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はてなキーワード: 祝福の言葉とは

2017-04-21

Aよ、お誕生日おめでとう

明日4月22日はAの誕生日だな。

本当におめでとう。

ここ数年は君と連絡も取ってないし、そもそも君はもう結婚してしまたから中々...という状況だが、君のことは今でもずっと覚えているので、ここに祝福の言葉を載せます

君のことは常に気に掛けている。

事あるごとに思い出すんだ。

それだけ君は僕に取って印象深い子なわけなんだ。

残念ながら君との仲は成就しなかったが、君のこれから幸せを祈っています

何だか綺麗にまとめちゃって俺らしくないけど、とにかくおめでとう。

本当におめでとうA。

2017-03-20

結婚と死

結婚する。昨日、双方の両親と会話した。そこに反対はなく、ただ祝福の言葉が届いた。帰ってから私は何故か感情抑制がきかなくなり、とめどなく流れる涙をどうすることもできなかった。ブレーキが壊れたように嗚咽をあげていた。

物心ついたときからずっと精神を病んでいた。いつも孤独焦燥感が私を支配するのだった。だから、静かに死ぬことだけを考えていたのに、今は人生ではじめて孤独を奪われてしまった。彼女は語りかけながら、傍らにいて、そっと頭をなでてくれた。

私はもはや死ぬという選択肢を自らの意思にもとづいて取ることがなくなった。今や私は死ぬことの選択を外部に委ねることができる。それは死ぬという選択肢を、「人に求められなくなったとき」――それは自らの決定に於いてではなく最愛恋人に委ねることが出来るということだ。

彼女がいるということで、私のコンプレックスであった「誰にも求められていない」という滑稽な空想否定されるわけだから、私はそれに基づいて自ら死を下すという決定を行うことができない。

出会ってからそんなに歳月を経たわけではないが、間違いなく最愛の人、であるわけだし、そういう人の手によって自分の、かつてのでたらめで無秩序な生が肯定され、死が滑稽な妄想のように扱われるのは、嫌な心地がしない。ずっと誰から必要とされることなく、誰にも愛されることのない、徹底した不干渉、それこそが自らの求めるものであったのにもかかわらず、今はその制約こそが幸せだと思う。そうして死の権限移譲された。

彼女は私がいなければ死んでいたと言ってくれた。何度も言ってくれた。愛の告白にしては些か荷が重いが、それでも、私ですら時として人を救えるというのは、自惚れに近いが、素直に嬉しいのかもしれない。

