はてなキーワード: 社会生活とは
保育園生活もあと10ヶ月。親子ともによい友人にもめぐまれ、これまで楽しく過ごしてきたけれど、急に疲れた。
理由は年長さんが運動会で着るお揃いTシャツ。園もお金のやりとりが絡むことは反対、毎年なんだかんだ反対してる人がいるのに、毎年やってて全員着てている。よくわからない同調圧力。去年も反対してる人いたよね?て聞いたら反対する人はおかしい人なんだって。そういう人の言うことは無視していいんだって。
それ聞いて、う、うわあ。って思うのは自分だけなのか。子どもが喜ぶよね!という動機、そのことはとてもよくわかる。でもみんな色んな事情があるのに、社会生活の場である保育園で、反対する人はおかしい人だからそういう意見は無視、これはいいこと!なんて思想で作られたTシャツ着せたくない。一方的に、保育園通さないで連絡先集めて、着たい人だけ買う感じで作りますので!だってさ。議論すら成立しない、押し切り。
みんな買うだろう、気持ちはどうあれ、自分の子だけが着ていないという状況を回避するために。
自分は議論したいんだよなあ。その結果気持ちだって結論だって変わるかもしれないのに。
6歳の子どもにとって、晴れの舞台の運動会でみんなが着ていて、ひとりだけ着ていない。というのは、相当ハードな状況だと思う。
それでも自分は着せたくない、現状はそこにお金を出す気になれないでいる。
昨日のアウトデラックスで中村俊介がこういうの!!って言ってたが、
細かい項目で書いてるけどまとめると
自分の好きな容姿で、自分を好きで、自分と好きなことを共有できて
それなら私も好きだわ!
っていうか男女ともに結婚や恋人相手にそういう人探してるだろうよって
感じるけど、彼の問題点は項目にあげた内容以上に
モラハラとDV男のいい方っぽくてだな
誰でもついていけないだろうなって思うぞ
「やさしい人」とか「明るい人」くらい大雑把に言ってるけど
(病気や旅行などで不在でも食事を用意できるレベルを希望。買い弁レトルト冷凍可)
(自分で洗濯機を回して洗濯ものを干し取り込んで畳める人を希望。クリーニング利用可)
④格好に気を使える男性
(おしゃれでなくてもいいので毛玉だらけの服を着ないとか、普通シャツインして着るシャツをちゃんとシャツインしてるとか、フケだらけのジャケットを着ないとかして欲しい)
(ハゲでも太っていて小さくてもいいけど毎日お風呂に入って歯磨きしてヒゲ剃って顔洗っててほしい、あとハゲを隠すくらいなら坊主の方がポイント高いと思ってる)
(紫外線アレルギーとか仕方ない理由以外は色白よりは健康的な肌色くらいが希望)
(自分も漫画ゲーム好きなので、嫌いな人や否定的な人よりは好意的な人の方がいいけど200万とか300万とか相談なしに課金したり爆買いしたりするんじゃなかったら、部屋の収納スペース等を考慮して購入したり、無理のない課金をする程度なら希望。レンタルやキンデル・漫画喫茶の利用可)
(⑦⑧に通じる。好きなものは好きでいいけど借金してまでおっかけとかするような方とは金銭感覚が違うのでやっていけないと思う)
(キャンプ、BBQなどのアウトドアとか1、2回は付き合えても毎回は一緒にできないので、ある程度の妥協点を理解してくれる人を希望)
⑫虫を見せて騒がない男性
(自分が虫好きなので騒がれると悲しくなる。嫌いでもいいけど騒がないでほしい)
(猫や犬を飼いたいと思ってるので、動物好きな人がいいと思ってる)
(私が記念日に興味がない。けど、旅行するってなった時に記念日プランの方が安かったりするので、興味はないけど利用するのは嫌じゃないひとを希望。)
(多少の嫉妬は可愛いと思うけど、会社の異性と話すと強要するレベルになるとモラハラだと思うので、そういうことをしない人を希望)
(私が目的のない必要以上のメールや電話が苦手だけど付き合ってしまい疲弊するので強要しない人を希望する。目的はないけど話がしたい等とか言って欲しい。)
⑰デート中に会話を自分からせず頻繁にスマホをチェックしない男性
(家デートの場合も含むけど、デートしてるとは言えないのではないかと思う。レイド戦なので構えないけどそばにいて欲しい等の申告があるならOK)
(田舎出身なので汚いものから生まれたもので生活してんだよ!!って思ってしまう。
魚とか野菜とか肉とかね)
(丁寧語や敬語でなくていいけど、いきなり怒鳴ったり下ネタや悪口を言う人が苦手なので、そういう言葉を使わない人)
⑳働いている男性
(非正規でもいいのだが、よっぽど本人に問題がない限りは同年代の男性で正規雇用を打診されないのはなにか問題があるのかと思ってしまう。病気とか以外で社会生活が営めない人とは結婚はできないと思ってしまう。)
「自分のことを自分でできる」「共有や共感してくれる」「無理強いや強制をしない」
これについては自分も相手にできることでもあるなって気が付いたな
というか、私こういうとこしか相手にして挙げられないんだな・・・
うん、難しいね!!
