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はてなキーワード: 国民国家とは

2018-10-05

教育勅語歴史的役割普遍性

教育勅語は、過去歴史的においては、日本近代化一定役割があったと考えられるが、時代を経るについて、その位置けが変わっており、どの視点に立つかによって評価が変わってシマウマ

江戸時代以前、幕藩体制下においては、人々は藩(クニ)というコミュニティへの帰属意識はあったが、日本という統一された国家への帰属意識存在しなかった。しかし、欧米列強アジア進出に直面し、明治国家統一された近代的な「国民」を創出する必要性に駆られた。そこで、井上毅が中心になって起草されたのが教育勅語である

江戸以前の封建社会では、お殿様がいて、家来衆がいて、そのまた家来がいて、農民商人工人がいて・・・と、多層的な社会構成となっていた。欧米を直接視察した当時の指導者たちは、このまま身分により分裂した社会では、我が国近代化を成し遂げて欧米に伍してゆくことは難しいと考えた。そこで、表向きは日本人に馴染みのある儒教的用語を使いつつも、勤勉であれというプロテスタンティズム精神を注入したもの教育勅語である。(米英独における近代資本主義形成プロテスタンティズムが果たした役割についてはマックス・ウェーバーの説に譲る)

教育勅語の登場により、日本人の中にプロテスタンティズム的な精神形成され、曲がりなりにも、なんとか我が国近代国民国家を創りだすことに成功した。また、一番問題になっている「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・」の文言についても、歴史的には欧米の「国民軍」形成の流れと相似をなすものである位置づけられる。(というのも、それ以前は武士階級のみが軍事に専念して、一般市民にとっては軍事は全くの埒外であった。このままの意識が続いていたとしたら、本邦は他のアジア国家と同様に、欧米植民地となっていたであろう)

ただし、時代を経て昭和の激動期に入ると、明治憲法と同じく、長所よりも欠点が目立ち始める。

欠点第一要因は、明治憲法や教育勅語が、現人神である天皇から臣民に下されたもの(実際は、明治元勲が起草したものだが)という形式を取ったことであろう。明治憲法も、首相権限が明記されておらず、その基盤が弱小である等の問題はらみつつも、「不磨の大典」化してしまったため、政治家軍事官僚を縛ることすらできなくなってしまった。教育勅語時代に即して改定を行う動きもあったものの、やはり天皇から下された「聖典」という位置づけから改定ができなくなり、戦時下においては国民を総動員する装置となってしまった。

以上を踏まえると、教育勅語日本近代化推し進めた功績があり、現代資本主義社会においても引き継がれる価値観を含有するという点では一定の「普遍性」を持つ一方で、戦時下においては国民を動員する装置となったという点で「負の側面」も多く有するという、なんとも白黒つけがたい存在である評価できる。

なお、現代では教育勅語は、その歴史的役割をすっかり終えており、今さら道徳のために引っ張り出してくる必要性は無いという私見最後に付け加えておく。

https://anond.hatelabo.jp/20181004143708

2018-10-04

anond:20181004124922

他の国だったらだいたい宗教教育があるから

信心者どもに道徳観念を叩きこむには、領域国民国家という現代偶像リヴァイアサン必要だってだけの話

anond:20181004093737

やっぱり領域国民国家廃止して全地球アブラハム宗教で覆いつくさなければならない…(使命感)

2018-09-19

anond:20180919094948

でも再配分を一番嘘っぱちにしてる国民国家の上位は日本人じゃない?

アメリカ人富豪しょっちゅう莫大な寄付支援基金設立する等してるけど日本人のそういうのは聞かない。

たんに俺らに思想が足りないからじゃ、みたいな。

2018-09-09

anond:20180908160609

帝国陸海軍が守るのは国体であって、臣民ではない

一方近代国民国家の、国民皆兵制をとる軍隊が守るのは国民

そういう意味日本には国民を守るための軍隊はいまだ存在しない

2018-08-17

anond:20180817123731

国家とは社会のさまざまな諸利益の衝突を調整するためにつくられたもの

同意

ただし、「調整」の手段には「戦争」も含まれ


国家成立以前の長い人類史においても社会存在した

その「社会」が集約・変質して「国家」として今ある。

なお近代になって国民国家想像の共同体が成立したが、日本では国民国家の成立は疑わしい。

「おおやけ」は日本語では「大きな宅」=朝廷などを意味し、いまでもそう考えられているので

ボトムアップを基礎とする「パブリック」=公共トップダウンの「公」=「オフィシャル」は混同されている。

このセクションは意味不明

なぜ今この話を?

