はてなキーワード: ダイバーシティとは
敵国がいない。
殺すのは日本。不埒な事を考えた権力者によって第二次大戦をなぞるように、外国を侵略して国民は徴兵されて死ぬ。国にマインドコントロールされた国民は自死を求められる。日本は負け続けて空襲され国土がボロボロになる。
自分たちが間違ったことをしなければ、平和で暮らせると思っている。
自分たちが殺す側に立つと思っていない。
平和教育で見せられるのは事後の廃墟だ。もしくは逃げ惑う市民たちだ。だけど、実際の戦場はニ〇三高地のように平和を愛し、敵兵と心を交わす紳士も鬼になる。
ベトナムやアフガン、イラクで心理的後遺症が残った兵士は多い。
平和教育は自分達を律するだけで、何らかの理由で発生する敵がいない。自分達は無垢で被害者にしかならないと思っている。他人や他の国も同じだと思っている。
多分、それじゃこれからはダメだと思うのだ。ふとしたことで生命線ギリギリに追い込んだり、敵意を持たれたりするのだ。ダイバーシティ的な考えがこれからは必要なんじゃないだろうか。
転勤の議論に関する記事が湧いて出てくるのは別にいいんですけど、議論が自分の思う問題とちょいと違う方向に向いてると思うのです。
自分は転勤族でおよそ3〜4年単位で地方間転勤をしているんですが、それは入社前から分かっていたので、それ自体は文句があるところではありません。
奥さんも専業に何も違和感のない考え方を持つ人を選んだので、家のことは妻任せ、旦那は仕事を頑張るという家庭です。
仕事をして10年になるのですが、最近、転勤に関してちょっと損だなぁと思う部分があります。
それは共働きを理由に出世や転勤を拒否した方が「おいしい」世の中になってしまったことです。
これまでの流れで共働き家庭には多大な優遇が取られてきたと思います。
世帯収入という面ではあまり出世しなくても十分に暮らせるのが共働きですが、
保育であるとか、残業の問題などで現実的には大変負担のある生き方であったと思っています。
また、ダイバーシティの運動から家庭を理由に辞令を拒否することが認められてしまったことで会社人生における生きにくさも解消されてしまいました。
その結果、転勤で確保できる収入的アドバンテージは相対的に大変小さくなってしまったなぁというのがモヤモヤポイントその1です。
海外転勤などは、収入において未だに多大なアドバンテージが確保されていると思いますが、会社にとって転勤というものが重要であるならばもっとアドバンテージを付けるべきではないかという議論があっても良いのではないでしょうか?
そして、モヤモヤポイント2は自分の奥さん達、専業主婦に対する評価です。
自分で言うのも何ですが、うちの奥さんは山内一豊の妻と言いたくなるくらい、家のことや、付き合いをしっかりやってくれる出来た嫁です。
こういう専業主婦が共働きを推進する世の中ではどんどんディスられているように感じるのです。
女性の労働参加が賛美される中で家の中にいる女性は無産のように扱われていないですか?
