はてなキーワード: 存在自体とは
若手なので1つの仕事部屋を同じ職位の人間と2人で使っている。相部屋状態だ。
自分で選んだのではなく上に割り当てられた部屋と相部屋相手である。
相部屋相手をAさんとする。
Aさんはおしゃべりが好きらしい。
初対面の時はすごく明るい人だなと思った。
話しかけるとこちらの話を無視して独自の何かをしゃべってきて止まらない。
同僚とは仲良くしたいと考えていたが,Aさんに付き合っているとこちらの仕事が進まないので話すのをやめた。
同じ仕事部屋内に人が複数人所属している場合はおしゃべり好きはおしゃべり好き同士で連むので,彼らはおしゃべり好きではない人間に過度に話しかけてこない。
そうなると彼らに苦手意識を抱かなくて済むので人間関係は良好なままだ。
良好な人間関係は複数の人間の選択肢から生まれるのだと思った。
Aさんはアッパー系コミュ障ぶりはあまり周囲の他の人に伝わらない。
廊下ですれ違う際に挨拶をするだけならきっととても印象はいいんだろう。
Aさんについて他の同僚から「Aさんいつも笑顔でいいよね!」と言われて呆然としてしまった。
Aさんはたまに部屋に知り合いを連れてくる。
事前にこちらに報告やお伺いはない。
部屋にはいろいろなものを置いているので知らない人にはなるべく入ってほしくないのだが。
目が見えていないのかな?と思う。
Aさん的に知り合いが来ることを断れないのかもしれないが,挨拶を促すことはできるのではないかと思う。
彼らは部屋でおしゃべりをしている。
こちらは集中したいのにお構いなしだ。
Aさんになぜイラつくのかと考えた結果,こちらが想定するコミュニケーションを取れていないからではないかと思った。
相手の話を聞いて適切に会話すること。
自分の話を話しすぎないこと。
自分以外の人間がいる部屋に第三者を入れる前に許可をとり報告すること。
・・・アッパー系コミュ障とうまくコミュニケーションできないこちらのコミュ力の問題とも言えるかもしれないが。
Aさんとコミュニケーションをとらなくても仕事は進んでしまう。
よく職場の人間関係に苦手な人がいる,という悩みに業務として淡々と接しましょう的な回答がある。
「なんでそんなにキモい顔なんだよ、存在自体が不愉快だから視界に入ってくんな消えろよ」
「うっわー、お前の触れたもんとか絶対触りたくねぇ、キモいのが伝染るわ」
ぼくは容姿がこの上なく醜く歪んでいる。それこそぼく自身ですら認めるほどにだ。
ぼくの人生の中でぼく以上に醜い容姿をした人は一切の誇張なく一人も見たことがない。これからも見ることはないだろう。
冒頭に書いたような言葉を投げかけられなかったことは小学生の頃から中学時代、高校時代、社会人になってから今に至るまでと人生の場面において一度もない。
ぼくと10人が接すれば2人はいじめて7人は顔をしかめ引き攣らせたりあからさまに距離を置いて1人は庇ってくれる…といったところだ。
これでも頭では理解は出来るのだ。ヒトは社会的動物である以上、劣った遺伝子を集団を乱すものとして排除したい本能がある。
ヒトという種から見れば、劣った遺伝子のシグナルである醜い容姿を持つぼくは白血球に攻撃されるウイルスのようなものなんだろう。
けれど、あからさまに仲間外れにされたり殴られ蹴られ水を頭からかけられ暴言を吐かれといったことが年単位で、それもどんな集団に所属していようとほぼ必ず虐げられるといったことが続けば、心がズタズタに切り裂かれていくのだ。
どんなに勉強や仕事を頑張ろうとしても、度重なるいじめの記憶がフラッシュバックして何も手につかずうまくいかずの負のループ。
美容にお金と時間をかけても、元の遺伝子が悪すぎるからどうにもならないという現実を突きつけられるのみだった。
包み隠さず言えば、自分の存在自体もさることながら、生まれてきたこの世を心から呪った。一度に限らず、幾度となく何年にもわたって。
生まれてこなければよかった、存在自体を消してしまいたいと思った、だが実行する勇気すらもない。
被害者だけでなく加害者にもなった。いじめから庇ってくれ、人間は容姿だけじゃないよと優しい言葉をかけてくれた人にすら「お前に俺の苦しみの何が分かるんだ!!」と暴言を吐くような有様だった。
