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はてなキーワード: ジャズとは

2023-05-22

anond:20230522105717

お前が生ジャズを知らないのはわかったよ…

全ての昼間に生ジャズを聞かせて育てた牛

文化的な感じになるのか?

2023-05-19

anond:20230519165045

おれも今、80年前くらいのジャズを聴いてるけど、今聴いてもカッコいい

2023-05-11

映画名探偵コナン 黒鉄の魚影

・心では「ネタバレ知っててもまあ楽しめるやろ」だが体はネタバレ知ってると楽しみ度合い結構落ちるタイプなのを実感した

萌え〜〜

 百合ではないしかしこれもまた百合

OPの導入、かっこよすぎ

 いつものテーマに入る前のジャズ?的な曲から

 潜水艦使った「いままでのあらすじ」、良すぎる

・こんな目立つ清掃員さん、おる?

・「キッス…してしまったやろがい!」からの通常に戻る百合キッス、天才すぎ

黒の組織スパイ多いな…

 身内でも組織の壊滅望む美女おる

ジンさんが潜水艦合流するとこの輝き

 映画だしキャラみんな綺麗に描かれてるな〜と思ったけどジンさんひときわよくなかった?

安室さんが赤井さんと会話する時、もっとキレ散らかすかと思ったら落ち着いてたし信頼関係構築会話してて驚いた コードネームで呼びあうのは一部の層へのサービスなんです?

ハブられタヒとは思わなんだ

2023-05-10

中1の頃流行りの千本桜を聴いてキャッキャしてたけど、今聴いても何の感慨も湧かない。あ~聴いてたな~としか思わない。

逆に大学生の姉の真似で聴いてみた閃光少女は今でも大好きだし、青春ソング青春時代に聴くの羨まし過ぎだろって思う。

部活サボってフラフラ歩き回りながら聴いて、「写真機は要らないわ 五感を持っておいで」って自分の頭の中でたまに漂ってるもの輪郭と似てるな~って思ったのを今でも覚えてる。

音楽に高尚も優劣もクソも無いと思ってるけど、色褪せない普遍的な何かはあるのかもしれないなってちょっと思った。

それは理屈言葉説明できる、「答え」のあるものではないだろうし、正体なんか知りたくもないけど。

欲を言えば、ナンバガとかフジファブリックとかかまってちゃんを聴き漁る捻くれた陰気少年でありたかったな。

逆張りの申し子だったから捻くれ過ぎてロック自体が「順」でダサいとか思って、ジャズオーケストラばっかり聴いてた。

まあ青春作品面白いと思えるようになったら青春は終わっているし、歯痒いもんだなあ。

若さ大事しろよ~て言う大人に対して死ね懐古厨の老人がって思った感情の形はまだギリギリ覚えてるから、忘れないようにしたいね

2023-05-05

anond:20150214223556

否定神学は「対象を直接語れないから迂回して色々語る」のではなく「対象を語れないという否定形を持って語る(対象は○○でない×n)」ものです。

まったく理解していないのにインテリぶってジャズ講釈に援用するのは片腹痛いですよ。

2023-05-01

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

2023-04-30

[] そのろっぴゃくよんじゅうはち

ガウーッス

 

日曜作業お疲れ様です。

本日は国際ジャズデー、日本においては図書館記念日葉酸たまごの日となっております

ジャズ名曲といわれてもなかなか出てこなかったりします。

というかブルースとかの違いがわかりづらいなぁと思ったりします。

とはいえそれはあまり触れてこないから違いがわからないものであって、積極的に触れていればわかるような、わからないような

やっぱよくわかんないですね

好きなものを好きなように聞きましょう。

 

ということで本日は【好みの把握よいか】でいきたいと思います

好みの把握よいか!好みの把握ヨシ!

 

それでは今日も一日!ご安全に!

2023-04-24

anond:20230424214004

ChatGPTは聞けば説明してくれるのだよ

日本語だと駄洒落がわかりにくいので、それらの元の英文があれば示してください。

もちろんです。それぞれの駄洒落英語説明します。

What fruit do cats like? Answer: Catelope (猫ピン).

英語では、"cantaloupe"(キャンロープ)という果物があります。"cat"(猫)と "elope"(逃げる)を組み合わせた言葉遊びです。

What uses ink to walk? Answer: Penguin (ペンギン).

