はてなキーワード: 自己嫌悪とは
理想的な職場に身を置くという衝撃的な幸運に恵まれているのに、肝心の自分がまるでダメで自己嫌悪と恥ずかしさが酷い、という話。
明らかに挙動がおかしいという自覚がある。入社からしばらく経ったが、人並みに円滑な立ち居振る舞いが、未だにできず苦しい。“どうして普通の人は自然に動いて言葉を交わせるんだ?”、“なぜ私はできないんだ?”と思う。
仕事に関するやり取りをする時も、喋り方がおかしい。ぎこちない。雑談となると、さっぱり会話が続かない。人と直接関わる状況では、冷静な思考ができない。後から考えると“何故?”と思うようなレベルで頭が回らない。
誤解を招く態度をとってしまう。つっけんどんで、尊大な感じになってしまう。職場の方々に敬意を持っているのだが、逆の印象を与えてしまう。
発達障害についても調べてみたが、どうもしっくり来ない。結局、私の場合は単に“人見知り、コミュ障”の域を出ないのだろうと思う。
電車の中で、夜道で、浴室で、寝室で、その日の醜態が鮮やかに蘇ってくる。今までの様々な失敗が、普段は意識せずともしっかり記憶されていて、きっかけがあると思い出してしまう。これがキツい。
休日も気分は晴れない。スマホや映画や読書で気を紛らわして時間を使う。街ですれ違う人たちの、普通に纏っている雰囲気が、私にはない。
(電車降りるので終わり。)
もう少し前向きな気分で生活できればいいのに、と願うばかり。
数年前に某店長さんがネットから消えたときにぼくが書いた文章をここに流しておきます。(※一部、当時の文章から細かいところを修正しております)
某さんが消えたのは当然知っていて、某さんが書いたであろう増田の存在もとりあえずは知っていたのだけれど見ないようにしていた。ぼくはそんな風にして理性の口では結構強気なことを言ってはいるものの、感情の口では正直なところあのひとがネット上に文章を残さないと決めたことを認めたくなかったのだと思う。
ふと、今朝がた見た夢で某さんがmixiアカウントを復活させて、新着日記のところにその名前があるの見かけた瞬間、ほっとしたのとうれしさで胸のなかの重い空気が抜けていくように思えたことをなんとなく覚えている。
その間、自分のTwitterのタイムラインはずっと流速が遅くなっていたし、おかげ様で頻繁にタイムラインを見るなんてこともしなくなっていた。
たぶんそんな夢を見たきっかけは前日の深夜、skypeでオンラインになってた某さんの名前を見たからだ。声をかけようか迷った、というほどぼくは人間関係に積極性のある人間じゃない。正直なところSNS上でかなり付き合いのある相手でも一度でも顔を突き合わせて話をした誰かであっても去るひとのことをそうそう気にはかけないし、逆に自分がそういうコミュニティから去ることもあまり厭わない。
声をかけることはできなかったけど、某さんがオンライン状態であると確認できたことで安心した。ああ、まだ向こう側にあのひとはいるのか、そういった気持ちなんだろうなと思う。
休日、ぼくは友人の到着を待つまでの暇な時間を使って、某さんの増田を読むことにした。なんというか、本人としては別れの言葉のつもりなんだろうなって思っていたのだけれど、でもこのくらいの熱量で文章を書くことなら某さんにとって余裕であるから、これがネット自殺であるにせよ、もっと強い衝動が訪れたならどういう形でもこのひとはどこかに文章を残すだろうなって思った。
作家や創作者もネットライターも、もっというならブロガーも、個人的には某さんを評する言葉としてしっくりこないけれど、文章書きという表現は心にすっと入ってくる。
「文章を書く」っていうのがなんだと言えば文章を書くことである。
これだけをいうとただのトートロジーなのだけれど、ぼくが出会った時点での某さんは、自分の目と手で書かなければ文章は書けないというただそれだけのことを、すごくストレートに、それでいて簡単にやっているように見えた。