今思えば加害者に反撃する勇気もないから庇ってくれた人に八つ当たりしていたということだ。こんな人格ではいじめを受けた原因も容姿だけとは言い切れないかもしれない。
呪って呪って呪って呪い疲れて、ようやく受け入れた。
受け入れた後で、ぼくの心の中にほんのわずかに残ったものがあったことを思い出した。まるで災厄が飛び出していった後のパンドラの箱の中にたった一つ残った希望のように。
それは両親がくれた愛情だった。
どんなにぼくが失敗して迷惑をかけても「大丈夫、あなたは生まれてきてくれただけで親孝行なのよ。」と言ってくれた母。
子供の頃に小遣いを貯めてプレゼントしたマグカップをずっと大事にしてくれ、何度も野球観戦に連れて行ってくれて、「お前がどうなろうと俺達はお前の味方だ。」と言ってくれた父。
曇った目では見えなかっただけで、ぼくの心の中には生まれた時から二人が注ぎ続けてくれた無償の愛が確かにあったのだ。
ぼくが不幸だったのは容姿が醜いからというより、自分にないものに執着して不平不満ばかりに目を向け、あるものにはまるで目を向けようとしなかったから。自己憐憫ばかりに浸って本当に温かく手を差し伸べてくれる人の存在を無視し拒絶したからだ。
実際、容姿の醜さは何も変わっていないのにこうして自分の中にあるものに目を向け、生き方を変えようと決意しただけでこれだけ前向きになっている。
人間が生きる期間は80年程度、独身男性に至っては60代中盤程度らしいので、ぼくに残された期間は40年もないといったところか。
でもどちらにせよ宇宙全体の歴史からすれば誤差のようなもの、生きた期間の長さよりも何をどれだけ残すかの方が重要だ。
今後の人生の目標は、いじめから庇ってくれた一人一人に深く謝罪し感謝の言葉を述べること、両親がくれたこの無償の愛を出来る限り多くの人に渡すことだ。
最近読んだ本に「あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、『他者に貢献するのだ』という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。」という言葉があった。
その通り、世の中には心無い暴言を吐く人がいるかもしれないが、ぼくは他者に温かい言葉をかけるようにしよう。
暴力をふるう人がいるかもしれないが、ぼくは他者に温かく手を差し伸べるようにしよう。
容姿が醜いということで差別を受けるかもしれないが、ぼくはどんな人にも無条件に心からの信頼を寄せよう。
弱っている人を馬鹿にし更に搾取しようとする人もいるかもしれないが、ぼくは真っ先に駆け付けて自分の出来る限りの助力をしよう。
受けた痛みの分だけ、他者に共感し寄り添えるようになった。いじめを受けた経験も必要なことだった。そう言えるようにしよう。
もう世の中を散々呪うだけ呪った。これ以上世の中に呪いは残さない。
そう遠くない内に迎えるであろう最期の時は、両親から貰った愛情や思いやりを何十倍にも増やしてこの世への置き土産にした上で、笑いながら旅立っていくつもりだ。
文春からの続報が続く中、「事実無根」と断定した吉本、そして、「特に性行為を目的として飲み会をセッティングした事実は一切ありません」としたホリプロについて、改めて詳細に具体的にどのような事実を争い、どのような根拠をもって発表をしたのか、再度見解を出すべきであると考えている。
現状、松本、小沢側の事実関係に関する明確な発言は松本の「事実無根」というもののみであり、告発された女性についてのみならず、そもそもホテルの部屋を利用した小規模な飲み会の場に初対面の女性が招待されるというような事実があったかどうかさえ明示はされていない。当然、その飲み会において性的な行為があったのかどうかについても言及はなく、争点が、性的行為に関する同意の有無なのか、それ以前の性的行為の存在自体や飲み会の存在自体なのかすら、不明確である。