anond:20180817121458

国家とは社会のさまざまな諸利益の衝突を調整するためにつくられたもの

国家成立以前の長い人類史においても社会存在した

なお近代になって国民国家想像の共同体が成立したが、日本では国民国家の成立は疑わしい。

「おおやけ」は日本語では「大きな宅」=朝廷などを意味し、いまでもそう考えられているので

ボトムアップを基礎とする「パブリック」=公共トップダウンの「公」=「オフィシャル」は混同されている。

2018-06-11

シンデレラガールズ1話冒頭を思い出す

アイドルマスターシンデレラガールズアニメ)1話の台詞

「会場のみんなが、シンデレラに、王子様になれるから

プリキュア台詞話題だが、ここにも間接的に、男の子(あるいはおじさん)だってシンデレラになれる、女の子(おばさん)だって王子様になれるという思想が含まれている。

男がシンデレラになれることは、プロデューサー、切子職人さん、あるいはシンデレラボーイこと、プロデューサー中の人武内くんに体現されているし、

女の子王子様になれることは、アニメ後半クールにおけるシンデレラプロジェクトのメンバー役割がそうだし、OP衣装(王冠+司令官用の軍服サーベル掛け・肩章・胸章)、は国民国家における典型的王族男性礼服)にも表現されている。

2018-06-09

anond:20180609160820

どうだろ

よくも悪くもこれだけ大きい国土人口なのに日本国民っていう概念は幅広く定着した感じあると思う

国民国家がこんなにうまく成立した場所ってないんじゃないかなあ

高度経済成長期のテレビ国民中流みたいな感じがでかかったのかもしれない

2018-05-07

anond:20180505151100

移民賛成派なので、ヒステリックな反応から深刻な懸念まで色々な意見が聞けておもしろかった。最初増田には感謝したい。

それにしても、反対派には何か対案があるのだろうか、ということは気になる。尋常じゃない速度で少子化が進行することは間違いなく決定している。治安公共サービスの低下を心配する人は、現状の治安公共サービスが明らかに維持できなくなるほんの10数年先の未来人口動態のことをどう思っているのだろうか? ことは単なる経済発展とかそういう問題じゃないんだよ。「30年間何もしないできて今更もう遅い」という意見には同意。ただ、「もう遅い(から日本脱出するわ)」とか「もう遅い(からみんなで滅びよう)」とかい意見には同意できない。日本に住み続けたいし、まだ死にたくないし。というわけで、

・このまま行けば確実に治安公共サービスも含め「今の日本社会」は崩壊

・大量の移民を受け入れるのは、それに対する効果ある対策の一つ

という二点を踏まえた上で、移民受入に反対する(有効な対案を含めた)理論果たしてあるのだろうか? もちろん「なんかものすごい未来技術を独占的に発見発明して信じられないイノベーションでいきなりいろいろ解決」とかいう夢をみたい人もいるんだろうけど、仮に10年以内に世界的に「なんかものすごい未来技術を独占的に発見発明」する国があるとして、それはやっぱり現在さまざまな基礎研究やら実験やらに大量に投資してる国だと思うんだよね。研究への投資は確かにギャンブルだけど、貧乏人はそもそもギャンブルにも勝てないんだよ。今の日本研究関係への投資って、宝くじとまでは言わないけど、よく言ってパチンコお金つっこむくらいのレベルでドリーミーだと思う。だから、そういう夢はおいといて現実論として。

正直、対案を言わない人は、最終的に「戦争起きればいろいろ解決」って思ってそうで怖いんだよ。もはや一国の経済を劇的になんとかする国民国家間の戦争なんて前時代産物で、今後の戦争は単なる消耗であり仮に勝利してもその後処理に膨大なコスト必要になる(イラク戦争後の米国を見ればわかるように)ものしかないんだけどね。対案が「ない」という人も、積極的にそう言わないだけで消極的にはそこに同意してることになるんじゃないか? 移民に関わる議論というのは、そういう意味で誰も無関心であることが許されない問題であると思うよ。

2018-03-12

anond:20180312024228

しろ国民国家のほうが「国が」って感じじゃね?

anond:20180312011838

国民国家という発想を受け入れると婚姻目的が定まるの?

ちょっと理解ができないので詳細を説明して欲しい

anond:20180311221525

国民国家という発想すら受け入れられていないところが中世ジャップランドだなあ

2018-02-14

アマゾンアップル等を分割すべき、という記事翻訳(続きあり)

アマゾングーグルフェイスブックアップルが巨大になりすぎて健全な競争を阻害しているので分割すべきだ、という記事が一部で話題になっていそうなので訳してみました。

かなり長文です。

原文は http://www.esquire.com/news-politics/a15895746/bust-big-tech-silicon-valley/

図表中の文章などは訳していません。

あまり目新しいことを言っているようには感じませんでしたが、(長いおかげで)論点がまとまっているのは良いところかもしれません。

誤訳等の指摘あればお願いします。

あと、増田を使うのははじめてなのでその他変なところがあればごめんなさい。

(文字数制限に引っかかったみたいなので途中で切ります。続きは https://anond.hatelabo.jp/20180214160914https://anond.hatelabo.jp/20180214161344)

