はてなキーワード: 外国人とは
ボケがあああああああああああああ!!死ねやあああああああああああああ!!
って心の中で常に叫んでいる。これ書いてる時もな。定期的にキーボードのキーが吹き飛んで困る。
赤ん坊が泣いてればうるせえから憎いし、赤ん坊が静かにしてれば赤ん坊らしくなくて憎い。
ものを知らない中年が憎い。知識でマウントとってくる中年も憎い。
無駄に力を持っている老人が憎い。か弱い老人が憎い。
何より社会が憎いね。俺が5000億円持ってて、全ての人間を奴隷扱いできない社会は間違っていると真面目に思ってるよ。
俺は1000年生きたいし、この世の全ての場所に行ってみたい。美味い物を喰って面白いこと全部やって、綺麗な景色も全部見たいね。
そんなんだから、スティーブ・ジョブズが死んだ時、「ざまああああああ!!」って手を叩いて喜んだね。
俺はあの、俺より稼いでて尊敬されてた、いけすかねえハゲ野郎が知らない世界や未来を見られるんだからな。
一面的に、俺はジョブズに勝ったと思った。嬉しかったね。祝杯あげちまったくらいだ。ま、祝杯用に温存してた山崎の焼酎が不味かったからそこの酒は二度と飲まねえって決めた日でもあるが。
人間なんてのはこのくらい身の程知らずで、自分勝手でいいんだよ。
高望みしろよ。お前達に足りないのは原初的なエネルギーだ。根本的に、世の中のためだとか人を喜ばせようとか、そういう、クソみたいな意識があるからだめなんだ。
自分を満たすために生きろよ。自分の不足を憎め。他人の全てを憎め。人を憎んで、世界を憎めば人生はよりよくなる。
ゲームがつまらないとか言ってたけど、要は憎しみが足りないからつまらないんだ。
俺はゲームが面白いよ。ミスったら自分を憎んで戦えるし、自分より上手いやつの存在が憎いからやりこもうって気になる。
ゲームなんてのはキャバクラみたいなもんだろ。ちゃんと俺を接待しない製作者も憎いね。
わかるか?お前達の人生に足りないものは憎悪だ。憎悪が人生を豊かにする。
俺はずっとコンプレックスを抱いて生きてる。他人は俺より恵まれていると感じる。その衝動が俺の人生を突き動かしている。
この世は不幸に満ちていて、世界の人々は理不尽に晒され続けるんだからな。
不条理が他人を焼いていると思うと、心の底から俺は幸福を感じる。
だからこの世界は俺を喜ばせるために存在しているかのようだ。でも、そんな倫理観の無い世界が憎い。
赤の他人を心の底から憎めるようになれ。そうすれば人生張り合いが出てくるもんだ。
まあアレだ。正しいとか間違ってるとか、そういうレベルの低い話じゃねえんだよ。
人生なんてのは死ぬまでのゲームに過ぎないんだからよ。せめて自分の楽しいゲームにしなきゃだめだろって話だ。
海外の日本人の印象は外国人を珍しいふうに見る小さな小人達って印象らしい
外国人が飯食ってたら美味しそうに食べてる!とか実況するオバサン達とか外国人がいるだけで「ゆっくんゆっくん!ほら!外国人よ〜!」って親子にされたり
これに似た事を外国人はよくされるらしい
そられは日本人の20-30の世代は新しい文化を無意識に受け入れていてそれが原因で起こることを日本のせいにしている
なんで?
これは自分達の悪い部分!
