はてなキーワード: 児童とは
日本の外交は専守防衛である。他所の国から「おまえらコレはどうなんだ?」と詰め寄られて初めて動き出す。いい加減それ、やめませんか?
例えば捕鯨、例えば死刑制度、例えば児童ポルノ。「海外からかかる圧力」はあっても、「日本が海外にかける圧力」はまるで聞かない。自称愛国者はそんな日本を「謙虚だ」と褒め称えるんだろうが、国民を守り国を支える上で表面的な謙虚さなんて要らないんだよ。
私は死刑反対派なので、海外からの圧力なんてあろうがなかろうが死刑はなくすべきだと思っている。一方で、死刑ごときで海外から「野蛮な国」呼ばわりされる筋合いもないと思っている。日本にも「銃の管理が世界一厳しい」っていういい所もあるんだよ。気軽に発砲、容疑者を銃殺する国とは違うんだよ。
そういった論点は、ネットではよく聞く割に海外には届かない。私が死刑反対派であるとか以前に、国として死刑にこだわる必要なんてぶっちゃけないのにね。ただ、「無条件で日本が屈した」という前例にしてはいけないとは私も思う。国と国は常に「合法的な内政干渉と治外法権」を求め合っている。それが外交なわけ。
海外にだって日本人は住んでるし、旅行にだって行く。人ごとじゃないんだよ。えっ、「犯罪者の処遇なんて一般市民には関係ない」って? あるんだよ。直接的には麻薬の運び屋云々とかもあるけど、ここで話題にしたいのは間接的なこと。国際社会の中で日本の存在感を高めていくには、日本の価値観が世界に浸透することが必要不可欠。もちろん日本にも海外にもいい所もあれば悪い所もある。悪い所は変えていけばいい。その代わり、いい所は広めていこう。
また予め言っておくと、私は鯨肉が嫌いだ。一度食べたことがあるが、この世の地獄かと思うほど生臭くて吐きそうになった。二度と食べない。ネットを見るとやはり鯨肉は人気がないようだ。
しかし、「食べるために殺す」ことを悪とする理屈は危険である。批判者はなぜか牛や豚は例外とするのだが、もちろん命に例外はない。人間社会の内部である限り、取り扱いに関する例外は人間自身と、その"所有物"だけである。
しかし、「平等に慈しむ」という観点から(多くの人が)許容できない行為があることも事実だろう。「食物として命をいただく」ことは許容されても、劣悪な環境で飼育することはやはり許容できない、"ということになっている"はずだ。しかしこうしたルールはしばしば守られない。
これは、単なる動物愛護の視点のみから問題視しているのではない。ルールがルールである以上、それは守られなければならない。公正な競争から外れた違法なルートを用いて儲けている業者があるなら、それは批判されなければならない。これは市場と経済の問題でもある。
例えばフォアグラの生産方法の残酷さは有名である。フォアグラは確かに美味しいのだが、美味しいからこそ問題なのである。つまり、日本はフォアグラを輸入するという立場にあり、フォアグラは「日本製の食品と競合する」立場にあるからだ。その生産方法に「公正であること」を求めるのは、貿易において日本が主導権を握るために必要なことだ。
例によって予め言っておくと、私は児童労働の観点から「児童ポルノ」にも「子役」にも反対だ。性的であるかどうかに関わらず、児童を用いて商売することは全て搾取であるとする立場である。何なら私は人間を性的に見ないセクシャリティを持つので、「年齢に関わらず人間と人間が性交渉することに反対だ」と言ってもいい。それらの是非はあなた方が勝手に議論してくれればいい。私は興味がないので。
最も大きなねじれが観測されるのは、やはり「架空の児童」を対象とするポルノに関する議論だろう。LGBTの議論は「クィア」なる言葉が出てきた頃から現代社会の遥か先を行くようになった。「クィア」とは日本語では「変態」とも訳すべき言葉で、あらゆるペドフィリアも含む性的嗜好を内包し、「セクシャルマイノリティ」を理解するための新しい視点を提供した。
とかまあそういうことはどうでもいいのだが、そうした文脈を通ってみれば、「架空の存在を性的に見るセクシャリティ」もまたここに発見されるわけである。時々「フィクトセクシャル」という言葉も使われるようだが、私は昔ながらの「二次専」という言葉を使う。私自身が二次専である。