英語では、"pen"(ペン)と "guin"(発音が似ている)を組み合わせた言葉遊びです。

What kind of music do astronauts like? Answer: Astro-Jazz (アストロジャズ).

英語では、"astronaut"(宇宙飛行士)と "jazz"(ジャズ)を組み合わせた言葉遊びです。

What animal lives in the urban part of the internet? Answer: Website wolf (ウェブサイトウ).

英語では、"website"(ウェブサイト)と "wolf"(狼)を組み合わせた言葉遊びです。

What insect loves rice balls? Answer: Thank you ant (アリガトウムシ).

英語では、"thank you"(ありがとう)と "ant"(アリ)を組み合わせた言葉遊びです。

What fish relaxes in the bath? Answer: Bass (バス魚).

英語では、"bass"(バス魚)と "bath"(バス風呂)の発音が似ている言葉遊びです。

What animal makes a lot of soap bubbles? Answer: Soap Zebra (シャボンソウル).

英語では、"soap"(シャボン石鹸)と "zebra"(ゼブラ)を組み合わせた言葉遊びです。

When cats play instruments, what do they use to play? Answer: Catguitar (キャットギター).

英語では、"cat"(猫)と "guitar"(ギター)を組み合わせた言葉遊びです。

Why do fish like swimming in the pool? Answer: Swimming School (スイミングスクール).

英語では、"swimming"(泳ぐ)と "school"(学校、また魚の群れを意味する)を組み合わせた言葉遊びです。

What do birds order when they work at a cafe? Answer: Chai-bird (チャイ鳥).

英語では、"chai"(チャイ紅茶一種)と "bird"(鳥)を組み合わせた言葉遊びです。

わからん!お前の説明わからん

anond:20230424212937

いまこそ課金の力を見せてやる(ユーザー質問に一旦挨拶を返すのはGPT-3.5の特徴で、GPT-4はだいたいいきなり回答する)

  1. ネコが好きな果物は何でしょう?答え:猫ピン。
  2. インクを使って歩くものは何でしょう?答え:ペンギン
  3. 宇宙飛行士好きな音楽は何でしょう?答え:アストロジャズ
  4. インターネット都市部に住んでいる動物は何でしょう?答え:ウェブサイトウ。
  5. おにぎりが大好きな昆虫は何でしょう?答え:アリガトウムシ。
  6. 風呂リラックスする魚は何でしょう?答え:バス魚。
  7. シャボン玉をたくさん作る動物は何でしょう?答え:シャボンソウル
  8. 猫が楽器演奏するとき、何を使って弾くでしょう?答え:キャットギター
  9. 魚がプールで泳ぐのが好きな理由は何でしょう?答え:スイミングスクール
  10. 鳥が喫茶店で働くとき、何を注文するでしょう?答え:チャイ鳥。

アルファベータカッパらったらイ

2023-04-17

anond:20230416201560

ジャズ映画なら古いけどMo' Better Bluesの方がいいぞ

似たようなテーマも含んでるけど、演奏が本物だ

セッション感動した人の感想もご査収ください

ドラムをやっていた。子供の頃から他にも色々とやっていたがステージに出るのは楽しかった。

しか基本的には己と向き合うのが楽器だ。孤独だ。孤独から楽器を追求できる。

音楽は続けると2つに分かれていく。楽しくやりたい人と、突き詰めたい人だ。

おそらく音楽を続けている人は多少は突き詰めたことがあるはずだ。教示されて音楽をしていて怒られないことは殆どない。音楽業界には気が強い人が多い。強くないとやってられないから。

それでも流石に物を投げる人は時代とともに減ったが気の強さは残っている。

しかしその孤独さに心が折れるときがくる。

音楽世界は楽しみたい人と本物になりたい人が混在している世界だった。

ジャズ業界あんな人いないなんてイメージアップ戦略もすぎるだろう。あの業界で成り上がろうとするやつなんてとんでもない傲慢さがないと無理だ。

自分限界を感じるほど練習ができて本当に良かったと思っているが、ある日突然心が折れた。

毎日時間も血を出しながら練習してきたが、自分演奏能力が大したものではないと気づいたのだ。

その後楽しむ方向にはいけなかった。暫く続けてやめた。

セッションを見ると会社部活でのブラックあれそれを思い出す人が多いのは頷くが、そういう間接的な感想は持てず、自分はもしあのまま突き詰めていた時どうなっていたのだろうと、ストレート主人公自分に重ねた。