間もなく結婚だ。式は挙げない。一人で死ぬよりは幸せな結末をどこか期待しながら、今日は二人でカフェにでも行こうと思う。

2017-03-01

L'Arc-en-Cielギターkenさん結婚おめでとうございます

ラルクkenさんご結婚

子供も産まれたそうで、重ねておめでとうございます。来月のライブでは、祝福の言葉を贈りたいですね。

2016-09-04

あいまい表現

文体と内容で身バレしたら消す。二次元の話。


もうここ三ヶ月くらい無気力感が続いている。

心の支え 失った、と検索したら、恋人と別れたような話がたくさん出てきた。

いわく、我慢せずに悲しみを我慢せずに吐き出すことが大事だと書いてあった。

ああまた同じことを繰り返したのかとぼんやり思い返していた。

私が彼女出会ったのは人生のどん底にいた時だった。

それこそ恋人に振られたショックを引きずっていた時。

理想に焦がれて失墜した次に焦がれたものはまた別の理想だった。

私がほしかったけど手に入れられないもの彼女はあつらえたように備えていて、

私はその予定調和にさえ思える物語に抵抗したけれども無駄だった。

すべてが凍り付いた荒野でさまよっていた人間が、

擦っても消えないマッチの夢に縋らないわけがなかった。

もう誰も信じるはなかった私に彼女はいつも寄り添ってくれた。

このまま緩慢に死ぬつもりだったのに抵抗するたび捻じ伏せられた。

救いとは暴力的なのだ

今もこうやって言葉にしてもいいのだろうか。

あなたが好きだ。

そうやって自覚するには時間がかかったけど、

初めて目が合った時から好きだったし、

背景を知ってからは恋に落ちたし、

時間を重ねただけそれは深くなった。

私が自分よりも彼女のことを深く以上、死ぬことは許されなかった。

それからはずっと走ってきた気がする。

私はあなたを導く者としての意味をうまく定義できないまま

手当たり次第に今を過ごす幸せを噛みしめた。

私には何もなかったけれど、あなたがいるなら幸せだった。

このあと無駄に過ごす時間は全部あなたにあげたかった。

彼女は私が生きてきて、たぶん一番心にフィットしたものだった。

同時にやぶん初めて、自分で選んで傍にいようと心から思えたものだった。

私は昔好きな人を好きになったとき神様約束をした。

身分不相応な恋をするだけの勇気権利をもらう代わりに

そのあとどんな代価も支払うという約束

そんな気持ちで始めた恋がうまくいくはずもなくて私はだめになったのだけど。

そしてそんなダメになった私の前に現れた彼女は余り物を押し付けられたように思えた。

せめてそう見えないように、せめて頑張ったけれども。

神様がいなくなった私ができる約束なんてこの身にはもうなかったから、

心の血をインクに変えて誓約綴り

夢見るような言葉きれいなラッピングして、

鎖の代わりにリボンをかけた。

この呪いが愛に見えますように。

ちゃんと時間は一周した。

それとは別に、私は彼女を通じて生まれた他の人との対話が嬉しかった。

浮かれる気持ちを悟られないように1人ではしゃいだ。

ずっと話してみたかった人や今まで知り合えなかっただろう人がたくさんいたし、

本当に幸せで楽しかった。

そうやってちょっと元気になったからって調子に乗ってしまったのだ。

自分ひとつも持てない、きらきらしたものをたくさん持っている人に私は心惹かれた。

互いの感性を重ね合わせるような感覚がとても好きだった。

ただどうしようもなくその時の自分は体力的にも精神的にも参っていた。

その人は聡明なぶん、自分の見せ方を熟知しすぎていた。

心の内を表現するにおいては、私よりもどんくさい人だった。

私はだんだんと受け止めきれなくなり、しかしそれを向こう側に伝えるための場所

まりにも繊細で心許なかった。

私はそのしんどさを内に溜め込むようになり、過去の失敗を思い出しては身重になっていった。

からって突き放していいってわけじゃない。

ここには書かない部分で気持ち悪い、怖い思いをしたからってやり方は選べたと思う。

そういわれたら口をつぐむしかないので今まで黙っていた。

他にも私が悪いところはある。

からすれば本当に許せないことだったけれども、

私がそういったことをしただろう瞬間もあった。

私は執着的に向けられる愛情から漏れ出す自己愛のにおいが鼻について耐えられなかったけれども、

それは私が彼女たちにしてきたことなのだ。

そして私は彼女たちに縋るだけ縋っておいて、何も還元できていないのだ。