でもそうじゃないです。
今から話すのは日本人がこれまで大切にしてきた言葉の意味を話して理解してもらおうと思います。
まず先に私達は日本人です
古い韓国の血を持つ人、古いヨーロッパの血を持つ人、古い中国の血を持つ人、古い中東の血を持つ人、東南アジア諸国の血を持つ人。
縄文系の日本人は言葉を持っていなかったとされてきましたが、絵のような芸術的な気持ちを文字にしていました。
そこに更に中国から漢字や韓国から新しい言葉を共有して私達の元々あった話す言語の文法が合わさり、本当に日本にだけにしかない世界で1番複雑な言語「日本語」が誕生しました。
日本語の文法は本当に古いモノで様々な文化から単語の意味は複雑でした。
日本にいた色んな人の思いが日本語の単語1つ1つに受け継がれています。
日本人が普段何気ない言葉には本当に沢山の意味が複雑に混同しており、様々な言葉の責任がもたらされます。
私達はその言葉の意味を潜在的に理解しており、無意識に大切にしています。
悪の意味を持つ言葉は本当に悪い意味を意味するので無意識に日本人はそれを理解しているから使いません。
善の言葉と悪が無い言葉を使い、自分の気持ちを意思表示します。
恐らく悪い意味を持つ言葉を日本人は使えば本当に苦しい思いをします。
そしてそれは時に善が強すぎて何を言っているのか分からない曖昧な言葉になります。
しかし日本人は自分が無意識にやる事だから説明が上手くできません。
私達は本当に素晴らしい文化を持っていますが、理解が出来ないことに対して人々は否定的です。
彼等は大体が外の国から大人になって日本に来るので日本語の言葉の意味が理解が上手くできません。
本当にそれだけ日本語は複雑なのです。
・命を尊敬する
これはどう感じますか?
・命を尊敬する
「命」完璧な善
最も大切なもの
生きる事の源
神・貴人
生きる人生
生きている間
生涯
一生
他人の人格や行為を高いものと認め、頭を下げるような、また、ついて行きたいような気持になること。うやまうこと。
「2つが合わさった意味」
良いと思う事
素晴らしいと認める
自分の生きる道
「2つが合わさった意味」
その人の生き方を素晴らしいと"思ってやる"または"思ってあげる"
全く違います。
そして日本語は文字や言葉だけでできる限り相手の気持ちを読み取る言語です。
しかし英語は言った状況、言葉の言い方、ジェスチャー、声の音程等の文字以外も多く入れて話す言語で言葉だけで気持ちを読み取りません。
最近の若い世代は無意識にアメリカの文化を受け入れており、少しメディアに洗脳された状態です。
それは少し古い世代も同じです。
そのメディアから様々な文化がなだれ込み日本人は日本人として新しく進化しようとしています。
しかし同時にアメリカの利己的な精神も文化として入ってきており無意識にアメリカの英語の解読法を日本語に適応させて人の本当の気持ちが伝わり合わなくなっています。
それは日本人のせいではなくアメリカの英語の解読法が原因です。
様々なメディアの中に含まれた合理的な嘘を見破る事を意識して下さい。
アメリカの思考は今や映画など全世界に広がって感染しています。
例えるならYoutubeで日本人のダメな場所を指摘する外国人がいても彼等の言う本質を見抜いてください。
それは本当に利己的で日本の良い文化を壊しかねなくて悪い文化を取り入れることに近いです。
しっかりと私達は私達が良いと感じた事だけを私達なりに改善して頑張りましょう。
アメリカの二の舞にならないために。
黒人、白人もアジア人も自分で自傷して他の人種に傷付けられたって騒ぐだけ騒いで解決した気になって悪化してるンゴ
最近日本にもそういう輩が増えてきて日本がアメリカのメンヘラ仲間になりつつある
アメリカってヤンデレも含まれてて嫌いだけど好きって言いながら銃撃つし
アメリカって平等を意識しすぎて馬鹿になって、生徒が頭悪いと先生の給料下げるから問題をもっと簡単に解けるようにしてる