シリコンバレーの脱税・雇用破壊・中毒性マシーン

4つの会社が人類史上かつてないほど我々の日常生活を支配してしまっている。アマゾンアップルフェイスブックグーグルのことだ。私たちがみんな素敵なスマートフォンクリック一発のサービスに夢中になっている一方で、この4つのモンスターは縛られることなく経済を独占し、ギルドの時代以降ありえなかったほどのスケールで富を溜め込んでいる。この状況に対して論理的にどんな結論がありうるだろう?巨大テクノロジー企業を分割するべきだ。

スコット・ギャロウェイ 2018.02.08


001: パーカージーンズ姿の泥棒男爵たち

私は巨大テクノロジー企業にはとてもお世話になってきた。1992年に私が共同設立したコンサルタントファームであるプロフェットがしてきたのは、グーグルが変えてしまった後の新たな環境で顧客の会社が生き抜くための手助けだ。1997年に共同設立した高所得者向けeコマース企業であるレッドエンベロープも、アマゾンeコマースに対するマーケットの関心に火をつけていなかったとしたら、成功をおさめることはなかっただろう。もっと近い例でいうと、2010年に設立したL2は、モバイルソーシャルの波の中から、つまり企業が新しいプラットフォームの中での自分たちパフォーマンスベンチマークする方法を必要としている時代に生まれたものだ。

もちろん巨大テクノロジー企業は、別のレベルでも私に利益をもたらしてくれた。投資ポートフォリオの中のアマゾンアップルの株の価格上昇は、リーマンショックメチャクチャになった後の私の家計に経済的安定を取戻してくれた。最後に、アマゾンは私が教えているNYUのスターンスクール・オブ・ビジネスブランド戦略・デジタルマーケティングコースの生徒たちの今や最大のリクルーターでもある。こうした会社は素晴らしいパートナークライアント、投資先、そしてリクルーターでもある。20年にわたるこうした会社に関する経験と研究のすえに私がたどり着いたのは、奇妙な結論だ。今や巨大テクノロジー企業を分割するときだ、ということだ。

過去10年で、アマゾンアップルフェイスブックグーグル――私は「四大企業」と呼んでいるが――は、歴史上他のどの商業体も成し得なかったほどの経済的価値と影響力を集積してしまった。この4つの企業を合わせると、2.8兆ドル(フランスのGDPに等しい)の時価総額、なんとS&P500トップ50の24%におよび、2001年のナスダックで取引された全株価に等しい金額にもなってしまう。

この金額はどれほど莫大なのだろうか?アマゾンを例にとってみると、5910億ドルの時価総額ウォルマートコストコ・T.J.マックスターゲット・ロス・ベストバイ・アルタ・コールズ・ノードストリーム・メイシーズ・ベッドバスアンドビヨンドサックス/ロードアンドテイラー・ディラーズ・JCペニー・そしてシアーズを足したよりもまだ高い

フェイスブックグーグル(今はアルファベットになっている)は合わせて1.3兆ドルだ。世界の5大広告会社(WPP、オムニコムパブリシス、IPG、電通)に、5大メディア企業(ディズニータイムワーナー、21センチュリーフォックス、CBS、バイアコム)、更に5大コミュニケーション企業(AT&Tベライゾンコムキャストチャーターディッシュ)を加えてもグーグルフェイスブックを合わせた90%の価値しか無い。

アップルはどうか?時価総額9000億ドルのアップルは、世界でもっと企業価値の高い企業だ。さらに驚くべきことに、アップルは32%の利益率を誇るが、これはエレクトロニクス企業というよりエルメス(35%)やフェラーリ(29%)といったラグジュアリーブランドに近い。2016年アップルは460億ドルの利益を出したが、これはJPモルガンジョンソンアンドジョンソンウェルズファーゴを含む全アメリカ企業より大きい数字だ。もっと言うと、アップルの利益はコカコーラフェイスブック総収入より大きい。この四半期にはアマゾンが創業以来生み出した利益の2倍に達する数字を叩き出すだろう。

四大企業の富と影響力には驚かされる。どうしてこんな状況が生まれたのだろう。

“The Four(四大企業)”で私が描いたとおり、グーグルアマゾンフェイスブックアップルのような、独占と大衆への影響力を持つ企業を作るための唯一の方法は、人間のコアな器官に訴えかけることでプラットフォームを本能的に受容させてしまうことだ。


グーグル: 精神を変容させる

私たちの脳は極めて複雑な問を投げかける程度には洗練されているが、そういった問に答えられるほど優れてはいない。ホモサピエンスがほら穴から出てきて以降、そのギャップを埋めるために我々が頼ってきたのは祈りだった。視線を天に向け、問を投げかけ、より知性のある存在からの反応を待つ。「子供は大丈夫でしょうか?」「私たちを攻撃する可能性があるのは誰でしょう?」

