はてなキーワード: 運休とは
17時現在になっても影響が残ってる。
これがわからん。
早い時は2時間くらいで「事故なんかありませんでしたがなにか?」
みたいにダイヤは完全に元通りになってる。
今日となにが違うんだ?
いつもなら適度に運休にしてしまって後の列車番号に振り替えて見た目のダイヤ回復を優先するのが
今日はそれをやってない、みたいな。
推理してみた。
23日は勤労感謝の日
中2日の平日、ダイヤ回復の天才スジ屋が休暇か組合活動で休んでたとか?
中央指令所は素人だけでてんやわんや、みたいの想像したら笑えた。
走り方がいつもと違って気合が入ってるように感じる。
昼前に新快速に乗っていたがGPSで速度を測ると130km/h、ちょい超え
規定通りではあるのだが嬉しくなる。
ここ普段はもうちょっと速度落としてなかったっけ、みたいな。うふふ
でも頑張ったところで前がつかえてるので駅の手前で徐行になっちゃう。
なんだか嬉しくなる。
今回の台風で便乗で知事が要請してないとか言ってて、なぜか静岡市長が有能とか言ってる奴がいるが、
平成26年台風第18号(静岡市内水没&東海道線10日運休)→要請なし
その他は県の検索結果でどうぞ
https://www.pref.shizuoka.jp/search/result.html?q=自衛隊派遣要請&sa=検索&cx=014900552401147414672%3Ah-z8mixgylc&ie=UTF-8&cof=FORID%3A9
それが政令市であっても。
ハコモノと自分の利権しか興味のない市長の方がもっとクソな事を知ってほしい。
大体被災地にヘルメット被ってない時点で災害に対する姿勢がアレすぎ。
(追記)
普通よりも多く夜行バスに乗った時期があり、増田を読んで覚えている内に当時の記憶を書きとめたくなった。
始めて夜行バスに乗ったのは中学生の頃、カードゲームの公式大会に出場するために友人2人と東京にいったのが最初だった。宿泊先はネットで知り合った同じプレイヤー宅で、親はよく許可したと思う。大会の結果は予選スイス抜けて決勝トーナメント即負け。宿泊させてくれた友人が優勝して祝勝会をした。夜行バスそのものの記憶はあまりなくて、初めて親元を離れて旅をして感じた非日常感を強く覚えている。
次に夜行バスに乗ったのは学部生の時、中学卒業以来あっていない女友達に会うために夜行バスに乗った。わざわざ夜行バスに乗ってまで会いに行く(来させる)という時点である程度答え合わせが済んでいる部分はあり、再開初日に交際に至り彼女の部屋に宿泊した。宿を取っていなかったので、答え合わせが勘違いだったら路頭に迷っていた。
そんなこともあり、その後修士を取って就職するまでの間、彼女に会うため毎月のように夜行バスにのった。元々乗り物で寝るのが苦手なこともあり8時間程度の道のりの内2〜3時間寝られれば良い方で、いつも窓側の席を希望して光が漏れないようカーテンに隠れてパズドラとTwitterで時間を潰した。通路側になってしまったときはひたすら時間が経つのを待っていた。
そんな夜行バスの車中は嫌いで仕方がなかったけど深夜のサービスエリアや早朝の駅前の空気は好きで、彼女に会えるワクワク感も含めて旅そのものは嫌いじゃなかった。特に早朝の海老名SAは最高で、規模の大きさと駐車場に並んだトラックとバス、そしてもうすぐ彼女に会える期待が胸を高まらせた。
乗客が季節によって移り変わったのも印象深い。連休前後は大学生のグループが目に付きやすいのに対して、通常のシーズンは出張のサラリーマンやインバウンド、アイドルやアーティストのライブ遠征組、そして遠距離恋愛をしていると思われる一人客が多かったように思う。
そのような事情で5年程度(修士の途中からは関東方面の出張があったりそこそこ給料が入って新幹線と半々位だったが)夜行バスのヘビーユーザーをしていたが、その間で最も大きく夜行バスを取り巻く景色が変わったのは2012年の関越自動車道高速バスの事故の後だったと思う。事故を起こしたハーヴェストライナーは比較的大手の会社であり本数が多く、値段も安かったことから頻繁に利用していた。GW前半に発生した事故でその直後に彼女に会いに行く予定であり、幸い運休とはならなかったが「絶対に寝ないでくださいね〜」と運転手を囃し立てる大学生グループを見るなど利用者への心理的な影響は大きかったように思える。実際にGWを過ぎるといつもは満員の座席に空席が目立ち、隣に乗客がおらず2席独占できたこともそこそこあったと記憶している。
またその後のガイドライン制定及び法改正によって運転手が2名体制になったり、乗り降りに必要な停留所やラウンジが整備されたりと利用者側にも見える形で変化があった(そのコスト反映なのか対応できない事業者が減ったからなのか、値段は多少上がった)。ただこのような対策があった上で、2016年のスキーバス転落事故が起こってしまったのは非常に残念に思う。