解散!!
自分も同じような気質だから、今になって父の大変さがわかった。
アスペ気質の人間が社会でやっていこうと思ったら、「ありのままの自分」という言葉を信じたら手痛い目にあうということを。
アスペ気質ゆえ周囲から舐められ馬鹿にされ押し付けられ、それでも些細な形成逆転を時にするために、理論武装や自分にしか出来ない事を磨き上げる。愛想よくしていい相手とそうでない相手も見極める。アスペ気質は理想家だからこんな自分が凄く嫌になることもある。
それでも頑張るのは、家族のため、子のためだったのだろう。
自分の今までを肯定しないとやっていけなかっただろう。気持ちだけでも肯定するために、酒の力を借りる。タバコも吸う。家族の前で再び理想の自分を演じるために、どこかでリセットしなければ頭の中が情報過多でおかしくなりそうだから、父は、必ず家に帰る前に寄り道をしていた。パチンコだったり、本屋だったり、安い立ち飲み屋だったり。そんな父を、母は、自分ばっかり楽をして!子育てを押し付けてと怒ったり、アスペ気質の父を、スマートじゃない面白みのない人望のない男と子供たちに腐していた。ならば自身が馬鹿にしているそういう男にしか選ばれなかった母も母だが。
妻からも愛されず、子供たちも妻に習い軽んじる。父の心の拠り所はなんだったのだろう。
母のしんどさもわかる。私は発達障害の気があり何度も学校に呼び出された。子供に対し何もしてくれないと嘆き、たまに遊園地に私を連れて行ったら、いいとこ取りしていいわねと腐していた。生まれてきてごめんなさいという気持ちに何度もなっていたが、父は外遊びが苦手な私に、母のようになんで外で遊ばないの?友達がいないの?と急かすことは一切せず、好きな漫画の話をして盛り上がったり、古本屋さんでいっぱい本を買ってくれた。
今思えば、父は自身と同じ気質の私と気持ちに寄り添ってくれたのだと思う。
父の癌が発覚したのは三年前。死んだのは去年だ。あれほど腐していた母なのに、献身的に介護をしていた。ホスピスに行こうか、ほかの名医と言われる先生のところに行くんだと必死で病院を探し回っていた。尻を叩く母が居なかったら、私も社会生活を営めたかどうかも怪しかった。
母も年々弱くなってきた。
結婚も出来ず、子供も残せず、親不孝で、なんのための生まれてきた子供なんだろうと自分のことを不甲斐なく思うこともあるけれど、生まれてきたことじたい、許されてきたのだと思う。
つらつらと思うことを語りました。見てくれてありがとう。
仕事柄,犯罪を犯した人を見る機会が多くってもう本当に気が滅入ってくるんだけど,
楽をしたいという気持ちに負ける,誘惑に負ける
犯罪を犯した人間だけが弱いんではなくて,本質人はみんな弱いけど
育ってくる過程で社会生活が普通に送れるくらいの強さを持てなかった人もいる。
でも仮に育つ過程で強くなれなくても,そのあとで強くなれるきっかけってたくさんあると思う。
例えば,好きな人がいる,信頼できる友達がいる,夢中になれる趣味がある,そういうの全部強くなれるきっかけだと思う。
でも,そういうのにたまたま出会えなくて,弱いまま社会に出て,それで負けちゃう人がいる。
私は同人活動をしている女で、かつては同人用と身内用の2つのアカウントでTwitterをしていたんだけど、