西欧諸国が豊かになるにつれ、体系的な宗教が我々の生活において占める役割は小さくなっていった。しかし問と答えの間の空白は残され、そこにチャンスが生まれた。伝統的な宗教から離れる人が増えてくると、我々は下らないことから深遠な問題まですぐになんでも答えてくれる全能の預言者としてグーグルを見るようになった。グーグルは現代の神なのだ。グーグルは脳にアピールし、バックグラウンドや教育レベルに関わらず誰にでも知識を提供する。スマートフォンを持っているかインターネットに接続出来るだけで、祈りは全て聞き届けられる。「子供は大丈夫でしょうか?」「クループ症候群の症状と治療法は…」「私たちを攻撃する可能性があるのは誰でしょうか?」「核兵器開発のプログラムを今でも行っている国…」。

自分がグーグルに告白したことのある恐怖、希望、欲望を全部振り返って、自分自身に尋ねてみよう。自分がグーグル以上に秘密を託した相手が他にいるだろうか。グーグル以上に私について知っている人間が他にいるだろうか?

フェイスブック: 心の真実

フェイスブックは心にアピールする。愛されているという感覚は幸福への鍵だ。ルーマニアの孤児院で身体・精神の成長が阻害されている子供を研究したところ、発達の遅れは当初原因として想定されたような栄養失調のためではなく、他人の愛情の不足によるものだとわかった。しかし私たちの種の特徴は、愛されることを必要とするのと同じくらい、他人を愛することも必要とすることだ。発達心理学者のスーザン・ピンカーは百才を超える人の人数がイタリア本島の6倍・北アメリカの10倍にも上るイタリアサルディニア島を研究した。ピンカーは、遺伝・ライフスタイル的な要因の中でも、人と人との間の近しい関係や対面での交流を重んじるサルディニアの習慣が長寿の鍵であることを発見した。遺伝よりもライフスタイル、特に社会的繋がりの強さが長寿の決定的な要因であるとする他の研究もある

フェイスブックが21億の月間アクティブユーザーに提供しているのは、他人を愛したいという欲望に火をつけるためのツールだ。高校の同級生をもう一度見つけるのは素晴らしい。引っ越してしまった友達と連絡を取り続けられることを知るのも良いことだ。赤ちゃんの写真に「いいね」をつけたり、友達の心からの投稿に短いコメントをつけて、私たちの大事な友情や家族の絆を固くするのには数分あれば良いのだ。

アマゾン: 常に消費を

眼にとっての風景、耳にとっての音にあたるのが、本能にとっての「まだ足りない」という感覚、飢餓感だ。胃袋が素晴らしい食事の後でもさらに砂糖や炭水化物を求めるように、私たちの心は更なるモノを欲望する。本来この本能は自己保存のために機能していたものだ。つまり、食べる量が足りないことが飢餓と確実な死を意味するのに対して、食べ過ぎはそもそも珍しく、腹が膨れたり二日酔いになるだけだ。しかし今あなたが自分のクローゼットや戸棚を空けてみると、たぶん必要の10から100倍ものモノを持っていることがわかるだろう。私たちは理屈ではこれが馬鹿馬鹿しいことをわかっているが、社会や高次脳機能は我々のどこまでも欲望するという本能に追いついていないのだ。

アマゾンは消費する我々の巨大な消化管だ。アマゾンは栄養を蓄え、それをプライムメンバーになっているアメリカの64%の家庭の心臓や血管に供給する。アマゾンが採用したのはビジネスの歴史の中で最高の戦略だ――「少なく与えて多く受け取る」――そしてその戦略を歴史上のどんな会社より効果的・効率的に実行している。

アップル: 感動への準備万端

生存本能についで二番目に強力な本能は繁殖だ。性をもつ動物である私たちは、自分がいかに洗練されて賢く、クリエーティブであるアピールしたいと思う。私たちは力を示したい。性も贅沢も理屈では説明できないが、アップルは、広告をヴォーグに載せ、スーパーモデルをプロダクトのローンチに呼び、店舗を自分たちブランドのガラス張りの神殿にすることが、人の魅力的になりたいという欲望にアピールし、そして自分たちの利益率を向上させることに極めて早くから気づいていた。

デルのコンピューターは性能は良いかもしれないが、マックブックエアと違って、イノベーション階級のメンバー証にはなってくれない。同様に、アイフォンは単なる電話やスマートフォンではないのだ。顧客がiPhoneXに1000ドル払うのは、顔認証の大ファンだからではない。彼らは自分たちいい生活を送り、芸術を理解し、自由に使える収入があるというメッセージを送っているのだ。それは他人へのサインだ。もし君が僕とつがいになってくれたら、君の子供はアンドロイドを持っているやつとつがいになるより生存確率が高まるよ、ということなのだ。実際、iPhoneユーザーアンドロイドユーザーより平均40%収入が高い。iOSプラットフォームの上にいる人間とつがいになるのは、良い生活への近道なのだ。脳、心、消化管、生殖器。この4つの器官にアピールすることで、4大企業は自分たちサービスや製品、OSを私たちの精神深くまで潜り込ませてしまった。彼らのおかげで、我々はより賢く、目利きのできる消費者になることができた。そして消費者にとって良いことは社会にとっても良い、はず、だろうか?