ここまでとりとめなく書いてきたが、彼女を絡めた記憶を書き留めておきたい。当時の僕は、毎月何時間もかけて会いに行くことが正しいのか疑問に思っていた。それでも交際を続ける努力をしたのが、愛なのかサンクコスト効果の結果なのかは未だにわからない。ただ夜行バスに乗り込むときの高揚感やGoogleマップをみて段々非日常に近づいていく感覚、そして復路の日常に戻る感覚は僕の人生を彩ったと思う。
お婆ちゃんとその娘らしき人から、タクシーを相乗りしないかと声をかけられた。目的地までの定期バス便が臨時運休になっていたので、目的地が同じなら相乗りのほうが安いという文脈。
思い出したのは、タクシーの割り勘で揉めたというネットで見かけた愚痴だ。二人組のグループと一人(愚痴を投稿した人)で相乗りしたところ、料金の半額分を請求された。頭数で割る(つまり、3分割する)と思っていたので揉めたという話だった
なので、割り勘をどのようにするのか聞いてみた。どっちみち、一円単位で割り勘を決めておかないと後々揉めるのが世の常だ。親子は、半分ずつで、といった。
グループ割の思考を持った人たちだった。めんどくさいので、すみません、細かいお金の持ち合わせがないので、と断った。なんか謎に、危機回避に成功した感じがすごかった。
数日前に発表されたJR西日本の不採算路線の収支報告書の公表問題についてなんだけど。
民営化されているJR西日本と、鉄道が持っている公共性の問題の議論を眺めていて思ったことがある。
「じゃあなんで分割民営化なんかしたんだ?」という疑問が出てきたので、分割民営化の経緯を色々調べている。
その中で出てきたのが1975年11月に行われた「スト権スト」という現象についてである。
すごいな、一週間に渡って新幹線も含めた全路線が運休になったらしい。
スト権ストによって国鉄・政府に圧力をかけた結果として、何が起こったか。
それは国鉄自体を政府から切り離す、要するに民営化によって解決したらしい。
結構な数だな
中国で新型コロナウイルスの新規感染者が10日、無症状の人を含めて1100人確認されました。
中国メディアは、1日の感染者が1000人を超えたのは、内陸部の湖北省武漢で感染が拡大したおととし2月以来だと伝えています。
中国の保健当局は新型コロナウイルスについて、10日、新たに1100人の感染が確認されたと明らかにしました。
このうち703人は無症状の人で、海外からの入国者は除外されているとしています。
中国メディアは1日の感染者が1000人を超えたのは内陸部の湖北省武漢で感染が拡大した、おととし2月以来だと伝えています。
感染が再び拡大していることを受け、東北部の吉林省長春では、地元当局がすべての市民およそ900万人を対象にPCR検査を行うほか、地下鉄やバスなどを運休させて外出を厳しく制限する措置を取ると発表しました。
また上海でも12日から当分の間、幼稚園が休園となるほか、小中学校はオンライン授業に切り替えるということです。
中国では、感染を徹底的に抑え込む「ゼロコロナ」政策が取られていますが、変異ウイルスのオミクロン株の感染が各地で確認され、対策が強化されています。
温泉に行きたくなった
だが有名どころではダメだ
ちょっと寂れているようなところがいい
九州でいうと別府湯布院黒川、このあたりは観光地然としすぎている
温泉に入った後「温泉以外なんにもないな、ここは」と思わずぼやいてしまうようなところがいい
例えば、小浜とか……
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ここから南下して大牟田へ向かう、およそ一時間電車に揺られることとなる
ホークスの二軍球場ってこっちに移転したんだっけ、だとかちょっと南下するだけで田んぼだらけになるな、だとか思いながら車窓をぼんやり眺める
福岡県の南端である大牟田駅に到着、ここからはバスに乗りフェリー港へ向かう
フェリーの乗客は自分の他に片手で数えられる程度の人数しかいない
博多通りもんの手土産を抱えて座る年配の夫婦、カメラを手に雲仙岳の遠景を撮影する青年、などなど……
少し海が荒れただけで運休となるこのフェリー路線を頼りにする人は少ないのかもしれない
フェリーも一時間かけて長崎側の港に到着する、なんとのんびりした旅路だろうか
さあ、島原だ
雲仙岳の威圧感が凄まじい、静岡山梨の人々も同じように富士山の圧に曝されながら過ごしているのだろうかなどと思いを馳せる
雲仙岳をバスで登れば雲仙地獄の温泉もある……だがそこは観光地だ!今は違う
そこで降りずにバスでこれまた1時間、雲仙岳の逆側(つまり西側)のふもとまでたどり着けばそこが小浜だ
しかし地元の方に失礼な物言いかもしれないが、観光するような場所はほとんどない
もう温泉に入るほかないのだ!
