はてなキーワード: 情状酌量とは
反応あれば適宜追記。
療育手帳を持たない中度・軽度の知的障害者は、健常者に比べて犯罪加害者となりやすい。
・にも関わらず、新受刑者のうち、IQ70未満の知的障害者が占める割合は22.8%
・新受刑者のうち、IQ70未満の知的障害者が占める割合を22.8%とした場合、11.5倍受刑者になりやすい
・30%として16.7倍
・その大半が療育手帳を持たない、軽度・中度の知的障害者である
→療育手帳を持たない知的障害者の犯罪率は、健常者よりもかなり高いのではないか??
知的障害者は説明が苦手
→ 情状酌量を得られない
ことが原因
知的障害者は「健常者が執行猶予を得られるような微罪での実刑が多い」ならば、
「健常者でも執行猶予の付かないような殺人等の重犯罪の割合」は、「健常者よりも低くなる」はずである。
・しかし、知的障害者の犯したその内訳をみると重犯罪の占める割合は健常者よりも高い。
・強制わいせつ・強姦(含む致死傷)の割合は、健常者の1.8倍。
仮に
と考えたとしても、
・依然、新規受刑者の19.5%をIQ70未満の知的障害者が占める
・知的障害者は再犯率が高く、資料によっては、前受刑者の5割近くが知的障害という記述も有り
・男性でいうと、小・中卒の入所率(219.0)は,大卒(6.9)の31.8倍
療育手帳を持たない中度・軽度の知的障害者は、健常者に比べて犯罪加害者となりやすい。
・大半が療育手帳を所有しておらず、本来受けるべき福祉の支援の手からこぼれ落ちている
・療育手帳を所有しており、福祉に捕捉されている知的障害者の犯罪率は低い
平成24年の刑法犯の検挙件数は、約28万人(除く、自動車過失運転致死等)
平成24年の推定「知的障害者」数は、約320万人(1億2751万*2.5)
新受刑者に占める「知的障害者」の割合と、検挙者に占める知的障害者の割合が同一水準と考えるならば、
毎年約50人に1人程度の割合で、「知的障害者」が刑法犯として検挙されていることになる。(28*0.228/320)
・療育手帳を所有し、福祉の庇護下にある知的障害者の犯罪率は、健常者と比べて高いわけではない
→刑務所内において、受刑者の療育手帳の取得と施設への入居や、支援者との接続を後押しすべきではないか
・支援者の手が足りない、予算が足りない、周辺住民の無理解等が今後の課題
・累犯障害者が必ずしも従順ではなく、むしろ「可愛げがなく、面倒くさく、社会的な能力に欠け、反社会的」であることがままあるため、継続的な支援を行うことが難しい
・毎月数千円程度、自動引き落とし
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AF%E7%8A%AF%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85
法務省:研究部報告52「知的障害を有する犯罪者の実態と処遇」
http://www.moj.go.jp/content/000121755.pdf
障害福祉情報システム「 平成20年度厚生労働科学研究 障害保健福祉総合研究成果発表会報告書」
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/kousei/crime/index.html
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/59/nfm/mokuji.html
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_kousei.html
http://tmaita77.blogspot.jp/2012/02/blog-post_29.html
・健常者と知的障害者の間における犯罪の認知-検挙件数における差異
『必ずしも従順ではなく~』については、山本譲司「累犯障害者」、鈴木大介「最貧困女子」「家のない少年たち」の記述より。
当該記述については、おそらく定量的なデータに基づいたものではなく著者の主観と思われるが、実態と乖離はしていないと思われる。
今更だが釣りにしてもデモデモダッテが酷いのでコメントしてみる。
湿布を貼っていたら夫に「どうしたんそれ」と聞かれたので、当時の様子を全部話しました。豹変したところも全部。そしたら夫はやっぱり全く覚えてませんでした(泣笑)
嘘ですね。蒸し返されると自分の身が危ないと思って覚えていないふりをしているだけです。
なんかこの一連のエピソードだけだと夫が酒乱のように見えてしまいますが、実際は違います。
どんなに泥酔しようが他人に暴行を始める時点で立派に酒乱です。情状酌量の余地はありません。
それに、酔って人に手を上げる人間は、酔わなくともいつか手をあげます。人に手を上げてはいけないという大前提が心身に刻み込まれていないからです。
生活は比較的安定していて、ごくまれに心を乱される出来事がある、そういう場合、その生活を捨ててまで逃げたいと思うだろうか?