答えはイエスでもありノーでもある。四大企業は我々の生活にあまりにも大きな影響を持っているので、もし彼らのうちどれか一つでも無くなってしまったら、ほとんどの人は心底動揺するだろう。iPhoneを持てなくなり、検索にYahooかBingを使わざるをえず、フェイスブックに投稿した何年分もの思い出を失ってしまったときのことを想像してみるといい。アマゾンアプリからワンクリックで明日までになんでも注文することが出来なくってしまったらどうしよう。

一方で、自分たちの生活の相当な部分を一握りのシリコンバレーエグゼクティブに預けてしまったせいで、我々はすでにこうした会社の負の部分についても語りはじめている。四大企業の独占が進むにつれ、懸念や、ときには怒りのささやきさえも聞こえはじめている。長年の欺瞞のあとで、我々はついに政府か、あるいは誰かがブレーキを踏むべきだという提案について考え始めたのだ。

こうした議論のすべてが説得力を持っているわけではないが、巨大テクノロジー企業を分割するべき真の理由であると私が信じる議論に行く前に、もう一度確認してみる価値はある。


002: 悪を成さず?

巨大テクノロジー企業は、最初のギャングスターであるマイクロソフトの罪から学習した。このかつての巨人は当時自分たちの力を過信して、監督官庁や社会の中での自分たちイメージをやわらげるためにPRキャンペーンロビイストといった手段に頼る必要はないと考えているように見えた。対照的に、四大企業は若さと理想主義イメージを売り込み、また世界を救うことの出来るテクノロジーの可能性を布教して回っている。

その気持ちは真剣なものだが、ほとんどが抜け目のない動機から来ているものでもある。単純な利益以上の何かにアピールすることで、四大企業は従業員の間で高まっている、いわゆる「理想追求型」企業への欲求を満足させることができている。四大企業の「ガレージ発明家」神話は、マンハッタン計画アポロ計画の昔に遡るアメリカサイエンスエンジニアリングに対する敬意を上手く利用している。何よりも、これらの会社の漠然とした、それでいて理想主義的な宣言――”Think different”, “Don’t be evil”――が、最高の幻想を与えてくれる。政治的な進歩主義者は一般的に善意だが立場の弱い人々と見られがちで、ますます強力になりつづける企業にとって最高の隠れ蓑となってくれるイメージだ。

フェイスブックシェリル・サンドバーグが女性たちに「一歩踏み出そう(“lean in”)」といったのは本心からだが、彼女は女性へのエンパワーメントに関する自分のメッセージが持つアイロニーについても触れざるをえなかった。彼女の会社はもともとハーバードの学部生の魅力をランク付けするためのサイトから生まれ、ましてや比較的多数の女性従業員を擁する産業――メディアコミュニケーション産業――の数万の雇用を今も破壊しているのだから。

こうしたPRの努力は効果的だが、一方で彼ら企業にとって大転落を準備するものでもある。完璧な紳士に見えた人間が実はオピオイド中毒で、自分の母親に対しても酷い態度を取っていたことを知るのは大きな失望だ。紳士があなたと付き合ってくれるのが単なる金(クリック数)目当てだということを知るのはなお酷い。

初期にいくつかのインターネット企業を創業した人間としての私の経験では、四大企業ではたらく人々が他の成功している企業で働く人々と比べて特に邪悪だということはない。彼らは少しだけ教育程度が高く、少しだけ賢く、極めて幸運だが、彼らの親の世代と同様に、ほとんどの人はなんとか生計をたてようとしているだけだ。多くの人は人助けだって喜んでするだろう。ただ社会を良くすることとテスラの車の二択を迫られれば、ほとんどはテスラを選ぶだろう、というだけだ。そしてパロアルドテスラ販売店の業績は好調、極めて好調なのだ。だからといって彼らが悪人だということになるだろうか?もちろんそんなことはない。ある資本主義社会における一営利企業の従業員にすぎない、というただそれだけだ。

我々の政府はGDPのおよそ21%にあたる年間予算で活動している。つまりこれが公園を開き、軍隊の装備を整えるためのお金だ。では巨大テクノロジー企業は公平な負担を支払っているのだろうか。ほとんどの人はノーというだろう。2007年から2015年の間にアマゾンは利益のうち13%しか税を払っていない。アップルは17%、グーグルは16%、そしてフェイスブックは4%しか払っていない。これに対して、S&P500平均では27%の税金を払っている。

そう、つまり四大企業は税金逃れをしているということだ、つまりあなたたちと同様に。ただやり方が上手いだけだ。例えばアップルは利益をアイルランドのような地域に移すという会計上のトリックを使っており、結果として世界で最も利益を挙げている企業が最低の税負担しかしないという事態が生じているというわけだ。2017年9月時点で、アップルは海外に2500億ドルを保有しているが、これはほとんど課税されない、そもそも最初から海外に持ち出されるべきではなかった財産だ。別の言い方をすれば、ディズニーネットフリックスを買えるだけの資産をアメリカの一企業が海外に持っているということだ。

