はてなキーワード: 通勤とは
ネットで出会ってリアルでも会うようになってかれこれ十年になる友人A。こっちが仕事で引っ越してからはなかなか会えないけどTwitterで繋がってたしネット上ではよく喋ってた。びっくりするくらい趣味が合って、お互い「あいつが面白かったって作品なら映画でも漫画でも小説でも絶対間違いない」と確信してた。
今年の頭からコロナの影響で生活がずいぶん変わった。メンタルが雑魚なのでTLに流れてくるコロナ関連情報を見るのがつらくなってフォロワーのRTをTLに表示しない設定にしていた。仕事は減らないし通勤強要されるしテレワークの環境は全然整わないし収入は増えないし、本人が有用と思って流してくれるRTですら見たくない状況が続いたので。
夏に入って仕事の状況もメンタルも落ち着いてきたのでミュート解除しようとしてAのアカウントに飛んだ。びっくりするほど政治的で攻撃的なRTやリプが並んでいた。一瞬何を見てるかわからなかった。
自分は以前何でもない日常ツイートを政治垢に全然違う意図で取り上げられて以来政治ネタについては一切つぶやかないようにしてるけど、TLについてはそんな気にせずちょっと右っぽいなんとなく左っぽいくらいはスルーしてきた。でもAのはもうそんなもんじゃなかった。
考えてみればAは最近よく日本と海外のコロナ対策を比較したツイートを引用して突っ込んだりしてた。RT非表示でも「テレワークつらい」「イベント中止つらい」みたいなつぶやきが多かったし、あいつも参ってるんだなくらいの気持ちでいた。まさかこんなにも出羽守ガーポリコレガー日本の文化ガーしてるとは思わなかった。
びっくりしてアカウントごとミュートして今も怖くてそれっきりのぞきに行ってない。
本当に知的で面白いやつだったんだよ。大学院行って留学経験もあって今は教育関連の仕事をしてて話もうまくて。それがいつの間にかあんな低レベルの罵倒まみれになったのが本当につらい。コロナ落ち着いたら元に戻ってくれるんだろうかと期待しながらリムはできずにミュートしている。最近すっかり低浮上でリプも来ないし会話もしてないのがせめてもの救いかもしれないが、つらい。
もう外はかなり 暗くなった。
空は暗いと薄暗いのあいだほどで、隣の団地のシルエットがレースのカーテン越しに曖昧に見える。団地の外廊下の灯りがポツポツ点いている。
外は暑いだろうが、冷房のきいた部屋の中にいると実感がわかない。いや、通勤の行き帰りは確かに暑かったし帰って来たのはついさっきなのだが、冷房の風が直撃するソファで麦茶を飲んで体が冷えてしまえば、あっという間に外の暑さを忘れてしまう。
セミが鳴いている。
昔住んでいた所ではもっとうるさく昼も夜も鳴いていたが、ここではストレスになるまでは鳴かない。一応、夏の記号としてセミもご用意しましたよ、という感じだ。
ずいぶん前になるんだけれど、大学院生だったとき毎日紅茶を飲んでいた。6畳くらいの細長い居室に4人が机を並べて、来る日も来る日もボロボロの校舎で過ごしていた。大学院は楽しいだけではなかったけれど、今では懐かしい。
毎日、通勤ラッシュが終わったころ登校すると、ドンキで買った安物の電気ケトルでプラスチック臭いお湯を沸かし、卒業した先輩が残していった「HAWAII」と書かれたマグカップに注いでいた。安い紅茶、100個入りで500円の紅茶は、シブい。将来の不安と金欠のダブルパンチだったら、朝入れたティーバッグを入れたマグカップにお湯を継ぎ足して一日中飲んでいた。だんだん夕方になるとマグカップの中が出涸らしで茶色い水みたいになってきて、早く研究を終えて帰りたくてしょうがなかった。
寒い日も暑い日も毎日紅茶を飲んだ。教授に進捗報告をした後で、冷めて真っ黒になった紅茶を一気に飲み干す爽快感は忘れない。締め切りまじかで身体が辛いときはティーバッグを登校したら一つ、昼食を食べたらまた一つと贅沢に使ってカフェイン摂取に励んだ。カフェインは友達。紅茶は茶渋がすごいので、論文を投稿し終わったあとで変色したマグカップを激落ちくんで磨くことにしていた。こんなときの気分は最高だった。