「実在人物を性的に見る」ことに何の疑いもない人々は、性的な創作を見て「それが現実の事件のトリガーとなる」と主張する。それ自体は一定の説得力があるのだろう。この世の現象にはあらゆる事象が影響するのだから、「影響がない」ものを探す方が難しい。しかし彼らは、「我々がセックスをすることが、レイプ事件を引き起こす。セックスをやめるべきだ」とは言わない。なぜなら、彼ら自身が困るからである。彼らはセックスをやめられないからである。ではなぜ創作表現は気軽に批判してしまえるのか? 彼ら自身が困らないからである。ここにセクシャリティの非対称性があり、差別意識が発見されるのである。
と、長々と書いたのは前提で、ここからが本題。今まで日本がやってきたことは、海外から「(架空の児童を対象にしたものであっても)児童ポルノをなくせ」と圧力をかけられ、その度に応戦するという形でしか行動してこなかった。日本はアニメ産業に目をつけ「クールジャパン」などと言っているが、本当に日本の二次元文化を世界に広めたいなら、各国で「児童ポルノ」と認定されるような作品をこそ売り込まなければいけないんだよ。そのためには、「日本国内の文化を守る」だけじゃなくて、各国の理不尽な規制に対する批判を日本から積極的に発信していかなきゃいけない。「それは人権侵害だ」と。「セクシャリティを尊重しろ」と。
この五輪の費用は3兆円超えるらしいが、その金は生産年齢人口の質と量を増やすことに全振りすべきだった。
3兆円有っても薄く広く撒くほど効果は期待できなくなるので、特に効果の期待できそうな部分に、具体的には出生前から25歳くらいまでの養育・教育プロセスのうち、入り口と出口に的を絞って予算を配分するのが良いと思う。
入り口では出生率を上げることと未就学児童の知育が肝心だ。例えば地域ごとの人口動態を見据えつつ、育児施設の質・量の拡充などに予算を回す。
出口では国の今後の稼ぎ頭に成り得る産業を担う人材の育成と定着。例えば、ナノテク、バイテク、ロボティクス、情報技術などの産業で知識労働者になることを目指す優秀かつ低所得の高校生、大学生に限定して給付型の奨学金を提供するとか。高度な人材を国内に定着させる施策は難しい。低予算で効果的な銀の弾丸のような対策は無さそうだが、なんとか知恵を絞りたいところだろう。
性関係をメインに
これ言い出したら犯罪系全部そうか
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E5%A7%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2?wprov=sfti1
日本は約100年の話
ところで強姦があるからこそ相対的に和姦という概念ができたが、これ昔はなかったんだろうかね?
ほぼ存在自体が違法になってしまったから一見いなくなったように見えるが
当たり前だが結構いる
といっても、真性は1,2割かなあ?これは1990年代のチャイドル、ロリ系ポルノの市場規模感を見れば分かる
JKというのは結婚はできるが先進国の基準では児童に当たる非常に厄介な年齢帯だ
ヲタクはその点明け透けだが、ヲタクの中には二次元オンリーで三次元ロリはグロとかいう人も居る
これは持論なんだけど
男が居たら大体だが3割はホモ死ね男死ねと思っていて、3割はホモの存在を容認、3割はノンケだがホモに好意的、1割がホモだと思う
大変だな
多分2000年あたりかな?
今の大学生以下くらいは本音トークが増えてきているように思える
非アニヲタでも結構見てるからか、面白かったっていう人と合わなかったっていう人が出てる
誰もが正直に感想言ってて良い
あそこら辺境界線あるよな、受け付けない人には本当に受けない
分かるわけない
大体「お母さんの手作りが一番」なんて言ってるのが居たとしても、それは本音じゃなくて
実際は単に金無いだけだよ
学校給食と同じものを学童で出そうと思ったら(当然人件費も親負担となるので)一食千円くらいかかる
となるとそんなに出せるわけねえ、と言う親が出てくる
かと言って人件費も税金から出せ、と言うのならその予算どこにあるんだという話になる
(一部の子供しか利用していない学童より全員が利益を享受できる給食費の補助や、
学童入ってないけどろくに飯を食えてない被虐待児童や貧困児童の救済を優先すべき、って論は当然出てくるだろう)
となると、給食なんか出さずに全部親の責任にさせるのが一番楽なのよ