逆に聞きましょう。ごくまれでも心を乱すような要素を持った不良品と添い遂げるつもりですか?
あなたは現状を無理矢理納得して飲み下して生活しようとしています。
それは許されることではありません。
徹底的に戦いましょう。
句読点使おうよ。
自殺する人は殺人犯と言い出してるのだから主語の対象は自殺志願者にしかあてはまらないメッセージは大勢に向けてるから!では反論になっていないまとはずれもいいとこ
うーんと。自殺の否定ではあるから必然的に自殺者と志願者否定になるのは認めるけど、本当に志願者にだけ向けたメッセージじゃないんだってば。
というかこれそんなに志願者に刺さるメッセージになっちゃってんのかよ。
ロックの所有権辺りから学ぼうな、近代の全否定だから。事実?おまえの脳内ではそうなんだろう。だからおまえの自殺した遺族だけ殺人犯だな。
そこでロックを引いてくるあたり、お前の方がお勉強が必要なんじゃないの?w
あの人「自殺の禁止」で有名じゃん。神のつくりたもうた被造物の皆々様におかれましては神の意図の限り存続し続けるのがスジであって自殺とかありえんって言ってるよ。
ロックの主張を採るんなら、自殺志願者は俺の言う「殺人犯予備軍」に加えて神にも逆らう大罪人にしかなれないぜ。
自ら主語の対象としている人へ憎しみを持ってるからだねと指摘されたらおまえはその対象に当てはまるに違いない!とはさすが自殺遺族常に被害者気分で自殺したザコな身内へのいらだちをヤツあたりでぶつけるのが上手いなぁ
だってあまりにも反論が感情的なんだもの。そりゃ当事者気分なのかって疑っちゃうよ。ひたすら叩くだけって、俺より感情的じゃん。
ロジカルに反論してごらんよ。
事情がどうこう持ち出してそれを否定してるんだけどおれは一ミリも事情がどうこう言ってない否定の主要原因とかどこをどう読んでんだかな他人の話を聞かないで済まされるのが自殺遺族なの
お前が根拠もなく一人で必死に自殺は殺人じゃないと言ってるだけだよーw
これも意味不明。どうしてそこで「すべての犯罪者」が出てくるねん。
自殺は殺人だけど殺人は別にそのすべてが自殺ってわけじゃないんだから、普通に刑事罰受けるっしょ。
自殺それ自体の抑止効果はないけど、自殺が逃げ道として正当化されるっていう考え方は潰してみせただろ?
その「正当化される」っていう部分を逃げ道にして頑張ってる人間は、行く手を塞がれちゃったよね。
書き換えても意図は変わらないからかまわないと言ってるだけだ。
これ自殺遺族によくあるんだよな笑バカなこと言ってるから叩かれてるんだけど、こう言えば常に同情されるから笑トラバでは同情はないとか強調してるけど自殺遺族ブロガー見ても同情されまくりじゃん笑むしろid出して自殺遺族は批判できない、なぜなら同情されるべきで何をしても叩いてはいけない存在だから
そんなことはないさ。
「バカなこと言ってるから叩かれてる」なら、お前はどうして一番最初の記事にトラバしなかったんだい?