最後最後あんなのはもはやセックスだと思うのだが、とんでもないセッションをしてしまう…というのがこの映画タイトル回収になる。

バッドエンドだという見方が正しい。が闇落ちエンドと言ってくれたほうがしっくりくる。

辛くて長い音楽人生だが、あん人生一度しかないだろう最高のご褒美があったならきっと、あそこで死んでもいいと思ったはずだ。

これが感情移入しまくりの感想なのはわかっているが、音楽と人間の究極に何かが振り切ったところに行った瞬間を描いた映画として、個人的には傑作になっている。

anond:20230416201560

ほれ。BingAIに聞いてきてやったぞ

 

映画評論家として答えてください。 映画セッション」の良さが全く分からない。これパワハラ映画だよね?

映画評論家として答えるのは難しいですが、映画セッション」の良さについて私なりに考えてみました。😊

映画セッション」は、世界的なジャズドラマーを目指す主人公アンドリューと、彼を厳しく指導する鬼教師フレッチャー関係を描いた作品です。1

この映画の良さは、以下の点にあると思います

マイルズ・テラーJ・K・シモンズの熱演。特にJ・K・シモンズアカデミー賞助演男優賞を受賞しました。1 彼らの演技は、観客に強烈な印象を与えます

ジャズドラムの迫力ある演奏シーン。主人公が血だらけになりながらもドラムを叩き続ける姿は圧巻です。音楽も素晴らしく、ジャズファンでなくても感動できます

ラストの展開。主人公と鬼教師音楽を通じて対決するラスト9分間は、映画クライマックスです。2 二人の関係がどう変化するのか、観客は息を呑みます

もちろん、この映画には批判的な意見もあります。3

パワハラモラハラとも言える鬼教師指導方法。彼の行動は、音楽教育において許される範囲を超えています。彼が主人公の才能を引き出したとしても、その方法正当化できません。

主人公性格人間関係の薄さ。彼は音楽以外に興味がなく、恋人家族とも疎遠になります。彼は一流のドラマーになることだけを目指していますが、その過程で何を失ったのか、観客は考えさせられます

私は、この映画は「パワハラ映画」というより、「音楽への情熱映画」というべきだと思います。2

主人公と鬼教師は、音楽に対する思いが本物であり、それゆえに互いにぶつかり合います。彼らは自分自身への妥協を許さず、常に高い目標を持っています

この映画は、観客に音楽への愛と挑戦への勇気を伝える作品だと思います。🎵

あなたはどう思われますか?😊

こんな先生絶対に許されないし、音楽関係ない罵倒もあったし、普通は殴った時点でこの先生はクビだろう 公開が2014年から、その時代では受け入れられてたってこと?

映画セッション」には、パワハラモラハラとも言える鬼教師指導が描かれていますが、それは公開当時から批判されていたことです。12

実際に、この映画監督デイミアン・チャゼル実体験がベースになっています。 彼は高校時代ジャズバンド所属していて、フレッチャーのような教師出会ったそうです。

彼はその教師について、「彼は私を怒鳴りつけたり、物を投げたりしたことはなかったけど、とても厳しい人だった。 彼は私たちに対して非常に高い基準を持っていて、それを満たせないとき容赦なく指摘してきた。 彼は私たちを褒めることもあったけど、それは本当に稀なことだった。 彼のクラスでは常に緊張感があって、彼の目を気にしながら演奏しなければならなかった」と語っています

チャゼル監督は、この教師指導自分音楽への情熱を高めたとも言っていますが、同時に自分精神的な健康にも影響を与えたとも認めています

彼は、「彼のクラス演奏することは楽しかったけど、同時に恐ろしかった。 彼のクラスで失敗することは最悪のことだった。 私は彼のクラスで失敗したくないという気持ちが強すぎて、他のことに関心を持てなくなってしまった。 私は友達恋人遊んだり話したりする時間もなくなってしまった。 私は音楽以外のことで幸せを感じることができなくなってしまった」と振り返っています

