はてなキーワード: 音程とは
カラオケは一人に限る。
最近、なにに対してもイライラし、何をやっても満足できない日が続いていた。
防音の効いた薄暗い個室で、ただ流れる音楽だけに身を委ねられる非日常感。
音程など気にせず、好きな曲のリズムにのってとにかく叫ぶように歌う。
途中から、なんでもない曲なのに涙が止まらず、まるで大声で泣いているかのように歌った。
私は泣きたかったのだとやっと気付く。
ただ、子供に返って、理不尽でままならない現実を泣いてわめきたかっただけなのだ。
昼間っからひとりでカラオケして、ワーワー涙流してる自分、きもっ…と思うとまた泣けてきたが、それもまたよい。
たまにこんな時間を持てる自分は贅沢で幸せ者だとやっと思うことができた。
すっきりした!
お世話になった先生に心からお礼を言い、わざわざ持ってきた一眼で教室の写真を撮り、さあみんなと帰るぞ、ってとこで友人に声をかけられた。
「カラオケ行かない?」僕は在学中、この誘いを70回くらいは断ってきたのだ。
中学生の頃、余りにも音痴だったせいで合唱コンクールの練習~本番までの時間、肩身の狭い思いをした僕は人前で歌うことが怖いんだ。って説明をすると納得して帰ってくれた。70回くらい。
その日は違った。18歳の、対して発達してない頭で、インターネットに染まりきった考えで、必死に考えた。
5分くらいあと、僕の足は最寄駅のカラオケ屋に向かっていた。最後だから、という理由で行った。生まれて初めて持ったカラオケのマイクは思ったより重かった。
合唱コンクールと違って音程を求められないし、好きな歌を歌っていいし、「ちょっと○○くん前に出て歌ってみて」って言われないし、「なんでこんなことができないの」とも言われないし、「お前のせいでバラバラなんだよ」と詰められることもない。
プロ声優の一例として、日高里菜さんの声を聴いてるとよくわかると思うんだけど、
メリハリと呼ばれる表現技法は、声の大きさの大小と、音程の高さ低さを巧みに組み合わせているんですね。
その抑揚のスピードも速かったり、遅かったり。
セリフによっては、1文字単位で強弱がついているのが分かると思います。
https://www.youtube.com/watch?v=sQjzqRVoHgg
プロ声優は、声の大きさを最大/大/中大/中/中小/小/微小の7段階で使い分けられるけど、
こんな感じで、音程の高さや抑揚スピードのバリエーションもプロの方が多様にかつ場面に合った形で使い分けられる。
素人声優のしゃべりはどことなくぎこちなくて棒に聞こえてしまうという。
https://www.youtube.com/watch?v=Vw2OsFJMprg
これはセリフの音程の高さ低さを優先する代わりに、セリフのスピード自体を落としてます。
小学3年生の時に転居した土地は、以前住んでいたところよりもかなり田舎だった。
以前は田畑は少々あるが小さな商店や住宅がひしめき合っている町。バスは10分置きには来るくらい。ほぼ標準語で通学は私服だった。
転居先は、田畑が広がり校内の過半数が農家の子。バスは2時間に1本程度で、かなり訛りがあり通学着は指定のジャージだ。
転校して一番のカルチャーショックだったのが、その訛りと文章の読み方である。
話し言葉にも訛りはあったが、音読の訛り方はそれと全く違っていた。
教科書の音読をすると、皆一様にいかにも妙なイントネーションで読み上げるのだ。
そのイントネーションとは、文章の頭からずっと同じ音程で読み、句読点の前の一文字だけガクッと音程が下がりながら語尾を伸ばすというもの。
音符に直すと「ミミミミミド~、ミミミド~、ミミド~、ミミミミミミミド~」という風に。
例文で表すと
「こんにちは、わたしは タナカイチロウです、トウキョウから、デンシャで やってきました。」
「ミミミミド~ミミミド~ミミミミミミミミド~ミミミミミミド~ミミミミド~ミミミミミミド~」
このようになる。
決して冗談ではない。
両親に連れられて行ったスーパーマーケットでも店内放送は同じようにミミミドのイントネーションで流れており、大人も同じであることに改めて驚いた。
転校初日、学校指定ジャージの購入が間に合わなかったため、以前の学校と同じように私服で登校したことが発端だった。
前述したようにこの学校ではジャージが通学着で、男子は青、女子は臙脂色の指定ジャージを着用している。
その上指定されてもいないのにほぼ全員がプーマの白いスニーカーを履いていた。
またこのジャージは通学着に限らず普段着としても着用しており、私服を着るのは冠婚葬祭だけという者が多い。
必死に話し言葉を合わせて、ミミミド~読みも会得し馴染もうとしたが、状況は好転することはなかった。
日々の陰湿ないじめに耐えるのにもう飽き飽きし、これ以上媚びても仕方がないと、5年生になった時にミミミド~読みを止めることに決めた。
そして国語の時間、音読の指名を受け、私は意気揚々と標準語で教科書を読み上げた。
昔の上手い歌手は1セント単位で音程を合わせられたのか?ミリ秒単位でリズムを合わせられたのか?
