゃないかな)客観的に見ている人であればあるほど「友達の発言」をそのままでは聞かないし、聞くと泥仕合に引き込まれる怖さがある。今回はPCデポのケースとは違うのである。
鈴木一が石原に一発入れたあとに、スンシンがのこのこ出てきて「俺があいつ(石原)は間違ったことをしたからやったほうがいいって言ってやったんだ。トレーニング付けたんだ。」って出てきたら、
「お前、、出てくんなや。。」
って残念な気持ちになるはずだ。
一通り落ち着いてから、「近くで見ていた人として…」と語りだすくらいがヨッピーさんにできる援護だったはずだ。
インターネットの時間の速さの中で生きてきた人たちにとって、数週間黙るという行為はこちらが思っている以上に難しい、というか想像の範囲外の行為なのかなという感想を持った。
なお、ここから先は(いや、ずっとそうなんだけど)個人的な意見だから今後も好きなように続けていただければいいのだが、ヨッピーさんには基本的にオモシロ下品(今はどちらかというとオモシロ無礼かな)の世界で生きていてもらいたいのだ。もともと俺パンからのゴブ僕つながりでオモコロへと続いて読んでいった自分にとって、オモコロに書き始めた頃からヨッピーさんの記事は面白くて好きなのだが、自サイト等で長文で主義主張をするバージョンのヨッピーさんは全然面白くないと思っている。これ以上はやりすぎであると思っていることや、やる必要がないと思っていること、あいつがおかしいだろうということなど、書いている内容のバランスも悪くないし、よく考えられているし、そうだよね。同意するよ。と。
「でも、そんなことは知ってるんです。」
ヨッピーさんがそんなこと考えているのは知っているのだ。ヨッピーさんの記事を読めば、いつも、伝わっているか、誇張していないか、面白く作れているか、でもやりすぎていないか、人を傷つける笑いでないかというギリギリのところを自らに問い続けかつ読者にも問い、問いに回答があればそれを受け止めて、その視点を組み込んだり自分に問い直して組み込まなかったりしながらオモシロ下品(/無礼)な記事を作っていることは明らかだからだ。
長文で主張していることを考えていることなど、記事を読めばわかるのだ。だから完全に蛇足だと思うのだ。ヨッピーさんがTwitterでセクハラ発言をする相手だって、セクハラ発言に期待して絡みに来ている人たちなのは明らかなのだ。
フミコフミオさんはTwitterになると途端につまらなくなるから読まないのと同じように、ヨッピーさんがブログに長文を書いても読まないようにするだけだから構わない。
これはこっちの問題であって、本人に顔出しで文章で考えを書いて公開して、それによっていろいろなフィードバックを受けるメリットを捨てさせることまではしてくれとは言えない。どちらかというと本人のためには続けた方がいいことだろうとは思うので続けていただければと思う。
いちいちスタンスを説明されるのはこちらとしては面白くないが、やはりそこには、メディアの世界で一人の人間として顔を出して立ったことがない者にはわからないレベルのストレスとプレッシャーがかかり、説明する必要が出てくるものなのだなと感じている。
本来、今回のはあちゅうさんの告発は、スタート時点では非常に意義深く、社会に絶大なインパクトを与えうるはずのものだった。
なぜなら、
ということが言えるからだ。
高橋まつりさんがあのようなことになってしまった原因は、本当は「セクハラ(及び長時間労働)を伴う”パワハラ”」が原因だったはずだ。
原因を長時間労働に一本化され、1年かけて社会に対して働き方についての風向きを変えてきたが、それが大きくグルっと回って形を変えて返ってくるはずだったのだ。
実は人ひとり亡くなっていたのである。
#metooは今とは比べ物にならない大きなムーブメントとなっていたはずだったのだ。