明日のチェックアウトまで、温泉に入る以外なにもすることがない
それこそがいいのだ
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例のアレの感染者数も少なくなってきたし、チャンスがあればまた温泉へ行きたい
小浜もいいが次はどこにするか
石井閘門 - 宮城県石巻市。北上川にある閘門。1880年(明治13年)に完成した、日本初の西洋式の本格的な閘門。現在日本国内で稼動する閘門の中では最古のものであり、国の重要文化財に指定されている。
脇谷閘門 - 宮城県石巻市。1931年12月竣工。北上川本川と旧北上川間の船の通行のために、脇谷洗堰に併設された。
見沼通船堀 - 埼玉県さいたま市。見沼代用水と芝川とを結ぶ閘門式運河である。昭和初期以降から使用されておらず、現在はさいたま市緑区にその復元された遺構が残る。1982年(昭和57年)、国の史跡に指定された。
荒川ロックゲート - 東京都江戸川区小松川。東京都を流れる荒川と旧中川を結ぶ。大震災時などの災害時に水上交通が有効であることから改めて水路が見直されることになり、2005年10月に供用開始された比較的新しい閘門。
扇橋閘門 - 東京都江東区猿江一丁目。1976年(昭和51年)完成。小名木川に設置されている。
中島閘門 - 富山県富山市。1934年(昭和9年)8月完成。富山駅北側付近から富山湾の河口まで南北に続く、富岩(ふがん)運河中流にあるパナマ運河式閘門。現在も運用されており、観光船が運行し往来できる(冬季運休)。国の重要文化財に指定されている。
牛島閘門 - 富山県富山市。中島閘門と同時着工し1934年(昭和9年)8月に同時完成。富岩運河最上流部(南端)の富岩運河環水公園(旧 船溜まり)内にあり、並行するいたち川とを結ぶ現在も運用可能なパナマ運河式閘門。国の登録有形文化財に登録されている。
松重閘門 - 愛知県名古屋市中川区。堀川と中川運河とを結んでいた。1968年に閉鎖され、現在は閘門としては使用されていない。名古屋市の有形文化財、1993年(平成5年)には名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されている。
船頭平閘門 - 愛知県愛西市立田町福原。木曽川と長良川の間をつなぐ。1899年(明治32年)に着工、1902年(明治35年)に完成した。1994年(平成6年)にはそれまでの手動から電動への近代化・改修工事が行われた。2000年(平成12年)5月には明治期に建設されて現在でも使用されている貴重な閘門であるということで重要文化財に指定された。冬季を除き、木曽川上流の葛木港より観光船が運航。一般には無料での往来解放がされている。
三栖閘門 - 京都府京都市伏見区。宇治川と濠川を結ぶ伏見港に1929年(昭和4年)に建設された。いまは遺構が三栖閘門資料館として開放されている。
毛馬閘門 -大阪府大阪市北区。淀川と旧淀川(大川)を隔てる閘門。明治40年(1907年)8月に完成した旧第一閘門は1976年(昭和51年)まで使用され、現在は重要文化財に指定されている。
尼崎閘門(尼ロック) - 兵庫県尼崎市西海岸町地先。日本初のパナマ運河式。物流機能としての運河を今なお支える船舶の重要な玄関口となっている。
下関漁港閘門 - 山口県下関市の本土と彦島を隔てる小門海峡(関門海峡小瀬戸)にあるパナマ運河式水門。1936年の設置以来、現在も稼動中。
三池港閘門 - 福岡県大牟田市。1908年(明治41年) 完成。2008年機械遺産に指定。2015年世界文化遺産に認定された明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業構成資産の1つ。
大学中退したけど年齢も年齢だしストレートなら就職する頃だからという理由で上京独り暮らしを始めたんだが独り暮らし1週間ほどで緊急事態宣言が出され 管理会社の都合で不利益な条件(契約後)を突きつけられたので即時解約して翌日引き払った
