はてなキーワード: 文化資本とは
元々は人の感情のほうを大事にする人(彼女を振るのは心が痛い)なのに、
理屈(文化資本が云々という情報)で動く方が良い、理屈を優先すべきだと思い込んでるから苦しんでるんだな。
つき合って4年になる彼女がいる。お互い28歳。
一流大学を卒業した両親の愛を受けた、わりと裕福な家庭で愛を受けて育ってきた。
家計にあまり余裕がなかったようで、奨学金で大学に通っていた。(お母さんは高卒らしい)
優しい性格、聞き上手な性格、不器用だけれども一生懸命な性格がいいと思ってつき合ってきた。
少し頑固なところがあるけれども。
最近、結婚を意識する中で、某増田記事の小熊先生の授業での一言
「男女関係において、すれ違いがよく起こる時、所属する文化圏や、その人自身の文化資本の違いが根本的な原因である事が多い。」
例えば、ニュースを見ていても、世の中の一般的なニュース(マレー機の墜落のニュースや、小学生の誘拐のニュース)を知らなかったり、
今まであまり勉強をしてこなかったことを平然と語ったりするのを聞くと、どこかで軽蔑してしまったりする。
社会問題に関する会話があまりにも合わないことに最近気づいた。(恋愛経験が少なくなかなか気づかなかった。。。)
さらに、結婚は家同士の結びつきとの言葉を聞いたりすると、育った家が少し違うようにも思える。
決して、悪い人ではないのだけれども、何故か一歩結婚に踏み出せない。何か違う気がする。
結婚とはなんなんだろう。
迫られて、押し込められてするものなのだろうか。どこか妥協点があってすべきなのだろうか。
でも彼女を振るなんて事、心が痛すぎてできないかもしれない。
でも、なんとなく違う気がする。
彼女から結婚に関しての話が出るたびに、とても、とても、くるしい。
ここに書いた、翌週、恋人に別れ話をした。
元彼女はとてもダメージを受けていて数日間眠れなかったようだ。
今では、穏やかに自分を応援してくれているようで、
LINEが来て謝ると『謝らないで欲しい。増田は悪くない。増田の事はよくわかっている。』
と優しくいってくれる。
本当にこの判断が良かったのかわからないけれども、
幸せになってくれるよう、心より願っている。
どれだけの文化資本、経済資本を投射できるかで人生勝ち負けが決まるわけじゃない?
それも、なるべく若い内に。
その日暮らしの上京者と親のCクラス乗り回してる人間が、同じゼミに同居している。
ただ両者が交わるのはこの数年間。
大卒として日本社会の上位50%として船出はするけど、絶対に死ぬまで交わらないわけよ。
・一次産業に従事する第一世代。(田舎のじーちゃんばーちゃん?)
・↑を踏まえて学歴社会に挑戦する三世代目。(おれたちわたしたち)
こんな感じで世代の蓄積があって、一世代ごとの色んな質の差が後の世代にゴリゴリしわ寄せて来て
↑の格差なんかが生まれるという。
ただ、最近気づいたのが三世代目のトライ・アンド・エラーを、”もう一回”以上やってる層がいるってことだ。
早いサイクルで世代を回して4、5世代目を投射してる層がいるみたいなのな。
高卒、短大卒の教育ママによって非効率に大学にブチ込まれた層や、地方都市の進学校から勇ましく進学してきた層(だいたい3世代目)は、
この世代ぐるみの高周回層に歯が立たない。たった一世代の壁がとてつもなくでかい。
もちろん例外もある、没落する例もある。
でもこの基調を前に、自分の立ち位置を自覚しようとしてみるとさ。
変な気分にならない?