但し、松本がLINEスクショの件で反応を示したことや、吉本従業員のものとされる発言等で、主な争点は同意の有無であるかのような憶測がひろまっている。その憶測は、少なくとも松本小沢側で最も踏み込んだ正式な発言である「特に性行為を目的として飲み会をセッティングした事実は一切ありません」というホリプロの発表とも整合している(性行為を目的とした飲み会のセッティングではなかったが、ホテルの部屋を利用した初対面女性との飲み会において性的行為が行われるということが別々の女性を相手に複数回あったことは認める、という読み方になる。)。
他方、現状では文春(被害者女性側)からの一方的な情報が出続ける中で、少なくとも女性側が性的行為を断りづらい状況を作り出し、女性の同意に経緯を払わず、セックスの相手としか見ていないような飲み会が複数回開かれたのではないかというところはかなり固まって来ていて、それに反する証拠どころか具体的な主張すらも松本小沢側からは一切出ていない状態である。この状況は、松本小沢両氏や、吉本及びホリプロにとっても極めて良くない状態ではないだろうか。現状の極めて限定された「同意」の有無がこのまま争点となるのだとすれば、いずれ名誉棄損の裁判等で勝ったとしても、強引な手段でも「同意」さえあればいいという危険な綱渡りの中でたまたま違法性が認められなかったのに過ぎず、本来性的行為の相手方に払うべき人としての尊重に欠けていた(仮に女性が心の中では「不同意」であったとしてもそこに敬意を払っていなかった)、という点については何らの反論もできていない状態になっていると言えるためである。
このような「性的同意」への軽視というスタンスは、当時の価値観であっても問題があったと私は思うが、仮に当時は問題とまでは言えなかったとしても、現代において維持できる価値観ではない。そして、そのように扱われた女性にとって、今と昔とで傷つき方に違いが生じるわけでもない。つまり、強引な同意を迫られたと捉えられかねない状況さえあるのであれば(それは、初対面女性をホテルに呼びつけてお忍び飲み会をしている時点でほぼ満たされているだろう)違法性や個別の事例で真摯な同意があったのかどうかはともかくとして、行き違いの中で傷つくことは十分にあり得るもので、そのことについてまずは謝罪するということが最低限必要になるだろう。
もちろん、松本や小沢の所属事務所が所属タレントを守る=自社の事業を守る立場として、不同意(あるいは強制)による性的行為がなかったことを第一に主張することは理解ができる面が全くないとは言わない。しかしながら、根拠を全く示さず、告発側への一切の理解も示さず全否定のみをした吉本やホリプロのスタンスは、同意さえあれば多少強引だろうと問題がないでしょう、という見え方をしている状態になっている。それどころか、法的措置にまで言及していた以上、女性側の証言を「真っ赤なウソ」、つまり、当時は同意があったのに同意がなかったという嘘をついていると自社のタレントの言うことのみを鵜吞みにして言っているのではないかと見られてもおかしくない状況である。これが、令和における大企業のスタンスとして受け入れられることはないだろう。少なくとも、初対面の女性をいきなりホテルに呼び出すような飲み会において、性行為を断りづらいと感じさせるような状況がなかったのかということを詳細に聞き取ったうえで、「と所属タレントからは聞いている」と留保を付けていうべきことであり、告発という、事実であれば大変な勇気を必要とする行動をとった被害女性に対して、万が一にもセカンドレイプとなってしまうことがないよう、万全の注意を払うべきであったものと考える。
なお、そもそもだまし討ち的なホテルでの飲み会への誘い方自体が存在しない等、本当にたまたま飲み会の中で盛り上がった中でしか性的行為は発生しなかったという争点の形成もあり得ないではないし、(かなり無理があるが)そもそも性的行為はなかったということもあるかもしれない。吉本やホリプロがそこまでの反応をするくらい、松本小沢側にとっては告発が真っ赤なウソであると言い切れる確かな証拠があるのかもしれない。しかし、そうであれば早期にその旨を発表すればよく、結果として看板タレントの休業などという大損害に繋がることはなかっただろう。