就職してからはコーヒー党に鞍替えしてしまったので、しばらく紅茶を飲んでいなかった。最近ちょっと高い紅茶が眼にとまったので、奮発して買っちゃった。アールグレイだった。紅茶ってこんなに美味しくて香り豊かなのか、知らなかった。就職して、美味しい紅茶が飲める幸せを感じる一方で、ちょっとシブい紅茶が恋しくなった。
語り部となった老人はまだ子供だった当時、パーマを掛けた女性に石を投げはやしたてたそうだ。
それが許される時代だった。それでもこっそりと「闇パーマ」をかける女性はあとをたたなかった。
その記事を読んで、なんだか心が落ち着かなかった。
7月頭からリモートワークを再開して、そのまま夏休みに入った。
夏休みといっても旅行に行くわけでもないしネット配信のドラマをみるくらいしかすることもない。
なんだかくさくさして近場にある新しくオープンしたカフェに行ってみた。
朝なら空いてるかと思って早起きして行ったのだが、役所が近いせいか、道中思いの外たくさんの通勤者とすれ違った。
その人たちをぼんやり眺めながら、別にこの人たちは私に害を与えるために働いているわけではないのだなと思った。
通勤している人たちはコロナを蔓延させて私に感染させるために働いているわけではないし、家にいて自粛している人たちは私を守るために自粛しているわけではない。
テレビのニュースでは海水浴場でスキーのマスクみたいのをかぶった人たちが取材に答えて「このマスクをかぶっていれば安心です」と言っていて、バカなんじゃないかと思った。
まああの人たちはバカなのかもしれないけど、すべての人がバカなわけではない。
コロナが心配で、感染してしまったらどうしよう、嫌だなあと思いながら通勤している。それが自分の生活だから。
なんだかんだ言われながら夜も営業している飲み屋の店長とかもそんな感じなんだろう。
友人は5月の緊急事態宣言の始まる前に、感染が怖いからと自ら職場を辞めてしまった。
それ以来、ずっと家にこもったまま、週2回スーパーに買い物に行くだけの生活を続けている。
家族が協力的でないと腹を立て、自粛しない世間に腹を立て、情報が操作されていると腹を立て、ネットで情報を検索しては怯えている。
何が正しいのかなんて、80年くらいたった後にわかるんだろうな。当時の人々はなんて愚かだったんだって、未来の誰かが笑うんだろう。
まあその頃まで人類が生き延びていればの話だけど。
糖尿病か少なくともかなり危うい予備軍だと思ってる
30代前半で今まで健康診断等でひっかかったことはない(とはいえ色々あって3年前までのデータしかない)
食後すごく眠くなるので食後に血糖値が異常に上がるタイプの隠れ糖尿はずっと疑ってる(これだと前日から食事を抜いてする普通の血液検査ではわからない)
ただそろそろ普通の糖尿も怪しいんじゃないのか?と感じ始めた 隠れ糖尿とそうでない糖尿を分ける意味や必要があるかはわからない
やばいと思いつつそれかよと突っ込まれそうな生活状況を書いていく やばさを再認識するためだ
金と気力がないので箱買いしたカップ麺が主食 汁はだいたい残す 時々卵を入れる たまに青汁を飲む
平日は仕事中眠くなるので箱買いしたカフェオレを飲む ついお菓子を食べてしまう 毎日体のどこかしらに蕁麻疹が出ている(部屋が汚いせいかもしれない)
ほぼ唯一の運動であった通勤もここ数ヶ月していなくて順当に6キロ太った 今は気まぐれに布団で腹筋する程度(10回くらいで疲れてやめる)
ドライマウス傾向がある(気がしている) 水を意識的に飲みつつ水分を摂りたくなるのは糖尿のせいじゃないかと思っている でもがんばっても1日2リットル飲めてるかどうかくらい
手の親指の関節が痒いのと足指がむずむずするのでこれはもしかしてもうだめかなと思っている 元々末端冷え性はある 大げさかもしれない
あまり思い込むと逆プラセボになってランゲルハンス島に悪いんじゃないかという気もしている 糖尿じゃないと思い込むことで改善することがあるかは不明だが
良いのであれば、いつもの産婦人科の方に次から通うといいですね。
(とくに変更とかいらないし)
妊娠2ヶ月入ってるから平均。私もそんくらいで無事生まれた。安心して。応援してる!