理知的というか、ひとつの話題に対して自分の頭で並べ立てるよう物事を考えて、それを伝わりやすい言葉で表現したかと思えば、突然の楽屋オチもエロゲオチも余裕で辞さないし、100人のうちひとりでも笑ければ充分とでも言いたげなニッチなネタをどんどん放り込んでくる。特殊な部類のエンターテイナーであったのかもしれないし、そうでなければ多分、本人が時折語るようにあのブログがコンテンツとして強い力を持つものにはならなかったであると思う。
ほぼ文章のみでコンテンツ化されるということは「今、そのあなたが書けるもの」を求められているということだ。こと某さんの「そういうもの」とは自身を切り開く性質にある、とぼくは思っている。話すネタがそもそも自分の生きているポジションから来るものであるとか、視座から来るものであるとか、とかく、これは創作なんですネタなんです本気にしないでくださいというようなエクスキューズが利きづらい方に向いている。
比較してもどうしようもない話だけど、ぼくがもしそういう風にコンテンツとして自身を切り開くことを求められたのなら、そんなことをされた瞬間に焼けただれて死ぬ。持っていないものを求められてもしかたがない、というところがあるというのもあるかも知れないし、そもそもとして防衛本能のようなものが働いてしまうようにできている。要は、自分の書いたものが何であっても、自分と深くつながっているわけではないから否認されようと恐ろしくない、先述したような「これは創作みたいなもんですから、ネタなんですから」そういう感覚で文章を書こうとしてしまうものである。
某さんは違う。
あれに特別な視座で世界を見る目や時折出てくるしっかりした知識があっても、エンターテイメント的要素に芸人根性はあっても、誰にでも読みやすいようなバカみたいな親切さがあっても、そしてついでにぼくの大好きなエロゲネタがあっても、根本の部分で「自分」を消費しているように見えてしかたない。
「自分」をほんとうに愛せるうちは良いと思うし、愛せなくても愛してくれるひとが多少は自己嫌悪を上回る自己承認を渡せていたのならそれで良いのかもしれない。けれども、誰にも認められなかったらどうだろう、クソを尻から吐き出してワゴンの大安売りで叩きつけるように店に並べて、ただかわいそうな目で見られてやがて近くを通るひとびとはその場所に誰も居ないことにするだけだ。
恐ろしいことだ、とぼくは思う。
たとえば身寄りもお金もない少女にとって資本が身体しかないからと身体を売ろうとして、それを拒否されてしまったらどうだろう。きっと死ぬと思う。
ネットで自分を切り開きながら文章として晒していくことには、それだけのリスクがあると思う。毀誉褒貶はそのまま自分に刺さる。創作ならばまだ客観的な反省という形をとれても、「自分」で真っ向勝負して否定をされることは、自分を否定されることと同義だ。
某さんが今回ネット自殺をすると決めた理由は、細かい部分を置いておいて「自己嫌悪」に由来しているという。(※この部分は過去にこの文章を書いた当時のお話です)
なんにせよ自分はあのひとの文章を読みすぎた(ひとと比較してという意味ではない)し、それほどこのネット自殺をした理由自体についての自己判断に興味が無いというのもある。
ぼくははっきり言って某さんの文章の書きかたに憧れ強く影響を受けた人間のひとりですし、とはいえそれをあまり押し出す気もなかった。なんでかって言ったら、自分にとってインターネットでも数少ない、同じような話題で笑い合える遊び相手でもあったし、そんな目に見える場所にいる人間が憧れの目を爛々にさせて近づいてくるとかいうと、自分がそういう立場になったらすげー怖い気がするからです。
ただ、某さんの文章の書きかたがぼくに色んなきっかけを与えたのは間違いないし、せっかくだからこれからの自分は少なからずでも自分を切ってでも文章を書いて生きていけたらな思った。(※この部分は過去にこの文章を書いた当時のお話ですが、未だにぼくはこれをできてございません)
