はてなキーワード: 最後とは
って言うと「人の勝手だろ!」「人の食べ方にいちいちケチ付けるな!」とネットの掲示板やコメント欄で逆ギレされる。
一方でYouTubeなどの食べる動画で動画主の箸の持ち方が少しでもおかしいとコメント欄で猛烈に指摘する。「箸の持ち方なんて人それぞれだろ」という意見はほとんど無い。
何故ネット民はスマホ見ながら犬食いに寛容で箸の持ち方には厳しいかというと、
幼い頃までは箸の持ち方を親に指摘されたが、
成長して親の監視下から離れる頃にスマホが出てきた故に食事マナーを指摘する大人もいなくなり、誰にも指摘されずスマホ見ながら犬食いをするようになった。30代以上の中高年だ。
犬食いすると髪に食べ物が付いたり汚い食べ方をするとメイクが崩れるからだ。
10〜20代の男も少ない。そもそもこの世代は1人で外食をあまりしない。大体友達とツルんでる。だから友達といる時はさすがにスマホガン見しながら犬食いなんてしない。
何故弱男が犬食いするかというと、まず弱男は1人でいる事が多く、他人の目を気にしない。
良い歳した大人、むしろおじさんがスマホ見ながら犬食いという無様な格好をする事に躊躇がない。それから飯を食う時ですらスマホを離さない幼稚さ。おそらくソシャゲやVtuberの配信を見ているに違いない。
それからこのマルチタスクを効率が良いと思い込んでいる頭の弱さ。弱男特有の驕り。
ながら飯は満腹感が得られず空腹になりやすく、飯食っても腹減って健康に悪影響。
さらにスマホでやっていることも飯と意識が半々で集中できていない。
普通に飯を済ませてスマホいじれば良いのに我慢できない幼稚性を「効率、コスパ」と言い訳する。
あとは犬食いすることで顔に飯を近づけているので汁気や脂っ気が気付かないうちに顔や髪に飛びまくってる。弱男はその辺の清潔感も全く気にしていない。
最後に。
私はスマホ見ながら犬食いするのを辞めろとは言わない。「人の勝手だろ!」と言われたらその通り。
だが、スマホ見ながら犬食いしている自分が無様な弱男だと自覚して欲しい。その上で貫き通すならご自由に。
でも恥ずかしいと思ったら他人に箸の持ち方を指摘するのも出来ないだろう。
女性の身体が学校生活や会社員として暮らしていくためにハンデがあるのは事実。
そもそもその仕組み(学校や会社)って明治時代以降たかだか100年程度の間に出来た常識で、
古来、女性は子供を産むことが出来るというのが一番の身体的特徴でしょう。
あなたがいくつかわからんけど、子供を産むってすごいことだよ。
世の中にヒトが一人増える。何千年も何万年も続いてきた種を継続させることが出来る。
男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。
ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい、真剣での試合そのものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。
婚活においてサイゼリヤデートという話題で炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間がデートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。
以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。
試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。
問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。
ただ、相手の価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。
(価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)
以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートがダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。
(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)
総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、
新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、
多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。
多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。
いやいやお見合いと合コンは違うじゃん!と思ったあなた。貴方の感性は正常です。
そう、男女が出会う場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合いと合コンは違う。
事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。
けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。
試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さらに相手を試したり知ることができますか?という。
つまり、サイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしましたか?と問われている。
一般的には、初回のデート場所にサイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。
そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。
自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。
そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。
実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。
ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。
(ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)
じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。
サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔で肯定し、長く在席してもらうことになる。
パブリックとプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。
プライベートで、例えば家にいるとき、家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。
「だから、サイゼリヤで価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートはパブリックな場所で行われるものであり、特に初回のデートはパブリックよりだからだ。
さて、デートはプライベートな行事ではあるが、パブリックな空間で行われる。
次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。
冠婚葬祭に普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常だからだ。
逆に言えば、高校生のデートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。
最後に、相手と自分との区別がついていない、という点があげられる。
これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。
相手が人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。
これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。
サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。
その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。
ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。
休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスにデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。
どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ。
そんな初回の相手をエスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。
そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手が自分に無理に合わせていたのではないかと)。
その解消がコミュニケーションであり、ここで相手と意思疎通ができるかはとても重要だ。
自分の言葉で相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。
例えば、「相手からはデートのランチの場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。
もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。
問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常のデートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ。
際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。
