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はてなキーワード: しりとは

2024-06-16

あのころの「ちいかわ」はもういない

2020年ごろからずっと好きだった「ちいかわ」。

いまではさまざまな企業コラボし、なんでもかんでもグッズ化されている。人気グッズは転売ヤーによって駆逐され、

オンラインストアに関しては注文したものは数ヶ月経っても届かないことがザラにある。殿様商売だ。

アニメ放送され、お台場や各ポップアップストアでイベントが開催され、子どもから大人まで、そして日本だけでなく海外でも人気だ。

もの凄い盛り上がりを見せ、日本経済はちいかわによって動かされていると言っても過言ではないほど影響力を持っている。

だけど、僕が好きだったあのころの「ちいかわ」はもういなくなってしまった。

僕が好きだったのは、可愛いグッズとかアニメとか撮影イベントとかそんなものじゃない。その世界観だった。

いかわの世界は、僕らが生きているこの世の中の縮図だと思っている。

いかわの世界でも労働によってお金を稼ぐ。登場人物ほとんどは日雇い労働者だ。

ハチワレちゃんに関してはホームレスに等しい。

日本にもこういった世界はいまだに存在している。山谷西成寿町など日本三大スラム街では見慣れた光景だ。

いかちゃんたちは「草むしり」や「討伐といった仕事をすることで報酬をもらえる。特に討伐は危険仕事で、大怪我をしたり、最悪「死」となり帰らぬこともある。

その労働で得たお金を使う先にはいだって鎧さんたちがいる。鎧さんたちが、ちいかわの世界を牛耳っている支配者だ。

鎧さんが募集する仕事をこなし、そこで得た報酬を鎧さんが運営するお店で使う。まさに食うもの・食われるもの、僕らの世界のものだ。

見た目はかわいいが、この世界の縮図そのものなのだ。それこそがちいかわの根底眠る物語面白さだ。

いまのファンほとんどは、ストーリーはよくわからないけどかわいいからグッズを購入している人がほとんどだろう。

部屋に大量のグッズを並べて写真をアップしている人たちもよく見かける。表面だけを見て本質を見極められていない、薄っぺらファンばかりだ。

よく中国人転売ヤーについて文句を言っている人がいるが、日本人もたいがいだ。

代理購入したり転載禁止画像転載してアップしていたりする。やってることは転売ヤーと変わらないだろう。

モラルリテラシーのないファンの行動にもううんざりだ。本当にファンの質が急激に下がった。

から僕は、これからは遠くから見守ることにした。

嫌いになる前に、あのころの好きだった「ちいかわ」のままでいるために、僕はもうファン卒業する。

2024-06-14

ダンゴムシとか言うてるコメントあるけど

じゃあおまえんちの玄関の前にダンゴムシびっしり敷き詰めてええの?

https://anond.hatelabo.jp/20240613020450

2024-06-11

NPCのみなさーん、御機嫌如何?

君たちは僕の脳が生み出した「世界表現」にすぎないって自覚ちゃんと持ってる?

それならちゃん平和な世の中を実現してね

プレイヤーたる俺様に歯向かうのをいい加減やめてね

傲慢な態度をとったらおしりぺんぺんだから

美人女性社員圧迫面接されたい

言葉攻めされながら、おっぱいとかおしりで圧迫してほしい…😟

2024-06-10

今朝の電車は7時48分の当駅始発じゃないほうに乗ったためにそこそこの混雑度のなか心のメーターが50削られるくらいのストレスを抱え、またさらに後ろに立っていた女性背中とおしりが僕の背中とおしりに当たってしまうことに精神を擦り減らして、可能な限り身体をよじらせて当たらないように避けるのにたいへん苦労した。降りる際にチラッと後ろを振り向き確認茶髪ウェーブのおしゃれなお姉さんだった。

 

ロングスリーパー睡眠時間ほどの労働時間を強いられ駅に着いたのは21時45分ごろ、駅前キッチンオリジンの閉店までは15分あったが(営業時間を知らずに)店に入るともう店じまいだから帰れと言わんばかりの下校風メロディ空っぽになった台とショーケースだけしかない店内を見渡して気まずい心地のまま踵を返して仕方なしにファミリーマートサンドイッチを買った。

NPCのみなさーん、元気でやっているか

最近、君たちの態度が横柄になってきてるみたいだけど大丈夫

あんまり傲慢な態度を取り続けるとどうなるかわかってるよね?

早くベーシックインカム施行してね

そうしないとおしりぺんぺんだから

2024-06-09

anond:20240609113557

りりちゃんなんかは、男性向けコンテンツヒロインそのままの振る舞いやってお金をむしりとるテクニックを編み出したわけだし、詐欺とまではないかなくても、多かれ少なかれそれで男を利用してる女たくさんいるでしょ

男も、そういう女性向けコンテンツを参考にしたらいいのにね

今、何ができるか?

