はてなキーワード: 非行とは
夫が、娘を、腐女子と言い出した
私と家族の詳しいスペック(例えば身長体重、美人不美人、友達の数や成績)は書かない。それは本題ではない。(先に書くと、むしろそういう関連付けを拒むべきというのが私の意見、結論だ。)
お盆に先立ち、中学生の娘は先に、比較的近所の私の実家に帰っている。
娘が出かけた夜、私の夫が、こんなことをいってきた。
「娘は腐女子なのではないか?どうにか腐女子にならない人生を歩ませることはできないのか?」と。
私は耳を疑ったし、そういうことをいう夫に悲しくなった。
実の娘に対してそういう感情を抱くのか、とか、本人のいない前で悪口のようなネットミームを擦り付けるのか、とか、色々な感情がよぎった。
腐女子という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、BL(ボーイズラブ)を好んでいる女性、という、何か表面的なことだけだが。
私は夫に、「ネットミームで人を呼称するようなことはしないでほしい」ということを伝えたうえで、なぜ娘を「腐女子」だと思うのか、夫の考える「腐女子」とはそもそもどんな存在なのか、など尋ねてみた。
夫曰く、(いくつかの会話を私がまとめたものだが)
・まず「腐女子」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう女性の総称。
・この「腐女子」という言葉は、夫の友人たちのLINEグループなどでまず概念を知り、そのあと個人的に調べて、腑に落ちたので使うことにした。六月ごろからこの言葉をもとにした娘への疑念が生じた。
・娘を「腐女子」と思った理由は、娘の(公表しない個人的なスペック)や交友関係や部活動での立ち位置などを広く見たうえで、前述の素質が多くみられるから。
私は、仮に娘が「腐女子」だとして、一体何の問題があるのか、いくつか思いつく例を挙げて聞いてみた。ただ、私もショックというか悲しい気持ちがあり、うまくまとまった受け答えができていたかは分からない。
(私)出自とか社会的階層による差別が許されない社会において、どうして「腐女子」という概念を娘に当てはめようとするのか? 我々も例えば「ゆとり」とか「新人類」とか「さとり世代」とかただ生まれた年代でレッテルを張られる辛さを経験しているはずであり、それをネットミームで何故繰り返すのか?
(夫)そう感じてしまったものは仕方がない。父親であっても異性としての視点があり、娘がこのままでは対人関係面で悪化するのを予想できる。腐女子という分かりやすい言葉がある以上それを使うのは当然だと思う。
(私)私も夫も娘の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「腐女子」で何が悪いのかわからない。娘は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「腐女子」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)
(夫)娘にスクールカースト上位になってほしいとかそういうのではなくて、ただ普通の人間、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか、総体的なことを重視できる人間になるべき。
(私)娘は、まだと言おうが、もうと言おうが、中学生であり、親に関与できる部分もあれば、娘個人の未来もある。私も夫も、自分のやってきたことを娘に強制できる人間ではないし、まずそういう人生観を伝える上で「腐女子」ということばを使うのが間違っているのではないか。
(夫)だから、今までそれを言い表しづらかったのが、新しい言葉ができた以上、「腐女子」という言葉を使うのは当然だという話。話さなければよかった。
(私)娘には、まさか、面と向かって「腐女子」などと言う言葉を使ったのか?