本当にバカな主張だと思うなら、自殺遺族だということとは一切関係なく、あの記事に反論できたはずだし、今からでもできるんだぜ。
それをしないというのは、お前が「自殺遺族だから」俺を叩きたいと思っているということの何よりの証拠だ。
お前は最初から俺の主張の正当性なんて考える気はないし考えられるだけの頭もないのさ。ただ自殺遺族をdisりたいだけでな。
現にお前の記事には「自殺遺族はこれだからクソだ」以外の内容は全くないもんな。反論ぶってるつもりだけどお勉強が足りてなくて的外れだし(笑)
法治国家だから個人の決定権すなわち個人の自由は大きく制限されるんだよ。アホか。悪いこと言わないからちゃんと大学の講義に出席しろ。一般教養でいいから。
殺人犯の遺族がバカって言われてたら、巷でバカって言われた人は殺人犯の遺族と同じに扱われた!って叫ぶのか?笑お前のアホな理屈を適用するなら殺人犯の家族は「被害者ぶるな」とは叩かれないんだから殺人犯の遺族と同じではないねその、とか出てくると文脈読めなくなる知能笑
意味不明。「殺人犯の遺族」ってなんだよ。殺人被害者の遺族なのか加害者犯人の家族なのかはっきりしろ。
俺は「秋葉原事件の家族は殺人犯の家族のくせに被害者ぶるなと言われている」と言ったんだぜ。
元のお前の発言
これはむしろお前の発言だ。
殺人加害者一族への叩きと同じような叩き方をされているのは自殺が殺人だから!←叩き方が同じでも自殺と殺人加害者の一族への文脈はまるで異なる、しかも異ならなかったとしても自殺関係者への対応の問題であって自殺=殺人にはつながらないてんで論理的でない単なる結論ありきのバカバカしいこじつけ
だから、「文脈がまるで異なる」ってのが具体的にどう異なるかってのを示さなきゃダメなんだよお前は。
現在のところ叩きに使ってるフレーズまで一致してるわけだから、ひっくり返すのはちょっと難しそうだけど。
そして、文脈が異ならなかったとすると、「自殺≠殺人であるにも関わらず、自殺関係者は殺人と同じ文脈で対応される」という余計にどうかと思われる状態になってしまう上に、それがお前の主張ってことになってるんだけどそれでいいのね??
もうちょっと推敲しようよ。ところどころ何言ってるんだかよくわからないところがあるよ。
逃げ道を塞がれた〜←これ見ても分かる通り。被害者意識を関係のない自殺志願者(に見える人、そうだと思い込んで決めつけた人)に向けているだけ。逃げ道を塞いでもいないのがまたウケる。殺人と同じ!これでみんなやめる!ふーんへー
あのね、それって話が逆だからね。
君が、君のために書かれたわけでは決してない話について、その語り手が自殺遺族だからという理由で、一人で勝手に「自殺志願者に恨みを向けている!」と逆上しちゃってるだけですよ。
自殺についてあれこれ言う話である以上、自殺志願者に全く関係のないものだとは言えないけれど、この一連の記事が自殺志願者にだけ向けられたものだと思うこと自体、自意識過剰だよ。何がそこまで琴線に触れたんだかよくわからないけど。
まあ正直書いた動機に恨みや軽蔑の類が全くないかと言われるとそうも言い切れないことではあるけども、なぜ恨みや軽蔑が生じるかって言えば「自殺とは自分の生命を賭けて自分の生きる世界を積極的に否定する行為」「犯人=被害者のちょっと特殊な殺人」という事実があるが故だからねえ。
殺人に恨みや軽蔑や憎悪や二度と起こってほしくないという感情を抱くのは一般に正常なことだと言えると思うがね。
ところで、仮に自意識過剰でも何でもなく「逃げ道を塞いでもいない」なら、つまるところ自殺志願者にとっても関係のない話であるはずなのに、何でそんなに逆上するのかが不思議だよ。要するに図星な部分があるからなんじゃないのォ~?w
それとも自殺志願者一人一人に斟酌すべき事情があるのに十把一絡げに殺人呼ばわりされているのが気に入らないとかなのかな。
しかし、他殺でいうなら情状酌量による減刑はあっても「酌量の結果無罪!」とはならないのと一緒で、事情を勘案したことで「自殺とは自分の生命を賭けて自分の生きる世界を積極的に否定する行為」「犯人=被害者のちょっと特殊な殺人」ではないという話にはならないんではないのかね。「それは自殺じゃなくて病死/(社会的)殺人の被害だ」という話にはなるかもしれないけどさ。
あるいはもっとシンプルで、「犯罪者予備軍」じゃなくて「被害者予備軍」なのに何で叩かれなきゃならないんだコノヤローとか思ってるのかな?