同人用のアカウントは1年ほど前から、そして身内用のアカウントは今年の1月末からつぶやかなくなった。
サードパーティ製のクライアントは削除して、公式アプリも消せるものは消して、この3ヶ月、Twitterはほとんど全く目にしていない。
昨今、テレビなどでは「ネットでの反応」としてTwitterでのつぶやきを取り上げている番組も多々あるが、Twitterだけがインターネットの全てではない。
だけど、Twitterをやめた人が特定のどこかに集まるということもまずない。
だから、Twitterをやめた人がどんな考えをしていて、その後どこで何をしているのかというのは、なかなか見えてこない部分だと思う。
増田であれば話題にはならなくても、検索で辿り着く人がある程度はいそうなので、私はここに書き残しておこうと思う。
こんなこと語り尽くされていて、n番煎じであることは重々承知しているが、もしもTwitterとの付き合い方に悩んでいたり疲れている人の一助になれば幸いである。
顔も名前も知らない他人との人間関係が面倒臭くなって、1年前にジャンルそのものもかなぐり捨てる形でやめた。
5年以上いた界隈だったので、やめるかどうかもかなり悩んだし、やめる決断をしてからも、
いつか戻るかもしれないとアカウントだけは残していたが、やめた後の生活が楽すぎて結局戻っていないし戻る気は無い。
やめるまでは毎日呟いていたから、たぶん突如失踪したような扱いになっていると思う。
間違ってRTしてしまったことを1週間くらい責められたり、DMで同じ界隈にいる人の文句を聞かされたり(これはよくある話か)、
こんなヤツいたから論破して垢消しまで追い込んだという報告をされたりなどをして、頭がおかしくなりそうになった。
すごく長くいた割に、この先の人生でジャンルとは関係なしにずっと付き合っていきたいと思う人が誰一人として思い浮かばなくて、
最後の方は粘着に近い扱いを受けていたから(興味も無い家庭の事情まで赤裸々に語られて、お望みの反応をしないと罵られた)、どうでもよくなってやめた。
その後で、この界隈に根を下ろせなかったのだという感傷の波が来たが、一定期間でジャンルを変える人なんてざらにいるので気にしないことにした。
・身内用アカウント
リアルの友人などだけをフォローしていたんだけど、友人のフォロイーやフォロワーのツイートも時々見に行っていた。
こちらは鍵垢なので、あらゆるツイートに気軽な気持ちで「いいね」を付けていたんだけど、ある日友人からLINEが来た。
『フォロワーのAさんのツイートに「いいね」するのはやめて。彼女が気味悪がってるし私の立場もなくなる』
訳が分からなかった。
友人のフォロワーのAさんはクリエイターだ。私が見に行っているのも鍵のかかっていない、クリエイター活動用のアカウントだった。
そのアカウントでツイートされたものを「いいね」して、気持ち悪いと言われたことや、友人の立場の話をされて、
それじゃあ私が他人のツイートに「いいね」する自由や権利などどこにもないのだなと目の前が真っ暗になった。
私が「いいね」したことはAさんに通知が行ったらしい。Aさんが友人のフォロワーだったから通知が行ったのか?