(夫)使っていない。(これは本当だと思う。娘が何かショックを受けたり夫を避けてる様子はないので。そう信じたい)
夫が、私にこのことを話さなければ(相談しなければ)よかった、と言っている通り、この数日間、私と夫は少し(というか私の側からはかなり)ぎくしゃくしてしまっている。
個人的なスペックについて話さないとは書いたが、少なくとも夫がこれまで、このようなネットミームを使ったり、なんというか、「生理的に無理」「キモイ」みたいな即物的なことばを頻繁に使う人間ではなく、娘に対してもちゃんと親としての見守りを並んでしてきてくれたと思っていた。故にショックが大きかった。
しかし夫にとっては、娘が「腐女子かもしれない。腐女子だ」ということが、「親としての責任、見守り」という認識なのだということにも思い至っている。何か、本当に根本から食い違っていることだけはわかる。
ただ、私は腐女子という言葉や概念自体を否定したい立場だ。特に、まとめサイトでやいのやいのいう次元ではなく、親が子供を指して使う言葉ではないというまず常識のレベルで。
だが、なんというか、これ以上どうしたらいいのかわからない。一度腐女子という言葉を知り、娘に当てはめてしまった以上、夫は娘に対し、何をするのか。さっきも書いたが、「腐女子」という概念自体が良く分からないので、どうなるのか分からない。
単に「シャキッとせえ」「ええかっこしい」みたいな次元ではなさそうだ。私に「娘が腐女子だ」という以上、子育てとしての問題意識があるのだろう。母としての自分は、では「腐女子」に対する何かを打ち出せたのか。
職場の飲み会に行った。比較的「若手」と呼ばれる人が多い飲み会だった。
ある人は既婚だった。後輩は大学時代から付き合っている彼氏と同棲中で、また別の後輩は同期と付き合って2年。
私は?
恋愛が苦手だ。というか、ブスすぎて誰ともそういう雰囲気になったことがない。一度焦ってマッチングアプリを入れてみた。直前にドタキャンされるのが3連続続いた。
「彼女いないんすけどwwwマッチングアプリとか出会い系は手出してないんでwww」
と彼女のいない後輩男が言った。マッチングアプリくらいしか恋愛話を披露できない私はもう何も話すことがなくなった。
私のパートナーについては聞かれなかった。多分みんな空気で察してる。死にたい。
これでもお利口さんに生きてきたと思ってる。大学を出て、会社に勤めていて、出世とかキャリアは度外視しているが、頑張って働いている。成績だけが取り柄だった。コミュ力が最重要の会社では意味がないが。
ただ恋愛が苦手なだけだ。
こんなにも惨めな思いをしなくてはいけない。苦しい。
がんばって生きてるのに……非行にも走らず真面目に生きてるだけなのに……。
生きてるだけで偉いというのなら、こんな私を認めてほしい。でも世の中は恋愛が当たり前なので、恋愛をしていない私は頭がおかしい。
生きていて申し訳ない。でも彼氏を作る努力はできそうにない。早く死にたい。恋愛に興味がないアラサー独身女はおかしな存在なので死んでしまいたい。
パートナーがいなくてもいいじゃん?
ほんとに?
じゃあ、これから私が「彼氏いないの?」って聞かれていないですって答えた後の地獄の空気をなんとかしてくれるの?してくれないでしょ?
無責任なこと言わないでよ。
地方都市で法律関係の仕事をしている。婚約者は片親だけど実家にもよくお邪魔する仲で、いつも快く迎えてくれる。
仕事中に、婚約者の親御さんに犯罪歴があることを知った。しかも過失で怪我させてしまったとか若い頃の非行とか(それもダメだが)ではなく、完全に故意で被害者もいるような犯罪であった。
当然仕事で知ったことで守秘義務がありこのことを口外できないのだが、それゆえにそれ以外の理由もないから別れることも出来ずこのまま結婚するしかないのか。
相手はとにかく大好きでだから結婚するのだが、これからお付き合いしていく義親としてそれだけが引っかかってしまって行き場がないので増田。
まずチー牛という単語を使ったのは間違いってのを大前提に、妻の懸念に焦点を当てたい
妻のチー牛の定義
「まず「チー牛」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう男性の総称。」
そうなってほしくないという妻に対する夫の返答
「(私)私も妻も息子の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「チー牛」で何が悪いのかわからない。息子は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「チー牛」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)」
そうか?
引きこもりとか5080問題とか見てれば、非行に走らなければなんの問題もないわけじゃないってのは分かるだろ?
増田はチー牛なの?