もしかしたら周りで見ているだけしかできなかった人たちによる#hertooなども始まったかもしれない。(やり方については非常にセンシティブではあるが。。)
また、マスコミ業界・広告業界、その中でも特に当事者の電通は、傷の癒えないうちに二度目の爆弾を中心(今回は傍流ではないのだ!)に食らい、もしかしたら回復困難な処分が下される危険性すらあった。
二度目のダメージというものはでかい。墓所も傷の癒えないうちにガンシップの弾を食らった際には大きなダメージを受けていたことはご存じだろう。
これが、はあちゅうさんが悪手に悪手を重ねたことによって問題が歪曲、矮小化され、あさっての方角で炎上し、その間に本丸の火がすっかり鎮火してしまい、おそらくあちらの防御態勢もすっかり整ってしまったことだろう。
核弾頭で人を殴り、手が滑って足に落としているのを見せられた気分だ。
前述のように、はあちゅうさんは「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」という気持ちだけで動いているので、そこまでこちらの期待を負わされる謂われはないのだが、
自分のために#metooとBuzzFeedを利用したのだから、そのくらい#metooとBuzzFeedに見返りを与えてあげてもよかっただろうとは思う。つくづく惜しい。
ちなみに、童貞いじりについて、セクハラかといえば、まあセクハラだろう。(個人的にはどうでもいいと思っているが。)
これについては「あなたはパワハラにセクハラを混ぜられて辛い思いをしたかもしれませんが、仮にセクハラ単体でもいやでしょう?童貞いじりもセクハラですよね?」
という突っ込みをしてやれば、少なからず彼女にダメージを与えつつ、一部認めさせることもできたのではないだろうか。
いま彼女の中では「いつもの、話の通じない、頭のおかしい人たち、無視すべき存在、また人気があるから変なのに絡まれた」として十把一絡げにぽいっとされてしまっているのだ。
ここは良く考えずに脊髄反射してしまったあなたたちのミスですね。
なお、職場でパワハラをしたことがある人間には、「次はお前の番だよ。」という言葉を送っておくので震えて眠ったらいいと思う。
ネットで「星野源みたいな目を細めて笑う人がいい」と言ってもセクハラじゃない。
仕事場でそういう話を嫌がる相手にしてればセクハラだろ。(「巨乳」の方は嫌がらなくても環境型セクハラ)
セクシャルじゃなくてもピーマン嫌いな同僚にピーマンの話を嫌がっても続ければハラスメントだし、
アイドル好きじゃない同僚にアイドルの話を嫌がっても続ければハラスメントだ。
大体「セクシャルならセクハラ!」ならアイドルの存在自体セクハラになるだろ。
性器呼びをしてる掲示板にわざわざ出向いて「不快だ」と言うのは、
アイドルライブに行って「不快だアイドルを無くせ」と言ってるくらいバカ。
一番気持ち悪いバカは、はあちゅうが訴えないだろうと甘えて侮辱名誉毀損繰り返してる奴らな。
最低賃金についてのツイートがバズったついでに晒された、夢の国のオタク女同士のクソ泥仕合。たったの三日程度で空中分解の様相を呈しているので、野次馬としては「なんだよ終わりかよ」「つまんねえな最後までやれよ」といったところ。
かくいう自分も、2.5次元的な若手俳優のオタクだ。舞浜には昔一度連れられて行っただけ。アクターにも、そもそもディズニーにもとりたてて興味はない。
アクターのオタクとの距離感としては隣の隣の畑くらいだろうから、あの泥仕合の女たちが誰のオタクなのかは、ブログに書かれた内容や晒されたツイートから調べればすぐに分かった。その役者や彼が所属する劇団の芝居は見たことがなかったけど、知ってる名前だったし知ってる劇団だった。この世界、狭すぎて笑える。