そもそもぼくは別れの言葉をいう気もありませんし、ふらりとネット上に戻ってきたって「ふんっ、べ、別にあなたの居場所なんてないんだから! 土下座して謝ったら顔騎して許してあげるわ!(CV:釘宮)」っていう態度で生きているので、この文章は別れを惜しむ言葉というよりは本人の見てないとこできゃっきゃとラブレターを書いているようなものと思ってください。
ただ、ひとの文章がひとを変える力を信じていられるのは、ひとつ、ぼくにとってはあなたがいたからでもあるのです。
追伸 某えろげともだち(『ろりともだち』みたいにいうな)さんが『ココロネ=ペンデュラム』開始してましたよ。お仕事のストレスと疲労から良い感じにほどかれる日が来てくれたなら、おしっこの色で討論するとかは一旦置いといて、またエロゲの趣味がなんとなくずれたりど真ん中に合ったりしながら、そういう話をしたいっすね。またいつかのどこかで。
妹はデキ婚して姪っ子が生まれた直後すぐ離婚して実家に帰ってきた。
俺は妹の言い分しか聞いてないから実態を全て把握してる訳じゃないが、まぁ元旦那はロクでもない男。金銭面もだらしなく貯金はほぼゼロ、家電や家具を揃える資金や生活費は全部妹の貯金かこちら側実家の負担。家族ほったらかして飲み歩きは日常茶飯事。食べ物は平気で粗末にする(支援のつもりで送った米袋、中身が半分程残ってるのにゴミ袋にしてやがった)。
付き合ってられないという事で離婚する時も「娘に会う気はない」「だから養育費も払うつもりはない」とのこと。妹も俺の両親もそれを承諾。
俺はその話を聞いて反論。「養育費は親がどうこうではなく子どものために受け取るべきでは無いのか。妹や両親が向こうと関わり合うのが嫌だってんなら俺が代わりに裁判したって良い」と。しかし返ってきた返事は、その必要はない、とのこと。曰く「養育費だろうが何だろうが、あんなクズと金輪際関わりを持ちたくはない」。要はそこまで言わしめる程のクズだったってこと。
さて、姪っ子はスクスク育って現在4歳。俺は今実家を出てるから姪っ子に会うのはひと月かふた月に1度。会うたびに成長してるのが嬉しいし可愛い。その反面、やんちゃすぎる性格に不安がよぎる事がある…。
というのも、結構暴力的で口が悪い。機嫌が悪くなるとすぐ手が出るし、平常時にも面白がりながら手を出す事がある。そして注意されたり咎められたりすると、まず言い訳から始まりその後は罵詈雑言の嵐、最終的には暴力。
そして食べ物も粗末にしがち。出された料理を残したり、あれ食べたいと我儘を言う割には一口食べてもう要らない、と言う事も多い。
幸い幼稚園で問題等は起こしておらず、給食もよく食べるし、外では比較的良い子にしてるらしい。内弁慶な感じなのかな。
もちろん「子どもはそんなもんだ」と言われればそれまでのこと。今後の教育次第で落ち着いて行く可能性は十分あるしその努力はしていかないといけない。
でも頭をよぎるのは、やっぱり元旦那のクズっぷり…血、なんて安易な考えしてる自分に自己嫌悪する事もあるんだけど、なかなか不安が拭えない。ウチの家系はどちらかというと物静かな性格で、俺たち兄妹を育てた両親も姪っ子の事を「あんた達の時とは似ても似つかないほどやんちゃで多動的」と評価してる。その持って生まれた性格が、今後元旦那のように悪い方向に働かなければ良いけど…将来的に家庭内暴力を振るうようになったりね。妹や両親は姪っ子の事を1番に考えてるけども、俺は妹や両親自身の事も心配だ。
養育費は得られない、妹は非正規で働きながら姪っ子の面倒を見てかなきゃならない、両親も現役で働けるのがあと何年になるか分からない。性格面以外にも姪っ子を取り巻く環境は不安なことばかり…ただただ、健康に、元気に、まっすぐ育ってくれる事を祈るばかり。
ブログが読者登録されてしまったので、心の弱い私は、読者登録をし返してしまった。私の面白くも何ともない日記的なエントリーにブクマして、「面白いですね!」とコメントしてくる。嘘つけ!