だから生徒はちゃんと教育学べてないし、先生は先生でおかしい事を受け入れないとクビ
しかもちゃんとした教育は人種で変に分けるから黒人は頭悪い学校ばっかりだ
一般の白人が悪いわけでもなくて、上層の金持ち白人達が悪いのに黒人は教育をちゃんと受けられないから学力が低い
それを他の国の人は詳しく知らないからアメリカの問題は上層の金持ち白人達が見せている情報しかない
日本人は人種に関係なく日本に外から来た人はみんな「外国人」だし
そこに人種的意味はなくて「外の国の人」だから外国人は「外国人」でいる事を誇れる
たまに外国人が何か許せなくて差別する日本人もいるけど、人種というより「外国人」って言葉の中で嫌いなんだと思う
今は昔よりも外国の血が入ってたり、そのままの外国人でも平等に日本人社会の中でそれなりの教育が受けられる
もちろんその背景には沢山の日本育ちの外国人や混血の人達が日本人に気持ちを教えたからなんだけど
アメリカやアメリカの影響が強い国は「人種」で聞いて「人種」で否定する
そもそもアメリカは「人種」と「文化」の言葉の距離がありすぎる
国、歴史、考え、見た目、自分の心の性格などそういう意味含めで一般的に日本人は理解してる
だから「文化」を受け入れる事は「人種」も認める事に繋がるって理解してる
アメリカは「人種」は遺伝的な「見た目」だけ、「文化」は国、歴史だけ
ただ「人種」の意味なのにアメリカ人はそこに悪い意味を入れ込んでしまった
本当に意味わからないけど、ずさんな教育システムだからこんな意味不明な思考になる
皆まともな教育を受けられないから自分を安心させるまともな考えが出来ない
小さい頃に何でそういわれるのかを理解出来なくて解決に導けなかった
そういう大人がいっぱいいて意味わからん事を沢山悩みまくってる
学力の低下は問題を解決する能力を下げて何かの原因を責任転換をさせる
グローバル化してきて日本人が日本人としての意識が薄れてくると
アメリカの二の舞になりそうだ
ベトナムとか実習生枠できてる外国人達がホームレスになったり自殺する位なら他人から奪えって思想のまま日本国内でも実行に移して警察と戦ってるが、そんな外国人を身近でみてる最近の若者の心境は氷河期あたりと同じと考えていいのだろうか
韓国語で全部おなじ子音でありpとbの間の音です
日本人に「アンパン」にある2種類の「ン」をちゃんと外国人にわかるように表記してくれといわれても困惑するのとおなじことです
今のネット右翼は、少しでも日本に批判的な言論があると、売国奴やら左翼やら中国韓国の手先やらと攻撃してくる。
今のネット右翼は、現状の「俺(日本)」のままを賛美する言葉以外を受け入れられない状態になっている。外国人が日本を褒めるのが大好き。日本が反日国を倒すのが大好き。
これってどこかで見たと思ったら「小説家になろう」の異世界無双モノだわ。
異世界に転生した主人公がそのままの能力で無双する話は、生まれながらの日本人が海外に出て、または外国人が日本文化に接して「日本スゴイ!」の流れそのまま。
従来の「異世界転生」で「巨大な力を手に入れる」は、日本人が海外に出て努力して活躍する話。これはまだよかった。
最近の「異世界追放」だと「本当の俺は最初から巨大な力を持っていた」「俺の才能を見抜けなかった奴らが落ちぶれていく」で、自身になんの取柄もないネット右翼が他の日本人の力を借りてオレスゲーしている話。
風が強かったせいか、緊急事態宣言のせいか、先週よりはだいぶ来客数は少なかった。あ、やっぱり緊急事態宣言は関係ないかな。
コロナのご時世でも、gotoイートは駆け込み需要。使える所なんかスーパーか一部のコンビニくらいだろうけど、コロナのせいでむしろ例年より儲かってる業界にgotoする意味とは。
テコでもマスクをしないお客様が複数来店。そういう人達に限ってやたらぺらぺら喋りながらお買い物をしている。あるノーマスク客は、激しくひとりごちながら店内を二、三周していた。これ、悪意がないわけないよなぁ。面倒臭いから放置した。