自殺という行為一つだけをとるなら、明らかに被害者である前に加害者の予備軍だ。自殺という加害があって初めて被害者としての自殺者が発生するからだ。
あと他人を殺す奴と一緒で、何言ったってやる奴はやるからな。抑止効果が期待できるとは思っていない。
犯人と被害者が一致している←その理屈だと被害者じゃなくて被害者遺族だろwww俺の指摘する被害者ぶりっこと同一にすんなよな理屈自体。法的にもおかしい個人の決定権同一性無視してる。自分が被害者遺族にしておけば誰かに同情してもらえるからな
じゃあ「被害者遺族」と書き換えてもらってもかまわないよ。大きな差があるようには思えないし。
個人の決定権は時と場合で大きく制限されるのは当たり前だ。自殺に罰則がないのは自己決定権に基づいた自由な行為の範疇に入るためそもそも罪ではないのだという考え方のほかに、罪は罪だが罰を科しても誰も得しないから罰さないのだという考え方もある。
現に自殺は罰則こそないが個人の自由に基づいて行使できる正当な権利として公的に認められては決してない。例えば快適な自殺のための設備というものはないし、ターミナルケアや尊厳死には必ず適用のためのガイドラインが設けられていて「死にたいから」だけでは実施してもらえないようになっている。
同情なんてしてもらえないさ。現にここまでのトラバで同情的な内容なんて一言もないだろう?
当たり前だ。同情じゃなくて主張に対する意見がもらえるように書いたんだからな。
いやー匿名環境で書いたのはやっぱり正解だったわー、身内に自殺者がいるというレッテルだけでこんな気炎挙げて絡まれちゃ実名にせよidにせよ特定可能な環境下じゃとても書けねえwおっかなすぎるww
叩きは〜←殺人犯の家族への叩きなんて俺の叩きの文脈と全く違うそもそも被害者ぶるなとは叩かれないだろwwwつまりおまえのアホな理屈を適用するならそのように叩かれてないから殺人じゃないな。
殺人を犯した家族と同様に扱われたとしても自殺=殺人にはならない
その被害者意識をばらまくのいい加減やめてくれな、
文脈がどう違うのか全く分からないんだが。被害者ぶるなとも叩かれてるじゃないか。秋葉の事件の家族に向けられてるセリフなんかが検索でヒットするよ。
あと残りの部分は何を言ってるんだかよくわからない。
「そのように叩かれてないから殺人じゃない。殺人を犯した家族と同様に扱われたとしても自殺=殺人にはならない」のくだりが特に意味不明だ。
「殺人にはならない行為のおかげで殺人を犯した家族と同様に扱われる」ってどういう理不尽やねんって感じだけど。それこそ自殺者遺族は「自殺」の被害者になっちまうんじゃね?
