はてなキーワード: エビデンスとは
元増田だけど、一応酒匂秘書艦での建造報告があることはあるんだが、余りに報告数が少なすぎて信頼度が非常に低い。
まあ仮に酒匂で建造可能だったとしても、酒匂の入手難易度考えたら結構鬼畜だわな。
他に、エビデンス皆無なので全く信用に値しないが、クロスロード繋がりでPrinz Eugenや長門でも可能という説もあり、酒匂と合わせてもし本当なら、まあいいかという話にはなるのかな。
そうは言っても、クロスロード組で最も入手しやすいのが長門であることを踏まえると、彼女らで建造可能だったとしても、依然難易度は高めという。
ここの運営って、最初は提督からチヤホヤというか、かなり好意的に見られていたし、彼らの態度もそれなりに紳士的()に見えていた。
でも結局のところ、彼らもまた凡百のネトゲ運営よろしく最初から「偽善的な未来のクソ運営」でしかなくて、現在はただのクソ運営になったわけで、
「おいデブ、お前本当は史実準拠でガチの海洋戦略シミュレーションやりたいから、企画通すためだけに萌え要素の皮を被せたんだろ、それが偶々当たったからって調子乗ってんじゃねーぞ」
という感じだわ。
てか日本のゲーム運営って、任天堂みたいな超上澄みを除いてどれもこれも似たような集金マシーンと化している現在、最近の中韓と比べたら中韓以下だと思わされる。
艦これだって、中国の戦艦少女やアズールレーンと比べてゲームとして、果たしてどこまで優れているのかどうか(やったことないからわからないけど)。
https://anond.hatelabo.jp/20170913162913
どういう意味で使ってるのはア・プリオリな認識などではなくコンテクストによって違うし、そういう意味だってエビデンスも示さずに言うとかさあ。五月蝿いんだよ。水素水並。
兎に角、結局そういう意味だって思われてるって忖度しろってことなんでしょ。パワーワードの羅列で何故行けないのか。そういうのをやたらと拒否するのだってサイコパスじみてるし、やたらミサンドリーを叩きつける手合のこと言えないだろ。
そういう意味で使ってないことを証明してみろってどうせ言うんだろうけど、そんなん悪魔の証明だし。結果にコミットできないじゃないか。
ってな感じでどうですか
・何かに批判的な発言をすると、すぐに「対案を出せ!」と言ってくる(個人の個人的な意見にいちいち対案求めなくたっていいじゃん。)
・何故か上から目線でものをいってくる(頭良い人はすごいなあ、という気持ちになる。)
・抽象的な言葉をたくさん使って「論破」した気になる(そしてそれは多くの場合論証になっていない。)
・複数の視点からものごとを見ようとしない(できないのかな?)
・「エビデンスを出せ!」「証拠を出せ!」という割にはその「エビデンス」「証拠」の妥当性、信頼度を確認しない(同じ言葉でも発言者によって意味は変わる(=安易に「証拠」を信じてはいけない)。良い例がアメリカの「民主主義」と北朝鮮が正式国名に冠している「民主主義」。)
・必要条件と十分条件を混同している(わざと?「AならばB」と「BならばA」は別物。)これと関連して、数学で扱う集合の考え方がわかっていない。
・思考が極端(白か黒か、みたいな考え方をする。世の中の物事の多くはグレーでそれが白に近いか黒に近いか、だと思うが。)
・批判的思考ができていない(「その情報って本当に正しいの?」という風に考えないのだろうか。)
・何か事件が起こったとき、それの原因が1つだと考えている。(大体の場合、原因は複数あると思うが。)
・文章の要約が絶望的に下手(これは読解力とかかわってくる。)
典型的な年寄り左翼は結果を独りよがりに評価する。実年齢は年寄りじゃないかもだけど、思考回路の古さを指して、まとめて年寄り左翼と呼びたい。自民党の不倫は悪で、山尾さんの不倫は問題なし(根拠なし)。そういうアホなこと言うのは、時代的なものだと思う。医者がむかし、医者が言うことが正しいこと、であったのと同じように、年寄り左翼は左翼が言ったことが正しいこと、なわけだね。yoko_hiromとかG17とかね。
世界的ガイドラインによれば、これこれのエビデンスがあるのでA病気にB薬を使用する、手術は意味がない。ということがあるにもかかわらず、医者はおれは手術がうまくいくとわかってる、だから手術だ、とやるのが、今は相当減っただろうが十年やそこら前にはそこらじゅうにいた医者だったわけですが。年寄り左翼もそれですな、と気づいた。
だからリベラルの私としては一刻も早く、全年寄り左翼に退場してほしい。医者もやはり、前線に出る医者の世代が変わるまで待つ必要はあった。ただ、医者だとその年齢は40歳前後だけど、ヒョーロンカとかはもっと年取らないとスイープできなさそうだけど。