最初に言っておくと、今から書くのは九割方がブログ主に対する苦言だが、だからといって"怪物"に味方しているわけでもない。オタク女の泥仕合なんかだいたいどっちもどっち。"怪物"は自分の鍵垢フォロワーにユダがいたのを見抜けなかった、あるいは初めは友達だった人物がユダになったのか、正しいことは知る由も無いけど脇が甘い。
ただ、どっちが"ヤバい"かというとそれはブログ主のほうに軍配が上がると思う。もし仮に同じアクターを追ってるファンだったら、捨て垢を作ってお前頼むからマジでやめろって言いに行くところだった。恥を晒すなよって。
恥だろ、これ。
舞浜のオタクじゃないからローカルルールとか知らないけど、道端でうんこしないでよ、ちゃんとトイレでしてよ、って思う。
少なくともここにひとり、あの劇団のあの役者は頭がおかしいファンをいっぱい飼ってるんだなあと思った人間がいる。もしいつか彼の出演する舞台を見ることがあれば、あっあの時のオタクがクソな役者だ、と思うだろう。もし自分の好きな役者が一部の頭がおかしい同厨のせいでそんな風に思われていたら、とは考えるだけで寒気がする。
当人はmetooタグと同じように固有のタグを作って被害に遭った人が声を上げやすい環境を作りたい、とか考えてるようだけど、失礼すぎる。セクハラやパワハラで傷つけられた人たちに。このタグもはあちゅうの諸々でケチがついたような流れはあるけど、オタク女の汚い泥仕合とセクハラパワハラを同列に語るのは、あまりにもひどい思い上がりだ。
そもそも、当初ブログ上でスクショが晒されていた、"怪物"の鍵垢ツイート。あれを見て最初に思ったのは「こんなに大騒ぎするようなことか?」。舞浜のアクターオタクは心の清らかな人ばかりなのかもしれない、とすら思った。あの程度の愚痴や暴言やを書き殴るアカウント、ありふれたものでしょ。違うのかな。
知らない人に説明すると、女オタクばかりのジャンルにはたいてい、愚痴垢と称されるアカウントが存在する。若手俳優界隈にも、ジャニーズにも、ディズニーにも、同人にもある。大抵鍵なしのアカウントで、謎のお嬢様口調で何かや誰かを糾弾しているので見分けはつきやすいと思う。ところであれなんでお嬢様口調なんだろう。知らない。
で、今言及しているのはそういう愚痴垢じゃなくって、ただ鍵をかけて、鍵なしのアカウントじゃツイートできないことをツイートするアカウント。鍵なしアカウントでのフォロワーについて、"怪物"がしていたように現場で居合せる同厨や他厨について、愚痴を吐き出したり陰口を叩いたりするアカウント。自分が見てきた限りで言えば、"怪物"のものとされるツイートはむしろ生温いくらいだ。べつにこの程度でピーピー騒ぐなってわけじゃない。
生温かろうが冷たかろうが熱かろうが、内輪の泥仕合を全世界に配信するんじゃないよ、と思う。
内輪でならブログ主と"怪物"の両者がどういう人物なのか、どういう言動をしてきたのか、ある程度は皆分かっているだろう。しかしブログ主が外へ向けて発信したのは"怪物"の悪行のみ。それを読んだ素直な部外者が鵜呑みにすれば、独りよがりで攻撃的で恐ろしい"怪物"と被害を告発するブログ主、という構図が視えるだろう。
鵜呑みにせず色々掘ったり疑ってみたりしても、実際に"怪物"の標的にされていたブログ主の元友人は問題の公表を快く思っていなかったり、そもそも"怪物"に目をつけられた原因はブログ主と元友人側のマナーのない行動だとされていたり、当然"怪物"はブログ主の誤解と自らの正当性を主張するし、正しい事実は何一つわからない。もちろん、何か一つでも証明されるとも思っていないけど。
社会的な問題提起、というポーズをとってはいるけど、最初のツイートは「現在進行形で受けている嫌がらせのお話!どうしたらいいのかわからないので、良かったらリプ下さい」と、個人レベルの話だったはずだ。せいぜい界隈内で数十リツイートでもされて、数百人規模が見て、ああだこうだ言ってるくらいがちょうどよかったんだと思う。それが、ディズニーとも、そもそもオタクや追っかけとも関係のない非オタの目にも留まった「最低賃金」に関するツイートに繋げてツイートしたものだから、舞浜独自のルールを知らない舞浜以外のオタクにも、女オタクの陰湿さを知らないパンピにも広まってしまった。