ストーカー客また来店。ストーカー客が入店したのと同時に私は事務所に引っ込んだ。一人でレジやらなきゃいけなくなったAさんには悪いけど。事務所の監視カメラのモニターでストーカー客の動きを見ていたら、ストーカー客は私がレジに引っ込んだ30秒後くらいにレジで会計出来たのに、わざわざ後から籠いっぱいの商品を持ってきたお客様に会計の順番を譲っていた。まじ姑息。本人は怪しまれていないと思っているのかもしれないが、ストーカー客のムーブは一々姑息の連続なので、もう既に、ストーカー客の顔を識別できる従業員全員に、おかしい人だと確信されている。
二時間くらい駐車場に停めた車の中で電話をしていた客が、電話をしながら入店。Aさんから、その客がつまんないことでDさんを泣くほど執拗に罵倒した客だと教わった。あれが噂の。あのガタイで若い女に泣かすほど罵声浴びせるとか、格好悪すぎる。
お年寄りがバイトに応募してきたらしいが、オーナーの性格的に採用はしないだろう。オーナーは面倒臭いことが嫌いだから。
そういえば、前に勤めていた店では、私が辞める直前くらいの時期にシルバー人材の活用とかいって、夕勤には若い女性のバイトを採用するのをやめてその代わりにお年寄りを採用することになっていた。私もきっとあのまま勤めていれば何かしらいちゃもんつけられて辞めさせられることになっていただろう。
その半年くらい前に、そこのオーナーが猫可愛がりしていた23歳の女子バイトがとんでもないやらかしをするという事件を起こしていたので、そこから若い女は信用できないみたいなことになった模様。で、23歳女子バイトが何をしていたのかといえば、来店する若い外国人男性客を片っ端から逆ナンして寝た挙げ句、他のバイトやパートの女性達に恋愛相談として寝た相手とのセックスがどうだったのなんだのと赤裸々に語っていた。ついでに言うと、沢山稼がないと生きていけないといって1日十時間週五日という無茶苦茶なシフトを組んでおいて、入りの予定時間の三分後とかにやっぱり今日出れませんとか連絡してきたりしていた。そんな破天荒は滅多やたらといるもんではないのに、若い女全てが信用ならないと言われても。
オーナーの奥さんの女性従業員への憎しみがすさまじく、奥さんは馬耳東風な破天荒娘に対する鬱憤を、私みたいに逆らえないバイトに当たり散らして憂さ晴らししていた。
そんなことがあって、そこの店には夕方からはお婆さん達しかいないことになった。私が辞めた後、制服を返す日にちはいつがいいか聞こうと思って電話すると、私の後に入ったお婆さんが出たのだが、
「もっしー? は? 店長に代われ? あーはい待って。元バイトの増田だってよwwwそんな奴いた? ははっ、知らねーwww」
保留にしないから全部聴こえてた。
確かにビザの存在が頭からすっぽ抜けた議論は割と見かける気がする。
いざとなったら海外みたいな話する奴もそこそこ以上に裕福な国の就労ビザを取るべらぼうに高いハードルを意識してないからこそそういう発想になるんだろうと思うし。
ビザを維持した先にある永住権ともなればもうこれはその国で二個目の人権、二個目の人格を得ることであると言っても過言ではなく、極端な例だがゴーンのようにその国の法律で守られる権利すら得られるという重みがある。
不法滞在が多い国の外国人に対しては申請されても観光ビザすら落とすのが普通だ。
そのあたりビザなしで大体の国に3ヶ月滞在できる日本のパスポートって日本人が持つ最も価値があり、最も大事にされていない財産なんじゃねえかな。
そう呟いたのは多分六年前だか五年前だったかと思う。その時俺達は喫茶店で、世の中の悪が何かについて話していた。
その場には男の先輩が一人と女の子の後輩が二人いて、先輩は「知ってる」とぽつり。女の子二人は「しらなーい」とぽつり。