若い頃にはした金を貯めるな

お前は馬鹿

はした金をためやがって

この千ドルは今しかできないことのために費やすべきだ。

かになっているはずの将来の自分の為に若く貧乏な今の自分から金をむしりとっていた。

金や物のためにあなたが失っているもの

ライフエネルギー意識すれば、衝動的習慣的に行動せず、理性的判断やすくなる。

金のために人生犠牲にすべきではない

仕事物質奴隷になってはいけないと呼びかけている。

この本から学んだ最大のポイント経験価値を信じることだ。

節約ばかりしている。そのときしかできない経験をするチャンスを失う。その結果、世界必要以上に小さい場所に乗ってしま人生経験の合計だからだ。

死ぬまでに金を全て使い切りたいと思っている。ゼロ死ぬしかできない経験のために使える金を無駄に溜め込んでいる人である

私はこういう人たちに向けて。

今味わえるはずの喜びを極端に先送りすることに意味が無いと伝えたい。ポジティブ経験を最大化することだ。

人生最適化するための原則

ルールを紹介する

明確な将来の計画をお持ち、同時に今を楽しむことも忘れない。

実践しよう

人生で何を経験したいのか真剣に考えよう。

どれくらいの回数、それを味わいたいだろうか?

些細なものでも壮大なものでもいい無料でも高価でもチャリティーでも快楽主義的なものでも構わない。

とにかく有意義で思い出に残るものという観点から、一度きりの人生で本当に何がしたいのかを考えてみよう。

残念ながらこの度はもっと若い時にすべきだったそう結論を導きざるを得なかった。

人生の良い時期にヨーロッパ貧乏旅行ができたと思う。

かに返済が大変だった。あの旅で得た人生経験に比べれば安い。誰も僕から体験を奪えない彼に、どんな体験を積まれても、僕はあの旅の思い出を消そうと思わない

人生で一番大切な仕事は思い出作り。

なぜ経験が大切かを改めて理解してもらいたいあなたが誰であるかは毎日毎週、毎月毎年、さらには一生に一度の経験の合計によって決まる人生でしなければならない。

一番大切な仕事思い出作りです。最後に残るのは結局それだけなのだから

[]2012.12

https://anond.hatelabo.jp/20240609075954

https://web.archive.org/web/20170710063230/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201212

Piece9巻☆

2012.12.21 Friday20:34

発売中です~!!

9巻は、コウジと礼美、そして皓のお話になってます

どうぞ宜しくお願い致します。

そして、「Piece」は後一冊、全10巻予定です。

なんとかキリの良い10巻に収まりそうで、良かった!

これから私は、最終回プロットをやりますよー。

いやいやしかしその前に、9巻の続きが

2013年1月13日発売の「Betsucomi」2月号にて読めるので、

こちらもチェックしてみて下さいね

水帆と皓が、未だかつてないくらいずっと二人一緒にいます

成海家が、ちょっと大変な事になりますよ。

お楽しみに~!

1

お仕事---

ドラマ「Piece」☆放送日時

2012.12.21 Friday20:33

私もイマイチ良く分かってなくて、お伝え出来てませんでしたが。。

10月6日~日テレさんにて放送の、ドラマ「Piece」は、関東ローカルです。

☆10月6日(土) 深夜24:55~ 日本テレビ関東ローカル

☆10月10日(水) 深夜26:06~ FBS福岡放送

☆あと、読売テレビ放送決定です。

  放送日時・詳細は決まり次第、番組HPにて告知されるので、

  チェックしてみてくださいね

その他の地域でも、順次まり次第、こちらで報告致します。

お待ちくださいませ!

*あと、有料になりますが、、「日テレオンデマンド」にて

 ネット配信もやってますよ。詳しくはこちらも番組HPで。

ドラマ放映中は、この記事トップにあげておきますね~。

1

お仕事---

シュトーレン

2012.12.21 Friday20:31

うちは臨済宗なので、クリスマス関係ございません!!と言いつつ

クリスマス楽しいなあ~~。

スウィーツ(笑)バンザイ

講談社編集さんが、毎年シュトーレンを送ってくださるのですよ。

う、、嬉しい、、。嬉しくて震える。(西野カナ風味)

シニフィアン シニフィエ」のメープル味のシュトーレン

ナッツぎっしり、甘さ控えめで美味しい。

和三盆が使ってあるので、とっても上品な甘さ。

あとは毎年買ってる「パリ・セヴェイユ」のシュトーレンとヴェラヴェッカ。

私はドライ無花果が、ものすごい好きだ。

シャンパン5杯くらいいけそうな気がする。

妄想。たぶん死ぬ。)