このように考えていくと、現状を放置することは、吉本やホリプロが現代において受け入れがたい価値観を持っているかと思われることか、所属タレントに余計な疑惑を持たせることの後押しになっているとしか言えない状態である。世間の「邪推」があっているにしろ、間違っているにしろ、現状についてのもう少し踏み込んだ見解を発表するべきであると考える。
M-1グランプリでの漫才の歴史は松本以前、以後に分かれるの惹句は盛りすぎ。ダウンタウンの漫才はさほど斬新でもそこまで面白くもなかった(勿論、新春ヒットパレードの外ロケで披露した2分間漫才を初見の所ジョージが絶賛するほどの力量はあった)。彼らの醍醐味はコントでより発揮される。「半笑い」という言葉に代表される日常のエアポケット、気まずい空気を言語化、表現(芝居)で笑いに昇華した。(ドリフやとんねるずのような)大掛かりな、特異な設定に頼らず飛翔と着地をやすやすと熟す。華丸大吉はごく初期の妖精コントに衝撃を受けて笑いを目指したという。斬新な世界観を伝えるためのメジャーリーガーのような細かな調整、テクニックを重視したコンビでもあった。中川家が一般人ものまね(新聞勧誘員の夫と行動を共にする妻)を初披露した時(明石家マンション物語)、その目新しさ、完成度に共演の有田上田、土田らは文字通り震え上がったのだが、さんまはこんなものは全国ネットで通用する芸ではないとクスリともしなかった(後にさんまが中川家に夢中になるのはご存知の通り)。ダウンタウンは修業時代にたまに花月の舞台に立ち、団体客のおっちゃんおばちゃんを爆笑させていたという。初見を独自世界に導く技術を備えていたのだ。さんま紳助巨人、上沼恵美子が初見で才能を見抜いたというが殊更自慢するような話ではないだろう。
ダウンタウンがいなくても(或いは当初の予定通り松竹入りしていたら)サンドウィッチマンや猿岩石、霜降り明星、トゥナイトは存在しても、バナナマンや日社など後続のNSC出身者は世に出れなかったかもしれない。「日本のお笑いの歴史は松本人志以前、以後に分かれる」は決して過言ではないのだ。
最近でも「キングオブコントの会」でオオボケ枠だった東京03豊本を進行役、ツッコミ役で機能させ、ライス関町の存在自体をフューチャーするといった見事な手腕を見せた。
増田が初めて彼らの才に舌を巻いたのはNHKが東西の若手を集め、お題で即興漫才をするコーナーで披露した漫才コント。浜田がトラックドライバー、松本は夜道に佇む怪しげな女という設定。僅か一分あまりの漫才が二本。その斬新さ、面白さ、完成度は同じ若手は勿論、ゲストの先輩芸人もおそらく、一手も間違いがない、将来は貴方のライバルとなると大山康晴が断言した羽生善治少年を見る谷川浩司の心境だったと思われる。
とりとめもなく長々と書いたが「一人ごっつ」まで視聴していた浅田彰(今年は眼鏡が流行る)あたりが解説、言語化してくれたらなあと思う。
この先できるかどうかも分からん彼女とあれこれするために、その機会があるかどうかも分からん性的同意についてちょっと調べたりしてる
で、いくつか気になることがあるから教えてほしいんだ
気になるっていうか確認なんだが、要は空気読めとか態度から察しろとかそういうのとは真逆だよな?ってこと
個人的には嬉しく思う、察せなかったケースとか怖えし最悪言質も取れるし
据え膳食わぬは男の恥って言葉があるけど、性的同意を考えるなら勝手に食っちゃだめなんだよな
据え膳であっても食っていいと許可を貰うべきだし、逆に食ってほしけりゃ自分から食ってほしいと言うべきってことだよな
(据え膳が女とは限らないとか食うのが男とは限らないとかあるだろうがその辺は適宜読み替えてくれよな)
「あのときは同意したけど思い返すとやっぱダメだった」ってケースね
個人的には裁判の時に周辺事情とか加味して撤回できるできないを判断するんじゃねえかと思う、運用でカバーってやつだ
行為の前とか途中で同意を撤回されたらそこで止めろっていうのは正しいと思うのさ、そこから先は止められるから
けど全部終わったあとに後出しで「やっぱや~めた」ってされたらどうしようもないじゃんね、現状やれることなくね?