アップルだけではない。GEも巨額の税金逃れに手を染めている。しかし我々がそのことに腹を立てることがないのは、そもそも我々がGEを愛していないからだ。この責任は我々に、そして我々の民主的に選ばれた政府にある。我々は税法をシンプルにする必要がある――複雑なルールはそれを利用することのできる能力に恵まれた人々に有利に働きがちだ――し、それを実施できる人間を選挙で選ぶべきだ。

四大企業による雇用の破壊もすさまじく、恐ろしくなるほどだ。フェイスブックグーグルの収入は2017年に290億ドル増えそうだが、この新しいビジネスを行うために彼らは20000人の新しい、高収入の雇用を生み出すだろう。

だがコインの裏側はそれほど輝かしいものではない。広告業デジタルであれアナログであれ低成長の(ますます成長が鈍っている)ビジネスであり、このセクターがほとんどゼロサムであることを意味している。グーグルマーケットを成長させることで新しい収入を得ているわけではない。他の会社のドルを奪っているだけだ。もし我々が五大メディアサービス(WPP、オムニコムパブリシス、IPG、電通)をグーグルフェイスブックの代わりに使えば、290億ドルの収入を得るためには219000人の旧来型の広告プロフェッショナルが必要になっていただろう。つまり、年間199000人のクリエイティヴディレクターコピーライター、代理店幹部が「家族との時間を増やす」ことを選択していることを意味する――ヤンキースタジアムほぼ4つ分が解雇通知を握りしめた黒スーツの人間で一杯になってしまっているということだ。

これまでのビジネスサクセスストーリー例では、今注目の的になっている企業たちよりも多くの従業員を雇用している。P&G2017年の株価の急上昇を受けて時価総額2330億ドルとなったが、95000人の人間を雇用している。言い換えれば従業員一人あたり240万ドルだ。インテルニューエコノミー企業でその資本があればより効率化を図れそうなところ、時価総額2090億ドルで102000人を雇用、一人あたり210万ドルだ。これに対してフェイスブックは14年前に創業された企業だが、5420億ドルの時価総額を誇り、一方で従業員は23000人しかいない。これは一人あたり2340万ドルということで、P&Gインテルの10倍だ。

たしかに、これまでも雇用の破壊はあった。しかしこれほど上手くやる企業が出てきたことはない。ウーバーは新しい(低い)680億ドルという基準を設定したが、これがカバーする従業員は12000人しかいない。従業員一人あたりでいえば570万ドルだ。実際の道路と実際のドライバーを必要とするはずのライドシェア企業が、墓の中のヘンリー・フォードを激怒させかねないようなフーディーニばりのトリックを駆使して中間階級のサヤ抜きをしようとはなかなか想像できまい。

しかしウーバーは新しい区別を設けて、二種類の労働力を作り出すことでこれを成し遂げてしまった。「ドライバーパートナー」、わかりやすく言えば請負業者ということだ。彼らを従業員名簿から締め出すことは、ウーバーの投資家と12000人のホワイトカラー従業員が680億ドルを「パートナー」たちと公平に分配しなくてよいということを意味する。これに加えて、ウーバーは200万人のドライバー労働者健康保険雇用保険有給休暇も与えなくてよいのだ。

巨大テクノロジー企業の雇用破壊は、こうした企業に対して公平な税負担をさせるべきだという主張の強い論拠になる。政府はそれを職業訓練社会福祉にあてることでその被害を抑えることができるからだ。しかし、雇用の破壊を政府による介入の促進剤とだけ考えないようには気をつけるべきだ。職の置き換えと生産性の向上――農民から工場労働者へ、工場労働者からサービス労働者へ、サービス労働者から技術労働者へ――はアメリカイノベーションストーリーの一部だ。我々の 成功フリークたちに戦わせつづけることも大事なのだ。

核心に近づいてきた。外国の敵に自分の会社を、自国の民主的な選挙プロセスを傷つけるための武器として使わせることは問題、とても深刻な問題だ。2016年の選挙中、フェイスブック上のロシアのトロールページは金を払っておよそ3万件の政治広告を打った。でっち上げコンテンツを見たユーザーは1億2600万人におよんだ。事態はこれでは止まらなかった。GRU――ロシアの軍事・諜報機関――は最近では混乱の種を蒔くためにより超党派的な方法を採用している。選挙の後も、GRUはフェイスブックグーグルツィッターを利用して人種差別由来の暴力を扇動した。こういったことを防止するために、プラットフォーム事業者たちはほとんどあるいはまったく投資を行わなかった。GRUはフェイスブックの広告をルーブルで支払った。文字通りにも、象徴的にも赤旗だったというわけだ。