このように、映画セッション」は監督自身体験を反映した作品であり、パワハラモラハラ問題だけでなく、音楽への情熱や挑戦、才能や天才というテーマも含んでいます

公開当時からパワハラモラハラとして批判されていましたが、それは監督自身体験ベースになっているからかもしれません。😅

あなたはどう思われますか?😊

音楽世界が厳しいのは分かるが、体罰ダメだし、理不尽叱咤もアウト、椅子投げるのは完全に犯罪から それを解決せず練習して立ち向かっていくのは暴力肯定しているとしか思えない

そうですね。フレッチャー行為暴力パワハラとして許されるものではありません。😢

実際に、映画の中でもニーマンフレッチャーを訴えることになりますし、フレッチャー教師の職を失います

映画ラストでは、ニーマンフレッチャー音楽を通じて和解するような描写がありますが、それは彼らの個人的感情問題であり、フレッチャー指導方法正当化されたわけではありません。

映画は観客にフレッチャー指導方法を賛美することを求めているのではなく、音楽への情熱や挑戦、才能や天才というテーマについて考えさせることを目的としていると思います。🤔

なんでこんな映画アカデミー賞まで選ばれるまで評価されてるのか分からない

映画セッション」は、アカデミー賞で5部門ノミネートされ、編集賞、録音賞、J・K・シモンズ助演男優賞を受賞しました。12

受賞理由としては、以下のような点が挙げられます

編集賞ドラム演奏シーンやラストセッションシーンなど、緊張感やリズム感を高めるカット割りやテンポ評価された。23

録音賞:ジャズの生々しい音やドラムの迫力ある音を再現するために、多くのマイクや機材を使って録音した。23

助演男優賞J・K・シモンズが演じた鬼教師フレッチャーの圧倒的な存在感演技力評価された。23

映画セッション」は、音楽や才能に対する情熱と挑戦を描いた作品ですが、同時にパワハラモラハラ問題も提起しています

あなたはこの映画にどんな感想を持ちましたか?😊

anond:20230417154647

ぶっちゃけプレイがどうこうよりジャズ界でああいうのは横行してる(してた)のかの方が気になる

あんなダーティ世界じゃないのに!という批判評価低いならわかるけど、プレイの質とかを批判することでダーティな部分から目を背けてるのならちょっと批判ベクトル違うんじゃねって気がする

2023-04-16

『街とその不確かな壁』に対する感想

まりにも酷い。

インターネッツ村上春樹好きの諸氏については、村上春樹新刊を書いただけでも評価に値するのかも知れないが、10年来、いや……海辺のカフカ挫折した私にとっては、これはあまりにも酷い長編だった。村上春樹が単なる老害、「個人」と言う殻の中に閉じこもって、右往左往しつつ、ではその先は?と言う問いに応えるのは作家が同じテーマを繰り返す、と言う法則を踏まえて、それで良いのかもしれないが、それを一方的に見せられる他人にとっては「は?」と言う感想しかかばず、80も近い老人にとってはこれがせいぜい「外部」なんでしょうね、と言うあまりにも脱力した結果を残す、EOEに対するシン・エヴァのごとき、いや……それよりなおタチの悪い完結編と言うべきである

「ぼく、私」にとって外部は一切関係ない。「きみ」が唯一の外部である、一貫して彼は「きみ」を求めており、それ以外の外部はいわば「おまけ」のようである。その「きみ」部分に対する「おまけ」である免罪符が2部に渡って冗長に繰り広げられる。あくまで「私」から照射された外部であって、コイツは本当にありのままの「外部」を認識する能力に欠けるんだろうな、と言う独白が続くのが酷い。

たかもそれが「私は外部と関わりがありますよ」と言うように。あーだこーだと理由をつけて、「私」は「外部」が必要だ、と言う結論に至る。しかし、なぜ「外部」が必要なのかと言うことは語られず、青春時代の「ぼく」の記憶に「私」が遡行してゆき、「私」の分身たる本体現実に帰ってゆく、という選択肢を取るだけである。ここまで読んで、なぜ「私」が現実を選び取るのか、「きみ」をどう思っているのか、と言う本質的にこの物語に求められる理由動機が全く語られない。なぜなら「きみ」が一体どういう考えを持った1人の個人なのか?と言うことが一切語られないかである

ここで「きみ」とは一体なんだった?と言う疑問が残り、「きみ」の作った世界であるはずの壁に囲まれた街にイエローサブマリン少年機構として残る必然性特に語られない。「私」は一貫して受動的であり、現在という地点から耳を澄ませて自分に対する働きかけ、力のようなものをひたすら待ち続ける……それが70過ぎた大人が書く40代の姿なんですかね?と言う脱力感が酷い。「イエローサブマリン少年」もとってつけたような「外部」であり、「外部」を描くのであれば、もう少し長さを持ってその必然性描写するのが小説家の勤めであると思うのは、大作家様に対して不敬であろうか?