仕事があったらこんな強行手段には出られなかったので逆に仕事がなくてよかったと思う
そしてそれからは実家に戻り別の家を探そうとすると審査に落ちたりして未だに実家で暮らしている
幸い敷金礼金がなくて家賃後払いでキャリーバッグとリュックのみで出てきたので一円も払わずに退去出来たのだがホームレスになりかけたことは確かだ
近くの店でテントを買うところまでは来てた
当時は4月といってもまだ寒く コロナ禍で野宿は流石に厳しいと感じたのでギリギリ運行していた夜行バスに乗り込み事なきを得た
運転手の会話で「明日から運休か」と聞こえたときはほんとうに肝が冷えた
最近、人の死について考える機会が増えた。
心がざわめきたって、居ても立っても居られないので
吐き出すことにする。
ある日、都内へと向かっていた。
急に電車が駅間で、停車した。
すぐに発車するだろうと思っていたが、ちっとも動き出す気配がない。そのうちに、前を走る電車で人身事故が発生したと車内放送が入った。
どこかへ電話をかける人らで慌ただしくなり始めた。
他の路線にも影響が出ていて、遅延が発生しているようだった。
「あぁ、今日はついてない日だなぁ。」と思った。
月末で仕事が終わってない上に、予約していた予定もキャンセルするハメになってしまい、無駄足を踏んだと思った。
一番近くの駅へと到着した。
違う路線で帰宅しようか。と、駅の隅で突っ立って考えあぐねているところ、中年のサラリーマンの話が耳に入ってきた。
「そう、人身事故?ぁあ、最悪の日だよ-----タクシーも捕まらないわでーーーーー」
Twitter検索していると、''○○駅 飛び込み''の文字が目に入った。事故の一部始終の写真も上がっていたりした。心のどこかで、ああやっぱりかと思った。
私は、今日は一日ついていないなと思っていた。
さっきのサラリーマンは最悪の日だとも言っていた。
飛び込んだ人は、今日が人生のうちでもっとも最悪の日で、生きていく希望すら見出せず、自らの命に終止符を打つより他ならなかったのだろうか。
一人孤独に、苦しみ続けていたのだろうか。
覚悟を決めて飛び込んだのだろうか。
自らの死を選ぶことを美化するわけではないが、
私はあえて、その人が''どこか新世界へと旅立った''と思いたい。そうでも考えないと、きっと報われないようなきがして、あの人だけでなく自分自身すらも。
私にも家族にも、今のところ特に障害は無い30代ですが、車椅子の件を見ていてモヤったので吐き出しておく。
首都圏の人の多い駅で、電車が事故などで止まると、他社線での振替輸送の案内がある。
構内にアナウンスもガンガン流れるし、掲示板などで視覚的な案内も出るし、駅員さんに聞けば状況がすぐわかる。
振替輸送のときは、持ってる切符をそのまま使えて、追加でお金を出さなくても、当所の目的地まで行ける。
乗り換えの手間や時間は余計にかかるけど、復旧まで待つよりはマシなら利用させてもらう。
状況にもよるが、鉄道復旧までの間、その区間は代替でバスを運行しているケースをよく聞く。
鉄道側にトラブルがあっても、あの手この手で目的地まで運ぼうとしてくれる。とても有り難いことだと思う。
「JRで車椅子は乗車拒否」の元ブログの記事を読んで引っかかったのは、車椅子を持ち上げる手配をした「駅員D」が登場するまで、私のところには当たり前に伸びてくる、目的地まで運ぼうとする「あの手この手」が見当たらないことだ。
たとえば、私と隣の人が、どちらも東京から横浜までJR東海道線で移動しようとする時。
隣の人はJRから「東海道線止まってるんで一旦山手線で品川まで出て京急線に乗り換えて下さい、その切符で追加料金無しで行けます、ご迷惑をおかけいたします」みたいな対応されてるのに、私だけ「横浜行きは止まってます。外にタクシー乗り場ありますから自腹でどうぞ。あなたは乗せられないので。タクシー乗り場わからない?調べてください。タクシー拾えないかも?いやそこはご自身でどうぞ、こちらでは対応できないんで」って言われたら「は????なんで???(怒)」ってなる。