それだから被害者は声を上げよう、オタクの在り方を考えよう、的な問題提起風に切り替えたんだろうか。
ただ単に問題提起がしたいなら、オタク同士のいざこざには罪の無いアクターが特定されてしまうような仔細な言及はいらなかったし、加害者についても被害者についても個人レベルで詳しく書きすぎていた。普段使っているアカウントではなく新しく作成したアカウントから発信すれば、(元)友人が個人特定される可能性は低くなり、反撃を恐れなくてよくなったかもしれない。
個人叩きに寄りすぎていたことを反省しましたという姿勢で"怪物"のスクショを消したり、アクターに関してファンが少ない、人気ではないなどと述べていた部分も消したようだけど、そうすると今度は歯抜けの記事になり問題提起としては情報不足だし、歯抜け記事の一番下に追記した文章まで読む人なんてなかなかいないんじゃないのかな。
個人的には、「外野は黙ってろ」と思う。だから、この件に関してはただの野次馬で、他ジャンルのオタクである自分は直接彼女らにリプライやDMやコメントをするつもりはなく、ここでしか発言しない。
外野が参戦する意味がないのは、学級会や議論や殴り合いを経て何かしらの結論やまとめが生まれたとして、外野はそれに関係しないからだ。舞浜のオタクのあるべき姿が見出されたのなら、それをシカトするなり念頭に置くなりするのは舞浜のオタクだけだ。
なのでそろそろ書くこともないし終わりにするけど、岡田育がものすごい首突っ込んできてたのには笑ったんだけどあの人本当何なんだろうな。
https://twitter.com/okadaic/status/945101211308576768
>みんな報復を恐れていて、「そういうときは黙っているのが一番上手いやり過ごし方だ」というふうに言われる。そう信じ込もうと努めてしまう。でも、声を上げて抵抗していいんだよ。怖いなら。
と言うけど、「怖いけど、それよりも報復されるのが恐ろしいから黙ってやり過ごそう」と思っているオタク女って、どれくらい存在しているんだろう。
明らかに言動がヤバいオタクに触らないようにするのは恐れというか回避というかだけど、そんな人材なかなかいないわけで、自分も相手も似たような程度であることが多いと思う。味方の数の多さや顔の広さ、歴の長さとかの違いはあるだろうけど。
現場でマウント取られたり嫌なアピールをされたり、掲示板で晒されて叩かれたり、鍵垢で悪口を言われて嗤われたり、そういう時に表立って「わたしこんな被害に遭いました!抵抗します!」と今回のブログ主のように声高に叫ぶオタクがあまりいないのは、個人的には、それと自分の周囲を見る限りでは、報復が怖いからではないと思うんだけど。的外れだなあ。
まず、セクハラやパワハラは断じてやってはいけない行為で、それらを撲滅させようという動きには大賛成です。
さて、なにやら異常にこじれてしまっているように思えるはあちゅう界隈ですが、理由は簡単なので説明します。
「はあちゅうさんがセクハラ・パワハラをK氏から受けていた」ということが事実であるとしましょう。
その事実に関して、セクハラ・パワハラを撲滅したい人たち、つまりMeToo運動からは当初賛同されます。
MeToo運動の目的は、「各個人の尊厳を大切にし、性差や利害関係によって立場の弱い人たちが不利益を受けることを無くしたい」ということでしょう。
一方で、はあちゅうさんがセクハラ・パワハラを受けていたことは事実として、はあちゅうさん本人がおそらく考えたことは「私が不快だったので、不快だと表明したい。さらに言えば、私を不快にさせた人に復讐したい」ということだったと思います。
