2019-05-07

父はアスペ気質だった。

自分も同じような気質から、今になって父の大変さがわかった。

アスペ気質人間社会でやっていこうと思ったら、「ありのまま自分」という言葉を信じたら手痛い目にあうということを。

アスペ気質ゆえ周囲から舐められ馬鹿にされ押し付けられ、それでも些細な形成逆転を時にするために、理論武装自分しか出来ない事を磨き上げる。愛想よくしていい相手とそうでない相手も見極める。アスペ気質理想家だからこんな自分が凄く嫌になることもある。

それでも頑張るのは、家族のため、子のためだったのだろう。

自分の今までを肯定しないとやっていけなかっただろう。気持ちだけでも肯定するために、酒の力を借りる。タバコも吸う。家族の前で再び理想自分を演じるために、どこかでリセットしなければ頭の中が情報過多でおかしくなりそうだから、父は、必ず家に帰る前に寄り道をしていた。パチンコだったり、本屋だったり、安い立ち飲み屋だったり。そんな父を、母は、自分ばっかり楽をして!子育て押し付けてと怒ったり、アスペ気質の父を、スマートじゃない面白みのない人望のない男と子供たちに腐していた。ならば自身馬鹿にしているそういう男にしか選ばれなかった母も母だが。

からも愛されず、子供たちも妻に習い軽んじる。父の心の拠り所はなんだったのだろう。

のしんどさもわかる。私は発達障害の気があり何度も学校に呼び出された。子供に対し何もしてくれないと嘆き、たまに遊園地に私を連れて行ったら、いいとこ取りしていいわねと腐していた。生まれてきてごめんなさいという気持ちに何度もなっていたが、父は外遊びが苦手な私に、母のようになんで外で遊ばないの?友達がいないの?と急かすことは一切せず、好きな漫画の話をして盛り上がったり、古本屋さんでいっぱい本を買ってくれた。

今思えば、父は自身と同じ気質の私と気持ちに寄り添ってくれたのだと思う。

父の癌が発覚したのは三年前。死んだのは去年だ。あれほど腐していた母なのに、献身的介護をしていた。ホスピスに行こうか、ほかの名医と言われる先生のところに行くんだと必死病院を探し回っていた。尻を叩く母が居なかったら、私も社会生活を営めたかどうかも怪しかった。

母も年々弱くなってきた。

結婚も出来ず、子供も残せず、親不孝で、なんのための生まれてきた子供なんだろうと自分のことを不甲斐なく思うこともあるけれど、生まれてきたことじたい、許されてきたのだと思う。

つらつらと思うことを語りました。見てくれてありがとう

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