あなたがビーチかプールつきのカントリークラブを経営している場合、短期的にはライフガードをおかないことが利益につながる。主にアルゴリズムに依存しているフェイスブックがそうであるように、そういったビジネスモデルにはリスクがあるが、かなりの金額を節約できるからだ。巨大テクノロジー企業が社会的な利益のために、必要なリソースを自発的に投資するだろうと期待するのは、エクソン地球温暖化の問題に対してリーダーシップを発揮することを期待するようなものだ。そんなことは起きるはずがないのだ。

しかし、単なる規制ではなくトラストの分割が必要だというアイデアを私が思いついたのは11月に、上院情報委員会チェアマンであるリチャード・バーがフェイスブックグーグルツイッターの相談役に泣きついたときだった。「国民国家に我々の未来を台無しにさせないでくれ。君たちが防衛の最前線なのだ」。まさにこの瞬間、選挙で選ばれた我々の代表が自国の防衛を、今買おうとしていた靴についてしつこく宣伝したり、友達の誕生日を思い出させることをビジネスモデルにしている会社に委ねようとした瞬間こそ、歴史における転換点だったのだ。

「あいつら」が我々の防衛の最前線だって

はっきり言っておこう。我々の防衛の最前線はこれまでずっと陸軍・海軍・空軍・海兵隊だったし、これからもそうあるべきだ。「ザック」軍団なんかじゃない。(https://anond.hatelabo.jp/20180214160914に続く)

2018-01-05

古文は「日本人」を作るために有用

国民国家における義務教育目的の一つは「国民」という虚構をなるだけ多くの人に信じこませること。

日本場合、ただの人間を「日本人」にすること。

・「日本人」としてのアイデンティを強固にする上で、古文有効。なぜなら、日本古典を読むことで、「日本人」が一千年以上前から存在すると感じられ、その一部になることの喜びが増すから

・従って、古文学習受験を通して強制することは、「日本人」を作るために有用

・実際、義務教育古典強制的に読ませるのは外の国でもある話(イギリスにおけるシェークスピアイタリアにおけるダンテ)。

・逆に言うと、漢文中国古典なので、国民国家から観点では、その有用性は薄い。

2017-10-25

anond:20171024205956

近代以降の学校というのは国民国家国民を育成するところ

各自勝手学習していたら「国民」が作れない

それを奴隷製造工場と言い換えることも可能だけれど

基本的国民国家否定されてない以上

どこの国でも右でも左でも学校肯定されている

2017-09-05

国民国家

戦時中に、兵士として徴用されるのを拒否した人に対して「非国民」という言葉が投げかけられた、というような話をたまに見かける。

もしそのようなことが現実にあったのだとしたら、明治政府の「国民国家形成」という政策は『成功』したんではないかなあ。

なんか変な日本語になってしまった。

2017-05-26

女性宮家の何がやばいか、大河ドラマ『直虎』をベースに考えてみる

民進党女性宮家の創設を進めようとしている。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS17H4O_X10C17A5PP8000/

ぶっちゃけ、何が問題いまいちピンと来ない人が多いと思うので、自分なりに考えをまとめてみたい。

日本における天皇とは憲法にも明記されているとおり、国の象徴である

そして、その天皇家血筋を絶やさないために連綿と受け継いできた、不敬な言い方をすればバックアップにあたるのが皇室である

ここで本質的重要なのが「血筋」を絶やさないことである以上に「家」を絶やさない、ということ。

なぜ「家」を絶やしてはいけないか、について皆さんにしってもらいたくて、この文章を書いているので、最後まで読んでもらいたい。

皇室日本において、約2000年続いてきた伝統である

そして、その基本的ルールが「万世一系」、つまり男系宮家を維持し続ける、ということだ。

これはざっと分かりやすく言えば、皇室以外の完全な民間出身男性宮家に迎え入れない、ということ。

我々日本人は、このルールを千年以上守り抜いてきた。

そして、その歴史の上にはじめて、現在民主的国民国家象徴として祀り上げられて然るべき「天皇」という存在国民誰もが(程度の差こそあれ)尊重することができている。

日本の歴史上、天皇家に娘を嫁がせて「外戚」として権勢を奮った人物は多数いるが、「息子」を天皇家の婿に入れた人間はいない。

蘇我藤原・平・徳川といった、時の最高権力者でさえ、息子を天皇家に婿入りさせようなどとはしなかった。

これは、現代日本法規範である皇室典範まで受け継がれており、典範には、女性皇族皇族以外と結婚した場合皇室から離脱すると規定している(女性皇族結婚後も皇室にとどまる女性宮家の創設には皇室典範改正必要になる)。