最近、釣り判定の本が発刊されたせいか、ここでも釣り判定をする人がまたちらほらと増えはじめた気がする。
タイトルが全てなのだが、もう一度言うと、釣りを指摘したコメントをしてブクマやツイートでシェアする行為は、感動を理由にデマを拡散する行為よりもリテラシーが低い。
「よりも」は言い過ぎかもしれないが、少なくとも同等かそれ以上に。
理由は簡単で、釣り指摘シェアは単に「釣りを見抜く自分」をみんなに見て欲しい行為だからだ。
感動シェアにも多分に「感動している自分」を見て欲しいという潜在意識もあるだろうが、彼らは一応、良い話を皆にも読ませたいという彼らなりの善意に基づいてシェアしていると考えられる分、釣り指摘シェアよりは情状酌量の余地がある。
ただ指摘したいだけならば、トラックバックなりコメント欄なりで済むものを、わざわざブクマやツイートで、顕名で拡散するのだからそれは示威行動に他ならない。
念を押すが、釣り師にとっては反応こそ喜びであって、反応は魚だろうが長靴だろうが問題ないのだ。
もし仮に、上の文章を読んで「釣り指摘にはデマをなくしたいという意図があるじゃないか」と思われるのならば、是非、今後はその意図に基づいてスルーすることをオススメする。
好きの反対は無関心とはよく言うが、釣られの反対も同じで、決して釣り指摘ではない。釣り師は、釣り指摘よりもなによりも「無反応」を恐れているのだから。
452 :彼氏いない歴774年:2013/10/11(金) 22:28:17.78 ID:jiVPBxw7
■ この事件を男女逆に置きかえてみると・・・・
体を捧げ、愛し合う
ある日突然、三鷹のお坊ちゃんから「飽きた」と一方的に捨てられる
女が 「捨てないで」 とすがってもシカト、逆にストーカーとして警察に通報される
「おまえフィリピンの雑種じゃん、俺は白人ハーフが好みなんだよねw」
「ま、住む世界が違うってことで」
「俺と結婚できるはずねーだろ、身の程をしれよww」
と侮辱される
加害者が男だと、ストーカー、異常者と、男側の事情は一切無視されて絶対悪にされ
加害者が女だと、「純愛」 と美談にされ、情状酌量されまくって精神鑑定もついて執行猶予か無罪
こんなところでしょ
俺の場合は基本的に1人なら、どの仕事でも部下の仕事なら俺が代わりに入れるから問題ない。つかそのために上司である俺が居る。
そうじゃない人間なら何がしかのバックアップ体制をとらないのは、それはそれでもんだい。事故だって怪我だってあるんだから。
プログラマー仕事だから属人的なのはしかたがないけど、事故が起きない前提で物事設計してるのはそれはそれでおかしいだろ。
個人情報流出でよくきいたらセキュリティー引いてないとかと同じで、事故が起きてから事故について考えるのは基本的にはダメ。
しかたがない、情状酌量というのはあってしかるべきだけど。それで当たり前ではない。
いや、いた。だな。もう嫌になったから部下は持たない。すまん。
…まあ、消しゴムくらいとなあなあで済ませることも多いよね。
これ、咎めるよね?怒るよね?駄目だよ、って諭すよね?
要するに、ルール内でダメなものはダメ、だと教える。後は、殺人と同様、情状酌量で怒るだけ、で済ましてるだけ。
咎めるのは「アタリマエ」
反論は?
例えば、老夫婦がお互いの介護疲れで片方が片方を殺してしまいました。
これは誰が得するんでしょうか?
特をするとすれば、「ルールを破るという前例を作ることにより、法の力を下げることを避ける」だよね?
それは全てのことに言えるので、従ってルールがある以上、罰を与える側に得があろうがなかろうが罰を与えるのが「アタリマエ」なのは全くもって間違ってないんだが。
えーなになに?そんな方へ話をずらして行って逃げるの?
そんなこと言ったらあんたの言ってる発言穴ありすぎだよぉ
でもそれなら、まず自分がしっかりしないとね☆
存在するよ。法治国家はそれが「アタリマエ」だよ!それが法治国家の基本だよ!
ん?運用する側も「ルール」を守るためだけに適用することもあるよね☆死刑とかだってやりたくなくてもやるよね!ルールはルールできっちり守るよね!
それすら、「ルールを守らないと自分が危うくなるから」って話になると、もう何がルールなんだかわからなくなるよね!
そしてその多くは争おうとする側に益があるときにそのルールが持ち出されるのであって、ルールに反したから即断罪、という形では世の中は動いていない。
ルールに反してるのが明らかになってる場合は断罪するよ!面倒だってのは、それを証明したりすることでしょ?断罪することそのものが面倒なんじゃないよ!
すぐに罰せれるなら罰するよ!そうしないとルール守らないあなたみたいな、咎められなければ何やってもいいんだ、っておばかちゃんが沢山でてきちゃようよ!
例えば、情状酌量とか、そういうのはある意味できちんとしたルールだよね?面倒だから見逃す、ってのもその範囲でのローカルルールだよね?
全てルールに従ってるよ!そこからうまく外れてやってる人は、うまーくルール違反をしてなかったり、見えづらくしたりしてるだけだよ!おばかちゃんはルール違反するとすぐ捕まっちゃいそうだから辞めたほうが良いよ!