20代の半分をニートで過ごし、ろくなスキルもなく経歴ズタボロのまま30代を迎えた。このままじゃやばいという焦りと、その当時勤めていた会社で使うかもなという思いからプログラミングを始めて、3年ちょいになる。
最初はExcel VBAだった。学びながら、自分だけが使う作業時間集計アプリを作った。アプリを使ってるうちにそれが会社に認知されたから、今度はVB.NETで業務に使うRPAもどきを作った。その頃にN予備校のプログラミング講座がすげえバズってたので、それでNode.jsも学んだ。プログラミングを学び始めて約1年で応用情報を取った。Node.js使って独力で小規模な業務システムを作って、それをポートフォリオに転職活動をした。地方製造業の社内SEとして採用された後、その企業と懇意にしている東京のITベンチャーに能力を買われてそこに転職し、今に至る。
今の環境はとても良い。まず通勤がない。会社の一階上に同僚と住んでいる。ドアtoドアで10秒だ。給料は現状高いとは言えないけど、勤めて2ヶ月で月10万プラスになったので、スキルさえつければ伸びる素地はあると感じる。それに何より、会社のメンバーが、俺のズタボロな経歴と鬱で薬を飲んでいることを知ってくれている。これが心理的にでかすぎて鼻血出そう。
おまけについ最近は異性に告白されるし、金はほとんど使わないから貯まる一方だし、仕事はゲーム作ったりして楽しいし、人生の好転具合がヤバすぎてヤバい。
まあ、俺は運が良いんだと思う。何言っても生存バイアスかも知れないけど、みんなプログラミングやろうぜ。
3年前にプログラミングを始めてなかったらと思うとゾッとする。
地方都市の車通勤なんだけど、勉強できるスペースってどこかないかね
7時30分くらいまで空いている場所
図書館は閉まっているし、喫茶店やマクドナルドはコロナのせいで長く居づらい
大喜利で「家」と答えた人は電源抜くよ
盆だし、コーヒーの飲みすぎで眠気が来ないので自分語りを投げる。カジュアルにでも死にたいなあと思う人は読まない方がいいと思います。
1桁歳の頃、通学路に踏切があった。
カンカン鳴りながら降りた遮断機の前で電車が通り過ぎるのを待つ時、なぜ自分は毎回素直に待っているのか、なぜ1度も鳴り響く踏切の中に入って電車に跳ねられるという選択をしないのかを不思議に思うことがあった。
もちろんそれは私に意思が、思考があるからだが、私に意思というものがなければ、踏切の警告音が鳴り響く時、1/2の確率で私は遮断機の中に入り、電車に跳ねられて死ぬ。
この仮定の場合、私が今まで1度も死なないでこれたのは、1/2の、今までの人生で踏切の警告音が鳴った回数分乗の確率で起こる奇跡であるわけで、私の「死にたくない」という意思ははたしてそんなに強いものだろうかと、大学生になっても思っていた。
警告音が鳴り響く踏切の前で素直に待つ時、私はいつも踏切に自分が立ち入らないように必死だった。明確に死にたいというわけではなく、ただ、ほぼ無意識のうちに積み重なっていった、「私は生まれてから1度も死ぬほうの選択肢を選んでいない」という奇跡が奇妙に感じられて、ぶち壊したくなるのだ。
死なないように必死に踏みとどまるといっても、明確に「死にたくない!」と思えはしないから、死なない方がいいらしいよという規範を意識する程度のことしかできない。スカートを腰元でたくさん折らなくても短い丈にできるよう裾を切ってしまいたいが、式典とかで教師の目が厳しくなった時に取り返しがつかないから切らないでおこうと踏みとどまる、みたいな軽さだった。その軽さに生死がかかっていることに対する妙な緊張感はある。不快である。
こういう状況が発生するのは踏切に限ったことではなく、自転車に乗っている私を右後ろから大型トラックが追い抜こうとするときも、いきなり右に進路変更しないようにするのに必死だった。
私は幸い死の危険を感じずに生きてきたし、私が物心ついてから死んだ知り合いも100歳越えの曾祖母1人だけだから、死というものに対する具体的な恐れを知らないことも、上記のような状況を生む原因だったと思う。