そもそも現代40代描写的外れすぎて無理しすぎんてな、という感覚が酷い。スマホも使わずジャズに詳しくてシャブリを家で冷やしてる40台ってどんな40代ですか?普通に60代70代の男性を描けばいいんじゃないですか?いちいち40代である必要性が(物語として)要請されてますか?

若い頃に村上春樹を読んで面白いな、と思った一切が脱臭されている。元々の短編再構成した一部を除き、物語面白さを残らず搾り取ったような退屈さを、さもそれが退屈であるが故に真実だ、と説教されているような描写が延々と続き、であるが故に「僕が感じた青春妄想が最強なんだい!」と訳もわからず長い老人の語りと共に三部に至って「ワシは疲れたわ〜、もうええわ」と喚き散らされる、そんな体験だった。

これだったら『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の方がストーリー的にもテーマ的にもよっぽど綺麗にまとまっていたと思いました。

いやマジで本当に聞くけど、村上春樹ファンはこれを面白い、深いと思ってんの?本当に(一部を除いて)面白くないし、深くもないよ。二部以降の描写のどこが深いの?「外部」の契機があるだけだよね?「内部」であり「外部」である「きみ」に対してどうやってケジメをつけたの?教えてくれ。マジで、本当に。妄想の中で若返って「きみ」会いました〜、イエローサブマリン少年がそれを助けてくれました〜、っていい歳した70の男が書く内容ですか?

なお、この増田40代男性からお届けしております10代で『ねじまき鳥クロニクル』が出版されています。聞いたことのあるジャズチェット・ベイカージェリー・マリガンくらいです。パッと思い出せるのは。音楽シューゲイザーが好きです。最近はparannoulって韓国のエモ+シューゲイザーアーティストが良いと思うよ!言っておくが村上春樹はなんらかの普遍的人間思考に対する答えを求めて小説を描いてると思ったよ、しかしこれではチラシの裏に書いたなんだかかんだかと一緒じゃねーか!!それが熟年に達した小説家が自信をもって書く技巧の現れか?マジでガッカリした、悲しい。おれが10代の頃に感じた心の震え、自分人生に対する、このようなことが俺の心で感じられるんだ、と言う希望を返して欲しい……そんなのテメーの人生だろう、シラネーってか?ああそうか、そりゃそのとおりだな!!おれは就職氷河期最後の方にしてはソコソコ金稼いでるよ!!ChatGPTも使ってるよ!!どんな風に質問すれば確実なコードが返ってくるか悩んだりしてるよ!!バカにすんな!!そんじゃーね!!

2023-04-08

BLUE GIANTマンガを見た後に体験したジャズ肩透かしだった

マンガは大好きなんだけど、マンガを読んで「聴こえてきた音」に現実ジャズは全く及ばなかったという。

残念な気持ちもあり、まそうだよね、という気持ちもあり。

ジャズもたまにはいいなとも思うけど、その域は超えてこなかった。

マンガのほうは大好きです。

2023-04-04

anond:20230402141536

芸術方面に進んだ人が、専攻してた芸術を嫌いになるのは当たり前な気がする

芸術方面に進む人って今まで「得意だったから」というより「褒められたから」なる人ばっかりなんだよね。

それで大学に行くと何が起きるかって言うと、とにかく「貶される」「修正される」ことだけで、褒められることが無くなる。

芸術自己表現でもあるから自己否定されまくる感覚になるし、旧態依然とした講師にあたると技術は教えず人格否定するだけみたいな奴もいる

社会に出てもそれが変わるわけでもなく、トップレベルでない人間フィードバックと言う名の自己否定をされまくる

そこで「自己」が認められるジャズとか、所謂亜流文化に移るのは自然だと思う。

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