いつもデートは帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。
まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ。
だから、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段はファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。
両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。
いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。
礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかると良いね。
あなたから見れば、あなたは人生の主人公で、それ以外の人間は登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。
まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから。増田にしか書けないよこんなこと。
つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。
相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホントに出会いが無いだけで結婚相談所の能力と無関係に成婚するしね。
最近になって、妻といる時間が苦しく思うことが増えた。私はまだ30代だけど、妻とは人生の半分以上を一緒に過ごしてきたので相応に理解しているつもりだった。
もちろん、相手のことが手に取るようにわかるわけではなく、積み上げた経験によって、どんな入力がきたらどんな出力を返すのか、相手の振る舞いを推測できる精度が高いだけにすぎないのだが。
転機はやはり子供ができたことだと思う。お互いに、それによって心境の変化があったわけではないけれど、過ごす時間の大部分を子供に取られるようにはなった。
断っておくと、それ自体が苦痛な訳ではない。私は分類としての子供というものが好きではないけれど、自分の子供まで苦手、というわけではないのは自分で安心したところだ。
全く言葉も何も通じたものではないし、言うことも聞いちゃくれないんだけど、よく懐いてくれているし、可愛らしさもある。
私はこの居心地の悪さのような苦痛がどこから来るものなのか、最初はよくわからなかった。
機嫌の悪そうにみえる妻が怖いのか、子育ての領域にそこまでの貢献ができていないことへの申し訳なさがそうさせているのか。
結論からいうと、妻の私への対応が変わってきたことにあるんだと感じている。
そしてそれは、きっとどうしようもないことで、彼女の余裕を育児が奪ってしまっているんだろう。
まだ赤ちゃんの子供と2人で過ごしてみたらわかることだが、本当に手間がかかる。寝ている時間のなんと穏やかなことか。
離乳食のためのスプーンは弾き飛ばすし、危険なところに自ら向かって行くし、まだ立てないのに両手をいきなり離して転がるし、風呂で泳ごうと試みて沈みそうになるし、突然吐くし、理解できない。こんなのを相手にしていればそれはもう疲弊するに違いないのだ。
余裕のない人間のコミュニケーションは、可能な限り効率化される。
視野が狭まるので、相手の悪いところばかり目に入るし、いいところは見えなくなって行く。
今の私は率直に言って妻が苦手になってしまった。その日の機嫌によって対応がころころと変わり、最悪なときは何を話しかけてもろくな返答は帰ってこない。
仕方のないことだ、余裕がなく、疲れているのであれば仕方がない。それがわかっていても心は疲労する。
育児というタスクに対して、私の貢献度は限定的だ。なので妻もそれほど私に期待はしていない。
保育園に送ることを除けば、他の育児に参加できるかは業務状況に左右されるため、妻は最初からほとんどの育児を自分のタスクとして捉えてしまっているんだろう。
そこに分けるという発想はもうない。コミュニケーションを取って分けるより、足りないところを教えるより、自分でやった方が早いからだ。
そこに下手に歩み寄っても断られるだけだし、何か落ち度があったらため息も出てくる。私はその度にすり減っていく。
自覚していたことだが、私は妻に強く依存していたし、妻は私に強く依存していた。いわゆる共依存。
健全な関係かと言われると疑問ではあるが、そうして生きてきた。
ここにきて、妻は私への精神的な依存から脱却し、母親として自立しようとしているのかもしれない。
私にはそれはとても寂しいことだけれど、やはり母親になるということは特別なものなのだと感じる。
元来、私自身妻のために生きてきた。(ここからすでに妻に依存している)
自分には経営やら営業の才能はなかったので、一点に振り切りつつも、その分野の勉強を続けたことで、幸いにも年収だけはそれなりに高く、同年代平均年収の倍以上はある。
でもそれは、資本主義のこの日本で暮らすには、ある程度の資金があった方が良いと思った結果に過ぎず、結局のところ妻が幸せになったらいいなという動機でしかない。
ほとんどのことを妻のためになるか、喜んでくれるだろうか、と生きてきた自分にはほとんど自己の欲求というものが欠如していた。
求められて、応えていれば上手く生きられている気がしていた。
人間というのは現金なもので、無報酬な行動を繰り返せるほど高尚にはできてない。
相手が喜ぶなりのリアクションを返してくれるからこそそういった行動をとれるわけで、そこが塩対応になってくると苦痛になってくるのは当たり前のことだった。
結果的に、われながら極端な話だと思うが、私はもう生きていることが辛くなってきている。
私が父親として自立しなければならないのだと思う。子どものためを思えば当たり前のことだ。
けれども、子供のために生きられるかというと自分はどうやらそこまでの熱量がないらしい。
生命保険がいくつかかかっているので、何かしらいい感じに死ねたら楽なのだが、と思うけれど、なかなかそんなことにはならない。
車でバカな単独事故死をしたら生命保険っておりるものなのかと考えた。
客観的に見ると、完全にメンヘラかヤンデレの対応で笑うしかないのだが、これが精神的依存の真骨頂と言えるだろう。自分の不調を改善するために、自らを盾にして相手をコントロールしようとするのはとても良くない。
けれども、自分が死んだとき、妻に悲しく思ってもらえなかったらと思うとゾッとするので、今のうちに死んでしまいたい気持ちがあるのは事実だ。
私はそれを冷たく理性で抑えつつ、次の環境の変化を期待して生きて行くのしかないのかもしれない。
いずれにせよ、核家族の共働きで子供ができるというのは大変なことだったということだ。
子供は出来合いの離乳食もよく食べてくれるし、病気がちでもないし、人見知りも少ないのにたくさん時間を持って行く。まぁ甘えん坊ではあると思うけど、恋人という関係で過ごす時間を根こそぎもっていく。
そういう期間が数年はあることは覚悟しなければならないことだった。
こうして、何かしらの形で出力しないと自分の気持ちに整理がつかなかった。
端的に言えば私は子供と妻の取り合いをしているのかもしれない。
今までよく理解していなかった、シャア・アズナブルの迷言が頭をよぎる。
たとえ妻の一番が子供になったとしても、私にとっての一番はずっと妻のままだ。
その気持ちに嘘はないし、ちょっと辛さがあるにしても、毎日一緒にいられる。
これだから感情で動く脳みそまで腐った経血詰まってる同人女さんはwwwって馬鹿にしてたけど、
振り返ってみれば、自分がパヤオがキモいって理由だけでラピュタを最後に以降のジブリ作品を一つも見もしないで、
20年前から同人やってるっていう割に、界隈のことを何も知らんのな。大手や壁のスペースにはレイヤーの売り子の一人や二人はいるのが普通の光景でしょ
俺はもう同人活動から引退してるし、コロナ以降はイベントにも出てないから最新情報は知らんけど、少なくとも俺がバリバリやってた10年前でもそれは普通の光景だったはず
で、イケメンには「お前の人生にはアニメや漫画なんて必要ねーだろ」だって? 勝手に決めつけるんじゃねーよ
「アニメや漫画は社会不適合者が最後に逃げ込むオアシスだったんだよ」だって? これまた勝手に決めつけてるんじゃねーよ
ウザいだろうが少し自分語りさせてもらおう。俺は子供の頃からスポーツも好きだったけど、同じぐらいアニメやマンガ、ゲームが好きだった。DBに星矢、勇者シリーズ、ガンダム、カプコン、SNKの格ゲー、FF、どれも大好きだった
そしてこう言っちゃなんだが、足も速くて顔もイケメンとまではいかないがまずまずで、コミュ力も高かった俺はまぁまぁ女子からモテてた。妹もいたから女子の扱いには慣れてたってのもあるだろう
そんなある日、当時大学生だった従兄弟が、たぶんふざけて俺に見せてきたものがある。従兄弟は俺にとってのオタク趣味の先輩、先生みたいなところがあって、それまでにも俺の知らない世界をいろいろと教えてくれたのだが、この時はレベルが違った
それはセラムンの薄い本だったのだけど、俺はめちゃくちゃな衝撃を受けた。もちろんエロ本ぐらいは見たことはあったが、「アニメのキャラクターがエロいことをする」というエロ同人には度肝を抜かれた。こんなものが存在するのか、存在していいのか。いったい誰がこんなのを描いたのか、などなど、混乱しながらも目が離せなかったのを覚えている
さすがに従兄弟もそれ以上は見せてくれなかったし、詳しいことも教えてくれなかった。が、その日俺は知ってしまった。エロ同人誌というものの存在を
そこから俺は自力で調べて、エロ同人についてある程度の知識を得た。だいたいは捨ててあったエロ漫画雑誌からだが、そこでエロ同人の通販というものが存在することも知った。コミケやイベントに行っても良かったのだろうが、さすがに小学生には売ってはくれないだろうと諦めかけていた矢先に、通販という手段を知れたのは僥倖だった。通販なら顔も年齢も知られる恐れがないからだ
そして同人サークルと直接やり取りをするのではなく、とらやメロンのような会社の先駆けとも言うべき存在の「LLパレス」という店があることも知った。カタログを取り寄せてみると、そこにはまさに目くるめく広がるエロ同人のパラダイスがあった
さっそくお年玉を取り崩して為替に変え、何冊かを注文してLパレに送る。一週間ほどしてからだっただろうか、送られてきたセラムン、ナコルルのエロ同人誌に俺の興奮はMAXに達した。本当に送られてくるまで、実はまだ詐欺の可能性も考えていたからだ。だがエロ同人誌は実在したのだ。ラピュタは本当にあったんだ!