保守はなんでそこまでおかしくならないかというと、保守は基本的に個人主義ではないから、「俺が言ったことが正しい」ではなくて「われわれが言うことが正しい」だから、ってのあるかもな。例えば上の医者で言うと、アメリカを筆頭とする自由主義陣営の我々の言うところによると、ってなるわけ。やっぱ人間って社会的動物ですから。個人で社会を変えることができるなんて思い上がったアホが少ないのかもしれないね、保守には。
で、時代が変わったので上に書いたような思考回路は決して支持されない。何がよいことで何が悪いことかはロジックで決めなければいけないのだ、医者の治療方針にしても、政治的発言の評価にしても。
とすると当然、リベラルはこう答えるべきであった。
・今井絵理子の不倫 → 個人の自由。政治家は結果で評価すべき。
・山尾志桜里の不倫? → 個人の自由。政治家は結果で評価すべき。
一刻も早くリベラルは、リベラル全体としての意見、多数派意見がこのようにロジックに裏打ちされるように(といってもマルキシズムのような似非ロジックではなく理系的なもの)、方針転換しなければならない。
そうならなければどうなるかというと、国民の反応は変わらない。おめえダブスタじゃねぇのかと。そして自民党派閥政治にまた時代の針は戻るだろう。
たとえば、山の木を伐採しまくったとする。今でこそ科学的検証の積み重ねで、木の根の保水作業や、土壌保持能力が失ったと言われてるが、昔はそんなのわからない。
だから「山の神」というのを仮定して「それの意にそぐわないことをしたから怒った。木を大切にしないとならない。」という流れ。
対人関係も悪行ばかりしたことも、細かく分ければ、それぞれの個人が怒ったり、噂が流れて助けられるものが助けられなかったりで、
その結果、なにか不幸なことが起きたとして、「天罰」すなわち、神が罰を下した。と抽象的に取り扱うがゆえの存在。
ニュートンは近代科学の祖と言われるが、神学者でもあり「神が作ったこの世の理を明らかにする」という動機付けで行われている。
そして、科学的検証が行われて行って、科学的検証が馴染むようなものは科学の手に委ねてきた。しかし、要因が多く絡む要素。再現が苦手な要素については科学は苦手とする。
科学で立証しづらく立証されてないものはどうなるか?とすると、たとえば、根拠に基づく医療のエビデンスレベルで、
2a ランダム割付を伴わない同時コントロールを伴うコホート研究(前向き研究、prospective study, concurrent cohort studyなど
2b ランダム割付を伴わない過去のコントロールを伴うコホート研究(historical cohort study, retrospective cohort studyなど)
その道に詳しい人というのは昔の聖人と呼ばれる人。
西洋、イスラム圏だとみんなアブラハムの宗教で、その聖人たち。
特に幸福論とか、どういう生き方がよいかなんてのは科学に馴染まんから、まだ宗教の担当なだけ。
と言っても、儒教、仏教の開祖こと、孔子やブッダは「怪物乱心を語らず(孔子)」「毒矢の例え(ブッダ)」で挙げられるようにこの世に在らざるものに非常にドライ。
ただ、儒教や仏教がもともと「わからんものを取り扱うための手法」「先祖礼拝」の道教、ジャイナ教や神道と混ざって、この世に在らざるものを取り扱うようになった。
まあ、日本においてはGHQで道徳関連がみんな教育から消え去ったのもあったのが一回りしての新興宗教ブームだとは思うね。
本来あんな新興宗教に頼らなくても、良い生き方はそれ以前の書籍には数多く取り扱われてる。
と言ってもどうせ孔子もブッタもこの世にはいないんだ。今その教えを伝えてるという人も書籍によらざるをえないから、宗教団体に属する必要性はないね。
先に謝っとくと、話逸れてごめん。
標準医学だって、同じ病気でも進行度合いとか背景事情とかをそろえたりは出来るだけして比較してると思うので、証の違いは漢方がエビデンス出せない理由にはならないのでは、と毎回思う。
それこそ証をある程度揃えて実験すりゃいいだけじゃない? ただ、その証の判定があんまり客観的に数字とかで表せないから、あやふやになるというのはあるのかもしれないけど。
でも例えば痛みが改善したかの評価なんてすごく主観的なものでも、標準医療側はスコア化したりして工夫してるんだから(そのやり方が完璧だとは全く思わないが)、漢方も頑張ろうよ。
対照群だって、完全に無治療にする必要ないじゃない。癌の治療成績の比較とか、まさか無治療群を対照に取ってると思ってるの?