電車が止まってるのは仕方ない。JRが何もかも面倒みてくれるとは思っていない。でも、隣の人との対応の違いには怒るだろう。なんで私だけ、隣の人には求められないお金や労力を求められてしまうのだ。同じ電車を使って、同じ場所に行こうとしてるのに。
でも、私に「障害」があると、このJRの対応の違いが「正論」としてまかり通ってしまう上に、後でSNSに書こうものならあちこちから駅員の味方が出てきて、私がタコ殴りにされるのだ。
駅員C「来宮駅はお使いいただけませんので、熱海駅までで。その後はご自身でお考えになってください。」
私「どうやって?」
駅員C「タクシーなど」
ここのやり取りが特に、健常者を目的地まで運ぼうとする「あの手この手」感が全く感じられなくて震えた。
ああ、これが、差別か。
駅の設備(今回ならスロープやエレベーター)の不足で移動が制限されてしまう人がいる、ということは、残念ながらよくある。
制限される側から見たら、あっちこっちで災害による運休が発生しているようなものだろう。
しかもこの運休は、電光掲示板にも改札前のホワイトボードにも出ておらず、駅員に尋ねても15分待って「そこは運休です」しか情報が出ないレベルの、ステルス運休だ。ユーザー側で全部把握するのは無理ゲーだろうし、その無理ゲーをやる時間をもっと別のことに使いたいだろう。
JRの予算も無限ではないから、全駅にバリアフリー設備を導入するのは難しいかもしれない。
JRの都合で、一部のユーザーに対する運休区間を発生させているのだ。
バリアフリー対応をしたら運賃が上がる、という意見も見た。気持ちはわかる。JRはけっこう高い。
ということは、私が、あなたが、運休区間を発生させているのだ。
っていう意見を見た。
実際、熱海周辺はあの手この手でバリアフリーに取り組んでいるらしい。素晴らしいことだと思う。
なら駅員A〜Dは、なぜその提案をしなかったんだろうか。
もっと言うなら、もし、バスでバリアフリー対応をカバーしているつもりなら、なぜJRは「バリアフリー振替輸送システム」みたいなものを用意してないんだろうか。
「来宮駅は無人駅で、エレベーターなどの車椅子に対応できる設備もございません。申し訳ありません。代替手段として、熱海駅●●口からバリアフリーのバスが来宮駅前まで出ておりますので、そちらをご利用いただけませんか?来宮駅までの切符をお求めいただければ、そのままバリアフリーバスにご乗車いただけます。お連れ様もご一緒に。いかがでしょうか?」
健常者が大幅遅延や区間運休にぶち当たった時は、このくらいの対応をされている。と思うラインで、今回の伊是名さんへの対応を考えてみた。本来の到着時間には間に合わないが、今ある設備で対応でき、JR側の人員的にも無理が少なく、乗客に調査や予約の手間・過度な経済的負担を課さず、本来の目的地まで運ぶ提案。
これで丸く収まるかどうかはわからない。バスが本当にバリアフリーなのか、駅からバス停まで車椅子にとってどれくらい大変な移動なのか、バスの本数はどれくらいで来宮まで何分かかるのかも知らない。ただ、「隣の人と同じ程度の対応」として考えたら、これくらいになると思う。
箱に乗って柵のむこう側の景色を見ている、三人の人の絵を思い出す。
背が高い人、中くらいの人、低い人。
三人に同じ高さの箱を配ると、背が低い人は柵のむこうが見えない。これは悪しき平等だ。
それぞれに柵のむこうが見える高さの箱を配れば、三人とも景色が見える。
ところで、誰が柵を立てたのか。
現実には、箱を用意するコストがかかる。リソースは無限ではない。
ただ、柵を立てた者が、箱を用意するのが筋ではないか。と思う。
柵を金網に変えてしまえば、箱無しでも三人とも景色が見える。ユニバーサルデザインと呼ばれるものは、これだろう。
電車に限らずあちこちで、柵を金網に変えていければ、車椅子ユーザーにもベビーカーにも、順調に生きれば歳を取って足腰や認知が弱る私やあなたにも、同じ景色が見える世界になる。
頑張るなら、そういう方向で頑張りたいなと思う。