そこから俺は小遣いやお年玉をやりくりして、Lパレからエロ同人を買い求め続けた。一方で俺はこんなことを友人にも話したりはしなかった。もうすぐ中学生とはいえ、こんな本を持っているなどバレたら何を言われるか分かったもんではないからだ。学校ではクラスの良きリーダーとして振る舞い、勉強にも習い事もしっかりやっていた。そしてそれは中学生になっても同じだった
しかしある日、その平穏が破られた。母親にエロ同人の存在がバレたのだ。
俺の愛したエロ同人誌はすべて捨てられた。いちおうこんな事もあろうかと、多少の対策はしてあったのだが、それも無駄だった。俺は絶望した
だが、同時に俺はあることに思い至った。「だったら自分で描いたらいいのでは?」と
自分で描ければ、仮に捨てられてもまた描けばいいだけだ。ノートに描けば、まさかそこにエロマンガが描かれてあるなど親の想像の埒外だろう。これも捨てられる可能性を低くする
そう思いついた俺はそこからひたすら絵を練習することにした。ジャンプ系は親の監視が緩く、あっても不自然ではないため、ぬ~べ~や桂正和先生のマンガを参考に美少女を練習した。拾ってきたエロマンガのキャラの身体をトレスして、顔だけ自分の描いた綾波にするとかした。そして俺は決心した。将来、俺はエロ同人作家になろう、と
高校への進学は、オナニー猿だった割には上等なところに入り込めた。何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。そしてこの頃から俺はコミケやイベントに実際に行くようになった。しかし未成年だとバレたら売ってくれないという不安、下手をしたら通報されるのではないかとさえ恐れていた。なので、俺はまぁまぁの外面をさらに磨くことにした。具体的に言うと「大人っぽくみせる服装」や身だしなみ、髪型や振る舞い、口調を意識するようになった
声変わりはしていたものの、さらに低く、大人っぽくしゃべる。僕とは言わない。私という。それまでも続けていた(親にやらされていた)習い事というのはある武道なのだけど、大人っぽい体格を目指して、絵の練習の合間に筋トレなどもするようにした。顔だけはどうにもならなかったので、イベントではサングラスを常に付けていた
もっとも、こんな微笑ましい努力など、当時のサークル関係者の皆様方にはバレバレで、「色気づいたガキがまた来たよwww でも可哀想だから売ってやるかwww」と思われていたかもしれないが(後に自分がその立場になったから分かるのだ)、通報されることなく3年間を無事に乗り切った。そして余談ながら、こうした俺の偽装の効果はクラスの女子にも及んだ。いや、クラスだけではなく部活や別学年の女子にもだった
そしていよいよ大学入試が迫ってきた。大学に入りさえすれば、ついにエロ同人作家としてデビューできる。それだけを信じて、嫌だった勉強も嫌々ながらにエロ絵の練習の合間に頑張った。おかげでまずまずの大学に入ることに成功した。親を納得させるために、ある程度の知名度があり、偏差値もまぁまぁの私立大学だ。実家からは微妙な距離で、状況次第では一人暮らしも許されるかも知れない。そんな大学だった
大学に入学した俺は、せっかくなのでマンガ部とかアニメ部とかそういうのに入ろうと思っていた。中学高校と違って、ここでは昔の俺を知る人はほとんどいない(いちおう一人だけ同じ高校出身者はいた)ので、外面を気にする必要はない。学友とオタク話に花を咲かせるというのも夢だったのだ。なんならいわゆるキモオタ的な振る舞いや言動を共有し実行したい。「デュフフ」とか「拙者は~ござるよ!」とか言い合いたい。そんな風にも思ってたのだ
そして俺はマンガ部の門を自分から叩いた。アニメ部(アニ研)も行ってみたのだが、そこはやはり批評とか分析が主で、絵を描く人はほとんどいなかったので、これは違うな、と感じてしまった。俺はアニメやマンガは当然好きだが、分析とかはあまり興味がなかったのだ
エロ同人部というのがあればベストだったのだが、残念ながらそんなものがあるはずもなく、エロとは言えマンガを描こうとしている自分には、まだマンガ部の方が合っているのではないか。そう思って俺はマンガ部の門を叩いた
よく見ているユーチューバーが喧嘩していた友人と仲直りをして、動画を撮ったとの事で思わず書きたくなった。
おれはあんまり人に依存しないし、来るもの拒まず去るもの追わずな精神で日々を過ごしている。
故に職場でも嫌いな人はいないし、割と誰にでもコミュニケーションを取れている自負がある。
何でも話せる友人が1人いるし、それで基本的に何とでもなっている。
彼とは中学生の時に知り合い、ずっと何でも深い話を話せる友人だった。
彼とは何度も喧嘩をしたが、その度に深く話し合い解決をしてきた。
お互いの思いの丈を語ることが大切なことだと思わせてくれた人物でもある。
ただ、おれは心のどこかで彼をずっと見下していた。
おれより運動もできなければ、頭も悪く、努力もできない、おまけに性格も悪く、口だけ達者な薄っぺらい人間だと思っていた。
今では、その評価にプラスしておれが人生で唯一憎悪を抱いて良いと思い込める人間となった。
この思い込みがあることで身の回りでどんなに嫌な人がいても「あいつよりはマシだな」と思えることができる。
彼はYouTubeをやっているのでたまにチャンネルを覗くが全く再生されていない。