標準医療との併用 vs 漢方だけ、とか、漢方Aと漢方Bの組み合わせ vs 漢方Aだけ、とかあるでしょ。
俺は漢方だって効果はあるだろうと思うし、証だって何らかの事象を反映してるかも知れないと思う。漢方はインチキだなんて思ってない。
曖昧で複雑なことを、色々情報抜け落ちて不完全になるのを承知の上でそれでも何とかして比較して発見を得よう、という気概が君たち足りないよ。
せっかく助かった命だが、俺が生まれた時に親はまだ30代前半で、もう一人産もうと思えば産める年齢だったが、俺が病気で生まれたことで、俺は一人っ子になった。
そして、俺には大した才能もないようだ。俺の病気は遺伝しない。
計算してみよう。俺が生まれてきた事で、社会は重度心臓病患者を一人ゲットした。
しかし、俺が幼児期に死んでいれば、親はもう一人子供を作って、その子は99%以上の確率で健常者であっただろうから、社会は健常者を0.99人ゲットできたはずだ。
どう考えても、これは、俺が生まれてこない方が社会にプラスになったのではなかろうか。
なぜ、世の中の人は、自分が生まれてくる世の中の方が無条件に良くなると信じられるのか。そうやって無条件に信じるのは、傲慢ではないのか。あなたが物心付く前に死んでいた方が、社会は少し良くなったかもしれないのに、なぜ、エビデンスも理由付けもなく、自分は生きていて当然みたいな顔をしているのか。それが腹が立つ。
自分が死んでいた方が少しは良い社会になったはずだと確実に信じられる私みたいな事情があれば、生まれた罪を自覚するのではないか。生まれてこない方がよかったのに生まれてきてしまった罪を持っている人は、私だけではないはずなのに、なぜ、正しい罪悪感を持って生きているのが私だけなのか。それが納得がいかない。
健常者の中にも、生まれてこない方が社会が良くなった可能性があるのにもかかわらず、生まれてきてしまった罪人がいるはずだ。なぜ、罪人としての自覚を持って生きる人がこれほど少ないのか。なぜ、自分が罪人であると理解している人がこれほど少ないのか。なぜ、社会は私だけを罪人扱いして、健常者を罪人扱いしないのか。健常者の中にも、罪人がいるはずなのに。
私は生まれながらの罪人であることに自覚的に生きてきたし、そのための償いも社会に十分して、働いて還元してきたはずだ。私は生まれた罪を償った。もっと、生まれながらの罪人を探し出して、引っ張り出して、働かせて罪を償わせる仕組みを社会に実装していかなければならない。
生まれながらの罪人を探し出して、引っ張り出して働かせて社会に貢献させることこそ、正義だ。私が苦しむのは正義。これを読む、生まれながらの罪を持たない無垢な人が私を苦しめるのも正義。無垢なのに私を苦しめないのは不正義だし、生まれながらの罪人なのに罪を償わないのも不正義だ。私を苦しめない大多数の人間は不正義だ。
期限当日。
俺たちの成果を、他のグループの前で発表する日ということだ。
他のグループの発表はというと、自分たちの住む町の歴史だとか……まあ何も言うことはない。
みんな課題をこなすことに必死だったし、他人の成果物に目を向ける心の余裕はなかったんだ。
そして、長いような短かったような時を彷徨い、いよいよ俺たちグループの番がきたのだった。
「英雄リダイアはこの町で生まれ育ったことは周知の通りです。リダイアは当時としては画期的な建築技術を発明し、この町の発展を大いに助けたとされます。ですが、これはあくまで彼の英雄たる理由の一つでしかありません」
このあたりはエビデンスがとれていることもあり、滞りなく進んだ。
「次に彼はアマゾンのとある集落にて、住人たちと槍を取り、侵略者から守ったという記録が残されています」
「アマゾンといえば、アマゾネス。しかし、そこでリダイアはこれといった人間関係のトラブルがなかったことが、記述内容から判断できます。つまり、リダイアは実は女性だったのではと推測できます」
聞いていた他のグループがざわつきだす。
一応の辻褄は合うものの、はっきり言ってとんでもない説だからだ。
念のため言っておくが、これは俺ではなくメンバーの一人であるタイナイが提唱したものだ。
それっぽくこじつけてはいるものの、タイナイが最近読んでいた漫画の影響をモロに受けていることは俺からみれば明らかであった。
さて、これが一つ目の策だ。