チー牛って言葉に過剰反応して妻の悩みにも息子にも向き合おうとしてないと思う。
息子が妻の懸念するようなチー牛になるかは父親の家族との関わり方次第だよ。
頑張れ増田。
嫁が頭悪すぎだし、アホな主婦の集まりや、ネットの書き込みを鵜呑みにしてしまう思慮の浅い女ってことがわかるな
しかも自分の子供を親が自由に作り変えられると思ってるのもすごい
誰だって勉強できて東大並みの大学に入れたいと思うがそんなことはできないし、
誰だって社交的で友人も多くて、仕事も成功させたいと思うがそんなことはできない
誰にもできないことを子供にはさせようとするのがもう間違いなのにな
せめて非行に走らない、病気にならない、事故起こさない、仕事もできればいい、友人もできればいいとかそういう慎ましい願いくらいだろ子育てって
嫁はヤンキーだったのか、ヤンキーならチー牛よりいいのか、チー牛よりのちの成功できたのか
たぶん嫁はほぼ見た目の心象だけのこと言ってないか?
見た目なんて自分でいい感じの髪型にさせて、服を選んでやるだけでだいぶ印象変わるだろ
しかもほとんどのやつは大学とか社会人になって見た目とか気にして変わっていくもんだ
中学なんてほぼ98%チー牛みたいな格好のやつばっかりだろ
私と家族の詳しいスペック(例えば身長体重、美人不美人、友達の数や成績)は書かない。それは本題ではない。(先に書くと、むしろそういう関連付けを拒むべきというのが私の意見、結論だ。)
息子は中学生、一人息子。妻は三十代後半。私は四十代。
お盆に先立ち、中学生の息子は先に、比較的近所の私の実家に帰っている。
息子が出かけた夜、私の妻が、こんなことをいってきた。
「息子はチー牛なのではないか?どうにかチー牛にならない人生を歩ませることはできないのか?」と。
私は耳を疑ったし、そういうことをいう妻に悲しくなった。
実の息子に対してそういう感情を抱くのか、とか、本人のいない前で悪口のようなネットミームを擦り付けるのか、とか、色々な感情がよぎった。
チー牛という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、あの有名な画像と、牛丼店でチーズ牛丼を頼みそうな性格・人格、という、何か表面的なことだけだが。
私は妻に、「ネットミームで人を呼称するようなことはしないでほしい」ということを伝えたうえで、なぜ息子を「チー牛」だと思うのか、妻の考える「チー牛」とはそもそもどんな存在なのか、など尋ねてみた。
妻曰く、(いくつかの会話を私がまとめたものだが)
・まず「チー牛」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう男性の総称。
・この「チー牛」という言葉は、妻の友人たちのLINEグループなどでまず概念を知り、そのあと個人的に調べて、腑に落ちたので使うことにした。六月ごろからこの言葉をもとにした息子への疑念が生じた。
・息子を「チー牛」と思った理由は、息子の(公表しない個人的なスペック)や交友関係や部活動での立ち位置などを広く見たうえで、前述の素質が多くみられるから。
私は、仮に息子が「チー牛」だとして、一体何の問題があるのか、いくつか思いつく例を挙げて聞いてみた。ただ、私もショックというか悲しい気持ちがあり、うまくまとまった受け答えができていたかは分からない。
(私)出自とか社会的階層による差別が許されない社会において、どうして「チー牛」という概念を息子に当てはめようとするのか? 我々も例えば「ゆとり」とか「新人類」とか「さとり世代」とかただ生まれた年代でレッテルを張られる辛さを経験しているはずであり、それをネットミームで何故繰り返すのか?