ゲームの実況をしているアーカイブを見た時には誰も視聴者がいない中、独り言を言いながら一生懸命にプレイしている姿を見てとても哀れに思えた。
それと同じぐらい心が踊った。
おれは性格が良いと思っていたがまだまだ人間らしさがあるなと一安心した。
彼が2ヶ月に1度ほど夢に出てくる。
おれの邪魔をすることもあれば、おれに泣きながら許しを乞う無様なシーンの時もある。
どちらも、おれは顔を踏んだり無視をしてその場を去るような行動をとっている。
時には腕を切断したり、攻撃的なことをしていることもある。
彼は仕事を辞めているようなので、世間一般で言う彼とおれとの評価は天と地ほどの差がある。
世間の評価など真に受けたりはしないが、この関係性のために彼の心が少しでも痛むのであれば、おれにとっては喜ばしいことになり得るだろう。
なぜ、ここまでおれが彼に敵意を向けるようになったか。
社会人になってから彼から遊びの誘いをよく受けていたが、仕事や当時恋人だった妻との関係からなかなか遊ぶことは叶わなかった。
今思えばそれで良かったと思っている。
最後の遊びの誘いを妻の妊娠を理由に断った時、彼から祝福の言葉がなく「やることやってるねえ」という人の神経を逆撫でするような発言が出てきた。
上述しているようなシビアな状況下であったため、精神的にも彼の言葉はかなり刺さった。
それから、全く彼とは連絡をとっておらずおれ自身もどんどん世間とは孤立してSNSも一年ほど辞めていた。
そんなある日、久々に某SNSにログインしタイムラインを見返していた際に彼のアカウントを見つけ投稿を遡って見ていた。
その際に明らかにおれと妻を指して投稿しているものを発見した。
「これが最後の誘いだ、断ったらもうこちらからは誘わない。」と何故か上から目線で投稿がされていた。
時期も遊びを断ったタイミングと同じだったので自分に向けられたメッセージと確信したおれは「脇が甘いよ」と返信したら、全てのSNSをブロックされた。
大変情けないと思った。
そこから、彼が定期的に夢に出てくるようになった。
最近はYouTubeの更新も止まっており、大変に気分がいい。
逃げに逃げ続け、空っぽになった彼が無様に世を去るかことを心待ちにしている。
過去、彼氏がいたことはあるのだが、えっちを最後まで遂げたことがない。
なんか痛いし、尿意を催すし、気持ちいいのかよく分からず、指だけ入れて終わった。
いずれの彼氏も何回も試すことなく別れたので最後までやったことがなく、そもそも私って入らないのでは?と思っていた。
自分の指を入れると「体内」って感じでなんかちょっと怖いし指攣りそうだし……と思っていたところ、久しぶりに彼氏ができたので、予行演習にちょっとした大人のおもちゃを買ってみた。
ほそいシリコンのバイブみたいなもので、レビューを見ると私のように痛くて入らない人向けの慣らし商品のようだ。
それを使って発覚したこと。
最初はバイブをつけないでぬぽっと入れてみたのだが、やはり入ってすぐのところがヒリヒリとして痛い。
こりゃあこれ以上は無理かな?と思ったのだが、バイブをONにして入れてみたら不思議と痛くなくて突破できた。
OFFにするとやはりちょっと痛い。でも何回かやればOFFでも慣れそう。
適度な柔らかさでめちゃくちゃしなるし、1番太いところでも親指より少し太いくらいかな?って感じなので自分で調節できて良い。
尿意については、例の痛みが尿意を刺激していたのか、単に濡れてるだけなのかわからなかったが、タオルを下に敷いたら安心からか大事故は起きなかった。
ネットで調べると「それは潮です」みたいに書いてあるけど、うーん、こんなすぐに潮が……?でるもんですか?
もし処女で指が怖いと思っている人、相手が処女で悩みを打ち明けられた人がいるなら、「めしべ」という商品オススメです。
爪ひっかからないから痛くないし。意外と爪が当たって痛いのもあるんだよね。
ゼリーもあるとなおよし。
へばな!
過去、彼氏がいたことはあるのだが、えっちを最後まで遂げたことがない。
なんか痛いし、尿意を催すし、気持ちいいのかよく分からず、指だけ入れて終わった。
いずれの彼氏も何回も試すことなく別れたので最後までやったことがなく、そもそも私って入らないのでは?と思っていた。
自分の指を入れると「体内」って感じでなんかちょっと怖いし指攣りそうだし……と思っていたところ、久しぶりに彼氏ができたので、予行演習にちょっとした大人のおもちゃを買ってみた。
ほそいシリコンのバイブみたいなもので、レビューを見ると私のように痛くて入らない人向けの慣らし商品のようだ。
それを使って発覚したこと。
最初はバイブをつけないでぬぽっと入れてみたのだが、やはり入ってすぐのところがヒリヒリとして痛い。
こりゃあこれ以上は無理かな?と思ったのだが、バイブをONにして入れてみたら不思議と痛くなくて突破できた。
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適度な柔らかさでめちゃくちゃしなるし、1番太いところでも親指より少し太いくらいかな?って感じなので自分で調節できて良い。
尿意については、例の痛みが尿意を刺激していたのか、単に濡れてるだけなのかわからなかったが、タオルを下に敷いたら安心からか大事故は起きなかった。
ネットで調べると「それは潮です」みたいに書いてあるけど、うーん、こんなすぐに潮が……?でるもんですか?
