はてなキーワード: 音程とは
「お願い~シンデレラ~」のCMを聞くと、うまくはないけど、音はほとんど取れてると思う。
「夢は夢で終われない」の「ない」の部分はおざなりな音程の取り方だと思うけど、一般人も音を外しやすい部分だと思う。
自分には絶対音感はないので確実な事は言えないけど、中居正広は音程を取れない音痴ではないと思う。ただ、声質が悪い。
追記
「ゆめはゆめで」の一回目の「ゆ」と「おわれない」の「れ」とは完全に外れてると思う。他の音もぼやけてるけど、やっぱりそこまで外れてないと思う。
正しい音は出てるけど継続時間が短くて、邪魔な他の音が前後にある感じ。
やっぱり言うほど音程を取れないわけじゃないと思う。
あと、上手いとは言ってない。
この季節大事でしょ?
これから書くことはある程度歌が歌える人向け。
それなりにうまくなってきたと思うのに、どうしてか自分の歌がうまく思えないって人に向けた内容。
うまくなるのにあと一歩なにが足りないのかを書きたいと思います。
・全体的にはうまく歌えているのに1音1音の音程が今ひとつついていかない
・下手ではないのだけど、もっと声に張りと響きが欲しい
・表情筋というか口の開き方
・喉を広げるというか舌の位置
カラオケがうまくなりたくて、よく自分の声を録音して色々と試している。
録音を聞いていると、どうしても高音が上がり切らない。(半音未満足りない)
音程はなんとかついていっているのに、低音も高音も弱々しく、ムリに出そうとするとすぐに喉が潰れてしまう。
そんなことを悩んでました。
で、最近になって今度は鏡を見ながら歌い始めたところ、上手い人との違いが2つあることに気づいたんです。
それを解説するよ!
上達法を調べると大体出てくる表情筋とか口の開き方。でも、どれも説明が漠然。
大きく開けとか、表情しっかり作れとか書いてあるけど、どうしてそれで歌が上手くなるのかが書いてない。
それならば、例えば「あいうえお」を口を動かさないで言ってみよう。
音がこもることがわかった?
じゃぁ今度は大げさに口を開きながら「あいうえお」といってみよう。
音の抜けが良くなったよね。
つまりこういうこと。「音は、口の形に比例してクリアになる。」
これを歌に応用すると、歌詞に対して、口が先に開いていることが重要ということになる。
逆を返せば、音程が後追いになってる人は、口の開きが後追いになっているということ。
鏡を見ながら歌ってみてわかったことは、口の開きがどの音の時も同じくらいだったってことでした。
とくに「いえお」の音を意識して口を開いてみて。
もう一つ鏡を見て気づいたことは、舌の位置が違うということ。
自分はどちらかというと舌が長いほうだったので、できるだけ口に収めようと歌っていたのがさらによくなかったみたい。
歌が上手い人の舌は喉を隠さないように避けているのに、自分の歌っている顔を見ていると舌の奥のほうが喉を隠しているのに気づいた。
そこで舌の奥を丸めずに下げるようにしてみたところ、低音の伸びが明らかに変わりました。
ポイントは喉を開くのではなくて、舌の奥のほうを下げるということ。
とくに「いえ」の音の時が、無意識に舌が喉を隠してしまうと思うので練習が必要。
ということでポイントは2つだけど、やっていることは一つ。
喉で鳴った音を口でこもらせないでしっかり送り出してあげるということ。
どちらも筋肉が必要なことだから最初は戸惑うかもしれないけど、録音で上達が行き詰まった人は鏡を活用してみてね!
自分の録音がいきなり上手くなってびっくりするよ!