(妻)そう感じてしまったものは仕方がない。母親であっても異性としての視点があり、息子がこのままでは対人関係面で悪化するのを予想できる。チー牛という分かりやすい言葉がある以上それを使うのは当然だと思う。
(私)私も妻も息子の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「チー牛」で何が悪いのかわからない。息子は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「チー牛」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)
(妻)息子にヤンキーになってほしいとかそういうのではなくて、ただ普通の人間、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか、総体的なことを重視できる人間になるべき。
(私)息子は、まだと言おうが、もうと言おうが、中学生であり、親に関与できる部分もあれば、息子個人の未来もある。私も妻も、自分のやってきたことを息子に強制できる人間ではないし、まずそういう人生観を伝える上で「チー牛」ということばを使うのが間違っているのではないか。
(妻)だから、今までそれを言い表しづらかったのが、新しい言葉ができた以上、「チー牛」という言葉を使うのは当然だという話。話さなければよかった。
(私)息子には、まさか、面と向かって「チー牛」などと言う言葉を使ったのか?
(妻)使っていない。(これは本当だと思う。息子が何かショックを受けたり妻を避けてる様子はないので。そう信じたい)
妻が、私にこのことを話さなければ(相談しなければ)よかった、と言っている通り、この数日間、私と妻は少し(というか私の側からはかなり)ぎくしゃくしてしまっている。
個人的なスペックについて話さないとは書いたが、少なくとも妻がこれまで、このようなネットミームを使ったり、なんというか、「生理的に無理」「キモイ」みたいな即物的なことばを頻繁に使う人間ではなく、息子に対してもちゃんと親としての見守りを並んでしてきてくれたと思っていた。故にショックが大きかった。
しかし妻にとっては、息子が「チー牛かもしれない。チー牛だ」ということが、「親としての責任、見守り」という認識なのだということにも思い至っている。何か、本当に根本から食い違っていることだけはわかる。
ただ、私はチー牛という言葉や概念自体を否定したい立場だ。特に、まとめサイトでやいのやいのいう次元ではなく、親が子供を指して使う言葉ではないというまず常識のレベルで。
だが、なんというか、これ以上どうしたらいいのかわからない。一度チー牛という言葉を知り、息子に当てはめてしまった以上、妻は息子に対し、何をするのか。さっきも書いたが、「チー牛」という概念自体が良く分からないので、どうなるのか分からない。
単に「シャキッとせえ」「ええかっこしい」みたいな次元ではなさそうだ。私に「息子がチー牛だ」という以上、子育てとしての問題意識があるのだろう。父としての自分は、では「チー牛」に対する何かを打ち出せたのか。
🤔
こう書けば、通じたのかしら?
受験産業よちよちしすぎたせいで、高度な専門化のせいで、 発達障害、勉強と部活しかしたことない常識がない生き物、 これらが大企業や専門家に増えたせいだと思いますわ
どう考えても発達障害の活躍する場は増えたと思う。高学歴化と高度な専門化とITで 肉体労働するしかなかった時代の発達障害は途上国と同じく死んでたのでは? うっかりによる事故死や、ハマれるポジションがないから貧困でね 「大企業やアカデミアにいるトンデモ」タイプの発達障害・受験勉強に歪められた健常者であっても、 「ケーキの切れない非行少年たち」タイプの発達障害あっても、 得意不得意に極端な差があってやりたいことしかしない連中は長生きできなかったと思う 下記とかとても高等教育を受けた成人向けに書かれた文章ではない >アカデミアで教育すべき一番のポイントは,“自主性”だと思っている.