27歳になった。30過ぎれば精子も腐る時節柄、皆様ご機嫌いかがですか。
卑近ではやれ穴の開いたコンドームがどうとかお前から結婚しろがどうとか話題になっておりますが、わたくしはといいますと、生まれてこの方女という存在とは縁遠い生活を送っております。
一番近しいものは職場の女性、全員既婚者のおばさんですね。今は。昔は隣の机に座っていたらしいのですが、覚えてません。ダンスかなんかで手をつないだかな。キスもしたことないしセックスもいたしたことはありません。
そんなもんで、27になったわけなんですが、よくよく考えてみると、自分にとって女とはお付き合いする理由がないな、と思いました。それをちょっとまとめてみます。
あ、あらかじめ書いときますけど、ホモではないんで、オチはないです。最近の増田にオチを欲しがってるブクマーが多いんですよね。日常会話で「で、オチは?」とか聞いてくるようなやつみたいで、正直気分が悪いです。
大学中退なんで実質高卒です。偏差値高い大学にいたわけでもないので、はっきりいって家族から見ても不良債権です。なにか一本食っていける強みもなく、だらだらと生きています。
高卒だからというわけではありませんが、低いです。大学出てれば、もう少しまともな収入なんでしょうが。
ただでさえ低い収入、自分のためにお金を使いたいんですよね。交際費を削ってるわけではありません。飲み会も行きますが、割り勘にケチつける奴が幹事の飲み会には次から行かないようにしてます。
そういうわけで、女と付き合うというのは、相手にとって大変よろしくない。例えばコレが、収入だけはあるとか、大学は出てるから好転する可能性があるかもしれないとか、期待があるならまだわたくしも前向きにはなろうというものですが、ご覧のスペック、市場価値ゼロ未満ですよ。恋人料取られるレベル。
世の中にはいい男がごまんといるのだから、わざわざわたくしとおつきあいする必要はないというわけです。
ところが一部の文化資本豊かな皆様は、庶民感覚が欠落しているからでしょうか、「恋愛ってそういうもんじゃない」ということを言うんですね。
どれだけの文化資本、経済資本を投射できるかで人生勝ち負けが決まるわけじゃない?
それも、なるべく若い内に。
その日暮らしの上京者と親のCクラス乗り回してる人間が、同じゼミに同居している。
ただ両者が交わるのはこの数年間。
大卒として日本社会の上位50%として船出はするけど、絶対に死ぬまで交わらないわけよ。
・一次産業に従事する第一世代。(田舎のじーちゃんばーちゃん?)
・↑を踏まえて学歴社会に挑戦する三世代目。(おれたちわたしたち)
こんな感じで世代の蓄積があって、一世代ごとの色んな質の差が後の世代にゴリゴリしわ寄せて来て
↑の格差なんかが生まれるという。
ただ、最近気づいたのが三世代目のトライ・アンド・エラーを、”もう一回”以上やってる層がいるってことだ。
早いサイクルで世代を回して4、5世代目を投射してる層がいるみたいなのな。
高卒、短大卒の教育ママによって非効率に大学にブチ込まれた層や、地方都市の進学校から勇ましく進学してきた層(だいたい3世代目)は、
この高周回者層に歯が立たない。たった一世代の壁がとてつもなくでかい。
もちろん例外もある、没落する例もある。
でもこの基調を前に、自分の立ち位置を自覚しようとしてみるとさ。
変な気分にならない?
たぶん教養を、分野を問わない知識の定量的集積に「すぎない」と考えてる人はあんまりいないよね。
本1冊にしたって、カントと浅田彰と稲盛和夫とマンガとケータイ小説では人それぞれ重み付けが違うだろうし、逆に「そんなものを読んでいるなんて教養がない」と言う人だっているわけだし。
やっぱり、なんらかの方向付けや傾向があって、それによって何らかの能力や権力が生まれるような、組織的な知識や見識の編成…って感じがするね。
とはいえ、増田のいうマウンティングみたいな形で、誰か他人との上下関係を競うゲームに直接使える、高級な知識資源のことだけを「教養」というには、あまりに貧しい気もする。
さて(今よみなおしたら元エントリの冒頭で元増田も言及していたけど)フランス社会学で有名なブルデューという人は、70年代フランスでのいろいろな職業と、文化的選好を下のような図にしてマッピングしてる。ここで彼は「教養というのは、単なるお金(経済資本)とは違う種類の資本=文化的な資本だ」というようなことをいってるのね。
http://www.ofda.jp/sakaushi/text/2004a/_img/fig03.jpg