最近自分の歌が全然好きになれなくてなんでだろうって結構真剣に悩んでたんだ。
なんかすごく下手なんだよ。
感情込めて歌うとあざとく感じるし、一生懸命歌おうとすればするほど下手に聞こえるんだ。
どうしたらうまく歌えるのかとかもそれなりに調べていろいろ試したけど全く効果がなかった。
個性的な歌手の特徴とか取り入れようとしてみても下手くそなモノマネにもならないし。
それでふととにかく丁寧に歌ってみようと思ったんだ。
うまく歌おうとするのではなく、とにかくリズムも音程もすごく丁寧に一つ一つを確認するように歌ってみたんだ。
すると録音を聞いてびっくり!何だこの美声は!抱いて!
(承前)
http://anond.hatelabo.jp/20150214223556
――スティーヴ・レイシーは独立独歩のソプラノ・サックス奏者です。サックスといえばアルトかテナーだった50年代からソプラノを吹いていました。
Evidence (1961) http://youtu.be/X9SBzQw2IJY?t=5m42s
( ・3・) 面白いテーマの曲だな。真面目な顔で冗談を言っているような。
――セロニアス・モンクが書いた曲です。レイシーはモンクの曲をたくさん演奏しています。一方、ハリウッドやブロードウェイの曲はとりあげない。レパートリーに関しては人文系の古本屋の主人みたいなところがあります。
( ・3・) みすず書房とか白水社とか、そういう本ばかり並んでいるわけだ。
――白水社といえば、レイシーはサミュエル・ベケットと面識があって、ベケットのテクストに基づいた作品も発表しています。
( ・3・) 「真夜中だ。雨が窓に打ちつけている」
――「真夜中ではなかった。雨は降っていなかった」――と、ベケットごっこはともかく、演奏はどうでしょう?
( ・3・) まっすぐな音だな。あまりヴィブラートをかけない。アタックの瞬間から音程の中心を目指している。必ずしも正確な音程というわけではないけれど。ソロのとり方としては、テーマとの関連性を保って、構成を考えながら吹いているように聴こえる。言うべきことだけを言って余計なことはしゃべらない。
――そういう点では、プレイヤーの資質としてはマイルス・デイヴィスに近いのかもしれません。マイルスとも少しだけ共演したことがあるのですが、もし正式にバンドに加わっていたら歴史が変わったかも。 [6]
Reincarnation of a Lovebird (1987) http://youtu.be/FbaKNB4cIlc
――こちらは後年の録音。ギル・エヴァンスという編曲の仕事で有名な人がエレピを弾いています。この人も指だけ達者に動くのとは対極にいるタイプで、柔らかい音色で中和されていますが、ずいぶん込み入った和声です。
( ・3・) そこらじゅうで半音がぶつかってるな。
――でも美しい。
――昔、レコードを扱う仕事をしていたので確信をもって言えるのですが、日本でいちばん人気のあるジャズ・ミュージシャンはビル・エヴァンスです。マイルス・デイヴィスよりもリスナーの裾野は広いかもしれません。
( ・3・) 俺でも『ワルツ・フォー・デビー』を持ってるくらいだからな。でもどうして「とりあえずエヴァンスを聴け」みたいな風潮になってるんだ?
――まず、彼がピアニストだということ。もしベース奏者だったらここまでの人気は得られません。それから、ロマン派や印象派に慣れた耳で聴いても違和感がないこと。ジャズに関心がなくてもエヴァンスは聴く、というケースは大いにありうるでしょう。最後に、みもふたもない言い方ですが、彼が白人で、細身で、眼鏡をかけていたこと。
( ・3・) 知的で繊細に見えるのな。
――知的で繊細なジャンキーでした。もっとも、最後の要素はなかったことにされがちなのですが……。
――はい。エヴァンスやチェット・ベイカーに深く共感してしまう人は、モルヒネの代用として聴いているのではないかと思います。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」という有名な曲をとりあげたいのですが、エヴァンスの前に、まず歌の入ったものから。フランク・シナトラのヴァージョンです。
My Funny Valentine (Sinatra, 1953) http://youtu.be/z9lXbgD01e4
( ・3・) 金の力に満ちた声だな。His voice is full of money.
