はてなキーワード: 生存者バイアスとは
生きる権利があるから生きてるってよりも、生きるのにも死ぬのにも権利がないから生きてるが正解ですね。
あなたの主張って今流行りのアレですか?「生殺与奪の権を他人に握らせるな」ってヤツですか?私は例のアニメは序盤の序盤までしか観てないのであまり言うことはないのですが、この言葉ってある日突然襲ってきた鬼に家族を殺され、ただ一人残された妹も鬼になってしまい途方にくれる主人公に、鬼殺しのプロが言い放ったセリフですよね確か。主人公も最初は暴走する妹を必死食い止め、それでも妹は大人しくならなかったから主人公もついに絶望して鬼殺しのプロに妹を殺してやってくれと泣く泣く懇願したときの返答ですよね。ひどい話ですよね、まあここで妹を退治してしまったらストーリーが成り立たないのは言わずもがなですが、鬼に家族を奪われ妹を必死に宥めていた主人公を弱者と切り捨て挙げ句の果てに妹を殺したかったら自分で殺せという傲慢さ、なんだかこのアニメが非オタク層に流行った理由が何となくわかった気がします。長くなってしまいましたが例のアニメ批判はあまり関係ないのでここまでにします。
日本人って本当に自己責任論大好きですよね。だって他人が失敗したときもそいつに自己責任だって言えば自分が非難されるのを簡単に免れますもんね。従来の連帯責任が非難されるようになってから自己責任へシフトしていったように思えます。でも本来自己責任って自分自身を律するための言葉だったろうに、いつしか「何も努力せず自身の不遇を他人や社会のせいにする怠け者」へのバッシングの代名詞となりましたよね。でもその「怠け者」って本当にただ面倒くさいから怠けてるだけなんでしょうか?努力しても無駄、成果を出しても認めてもらえない、そうした学習性無気力に陥ってる可能性とかは考えられないのでしょうか?
「自分の自信は自分で守れ」と仰ってますが私の自信が今までの半生の中でじわじわと他人に奪われていったことについては想像できませんか?私の自信を奪った者たちへの非難はされないんですか?自信を守り抜けなかった私が全て悪いんですか?いじめっ子じゃなくいじめられっ子の方が全部悪いんですか?
あなたのような意見を聞くとどうもこの世の全ての人間は自分の意思で生まれてきたと聞こえるんですよね。でも実際は違いますよね?両親が勝手に性交したから子供は生まれさせられるんですよね?生まれる前の子供達は空の上から親になる人間を決めている、なんていうスピリチュアル与太話がありますが、それがもし真実なら虐待親の元に生まれた子供達は皆んな虐待されることを望んで生まれてきたことになりますね。
生存者バイアスにも程がありますね。成功者から見れば負け犬は皆んな努力してなくて失敗を社会のせいにしてるように見えるらしい。貧乏家庭に生まれ進学出来なかった子供も、虐待で心身ともに傷ついたり亡くなった子供も、先天性の障害を抱えた子供も、全部責任は子供にあると成功者は言います。そうですよね、他人に責任を押し付けるのは楽ですもんね。クラスでいじめが起きても、隣の家で家庭内暴力が起こってても知らない素振りをしていれば罪に問われないですもんね。
何も知らないくせに自己責任論で相手を諭した気になって、励ます振りをするのって最高に気持ち良さそうですもんね。そうやってずっと説法オ〇ニーしといてください。
社会って別に職場とかだけじゃないんです。学校も家庭だって小さいけど立派な一つの社会なんです。そして社会を殺すのは馬鹿な政治家でもテロリストでもなく大衆の中の無能たちなんです。あなたの職場にも一向に仕事が出来ない奴とか、学生時代体育の授業でチームの足を引っ張った運動音痴がいましたよね?こういう奴ら皆いなくなればいいって思ったこと絶対一回はありますよね?極論私が今存在せずこんな増田を書かなければ、あなたのその文章を打った貴重な時間を奪うこともなかったんです。生きるに値しない命は確かに存在するんです。いなければいい人間は存在するんです。ゴミはゴミ箱へ、ゴミ人間は処分場へ。現に死刑制度は今日の日本に存在し、生きてはいけない人間は次々定められています。法で裁けない罪という言葉があるように、悪と言っても色んな種類があるのです。そして自分が害悪だと自覚して死を選ぶこと、何がいけないのでしょうか?確かに今現在自死を選ぶと、発見者のトラウマ、電車を止めた賠償金、病院側の手間など結局社会に迷惑をかける羽目になってしまうのです。あなたも無能の飛び降り自殺に巻き込まれたくないですよね?急いでるのに電車が止まったらイライラしますよね?
