はてなキーワード: 児童とは
日本の子育て支援の予算の大半は共働き家庭向けに割かれてるから
元増田みたいに「妊娠したらクビ確実」って人には殆ど支援がない。
出産時に無職だと、元増田が言ってる通り保育園なんかまず入れないし
保育園に入れる見込みがないなら当然働けるわけない。
託児所付きの職場もあるけど、元増田みたいな母親が殺到するわけだからまず狭き門で雇って貰えない。
でないなら「元増田みたいなのが殺到してるけど皆長続きしないから常に求人がある超絶ブラック」か。
子供を預けなくて済む、自宅で出来る仕事ってのも元増田みたいな母親が殺到するから基本買い叩かれるものばかり。
クラウドワークスの主婦向けなんか酷いもんだけど、それでも働きたがる人が沢山いるから給料が上がらないわけで。
それで夫がいないシングルマザーならまだ生活保護でも受けられるかもしれないが(水際作戦で受けられないかもしれないが)
法的にはただの「働こうと思えば働けるのに敢えて働かない専業主婦」でしかないため。
現実では「子供の預け先がないし子供込みで雇ってくれる所も無いから働きたくても働けない」んだけど
現代の日本ではそんな人は法的には存在しない事になっているので。
育休中なら育休手当が貰えるが、出産時に無職ならそれも無くて精々一時金のみ。それは出産費用で相殺で終了。
それ以外に貰えるのはわずかな児童手当程度。受けられる子育て支援は「親同伴で子供が遊べる場を用意したよ!」ってくらい。
そりゃ子供産めんよな。
男の全てが無軌道なオオカミで性犯罪者なわけでもないし、すべての女児が、早熟な友達に誘われてネットでAV動画見せられたら白目をむいて気絶するほどの潔癖なわけでもない。
そもそも、エロシーンを見せる=性教育、というのは、むしろ増田が嫌っているであろうエロで無軌道なオオカミ男(まぁそういう男性の存在するのは仕方がない、にんげんだもの)と同じ発想だと感じる。
合わせ鏡だ。
追記であれやこれや注文を付けているが、性的マイノリティについての言及が全くないのも残念だなと思う。繊細な性質の女児への配慮は当然必要だが、同様に、繊細な男児もいれば、自分はどちらにも感情移入できないと不安抱える性的マイノリティの児童もいるだろうに。
ミサンドリーやなぁ、と邪推はするものの、増田が男性のセクシャリティにどんな感情を持っているか以前に、性別関わらず、自分以外の人間の存在や感情をすべて踏みつけて当然、といった様子なのがとても気にかかる。
もし、増田が男性から何らかの性的なトラウマを植え付けられた被害者だったとしても、いや、だったとしたら尚更、自分以外の人間(性別問わず)の感情も、増田自身の感情と同様に、大切に尊重するのがスジなのではと思う。
つまり女子児童に「男の性」については何も教えないしむしろ隠すのが最適、となるわな
でも教えなくたっていずれ勝手に知るわな
いや無理だから!「女子のための射精(男の性)の教室」とかセクハラだから!絶対気持ち悪すぎてトラウマだから!
小5小6の女の子に講師が「射精って何?」とか聞くのすらかなり無理だわ
そのうえ「射精に関係して衝動的な性行動が起こるのは知ってるかな?」とか
「こんな風に射精については困りごとが多い。だから君たちが射精について知っていることで周りの男性、お父さん、友達、彼氏、結婚相手が困っていた時にサポートできるかもしれない」とか言うの?
