2019-05-05

Twitterをやめて3ヶ月が経った

私は同人活動をしている女で、かつては同人用と身内用の2つのアカウントTwitterをしていたんだけど、

同人用のアカウントは1年ほど前から、そして身内用のアカウントは今年の1月からつぶやかなくなった。

サードパーティ製のクライアントは削除して、公式アプリも消せるものは消して、この3ヶ月、Twitterほとんど全く目にしていない。

昨今、テレビなどでは「ネットでの反応」としてTwitterでのつぶやきを取り上げている番組も多々あるが、Twitterけがインターネットの全てではない。

だけど、Twitterをやめた人が特定のどこかに集まるということもまずない。

からTwitterをやめた人がどんな考えをしていて、その後どこで何をしているのかというのは、なかなか見えてこない部分だと思う。

増田であれば話題にはならなくても、検索で辿り着く人がある程度はいそうなので、私はここに書き残しておこうと思う。

こんなこと語り尽くされていて、n番煎じであることは重々承知しているが、もしもTwitterとの付き合い方に悩んでいたり疲れている人の一助になれば幸いである。

同人アカウント

顔も名前も知らない他人との人間関係が面倒臭くなって、1年前にジャンルのものもかなぐり捨てる形でやめた。

5年以上いた界隈だったので、やめるかどうかもかなり悩んだし、やめる決断をしてからも、

いつか戻るかもしれないとアカウントだけは残していたが、やめた後の生活が楽すぎて結局戻っていないし戻る気は無い。

やめるまでは毎日呟いていたから、たぶん突如失踪したような扱いになっていると思う。

間違ってRTしてしまたことを1週間くらい責められたり、DMで同じ界隈にいる人の文句を聞かされたり(これはよくある話か)、

こんなヤツいたか論破して垢消しまで追い込んだという報告をされたりなどをして、頭がおかしくなりそうになった。

すごく長くいた割に、この先の人生ジャンルとは関係なしにずっと付き合っていきたいと思う人が誰一人として思い浮かばなくて、

最後の方は粘着に近い扱いを受けていたから(興味も無い家庭の事情まで赤裸々に語られて、お望みの反応をしないと罵られた)、どうでもよくなってやめた。

その後で、この界隈に根を下ろせなかったのだという感傷の波が来たが、一定期間でジャンルを変える人なんてざらにいるので気にしないことにした。

・身内用アカウント

リアルの友人などだけをフォローしていたんだけど、友人のフォロイーやフォロワーツイートも時々見に行っていた。

こちらは鍵垢なので、あらゆるツイートに気軽な気持ちで「いいね」を付けていたんだけど、ある日友人からLINEが来た。

フォロワーのAさんのツイートに「いいね」するのはやめて。彼女が気味悪がってるし私の立場もなくなる』

訳が分からなかった。

友人のフォロワーのAさんはクリエイターだ。私が見に行っているのも鍵のかかっていない、クリエイター活動用のアカウントだった。

そのアカウントツイートされたものを「いいね」して、気持ち悪いと言われたことや、友人の立場の話をされて、

それじゃあ私が他人ツイートに「いいね」する自由権利などどこにもないのだなと目の前が真っ暗になった。

私が「いいねしたことはAさんに通知が行ったらしい。Aさんが友人のフォロワーだったから通知が行ったのか?

Twitterを始め、あらゆるウェブサービスは道具である

道具なので使い方は自由だし、公共の福祉に反していなければその自由保障されるものだと思っていたが、

しかし、Twitter社が許容しているであろう他人ツイートへの「いいね」を気持ち悪いと言われて封じられたら、後は何ができるのか。

そのうちに私の発言だって気持ち悪いとか言われて封じられるんだろう。

そんなこと無視して今まで通りに振る舞えばいいとも思ったが、こんなことに気力体力を削るならば、

いっそやめた方が面倒臭いこと何もかもから解放されると思い、やめた。

Twitterをやめて思ったのは、自分時間を生きている感覚があるということ。

こんなこと書くとクサいとか言われそうなんだけど、TLの話題を気にせず、他人言葉を気にせずにいられるのは快適だ。

特に身内用の垢をやめる前は、『あの人今頃どうしてるだろう……』と気になって仕方なくなると思っていたのだが、

いざ発言その他が見えなくなれば、それはそれで耐えられるものだし、逆に自分自身が今どこで何をしているのかも相手には分からない。

思えば昔の人はそれが当たり前だったのだし、今までも気ままに行動していたが、

他人ウケ(いわゆる「インスタ映え」のような)を気にせず、自分のためだけに好き勝手できるのが快適で仕方ない。

世の中の流れについて行けないのではないか、という不安もあったが、別に付いていかなくてもいいのだ。

Twitterバズることの大半は自分に直接関係のないことであるし、そんなことに一喜一憂して色んなものをすり減らすのは本当にしょうもない

社会生活を営むものとして、ニュースくらいは抑えておかないといけないが、そんなもの各種ニュースサイトはてブを見れば事足りるのである

やめてもあんまり支障なかった。というより、私は元々Twitter向きの性格ではなかったんだと思う。

同人サイトをやっていた時、ありがたくも感想などをいただいても、返信に1ヶ月くらいは悩んでいたので、会話のキャッチボールが秒速で求められるTwitterは合っていなかったのだ。

Twitterは便利だ、Twitter楽しいTwitterは厄介で面倒だ、でも、Twitterは道具でしかない。

もっと気軽に手放したり、あるいは再度手に取ったりなどができれば、いいのだと思う。

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