別に誰かに認められたいから死にたい訳ではありません。タイムスリップして自分が生まれること自体無かったことにしたいです。むしろそれが一番理想です。私が元増田で「消えたい」という言葉を使ったのはそういう意味です。私の命には何の使い道もありません。成長性もありません。むしろ死んで血と肉と骨の塊になった方がよっぽど使えます。実際私の臓器提供意思表示カードには全ての項目に丸をつけてます。
過大評価され過ぎじゃね?という文章に要出典されてしまってるが、自分も気持ちは分からんでもない
レオナルドがなにか画期的なものを発明したか、社会に役立てたか、というと微妙な評価になってしまう気がする
というか、レオナルドと名前だけにするとカメの方が頭に浮かぶのは何故なのか?
解剖の絵は宗教的にも公開できなかったのではないだろうか
他にも、レオナルド本人が自分でやっておきながら、その真価が分かってなかったことが多々あったのではないだろうか
そう考えると天才の定義が揺らぐというか、敢えて、天才とは〜である、と定義するのもおかしい気がする
仕事でもなんでもいいけど、おめーすげーな、マジ天才、みたいな定義で十分なのではないか
天才を定義すると、その天才の定義に自分を当てはめようとする輩が集うだけで、それはそれで優れているのだろうけど、
それがそんなに天才なのか、とやはり疑問に思ってしまうことに変わりなさそうである
日本とブラジルでテレビ電話地面に埋めるとか誰でも考えてやりそうなネタだし
それを成功させるために必要なのはブラジルへ行く旅費というより、若さとか所属とか宣伝の方が大事な気がする
天才も生存者バイアスであって、多分だけど恵まれない環境とか所属にしかありつけない天才は意外と多いと思うんだけどね
それが評価される環境にいるだけマシというか、自分語りできるだけ恵まれているような気がするけど
できる人なんだろうなというのは認めるけど
あと、MENSAとか知能テストみたいなのって繰り返しやって高得点狙うようなものなのかな
ネットでそういうのにのめり込んでる人たちがいるけど、繰り返して傾向と対策を練って高得点狙うのだと、
天才というより世渡り上手でアピール上手が生き残るのは天才なんだろうか
優れているのは確かなんだろうけど、自己アピールが上手いのはgiftedなんだろうか
知らんけど
でも自分の周囲で天才枠?に含まれる人で女性に対する承認欲求が強すぎる人とかはいるかもなあ
しかし、女性に対して自家製のスカーフをプレゼントしてその女性が着用している写真を自分語りに掲載する勇気は流石の自分にもないのである
そうで〜〜〜す私はラッキーでした〜〜〜
「大学に行くなんてお家に余裕があるんだね」
「うちは家の手伝いしなきゃいけないから勉強に専念できて羨ましい」
そう言われて、まあそうだよな…て罪悪感と後ろめたさを感じながら育って、
田舎の公立の小中高卒業して東京の国立大に進学してみたら同級生だいたい予備校とか通ってたんか〜〜い海外経験とかあるんか〜〜い中高一貫私立とか出てるんか〜〜い
うちの実家の太さがタコ糸レベルだとしたら工事用トラロープレベルから綱引きの綱レベルまでいるやん
稀にしつけ糸レベルの実家からのし上がった凄い人もいるけど、それ以外の殆どの人はだいたいみんな刺繍糸とかタコ糸とか麻紐とかパラコードみたいな範囲の中で実家が太いとか細いとか言ってるんでしょ?アホくさいよ
それも生存者バイアスじゃん(バイアステープの話ではない) タコ糸から他の運に恵まれて出世街道にうまく乗った人は「実家がしつけ糸じゃなくて助かった」ってなるし、パラコードの家に生まれても何かしらの原因で脱落した人は「もしうちの実家がヨットロープだったら」ってなるわけでしょ アホくさ
そりゃ実家がしつけ糸だったら努力することすらできないのは知ってるよ…
友達にも親戚にも何人もいるもの 中卒で働いて親の借金返してる人とか 中高生の頃から兄姉の子供の世話してて自分の時間が取れない人とか
でも実家が太い細い言ってる人ってだいたいそのレベルの話はしてないじゃん アホくさ