さらに心の弱い私は、そのブロガーのエントリーにブクマし返す。私も互助会に足を踏み入れてしまった・・・。ブクマカから忌み嫌われている互助会に・・・。
私がブクマしたエントリーは面白くないどころかつまらない。つまらないエントリーにブクマしてしまったことに自己嫌悪する。
しかし、そのエントリーには「面白いですね\(^o^)/」「爆笑しました🤣」「天才www」などの賞賛ブコメが並んでいた。おかしい。どういうことだ?つまらなくないのか?私の感性がおかしいのか?いやいや、私ははてブを毎日眺めているが、こんなエントリーフルボッコあるいは完全スルーのはずなんだが・・・これが互助会・・・?こわいよ!!!助けて!!!
片思い中。
一度デートに失敗しており挽回しようとあれこれ悩んでいるがなかなか進みそうにない。
それはそれとして、恋をすると自分自身を見つめ直すいいきっかけになると実感する。
うまくいったりいかなかったりする中で自分のいいところも悪いところも見えてくる。いいとこなしかと思っていた頃もあったけど実はそんなことはないんだなって自信を持てたし、一方で欠点だなと思ったところについて自己嫌悪に陥る。こんなクズ野郎じゃ絶対振り向かせられねーじゃねーか……って。それだけでもう諦めたくなる。
もちろん相手にも欠点はあるはずなんだが恋は盲目と言う通り、ちっとも欠点は見えず。こんな人と釣り合える人になるため変わろうとしている自分に驚く。にしても、もっと早く気付けていたらなーんて。
なんか冷静沈着に状況を分析できているかのように書いたが実際のところこの先どうすればいいのか、どうなるのだろうかと不安でいっぱいだ。終わってみればいい青春だったって思えるのか??
前からずっと感じていたことですが、まともな人間は政治家になろうとしないと思う。
だって身の回りで政治について語ってる人は変人ばかりで、逆にまともな人は政治の話なんてしてないもの。
自分から政治に近づくのは「変人」なので、変人の中からマシそうな人間を選ぶことしかできないんですよ。
わざわざ自分から政治家になろうとする人は、①思想に偏りがある②親族のコネがある③定職がない
もう古代ギリシアのように「くじ引き」で政治家を選んだらいいよ。
階層やコネや思想に影響されず政治家を選抜できるので、政治から腐敗を排除できます!
窃盗などは女性の犯罪率もそこそこ高いがそれでも男性の方が多いし、殺人は男性による犯罪率が圧倒的に高い。
ニュース番組で男性による凶悪犯罪が立て続いて報道される度に、男性に強い憎しみを抱いてしまう。
女性にだって犯罪者はたくさんいるし、男性だってほとんどの人はまともだと分かっている。性別で見るのは性差別で、男性だからというより、男性の社会環境(稼がなくては一人前ではないという世間の見方により男性にストレスがかかる、弱音を吐けず孤独になるなど)が男性に犯罪をさせてしまうのだ、(だから女性の権利が向上するにつれて女性の犯罪率も上がる)といった言説も見たことがあるし、きっとそれが正しいのだと思う。
おそらく、自分ではないものが総じて敵で、自分の側は善良な被害者だと思いたい気持ちがあるんだろう。悲劇のヒロインに酔っている、みたいな状況なのかもしれない。
自分の小ささに嫌になる。自分だって、女はヒステリックだとか、自分の職種などの属性を一括りにして否定されるのは嫌なのだから、男性だってそんなことは嫌に決まっているのだ。それが統計的に事実だとしてもだ。
わかっていても憎しみは定期的に生まれてきて、その度に自己嫌悪している。自分だけだろうか?いや、きっと誰しも、似たような気持ちに心をやつしたことがあるはずだ。
……あるよね?