今はそれができるんだよ。
時々編集した声は気持ち悪いって言う奴がいるけどそれも今は昔。
音程に厳密にならなくて良くなれば他の部分を伸ばせる。音楽のクオリティが上がる。
当たり前だよなぁ?
昔に比べてアマチュアが活躍しやすくなったっていうのもデカい。
最近のDTMってのはすげえもんでな、打ち込みなんて先入観持ってちゃすっ転ぶレベルだ。
演奏家もレコーディング環境も必要ない、おまけに土俵はネットに丁寧に整備してある。
既得権益の上で胡座をかいてる連中を横目に、才能ある奴らがボコボコ出てきてるんだ。
本当に技術の進歩ってのは凄い。実力で評価される、今の世界がそうなっているように音楽もそうなってて、どんどんハイレベルな曲が生まれるんだ。
https://codeiq.jp/magazine/2016/08/43256/
で、ヨッピーが取材していた春日学園の研究発表があったので行ってきました。
http://www.tsukuba.ed.jp/~2020manabi/
んで、感想。
誇らしげに言っていたけど、それは校長のマネジメント能力がないという自己紹介になっているし、そこまでしないとできないならやめた方がいいと思う。
やっぱり、あのヨッピーが取材していた先生は残業してたんだろうなぁ。と。
つくば市は小中学生のプレゼン大会が開かれるほど、プレゼンテーションに力を入れている。
それなのに、まずパワポがまともに使えない。
読み上げているだけの発表で、ん?って感じ。
次、公開授業。
小中一貫なのに、小中学生が入り交じっての授業はなし。導入でビデオレター流すくらいだった。
素晴らしい授業もいくつかあったけれど、そこには思考ツールがその思考ツールである必然性がちゃんと研究されており、子ども達に無理のない使用法であることが根底にあった。
無理やり思考ツールを使った授業では、子ども達はその思考ツールが書かれたプリントを埋める作業にほとんどの時間をとられ、その結果何が学べたのかまでは至っていなかった。
社会の所信演説を考えるという授業では、プリントに思考ツールで考えた内容を、そっくりそのままパソコンに打ち直している子がいた。それっていらないと思う。写真撮って貼り付ければいいのでは?そして、ここに中学生を入れて、中学生は国語の書く単元として6年生の所信演説を直すというタッグが組めたら面白いだろうにと思った。そう言うのが一貫の強みなんじゃないのかな。パソコンの操作方法を教えるサポートセンターじゃないぞ。
ICTの面では、Kinectとスクラッチを組み合わせたプログラミング学習が、完全に失敗している。全然楽しそうじゃない。
そもそもKinectとスクラッチを組み合わせる必然性はあったのか。彼らのスクラッチの習熟度を見るにまだそこまで達していない。
マイクロソフトからKinect借りたのでやってみました感が半端ない。さらには、10インチかそこらのSurface1台で5人のグループ学習は無理だと思う。スクラッチのプログラミングがプリントに印刷されているのも、まだまだ使いこなせてない感がある。
パーツだけ開始条件をつながない状態で用意しておけばいいのでは?