もし処女で指が怖いと思っている人、相手が処女で悩みを打ち明けられた人がいるなら、「めしべ」という商品オススメです。
爪ひっかからないから痛くないし。意外と爪が当たって痛いのもあるんだよね。
ゼリーもあるとなおよし。
へばな!
計6誌に連載されていたにもかかわらず、連載当初はあまり注目されていなかったという[19]。1973年に最初のテレビアニメ化が日本テレビ放送網で行われたが、制作会社日本テレビ動画の解散により半年で終了。『ドラえもん』の人気も一段落したとみなされ、漫画連載の終了も模索されるようになる。
単行本は1974年8月から刊行開始された。第1巻はレーベル『てんとう虫コミックス』の第1号作品である。
単行本は当初、全6巻だけでの予定で刊行開始されたが小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、1977年には各学年誌に掲載されたドラえもんがまとめて読める雑誌『コロコロコミック』を創刊。人気・知名度もさらに上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた[20]。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した[21]。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は約2億5000万部を[22]、2020年時点で全世界累計発行部数は3億部をそれぞれ記録している[23]。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど[24]、小学館を代表する作品となっている。
本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディア、おもちゃなどのグッズは巨大産業と化した。1980年代の前半から藤本の執筆活動は本作の短編と大長編作品が中心となり、それまで定期的に発表していたSF短編の仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の新作執筆が不可能になったりする等の弊害も生じた。
人気を維持し続け長寿番組となっている。放送しているテレビ朝日は、同社(およびANN系列局)の実質的なマスコットキャラクターとして扱っており、さまざまな番組・広報誌などでドラえもんの意匠を使用している。災害発生時には「ドラえもん募金」の名前で募金活動が行われている。
高い知名度から、教育分野にも広く浸透している。小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが使用されているほか、大学入試の問題にも登場した[25]。
『タイム』アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された[26]。『日経エンタテインメント!』2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。
漫画家の「儲け」にまつわる話には、ふたつの矛盾するように見えるストーリーがある。
世間一般の思う、一度当たれば「印税」でガッポガポというイメージ。
一方で、例えば「バクマン」に描かれる、(いちおう)漫画家自身の表現によると「連載が終われば数年で貯金も尽きる」という話。
どちらが間違っていて、どちらが正しいのか? というのは誰しも思う疑問。
しかし深掘りして考えてみると、これは「どっちも正しい」。だからこそ、漫画家って商売は他にない特殊な営業形態なんだとわかる。
※以下では、漫画家業のもっとも「売れる」形態として「週刊連載漫画」に限った話を考える。
まずほとんどの漫画家は雑誌に連載するという形で基本的な収入を得ている。
ここではわかりやすく、1万円とする。
すると、1万円×毎週20P×月4本で、月収は約80万円(100万円弱)くらいが一般的な週刊連載漫画家の最低収入の相場と言える。
ジャンプコミックスの場合約40円。連載が続けば年に約5冊出るわけだから、例えば単巻10万部売れていたら2000万円の収入になる計算だ。
もちろんこれは税金等を一切考慮していない売上高であり、これだけの額になれば実際には半分程度持っていかれるだろう。それでも、なかなかの高収入に見える。
しかし問題は、これだけ大きな売り上げが見込める週刊連載漫画には、実際にはスタジオ制作というコストのかかるシステムが必要なことだ。
最低限度で考えても、アシスタントを4人雇えばその人件費だけで40万は下らないだろう。さらに、それだけの人数で描くと、多くの場合自宅作業ではなく別途仕事場を借りる必要もある。
まあこのあたりは人により原稿料もスタッフの給料もさまざまなので一概に言えないのだが、一般論として原稿料の高いベテランほど、大きなスタジオと技術の熟れた固定メンバーを確保して経費も大きくなる傾向がある。
そんなこんなで、よく言われるのは、原稿料はこれらの諸経費だけで全部消えてしまうという話。
増田にも漫画を描いた経験があるが、20Pの原稿を1週間(弱)で仕上げるというのは信じられないような過酷な作業であり、アシスタント制をなくしては、現代の商業誌に載っている平均的なレベルの漫画を毎週仕上げるなんてことは、作家の「画力」がどれだけあろうとほぼ不可能に近い。
商業漫画のクオリティというものは、この自転車操業のほぼ利益0のシステムが必須であるということはよく覚えておきたい。
一方で、出版冬の時代といわれる昨今、単行本はどれだけ売れているのだろう。
実は、漫画雑誌の中でも押しも押されもせぬ発行部数を誇る「週刊少年ジャンプ」と言えども、信じられないような低い数字も珍しくない。
「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」の華々しい数字がメディアに踊るので勘違いしがちだが、ジャンプ連載漫画のほとんどは単巻10万部も売れていない。
例えば、最近アニメ化もした「アンデッドアンラック」や「夜桜さんちの大作戦」(どちらも20巻を越える長期連載)でやっと10万部前後だ(総発行部数を巻数で割って大まかに計算)。
ものすごいものになると、大人気漫画「磯部磯兵衛物語」の作者・仲間りょうの次回作「高校生家族」は、ネット上ではちらほら好意的な感想が散見されたものの、実は売り上げは単巻1万部以下(計測不可)で打ち切りとなってしまった。増田も好きだったのでショックを隠しきれない。ドラマ、絶対いけると思たのに!!!!!