おばーかちゃんがんばって!!
カツヲを何度も殺しかけたりイジメ抜いたりで村八分してたのは間違いない。
村に来るまでは温厚な人だったそうだし、人間をここまで変えられるのは田舎の人間だけだ。
都会にもあるだろう?
同和地区っていうのが、被差別部落と同じ意味として見ても良いと思う。
かくいう俺も同和地区に引っ越した時新地区出身てことで学校じゃ集団無視されて、
それを教師に言うとお前が悪いと怒られたもんだ。
そこは『日本の行ってはいけない場所』で有名な大阪の長居公園近くだ。
あそこは当時オウムの管轄だったし危ない所だと知ったのは卒業後だった。
話を戻すが、山口のアレももしかしたらカルト宗教が入ってたんじゃないか?
そしてカツヲはそいつらの洗脳に付いて行けなくて関わるのをやめて自治会も辞めた。
そのツケが後にお前の貰った退職金払えというジャイアニズムと従わないなら草刈り機燃やすし
お前も殺しても良いんだぜと包丁(ナタ)でグサリ。
そして、悲劇は起きた。
殺された奴には悪いけど、こういう事情があって、しかも殺されなかった連中はこの事実を隠蔽さえしようとしてたし、
カツヲが見つかった時には「なぜ生きて捕まえた」と発言するなど村全体が異常なのは間違いない。
だから殺されなければならなかったのかもしれない。
窮鼠猫を噛むの故事と同じで、人間追い詰められたら何をするか分からないし、
ここまで村全体でたった一人の住人を追い詰める異常な環境を見ると
同情するし死刑は免れないだろうけど、情状酌量の余地は十分にある。
それにしても泣けてくるのは、その前にカツヲが警察に相談していたにも関わらず警察が何ら対策を講じなかったことだろう。
父親が死んで身寄りのなくなったカツヲに残されたのは知人から譲り受けた犬二匹だけだったし、
被害者は殺されるだけの十分な理由があるし、警察は頼りにならない。
となれば、カツヲが殺すのはもはや時間の問題だったと思う。
惨殺される位だからよほど恨みがなければ起こらない。
殺した上で放火したのは、多分草刈り機を燃やされた事、あの張り紙の真意と村人への殺意を明らかにするには
これ以上明白な証拠はないと言える。
やはり被害者は殺されるべきだったと言わざるを得ない。
殺す道理は確かにあった。俺が同じ立場でもやったと思う。それだけこの村八分は異常だということ。
事実だったらね。
横だけど
ネット上の発言は設定で不特定多数に公開している場合、それは公衆に向けて情報発信していることであり、発信した情報(発言)に対して責任が生まれる。 内心の自由などで保護されない。プライバーしとして保護されない。
という意味では? つまり自ら公衆への発信を選択しておいて、これは私信です。と言うのは通らない。私信ならばメールなり、メッセージなり秘匿される手段を使うべきであるし、設定を公開にした段階で不特定多数に公開・発信することに了承しているとみなされるということだとおもうけど?