道具なので使い方は自由だし、公共の福祉に反していなければその自由は保障されるものだと思っていたが、
しかし、Twitter社が許容しているであろう他人のツイートへの「いいね」を気持ち悪いと言われて封じられたら、後は何ができるのか。
そのうちに私の発言だって気持ち悪いとか言われて封じられるんだろう。
そんなこと無視して今まで通りに振る舞えばいいとも思ったが、こんなことに気力体力を削るならば、
いっそやめた方が面倒臭いこと何もかもから解放されると思い、やめた。
Twitterをやめて思ったのは、自分の時間を生きている感覚があるということ。
こんなこと書くとクサいとか言われそうなんだけど、TLの話題を気にせず、他人の言葉を気にせずにいられるのは快適だ。
特に身内用の垢をやめる前は、『あの人今頃どうしてるだろう……』と気になって仕方なくなると思っていたのだが、
いざ発言その他が見えなくなれば、それはそれで耐えられるものだし、逆に自分自身が今どこで何をしているのかも相手には分からない。
思えば昔の人はそれが当たり前だったのだし、今までも気ままに行動していたが、
他人ウケ(いわゆる「インスタ映え」のような)を気にせず、自分のためだけに好き勝手できるのが快適で仕方ない。
世の中の流れについて行けないのではないか、という不安もあったが、別に付いていかなくてもいいのだ。
Twitterでバズることの大半は自分に直接関係のないことであるし、そんなことに一喜一憂して色んなものをすり減らすのは本当にしょうもない。
社会生活を営むものとして、ニュースくらいは抑えておかないといけないが、そんなもの各種ニュースサイトやはてブを見れば事足りるのである。
やめてもあんまり支障なかった。というより、私は元々Twitter向きの性格ではなかったんだと思う。
同人サイトをやっていた時、ありがたくも感想などをいただいても、返信に1ヶ月くらいは悩んでいたので、会話のキャッチボールが秒速で求められるTwitterは合っていなかったのだ。
Twitterは便利だ、Twitterは楽しい、Twitterは厄介で面倒だ、でも、Twitterは道具でしかない。
もっと気軽に手放したり、あるいは再度手に取ったりなどができれば、いいのだと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1340255
キモくて金のない(性格も悪く愛嬌もない)ババア、この世に確実に存在するし社会生活を送っている人(特に接客業をやっている人)ならいくらでも実例は思い浮かぶだろうが、
何故彼女たちをすっ飛ばして「女の辛さは好きな人に相手にされない辛さ」みたいな与太がスターを集めてしまうのだろうか
あのキモくて金のない彼女たちが街をうろついて男性から声をかけられる場面を想像できるのだろうか?ババアどころか「キモくて金のない若い女」でも想像できないが…
少なくともはてブにおいて「見捨てられた真の弱者」ランキングをつけるなら、キモくて金のないババア達はキモくて金のないオッサンより上位に位置しているとしか考えられないのだが
今年二十歳になった。そろそろ就職とかも考え始めなければいけない頃だ。
それにあたって、真剣に自分自身と向き合って、多分僕は学生を辞めたら生きていけないという結論に至った。
まず、僕は何でもかんでも先送りにしてしまう癖がある。美容院の予約とか、部屋の片付けとか、レジュメ等の整頓とか。こういう困るのが僕だけのことならまだいいんだけど、他の人も関わるようなことでさえ先送りにしてしまう。
皆で〆切を決めた制作物の作業とか、サークルの合宿で使う宿への連絡とか。少しの間それと向き合うだけで解決することでも、全然やれない。
ちょっとやる気になっても、今はもっとやるべきことがあるからとかいってなにかと理由を付けて先送りにする。
年をとるたびにこの傾向は強くなっている。
やりたくないことを頑張ってやる、ということができない。今も、やらなきゃいけないことと向き合うのが嫌すぎてこの文章を書いている。
責任感というものが僕には身についていない。だから他人に迷惑をかけることが想像できても、行動できない。