タイナイ、カジマ、ウサクでそれぞれ持ちよった説を全て統合して、後は無理やり辻褄を合わせてやろうというものだった。
当然そんなことをすれば、いずれ綻びが生じる。
そこで俺はとある説を用意しておくのだが……まあ直に分かる。
「戦乱の世が平定。落ち着きを取り戻し始めたころ、リダイアは医者を志します。今度は人を救う存在になりたい、と考えたのかもしれません。それから彼は西の島にて、医者として多くの命を助けました。汎用性の高い薬を発明したのも、この当時であると考えられます」
「医学が進歩しだしたころ、リダイアは芸術の分野で多彩な活躍をします。我らの町では建築技術、別の地方では絵画といった具合に」
周りのざわついた音は徐々に大きくなっていたが、意に介さなかった。
「そのように八面六臂の活躍をしていく内、またも世は戦乱の気配を漂わせていました。そこでリダイアは、再びその身を戦火の中へと投じていくのです」
説明も終盤にさしかかったとき、とうとう俺たちが予想していた言葉を一人のクラスメートが発した。
「ちょっと待ってくれ、さっきから色々と語っているが滅茶苦茶じゃないか。現実的じゃない」
当然の疑問だ。
そこで、俺たちは二つ目の策……いや、説を提唱することにした。
「仰るとおり。いくらリダイアが人並み外れた力の持ち主と定義したとしても、このとき既に64歳。現役を退いている上、当時の平均寿命を越えている。仮に生きていたとしても、物理的に有り得ない」
「我々はリダイアの活躍が書かれた文献をしらみつぶしに調べました。長生きの一言で済ますには、些か無理がある活躍の記録があることが分かりました」
「文献のいくつかは彼を英雄視する人々が作り上げた、偶像物語だと考えることもできます。ですが、それを踏まえてなお整合性のとれない話も多々あったのです」
「そこで、ある説が浮上します。リダイアというのは個人ではなく、各時代、あらゆる場所に複数いた、名もなき英雄の俗称ではないかと」
これこそが、俺の考えた方法……いや、説だ。
「あらゆる時代、あらゆる場所で活躍する英雄が多くいました。リダイアが様々な方面で才能を発揮したとされるのも、そもそも別人だと考えれば自然です」
「なぜ、それらがリダイアとされたかは、彼らに関する詳しい文献が個別に存在しない、つまり名もなき英雄だったことに他なりません。そこで当時の人々は、ある種の英雄の理想像としてリダイアを作り上げ、そこに実在する英雄を投影させました」
「時には自称し、時には伝聞によって。事実、真実、伝承入り混じり、『リダイア』という英雄の集合体が形作られたわけです」
一応の整合性こそ取れるものの、その実は文献の真偽を分別することを放棄した、苦肉の策だったからだ。
それでも課題を未完成にして出すよりは、それを完成品にするために帳尻を合わせるほうがマシだと考えたのだ。
また風邪ひいたっぽい。
昨日はたっくさん寝て、食事もしっかり摂って、マルチビタミンミネラルも飲んだのに。
P Trackerを見ると生理開始予定8日前とのことで、それが関係してるのかな。
今回は、メンタル対策として抑肝散加陳皮半夏をきちんと服用しよう。
今まで「でも漢方薬ってエビデンスないんでしょう〜?」と思って、処方してもらったのに一度も服用してなかったのだ。
◆メディア
・誤報の修正が甘い(1度誤報に対し1度の修正では少なすぎる。複数回同一の修正内容を掲載・放送する必要がある)
・公共の利益を提供する立場と営利団体である立場のダブルスタンダート
◆社会
・自身が何を知らないかを理解していない、自身の常識を疑わない国民性
・社会全体の価値観が文化によって修正を受けていることを俯瞰しようとしない
・どの層も「見栄」によって公共の利益を損なっているのにもかかわらず、「見栄」を咎める存在がいない
・吊るし上げ、見せしめ、私刑が必要なケースに法律は想定していない
・エビデンス至上主義(データが出せない要素に関して、尤もらしいことであってもデータがなければ重要度を0と判断することを合理的だと考える集団が存在してしまう)
・資本主義の見える化による労働者のモラルとモチベーションの低下
・雇用者と被雇用者の立場は対等であるにもかかわらず、雇用者の方が偉いという風潮
疲れたので、誰か思いついた人はどんどん追加してって