これは希死念慮でない気がする。
なお、刃物を持った時に周りの人間を1度も刺しに行ったことがないのも自分にとっては奇妙な奇跡で、誰かを刺してこの奇跡を壊したいという気持ちが発生していた。別に誰かを殺したいほど憎んでいる訳ではなかった。
大学生の頃、適応障害になった時期があり、その際は上記の現象に加えて、死ねる環境を見るとそこに吸い寄せられるような感覚があって苦労した。
具体的には地下鉄のホームや落ちたら死ねる高さのマンションの共用廊下及び部屋のベランダでそれが発生した。
地下鉄のホームにホームドアが設置されていく時期と被っていたのだが、最寄り駅にはなかなか設置されずつらかった。
やはり単に1歩踏み出せばいいいいのと乗り越えなければいけないのでは必要とされる「死にたいという意思の量」が違う。ホームドアを乗り越えてでも死にたい人はいるだろうが、私はそこまでではなかった。ここで「私はホームドアを乗り越えないという選択を常にしている」などと考えると乗り越えたくなってしまうので、考えを逸らす必要はあったが。
当時の心境としては、死にたいか死にたくないかでいえば死にたかったのだが、死にたいというよりは、生きるのを休憩したいという表現が正しかった。しかし一度死んでしまうと二度と生きることができないので(いやほんとのところは誰も分からないが、二度と生きることができない可能性はたしかにある)、死なない方がいいだろうとは思っていた。私は幸せに生まれ育ったから漠然と未来に少しは楽しいことがあるだろうと思えたのでよかったが、そうでない人は大変だろうと思う。
生きるのを休憩して、今関わっている人間がみんな意識を私から逸らしてからなら、もう1回生きるのを再開したいな、という気持ちだった。これを縮めると、生きていたくない、死にたい、にならんこともなかったし、実際つらさが瞬間的に来た時は「死にたい」「死のう」「死ね(自分に対して)」と小声で口に出すことで感情の圧を逃がしていた。
精神科で薬が出たことで自分が今メンタルを悪くしている人であると自覚し、色々検索できるようになり、界隈の語彙も増えて、「希死念慮」という言葉を知った。
果たして私は希死念慮持ちなのか?そうだとしたらいつからなのか?そもそもどこからが希死念慮であるとか明確なラインを定めようとするのが無意味なのかもしれないというか、おそらくそうなのだが。
自殺するために首をくくる用の縄を買ってくるとかは明確な希死念慮な気がする。
私のあれは希死念慮だったのだろうか。
それとも、希死念慮にならずに済んだ、ただの幸運な願望だったのだろうか。
こんなところに書いても答えは得られない。私はただ単にどこかにこの疑念を吐き出して、限られた思考時間を他のことに使いたいだけである。それだけ何度もこのトピックについて考えてしまっているのだ。
今は適応障害も治ったし、通勤ルートに踏切はなく、大通りはひとつあるが併走ではなく横切るだけで済むから信号さえ守ればよいので気が楽だ。地方であることもありたまに使う電車はゆっくりとホームに入ってくるから、身投げしても死にそうにないので私の気持ちも穏やかである。穏やかな気持ちでいるために、身投げしても死なない速度だと思い込もうとしている節はある。バイクはまだ乗れないかな。ちょっと進む向きを変えただけで死ねるので。
自分に希死念慮があるかとか、希死念慮があったかとか、もう考えなくてもいいと思えるとこまで来た気がするので、ここに投げておしまいにしようと思う。感情の墓場みたいな使い方だな。おしまいです。生きているうちにやりたいことを考える方に舵を切りましょう。面白い漫画を作りたいな。面白い漫画を作って、架空のキャラの架空の人生エピソードで人を泣かせてみたい。
女性専用車両って「痴漢被害者と痴漢加害者の隔離」が目的と言いながら「女性と男性の隔離」になったから、ミソジニー・ミサンドリーみたいな話になってしまった。