閑話休題。そもそも、「磯部磯兵衛」も単巻ではやっと30万部売れたくらいだ。「斉木楠雄の災難」も同レベル。ギャグ漫画はヒット作でももともとそんなものだということも注意しておきたい。
上でも計算したように、10万部売れてやっと年収2000万、税金が多く引かれることを考えると、サラリーマンならそれなりに良い会社に勤めているというレベルだが、長くても数年で終わってしまう印税収入であることを考えると、はっきり言って少ない。これが一桁上がると一気に数億円になって生涯年収というクラスになるが、そういう「上がり」の漫画家は本当に一握りなのだ。
原稿料はスタジオ維持費で消える。「もうけ」は単行本売り上げ次第。この二重構造が生むのは、株の売買でいうレバレッジの危うさだ。
株のレバレッジ買いというのは、簡単に言うと「株価が上がった時は2倍儲かるが、下がった時は2倍損する」ような信用買いを言う。らしい。増田も素人なのでそこら辺は聞き流していただきたい。比喩なので。
漫画家の場合、ある意味でなお悪い。連載があるときは、定期収入でスタジオを維持しつつ、漫画が当たれば大きなもうけがザクザク入るが、当たらなければそれなり。連載がなくなるとスタジオの維持費を賄う原稿料もない上に、普通は昔の単行本もそこまで売れ続けないので、ただ金が減るばかり。
当たらない漫画を描くということは、その連載中の儲けが少ないだけでなく、連載を終わらせることのリスクも同時に上げてしまうのだ。
当たらない漫画ほど、原稿料の維持のためにしがみつきたくなるという負のインセンティブが働くのである。
こうした不思議な構造は、漫画家が作品を当てて印税収入で儲けを出すという「作家」の側面を持ちながら、スタジオを抱えて自転車操業で日々口に糊するという「中小企業の経営」を求められるという二面性を持つ仕事であることに起因する。
本来、トキワ壮くらいの時代の漫画家は、前者の性質しか持たなかった。小説家や他のフリーランスのアーティスト業と何も変わらない「作家業」であった。
しかし、彼らが売れていくにつれ、漫画産業が盛んになるにつれ、漫画家は「作家」ではいられなくなって来た。
当たれば天国、外れてもまあまあの貧乏暮らしという気楽な稼業でなくなった漫画は、作家としての挑戦に誘うものよりも、日々の仕事をキッチリキッチリで稼ぐ真面目な仕事という側面が大きくなってきてしまった。それでいて、やはり作家自身の成功の如何は、印税収入という儚い夢だけに支えられているのだ。
たまに当たりはあるけども、当たったところでそれはそれだけ、次の事業拡大には繋がらないビジネスなんて、他にあるのだろうか?
こうした漫画家業の二重性は、もしかすると将来の漫画産業に負の影響をもたらすかも知れない。あるいは、既に?
週刊連載をしないと、ここまでのスタジオワークは必要ない場合がある。
とは言え、多くのメジャーな月刊誌を見ている限り、やはりある程度売れる作品は週刊漫画と同じスタジオワークとクオリティで商品価値を保っている例が多いと感じる。
さらに、やはり週刊連載漫画は漫画界におけるある種の花形である。
「鬼滅」「呪術」の例に漏れず、誰でも知ってる大ヒット作というものは週刊連載作品が多い。
これは作品の展開が早いこと、露出が多くなり話題にあがりやすいことなどが理由としてはあるだろう。
ジャンプ連載作品というブランドがまだまだ強いとも言える。しかし、それでも上で述べたように、大半は10万部も売れない自転車操業なのが現実である。
逆に言うと、この状況を変えれば、週刊連載という危うい綱渡りに賭けなくても良いのかも知れない。
現代はネット社会である。作品を世に出す、露出させることについては技術の恩恵がさまざまに得られる時代である。
漫画産業がこれからの時代も伸びていくかどうかは、こういった状況をうまく利用して、漫画家という「稼ぎ方」をどれだけ変えていけるのかにかかっているのかも知れない。
映画俳優でも、舞台役者でも、ドラマ俳優でも、みんな台本覚えて演技に挑んでると思うんだけど
覚えられないの?
トム・クルーズなんか重度の学習障害あるのに台本は覚えてるよ?
大昔、キム=タクがハウルのアフレコ現場に台本持たずに来て最後まで演じ切って帰ったのを
お前朝鮮人だろ!
「違うけど」
みたいな論法
仕掛けてる方はアグレッシブなつもりでも
「そこまで必死こいて言い張るならエビデンスのひとつも出してみ」で一手詰み
バカはバカらしく最初から最後まで汚言の弾幕張ってればいいのに
匿名なら対等になれた気がして知ったかぶってひと理屈こねようとして勝手に転んで泣く。
匿名だし最悪自演でもコピペ連打でもして根負けを狙えばいいとタカを括ってるが、当人の想定より少しだけじっくり詰めてやれば意外にあっさり心折れる。
こうも仕掛けを詳らかにしてあげても身になったりはしないんだろうけど
IT業界で、昔はSESで働いていて、大手によく客先常駐していた。どこも大手ばかりでノウハウはしっかり蓄積され、設計書なども充実していた。
SESを脱退し、そこそこ大手のIT企業の正社員になれた。しかし、そこはこれまでのSESで客先常駐していたような企業とは違い、あまり体制的には良くはなかった。
工数管理は基本中の基本であり、やらないIT企業はなかなかないだろう。しかし、当社は違った。
1日に何をしたのか、報告の義務はなく、ただ作業していればよかった。
工数管理とは、案件ごとに工数管理のための番号(工数番号)を振り、さらにその工数番号ごとに要件定義、基本設計、詳細設計、実装/単体テスト、結合テスト、総合テスト、などのサブ番号に分割して、工数を登録することである。
さらにセキュリティ教育などは個々の案件と無関係なことが多いので、維持管理用の工数番号が振られていることもある。
リリース後のトラブル対応なども工数を消費するので、それ専用の工数番号などもあったりする。
さらに、日々の工数を詳細に記載する日報のようなものも導入しているところが多く、どの作業に何時間作業したかを15分単位などで記載する。
工数管理のいいところは、作業をサボりにくくなることだ。作業効率が客観的に見えてしまうため、現実を突きつけられ、もっと頑張らなきゃ、と思う。