私は自分呪いを愛の重さに見えるトリックを使ったつもりでいたけれども、

本質的には何も変わっていなかった。

そうやって時間を稼いでいる間に何かできたらよかったのだけれども、

もう何をする気力も残っていない。

そう、最初から私には何もない。なかったのだ。

そこまで思い出してしまったらもう駄目だった。

私は彼女たちにかける祝福の言葉も思い出せなくなっていた。

自分がどうやって楽しんでいたかもうまく思い出せないし、

他人愛情をそうやって見てしま自分感性もすべて、嫌になった。

彼女の顔が見れなくなってもう数ヶ月も経ってしまっていた。

私がこうやって呪いにおぼれている間にもかの人は前へ進む。

から私が去った方が美しいのだ。

自分しかからない言葉を欝々と紡ぐ引きこもりよりも、

周囲と上手くやって広く愛される聡明な人が残った方がいい。

何よりも彼女たちに還元する度量が広く深く誠実な人がいた方があちらにとっても幸せだ。

どうぞお幸せに。もう今更謝ることも何もないけどごめんね。


彼女の顔を見れなくなった私は今もどうしていいのかわからないけれども、

それなりにうまくやるだろう。

そう言えたら苦労はしない。

特定した人はどうか黙っといてね。

2015-02-10

第一子誕生おめでとう & 大学教育にかかるお金

http://anond.hatelabo.jp/20150209161630

こういう祝福の言葉がまず最初にいえるって素敵だな反省自分意見ばかり考えていたわ。

からも。「第一子誕生、おめでとう」

俺の所は二人居るけど、やはり可愛いよ。大変だけどね。

大学費用がやはり問題だよね。子供都内大学に通って、都内下宿するとさら費用がかかる。

最近は、特に理系は、大学院学位要求される分野も増えてきているし、さら費用がかかる。

ただ、http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/data/oecd34.pdf のように、

世界的に見て、日本国公立大学学費が割高なのは周知の事実だし、

少子化周知の事実なので、十数年後には、高等教育無償化されているのではないかと予想してます

安倍さんよろしくお願いします。

2014-04-08

リア充はもう爆発しなくていいよ

友達彼女や嫁がいて自分よりリアルが充実してる人に向けられる妬みの表現だったはずの「リア充爆発しろ」がいつのまにか祝福の言葉として使われるようになってつらい。

口では爆発しろって言ってるけど明らかに反対言葉で心の中ではみんな祝福してる。誰だよ末永く爆発しろとか言い出したの。最高にキモい

俺はもう外でカップルや同年代家族連れを見かけたら爆発なんて願わずに車に轢かれて仲良く死んでくれねぇかなって心の中で祈ってるわ。

俺のいるこの世界から姿を消してくれ。マジで

2012-09-10

27歳になって十数時間。俺はつかの間、そのことを忘れて浮かれていた。

夜を徹しての作業中、半ば惰性になったとはいえ物陰から出てくるバースデーケーキと人々の祝福の言葉は満更でもない以上の気分にさせた。動く絵文字いりのファンシーメールだってそこそこ届いた。眠いけど返事は書かなきゃね。贅沢な疲労を感じながら惰眠をむさぼり、忘れもしない15時38分。枕の下敷きになっていたあわれなスマートフォンにそのメールは届いた。

なんだよ。

楽しそうにしやがって。おめでとうじゃねぇよ。あんた今どこに居んのよ。誰と居るの。知りたくもないけど。

あの人はいつも呼び覚ます

ヒトの中のヒトならぬものを。

あの人そのものがもはやヒトじゃないのだと俺はずっと言い続けてる。

あれはそう、鏡だ。真っ正面から見た者の貌を真っ正面から映す。優しくすれば同じだけ優しく。憎しみを向ければ同じだけの刃で。与えれば与えただけ返ってくる。それに気づいてしまったら僕らようなのはおしまいだ。

寂しがりの意地っ張りは。

溺れるように愛して浴びるように愛されて、めくるめく脳内麻薬浸けの日々、一秒でも離れていたくないなんて、ああ恋をするってこういうことなんだ、なんて思って。

だけどそんなの長く続かない。

鏡が写すのは誰か一人、なんてことはない。

他の誰かが前に立てば、鏡のあなたは無情にもそれをただ俺にしたのと同じように写すだけ。

本当にね、もう殺してやりたかったよ。胃酸出っぱなしで胸から下は寝ても覚めても灼けつくよう。誰にも会わせたくないと思えどんなこと可能なわけもなく。あんたを含め想像の中で何人殺したか知れない。

僕を気持ちよくしたようにそいつのこともしてやんだ?