向こうは彼氏持ち
仕事で仲良くなって飲みに行くようにもなったが、完全に友達枠にスポっと入った感じがある
職場でとか面倒しかないし同僚として好きだが自分もこれ以上どうこう望むわけでもない
ただ二人で飲んでその後カラオケとかに行くと個室で物理距離も近いからか、
絶対に向こうにその気がないのに、ちょっとボディタッチをしたときに
(ハグだけでも良いからしたいな)と発想する自分が嫌でしょうがない
酒のせいだと思いたいがでも
同僚に対してちんちんをたててしまうとか、たまってる以外の何物でもない
性欲さえ発散させれば大丈夫だろうと思って
そういう日は家帰ったら
めちゃくちゃシコってしまう
同僚同士がマジックミラー号乗せられて最終的にセックスするシリーズ見てると
そのことに自己嫌悪する
ちんちん同僚と飲んだ帰りに
性欲を発散させるためピンサロによることがある
その同僚にされてると妄想をすると
ライン不精なその同僚がたまにすごく相手してくれるときがあるが、
いやだなー、自己嫌悪だなーと思って
思い出しながらこれを書いている時も
非オタOLの妹に軽い気持ちでオタク系の下品な話やジェスチャーを振ってドン引きされてしまい自己嫌悪…
話の流れは詳しく覚えてないが確か発端はLGBTの話…
「欧米ではドラゴンカーセックスっていう特殊嗜好ジャンルがあってドラゴンと車が交尾するんだよ」
って言いながら無意識に『男性器を穴に出し入れするジェスチャー』をしてしまった
「ドラゴンは架空の生き物なのにそんな妄想できてすごいよね 最初に思いついた人は何考えてたんだろ?」
なんて話を続けてスマホを弄りドラゴンカーセックスをググって説明ページに辿り着き…
と語りかけたらとても冷静な声色の無表情で
「どうでもいい 気持ち悪い」
と言われてしまった
本当に自己嫌悪
普段から二次元エロに触れてるキモオタの私にとってはドラゴンカーセックスはもはやギャグネタのような意識だったがオタクの感覚で一般人に特殊嗜好ネタ語ってはいけないよな…
なにより下品すぎてダメだったのはあの無意識セックスジェスチャーだろうな
妹は相当だったろうな
まあでもまだ外でやらかさなくてよかった…
根っからのキモオタな上に空気読めないからテンション上がるとドン引き下品ネタ平気でやっちゃうから…やんないように…
無意識に下品ジェスチャーするな下品な会話するな…肝に銘じろ…TPOTPO…
うんでもちゃんと言ってもらってよかったよ…
これからはほんと気を付けよう
私の普段から触れてる性的嗜好は普通からするとアブノーマルで特殊でハードなんだからそれにちょっとでも触れた話するときはマジでTPO気をつけよう
ネットならまだブロックみたいに情報の取捨選択ができるが面と向かって話すときは避けようがないからな 特に注意しないと
はあしかし落ち込むわ…
少し前に市役所職員が逮捕された「ひととき」。実は私はあれにすがったことがある。
離婚と同時に借金の任意整理。任意整理だから減額はされるものの返済は続く。その矢先に子供が怪我をしてしまったのだ。泣きっ面に蜂とはまさにこのことだった。返済の期日が迫る。司法書士の先生には「これを遅延させたら訴訟もありえる」と聞いていて誰も頼る者のいない私は完全に追い詰められていた。
融資の相手はニュースのようにネットではなく田舎特有の口コミで紹介された50過ぎの独身の男。そして返済が滞ったときに関係を迫るのではなく、始めから決まった月にとその提案をしてきた。フードコートのテーブルに置かれた信金の封筒の厚み。情けない話だが私はその封筒しか見えてなかった。溺れる者が藁を掴んだのだ。踏み越えてはいけない一線を踏み越えたときの感情は意外にも自己嫌悪とかそういったものではなく、追い詰められていたのが解放される安心からか、漠然と醒めた冷静な開き直ったものだった。