同意アプリとかが想定してるであろう脅迫とか泥酔とかのケースはまだ分かるよ、それは明確に犯罪だし不同意性交罪なくても他の法律に引っかかるもんな
分からんのはその辺特にないケースで、後から「うーんやっぱ嫌だったかもな…同意取り消し」みたいな状態になったらどうしたらいい?
信用できる人とだけしろっていう話もある程度は分かるけど、これからその信用できる人が死ぬまで心変わりしないって保証はどこにもない訳じゃん
なんというか、物を送り返せないクーリングオフみたいなことができると悪用されて制度運用に支障出ねーか?って感じ
とはいえ自分のやったことに責任は取るべきって考えが主流で悪用する人は少ないだろうと思ってて、個人的には一度同意して行為を済ませたならよっぽどの条件がないと同意を取り消せないって方に進むんじゃねーかなと思う
不同意性行罪の存在自体は知ってるんだけど、じゃあそれに基づいてしょっぴく難易度はどれくらい?って話よ
個人的には難しいんじゃねえかな~と思ってる
それこそ同意アプリとか使ってたなら同意した、同意しなかった、同意を取り消した辺りは確実に分かるじゃん
ただ記録にはないけど脅されて~とか、そもそも口頭だけで同意したから確認できる記録がなくて~とかのケースって性格には無理じゃん?
疑わしきは被告人の利益にって考え方からすると、前者は間違いなく無罪よな
後者に関してはまあ「明示的な同意を示さなければアウト」と考えることもできるけど、そもそもこういうのって訴える側に立証責任があるはずだよね、どっちが優先されるんだこういう場合
というのを考えてると、不同意性交罪で有罪に持っていくのって立証が大変で難しそうって思った
実際の判例とかあれば教えてくれ
https://anond.hatelabo.jp/20240104033740
これの続き
弟も私も共通しているのは「父は思い通りにいかないとキレる」、「父は自分の怒りをコントロールできない」と感じていることだ。
これまでも家族旅行で乗りたかった電車を乗り過ごしただけで激怒したり、仕事でイライラしたことがあると、それを火種に怒りを感じたり思い通りにいかないことがあるとブチギレてきたからだ。
一方で、弟は私と違って、「とにかく父と距離をとっている」といっていた。
これには確かにと思い、それまでその事実に気づけていなかったことに対して驚いた。
確かに、私の誕生日は父母私の3人でご飯に行くが、弟はついて来ない。
他にも出かける時に弟はほとんどついて来ない。ついて来たのは遠方の祖母に日帰りで会いに行く時だけだった。
私はよくも悪くも幼い頃から父と接することが多かった。だからこそ、肩入れされて、虐待に遭いやすくなっていたのではないかと考えた。
確かに、そう考えると、なおさら「金を出してるのは誰だと思っているんだ」と言われることも納得する。
一緒にご飯に行けば行くほど子供への愛着が強くなって、余計父自身が思い描くような人生を送ってほしいと感じ、私がそれに叶わない選択や結果を生むと、言葉や暴力を使って怒ってくるのだ、と気づいた。
この文章を書いている時も、いろいろと頭が整理されている。
私がこれまで父のことを相談したのは4人だけで、学校の先生2人と友達2人だ。
ほとんどの同級生や友達、先生たちはこのことを知らないと思う。
もしかしたら先生たちは共有しているかもしれないけど、様子を見るにそんなことはなさそう。
小さい頃から、虐待が学校にバレたら学校を辞めなきゃいけなくなる、という一種の強迫観念に迫られて、とにかく人に言わないように、隠し通すようにして来た。
一方で、小さい頃から興味のあることがあった私は、その学校を辞めて公立の学校に転校して、もっと伸び伸びと、本当にやりたいことに取り組みたい、とも考えていた。