うちの、ミニクリスマスツリー

anond:20240608044855

なんか自分の周りだけかもしれんが

感謝を強調し始めた人間確率自己開発系セミナースピリチュアル系に金むしり取られるようになってる

2024-06-08

anond:20240608093926

このような就職代行嫌いは低賃金ブラック企業勤務の上に洗脳された哀れな奴隷

だと思っていたけど

よく考えたらこういうタイプ奴隷の側なのに勘違いしてパワハラとかする面倒なタイプだったよな

と思っている

 

例えばこういうタイプ

社長従業員恫喝する文章正式に書くとするじゃん

その文章ほとんど社長が考えてんのにこういう奴が筆記者の筆頭になってんのw

 

それで裁判所にも提出されるし証拠にされる

いざ風向きが悪くなれば社長は「恫喝しりませーん、こいつが勝手に書きましたー」

つってクビになる側なのだ

 

哀れだろ

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


2024-06-07

anond:20240607124706

いい加減にしろ

お前はザボードビルデュオだのマロンクリームdqのグッズばっかりもってだり

おもちゃファーストママ

小僧寿しチェーンでドラえもんのグッズや映画館ミニドラをもらってたもんな

で、シルバニアファミリーのリス一家を見て

メイプルタウン物語アニメシルバニアファミリーと誤解するんだな

うちのタマしりませんかも好きだもんな

流行りにもっと乗れよ

2024-06-04

anond:20240604123950

お前マン「おではめくそはなぐそみみぐそしりぐそーんだれながすんぞー!ぶぶー!」

2024-06-02

はなまるおばけのぬいぐるみ(Sサイズ)、とてもいい

サイズが20cmくらいでちょうどいいし、ずっしりしてて安定感あるし、ある程度高さに差があっても目が合う顔つきしてるし、かわいい

デスクに置いてペアプログラミング相方になっている

2024-06-01

追記】元映画クラスタだがここ数年全く映画をみなくなっていたがそれでいいと思うようになった

数年前まではツイッター映画好き界隈(今はあまり言わないがクラスタと言われてたやつ)にかなり出入りして毎日映画感想議論をしてたのだが、俺の私生活の変化で映画を見る時間が出来なくなってガクっと映画を見る時間が減り、そのまま界隈に積極的に参加することもなくなり、暇な時間に界隈のTLを眺めるだけになっていった。

その結果どうなったかというと、「俺はなんてムダな時間を使っていたんだ」と思うようになった。映画クラスタなんてもう10年くらいやれポリコレだのやれ監督倫理観だの労働問題だの邦画カスだの代り映えのない話題をずっと繰り返している。それかバカしかいない。

その間俺は仕事もっと有意義時間を過ごし、そのうえで彼らがわざわざ映画越しに学んでいるらしい社会問題価値観アップデートちゃんとした本を読んで学んでいる。まるで「麻雀頭の体操になるんだよ」とのたまうジジイみたいにまるで映画を見るだけで自分が頭よくなってると思ってるバカ共をしり目に、俺は充実した生活を送っている。

映画なんて見なくても人生は充実するし教養は身につくし価値観アップデートできる。むしろお前たちのほうが退化している。映画なんて気が向いた時だけ見ろ!一回2000円かかる意味を考えろ!!!

追記

全く思いつきで書いた文章なのに反応が多く驚いている。真に感情を乗せた文章はどうあれ人に届くのか?

そして届いた膨大なブクマコメント言及を読ませてもらったが、申し訳ないが俺の意図を汲んだコメントはほぼ皆無だった(稀に意図理解したものはあった)。まあ悪文なのは自覚しているが、しかし目先のフレーズばかりに反応して単に自説を述べるきっかけにしたいだけの思考停止コメントばかりだ。これこそ俺が映画クラスタうんざりした要素そのものだったからある種の懐かしさすら感じたが、まだしかし要はインターネットに巣食うバカはどこも似たようなものなのだろう。

ともあれバズりはしたわけだが、しかTwitterでこのタイトル検索してもまだ言及してるアカウントは少ない。映画クラスタには全く届いていないのが現状だ。

願わくば、かつて在籍した映画クラスタアカウント群が俺のこの文章を見つけ、なにかしらリアクションをして欲しいね別に彼らを恨んでるとかではないが、彼らに俺のこの文章が届いて一瞬でも心が掻き乱され何かを言わずはいられくなったとしたら、これほど愉快なこともない。ぜひこれを読んだ人はTwitter(X)にて共有して欲しい。頼んだぞ。

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