いやいや何をサポートするのさ?必要なのは女性のサポートじゃなくて男性の自制心だろうに
性欲なんて我慢すればいいんだよ汚らわしい、って気分になるけどこれも今どき無理解って言われちゃうの?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/acrosstone/n/nce591c44b6b3
(追記)実際の運用では「女子のサポート」=「男性の性加害や性的な言動をニッコリ笑って受け流すこと」になりそうじゃない?それが無理だけど他に想像つかなくて
(追記2)「性加害から身を守るため」が目的ならまだ理解できる(「男はオオカミ」ってやつ)
ただそれって同時に「気を付けない女も悪い」という論理になるからそこがどうしても嫌な感じだ
令和にもなって夢いっぱいの小学生女子を「女は夜道を歩くな」「女は酒場に行くな」「女は服装に気をつけろ」と抑圧するなんてさ
(追記3)もしワークショップやるなら男性向けのエロ本とかアダルトビデオとか性風俗をどう受けとめるかって話もやんわりと盛り込んでほしい…見てしまったときに女の子は物凄いショックを受けるから
(追記4)「避難所に男性向け個室を設けるミッションを女子たちが射精のしくみを学びながら話し合う」…悪いけどそんなワークショップ悪夢としか思えないよ
まあちゃんとした監修がされてプロの講師がやるならまともなワークショップになるんだろうけど自分にはどんなものか想像がつかない
国連の児童ポルノ関連のやつ。「↓の段落危なくない?」というメール。
https://www.ohchr.org/Documents/HRBodies/CRC/CRC.C.156_OPSC%20Guidelines.pdf
The Committee is deeply concerned about the large amount of online and offline material, including drawings and virtual representations, depicting non-existing children or persons appearing to be children involved in sexually explicit conduct, and about the serious effect that such material can have on children’s right to dignity and protection. The Committee encourages States parties to include in their legal provisions regarding child sexual abuse material (child pornography) representations of non-existing children or of persons appearing to be children, in particular when such representations are used as part of a process to sexually exploit children.
要約すると「非実在だろうがなんだろうが、児童ポルノっぽいものを(無理やり・時に虐待の一環として)子供に見せないようにしよう。そのために非実在のものも"児童ポルノ"と法的に認めよう」と言ってるのかな。一見正しそうに聞こえる。
しかし二次エロだって"ポルノ"であるとは既に認められているし、わざわざ"児童ポルノ"と認めるまでもなくそれらを子供に見せるのは虐待だと認められるだろう。わざわざ新たに"児童ポルノ"という属性を付与したがるのは、結局のところ「実在児童を記録した"児童ポルノ"と一括りにして規制したいから」以外の理由があるんだろうか?
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/page23_003064.html
2. 政府としては,本ガイドラインが既存の条約等で規律されている分野・事項に言及する際には,慎重な検討が必要であると考え,本年3月末,児童の権利委員会に対して,本ガイドラインに対する意見(仮訳(PDF)別ウィンドウで開く/英文(PDF)別ウィンドウで開く)を提出していました。にもかかわらず,今般,同委員会が我が国を含む選択議定書の締結国との間で十分な協議を行わないまま,本ガイドラインが公表されたことは残念であると考えます。