この図では、聞く音楽、乗ってる車、好きな番組、休暇の過ごし方…なんかがさまざまな職業のクラスタとむすびつけられているね。そして、図の左にいくほど「文化資本+/経済資本−」、右にいくほど「文化資本−/経済資本+」となっている。つまり、金持ちじゃなくても教養があるのが右側、金持ってるけど教養には欠けるのが左側、というわけ。
経済学でいう「資本」には「蓄積保存でき、何かに投資でき、自己増殖できるもの」という含みがあるけど、ブルデューさんは「教養というのは、実はそういう点でお金に似てるんだよ、でも、それは必ずしもお金持ちという意味での裕福とは結びついていないけど、やっぱりそれ固有のパワーを持ってるんだよ」ということを実証的に明らかにした。日本的な言い回しなら「名家と成金の違い」といえば体感できるよね。
教養=文化的資本には階級の表示機能があるし、だから、階級を再生産することもできる。やっぱり趣味が近い人間はそういう人間同士でつるむものだから、そのクラスタの中での「当たり前」な知識や所作や価値観をお互いに共有・強化しつづけることになるし、そういうクラスタに属する家族では、子どもも自然に同じような教養のセットを身に付けるよね(文化資本の継承・相続)。婚姻選択のときにも「いくらお金持ちでも一代限りの成金の家にはウチの娘(息子)はやれませんな」みたいなのがあるし。
つづくかも。
教養って何なんだろう。貧乏人の家に生まれたおかげで大した文化資本がないせいか、この「教養」という胡散臭い言葉の指すものが分からない。俺の方が知ってるぜ私の方が詳しいもんっていうマウンティング用の武器?それともただの娯楽?小説にせよ芸術にせよ何にせよ、ただのマウンティング用の武器ならクソ下らないゲロ以下のものでしかないし、ただの娯楽ならいちいち偉そうなツラすんなよって話だ。そんなもんで人の頭の良し悪しを計るなっつー話でもある。
そんなわけで、ダレソレの書いた小説を全部読んだとか、ドコソコの哲学書を全部読んだとか、え?君まだアレ読んでないの?とか基本全部下らねーなーとしか思ってないんだけど、そんな私でも納得のいく読書に対する姿勢というものがある。目的ある読書。より具体的には、暇人が暇潰しのためだけに単なる娯楽として消費するための読書。マウンティングゴリラだよ〜ウッホウッホしない、純粋な娯楽としての読書だ(マウンティングが趣味だからマウンティングも純粋な娯楽だっつーオマンコ野郎はここでは含まない)。そして、もう一つ。金のための読書。飯のための読書と言い換えてもいい。技術者が技術書を読む、医者が医学書を読む、数学者あるいは数学科の学生が数学書を読む、物書きが小説を読む、何でもいいがどれも納得のいくものばかりだ。飯は大事だもんな。家族も食わせていかないといけないし。飯とか金とか言うと食いついてきそうな人間がいそうなので触れておくが、彼らの純粋な興味に基づいた読書を否定するつもりはないが、それは上に挙げた単なる娯楽の方に含めるということにここではしておく。
ところで、教養教養いう人間が有難がりそうな指標として読書量というものがあげられるだろう。
佐藤優は月平均300冊を読破するという話らしいけど、彼の場合は玉石混交の情報から玉を探り当てる(露 разведка 諜報/探り当てる)ための訓練として、あるいは記事を書いたり講演を行ったりという飯の種として、読書をしている。なるほど、納得がいく。
知り合いの元・国会議員秘書は、やはり年1000冊を超える読書量だ。現役のときはこれほどは読めなかったが、オヤジが落選して暇になった今はこのペースとのことだ。彼いわく、政治家秘書には教養が重要らしい。仕事柄、色んな人と知り合うわけで、そんな中で共通の話題があれば話も弾むし仕事もやりやすくなるだろう。勿論、上に挙げたразведкаの訓練という意味合いもあるだろう。なるほど、納得がいく。
その彼から聞いた話だが、商社マンも、ここまでの読書量ではないにせよ、やはり読書をするらしい。まぁ、読書ぐらい誰だってするわけだが、彼の話の何が面白かったかというと、例えば商社マンがロシアに出張にいくさいに何を読むか?旅の指さし会話帳 26 ロシア ここ以外のどこかへ!!そういう問題ッヒョオッホーーー!!ではなく、彼いわく、村上春樹の新作らしい。なぜか?出張先のロシア人が読んでるから。なるほど~、ガッテンガッテン!!ッヒョオッホーーー!!
まぁ、話は逸れたが、お前らの考える教養っつーもんを書いてけや。教養の一例である読書にしか触れてないけど、他の例で論を進めてもいい。
これは明らかに不公平!!
