過大評価され過ぎじゃね?という文章に要出典されてしまってるが、自分も気持ちは分からんでもない
レオナルドがなにか画期的なものを発明したか、社会に役立てたか、というと微妙な評価になってしまう気がする
というか、レオナルドと名前だけにするとカメの方が頭に浮かぶのは何故なのか?
解剖の絵は宗教的にも公開できなかったのではないだろうか
他にも、レオナルド本人が自分でやっておきながら、その真価が分かってなかったことが多々あったのではないだろうか
そう考えると天才の定義が揺らぐというか、敢えて、天才とは〜である、と定義するのもおかしい気がする
仕事でもなんでもいいけど、おめーすげーな、マジ天才、みたいな定義で十分なのではないか
天才を定義すると、その天才の定義に自分を当てはめようとする輩が集うだけで、それはそれで優れているのだろうけど、
それがそんなに天才なのか、とやはり疑問に思ってしまうことに変わりなさそうである