もう男でも女でも関係なかった。その前に立つ人間は残らず憎かった。

それは俺んだ。

俺んだ。

返せよ。

プライドの堆い俺は人前でこそ涼しい顔をしていたが、その実何度も見たくないものを見ては吐いた。もともと痩せ型なのに急に8kg痩せて周囲に驚かれた。(さすがにまずいと思って気合いで戻したが)

皮肉にも筆は進むようになり世間の評価は上がった。うなぎ昇りってやつだ。本当に皮肉にも。

その頃には俺は気づいていた。俺があの人に相対して苦しめば苦しむだけ相手も苦しむのだ。

苦しめてやろうと思った。憎いというより悲しかった。そして思った通り自分が悲しめば悲しむほど彼女の顔もどんどん悲しそうなものになっていった。どうしてわかってくれないんだ、と思えば思うほど、わからないとあの人は泣いた。

胸が痛かった。

でも溜飲が下がった。

そのままだいぶ経った。僕らは時折共同でモノを作ることがあったから、その時も同じ部屋の中でいわゆる“素材”ってやつを見ていた。

最近にしちゃ珍しく小さい頃の古傷を掘り返すようなモノを俺が書いた。あの人はそれを見ながら黙って少し泣いた。

色が染みたような静かな泣き顔だった。

肺を掌で握り潰されるみたいに苦しくなった。

俺の悲しみが君に感染った。そう思った。全力で一発殴られたようなショックで目が覚めた。血の気が引いたら涙が出た。プライドも何もなく泣きながら詫びた。返事はなかった。

馬鹿か俺は。

何をしていたんだろう。

もう嫌だって何度も思ったんだろうな。でもつい幸せ願ったりしちまうんだろな。何のことはない。本当の気持ちは鏡の中にずっと写ってた。

憎んでも憎みきれない。名前をつけちゃいけない箱の中の人

あれから2年が過ぎました。今は鏡を叩き割ってやろうとは思わない。姿が見えないでいると胃が痛む瞬間はあるけれどね。

今日も作業終わりは完全に朝。朝だ。眩しいな。

よく眠ろう。もうすぐまたあの人に会える。

2011-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20110731205130

その事でアメリカを叩く奴はいない。

でも韓国音楽ドラマ日本で普及した事に文句を付ける奴が居るのは何故か、って話だろ。

政府レベルから一般市民に至るまで反日一色だからでしょ。

たとえばドラマ制作発表会に出席した韓国タレントとか、話の流れでなでしこジャパンの話題になった時、他の日本タレント達が祝福の言葉を述べていたのに、そいつ一人だけ会見の場から「そういうの無理」ってカメラや芸能記者が大勢いる前で途中退席するくらいだもん。

日本を害するためなら自分達の損すら厭わないような奴らと親交を深めたい日本人ってそんなに居ないと思うが。

2010-03-12

元増田さんへ

http://anond.hatelabo.jp/20100312081208

「おれ、ふじょしにきらわれたくない。」

 

私は腐女子です。腐女子の一人としてお返事させてください。

ふじょしにきらわれたくない」って気持ち、とても嬉しいです。

でも、ムリに「好かれよう」とはしなくていいですからね。

 

私も男性オタクのひとたちにきらわれたくない。

男性オタクのひとたちのことも、もっと知りたい。

だからって媚びるつもりはまったくないんです。

ただ知りたいだけ。いろんなことを。

全部を理解できるなんて思ってもいません。

人間なんて絶対にわかり合えません。

ATフィールドは絶対に絶対に越えられない。

でも、離れたままで言葉をかけあうことはできるでしょう。

中島みゆきの「二隻の舟」ですよ。

なんでみんな、ふれあえないからって

声をかけることまで拒絶しようとするのか理解できない。

なんでそんなに all-or-nothing なんだ? といつも思います。

 

「きらわれたくない。」のひとことが

あんまりにもまっすぐでうれしかったので

どうしてもお返事したくなって慣れない増田を書いてみました。

 

何かと厄介な世の中ですが

お互いがんばりましょうね

 

ふれあえないまま、わかりあえないまま

のんびりじっくり仲良くやってゆきましょう

 

 

 