確かに、女性専用車両の導入によって、男性への痴漢被害は解決されないし、そもそも身体が密着せざるを得ない満員電車問題を放置して、女性だけ優遇していると思われても仕方ない状況を作ってしまったのは、問題だと思う。
女性専用車両があるのにそちらに乗る女もいると、痴漢冤罪すら防げていない。
しかし、一度男性からの痴漢被害を受けた女性は 男性全体に対して恐怖心を抱いてしまうから、あれの導入で救われた人も多いと思う。痴漢被害を受けていない女性にも、女性専用車両があるから安心して通勤できている人もいるだろう。
それに対して、「女が男を痴漢予備軍だと思っている!!」と言われても、それは 他の男が犯罪行為をした結果 お前にとばっちりが来ているので、怒るべきは『女性』に対してではなく『痴漢をした男』なのである。
女性専用車両は ミサンドリー的考えで採用されたものではないという事実は、事実として認識してもらわないと困る。
それを無視して男性側が女性専用車両を例としてミソジニーを抱くとしたら、ヒステリックに叫ぶツイフェミと何も違いはない。
https://contact.osakametro.co.jp/faq/detail/81
(女性専用車両は性別による差別ではないのですか?-大阪メトロ)
くっそ金持ちで港区とかの中心部に住めて金使いまくりなんだったら都内に住む意味あると思うけどさ
都心まで電車で30分とか1時間とかのところに住んで通勤で体力すり減らして、週末は人混みをお出かけ
昨年まで都内で仕事してて毎日の通勤時間が往復3時間以上かかってたけど、今は自転車で往復15分
みんな在宅勤務してる?
Twitterで相互フォローしていた人が在宅勤務を始めた。の、だが。
在宅勤務ではない自分からすると「こんなに自由でいいのか…?」となるような様子だった。
その人はどうやら都内かその近辺の会社に勤めているらしく、早くから「在宅で仕事したい」とこぼしていた。
その人が言うには「うちの会社はなかなか在宅にしてくれない」「在宅でもできる仕事なんだから在宅にしてほしい」とのこと。しばらくすると「正社員だけ在宅始まった。派遣の扱いが酷い」「派遣の中でも在宅してる人がいるのに何故自分は在宅できないのか」と…。
その頃は同情的に見ていて、この情勢で都会で電車通勤とは気の毒に…と思っていた。
それが、数日後に「在宅勤務決まりました!」というツイートがされた。合わせて、なかなか在宅勤務を決定しなかった上司に対する愚痴も。まあリスクを伴って出勤してた訳だし、愚痴くらいあるだろうと特に気にしなかった。
そして在宅勤務当日。
『いや~在宅勤務最高!朝からエナドリ()飲んで仕事が捗りますわw』※PCの横に500mlの缶チューハイ(開封済み)が置かれた写真付き
オーーーーーイ!!!!!
初日から酒かっ食らってるよこの人!他の社員の目が無いのをいいことに飲酒ワークしてるよ!!
いや、まあ、ある程度アルコールが入ってる方が集中できる人もいるのかもしれないし、仕事に支障が出なければいいのか…?いや駄目じゃない?よしんば飲みながら仕事がグレーゾーンだとしても、それを写真付きでネットに上げるのは駄目じゃない??しかもこの人鍵とかかけてないアカウントだよね??
ちなみに夕方にまたツイートを見たら午後には2本目のエナドリ()を開けていた。
しかし元々そんなに親交の深い相手ではなかったので、外部からとやかく言うのも…と気が引けた。SNSでたまたま繋がっただけなので勤務先なども当然知らないし、まあそういうこともあるんだろう、と自分を納得させてこの日は終わった。
次の日。
『仕事開始~でも暇wゲームやろ~』※午前9時過ぎくらい※ゲーム画面のスクショ付き
……ん?
仕事の開始時間だったんじゃないの?ゲーム…?いや、在宅勤務によって時間の融通が効くから、フレックスのように時間をずらしただけだろう。まさか勤務時間中にゲームなんてしないだろ…
ゲームしてるよこの人!!勤務時間中にゲームしてる!!えっ完全歩合制なの?勤務時間とか特に無いの??でも勤務時間が決まってるせいで、在宅前は満員電車に乗る羽目になってたんでしょ???