つまり、はあちゅうさんの目的は端的に言って動物的で、MeToo運動のような理念をもっていないにもかかわらず、MeToo運動の旗振り役を安易にやってしまったことになります。
以降はみなさんのご存知の通りですが、はあちゅうさんは快・不快を行動原理に生きている動物ですので、他者の尊厳など一切考えていません。
セクハラ・パワハラを世界から撲滅させたいとも思っておらず、「私が受けたセクハラ・パワハラが不快だったので、私は不快になりたくない」だけで「他人のセクハラ・パワハラ」になど関心はないのです。
なので童貞いじりも最後の最後まで本人は何が悪かったのか理解不能でしょうし、「いろんな人から批判されて不快だった」以上の感想を持っていないのだと思います。
まとめると、はあちゅうさんが炎上した理由は明快で、「(私も経験した)セクハラ・パワハラを(私以外の人々も含む社会から)なくそう」という理念が全く不在で、「私が受けたセクハラ・パワハラが不快だった」以上の意味をセクハラ・パワハラに見出せておらず、その結果として「他者に対するセクハラ・パワハラに対する感度が著しく低い=自分の快・不快に関連しないことに興味がない」という態度を示したことにあります。
騒動が下火になっているなかで、こんな駄文を投稿するのを、どうか許してほしい。完全に「魔が差した」としか言いようがない。これが俺が提案できうるベストソリューションなのだ。
一連の騒動を経て、はあちゅう氏は結局「童貞いじり」の件に関しても謝罪を取り下げた。それに対して皆それぞれに思うところはあるだろう、不満を持つ人も多いだろう、言いたいことがあることがあるならば言えばいい。どうせはあちゅう氏には届かないし、聞く耳ももたない。人を変えるのは容易ではないし、いまさらはあちゅう氏が謝罪したり何かをするというのも求められてはいないはずだ。
そこで、だ。
何を行っているのか分からないかもしれない。はあちゅう氏が"童貞”を愛してやまないならば、もうはあちゅう氏が"童貞”という言葉の概念になればいいという提唱である。聖母マリアだって処女懐胎したんだ。別にはあちゅうが童貞であっても不都合はない。大好きな童貞になれるのだ、はあちゅう氏にとってこれ以上名誉なことはないだろう。
批判をされても、議論をするつもりがなく、ズレた回答をして相手をイライラさせて炎上させる。そういう存在を「童貞」と定義すればいい。
そう、イケダハヤト氏も田端信太郎氏も広瀬隆雄氏もみんな"童貞”だ。
え? 勝手に意味を付け加えるな? そんなもん知ったこっちゃねぇヨ。言葉は変化していくモンだろう。壁ドンだって元々ネットで使ってた意味よりも、女子高生に人気のワードになっちまった。童貞って言葉に一つ意味が増えたところで何の不都合もねぇだろ?
え? 元々の意味だった童貞が可哀想そう? そんなもん知ったこっちゃねぇヨ。セックスの経験があろうがなかろうが、人が人であることには変わりねぇよ。そんなもんでマウンティングしてくるヤツらなど端から気にすんな。そもそも、貞って言葉は「心が正しく安定して迷わない。正しい」って意味だ。
と書き出したが、書いていて嘘だと気づいてそこまで書いたものを消した。
確かに大したことないや、だったが、それ以上に次いつ出来るんだろうと思っていた。
10代はむっつり性欲モンスターだった。当時は珍しいインターネットを駆使し、エロ画像を集めていた。どんな若い女の人には少なからず性欲を抱いたし、それを隠すのに必死だった。すごいコミュ障だった。
洋楽ばかり聴き、邦楽はガガガSPを愛聴し、ゆずや19なんてナンボのもんじゃいと思っていた(なぜかゴイステにはハマらなかった)
周りは童貞ばかりだと思っていた。だから下ネタを平気な顔をして、女子なんて関わらないようにしていた。
高校を卒業して浪人した頃、周りがほとんど童貞じゃない事を知った。ショックだった。
そんな状況で大学に入って、2浪コンプレックスから周りとはあんまり関わらず、童貞くさい連中と仲良くしていた。