ふと見た家庭科の授業(公開ではない)では、まち針の使い方を、子どもたちを前に集めて授業してた。あれ、そここそ、実物投影機の出番じゃないのかな。要するに、日常的にICT機器を使っているわけではないということだ。
職員室も外から見えるのに、パソコンの画面がログイン状態で見えるようになってたし、セキュリティ意識もかけている様子。
というわけで、大々的に、2020年代の学びと銘打っている割には、ただの金持ち学校がドヤ顔でくだらないことをしていると言うのが私の結論。ほとんどのクラスで死んだような目で授業している子どもたちが可哀想だし、「書写ノート進める」としか書かれていない黒板で自習を静かにやっている子どもたちもかわいそう。
成績はいいんだって。でも、その代わりに子ども時代でしか経験できないワクワク感を全部捨て去っている気がして、ボクは今回のほとんどの授業で行われている提案には反対。逆に賛成なのは音楽と体育でした。
音楽では教育用の初音ミクを用いて、1年生に贈る歌を4年生が制作。初音ミクというお手本がいるから、子どもたちも一緒に歌うことに抵抗感がない。あちらこちらでミクと一緒に歌う班がたくさんで和む。試行錯誤できる環境をちゃんと与えているのがいい。何よりも、VOCALOIDをちゃんと研究してある。歌詞を考えるワークシートから既にピアノロールの画面を意識したものになってるし、後から音程は変えられるという特性を生かしてまずはメロディのリズムだけを打ち込んで無理がないか確かめるというステップをちゃんと踏ませている。
体育は少ししか見られなかったけれど、無理やりタブレットを使わず、アナログでできること、そっちの方が効果があることは割り切ってアナログでやるというのがはっきりしていていい。
自分の校内研修では、ワクワクしながら思考ツールを使ってみたり、あーでもないこーでもないって面と向かって話し合ったり、結果をデジカメで撮っておいて次に活用したりできる子どもたちを育てていこうと、強く思った。
プロとアマの違いは、他人を共鳴させられるか、独りで鳴っているだけなのか、の違いでしょう。ピアノを弾くときに、「鳴らす」ことは誰でもできるけれど、「響かせる」ことはマルタ・アルゲリッチなどの超一流でないとできません。アタマが理解できる部分(言語化・デジタル化できる「音程」や「タイミング」など)を真似ることは簡単ですが、カラダが理解している部分(けれど、言語化・デジタル化はできていない「内臓の揺れ」など)を真似ることが現状難しいのではないでしょうか。波が伝播するかどうかの違いなので、そのうち科学的に解明されると思いますが。
運動ができるやつが出来ないやつにバッティングフォームを指導する。
これらは微笑ましいことで、アドバイスを受けた方はメリットがあり、
アドバイスする側は無償で知識を提供している。非常に利他的な行動であると思う。
しかし、論理的思考ができていない人に、この部分は飛躍しすぎているんじゃないかとか、
それは詭弁なので次回から気をつけたほうがいいと指摘するとしまいには怒り出す。
「お前は自分を見下している」と。
議論は作法が必要で、ある程度それを意識しないと無意味なものになってしまう。
そのことをやんわりと指摘したいのだが、「頭の良さ」に関連することを指摘するのは現実社会ではタブーなのだ。
毎週、特に目的もないのに「少年倶楽部」をみている。「プレミアム」は面白くないので、代わりに「プライムニュース」をみている。
大変な商売だなーとみるたびに思うが、誰推しというのはない。たまに映る客席で、真顔の人がいるのが気になる。「少クラブログ」は退屈なので、「Jr.にQ」に時間をまわしてほしい。
そんな素人の、各グループの印象。ファンの方には先に謝りたいと思います。
・何でxyだけ色違うの?
・佐藤勝利さん:髪切ってかわいくなった。
・中島健人さん:とりあえずなんかすげぇなぁ。
・菊池風磨さん:テンションが一定でないので不安を覚える。口パクが下手。
・松島聡さん:長持ちしそうな顔。
・ファンの年齢層が高そう
・5人だよアピールの曲が多い
・戸塚祥太さん:バナナマンの設楽に似てる。とりあえず服とかなんか怖い。
・河合郁人さん:毎週見ていたら、フット後藤の顔がわからなくなった。
・五関晃一さん:なんだろう。タッキーの下位互換っぽい雰囲気。
・塚田僚一さん:彼は良い。
・変なグループかと思ったけど、スカしてなくてよい。
・重岡大毅さん:いない時がある人。
・桐山照史さん:生放送できちんと時間とおりに終わらせててすごいなーと思った。
・神山智洋さん:韓流っぽい。あと音程。キスマイの二階堂さん系統の顔?
・藤井流星さん:印象がこれといってない。
・濱田崇裕さん:いい人そう。
・小瀧望さん:顔がムチッとしている。
・すごくよく動く。顔が残念。
・二人、テイストが違うのにどっちのアホ加減もひどい。
・残りの一人の頭の具合は分からないけれど、アホをさばけるのか不安。
・北山たけしに似てる人がいる
・読み方に無理がありすぎる
・京本政樹の息子さんの顎が細い。
・増えた?