先送り癖は発達障害の典型的症状の一つらしい。集中力もないし、忘れ物もよくする。
向き合う方法を見つけなければならない。がんばりたい。
大昔の作品だし供給なんて耐えて久しいから、そこそこ絵を描ける自分が、参入してから、そこそこの評価を貰えた。
アフターやイベントのお誘いも貰っているけれど、遠方を理由に参加はしていないし、今後も参加する予定はない。
当方はアラフォーだけど、結婚していないので、いい歳して積まなければいけない人生経験をろくに積んでいないからだ。
仲良くしてくださる、主婦の神絵師神小説書きの方に、私なんぞがあえば、絶対にドン引きされる。
だらしなく肥えた体、親元で親の介護がいつか迫り来ることを知りながらぬくぬくと老親に面倒見てもらえるパートタイマー、リアルの友人からもすっかり相手にされなくなった幼稚な言動と行動、アラフォーと書いたが四十超えてる、不惑だ、不惑、こっちは生きる知識が乏しく惑いっぱなしだというのに。
自分の作品を今後もフラットに見てもらいたいので、そこに「わたし」という存在など邪魔なのだ。
勇気と粘り強さと思慮深ささえあれば、正職員にもなれたろうし、結婚も出来たかもしれない。
けれど、それができた若い頃は、社会が怖く引きこもりだった。努力が足りないのはわかっているが、四十超えた今、外に出て、自分のお金を貰えるようになるまで社会生活を営めるようになるまで、かなりしんどかったんだ。男性に好まれる容姿や行動、生態調査、プレゼンテーションまでの努力に手が回らなかったし、それはしたいことではなかった。それに、自分みたいな不適合者が子供を作ったら、自分に似せまいとするあまり、恐らく虐待に走るだろう。世の人が言う幸せをそこまでして欲しくないし、それをきちんと経験した世の女性や私の母を尊敬している。生まれてきてごめんなさい。死にたいんだけど、死ぬのが怖いんです。
ごめんなさい、話が暗くなった。御察しの通り、処女だ。しかも腐女子。
社会生活を送ろうと思ったのは、イラストを描いて、本やサイトを持って、妄想だらけのこの頭の中を、形にすることができたらなと思ったからだ。そのためなら、年下の人間の蔑んだ目や、あいつの人生よりはまだマシと言う世間からの視線も我慢できる。年上の家庭に疲れた人の言葉のサンドバッグにもヘラヘラ笑っていられる。
そういった視線を、今のジャンルで仲良くしてもらった神絵師さんや神小説書きさんから、注がれたら、あのキモい奴の作品など見れない、悪い意味で見る目変わるわとか思われたら、もう生きていけない。
日常ツイも極力しない、ツイッター内で声をかけられても当たり障りない返しをする、淡々と自分の理想をこめたブロマンス的なホモを描く、たまにプライベッターでえげつない漫画をおく。
交流も最小限でいい。私の裸踊りをしれっと見てくれるだけでいいんだってば。
友人が鬱になった。
まーあいつならなんとかうまくやるだろう、
と、
いつか心折れるだろう、
が半々な感じだな、なんて思っていたらそんなことになってしまった。
ちなみに、友人が鬱になったのはこれで三人目だったりする。
そして、僕自身も鬱と診断され休んでいた過去がある(今は体調に波がありながらもなんとか暮らしている)。
そうなってしまった友人達に共通するのは、いつまでも話ができるようなくらい気が合うのだ。
なんか違和感を感じることとか、こういうことってどうするのがいいんだろね、って悩みとか、そういう世界の見え方みたいなのが似てて、話すのが楽しかった。
話すほど、自分にはそこまで見えていなかったこととか、発見がたくさんあった。
ただ、今みんながみんなこんな状態になってるのを思うと、それってあまり社会生活送るにあたってやるべきことじゃなかったのかな、なんて思う。
鬱予備軍が生きづらさ共有して、励ますどころか、世界が間違ってるみたいな勢いで反骨心を深めていく。
もっとまともな奴と、まともな励まし合いをしながら生きたほうがよかったかもね。
まともな奴が僕らのような奴らを相手してくれるかはまた別の話だが。あっ、こんなこと言ってるからこうなるんだよな。ほんとゴメン。
まあさすがになんとかしてやりたいのだが、今は自分の体調もあまり良くない波に来ているので、下手に影響されて共倒れしてしまうのも怖い。