――マフィアを怒らせるようなことを言わないでください。折り目の正しい編曲で、ポップスとしては非の打ちどころがありません。ボブ・ディランの新譜はシナトラのカヴァー集らしいのですが、ディランが子供のころにラジオで流れていたのはこういう音楽です。当時のアメリカ人にとっては、ほとんど無意識に刷り込まれた声と言っていいでしょう。
My Funny Valentine (Baker, 1954) http://youtu.be/jvXywhJpOKs
( ・3・) 出た、いけすかないイケメン。
――チェット・ベイカー。午前三時の音楽です。もう夜が明けることはないんじゃないかという気がしてくる。どんな曲か覚えたところで、エヴァンスを聴いてみましょう。
My Funny Valentine (Evans and Hall, 1962) http://youtu.be/ReOms_FY7EU
( ・3・) 速い。
――速い。そしてちょっと信じられないクオリティの演奏です。ジャズではいつでも誰でもこれくらいできて当然かというと、そんなことはないので安心してください。
――別のテイクではちがうことをしているので、ほとんど即興だと思います。決まっているのはコード進行だけ。
( ・3・) コードの構成音をぱらぱら弾いてもこうはならんわな。自分の頭の中にあるモチーフを発展させるのと、相手の音を聴いて反応するのと――そういう意味ではチェスに似ている。
――この演奏は一対一ですからね。集中力は同じくらい必要かもしれません。しかも持ち時間はゼロという。互いに相手の出方を読んでいるうちに一種のテレパシーが起こって、3分50秒あたりにはふたりの脳がつながっているような瞬間があります。
( ・3・) このギターを弾いてるのは?
――ああ、忘れていました。ジム・ホール。偉大なギタリストです。悪魔に魂を売って人並み外れた演奏技術を手に入れるというブルースの伝説がありますが、ジム・ホールの場合は魂ではなく頭髪を犠牲にしました。
( ・3・) また好き勝手な話をつくって……。
――いえ、本人がそう語っています。ジミー・ジューフリーのバンドにいたころ、どう演奏すればいいのか悩んで髪が薄くなったと。 [7] でも、髪なんていくらでもくれてやればいいんですよ。肉体は滅びますが芸術は永遠です。
( ・3・) ジミー・ジューフリーって、あのドラムのいない現代音楽みたいなジャズをやってた人か。そりゃ大変だったろうな。
持参したCDを一通りかけて、そろそろ日が傾いてきた。彼はライナーノーツをめくりながら「はーん」「ふーん」などとつぶやいていたが、夕食の邪魔にならないうちにおいとましたほうがよさそうだ。
「もう帰るのか?」
「そうか。わざわざ悪かったな。よし、ちーちゃん、お客様にご挨拶だ」
彼はそう言って猫を抱き上げたが、ちーちゃんは腕をまっすぐにつっぱって、できるだけ彼から離れたがっているようだった。
「きょう持ってきてくれたCDは、うちに置いていっていいからな」
「置いていっていい?」
「だってほら、いちど聴いただけじゃよく分からんだろ。そのかわりと言ってはなんだが、シュニトケの弦楽四重奏曲集を貸してやろう。何番が優れていると思うか感想を聞かせてくれ」
まだCDは返ってこない。「返してほしけりゃ取りに来い」と彼は笑うが、その目はハシビロコウのように鋭い。ただ来いというだけではなくて、また別のCDを持って来させる魂胆なのだ。わたしはどうすればいいのだろう? ただひとつの慰めは、彼の娘さん――父親との血のつながりが疑われるかわいらしさの娘さん――の耳に、エリック・ドルフィーやオーネット・コールマンが届いているかもしれないということだ。サックスを始めた彼女の頭にたくさんのはてなが浮かばんことを。
http://www.nicovideo.jp/mylist/34787975
[2] http://www.nytimes.com/2009/10/18/books/excerpt-thelonious-monk.html
[3] http://nprmusic.tumblr.com/post/80268731045/
[4] Frederick J. Spencer. Jazz and Death: Medical Profiles of Jazz Greats. University Press of Mississippi, 2002. p. 36. "A diet of honey is not recommended for anyone, and especially not for a diabetic, or prediabetic, patient."