昨日は思いついたままに書き散らしたけどじわじわ見られてるようなので伝わりづらかった部分補足する
主に言いたいのは
てこと
糸の話続けるけど、
例えば
がいたとして、
綱層のAさんから見たら、細い糸層はしつけ糸も刺繍糸もタコ糸もぜんぶ「ほっそい手芸用糸」みたいな解像度で、逆に太い綱層は「トラロープはまあそこそこ苦労してるだろうな、注連縄なら安泰だろうな」みたいな認識かもしれないし、
逆に糸層のBさんから見たらタコ糸もトラロープも注連縄もぜんぶ「太い糸」で、逆に細い糸層については「うちはしつけ糸だから何もできないけど、せめて刺繍糸くらいあれば専門学校に通えたのに」みたいな認識だったりする人もそこそこいるんじゃないの
具体例として自分の話するけど、
これ、どっちもすべて真実だけど(仕送りもらって足りない分は奨学金受けてバイトしてたのは事実なので)、前者からはたぶん細い糸層に、後者からは太い綱層に見られてると思うんだよ 周りからの扱いを見てもね
なんか自分の経験からだけど、こういうこと考えるとぜってぇみんな同じもの見てないだろ、「わかってる」って言ってるヤツも解像度低い自分の理解でわかってる気になってるヤツぜったいいるだろと思っちゃうんだよね 自分も含めてね
蛇足だけど、ちょっと前に話題になってた北海道から都会に出て学歴格差を訴える増田、あれにも「増田は苦労して頑張ったね」みたいなブコメいっぱいついてたけど、
きっとあの元増田も地元の同級生や親戚には「親に支援されて大学なんて進学してお金があってよかったですね」みたいに見られてると思うんだよね 想像だけど
>要するにジジババはリアル異性コンプレックスが酷くね?って話。
ただ、これには一種の生存者バイアスもあって、まともな人間は何十年もネットの鉄火場にしがみついたりせず、ずっと居残るのは異常者という現実がある
社会人になってもいいことはないぞ。
正確には仕事をする身になるといいことはないぞ。
少なくとも「今は楽しくないけど社会人になればお金も入るし自然と楽しくなるはずだからとりあえず社会人になる」という大学生は、大学生のうちに死んでおいた方がいいぞ。
そのような人であれば社会人になっても楽しくない日々が続き、楽しくない仕事をしながら楽しくない私生活を送ることになるぞ。
だから私のように死を選ぶことになるぞ。
大学生の時と同じように楽しくない日々が続くぞ。
楽しい面白い業界からはことごとく切られたから、楽しい仕事なんて私の手には届かないぞ。
「ダメだったなら転職すればいいんだよ」という甘言には騙されるな。
ダメだから転職する、という精神状態のときには大抵もう転職活動できるほどの力は残っていないからだ。
大学生のうちに死んでおくべきだったと考えた。
社会人になれば何とかなるという生存者バイアス発言にさらされて流されかけている大学生やその他学生は、今のうちに死んでおくのが自らの幸せのためだぞ。
それではお先に。さようなら。
特に人間の心理的に気になるのが妥当な場面なのに、なんかの精神論を一辺倒で信じ込んでそういうアドバイスする人はそもそも人間に対して理解してない。
機械に「壊れなきゃいいじゃん」って言うようなもので、そもそも非現実的なことしか言えてないことに気づいてない。おまけにおそらく生存者バイアスかかってる。
そもそも気にしてんだから、気になる性格なんだよその人は。だから「気にしなけりゃいい」なんて効かないんだよ。というか大抵の人間は気になるもんは気になるんだよ。その物理的な事実をスルーする人はちょっとやめてほしい。
令和時代からは人間のこと理解する人の割合が増えることを願う。
こういう無理解な人間が上司になると面倒なんだよ。人間心理の精神的な負担というコストを全スルーしたプロジェクトマネジメントをしようとして結局人間心理に反してるから失敗して、でも頭悪いから「さらに人間力を鍛える」とか「コミュニケーションを!」とかやめようとしない。アホかよ
摂取カロリー減らして筋トレすれば痩せる、以上の情報が無い。ダイエットについて語るのをやめてくれ。