私が中学校の時の友人の話をしよう。名をMという。ガリガリでいつでもワンパンで倒せそうな子供だった。
Mは体育の授業の持久走では絶対に走らなかった。体育の先生は40歳くらいの柔道専門のいかにも強面の人で、いわゆる不良も体育の授業だけは真面目に受けていた。そんな先生相手にMは堂々と絶対に走らないと宣言し、牛歩戦術ばりのダラダラとした歩きを披露した。その光景はその先生を煽っているようにすら感じられた。
体育教師の怒声が飛ぶ。正座のために先生が指さしたのは日陰でもなく太陽が照りつけるコンクリートの上だ。気まずさが辺りを包み込む。みんなの視線を集めているMは無言で歩き出し、当たり前のように正座を始め、グデーと腕を伸ばし体を丸めてヨガのポーズみたいな格好をした。このポーズは彼がやる気がないことを全力でアピールするために愛用していたものである。
ある日の給食時間中、Mは心無いサッカー部の男子に「お前野菜とか食わないでデザートとかの美味しいものしか食べないな」と悪口を言われた。その日以来、給食時間には誰が何と言おうと頑なにあの謎ヨガポーズを取り続け一切給食を食べなくなった。Mのデザートはいつもそのサッカー部の男子がありがたく頂戴していたという、胸糞悪い話でもある。
あの謎ヨガポーズは彼なりの筋の通し方で、精一杯の反抗手段だったのであろう。非暴力・非服従のガンジースタイルで彼はいつも自分の気に入らないこと全てと戦っていた。
私が中学に入るとクラスに剣道の経験者がいた。入学したての時に、その子に誘われて軽い気持ちで見学にいくと、椅子に座らされて簡単には帰れなくなり、そのままずるずると剣道部に入ることになる。中学1年生の私を思いっきりビンタしたい。踏みとどまれよ。何せそれまでの私の人生に剣道との接点なんて何もなかったのだ。今思うと中学からいきなり剣道を始める方がどうかしていた。
そんなこんなで始めた剣道は、いかんせん面白くなかった。野球、サッカー、バスケなどと違い、剣道は遊びでやっても全く面白くないというとにかく救えないやつだった。暑い、臭い、汚いの三拍子そろっていた。
私は己がはまり込んでしまった剣道という沼に1人でも多く引きずり込みたかった。そして生贄としてMが選ばれた。多少強引とも取れる平和な交渉の末に彼は剣道部に入った。小学生のときは家にこもりがちだったMを外の世界に引っ張っていったので、彼の母には大層感謝された。WINーWINである。
ある日、Mは、アップの素振り中に、面・胴・小手のリズムで、めん、どう、くせ〜〜と叫びながら竹刀を思いっきり空高く放り投げた。Mは竹刀も拾わずそのまま部室に駆け込むと、周りの静止も聞かず、着替えてそのまま帰ってしまった。我慢の限界だったのだろう。そのまま自然な流れでMは剣道部をやめた。1年持たなかったが、今思い返すとよく耐えた方である。顧問4段、副顧問3段というガチ剣道指導者に囲まれた当時の私たちには逃げ場などなかった。中学から部活に入りそれまでまともな運動習慣がなかったMにとって、あの環境での練習に耐え忍ぶことは、想像を絶するほどのストレスだったのだろう。
生贄はいなくなったが私は結局3年間剣道に捕らわれたままで、高校になったら絶対に辞めてやるとのモチベーションだけで最後までやり遂げた。
Mには逃亡癖があった。自転車で実際に校外に出たのは1回や2回ではなく、駐輪場で教員や友達に捕まった未遂まで含めると1年で10回を上回る。駐輪場で確保された後に、教室に連れていこうとすると、自転車のチェーン式の鍵を持ち出して、近くの柱にズボンのベルトと絡み合わせて己の体を固定させて、「動けない〜〜」と手足をバタつかせてみんなを呆れさせた。自転車で学校からの脱走に成功したとしても、親の許可も得てないので家には帰れないし、インドアを極め煙草などの非行にも縁もゆかりもないMにいく場所などなかった。
Mは遊戯王にハマっていた。カードでも遊んでいたが、何より当時放送されていた遊戯王5DSというアニメにハマっていた。
「遊戯王のアニメって所詮カードを売るためのでっかいCMだろ」
と私がMに話した時、Mは口をパクパクさせて抗議の意をしめしてきた。私の失言癖は今も変わらないが、己の無配慮に今更ながら申し訳なく思っている。