教師や親は子供に対して、夢や希望には厳しい年齢制限があって歳を重ねるごとに選択肢が減っていくという事実をしっかり教えるべき!!
実際、メジャーマイナー人気不人気を問わず日本で就ける職業の殆どは、その職に自分が就きたいと思った頃には完全に手遅れになってるパターンばかり!
以下年齢制限別に見ていくと↓ (*一部の例外など、個々の特殊な事例を除く)
警察官 ― 25くらいまでには警察学校に入らないと現実的にまず無理
医師 ― 25くらいまでには医学部に入学してないと開業医の子息でも無い限り現実的に無理
獣医 ― 25くらいまでには獣医学部に入学しておかないと現実的に無理
薬剤師 ― 25くらいまでには薬学部に入学しておかないと現実的に無理
看護師 ― 25くらいまでには看護系学校に入学しておかないと介護系以外の求人激減
保育士 ― 25くらいまでには保育系学校で学んでおかないと求人激減
美容師 ― 25くらいまでには美容系学校で学んでおかないと求人激減
弁護士 ― 25くらいまでにはロー進学を決めておかないと合格してもタダのゴミ
作家 ― 専業で食べていくには現実的にこのくらいの年齢で入賞でもしていないと無理
有名企業正社員 ― 新卒を逃せば新卒プロパー至上主義の有名優良企業への就職&出世は絶望的
公認会計士 ― 大学卒業までには専門学校で学び始めていないと合格しても実務経験積めずに終了
声優 ― これくらいの年齢までに育成機関に通わなければ専業で食べていくのはほぼ絶望的
お笑い芸人 ― この年齢までにコミュ力を磨かなければ大勢の人前に立って笑わせることなど不可能
俳優・女優・役者 ― 遅くとも成人までには劇団・舞台なんかに立っていないとテレビのレギュラーなど夢のまた夢
芸能人・タレント ― この年齢までに一芸を磨いて「東京」にいることが絶対条件
ダンサー ― プロダンサーとして食べていくにはこの年齢までになんらかのダンスを始めることが必須
傭兵 ― 20までに体をつくっておかなければいくら頑張っても体力的に無理
パティシエ ― この年齢までに菓子作りの基礎を学ばなければどうあがいてもチェーン店の電子レンジ職人止まり
ホスト・ホステス ― 業界でやっていくには成人と同時にこの世界に飛び込まなければ後は商品価値が下がる一方
大道芸人 ― ハタチを超えてまったく一から大道芸人を目指して成功した奴など皆無
官僚 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理
検事・裁判官 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理
テレビ業界・テレビ局勤務 ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件
アナウンサー ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学と「顔」が必須条件
ゲームクリエイター ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件
宇宙飛行士 ― ほぼ現役での高偏差値「理系」学部への進学が必須条件
小学校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件
中学校・高校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件
動物園の飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件
水族館の飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件
アニメーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理
イラストレーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理
ファッションデザイナー ― この年齢までに一般的なオシャレというものに興味を抱いていないような奴にはまず無理
歌手・ミュージシャン ― この年齢までになんらかの音楽活動を始めなければ自称ミュージシャン志望が確定
競馬騎手 ― 15歳までには騎手になるぞという意志を固めていなければ現実的に競馬学校への合格は無理
バイオリン職人 ― 15歳までには楽器職人になるぞという意志を固めていなければ専業で食べていくなど夢のまた夢
ファッションモデル ― この年齢でほぼ容姿背恰好は固まるので低顔面偏差値低身長にはどう抗っても無理
漫画家 ― 15歳くらいまでには絵を描き始めなければ実質的に時間切れ
プロサッカー選手 ― 12歳までにはサッカーを始めなければまず無理
プロスポーツ選手 ― 12歳までになんらかのスポーツを始めていなければまず無理
ピアニスト ― これくらいの年齢からピアノのレッスンを受けなければまず不可能
指揮者 ― これくらいの年齢からピアノ他のレッスンを受けなければまず不可能
プロオーケストラ楽団員 ― これくらいの年齢から楽器のレッスンを受けなければまず不可能
サーカス団員 ― 6歳くらいまでにはバレエ等のレッスンを受けなければまず不可能
将棋棋士・囲碁棋士 ― 小学生のうちに打ち始めなければまず不可能
伝統芸能演者 ― 親・親戚が伝統芸能に携わっていないと最初から可能性ほぼゼロ
茶華道家元 ― 親・親戚が茶華道家元でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
政治家 ― 親・親戚が政治家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
外交官 ― 親・親戚が外交官でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
農家 ― 親・親戚が農家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
漁師 ― 親・親戚が漁師でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
冒険家・探検家 ― 親・親戚が冒険家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
そもそも有名人気職業を除いて、棋士や楽器職人なんて子供の頃は存在すら知らなかったし!