3. 本ガイドラインは,選択議定書の実施を導くための手引きとして児童の権利委員会が独自に作成したものであって,本選択議定書の規定を変更・修正するものではなく,我が国を含む締約国に対して法的拘束力を有するものでありません。こうした政府の立場については,累次の機会にOHCHRに対して申し入れを行っており,OHCHRからは,本ガイドラインは締約国に対する法的拘束力を有するものではない旨の回答を得ています。
山田太郎頑張ってくれー。
https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1207458.html
先日TGS2019にてパズドラチャンプオンズカップが開催され「ゆわ」選手が優勝しました。
で、上述の記事にもあるように当選手が賞金を貰えなかったことに対してネット上は非難轟々といったところ。
しかしながらそれらの批判に対してあまりにも感情論で語っている方々が多すぎるので素人が適当にググって分かったことを書いていこうと思う。自分自身は法律に詳しいわけでも今回の問題を昔から追っかけていたわけでもないので間違いがあればどんどん指摘してほしい。
これは簡単で優勝した「ゆわ」選手が保持しているジャパン・eスポーツ・ジュニアライセンス(以下Jrライセンス)の規約4.2.3に基づき、賞金を受領する権利を放棄しているため。
https://jesu.or.jp/wp-content/themes/jesu/contents/pdf/agreement-license.pdf
そうは言ってもなんでJrライセンス保持者は賞金受け取れない規約になってるの?って疑問は残る。
これに関しては、もしも受け取れた場合労働基準法56条の児童労働に抵触するから…だと思われる(JeSUからの説明はない)
そもそも、プロライセンス保持者はJeSUと契約した「労働者」という扱いだ。「高い技術を用いたゲームプレイの実技又は実演を多数の観客や視聴者に対して見せ、観客や視聴者を魅了した」仕事に対する成果がとして「賞金(報酬)」が渡されている。
そのため優勝時点で「満15歳に達した日以後の最初の3月31日までの間」である「児童」にあたる「ゆわ」選手に対し賞金(報奨)を渡すと児童労働になってしまう。なので予め規約でJrライセンス保持者は賞金を受領する権利を放棄させられている(んだと思う。くり返し言うがJeSUからの説明はない)
じゃあ賞金が受け取れないJrライセンスに意味なんてないじゃないかと指摘するのも最もだが、実際現時点でプロライセンス保持者は138人いるのに対してJrライセンス保持者は当該の「ゆわ」選手ひとりだ。プレイヤー側でもそう思っている人は多い証拠ではないだろうか。個人的には実力のある選手は年齢を問わず賞金が受け取れるのが良いとは思うのだが、現行の賞金は労働に対する対価であるという建前を通すなら、子役のように労基法56条の例外に定められている「演劇の事業」にゲームプレイが含まれるようになるか、もしくはプロ棋士のようにそれぞれが個人事業主として独立してもらう他ないように思う。
確かに優勝者が賞金を受け取れないという事実だけ見ると義憤を覚える気持ちも分からなくはないが、大抵の場合そこにはそれなりに妥当な理由が存在し、それらはちょっと調べればすぐに分かることだということを肝に銘じておきたい。特に今回の場合、優勝者である「ゆわ」選手自身は賞金について何も不満を漏らしていないにも関わらず外野だけが騒いでいたので特に気になった。
同様に賞金を満額貰えなかった「ももち」選手の問題と同列に語っている方が散見されるが、これは争点が別のため分けて考えたほうが良い。
「ゆわ」選手の場合はe-sportsの大会の賞金が「仕事の報奨」に当たるため発生した問題であり、
「ももち」選手の場合はプロライセンスの有無が原因で発生した問題。
ここを混同していると理解しづらくなるので注意しよう。前者は労基法、後者は景表法。ぶっちゃけJeSUを叩きたいのなら「ももち」選手の問題のほうがシンプルなのでそちらをおすすめする。
e-sportsというジャンルは「景表法」「風営法」「賭博罪」等々多くの縛りが存在し、特に賞金に関しては景表法をくぐり抜けて高額賞金を設定するために現在のような建前で運用されている。まだまだ法律もe-sports自体も発展途上なものであるため、どうしても今回のような一見理不尽な事例は起こってしまうのだろう。しかしそういった事例を通過することで法律というものは洗練されていくのであって、その過程で叩き潰していては意味がない。そのためにも的はずれな指摘や勝手な思い込みによる私怨などはプレイヤー側からも注意していける自浄作用を見せていかなければe-sportsに未来はないと思う。
以下上手いこと文中に入れられなかった指摘に対するアンサー
Q.賞金じゃなくて副賞とか上げちゃ駄目なの?