Mは遊戯王5DSの敵キャラ・鬼柳京介(きりゅう きょうすけ)から大きな影響を受けており、中学2年生の一時期は事あるごとにこのキャラの口癖である「満足できないぜ」を連発していた。清々しいまでの中2病だ。当時の私はというと、Mが何か変な行動を起こすたびに、同じアニメのクロノス教授の真似をして、「ドロップアウトボーイなの〜ね!」と煽っていた。性格の悪い中2病だ。
Mは持ち前の地頭の良さを屁理屈にしか使わないので、学校の成績は壊滅的だったが、そこをイジるといつも半笑いでちょっと怒っていた。普通に学校生活が送れないという意味では、リアルガチでドロップアウトボーイであったMの言動は私を退屈させなかった。だからこそMと友達だった。酷い友情の形もあったものである。
不器用で要領悪いが自分を貫くMの姿に好感を持てた。多くの人が眉をしかめるMの言動も私は常に面白がっていた。
あの頃の私はM君係として周りに認識されていた。1年こそ違うクラスだがその実績が認められ、当然のように2. 3年生の時Mと私は同じクラスであった。奇行が目立ち何かと周りから浮きがちなMに対して、私は特別扱いして諦めずに、失礼なこともいう対等な友達として接した。
なぜここまで詳細にMのことを覚えているかというと、それは彼と過ごした中学生生活がかけがえのない色褪せないものであるからというのももちろんあるが、正直に話すと、今の私が中学校の特別支援学級の担任だからである。
特別支援学級にはMのような子が大勢いる。Mの特徴は自閉症に当てはまるのだ。今ならMはおそらく自閉症の診断名がつき支援学級に在籍しているだろうが、15年ほど前にそんなクラスは存在しなかった。ただ変わった子が教室にいつも普通にいて、私はその子の世話係的な役割だった。
私の趣味は漫画、小説を読むことで、漫画はそれこそ幼少の時から40歳を超えた今でも暇さえあれば読んでいる。特に30代になって電子書籍で買うようになってからは、翌日の予定お構いなしに徹夜で最新刊まで読んだりもする。
しかしながら、昔は面白ければ何でも読んだが、最近は、これ前に読んだ〇〇と似ているなーと思うと1巻で断念したりとかいうことがよくある。1巻読んで面白いなーと思っても、なんか続きを読む気力がわかないということもあり、そんな時はネットでラストまでのネタバレを探して読んだりする。
最近では、余程ストーリー面白いか、テーマに興味があるか、キャラ萌えしないと続きを買う気がしなくなっている。
最近でも新刊出る度に買ってるのは、リエゾン、shrink、アンメット、子供を殺してくださいという親たち、ケーキの切れない非行少年たち、前科者、しょせん他人事ですから、ミステリという勿れ、瓜を破る、正反対な君と僕、七つや志のぶの宝石、ちいさいひと、二月の勝者など。
自分の子供が面白がって読んでいる漫画を読んでみたいような気もするが、億劫で読む気がしない。
子供が読んでいる漫画は、呪術廻戦、働く細胞、シャングリラフロンティア、ダンジョン飯、など。
どれも面白いんだろうなあと思うけど、どうしても読む気がしない。親として、不適切な内容がないかとかもチェックしたいんだけど‥。働く細胞以外はもっと年上向けの話だよね。
https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200703/5.pdf
これによると上官殺人については、代表的なものとして以下の事例を確認できる。
概要: 輜重兵第3連隊第1中隊において、下士官7名と兵32名が中隊長代理および中隊将校に対して集団暴行を行い、中隊長代理を殺害した事件。
原因: 中隊長代理の過激な軍紀粛正に対する反感が引き金となった。
処罰: 首謀者の曹長は死刑、中隊長代理も職権乱用の罪で懲役1年6ヶ月に処せられた。
概要: 第59師団第53旅団隷下の独立歩兵42大隊第5中隊で、兵6名が中隊幹部に対して暴行を行い、中隊長を殺害した事件。
処罰: 本事件の詳細な処罰については記載されていないが、軍内で大きな衝撃を与えた事件として記録されている。