[5] http://www.furious.com/perfect/ericdolphy2.html "'Eric Dolphy died from an overdose of honey,' arranger/band leader Gil Evans believed. 'Everybody thinks that he died from an overdose of dope but he was on a health kick. He got instant diabetes. He didn't know he had it.'"
[6] http://www.pointofdeparture.org/archives/PoD-17/PoD17WhatsNew.html
[7] http://downbeat.com/default.asp?sect=stories&subsect=story_detail&sid=1111
自分も日本語ラップは伊集院光のARBくらいから眺めてるアラフォーの音楽好き
iTunesのライブラリは70日程度だけど、ヒップホップ系は好きでないので多くない
ラップって黒人DJが野太い声で英語でまくし立ててるとそれだけでなんかカッコいいんだけど
ヒップホップってのはメロディーもなしに直接メッセージの洪水を叩きつけるって
のも重要な要素なので、正しくヒップホップをするなら、母国語ですべきで
とすると、日本語という言語でラップをするという困難な問題が出てくる
日本語のアクセントは、英語のような強弱ではなく音の高低で表現する
「こんにちは」は日本語話者だと「こ↓ん↑にちは」と音程で表現するけど
「コ"ニ"チワ」と「ニ」に音程ではなく強勢を付けた発音をするのは
よく聞くところ
日本語をメッセージが明瞭に伝わる発音で音楽に乗せると、音程差があり
普通に喋るとオケと不協和音になる。英語でも厳密にはそういうのあるけど
不協和音の1音が鳴り続けてもあまり気にならないし、気にするラッパーは
ベースとかに合わせてるみたい
とりあえず日本語ラップの解決法の一つとして、高低の最低2音をオケに乗った
音を選択するというパターン。普通に歌える歌手が曲中にラップを混ぜる場合は
この解決法が多い。バリエーションとしてペンタトニックに乗せて
最初、なるほどその手があったかと思ったけど、しばらく聞いてて
アレ、これってラップというよりお経じゃね? とか思った
中国語だと音程が厳密なのでこの手が使えないとか書いてると話長くなるので飛ばして
本格ラッパーはこっちを選択したみたい
アドリブとかで歌詞考えつつ、オケのコードまで意識してたら死ぬもんね
発声の問題の解決法が色々探られる一方、それでどういうメッセージを伝えるのか
いわゆるリリックの問題。なんか英語のラップは社会問題とか叫んでるらしいけど
日本のポップシーンは伝統的に政治的メッセージと非常に相性が悪くて云々。
で、色々試行錯誤あったらしいのを思い出して書くのがめんどくさいし
結論はネットでネタになってる通り、有線で流れるような商業ラップは
親に感謝、ダチに感謝、お前に感謝って「メッセージ」になりましたとさ
もう疲れてきたので論旨ボロボロだけどまとめると
90年代~00年代くらいで日本語ラップの発声面、リリック面での模索で色々進歩はあったけど
そういう積み重ねを知ってか知らずが、有線で流れる商業色強いヒップホップは
音程を無視したダミ声でダジャレで絆を主張するリリックばかりになりましたとさ
てかね、もうこのご時世。いや、今も昔も、作り手がものっそカネかけて売ろう!