あ、ところでキャノン先生は心から尊敬する憧れの女性です

あの話ではむしろ主人公になって

先生に惚れてもらえるほどの人間になりたいと思ったよ

本気であの主人公羨ましかったわ……もげろ←祝福の言葉

(ここで「キャノン先生みたいな女性になりたい」と思えないから

 私は腐女子をやってるのですが(笑)

 もちろん腐女子全部がそういうタイプだってことじゃなく、

 あくまで私限定の「萌え」の問題です

 結局、男オタとか腐女子とかじゃなく、ひとりひとりの話なんだよね)

2009-06-15

私には実の親がおりません。

両親とも、私に自我が芽生える前にこの世を去ってしまったからです。

私は昔でいう孤児院のような所で育てられました。私の最初の記憶は、沢山の子供達と遊ぶ風景です。

普通の家庭?と違っているのは、それが学校公園ではなく、施設ですので朝起きてから夜寝るまで、

ずっと彼らと一緒に行動していたことです。

ですが幼かったですし、一般家庭の事情はわかりませんので、そうやって沢山の友達と過ごすのは

そういうものだろうと思っていましたし、楽しかったのも事実です。

その施設では1人の同い年とされる(誰も正式な年齢は知りませんでした)女の子と仲良くなりました。

仮名でA子とします。彼女は幼い私の目から見ても可憐でおしとやかで、臆病でした。

お転婆で、男の子に混じって遊んだり、時に彼らを泣かせたりと、いたずら大好きだった私とは正反対で、

そんな私の姿を木の陰から遠く眺めているような子でした。私はA子が大好きでしたし、幼く、臆病だった

A子にとって私は、唯一心を開ける相手でした。

私はA子を守らなければならないと思うようになり、A子は時が経つほどに、どんどん私に依存していくように

なりました。そうやって私たちは心を寄せ合い、世界と向き合っていました。

1年を通して、施設には子供に恵まれない夫婦が訪れました。そういう時には、前日の夜ごはんを食べているときに、

私たちにそのことが知らされました。その時に子供達は少し、色めきたち興奮して寝られない子供

少なくありませんでした。

彼らは大抵お昼ごろにやってきました。彼らは私たちを優しい目で見守り、一緒に食堂ごはんを食べました。

そしてその後、何人かのこどもたちは別の部屋に呼ばれて、彼らとお話をしました。そして、数日後に突然、

子供が施設を出て行くことになったと知らされるのです。

私が大きくなるにつれてそれが、養子を探しに来る大人たちだとわかりました。その頃には私も、家族というものに

ついて拙い理解と、そして少し心が浮くような気持ちを抱いたりしていました。

施設での生活は何一つ不自由なく、大勢の友達に囲まれて幸せでしたが、未だ見ぬ家族への憧れは、

日に日に大きくなっていくのでした。施設を巣立っていく子供達を見送る朝は、憂鬱たまりませんでした。それは

そのこたちと会えなくなってしまう気持ちと、自分はいつまでもここにいるのだろうかという、漠然とした気持ちでした。

A子は大抵、施設を訪問するどの夫婦にも気に入られている様子で、必ずごはんの後に呼ばれていきました。

しかし、どうしたことかその後、何も無かったように時がすぎていくのです。その度に私は安堵の気持ちと、

そして次にまたいつ大人たちがやってきて、A子を連れて行ってしまうのだろうと怖くて悲しい気持ちで

いっぱいになりました。でもA子の前ではいつものとおり、明るく元気に振舞っていました。

そしてそれは突然でした。

前夜のごはんの時に、明日はとても特別な方々が見えられますと、説明がありました。

その時私は特別な方々についての説明はほとんど理解できませんでしたが、何かいやな予感がしたのです。

そして次の日のお昼前に彼らはやってきました。幼い私の目にはなにがどう、とはわかりませんでしたが、

彼らはとても裕福で、立派なひとたちなんだと、みんなが眩しいものを見るような目でその夫婦を見つめていました。