ピアニストや騎手だって身近にそういう親戚でもいない限り自分の未来の職業として、リアルに考えてみるという行為それそのものすらしたことがないのが普通だろ!!
文化資本の低い家庭出身の俺は家族親戚一同高卒ばかりで大学進学すらテレビや物語の中の世界だったわけだが!!!
国は小学校入学と同時に13歳のハローワークを全児童に配布・熟読させて、道徳の時間の変わりにキャリアプランの時間を小学校教育に組み込むべき!!
一刻も早く!!
ジャジャン!!
スクールカーストってもうどうしようもないもんだと思うよ
本人の顔とか雰囲気、趣味やしゃべり方もあるし、家庭環境だって多分にある
明るくて冗談好きな親か、寡黙で真面目な親か、兄弟との仲がいいか悪いか
いわゆる文化資本に近いもんでさ。本人の能力だけではどうしようもないもんがある
ただ、スクールから遠く離れた人間が、何にもせっぱつまってない状況から言うけど
学校で浮いてて変な奴くらいの奴の方が、大人になってから人生楽しそうだし稼いでる気がする
学校っていう環境に適応する能力「だけ」だとたいして役にたちゃしない
与えられた環境に不満のある奴だけが自分に合った環境を探す原動力を得るし
自分に合った環境を得た時の爆発力こそ、人生をイージーモードにする力がある
貧しい片親に育てられヤンキーになって高校を中退、その後大検取って受験した奴も、
高2の冬、罵倒に耐えかねて野球部の監督どついて退部した奴も、
ハイピッチな声でマニアックなことを語るダンロップしか履いてこないあのコミュ障気味の奴も
全部俺の知り合いだが、学力試験があったから、東大に受かった。
こういう奴らは人物重視の面接が採用されたら、東大に入れない。
もし、こんな奴らが面接に来たら
「なぜ部活を2年の冬に退部しているのですか、その後は何をやっていたのですか」
「恋人はいま・・せんよね(笑) 友達から何て言われることが多いですか、えっ、あまり友達がいないのですか(笑)」
あの「賢くて爽やか」で「洗練された雰囲気」を持っていて、かつ東大教授と会話するのに慣れているような文化資本を備えた奴らが増える。
文化的にレベルの高い会話が溢れる環境に囲まれて育ってきた奴が勝つに決まっている。
留学、ボランティア、NPO活動などを高校生のときにやれる余裕を持った奴らが増える。
大学時代も就活を見据えて、有意義な活動をする学生が増えるだろう。
自己分析によって自らの軸を発見し、人を巻き込んでリーダーシップを取った活動を、みんなが目指すだろう。
渋谷の街で浮いてる服装をしているダサい東大生もいなくなるかもしれない。
就活が始まってから「自己PRに使えるような、かつ面接官が突っ込みようもない、意識の高い活動をしてきていない…」と
悩むような大学生は存在しなくなっていくだろう。自分の有能性をどうアピールできるかを常に意識して行動できる学生が増えるだろう。
いいことじゃないか。
このスレは途中から、横に派生して「文化資本の差はインターネットが埋める!」
という話をしたんだが?と 「文化資本の差はインターネットが埋める!」に対してレスして、以後の微分レスが付いた増田が主張するんだが?
経済的な話と教育の話をしたいなら元スレにつけろ 俺のレスにつけんなよ。
譲って混ざってるでもいいけど、混ざってることは認めてくれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BA%E5%BA%A6%E6%B0%B4%E6%BA%96
文化資本格差ってのは、せいぜい順序尺度じゃね? と俺は思っている。そうじゃないというのならモデルを立ててくれればいいんだけど、とりあえずそれなりに使えそうな数量化が出来ると納得させてから微分や二階微分や収束の話をしたほうがいいんじゃないの?