それってたくさん売りたいから、どうしてもマス向けのうっすい曲になっちゃってる
ずっとそればっか聞いてればいいと思うよ。てか俺はそうしてる
40年後くらいに、音痴が障害として認められるのではないかと密かに思っている。
音痴という表現は差別的とされ、「音ち」などの言い換え案がいくつか出た後、最終的には「広汎性音程障害」みたいな大層な名前がつく。
これにより日本発祥の文化であるカラオケが衰退に向かう。カラオケは音痴の人の人権を侵害するからだ。
かわりに伝統的な歌である和歌や連歌、俳諧が再燃する。みんな酒を飲んだ二次会とかで、季節の歌を歌ったり伝統的な和歌のパロディとかで盛り上がる。酔って短冊や掛け軸に自分の歌を書いたりする。
人間は公の場で放歌することをしなくなる。上手に歌を歌うことは、音痴の人への差別になるからだ。
メディアでは音程をほとんど気にすることのない歌が、当局の現在よりずっと厳しい検査のもと歌われる。
こうして人類の発展とともにあった「歌うこと」は人間の手から離れ、人間は進歩か退化かどちらともとれない新たな次元へ進んでいく。
移調楽器…B管の楽器とかかな?私はピアノ、バイオリン、オーボエと偶然にもC楽器ばかり演奏していたので演奏しにくくて苦労した、という事はないです。
でも指揮者がトランペットやクラリネット、ホルンの人に出している指示を聞いていると、さっぱりチンプンカンプンでした。
移動ドでは歌えないです。移調も苦手です。転調、移調させて鼻歌でふんふん歌うのはできます。
譜面を見たり、何度あげて…下げて…という計算をすると全く出来ない、理解できないので
感覚でこれくらいかな?という音程の幅を見当つけて、頭のなかで当てはめてみて感覚でしっくり来る音を選んで移調させています。
すごくアバウトです。
とにかく譜面を見ない、計算をしない、移調元のメロディーを耳で覚える、移調先の音を見当付けて、頭のなかで再生してみて
さっき友達の友達がライブやるから見に来てっていわれて、初めてライブハウスにいってきた。
受付でドリンク代500円払って薄暗がりの中、入った。
客はみんなバンドの誰かの知り合いみたいな人っぽかったけど20人弱ぐらいいて、しばらく待ってたら照明が落ちて始まった。
結構みんな演奏上手い!ドラムのソロから始まってギターもバッキングとか上手くて、ライブハウスってもっとうるさいイメージがあったけど結構聞けてちょっとびっくりした。
しばらくインストみたいな感じでやったあと、主役登場的な感じでボーカルが脇から出てきた。
「えぃっ!」とか「うわぁお!」とかいってリズムに乗りながら歌が始まったらすごい下手過ぎて唖然。
ちょっと音が高くなると音程外れる上に声が細くなって凄い酷い。
え?なんでこんな人がボーカル?って感じながら30分ぐらいの演奏が終わった。
演奏の人たちはプロみたいにうまいのに、なんであんな人が?って思ってボーっとしてると次のバンドが始まった。
このバンドは最初からボーカルが歌いだしたけどこれも超下手、ハードロックみたいな曲だったけど声よく聞こえないし音程外しまくりで気分悪くなったからドリンク頼まないで出てきた。
たまたまこの人たちが下手だったのか?それとも私の耳がおかしいのか?うまい人でもライブになると上手い人でも下手に聞こえるのか?