必ずしも、公開していることを認識していると言うことではない、ということで情状酌量等々はあるだろうけど、ここで言いたいのは、公開されているということを認識しなさいという意味以上ではないと思う。だからといって、炎上させてもいいとか、そういう議論はまた別の話だとおもう。
しかし、そもそも人一人の生命を危険に晒し、また異常にもその生命を断ち、その人が歩んできた人生を冷酷かつ残忍に否定した殺人犯に対して
人を殺した人間の精神状態は確かに異常だが、殺してから、マスコミに過熱に報道されてから、ようやく神経衰弱に陥る犯人は至って正常だ。
犯した後、精神疾患を患うのは普通のことであり、これを左翼は勘違いしている。
まだある。
というのも、殺人を犯した人間が罪を償って100%更生できる人間はそのうち数人もいない。必ず社会的制裁を受け、心身共に衰弱して再犯を重ねかねないからだ。
また、数年ないし数十年後に釈放して果して完全に更生できるのか、100人の殺人犯のうち時間が解決するのは何人なのか?という当然の疑問について
左翼は全く反論できないでいる。
たとえば、オウム真理教の一連の事件に伴う坂本弁護士一家殺害事件では、当時死刑廃止を唱える急先鋒だった自由法曹団が、一時的とはいえ死刑賛成に回った事は見逃せない。
左翼が唱える殺人犯への情状酌量は結局他人事であるからそのように考えてしまうのかもしれない。
ということは、死刑廃止論者というのは、常に自分の事にしか関心を持たず他人に対して無関心、ということだ。
すなわち、殺人犯人を死刑にしない事は彼らの、自己を誇るステータスないしポテンシャルの一つ、実績を作るための手段にすぎないのだ。
たとえば、コーヒーが好きな人はブランドコーヒーを買い漁るが、ただ単にステータスが欲しい人はスターバックスを利用するものの、コーヒー自体には無関心だ。
そこを利用する事に価値を見出すのだ。
同様に左翼は、殺人犯を死刑にしないことが彼らのステータスになる。
殺人の物的証拠もあり、100%確実の真犯人に対して死刑を求刑する人に抗議を行う左翼は、自己愛に塗れているということだ。
情状酌量をするのに感情論を押し出すのは、理屈では通用しない事を知っており、彼らは専門性では死刑を回避できないからと、
第三者の感受性に訴えるのだ。
そうすれば、確実とまではいかないまでも、殺人犯人を死刑にする事を防げる可能性は残るし、自身の求める理想に近付けるのだ。
その意味において、左翼は殺人犯以上に冷酷かつ残忍であり、目的のためであれば遺族が悲しもうが被害者が浮かばれなかろうが関係ない。
ただ、己の美徳のために行動するという、正に精神疾患を患った人間だということだ。
こういう相手に理屈は通じない。
黙って刑を執行するのみだ。
悪意を持って意図的にということなのでは?
情状酌量の余地が無いということ。
どのような段階で「悪意を持って意図的に」と言えるのか?
情状酌量で軽くなったり、悪質なら重くなったりするよ。
でもじゃあ2割増しにしよう、とかその程度の範囲で充分なわけでさ。
いや、だからさ。
それって結局裁判員の裁量なわけでしょ?実際のところは判例重視であって裁量なんてほぼ建前にすぎないとしてもさ。
だったら、酌むかどうかは別として論拠を立てて主張すること自体は自由でしょうがよ。
裁くのが自分の感情や感覚な人は、そもそも議論の余地がないんですよ。
それと同様に違う感覚で量刑の妥当性を主張する人がいるでしょ?
そうなったら、そこに話し合いの余地なんかないんだよ。
「これこれこういう犯人の行為は極めて悪質で人間性を欠いたもので、被害者の心情は計り知れないものがある。犯人の行為は被害者の尊厳を踏みにじり心身を深く深く傷つけるものであり、厳罰に処されるべきである。よって量刑は上限の30年」と主張した場合に、話し合いの余地が全くない程にズレたこと言ってると言えるか?