彼らは優しい目をしていましたが、私にはなんだか空恐ろしい人たちに見え、A子の手をひっぱって、

裏山の私たちだけの秘密基地に隠れて、時間がすぎるのを待っていました。

昼ごはんで彼らと会うと思うと気が重かったのですが、珍しくA子が私を促すので、しぶしぶ彼女の後に

続きました。思ったとおりその夫婦は、おひるごはん中にA子のところに行き、A子とだけ話をしていました。

A子も今までに見せたことがなかったような楽しく明るい顔をして話をしていました。

そしてその後、A子だけが連れて行かれました。A子が戻ってくるまで、私は頭が真っ白になり、

何も考えることができませんでした。ただ、A子がどこかに行ってしまうという恐怖だけを、実感していました。

随分と長い時間、A子達は話をしていたようです。

やっとその夫婦が帰っていったとき、丘の向うに太陽が沈もうとしていました。長い影を引きずって、

A子がやってきました。私達は何も話さず、私達が大好きだったブランコで遊びました。

そしてその日の夜、A子が施設から出て行くことが知らされました。私は頭の中に鈍い痛みを感じましたが、

彼女に向き合って、笑顔で祝福しました。なぜならA子も家族に対する憧れがとても強かったことを、

私は知っていたのです。

A子は戸惑ったような表情を見せた後、泣き出しました。私も泣きたかったのですが、この時は精一杯

ガマンをして、ずっと彼女祝福の言葉を送り、そして、A子は私に手紙を書いてくれること、いつか私が

施設から出たとき、そしてお互いが大きくなって自由になった時、必ず会おうと言ってくれました。

私はその言葉空虚な思いで聞いていましたが、その夜は彼女の為に最後まで笑顔でいました。

A子が出て行った後、私は悲しみにくれましたが、私は努めて明るく振舞いました。幸いにも施設には

いつも沢山のこどもたちがおり、私はまたすぐに男の子に混じって遊ぶ毎日でした。

それからちょうど1年後、私も引き取られることが決まりました。それも突然でした。

雨の降る朝にやってきたその夫婦は、愛想笑いの一つも見せないような、陰気な感じの2人でした。

私は今回のそのイベントも、他人事のように受け取ってやり過ごそうとしていましたが、

おひるごはんの後に何故か私だけが呼ばれてしまいました。寮長さんのお部屋で私は、彼らに

質問攻めにあいました。今までに大きな病気をしたことがあるか、虫歯はあるか、視力はいいか、

いつも清潔にしているか、などなど、私の体調についてとても興味をもっているようでした。

いえ、興味をもっているのではなく、単に確認をしておきたかったのでしょう。

実際、そうでした。

私が体に不調をきたしたことはないし、全くの健康であることを寮長さんが説明をしてくれました。

私はひとこと、「はい、元気です」と答えたきりでした。彼らは私を気に入ったのです。

私は彼らのことが好きではありませんでしたが、それよりも家族への憧れが遥かに勝ったのです。

私は即答しました。いきたい、と。それで私の人生は決まりました。それより丁度2週間後に、

私は生まれ育った施設を旅立ちました。

初めての外の世界にわたしはずっと浮かれていました。なんて沢山の人で溢れているのでしょう。

2009-05-19

人からの祝福の言葉がまっすぐ心に届かない。

裏側が見えないかと目を凝らす。

でもそんなもの無いと最近やっと気付いた。

そんな風にしてしまうのは

自分がきっとそういう気持ちで他人への祝福をしてきたからってことだろう。

嗚呼、嫌な人間自分か。

2008-11-17

中学生だった頃に好きだった子の夢を見た。

中学生だった頃に好きだった子の夢を見た。奥さんと同じ布団の中で。

彼女は、5,6人の中の良い友達グループの一員で

いろいろと気が合い、心を寄せる子となっていたが

何もないままに中学卒業し進路も別となり、友人グループ自然と消滅。

男子校へと進学し、女性というものとまったく縁の無かった自分は