だが初回の「ひととき」はさすがに緊張した。30代も佳境で子供もいる歳なのに。余談だが私は元夫と別れて2年、そして離婚前からすでにレスだった。しかし通算4~5年ぶりに身体を開く相手が夫でも恋人でもなく「借金の相手」と言うことに自己嫌悪は確かにあったが、ホテルを出たあと車を降ろされて独りになったときに、意味のない作業完了感というか今月分の支払いを済ませたような安心感を覚えたのだ。
それ以降の「ひととき」には何も感じなくなっていた。待ち合わせ時間に車で拾われホテルへ入る。シャワーを浴び、まさぐられて、奉仕をして、揺さぶられながら喘ぎ、それを何度か繰り返したあと再びシャワーを浴びてホテルを出て、拾われた場所で車を降りるという、ひとつの作業として私の中で習慣づけられていた。男は余計なことは言わない、そして訊かない。私を乱暴に扱うこともなく、自分がして欲しいことを命じるのではなく頼み、私がされたくないこと(避妊なしとか)は絶対にしなかった。
それが約1年続いており、来月にその男への返済が無事に終わる。仕事は低賃金ではあるが、わずかずつの貯金をしながらも任意整理の返済はまだ続いている。前回の「ひととき」の際に提案されたことがある。日にちは特に決めないで月に4日こういう時間を約束することを条件にと金額を提示されたのだ。その金額は非常に絶妙で、耳を疑うような高額でもなく、かと言ってバカにしたような低額でもなくとてもリアルな数字。子供を塾に行かせてなお、毎月の貯金が少し増やせるような金額だ。たぶん東京あたりなら高校生がコンビニのアルバイトで稼いでしまうくらいのだろうが。
断っておくが私はこの男を好きになってなどはいない。なにせ借金のかたに女に関係を要求するような男だ。弱みにつけこんで来た男だ。ただ、情のようなものが僅かながら私の中に芽生えてないこともないのだ。
「ひととき」の数時間、私はフィジカルな部分を委ねている代わりにメンタルな部分は閉ざしている。しかし一年の間、毎月ではなく決まった月とはいえ、委ね続けていたフィジカルなイベントがメンタルな部分に少し影響し始めている。非常にグロテスクな言い方だが「体がなじんできた」のだ。その行為に「本気で感じてきた」のだ。最中に口走る淫らな言葉がリップサービスではなくなってきたのだ。それを情と呼ぶにはあまりにも動物的なのがいやで、あえて情「のようなもの」という言い方をしている。
決して恋愛感情などではないのだが、その情のようなもので、これまでの割り切りの中に少し気を入れられる関係は築けると思われる。だが息子に話せる関係には断じてなりえないことは永久に変わらない。このあたりが考えどころなのだ。
最近居眠りが酷すぎる。9時から6時半まで寝ようが1時から6時半まで寝ようが翌日同じ程度の抗えない眠気に襲われる。学校・家・電車…関係なく30分程度、または短い居眠りをしてしまう。(外出先では眠らない場合もあるが移動中、ゆっくり座ってたら寝る)さらには外食中だとか性行為中にも居眠りをする。下手したら社会的に死ぬため最近は外出を控えている。眠りながら赤信号を渡り怒られたこともある。学校ではやる気ない人扱いをされ最初は良かった成績も段々と転落。辛い。授業が嫌なわけじゃない。高校の時は嫌だったがいまは自分が好きで選んだ専門学校だ。楽しくないわけがない。先生に起こされると自己嫌悪と希死念慮を抱き涙が出る。しかも夜もしっかり眠れるわけではない。夜は夜で悪夢と金縛り、5回程度の中途覚醒に悩まされる。病気かと思い検索すると「ナルコレプシー 」という病名がヒットした。だがほかの症状はほぼ当てはまるが脱力発作がない。それに受診したとしてもし自分が病気で無ければただの怠惰だ。病気なら救われるが怠惰だったら自殺してしまう気がする。というより親、先生周りにも迷惑をかけ生きてる価値がない。いますぐ死にたい。まぁ自殺しなくても赤信号を渡るぐらいなのだからいつか交通事故で死にそうだが。