勿論、俺と先輩はその話を掘り下げたりせずに、穏当に元の話題の路線へと戻り、「やっぱ世の中気を付けて生きなきゃだめよ」みたいなことを言っていた。女の子二人はケラケラと笑っていた。
◇
何で今更になってこんなことを思い出したかというと、当時テーブルを囲んでいた後輩の女の子が先輩と付き合って、破綻して、今朝がたtwitterで僕を含めた当時の関係者に対しての呪詛を書き連ねていたからである。
多分こういうのは、よくある話なのだろう。勿論僕はその後輩に横恋慕していて、そして二人の関係とか、あるいは時折後輩の見せる刺すような発言と態度に傷を負ったりしながら生きてきたのだけれど、そんなことは些事である。一々考えるようなことじゃない。
ともかく、今僕がこの文章を書いているのは、後輩の女の子が僕と先輩を含む当時の関係者にSNSで呪詛を連ねているところを見たからである。
その呪詛がどんなものだったかというと、彼女曰く、「悪を糾弾できない存在も悪だ」、とのことであった。
つまり、彼女はこう言っているわけである。当時、破壊的性向を持っていた先輩のことを僕を含む関係者は止めることができなかったし、そして、物事が落ち着くべき位置に落ち着いてなお、僕を含めた関係者は先輩のことを表立って糾弾したりするでもなく、あるいは罰したりするでもなく、淡々と日々を送っているのだと。つまり、先輩が悪であると同時に、先輩を裁くことなく静観していた、僕を含めた関係者もまた悪なのだと。
全く以てその通りだと思う。僕は悪の片棒を担いでいるのだ。物事を正しく裁こうとなど決してしなかったのである。
一応、僕は見知っている後輩らが先輩に対して好奇心なり何なりを持っているのを見咎めると、「先輩は悪人だから近付かない方がいいよ」と度々言及していた。(「悪」の具体的な内容についてはここでは伏せるが)
とは言え、一見インテリジェントで気が利いて、かつある分野において顕著な業績を収めた人物である先輩に対して、後輩たちは僕の忠告をあまり深刻には受け止めなかった。あまり僕の忠告は功を奏さなかった。後輩たちの中には、今でも先輩に連絡を取り続けている子もいるようである。まあ、それはそれで良いのだと思う。僕は別に彼女たちを悪し様に思っていないどころか、先輩にだって悪感情を持っていない。彼女たちはそれなりに幸せそうであるし、今でさえ僕は先輩と時々食事をしたり、ボードゲームに現を抜かしたりしている。
◇
スナッフフィルムについてご存知だろうか?
それは、快楽を目的とした殺人行為を撮影した映像作品のことを指している。特に、商業的意図を以て撮影されたものを指す。スナッフという言葉は、「ロウソクを吹き消す」という意味を持つ動詞であり、同時に「殺人」のスラングでもある。
勿論僕も現物を見たことはない。そもそも、「スナッフフィルムは単なる都市伝説で、実在しない」という論も根強い。
ただ僕は、二十年近く前にアングラサイトで「衝撃! 少女が公園で殺害される映像! 購入は以下のアドレスで!」的な宣伝がされていたのを見たことはある。そのサイトによれば、外国人の少女は公園で刺殺され内臓を引きずり出された後に、ガソリンによって燃やされるとのことであった。そういう宣伝を実際に目撃した人間からすると、スナッフフィルムは実在するという立場から主張するほかない。
(また、中東やロシアでの拷問や処刑の映像も広義のスナッフフィルムとみなすことができると思う)
スナッフフィルムにおいて撮影されるのは、主に少年少女である。
主なスナッフフィルムの内容は、少年少女に麻薬を与え、性的に高揚させた後で凌辱し、その後に殺害する、といったものであるそうだ。僕もよく知らない。正直この知識は既存の創作物から得たものなので、信憑性においては幾分問題があるかもしれない。
いずれにせよ、仮にスナッフフィルムが伝聞の通りに存在するのであれば、それはこの世の悪を煮詰めた存在であると思う。