自分は家事などが苦手で、家では休日の洗濯くらいしかしません。
そこを奥さんがバックアップしてくれるから仕事で頑張れるのです。
つまり、自分の働きざまは1人による成果ではなく、2人による成果なのですが、経済的な視点ではそういった部分が無視され、専業主婦の社会的メリットが一切話題に出ていないように思うのです。
働け!働け!と世間様が言うのはわかるのですが、今の議論はどこか偏った方向性に導かれた議論だと思うので、もっと多様な方向に議論を拡散させていただければなぁと思います。
が、配属された部署は、全9人のうち7人が60代、1人が50代、そして20代が自分1人という高齢化社会を象徴するようなところだった。ちなみに両親はまだ50代。
転職して3ヶ月が経ち、仕事にも慣れてきた。はじめは仕事を覚えるのに必死だったが、最近は周りを見回す余裕ができてきた。と、同時に高齢化部署に対する不満も次々と出てきた。
愚痴を言いあえるような同年代な人が、全くいないので、ちょっと愚痴らせて欲しい(一緒に仕事をする別の部署の先輩方も、なんだかんだで30代40代ばかりだ…)。以下、周りの人生経験豊富な社員に対する不満点。もちろん下記の不満点は、彼ら年齢のせいではなく、彼ら個人の資質や経験のせいなのだろうけど。
・プライベートに口を突っ込む(昼休みは外で空気を吸ってくるべき、とか。本読みたいんですけど)
・伝家の宝刀「昔はこうだった」
・生産性の意識が皆無(口では「生産性大事」という割には具体的な行動に落とし込まない。むしろ余計な仕事を増やして生産性を下げたり)
・コスト意識が低い。特に自分自身に対する人件費についての意識が(若手の何倍のコストで自分が雇用されているのか、一度よく考えて欲しい)
・9人しかいない部署なのに、上下関係がいっぱい(不文律含む)
・目的意識が共有されていない。よって協調して効率的に仕事ができない(優先順位がバラバラで、声が大きい人の思いつきが優先されることがよくある)
・建設的で対等な議論ができない(改善のための議論がいつのまにか年長者による説教に)
・責任感がある人がいない(そりゃあ、定年後の再就職で責任感も何もないのかもしれないけれどさ…)
・唯一の若手である自分が、毎日めちゃくちゃ気を使ってやってるのに(つまらない話を朗らかに聞いたり、分かりきったことをあえてご指導していただいて指導欲を満たしてあげたり)、気を遣われていることに一切気づいていない(「すごいですね!」「さすがですね!」「昔はどうされていたのですか?」「教えてください!」)
書いているとイライラしてきた。
まあ確かに、ここで口汚く罵る女性の姿も決して褒められたものではありません。
女性も男性も、こういうのが無駄なヘイトを生むのだろうなと苦々しく思います。
ただそういう人たちのことは置いておいて、今回の件は反対する側も強引だったように思います。
たまに障碍者が何かしてもらったときの態度が横柄だと叩かれることがありますが、人の助けを通常より多く受けなければならない境遇にある人間は、常にこうべを垂れて生活しなければならないのかということが問題になります。
確かに社会的にはもうそろそろ庇護は要らなくなってきた女性に対して、腕力の面では、腕力のある男性と比べて庇護対象である場合が多いという理屈は、普段から女性に対してよい印象がない男性にとっては、飲み込むのにちょっと抵抗があるだろうなということは、想像に難くない。
どっちもどっちなのですが、そこで男性はずっと女性を庇護してきたんだぞというマッチョイズムで押し切るのはもうかなりの時代錯誤であるし、差別という言葉もちゃんとした定義がなされていないまま宙ぶらりん、女性はフェミニズムという既得権を守ろうと必死な割に、「女性は全て弱いもので、必ず守られるべき」という大昔のジェンダー観を後生大事に持ち歩く。
だから女性専用車両の話もそれらをごちゃ混ぜにして拗れまくっているのでしょう。
職場は8割以上が男が占める。
そういう女性が増えることが男女についてのダイバーシティだと思ってた。
黄色い声で、いいよいいよ、ナイス、キャー、と言ってカー娘らはメダルを取った。
あれが男だったら気色悪いことこの上ない。うちの職場では考えられない。
でも彼女らはメダルを取った。女性が活躍するということにおいて正しいのは彼女らだ。
いいよいいよ、ナイス、キャー、を職場でもエンカレッジして共存して成果を出す、それが男女についてのダイバーシティだ。
そして、そんな気持ち悪いことは俺にはできない。
ストラテラ、コンサータ、インチュニブ。こいつはドラクエの呪文じゃないぞ。俺たち発達障害者にとってのアルファでありオメガだ。辛いんだ。飲むとアドレナリンが胃の中で大暴れして、食事さえもできなくなる。
ぶっちゃけクスリの効果なんてろくすっぽ感じられない。健常者のフリがなんとか出来るって程度。なのにヤメたら元通り。あっという間に魔法が解けて、ただの落伍者にランクダウンだ。知的障害者ならまだいい。でも、俺たちは健常者と知的障害者の狭間に産み落とされている。社会からは見えない透明人間だから、いつだってセーフティーネットの濁りなき網からこぼれていく。
発達障害者には、常人にはない才能が備わっている、と人は言う。いわく、お前の内なる想像力を引き出せば、健常者どころか超人にだってなれる。いわく、お前は無限の可能性を秘めている。いわく、お前は磨かれていないダイヤモンドだ。シンデレラは意地の悪い姉を差し置いてプリンセスに、野獣は呪いが解けてイケメン王子に最後はなっただろう?You are エジソン and アインシュタイン and スティーブ・ジョブズ、blah blah blah…
ハイハイ、この話はもう終わり。そんな都合のイイ話、あるかってんだ。俺、本で読んで知ってるんだ。海馬とか側坐核とか、脳の一部が常人より小さいだけなんだろう?ようするにただの障害者なんだろう?