・なんか増えてる。個体識別できなくなった。
・嵐の櫻井さんと二宮さんをたして2で割ったような顔の人がいる
・曲にびっくりした。
・なんかもうわからん
・ユニット名、何ごと?
いわゆる2ちゃんねるネタであり「あそこに書かれていることなんて気にしなくていいと思うぞ」で終わってしまう話を、あえて書いてみる。
就学前の幼少時から始められる楽器の代表例は、なんといってもピアノとヴァイオリンだろう。
そんなだから、当然2ちゃんねるにもヴァイオリンのスレはあるのだが、ピアノと違ってこのスレはほぼ十年来、ギスギスした空気で現在に至っているのだ。
理由は、幼少時から始めた人=アーリー組と、高校・大学・社会人くらいから始めた人=レイト組の対立にある。
結果、本スレから分家した、レイト向けスレの1に貼られるテンプレからして、その上から目線ぶりが尋常ではない。
以下の論争はすでに終結しています。
●耳の腐ったレイトに良し悪しは解らんだろう。
●ヴァイオリンはピタゴラス音律で弾く。レイトは基本的にヴィブラートを掛けてはならない。
●幼少期から習っている人に大人から始めて追いつけるワケがない。言語と同じ。
●チューナーは、調弦では仕方がない、運弓で使える、音階練習には使えない。
(中略)
汚い音、狂った音程に対する嫌悪感が、上達のインセンティブで、
これはもう、明らかに「にわかを見下す熟練者」「アーリー組自身が囚われている生存者バイアス」が合わさった結果であり、こういう対立がないピアノ組が正直羨ましい。
自分も一応はアーリー組の末席という立ち位置だが、どう見てもアーリー組のスタンスの問題だと思うのだ。
以下、そんなアーリーの特徴を、ヴァイオリンの特性も絡めて書いてみる。
主にピアノと比較したヴァイオリンの特性をシニカルに書くと、こんな感じである。
ヴァイオリンをとても良く弾ける人間がひとたび音を出せば、それはもう堂々の主役として、当たり前のようにステージを支配する点において「楽器の女王」であることは間違いない。
しかし楽器のポテンシャルや柔軟性から言えば、「楽器の王様」はピアノだろう。
そんなヴァイオリンは、親の時間的金銭的負担が大きい時点で幼少時からの学習者がピアノほど多くないところに、演奏技法習得の難しさ(≒誰もが知っている名曲を弾けるまでに至るための要求水準の高さ)から、恐らく多くの脱落者を生んでいることが容易に想像できるシロモノである。
それこそ面倒どころか、個人的には世界一難しい楽器としてギネス認定すべきだと思うくらいで、ヴァイオリン弾きの生存者バイアスが強いと思う理由である。
全5曲のうち、重要なのは3番以降の3曲で、これはプロオケの入団試験にも頻出する曲であり、つまりヴァイオリンでクラシックをやるなら、3曲のうちのいずれかをプロ・アマ問わず習得していることが望ましい曲である。
というかメンデルスゾーンの協奏曲やバッハのシャコンヌやチゴイネルワイゼンみたいな名曲を弾こうと思ったら、モーツァルトをまともに弾けるのは大前提だし。
そんなこともあり、実際プロ目指す人は小学生でモーツァルトをやってしまう。
しかしアマチュアになると、幼少時から習っていてもここまで来る人は1割程度だと言われている。
そして、そんなごく一部の人=アーリー組が、大人になってもヴァイオリンを続けていると、こういうわけだ。
しかし、アーリーにそんな自覚は多分ないはずで、それどころか超頑張って俺はここまで来た的な自負があり、これがレイトとの軋轢の根本原因だろう。
つまり、幼少時から始めた人が超上手くなって続けるか、そうならずにヴァイオリンを習っていたことそのものを無かったことにするかという両極端な事情をどうにかしないと、今後もこの憂慮すべき事態は続くと思われる。
歌をやってくにあたって、発音ってものが問題になるときがあります。
いわゆる洋楽。英語の曲が世界的に流行ることが多いからたいていは英語だけど、場合によってはイタリア語なんてこともある。
特にクラシックで歌をやってる人は確実に避けて通れないですね。イタリア語とかドイツ語とか。
とはいえ僕は英語ぐらいしか分からないので英語限定でお話ししますね。そんな話。
さて、
https://www.youtube.com/watch?v=AijEQN6AuRs
くすっとくるやつ。
いやこれ、面白いんですけど、それ以上にすごいなと思って。
音程いじってないのにちょっと歌に聞こえるし、歌知ってればある程度音程にきこえるじゃないですか。
こうなっちゃう。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20319058
…まあそんなのはさておき。
歌詞の英語の抑揚そのまんまでメロディーラインができてるんだなって思ったんですよ。
それぞれの単語の抑揚は生きてるから、それつなげるだけでそれなりにつながるし、歌みたいになる。
一方日本語はどうかっていうと、
しゃべってても抑揚やリズム感がないもんだから、ない抑揚をつける方向に発展してきたわけです。
能楽の"うた"である謡曲とか、百人一首の読み手の節回しとか。
ない抑揚を極力大事にする童謡とかいきものがかりみたいなのとか、
むしろ抑揚を殺しにかかるお経(とか業界用語読み)みたいな流れもあるにはあるけど、
特に歌のテクニックが突出してるわけじゃないのに民謡とか童謡歌うとやたら映えるやつとかいるでしょ?