そもそも前提が間違っている。
ダイエットしたい、と思う一般の人間にとっても最も重要なのが、ダイエットを続けるモチベーションであり、そのモチベーションの維持の方法であり、生活習慣にどうやってダイエットを取り入れ、最終的にダイエットを意識しないで生活することだ。
しかし筋トレ系Youtuberはそもそも筋肉をつけるのがモチベーションであり、生活習慣なのだ。
噛み合うはずがない。
よしんば一時期感化されて筋肉鍛え始めても、普通に仕事をしながらでは限界がある。多くはプロテインやサプリ、ジムに無駄に金を落とすだけで終わる。
そんなことをさせるのはもうやめろ。
そもそも、筋トレ系のYoutuberのダイエットに関する知識は古い。
知識が古いことについて非難するつもりはないが、古い知識でもって「こうするだけでいい、簡単だよ」というのはちょっとそれはどうなんだ、と言わざるを得ない。
腸内細菌叢やら食物繊維やらの話がまず出てこないし、ボディビルダー以外が分枝鎖アミノ酸(BCAA)を大量に摂取すると脂肪になるだけ、などの話もしない。ミトコンドリアの話などもない。一日に人体が生み出す脂肪の量はせいぜい100g、などの話も当然でてこない。基礎代謝なんてほぼ上がらないのに、なぜ筋肉がダイエットに有利なのか、理論を語れる人もいない。
別に筋トレ系Youtuberがダメと言ってるわけではない。知識不足だ!とか言うつもりもない。ただ彼らの住む世界が特殊なのを自覚しろ、と言っているだけだ。
そして特殊な世界の常識と一般の世界の常識の差を認識して話をしろ、と思うだけなのだ。
彼らのダイエット論は経験則で生存者バイアスだ。そこをきちんと認識しなければならない。
ダイエット(減量して適正体重に落としたい)という話と、通常の生活で得られる筋肉の限界を超えることを目標とする筋トレ系では話が大きく異なる。
理論が重なる部分はもちろんある。しかし、一部が重なるからと言って一般人に筋トレ系Youtuberの経験則を適用していいのか、という話だ。
動画を見て一時的にモチベーションが上がることはあるだろう。しかしそれを長年の生活習慣として維持できるか?
例えばなかやまきんにくん。俺は彼が大好きだが、彼の生活習慣ははっきり言って異次元のものだ。彼の食生活はストイックそのもの。眺める分にはスゲー!で終わるが、じゃあそれと同じことを彼と同じ期間続けられるのか?それを人に勧められるのか?我が子に勧められるのか?と自問すれば、断じて否だ。
それとプロテインな。
飲みやすいプロテインはそもそも人工甘味料が大量に入っているし、一回に30gもたんぱく質を摂取することが肝臓や腸内細菌叢にどれほどダメージを与えるかという話だ。
ボディビルダーなら別にいいだろう。しかし一般人はそうはいかない。プロテインを飲むなら30gを一日3回に分けて飲むくらいでないと、肝臓の処理能力を超える。
それに加えて酒を飲んだりしたらもうアウトだ。肝臓の処理能力をあっさり超える。さらに炭水化物、脂質が押し寄せる。するとどうなるか?脂肪になるわけだ。
ボディビルダーは、「すぐれた内臓を持つ者」「内臓エリート」であるという前提をまず自覚していない。
ボディビルダーは筋肉以前に、腸と肝臓の能力に優れた才能を持つ人間だということを理解しなければならない。彼らはそこが見えていない。
上手く筋肉が付かずに脱落していった人を見れていない。そこは最低限押さえておくべきだ。自分は運よくそういう体に生まれついたのだということを。
筋トレ系Youtuberが「これをすればいい」と言うとき、それは「(俺の才能と仕事と生活習慣であれば)これをすればいい」というだけの話で、一般人に参考になることは特にない。
近年、「そろそろカロリーで測るのはやめにしないか。本当の問題が見えなくなるから」という話が出ているが、いまだにカロリーで語っている。別にそれはまぁそれでいいかもしれないが、ダイエットの話をするのならそこに触れておくのがベターだろう。(カロリーに代わる統一的な指標がない、というのがカロリー神話が生き残る理由だ)