2人連続で途中退出したくなるほどの下手さ。自分はチケット代は払ってないからいいけどチケット代払ってこんなの聞かされたらげんなりだろうな~。
ぜんぶ日本語訳のせい(※)なんだけど
例えば「ドはドーナツのド」の、最後の「ド」。音程的にはミ(E)なんだけど、歌詞が「ド」なので頭の中が若干混乱するのよね。その次の「レモンのレ」も、音程的にはファ(F)なのに歌詞が「レ」だったり。
OKなのは、「あおいそら」の「ら」(たまたま合ってる)と「しあわせよ」の「よ」(そもそも音程じゃない)。
この現象、赤い文字で「あお」って書いてあったり、青い文字で「あか」って書いてあるのを読ませる実験に似てるかも。
※ 例えば音程が「ミ」で歌詞が「ド」になっている箇所は、英語だと 'deer' という単語になるので、「しあわせよ」の「よ」と同じ理由で問題ない
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905
偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ
この記事のブコメは割と現代音楽の高尚な作曲家様が商業及び無知な人たちを見下してるのウゼェという感じが多く見受けられて、そういえば日本の音楽の授業とかだと現代音楽についてってあんまり触れてなくてなんとなくそういうのが原因な気もした。
そこで日本の現代音楽界とか教育をDisるのもいいんだが手っ取り早い方法としてここに現代音楽の超大雑把な歴史を書こうと思う。
大まかさ重視だし自分もかじった程度なので細かいところは気にしないでくれい。その上でこれはさすがに語弊があるとか難しくてわかんねーよってとこはフォローお願いします。
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まず、本当におおまかな2大ジャンルして「無調」と「偶然性」がある。前者が先で後者が後の時代。
まずショパンとかがいたロマン派とかの時代の後半から調性音楽をどんどん複雑にしていって和音とかもそれまでは不協和音とされていたものも許容されていくようになる流れがあって(ちなみに中世ぐらいはドとミは不協和とされてたのよ)、そのうち「無調」を目指すようになる。
一番有名なのがシェーンベルクって人で、この人は「既存の技法にとらわれてちゃ新しいもんなんて出来ないぜ!」ってことで「12音技法」ってのを作った。
これは何かってうと、まず1オクターブの12音を自由な順番に並べて、「そのまま並べる」「逆から並べる」「最初の音を中心に上下逆さまにする」「上下逆を逆から並べる」っていう4種類の音列を作る。
で、この4種の音列だけで曲を作るってものなんだ。順番があってれば始めの音はどの音程でもいいし、同じ音名ならオクターブが入れ替わっても良い。リズムについては特に指定はない。
それから時系列的に順番だけじゃなくて和音の上から順に1,2,3番目みたいなのも有り。これ以外は何でも許される。ただ音の並べ方によっては調性があるものも出てくるのでそれは使わないようにしてたみたい。
つまりはルールを最低限にすることで既成概念にとらわれない曲ができたわけだ。ある意味これは「言い訳」的でも有り「どんなものが音楽的か?」は作曲家自身に委ねられる。
でもそれじゃ和音の取り方とか特にリズムの作り方とかは今までの概念とか染み付いてきたものからは抜けだせないんじゃない?と思う人もいるんじゃないかと。
シェーンベルクの弟子たちがそう考えて、より主観性を排除する方向に向かうわけです。
どうするかというと、音列1〜12番までにそれぞれ強弱や、音の長さとかを割り当てていく。「総音列技法」とか「セリエリズム」とか呼ばれたりする。
どう考えてもめちゃくちゃなリズムだろこれ、みたいなのがこういうのだったりする。メシアンの「音価と強度のモード」とか。
そうするとどうなっていくかというと段々作曲者が考える必要性がなくなっていく。
同時にこの頃コンピュータとか電子楽器が出てきまして(まだ研究所とかしか持てないレベルだけど)、ある程度のアルゴリズムを決めたらあとは技術者に任せて音を作ってもらえば良くなってしまう、ということになってくる。
(実はこの辺の技術開発がシンセサイザーや録音技術の向上にもつながって、今日の我々の聞く商業音楽の礎(踏み台かな?)になっているというのは多分事実で案外重要なポイントだと個人的には思ってるよ。)