異性に対しては変わらずコミュ障だったし、なにより金がないことがコンプレックスだった(デートで金を使う事が凄い嫌だったのだ)。
風俗に行ける奴はまだ勇気がある。嬢に笑われたらどうしよう、ぼったくられたらどうしようなんとなく不安。そんなことでウジウジと自分は前に進めなかった。
大学を卒業して、東京に出て行くとき、全てがうまくいき、仲の良い先輩が記念にと童貞をもらっていただいた。
刷り込み効果で、もうその先輩が好きでたまらなくなった(遠距離ですぐにダメになったが)
しばらくすると東京で彼女も出来た。サルのように彼女を求めた。気づくと女性に話しかけるのも全然苦じゃなくなっていった。
童貞が自分の中で美化されたのもこれくらいからだ。伊集院光やみうらじゅんに共感するようになった。童貞「くさい」ものが好きになった。童貞っぽい話を聞くとわかるーとか共感していた。
極め付けは「モテキ」に共感しまくっていた。これは童貞でモヤモヤしていた自分だと。
時代は過ぎ、結婚して、30を超えたあたりからすっかり元気がなくなってしまい、性欲も落ちてしまった。でも、童貞マインドはまだ持っていると思っていた。
しかし、今回の騒動で童貞イジリはハラスメントだという言葉にまったくピンとこなかった。
確かに童貞時代にリアルでイジられたら本気で嫌だが、ネットでの言説である。あっちの世界の奴が何か言ってるとヒガミを拗らせるか、そっ閉じで終わっていたと思う。
しかし、この記事を見て気づいた。あ、俺はもう童貞じゃないんだと。
ボクがこれをRTした理由「はあちゅう氏のセクハラ問題と童貞いじりは別と考えます」|吉田豪・連載第五回
http://tablo.jp/serialization/news002670.html
ボクが漫画家の花沢健吾先生をインタビューしたとき、童貞を引きずりつづけている花沢先生はこんなことを言っていたわけですよ。
「だから僕は正直言うと、みうらじゅんさんとか伊集院(光)さんの『童貞を笑い飛ばそう』的な、ああいうのはダメなんですよ。
ホントの童貞はそれすら......たぶんモテる童貞とモテない童貞の違いというか......。
僕の場合、本当に先行き不安な童貞だったし、どこに言っても童貞じゃないかって思われるっていう、ゴールが見えない童貞にとっては、あれはホントに『ふざけるな!』なんですよ」
「ホント、バカにしてんのかと思って。何を思い出にしてるんだっていうような」
「ノスタルジックに浸ってちょっとしんみりしちゃって、モテる側でクスクス笑うぐたいの感じなんでしょうけど、ホントに現場の人間はもっと......」
「この苦しみをわかってほしいんですけど、そんなもの向こうは興味ないんですよね......」
あぁ、そういえば、そうだった。女の子に対して童貞を告白すると、「すごーい。むしろ大切な事だよ。結婚するまでそのままでいてね!」という反応が返ってきて、すごい傷ついたんだ。
俺はいつまで童貞なんだろうと思っていた。もう24だぞ。30まであと6年だぞと焦っていた。
世の中にコンプレックスを感じまくっていたし、後輩は、イケてないアイツは、童貞くさいアイツが童貞じゃなかったらどうしようと思っていた。
いつも心にどこかで童貞を抱えていた。隠そうとし、童貞を捨てられる日を願っていた。
そうだ、そんないいもんじゃなかったんだ。自分にかけられた呪いだった。
童貞は捨てたときに、こんなもんかと感じるが、それまでに必要な勇気だったりを童貞じゃない俺たちはすっかり忘れている。ブサイクで、コミュ障で、ケチな自分が凄く嫌だったんだ。変わった趣味を持つ事で目を逸らそうとしていたけども、やっぱり童貞は嫌だったんだ。
人間、いつかは子供の心を忘れる。子供の心を忘れないって言われる奴はいるが、それはまやかしだ。その頃に感じたことを同じように感じられるわけがない。
人はそれを成長と呼ぶんだ。