カロリーはBMIと同じくらいの大雑把さだ。カロリーに踊らされた結果、ゼロカロリーや無脂肪が蔓延ってしまった。カロリーを基準に物を考えるのはそろそろ時代遅れになりつつある。
まぁそういうわけで、筋トレ系Youtuberの話をうのみにしないほうがいい、という話だ。
彼らには彼らの生活があり、経験則がある。「なるほど、彼らはそうなんだな」と認識するくらいに留めておかないと、無駄にお金を使って挫折感を得るという結果になる。
特にハードなトレーニングもしていない(時間的にも才能的にもできない)、筋肉量もそんなにない人がBCAAとか大量に買ってるのとか見ると、本当にもうそれはやめて、と思うからね…。
日本のITのあらゆる雇用慣行では、入り口で失敗すると、犯罪レベルの方法でも取らない限りはほぼ一生這い上がれない
新卒でまともな会社につけない場合は、その後適切なITエンジニアとしての経験やキャリアも得られず、低収入のままで人生詰むことになる
かつてのIT業界は一度日本全体でみて1世代分の労働力を使い捨てたわけで、とんでもなく非常に大きなロスとなった。
20年前の氷河期世代と、そこに突っ込んだIT分野の爆発的な進化の始まった時代が重なった過去の事例を見れば明らかで
現在の日本のソフトウエア開発のレベルの低さを知らない増田はいないだろう。強烈な生存者バイアスがかかってしまったせいで20年前に、大半の人材を使い捨てるだけで、育ててこなかったために、
適切な経験を積んだ人材が全く足りていないのが原因の一つなんだよ。
ましてやその当時以上に生存者バイアスが強烈にかかった人間がかなり多い今のIT業界では、周り回ってクビ絞めていることにさえ気が付いていない
ライブラリや流行りの言語や技術のベースなんて、それこそ10年前と変わらないのに、10年前できて年収1本でテック系の雑誌に時の人で乗るレベルのエッジのきいたエンジニアになれたのが
今やそれができても年収300万円という時代だ、つまり本来であれば言い値で金を取れるほど希少価値のあるエンジニアに慣れている人間たちが、3倍以上の技術の安売りをしていることになる。
これと同じ波がもう一度来るのだから、おそらく価格破壊進み過ぎて業界が成り立たなくなるレベルになるだろう、アメリカ資本で仕事探すしかないが、このはてなでさえアメリカいってITエンジニアとして通じる人間が何人いるというのか
何らかのイデオロギー闘争に身を投じる人は、自分自身の問題を世界の問題として錯覚したがっている。
だから陰謀論者は騙されているというより、だまされにいっている。
もっともこうした人は世の中に対して深い悲しみや憤懣やるかたない思いを抱いてることが多く、それを許容しない世界の構造に問題がまったくないとは思えない。そもそもまずもって今ある世界のほうが正しく、個人の思いが間違っているから人生がうまく行かないのだ、という言説そのものが生存者バイアスに基づく暴力でしかない。個人が完全に間違っているケースもあろうが、陰謀論にはそうした人々の世界に対する恨みをガス抜きする受け皿としての役割があり、それが反社会的行為に駆り立てる原動力となっている。彼らがテロリズムを起こしてイスラム国でも建国しようという気概があるならまだ概念としてマシだが(あくまで今の社会を最大最高と評価しない場合)、ピザ屋を襲撃する程度のテロに留まっているのは全くエネルギーの無駄という他ない。
ちなみに下の方のトラバには右翼の陰謀論者が多いと述べている人がいるが、ある意味当然だ。本質的には低学歴や高学歴の問題ではなく、社会的に不当な立場に押し込められた人や、社会をコントロールする側にない人たちが多いからだ。彼らは上記の理由によって人生に風穴を開けたいと思いこんでいる。平たく言うと奇跡を望んでいる。だから時としてこうした人達は災害を望んだりする。そこから人生が逆転するかも知れないという思いがあるからだ。
陰謀論にハマる人たちは、特に騙されやすいわけではない。カタストロフィー的な薄暗い希望を持つために、自ら騙されているのだ。