A.実際に「ゆわ」選手は副賞として優勝トロフィーやスポンサーからドラゴンブースト1年分、グリコアーモンドチョコレート1年分、ゲーミングヘッドセットATH-G1などを貰っています。
A.これは最もで例えば賞金の発生しないジュニアリーグなどを開催しても良かったのではと思います。しかし今大会がJeSUのライセンス保持者にのみ限って参加できるものであったため、ジュニアリーグ参加者「ゆわ」選手1名とかになってしまいます。
Q.親に渡せよ。
A.未成年者でも賃金は本人に支払われることが労働基準法の59条で定められています。
A.ここは日本です。
Q.JeSUが賞金を支払いたくないからわざと賞金を支払わなくていい中学生や未ライセンス保持者に優勝させたんだ
A.陰謀論乙
参考
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=322AC0000000049
https://news.yahoo.co.jp/byline/takashikiso/20180212-00081525/
あの空間で底辺をさまよっていた自分は、のびのびと学び、正しい人との関わり方を学ぶということはできなかった
毎日消耗し続け、精神をすり減らしながら、少しずつ歪んで行った
いじめられることこそなかったが、下に見られて居場所を少しずつうばわれ続けた
そもそも、いじめられなかったのは、ただただいじめられないように必死に異常な自分を隠そうと取り繕っていたからだ。それは苦しい毎日だった
少ないが本当に信頼できる友人ができ、やっと一息つける居場所を見つけたのは高校だった。それすらも部活内のことで、教室に戻るとわたしはまた、出来るだけ馴染もうと普通のふりをしようとするだけの存在に戻った
教室に友人は1人。プライベートでは連絡も取らなければ遊びにも行かない、ただ2人組を作るとき、移動教室に行く時に必要なだけの友人だった。彼女が欠席すればたちまち1人になった。彼女のいない選択種目の体育は、輪の外で、浮かないようにするという虚しい行為に徹した。
高校の卒業を機に、人付き合いを9割たった。もう友人を作ろうとしなくてもよいのだと思うと嬉しくて、大学では友人を作る努力をやめた。はじめの方だけ数人、挨拶をする人もいたが、やがてグループというものに吸収されて、輪となったので、自分はまた外側の人間になった。1人で買い物し、1人で外食した。1人でも生きていけるぞと拳を突き上げた。過干渉な親から離れられたことも、その開放感を手伝った。勝った気でいた。苦痛でしかないと思っていた人生の抜け道を見つけたような気持ちだった。
中学生の頃、昼休みの教室で1人本を読んでいたのを教育実習生に心配された。一緒にドッジボール参加しに行こうか?と誘われた。しかし、それから5年も経ってわたしは勝った。1人でも平気だと証明した。わたしは1人が好きなのだ。
そう思いながらも、生活の張り合いのなさを日々感じた。寝るか、ネット巡回するか、飯を食うか、寝るか、それだけの休日に意味を見いだすのは難しかった。元来人間は嫌いではない。わたしはおしゃべりな人間だった。話し相手を欲していた。だが、友人を作るのはあまりに面倒臭かった。それに伴う多くの苦痛で自分が摩耗していくのは目に見えていた。少ない友人に連絡を取るのも億劫だった。張り合いはないが特に不満があるわけではない現状を変える気にもなれず、成人式にも卒業式にも出ないまま大学を後にした。
すっかり人間嫌いになった。若い女の笑い声が嫌いだ。強いストレスを感じる。ガキが走り回ってる休日の混んだ駅も嫌いだ。うるさい外国人旅行客への嫌悪が日本人にまで拡大していったと言えばいいだろうか。
就職して、また、少しだけ救われた。部署の2人の同僚と最低限の日常会話をして、上司と業務連絡だけの関係を保ち、後輩にはお互い敬語で話す。1日の会話は、挨拶と、ほんの少しの立ち入らない雑談だけだ。時々、お土産に美味しいお菓子をもらえばみんなで食べる。だが、会話はほんの少しだ。わたしは今の部署がとても心地よい。こんなものでよいのかと思った。あの、30人も40人もひしめく狭い教室で溺れるような毎日はなんだったのだろう。
思うに教室は特殊すぎる空間だ。最下層のわたしは「社会性を身につける」どころか、「人とうまくやれなかった体験」ばかりを積み上げてきてしまった。子どもの頃はあんな場所が一生涯続くのだと絶望しながら生きていた。