しかし、この2つの思考は、決して交わることがなかったと最近になって気づいた。
正直、父の虐待を学校や児相に連絡して、学校も転校すれば、父から離れ、私自身も早くからやりたいことに取り組めたのではと最近にになって気づいた。
学校から配られた虐待ホットラインに電話してみたけど、結局身元がバレるのが怖くて、「どうしたの?」と聞いてくれたおばさまの声だけ聞いて、何も答えずに切ってしまったことを思い出した。
イタズラ電話だと思われただろう。あの時、勇気を出して相談してみたら少しでも今が変わっていたかもしれない。。。
でもそんな「ああだったらな」と思う人生が必ずしもうまくいっていたとも限らない。
だから、私は、「過去は変えられなくとも、未来は自分で選べる」をモットーにしている。
よくSNSで回ってくる黒と緑のマインドマップみたいな図がある。
過去に、「LIFE PATHS CLOSED TO YOU=閉ざされた人生の選択肢」が無数にあるが、それと同じように、「LIFE PATHS OPEN TO YOU=開かれている人生の選択肢」が未来に無数にある、ことを表している図だ。
この図を見た時、私はいろんなことを父のせいだけにして来たかもしれないけれど、これからの人生は自分で切り開いて、自分で決めていこう、と思った。
このブログを買いたのは、小さい頃から虐待はよくないことだと思っていた一方で解決方法がわからなかったが、大学生になってから、受けてきた虐待の影響が根深いと感じることが多く、記録しておくことで、少しでも自分の心を整理したいと思ったからだ。
匿名とはいえ、ネットにこんな赤裸々な内容を残したことは不安も残る。
ネットではなくノートなどの紙媒体に書いておけばいいじゃないかと思うかもしれない。私もそう思った。
でも、毎年虐待を受けていると認定される子供の数は増えている。これは虐待の存在自体が広まったからとも言われている。つまり、広まる前から虐待を受けている子どもは今と同じように大勢いたのだ。
私自身のこれまでの経験は決して、誰も経験してはいけない戦争のようなものだと思うし、この世から無くなってほしいと思う。
いろいろな無惨な事件が起きたことで虐待の存在が広まっているのだろうが、私のように生き延びている人の声を通して、少しでも虐待の実態を伝えて、同じような経験をする子供たちが1人でも減ってほしいと思い、今回このような形で残すことにした。
また、同じように虐待を受けて育って来た人が、少しでも同じような経験をしたかもしれない私のブログを通して、なにか生きる希望とか、共感とか、心の安定とか、そういったものを得られたらいいなと思ている。
最後に改めて。
一歩殺人者に近づいたというブコメあったけど、わかるような気もするし、違うような気がする
食肉関係とか、動物の解剖とか、人体の解剖とか、生体で手術とか
踏み出してしまったと思うであろう(思うかもしれない)行為は数々ある
自分は小3か小4の時に、親に包丁を刺さないことを選んだので、その時の何かが今も生きてるなら
自分の命がかかっていて即座に対処しないといけないときぐらいしか道を踏み外さないとは思うし、その時もぎりぎりまで命は奪わない方法を考えると信じてる
(びびって体が動かない可能性のほうが高そうだが)
あと、気になったブコメとして、
エアーでもよいのだが、増田が言ってるような、体を固定して任意のポーズをとらせるということが不可能なのは結構マイナス要因
正直肌はビニールでなければそれこそ抱き枕と一緒で布でも良さそう。
今のところ、上半身はババシャツ着せたり着せなかったり。下半身はタイツか厚めのストッキングで運用してる。