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
だが俺たちは?チートツールで隠しパラメータを読むまでもねぇ。当ててやるよ、顔面:E・体力:D・知能:D・幸運:E。ゲームならノータイムでリセマラ対象、競馬なら二束三文でデビュー前に売却さ。何かひとつは良いところがあるはずだって?残念、ギリギリ正常であり、かつ真に何の取り柄もないナチュラルボーンの無能だ。
生まれてこのかた、あらゆるコミュニティーで必要とされたことがねぇ。唯一慰めてくれる親は日に日に年老いていく。クラスのみんなは結婚して子供もいるらしい。数少ない俺の友だちは(友だちと言えるのか?)、未だに森の小動物みたいに鼻をヒクヒクさせながら実家に引きこもってやがる。
どこにも属せない俺はどうすりゃいい?最近じゃ、phaとかいうヤツが「持たない幸福論」とか提唱してるそうだ。社会に適合できないはみ出し者は、はみ出し者らしく断捨離して生きれば幸せになれるってさ。それにヨッピーは「明日クビになっても大丈夫!」だって。オイオイ、クビになったらどうすりゃいいんだよ?ブログ記事書けってのか?お前みたいに、パンティー被って裸で渋谷でも駆け巡ったらさ、お布施貰えるのか?
イラッと来たね。そんなことが言えるのは、お前が京大卒だからであり、あるいはお前が元商社マンだからだ。つまりお前らは確かにアウトサイダーかもしれないが、と同時に才能のあるフォレストガンプだからだ。文化資本があるからなんだ。頭がいいからなんだ。人には負けない才能があるからなんだ。ムカつくんだ。
なぁ、教えてくれよ。俺たちの物語には、ハッピーエンドが存在しない。そう言うと、お前らは「誰にだって悩みはあるし、ハッピーエンドの人生を送っちゃいない。まずはその思い込みから脱却しろ」と、ニヤニヤしながら言ってのけるんだろう。それ、病院のセンセイにもこの間言われたよ。でも、それってお前が、医学部卒で4LDKのタワマンに帰ると綺麗な奥さんが笑顔で暖かいご飯を作っており休みの日には子供と遊園地に行き血統書付きのラブラドールレトリバーを飼いベンツを乗り回し悩みをウンウン聞いて薬を処方するだけで年収一千万だからだろう?そう話したら、向こうは押し黙りやがった。
俺も努力すればそうなれるのか?いや、人並みの生活が送れるのか?お前は短期バイトすらロクに受からない人間の気持ちを、頭を横に振られながらゴミを見るような目つきでクビを宣告される人間の余裕を、必死に働いて手取り15万という人間の惨めさを、本当に知っているのか?