工数管理のだめなところは、とにかく面倒くさいことだ。当然だが、工数管理を行うための工数、は工数管理には入力できる枠はない。が、確実に無視できないレベルで工数を消費する。あとトイレなどにつける工数などもない。
しかし、活用されておらず、形式上だけ数字さえ入っていればそれでいい、というものだ。
その形式上すら煩わしいらしく、若手の意見をバリバリ言う人から、
・工数管理は全く意味がない。適当な工数を入力していても誰もチェックしていないのか、何も言ってこない。
・工数管理をしっかりすれば、1日に働いた時間がわかるのだから、勤怠システムは不要である。工数管理システムと勤怠システムを一本化すべきだ。
などの意見が出ていた。
そりゃあ工数管理が根付いてない企業に工数管理を行えばそうなるでしょう。
工数管理は業務に結びつくものではなく導入メリットは明確には測れない。しかし、めんどくささは圧倒的だ。
結果、工数管理システムは完全に廃れ、入力すらしなくても誰も何も言わなくなった。
つまり、当社はよく言えば従業員の意見が通りやすい、悪く言えば従業員のわがままが通ってしまう企業なのだ。
従業員の意見を尊重し、押し付けをせず、それぞれのルールを重んじる。良いことであるが、それでは業務は改善できない。
これまでもそこそこやれてるのだから、それを無視して新ルールを導入しても、組織が壊滅する可能性が出てくるだけだ。
工数管理は基本中の基本だ。どこもやっている。それすらも当社は従業員のわがままが通ってしまうのだ。
(まあ当社の工数管理はテキトーだからダメだったのであって、もっと厳密に管理して、日報なども義務化すれば、これまでサボってた社員もサボれなくなり、結果的に業務は改善していたと思うが。)
PDCAはPlan, Do, Check, Actionの頭文字を連ねたもので、つまり、まずは予定(Plan)ありき。予定がないと実行(Do)はしてはいけない。
実行した後は必ず振り返り(Check)を行いなさい。
当社もPDCAの概念はあるし、週報という形でそれを実現している。
しかしその概念は根付いておらず、週報以外ではPDCAは無視している。
つまり当社は、まずは実行があり、計画は立てることは必須ではない。多くの人は計画を立てない。
振り返りも当然実施しない。実行のみがある。Do, Do, Doである。
これは作業者レベルでそうであるし、案件レベルでもそうだ。案件はたしかに最後には振り返りの資料を作成する必要がある。しかし、これは単に作成しなきゃいけないから作成してるだけで、綺麗事をまとめた振り返りである。
本来は、まずは理想を語り、次に現実を語る。しかし当社は、過去をグダグダ言っても仕方ない、と理想を一切語らず、現実のみを語る。しかし振り返り資料には上司受けするような荒唐無稽な対策が記載される。
当社は、作業の前には計画ありき、などの文化は全く根付いていない。優秀な人間でも根付いていない。
私はただの平社員なので、それらについて指摘はできない。指摘したところで「じゃあどうするの?」と詰められて終わりだ。指摘するなら十分な資料の作成と具体的な対応策の準備、そして責任と人を動かすカリスマ性が必要だ。私にはそれらを準備してまで無駄に頑張る気はない。
と書かれていた。
本来は、業務改善は個々のチームだけの問題ではないので、上層部でマニュアル化してルール化すべきではないのか?
アイデアは個々のチームから出してもらっても良いだろうが、それを取りまとめて全体で取り組ませるのは上層部の役目ではないのか?
それをなぜ、個々のチームに依頼する?
業務改善といえばマニュアルの作成や設計書フォーマットの作成だ。
それは能力の低い人でもマニュアル通りに作業することで能力の高い人と同等の仕事をできるようにするためである。
しかし、当社はマニュアルを作る習慣はない。自分用のメモは作るが、維持管理に使えるマニュアルは誰も作らない。
フォーマットがあるだけで記載漏れがかなり減る。考慮漏れも減る。作業が具体化されるからタスクも細分化して記載できる。
当社には推奨するプログラミング言語はなく、推奨のフレームワークもない。
これらが共通化されていれば、開発者がいろいろなチームに参加しやすくなるし、別のチームの有識者に相談しやすくもなる。
こういった業務改善は本来は上層部が率先して枠組みを作るべきだ。しかしやらない。
上層部に知識がなく、やるとしたら雑な仕事しかしないから、やられると逆に困るのだが。
当社はとにかく従業員の声が大きい。強い。
業務改善などの施策を出しても、従業員が納得しないと続かない。
そういう文化を変えるのは並大抵のことでは出来ない。
環境が変われば人は変わるだろうが、そもそも環境を変えるには人を変えないといけない。だから変わらない。
仕事が回らなくなり死にかければ変わるかと思ったが、たぶん変わらない。
仕事の仕方を変えるくらいならきっと死を選ぶだろう。それくらい変わらない。
2024/05/15 10:48
工数管理すべきなのは、成果物ではなくサービスを提供する人なのかもしれない。例えばPMなど。
当社の開発チームは、開発者やPM以外にも、君必要なの?何やってる人なの?打ち合わせには参加してるけど、ただの工数食い虫じゃね?みたいな人もいるのです。
同人女界隈はまぁドロドロとしてるので頭おかしい女がサークルに突撃してくることもあるのね
そういったのを除けるために男を置いておくことがあるんだけど、
あるサークル主がイケメン彼氏(一般的にはの話。絶世のイケメンとかではない)を連れてきたばっかりに
彼氏と絡む客が多発。彼氏もまぁ優しいし彼女のことで大事にしたくないからって来るもの拒まずで接してたら
サークル主が鍵垢で爆発してた。
ここまではわかる
自分で連れて来たのにイケメン彼氏がモテてるのを見て嫉妬したってことだよね?
(アホかと思うが日本語はわかる)
これ誰の何の話なの?
イケメン彼氏連れて来たら粉掛けられて不快になって爆発したサークル主が
以降は反省してイケメンでも彼氏でもない別の男を調達したそうです
ってこと?