あとこの日も普通に酒を飲んでるツイートがあった。勤務時間中に酒かっ食らいながらゲームしてるこの人!
もうこの辺りでこの人に対する印象が完全に「仕事中に酒飲んでゲームする人」になってしまった。楽しそうですね。
半ば怖いもの見たさでツイートの観察をしていたが、「上司からの指示が分かりにくい」という愚痴を見たときは「酔っ払っているからでは…?」としか思えなかった。「会社だとストレス溜まる。在宅だとストレス無くていい」とも言っていたが、ストレスどころか社会人として無くしちゃいけないものまで無くしているのでは?
何より自分とは考え方が合わないんだろうなと思ったのが、それらを全てSNSにオープンに垂れ流してること。
学生の頃、友人の友人が未成年飲酒してるのを頻繁にSNSに写真付きで上げていたのを思い出した。19歳どころか三十半ばでこれかあ…
世の全ての在宅勤務者がこんな自由な訳ではないと勿論理解している。
理解しているが、実際に在宅なのをいいことに好き勝手やっているのを見てしまうと何とも言えない気持ちになる。
修学旅行中に2、3人が不祥事を起こしたせいで次の学年の修学旅行が地味で規則も厳しいもの、あるいは修学旅行自体がなくなってしまうようなそんな感覚。コレ会社にバレたら下手すりゃ「在宅だと仕事を真面目にやらないので弊社では在宅勤務やらないことにします」てなりかねないよね。
まあ件の人はなんだかなあと思いつつそっとブロ解したので、会社にバレるのかどうか最後まで見届けることはないのだが。
※一応追記。仕事中にしてたのはスマホゲーじゃなくてps4のやつでした。ガッツリゲームする気満々じゃねーか…って衝撃を受けた。
立場が上なのに好意を抱くなとか男性は恐怖を与えるとか、職場の恋愛に対するコメントを見たので書きます。
それなりの会社で管理職をしている50代の男です。ある日部下の30代の女性が辞めたいと相談してきた。
辞められては困るので相談事を聞いたり二人で何度か話していたら、そのうち「家まで送ってくれ」と言い始めた。(車通勤なので)
これも仕事のうちだと思い何度か送り届けていると、部長のことが好きですと言われた。
困りますときっぱり言ったが全く伝わらない。終業時間になると当然のように家まで送ってくれと言った体で駐車場で待ち伏せされる。
またしつこく好きですと言われる。あまり無下にもできない、辞められたら困るから。
そのうち抱きつこうとしてくるようになって、さすがに少しキレた。君のことは好きにはならないし仕事の話がないなら自分で帰りなさいと。
最近、腹の調子が悪かったのだが、夏バテだろうと放っておいたが一向に治らないので、医者にかかった。
医者が言うには暴飲暴食と運動不足が原因だと。確かにここ最近運動はほとんどしてない。通勤がなくなって歩くこともほとんどなくなった。それに外食は嫌いだったのが、最近はデリバリーが充実してるのでこれ幸いと色々と頼んでいた。でもピザにかえってしまう。うまい。
医者が言うにはとりあえず沢山食うのをやめろ、柔らかいものを食え、ヨーグルトを食え、しばらくしたら野菜を食え、と言ってきた。もう俺も30過ぎたので、大学生のころのようにやたらめったら食えなくなり、これからは胃腸とよろしく仲良くやっていくことを考えなけらばならんという訳だ。
そういうわけで粥とヨーグルトとゆでた鳥肉の生活は過ぎ、医者の言う通り野菜をモリモリ食っているのだが、これが意外に腹が膨れる。
多分、あまり飯を食わなくなって胃腸が小さくなったとかそういう感じなんだろう。サラダいっぱいとおにぎり一個で十分になってきた。元々「お前のどこにそんなに入るのか分からん」と言われてきたので体つきを考えたらそんなもんなのかもしれない。
しかし、こうしてコンビニで買ったサラダと納豆巻きとヨーグルトを並べてみるとなんだか女の飯みたいだ。女は胃腸に気を使ってるんだな。