触り心地はストッキングが一番。普段でも生脚よりもストッキングを触りたいという癖が影響してるかもしれないし、その癖は、電線恐れて生より機会が少ないというレア感からかもしれない。
あとは乳首ありタイプの偽乳。リアルにするなら首まであるやつがよい。Dカップシリコン入り? がでかくて重すぎたので、Bカップ綿入りを追加した。
今のところBのほうが取り回しもしやすく、十分満足。
話がそれた。
普段のエアちゃん(仮称)のお部屋(寝床)に困らないのであれば(現状困ってない)綿を入れようかと思っている。
ただそれでも関節が動かないのは、回避できない。今は空気少なめにして無理やり曲がっていただいたり、テープで固定したり。
綿入れてマジックテープなりボタンなりでホールドだけなんとかできるようにとかが工夫の余地あるかなぁ
あと、顔。
顔がないのが逆にアド。一瞬紙粘土で自作考えたが、メイク技術も学ばないといけないし。
顔が無くてもその存在自体を愛せそうな気もするし、理想の顔になってしまったら引き返せない気もする。
あと3日で飽きるのは結構普段からそうで、どこか愛嬌? 嫌いなタイプの人が居たり、本人的なコンプレックスのある顔がほうが好き。
(超ドストライクな人と3年か4年続いて飽きなかったこともあったが)
理想どおりにならくても逆にそっちのほうが感情移入してしまう可能性高い
顔がないのが逆にアドとは言い切れない。
あと、偽乳とか衣類とかウィッグとか、あったら自分で装着したくなってしまう。
顔についてあれこれやりだすと、結局自分をメイクしてしまいそうなのも保留している要因か
とまあ、一般人からしたら、だいぶおかしなことになってきたと気づき始めているので、去年で一旦お別れというか、押し入れで待機していただいてる。
ほんとに寂しくてどうしようもなくなったらまた会いましょう
優しいあなたが無実の罪を着せられて、九州出身というだけで偏見の目を向けられたらごめんなさい。
でも、あなた以外の男性に男尊女卑的思考を、悪気無く、無意識に持つ男性の割合が多くて、優しいあなたを見つけることさえできません。
あなたはそうではないですが、あなた以外の男性にはまだまだ男尊女卑が根強く残っているのが現状です。
九州出身の男性に占める男尊女卑的思考を持つ人の割合は、100%でもないし、0%でもありません。
どうかあなたの目にしたことない男尊女卑を、あなたが目にしたことがないからと言って、存在自体なかったことにするのはやめてください。
自身の身の回りで観測していない事象を「存在しない」と言い切るのは科学的態度ではありません。
必死に声を上げた九州の女性たちの訴えを、嘘だ自演だとまくし立ててなかったことにするのはやめてください。
出来れば、その怒りは「女性を虐げて『九州の男性は暴力的だ、料理を手伝わない、女性の教育機会を奪う』などといったイメージを植え付けたその男性」を断じて許さないという方向に向けていただけるとありがたいです。
九州のみならず、男尊女卑やその他さまざまな弱者への偏見が根強い場所はきっと日本中にあるでしょうし、あらゆる差別は世界中からなくなっていません。
どうかそういった悲しいことがすべての世界からなくなり、その人自体の本質からその人を判断できる世の中が訪れますように。
余談
これを書いている本人は九州出身、20代前半の大学生です。九州在住の男性である父親、親戚、高校教師、同級生などからここに書きにくいようなひどい仕打ちを受けた経験もありますが、もうそのようなエピソードはSNSに溢れすぎているので、自分が書くまでもないと思っています。(書けといわれたら書きますが)
「♪テレビの周りにみんなあつまれ」と言われたら「パラッパラッパー!」って答えられるくらいは地元に暮らしてました、あんまり地元帰りたくないけど