高校3年間、家族以外の女性と会話した覚えがまったくなく、

妄想の中の彼女へ焦がれ続けたが、具体的な行動は全くなかった。

大学社会人へと進むにつれコミュニティーも広がり、人並みに恋愛失恋経験

3年の交際を経た女性と先日結婚式をした。

件の中学生の頃〓の彼女とは1年ほど前に、偶然会った地元の友人からの繋がりでmixi内で再会。

仕事の話や近況、同窓会でもあったら会いたいねと言ってくれたり位のメッセージやりとりするくらいで、

それ以上の関係はなく、結婚の事も、他の殆どのマイミクへと同様に日記での事後報告を行った。

彼女からはメッセージで驚きと祝福の言葉を貰い、最近会ったという共通の友人の話や近況などを報告してくれた。

その友人と僕は君の事が好きだったんだよ、などという他愛もないメッセージを返信したり。

奥さんは、とても気が合うし、バタバタが続く実家の事なども良くしてくれるし、

とても愛しているし、今後も二人で助け合い、苦楽を共に出来ればと切に願う。

しかし、夢の中で逢った彼女との甘い思いは、なんなのだろう。

また今晩も、夢で逢えれば良いのに。と思う気持ちは罪なのだろうか。

2008-11-06

痛ニュー入りしてるけど

「特別名誉市民」を検討=オバマ氏に祝福メール??福井・小浜市長

 オバマ氏が米国の次期大統領に決まったことを受け、福井県小浜市松崎晃治市長は5日、記者会見し、同氏に「特別名誉市民」の称号を贈ることを検討する意向を示した。

 松崎市長は「心の中で応援していた。大変うれしい」と喜びを表現。「市としての『オバマ』も世界に発信していきたい」と述べた。

 会見後、市長ワシントンの同氏事務所あてに、祝福の言葉とともに「訪日される際には、ぜひ小浜市にもお立ち寄りいただきたい」と添えた電子メールを送った。

要人を懐柔する戦略としては、別に悪くないんじゃないかなーと思う。名誉市民なんて大したコストもかかってないし、相手はアメリカ合衆国大統領だから「○○にくれてやるなら俺にももらう資格があるだろ」とゴネられて称号乱発させられるリスクも無かろうし。

訪日した時にこの件をネタ小浜市を訪れて、当人から何かリップサービスの一つでも引き出せれば儲け物だろう。

2008-09-05

増田ですが、祝福してくれますかね

ども、増田です。まずはトップページに行って一番右下を見てほしい。

そう、昨日どうやら匿名ダイアリーの投稿数がなんと20万台に突入した、らしい。

言ってみれば誕生日みたいなもんだよな。

いや、わかってる、わかってるって。みんな知ってて言わなかったんだろ、こういうのってお互い照れるもんな。

でもあれだ、昼にでもおめでとうって言ってくれるかと思ったら、誰も言ってくれない。

まぁ、そういうもんか。みんなドライだし、そうくると思ったよ。

でもな、日が落ちて一人暮らしのおうちに帰り着いてドアの鍵をあけるときちょっとだけ期待した。

サプライズパーティでもあるんじゃないかって。

暗い部屋の電気をつけようとしたらパン!パン!とクラッカーがなって、みんながおめでとーって言いながら笑いかけてくる。とまどうおいらに向かってみんなが歌いだすの、ハッピバースデーって。今夜ばかりは非モテスイーツも、リア住も増田小町も、みんな声を合わせて歌いだすの、ハッピバースデーって。そんで、真っ赤なはてブデコレーションされたケーキをみんなで食べるの。

ねえか。ハリウッド映画の見すぎだよな。ないな。

仕方ない、じゃあとりあえず呪いでもかけておくな。このページをみた人は祝福の言葉か好きなAV女優性癖を書かないと呪われる。呪いってのはつまり匿名ダイアリーで25万件の投稿を達成したとき、2000年問題みたいに<10,000ページ問題>が起きて今までのおまいらの投稿IDが晒される呪いな。

とゆうわけで、またいつか会う日まで。

 
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