概要: 昭和18年度には、上官殺傷事件が合計で45名にのぼり、特に中隊長以上に対する犯行が多数発生していた。
原因: 上官の粗暴な態度、軍事能力の欠如、指導能力の不足などが原因として挙げられている。
殺人を取り上げたが、対上官犯の発生傾向を全般でみると、戦況の悪化に伴い増加していた模様。
昭和16年度の対上官犯は341名であり、前年の202名から約1.7倍に増加している。
昭和17年の上半期だけで、対上官犯は126件、152名に達している。
昭和18年度には対上官犯が428名に増加し、前年と比較しても著しい増加傾向。
昭和19年には対上官犯がさらに増加し、1月から7月の間に既に347名に達しており、前年の一年間の総数に近づく勢い。
対上官犯の増加についての背景について、戦況悪化と士気低下の影響と分析している。
ガダルカナル撤退後、第一線も後方も士気が低下し、対上官犯や奔敵逃亡が増加する傾向にあったという。
補給不足や飢餓状態が士気を低下させ、逃亡者や対上官犯の増加に繋がったとのことだ。
戦闘が激化し、士気が低下することで、上官への反発や不満が顕在化しやすくなり、対上官犯の発生が増加したと考えられる。
これに対して、陸軍は戦陣訓による教育的指導で意識改革を図ろうとした。(戦陣訓かよ。。。)
PDFは・・・以上のような内容の文書のようだ(AIによると)。
なるほど。面白い。
しかし、そもそも、満州事変にしても陸軍中央の一部幕僚と関東軍の連携に遂行され、それは政府や陸軍首脳の方針に反して行われたものだったし、226事件にしてもクーデターだ。陸軍内部には長い間、皇道派と統制派の対立があってそれがクーデターにつながったもの。
犬養毅首相を武装した陸海軍の青年将校たちが暗殺した五・一五事件(1932年)の時点で、もはや【軍務による制約】がすでに機能していなかったといえる。首相殺害って上官殺しどころの次元じゃない。下剋上すれば何かを変えられると信じていたということだ。
日本陸軍の歴史を振り返ると、ある意味、組織に内在する”下剋上”的な雰囲気が戦争へと突き動かしていたことがわかる。
それは当然ながら戦陣訓といった組織内規律でコントロールできる範疇を超えるものであり、根本的なガバナンスが問われていたことは間違いない。
そのダイナミックな動きをもっとも恐れていたのは昭和天皇だったかもしれない。
上記文書の対上官犯罪の増加について戦陣訓で対応したとあるが、こうして下剋上的な力学が全体で強く働いていたなかでは、戦陣訓ごときで風紀の乱れなど押さえきれるものではなかっただろう。
その戦陣訓を考案したとされる陸軍大将の畑は、昭和20年8月6日、たまたま広島駅近くで被爆し、その体験をもって上京、御前会議の前の元帥会議に臨んだ。他の元帥が主戦論を張るなか、ただ一人、本土決戦など不可能である旨を天皇陛下へ奏上、敗戦に至ることになる。
歴史にもしはないが、天皇陛下に奏上できる立場の陸軍首脳が原爆被害に遭っていなかったら?・・・もしかすると、当時の地震災害を黙殺したみたいに、原爆被害も知らされず黙殺されて、もう数発くらい落とされていたかもしれないし、ソ連の侵攻も相当進んでいたかもしれない。
このことからわかることは、各都市が焼けようと沖縄がどうなろうと本土決戦を諦めなかったにもかかわらず、原爆の威力を肌身で理解した元帥が奏上できたということは、人間誰しも当てはまることで、いくら想像力があっても、現場にいかないかぎり現場のことはわからないということだ。
なお、畑に随行していた参謀は宮城事件(クーデター)に巻き込まれ、青年将校に殺害されたとwikipediaに書いてあった。
「食物をめぐって上官殺人」
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001100526_00000
https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200703/5.pdf
あと驚くべきことに公的資料として日本陸軍内では戦争が末期になるほど上官への抗命・侮辱・暴行・殺人が目に見えて増加している