そして、英語にも同じことが言えるわけです。
普通に英語をしゃべれる人は、何気なーく歌っても英語圏の人と同じ抑揚が出て、
ポンコツな歌い方になるか、原曲を死ぬ気で完コピするかになってしまうと。
発音って書いてますけど、発音というより正確には発話の問題ですかね。
イントネーションってやつです。
別にRが上手く巻けないなら無理に巻かなくてもいいし、
ほんとはできた方がいいけど、少々発"音"が不自由でも音楽は死なない。
自分でもできるようにしといたほうがいいです。ほんとうに。
Macならターミナルにsay "hello"とか入れるとそれだけで読んでくれるよ。
http://qiita.com/zakuroishikuro/items/0c17acb21f119647c205
Windowsもあるっぽい?
http://windows.microsoft.com/ja-jp/windows/hear-text-read-aloud-narrator#1TC=windows-8
出身地から離れた場所に就職して早5年。地元出身の先輩達が打ち合わせや電話中に発する「なるほど!」のアクセントが気になって仕方ない。
自分は「なるほど」は 低高高高 だと思ってたんだけど、周りの人は何故か 高低低低 で話すからものすごい違和感がある。
高低低低っていうより anybody の音程で「なるほど」って言ってる感じ。
全員が everybody とか anybody みたいな「なるほど」を発しているわけではないものの、やっぱり気になる。ググっても「なるほどよく分かる英会話〜」みたいなのしか出てこなくて全然当てにならないし。
みなさんの「なるほど」はどんな感じですか? 教えてください。
マンションの隣りの住人、多分酔っている時なんだろうけど、男の人なのに原音でaikoを歌う。
これが妙にしっかり高音が出ていて音程もしっかりしている。槇原敬之のちょっと崩れた感じ。
私も同じようなaikoで育った世代だから懐かしく聴いてる。上手だし。流石に一番高いところはきついみたいだけど。
30年生きると一時代だ。ゲームボーイとかルーズソックスだとか。当たり前だったものが移り変わった。
彼はきっと敢えて、aikoを歌っているのではないか。過ぎ去ってしまった過去。過ぎ去った当たり前。
aikoは超時代的な側面がある。今だって若い女の子の心を掴む。これってすごいことだ。
彼も、恐らく私も、そのaikoの磁力のようなものに信頼を置いている。だから歌う。口に乗せる。
隣りの彼は、最近の曲も歌う。「君の隣」とか。これがまたいい。「花火」や「ボーイフレンド」と同じくらい良い。
時代が繋がっていることを印象付ける。憧憬だけだった過去が今に繋がる。
30になるといろんな意味で責任や人的関係が積み重なり、それなりにがんばんなきゃだめ。結婚だとかなんだとかもうるさく言われる世代だ。
彼の歌はそんなこととはちょっと距離があって、aikoという「ものさし」で、私たちの世代が歩んだ道を、下から積み重ねて示してくれる。
理想的なあれこれ…だけじゃなく、下から積み重ねてきて30年それなりにやってきた積み重ねを見てくれる。
aikoってのはそういう「ものさし」になるんだ。だから彼も一生懸命原音で歌うし、私もそれを憧憬を以て聴く。明日も仕事頑張ろうと思えるわけだ。