でも当然こんな流れを続ければみんなおんなじように一聴意味不明なものばっかり出来上がって行き詰まってくるのはだれでも予想がつくことで。
ここまでが「無調」。
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そんな中登場したのがみんな大好きジョン・ケージ。
彼がやったことをざっくり言うと「お前ら既成概念から外れた音楽作ろうとしてたのに何そんな頭固いことやってんの?もっと音楽って自由だろ?」みたいな感じで
サイコロで演奏順がその時々によって変わるとか、人によって解釈の異なる五線譜以外の楽譜とか(これはケージが最初ではないけど)、果てには皆さんご存知「4分33秒」が出てくる。
ちなみに4分33秒が有名ですけど実はその後に「0分00秒」っていうのも作ってて、演奏しなくていいどころか始まらないし終わりもしない、存在はあるけど存在しないみたいな不思議なことになってしまうわけだ。
このへんはそりゃあもう革新的だったんですが当然、さっきのよりも深刻な袋小路に入り込んでしまったわけです。
このへんは現代美術もおんなじような流れがあるけど「やれることやり尽くしちゃった」です。だって音楽なのに音楽が存在しなくてもいいんだよ。
さあ、この後どうします?っていうのが現代音楽の現状と言っていいんじゃないかと。(当然皆この後もいろんな取り組みはしてるし、このへんの見解は分かれるとは思うけど。)
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ちなみにあんまり触れなかったものとしては未来派、スペクトル楽派、ミュージック・コンクレートとかがあるんで興味があればググってみてね。
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以上を踏まえた上でイトケンさんの記事に対する個人的な思いとしては
調性音楽を作るのは現代音楽を作っていくより圧倒的に楽だ、っていうのは現代音楽の道に入る人らはみんなまず調性音楽から勉強していって、その上でないと現代音楽が作れないってことだと思う。歴史の積み重ねつながりを知らんと無理だし、調性音楽の仕組みも理解してないと無理。
ただ調性感のある音楽は大したことがないからと著作権を放棄する作曲家ばかりなのかは自分は作曲家ではないしよくわからんが、上の流れで見たように、もはや調性感があるかないかなんて昨今じゃどうでもよくなってるんじゃないかということがあるのでそれはどうなの、と思う所あり。
あとブコメでも多分触れてたと思うけどあまちゃんのテーマを作った大友良英さんはおそらく一般大衆には理解され難いノイズミュージックをバリバリやってた人です。
そういう人がなんであまちゃんテーマのような超親しみやすい曲を作るのか?ということは結構考えて行くと興味深いのではないかと思うが、自分の考えはまとまってないのでやめとく。
最近話題のアグネス・チャンだけど、はっきりいってさしたる興味もない私は、この件が起きるまで忘れかけてた。
いまでこそうさんくさいおばさんという認識なのかもしれないけど、
彼女がそこそこ売れっ子の歌手だったということを、もしかしたら世代的には知らない人もいるのかもしれない。
とはいっても40年位前の話だけど。
腰まであるロングヘアで、超ハイトーンボイスで微妙な音程の歌を歌ってて、いつまでたっても日本語が上達しない。
それが半ばネタ化していた人だったのに。
そんな人だから、昨今親の敵とでも言わんばかりに彼女を叩いている人を見ると、よくそこまでエネルギーが出せるなと感心してしまう。
妻とお話してみました。
食事に関することは、どうも私が思っているより深刻な問題のようです。
ただ、夫(私の場合、妻)なので、避けて通れない問題です。
話した結果、選択肢(最悪の選択肢ですが)の中に別々に食べる事も入れる必要があるかもしれません。
1日3回食事をし、それが延々と続く場合、とんでもないストレスになるとのことです。
それでも、夫婦なので、当面、妥協点を探るのが良いと思います。
※音楽をかけたり、テレビの音を大きくしたりというのは、妥協案のひとつだと思います。
※時間をかければ、慣れてもらう、慣れる、可能性は十分にあると思います。
私は、家族は一緒に食事したいと思う人なので、がんばってもらいたいものです。
ちなみに、外食でわからないのは、実感はできないですが、周りの音がとても大きい(60~70デシベル程度、家だと30~50デシベル程度)ので気にならないのだと思います。