それは、恐らくそれを求める人間が存在し、また、それを供給し得る人間が存在しているからだと思う。仮に、ある人物が何かを要求し、その対価としての金銭を十分に示せるとして、何者かがその要求された何かを提供できるとすれば、多くの場合そこには商業的取引が実現してしまう。可能な物事が、不可能であり続けることは難しいのである。マーフィーの法則を引くまでもない。
つまり、そのような商業的なやり取りは、人の意志を超えてしまうのだ。それが可能である限りで実現してしまう事柄に、人の意志は関係ない。そこにはある種のシステムが構築されてしまうのである。
そのようなシステムに根差しているのは、明らかに人間の欲望と暴力である。人間にとってのある種の欲望と暴力が可能である時、そこにはシステムが出来上がる。システムは、金銭と欲望達成を媒介に、暴力的に成立する。そして、人の意志とは関係なくそのシステムは自己増殖し、その体系をより確固たる存在へと変えていく。
「人々が欲望し、かつ金銭的対価を支払える事柄は、それが不可能でない限り実現する」これが、欲望と暴力のシステムにおける定言命法である。そこでは人の意志に関わらず淡々と物事が実現する。一度実現したシステムは、当事者の意志で止めることはできない。金銭を媒介に、システムは機能し続ける。
というわけで、世の中にはいわゆる悪が蔓延ることになるわけである。勿論、繰り返すようにスナッフフィルムの存在は都市伝説に過ぎない。「スナッフ」と銘打たれて販売された商品の多くが、作り物であるとも言われる。しかし、僕は「スナッフフィルムは都市伝説に過ぎない」という発言に対して、どうしても疑義を覚えてしまうのである。そう、人の意志とは関係なく機能するシステムが世の中には既に構築されており、そのシステムの内部においては、可能である事柄はすなわち実現するのである。そういった原則を振り返った時に、快楽としての殺人が不可能であると断じることが僕にはできなくなってしまうのだ。
まあいい。とにかく、世界においては、可能である限りで、そしてそこに人の欲望が存在し、金銭的な対価を示せる限りで、ある種の悪や暴力が必然的に実現してしまうという、悍ましいシステムができている。我々は、そのようなシステムに向き合わなければならない。そのようなシステムを糾弾し、ハックしなければならない。その在り方を上手く変更せねばならない、はずだ。
とは言えそのような決意が実現されることは稀である。何故だろう? 我々は多くの場合悪を放置し、看過するしかないのである。それが不可能であるからだろうか? 我々に内在する欲望を媒介に機能するシステムを、我々自身が変更し、打破しようとする行為は、そもそも自己矛盾的だからだろうか? よく分からない。
いずれにせよ、自身の欲望に根差したシステムに変更を加える行為は、決して簡単ではない。我々は、そのような欲望と暴力のシステムをどうしても看過せざるを得ない。
それは、スナッフフィルムに限った話ではない。ある種の極度に暴力的なコンテンツに限った話ではない。我々の身近には、その手のシステムが息づいている。我々は、日常的に、そのようなシステムに触れることになる。我々は暴力と欲望に根差したシステムに、普段から関与し、触れることになる。
例えば、不均衡なコミュニケーションもそれだ。一方の話者の力関係が他方の話者に優越しすぎたコミュニケーションは、暴力的な影絵を描く。そこには権力の不均衡が生じ、そして暴力と欲望充足を生じさせることになる。そのようなシステムが我々の日常では機能しているし、何なら我々はそのようなシステムに組み込まれている。
例えばそれは企業と個人の力関係においてそうであるし、あるいはある種の閉じたコミュニティにおいてもそうである。そのような力関係において、いわゆる弱者が欲望充足の手段とされることは珍しくない。我々の身近に、そのようなシステムは往々にして存在している。
我々はそれを看過しながらに生きている。あるいは、そのシステムを自身の一部として受け入れながらに生きている。
何故なのだろう?