私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語の背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。
しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。
礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。
二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性の教頭先生だった。
学校の体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女の写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。
三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子ししまる。
母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。
私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からあまり積極的に関わろうとはしなかった。
高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。
なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。
私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。
数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしかに写真や映像でうんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。
四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいたものの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。
祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所で飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車やパトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。
父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。
私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。
その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるまで玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。
諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。
以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。
死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。
そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。
ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母はあの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である。
そんな祖母の葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格も道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議で自分に腹が立ってしょうがなかった。
祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。
五度目はまだ起きていない。
母方の祖母は癌治療中で、祖父はボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。
いつか絶対に五度目がくる。
何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。
みんな死んでほしくないな、死にたくないな。
こんな文章を綴る気になったのは丁度そんな時に夢で思い出させられたからだ。
僕はきっとこれからもこの思いに蓋をして、また何でもない時に思い出して苦しんで。
そんな気持ちを引き摺らない為にこうしてここに思いを吐き出し、決別しようと思う。
今まで文章らしい物なんて書いた事がないから読みにくいかも知れないが、もし、もしも貴女に読んでもらう事が出来たなら最後に伝えたい事がある。
届くかも分からない、届いても実らないラブレターだがそれは貴方がそれ程素敵なひとだった何よりの証拠だから胸を張って読んで欲しい。
僕は小学校の時から給食が嫌いだったから母親の作るお弁当を食べられる学校に進みたくて中高一貫の私立校の受験勉強に努め無事進学した。
そこにはマイナースポーツの部活があり、勉強しかせず好きな人なんて考えたことも無かった僕は「スポーツで活躍すれば漫画の世界みたいなモテモテ人生が送れる!」と思いその部活に入部した。
最初は同じ部員というだけで一目惚れもなく、部活自体が楽しかったこともあり当初の目標からかけ離れたレベルで部活にのめり込んでいた。
その熱を同期に伝播させたかった僕は貴女や同期の仲間に練習に誘い、共に高め合っていた。
秋になって自分達の道具を揃える為に顧問の車に皆で乗りこみ遠出をしたあの日。
車の中で部活の話だけでは時間が余ってしまった時、恋話にもつれ込んでいった。
僕は浮いた話など全く無かった。
今思うと羨ましかったんだと思う。
そんな貴女に負けたくない、いや、仲間なんだから同じ様になれれば。付き合う事ができれば。
僕はそんなに器用では無かった。
なんなら自身の好意を上手く隠す事もできず、性に目覚めた中学生らしい助平な男のままアプローチをしていただろう。
日夜布団の中で見ていたAVからしか恋愛の仕方を学んで来ていなかった僕にはどうしようもなかった。
でも、部活の方では少しでも格好をつけられる様に毎日努力をして、いつしか地方大会・全国大会にまで届くレベルになっていた。
と言うのも僕はその彼氏とも仲が良く、僕が貴女の事を好きな事も伝えており応援されながらも大きなライバルとして存在してくれていたのだ。
彼曰く、将来の為に勉強して良い大学に進む為に集中する、との事だった。
彼は僕に対して「次に彼女を幸せにできるのはお前だと思う。絶対に逃すなよ。そのまま大人になって結婚まで行ったらスピーチは俺がしてやるから!」なんて激励までしてくれた。
男泣きを経験したのはこの時が初めてだった。
僕は彼の将来を応援する為に、また彼の心に報いる為に真剣に貴女に恋をしようと決心した。
僕はまたここで失敗した。
振られたらどうしよう、と傷つくのを恐れて一歩を踏み出せなかった。
傷ついていたのはあれだけ素敵な彼氏と別れた貴女だというのに。
僕に残っていたチャンスはここで無くなったんだと今思う。
いつの間にか高校に進級した僕は個人枠で全国大会に出場が決定した。
全国に行ける嬉しさで更に部活にのめり込んでいった僕とは裏腹に貴女や同期の皆は県予選で敗退してしまい、勉強に段々と集中する様になっていき距離が段々と広がっていった。
結局全国では何も結果を出せないまま、貴女に何も伝える事ができないまま、部活の引退のシーズンまで向かった。
かなりショックではあったが妙に納得してしまった。
僕は大会で結果を出したくて(貴女に見てもらいたくて)練習を頑張り(勉強を怠け)その結果、何も得ることは無かった。
貴女の気持ちがどこにあるのかを考えず、ただただ自分が幸せを追い求めていただけだった。
僕の事を応援してくれていた彼には何をしていたんだ、と呆れられたが慰めてはくれた。
本当に貴女の周りには相手の気持ちを汲み取り行動する事のできる、それでいて自分の夢の為にも努力できる人達で一杯だった。
僕はやっぱり不器用だ。
僕は運良く現役で大学に受かったが、貴女は甲斐なく浪人してしまう。
気持ちに踏ん切りをつけられていなかった僕は何とかしたくてもう一度貴女にアプローチした。
まだ浪人中で勉強を頑張っている貴女を無理矢理誘って告白した。
どこまで行っても僕は一方通行の感情を伝える事しか出来ていなかった。
結果はNO。当然である。
僕の性格を知った上で「あえて」言わなかったのだろう。
就職してから自己研鑽の為に本を読む様になった僕は過去の至らなさに気付き始め、相手の事を慮る努力を始めた。
だが恋愛に対しては自身の欠点に気付いた事により奥手になっていた。
その為、彼女はできず。
偶に帰省して貴女と同期の皆と会った時には昔の性格を引きずり、「彼女は勿論、セフレだっている」なんて見栄まで張っていた。
きっと皆は察してくれていたんだと思う。
「僕が傷つかない為には仕方ない」
全国転勤で飛び回る中、地元の近くに異動が決まった。
ラストチャンスがあるかもしれないと考えた僕は貴女に連絡をした。
遅かった。いや、スタートラインに立っただけでアプローチができると思っていた自分が愚かしかった。
相当参ったのか酷い風邪を引いた。
ただただ泣いた。
だがそんな事は無い。
皆等しく頑張っていた。
元々貴女の周りにいた異性は須く相手の事を慮り、努力ができる人達だった。
結婚式、披露宴の間、僕はずっとビールを煽り続けていた。貴女と顔を合わせる事なく。
僕はここで貴女を諦める。
その為に来たのに最後の最後まで自分が傷つく事を誤魔化すためにアルコールに逃げたのだ。
恋愛を諦めて一年経った今、僕に罰としてあの日の記憶が夢として思い出された。
それとも、貴女諦めきれなかった未練がそうさせたのか。
逃げる為に煙草を燻らせながらこうして文をしたためる。
逃げるなら違う方向へ。
最後に。
僕は貴女のことが好きでした。
この恋が実る事は無いけれど、僕も貴女と同じ様に素敵な人達に囲まれた人生を目指してもう一度頑張ろうと思う。
貴女に負けないくらい新しくできた友達、伴侶と幸せに生きていきます。