話し合いの余地がないっていうのはツッコミどころが全然ないってことだろ。
そこまで無欠じゃありませんよこんなアホみたいな主張は。崩しようはいくらもあるでしょ。
流石に量刑が過剰ではないか、と同席した誰もが思うかも知れない。
そしてそう思った奴はそう主張するつもりなら、過剰だと思ったその感覚に根拠をつけて論理立てて説明する責任が生じる。それだけのことでしょ。
それに筋が通っていたら、例えば過去に同様のことを行った例があってその時は求刑の二割増で落ちがついたという話が論拠として出てきたら、こっちはその「二割増」をひっくり返すかそれともそれで手打ちにするかを考えなくてはならない。俺なら流石にたぶん手打ちにする。よっぽどの相違がなければ何だかんだで判例主義強いしひっくり返せないだろう。あー裁判員制度ってうぜえなわざわざ参加する意味あんのかなーとか思うだろうが。
或いは、犯人の行為は残酷だが「人間性を欠いて」まではいないとか、犯行時確かに被害者の尊厳を傷つけたがその回復に努めたと解釈できるような証拠があるとかね。それが本当に保身でなく被害者を慮り自己の行為を悔いていると言い切れる行動なら、30年は行き過ぎだから20年にしようみたいな落としどころを持ち出すことは可能なはずだ。
逆に、過去にはこれに匹敵するような…なんだろう、侮辱?を伴う傷害・強姦例がないというなら、つまり例えば「論拠は特にないけど流石に多過ぎだろ」みたいな空気で相場を決めようという話に落ち込みそうなら、俺は俺の判断であくまで俺の説にこだわるだろう。
裁判に限らず、落としどころを見つけるのなんて基本はそういった擦り合わせの繰り返しでしょ。
どうせ最後は多数決だ、俺が一人で何を喚こうとそれが「不当」なら通らないさ。
主観が要らないんだったらそもそも裁判に人間とか要らないでしょ。
全犯罪をデータベース化して特徴のタグでもつけて検索して自動的に量刑が算出されるようにすれば済むじゃん。
それはそうかもしれない。でもいいじゃん。
裁判員制度の紹介サイトに書いてあったよ、「自分の感覚を前提にしてどのような刑にすべきかという意見を積極的に述べていただきたい」って。
いや、だからね。
情状酌量で軽くなったり、悪質なら重くなったりするよ。
でもじゃあ2割増しにしよう、とかその程度の範囲で充分なわけでさ。
つまりね。
裁くのが自分の感情や感覚な人は、そもそも議論の余地がないんですよ。
それと同様に違う感覚で量刑の妥当性を主張する人がいるでしょ?
そうなったら、そこに話し合いの余地なんかないんだよ。
「懲役20年くらった人」の「20年で妥当な罪」の具体的な中身が設定されてないと「20年で妥当」かどうかの判定が俺にはできない。
つまりさ、裁くのは俺の感情だ、ってことになると思うんだ、その回答だと。
厳密に哲学的に考えると罪と罰の対応が妥当かどうかなんて答えられない無理ゲーなのは承知で聞いているんだけど、
現代社会では一応、それは現代の価値観において対応しているものと考えざるを得ないと思うんだ。
もちろん罪だけじゃなくて、罪と、更生の余地と、情状酌量で左右されるけども。
罪と罰が現在の価値観においてだいたい一致していてその範囲で量刑を決めるのが妥当だ、というのが大前提で、
直近の類似の事件での量刑の相場によって相対的に個別の罰が決まるというのはとても大事なことだと思うんだ。
その相場を無視して「俺がむかついたから」って理由で相場から大きく外れることはあってはならないと俺は思う。
だから、
「懲役20年くらった人」の「20年で妥当な罪」の具体的な中身が設定されてないと「20年で妥当」かどうかの判定が俺にはできない。
という答えは、日本の司法制度はとてもやばい状態だ、って話と同義だと思うんだ。
だからまあ、「この罪を犯した人が20年でいいか?」は悩むけど、逆に一度量刑が決まれば「20年食らった人は20年で妥当な罪をしている」はずなんだよね。
というか、そうでなきゃまずいわけ。
懲役20年くらった人は、他の懲役20年食らった人と比べて、だいたい同程度の罪を犯しているはずなんだ。
それはなんていうかな、今の日本をどう見ているのか? って話じゃないかな。
増田が間違っているとは言わないよ。
というか、なる刑法がない。
人の命を奪った、というのは、人をグチャグチャに傷つけた、ことよりも重い罪と日本では考えているから、そんな法律なんでしょうね。
だから実際、罪にそういう序列がある。
強姦や性犯罪を除いて、それ以外の量刑相場を見たときに、強姦をどこに当てはめるのが妥当か、と言えば
殺人が絡む罪と同等のところに入れるべきでない、というのは、俺からしたら無理のない発想なわけ。
だから、それなりの位置でいいんじゃね? と思う。
しかしだな。
最後に問題がある。
人を殺すことと、うまい棒万引きすることと、不倫することと、強姦すること。
罪の重さに差なんてあるのだろうか?
これは考えるほどにわからない。