教室は苦しい形だ。画一化された平等な形。だが、そこで生きていない子どもだっているだろう。そこで生きていけるようになれと、突き落としてしまうのはあんまりに乱暴だと思うのだ。もっといろんな形の教室があったらよかったのにと思う。「通っている今」も幸せであれる形の教室。40人の同僚とたった1人の上司の下で仕切りもない箱の中働くなんていう架空の将来のために苦しさを我慢する場所ではなく。
ゆたぼん君には賛同はできないが、彼を一様にバッシングする人々には驚いたし反感を覚えた。
体育祭は嫌いだった。なくてもよいのにとずっと思っていた。でも、多くの大人は体育祭を無くそうと言われれば、子どもが可哀想だと反論する。教室制度を否定すれば、そこでしか得られないものがあるという。1クラス40人だからこそ、我慢強さと社会性が身につくと。より効率的な、誰も取りこぼさない我慢強さと社会性を身につける方法なんか絶対に話さない。例えば同い年しかいない空間では上下関係のうちでのコミニケーション方法は身につかないといえば、それは部活があるという。じゃあ、ホームスクリーニング児童も課外活動で我慢強さを身につけさせればいいじゃないか。と言えば、それじゃあダメだという。社会は甘くないと。
訳がわからない。わからないから自分は1人だったのだろう。どうせもう、子ども時代に戻ることなんかない。学校大好き人間の自己満足の城でいくら不登校児が苦しんで低学歴の底辺に育とうがわたしにはなんの関係もない。だからもうどうでもいいのだ。教室が好きな人間が教室を作ればいい。……こうやって、確固たる正しい教室ができたんだろうなあと思う。
そう思えば、今の学校教育にはなんの不満もないな。クーラーがつくのはずるいもの。下の世代だけ教室から逃げていいなんてあっていいことじゃない。苦しめ。
園も学校も、単に叩いたくらいじゃ親に連絡なんか行きまへん。
怪我させるくらいの事やってるから親に連絡行くし菓子折り持って謝る事になるんだよ。
頻繁に怪我するレベルで殴られているのは「悲惨ないじめ」じゃないのか?
お前のN=1の経験なんか知らねえよ。
なんだろうか。
今ではどうなっているかわからないけど、私が通っていた当時は、日本から赴任してくる先生の任期は3,4年と決まっていたし、学校に通う生徒児童も、親の仕事の都合で、やはり3,4年長くても5年ぐらいで日本へ帰国する人が多かった。
その日本人学校は小中一貫校だったが、自分が中学卒業する時には、私が入学した時のことを知る人もいなければ、校舎が変わったことを知っている先生も生徒もいなかった。
私はいつも迎える側であり、見送る側だった。
3,4年、短い人だと半年
毎年新しい子がくるということも無く、学年で生徒が2人だけだったりすることもある。
そんな環境で育った私は『トモダチ』ってものがよくわからない。
そのシステムがよくわかってなかった頃は、「日本に帰ったら手紙送るね!」「また日本で会おうね!」「離れても友達だからね!」なんていって空港で涙し見送って、手紙のやり取りも何通かしたものだったけど…
小学校卒業の前には、もう「トモダチってもんは3,4年の期間限定もの」と思うようになってた。
そんな事を内心思っていたからか、群れから逸脱してしまって、ごく少人数なのにも関わらず、いぢめ的なものを受けたりもした。
(そもそも企業関係者の子供ではないし、全員が純日本人の中で1人ハーフだった。って事もあったからなのか)
20歳をむかえて、私も日本に住むことになり、細ーーーく繋がっていた何人かと数年に渡って何回か集まって同窓会のような事をしたりもしたけど、小中学生の時の思い出なんか、高校、大学の思い出に勝るわけもなく。次第にその会も開かれなくなり、今では連絡先も知らない。
SNSの登場で、繋がった人もいるけど…
別にやり取りするわけでもないし、いいねがくるわけでもない。(私からもしないし)
正直なところ「この人らはなんで友達申請してきんだ???薄ら寒いな。」と思ったりしてしまってる。
かといって、友達申請受けないのもどうかと思うし、外すのもどうなんだ?って思うから、顔本は放置だ。
親や人に言わせると、友達だったんだから私が積極的に絡みに行けばいい。と言う。
ふむ。では、友達だったんだから向こうから絡みに来たっていいのでは?
つまるところ
トモダチと呼べる人とはどんな人かもわからずいる。