発達障害者には隠された才能がある。駄目なところではなく良いところを伸ばしましょう。みんな違ってみんなイイ。ダイバーシティ。人という漢字は支え合ってできています。もう、やめないか?そういう綺麗事。どうせ俺たちは見捨てられる。才能がなきゃ、発達障害者は愛されない。臭いものに蓋をするかのように。まるで最初から存在しないかのように。無能なフォレストガンプに救いは用意されていない。
そこに贖いはなく、最初から天罰だけが与えられている。それでも生き抜くしかない。マハロ・マザーファッカー。みんなくたばりやがれ。
現在20,779票【回答受付中】同性婚、日本でも合法化すべき? - Y!ニュース意識調査
現在は若干反対派が多いですが、反対する理由を冷静に考えると論理的に正しくないと思ったので書いていこうと思います。
でも、本当にこんなことが起きるとは思えない。
例えば2018年の出生数が100万人だとする。
その結果、2019年の出生数が90万人だった…となれば、「同性婚を制度化したことで少子化が進んだ」と言えるかもしれません。
でも、この結果になるには「同性婚ができることで今まで異性愛者だった人が同性愛者になる(同性婚する)」ということだと思うんだけど、そんなことある?
今これを読んでいる異性愛者の方、同性婚できるようになったら同性愛者になりますか?
なりませんよね。
最近NHKでシニアの婚活の特集をしていて、70歳過ぎで婚活で出会って同棲していて近いうちに結婚しようと思っているとありました。
それなのに何故結婚できるのでしょう。
何故戸籍上男と女というだけで生殖能力に関係無く結婚できるのでしょうか
「結婚は子どもを作ることを前提にしている」というなら、このような場合は結婚できないとしなければいけないでしょう。
結婚が子どもを作ることを前提にしているのなら、婚姻届けを出すときに2人には生殖能力があるという診断書を出さないといけない、結婚してからも定期的に子どもができたかどうか届けないといけない、不妊で子どもができないとなったら結婚を破棄しないといけない…
こういうディストピアのようなことになるはずだけど、現状そんなことにはなっていない。
だから、結婚の要件に子どもを作る・作らないは関係無いと思う。
これも具体的にどういうことか分からない。
例えばニュースで「○○県で男性同性カップルが結婚しました!」「□□県で女性同性カップルが結婚しました!」というのを見て、自分の親や兄弟・配偶者・子どもを見て「同性愛者も結婚できるようになって、自分たちは本当に家族なんだろうか?」と悩みますか?
そうは思えない。
ただでさえ人手不足と言われている昨今、貴重な労働力を国外に流出したらもったいない。
ここまで反対意見を見てきたので、今度は同性婚が制度化することによるプラスの効果を考えてみる。
正式に結婚できるとなったら、まず結婚式の需要が増えることが考えられる。
他にも結婚を記念して新居を建てるとなったら建築産業や家具産業も活性化するなど、色々な経済効果があるでしょう。
例えばAppleのCEOのティム・クック、実写版美女と野獣の監督のビル・コンドン、ガストン役のルーク・エヴァンスはゲイです。
これはアメリカの例だけどLGBTの中にも才能がある人はいる。
そういう人に日本で働いてもらうためにも同性婚の制度化は必要でしょう。
同性婚について色々と心配する人を見るけど、2015年の電通の調査ではLGBTの割合は7.6%だった。
そんな全人口の数%の人に結婚できる選択肢を与えるだけで、社会の何が混乱するんだろう?
昨今、メディアで取り沙汰されている多様性とかダイバーシティってあるじゃん?
あれってお互い認め合おうみたいなもんだと思ってる。ものすごくザックリだけど。
でも面倒くさくね?
「あちらを立てれば、こちらが立たず」みたいな二律背反のような問題があったら、落としどころをどこに持ってくの?
もう戦争でいいんじゃね?一方を滅ぼした方が強い的な。
生き物の生存競争ってそんなもんだしさ。淘汰されたものは弱いって感じで。
追記︰
ダイバーシティについてググってみたら、ビジネスとして色んなバックグラウンドを持った人材を活用することで、思いがけないアイデアを発見したり、社会の多様なニーズに対応したりする。みたいなことが書いてある。
要はビジネスとしての関係を築けない多様性は、Noってことか?
まあ役に立たないのはいらんもんな。