つくづく弱いな、自分。なさけねぇ。
そもそもサイコパスもソシオパスも俗語にすぎず、医学的には区別されていないんだけど、「精神病」と混同されやすい「サイコパス=精神病質」と違って、「ソシオパス=社会病質」という言葉は「社会的に作られたもの(つまり後天的なもの)」とか「社会生活を営むことができる」といった印象を与えるので、そういう側面を強調したい人たちがサイコパスをソシオパスと言い換えることが多かったらしい。そこから転じて、現在では「先天的なのがサイコパス、後天的なのがソシオパス」とか「良心が全く残ってないのがサイコパス、少しは残ってるのがソシオパス」みたいな説明がされることもあるようだ。でも、繰り返すけど医学的には区別されてない。
「社会人」はこうあるべきだ、という価値観が更新できず、スーツで働いてることや、出社時間が遅いことに罪悪感を覚える。
ソフトウェアエンジニアをしているが、需要が供給に勝っているせいか、よい待遇を得ている。出社時間・退社時間は自由だし、スーツを着る必要もない。ごくあたり前に仕事中に音楽を聞ける。 昼休みも好きなだけ取れるので、ゆっくりお昼を食べたあと、コーヒーまで飲んでる。
そういう楽な生活をしていると、自分の中の価値観がこれは「普通」の働き方ではないぞとささやく。これは「マトモ」な社会生活ではないぞと感じる。
罪悪感は覚えるものの、そういう生活ができるわけではない。新卒で入社した会社はそのよう会社だったが、ものすごく苦痛だった。アラームで起きて決まった時間に家をでるのも苦痛だし、同じ時間に大勢が会社の門をくぐるのを見ると吐き気がした。そのことが一層、罪悪感を加速させる。
よい待遇で甘やかされているので、将来に対する強い意志も持てず、さそわれるまま会社を移ってしまう。 幸い需要のほうが多いので、そんな転職でも待遇が改善してしまう。それ自体は喜ばしいことだが、普通の人は転職なんてしないぞという思いが離れない。
たぶん、このまま一生まともになることはできず、需要が供給に追いつかれた時点で、まともな職につくことができず、そのまま死んでいくんだろうなと思う。
というかそのために割く時間より、読書や映画や飲みなどに割きたい
しかし最低限の身だしなみが出来ているかどうかで、周囲の目は変わるものだ
それは美醜の問題ということではないけれど、できる人間に演出してくれる
身だしなみが整ってるということは、余裕があるように見えるからだろう
でも日頃会社に行って、家事をしてという日々を送る中で、自分の楽しみの時間を削ってまでヘアセットに時間をかけるのは厳しいという気持ちがある
その中で私が考えたのが、タイトルにある「美容師を選ぶ」ということ
向こうも商売なのはわかるが、ヘアケアアイテムを押し売りの如く勧められるのは辟易する
明らかな切り残しがあるのは論外
客のこっちが気疲れするとは思わないのか、ずっと喋りかけてくるのも……しんどい
しかし7、8軒目くらいだろうか
適度に要望を聞いてくれた上で、私に向いた髪型を提案してくれた
腰はやや低く、技術は高い
その頃彼は美容師としては5年目くらいだろうか
それからずっと同じ方にお世話になっている
いい美容師さんとの出会いは、カットしてもらう間が心地よく過ごせるだけではないことに気づかせてくれた
時間が経っても毛先のばらつきはない
分け目が変わっても違和感がなく
事情があって他の美容院や理髪店を利用した際、「どこか行きつけの所があるんですか?カットがすごくお上手ですね」とまで言われた
しかしその美容師さんは私の髪質の個性を褒めて、活かしてカットしてくれた
そうなってくると、周りがどうこういう以上に、自分で自分に自信がついてくる
それなのに周りの印象は良さそうだ
仲良い人には「明るくなった」といわれ
顔を知ってるだけの会社の人やおなじサークルの人にも話しかけられるようになった
寧ろ人を遠ざけたいなら、不潔でだらしない格好をすればいいのだろう
でも少しでも社会生活を過ごしやすく、だけど面倒くさいことは避けたいというなら、プライド持ってやってる、いい美容師さんを選んで楽ちんな髪型にしてもらうのがオススメ