ここで素朴な疑問として「でも、皇室男子が少ない現状、バックアップを増やすはいいことじゃん」と思う人も多かろう。

一見すれば、昨今の男女同権思想立場からも、賛同の声が聞かれると思う。

だが、これは現代日本という国の歴史における今この一点の判断で、安易に変えてしまってもいいルールなのだろうか。

これを分かりやすくするために、大河ドラマ『直虎』を例に出し、女性宮家を認めることのリスク説明したい。

ことの重大さが伝わりやすくなるよう、ある程度設定を改変するがご了承いただきたい。

・・・

ここに、1000年以上、自分たちを「井伊の民」と自覚してきた民と、そしてその領主である井伊家がある。

井伊家は相次ぐ争乱により、直系の跡取り男児は、先代当主直親(三浦春馬の子、虎松(寺田心)しかいなくなってしまう。

そこで、井伊家では虎松が成人し、当主を名乗れるようになるまで井伊家の血を次ぐ先々代当主の娘・直虎(柴崎コウ)に任せることにした。

ドラマではこの時点で直虎は既に出家し「生涯結婚することはない」という状態であったが、今回は直虎が出家をしていなかった場合を考えよう。

直虎は当主の重責を果たす中で、いつもそばにいてくれた幼馴染で小野家の現当主・政次(高橋一生)との愛を育んでしまった。

しかし、小野家は元々井伊家と敵対していた今川家の家臣。そのまま結婚し、子が生まれれば小野家の第一子となり、井伊家の名字は無くなってしまう。

そこで政次を井伊家に婿入れさせることになり、井伊政次と井伊直虎の子・政虎(仮)が生まれてきた。

さて、ここで、考えてみよう。井伊家の跡取りは虎松か政虎か。

から言えば、前領主の子であり本家本流の虎松が跡取りとして正当であるはずだ。

しかし、もう一方の政虎は現当主嫡子である。井伊の民にとっては「自分たち象徴」「井伊のアイデンティティである直虎の一人息子が政虎なのだ

これは、井伊という国を真っ二つに割りかねない、致命的な問題なのだ

井伊の民は、政虎を当主として認めることができるだろうか。

自分たちを「井伊の民」と名乗らしめるのは「井伊家」という一つのストーリーであり、1000年に渡る自分たちアイデンティティの中心にあるのは井伊の「家」である

政次は井伊の血筋とは全く関係のない小野家の人間であり、その子・政虎には井伊家の血が入っていたとしても、小野物語を受け継いだ人間である

もちろん、婿入りはしていたとしても、人が生き、人が伝え、人が託した物語とは、制度上の言い訳で誤魔化しきれるものではない。

もっと、肌で感じる「何か」のはずだ。

虎松ではなく政虎が当主になるとは、その瞬間1000年の歴史ある「井伊のストーリー」が、「井伊と小野ストーリー」あるいは「井伊のストーリー小野編)」に変わってしまう、ということだ。

日本では馴染みがないが、イギリスフランス王家では、女系宮家が婿に迎えた男子やその子王統を継いだ際に「●●朝」の名前が変わる。1000年続いた井伊谷の「井伊朝」が「井伊・小野朝」あるいは「小野朝」に変わる。間違いなく日本の「大和朝」は一つのターニングポイントを迎える。

しかも、小野家にはなんと先代当主を死に至らしめた事件黒幕という噂もある。

であれば、今回の一連の騒動は、小野による井伊家乗っ取りだと誰もが思うだろう。

さて、今回の例では、井伊の人々の思いも虚しく、最終的に息子への情愛に流された直虎が、自らの子である政虎に井伊家を継がせ、小野家臣団と井伊家臣団は統合されてしまう。

その後、反発した井伊家譜代の家臣団は弾圧を受け、排斥。井伊の民にとって「井伊」という言葉はその土地意味するだけのものとなってしまった……。

つまるところ、史実通り井伊家が井伊家として徳川末代まで残ったのは、この時の直虎が出家をしており、子を為さず、直系の後継者・虎松を育てたかなのだ

・・・

皇室女性宮家を認める、というのは近い将来この事態を受け入れる、受け入れてもよいと認めるということである

認めるか、認めないか判断を下すのはもちろん、主権者である我々日本国民一人ひとりだ。

女性宮家民間男性からまれ子供が、将来天皇になる、というのは、約2000年の間、我々日本人が連綿と受け継ぎ、守り抜いてきた1つの大きなストーリーを終わらせるということに他ならない。

あまつさえ女性宮家が迎え入れた民間男性外国人だとすればどうなる。イギリス皇太子や、韓国大統領中国共産党書記長の息子とも結婚することさえ可能なのだ

その可能性は、日本人として、認めていいのか。受け入れていいのか。

いざその瞬間、女性宮家婚約者を発表したときに、過去現在未来全ての日本人絶句するような相手でないと、誰が言い切れよう。

少なくとも、その時点から先にある「日本国象徴としての天皇」は、遡ること2000年間の全日本人が知り、崇敬し、仰いだ「天皇」ではない。別の何らかの意味合いを持った「天皇である

その物語を「日本の象徴」と認めることは可能なのか?

私は、女性宮家の創設には断固反対である

天皇家が今のかたちで現存しているのは、過去全ての日本人が「天皇家に取って代わる」という最後の一線を踏み越えることのなかった歴史の上に成り立っている。

自分たちにとって、神聖ものを、神聖なままに、尊び、敬う」という我々日本人の心の歴史が「万世一系なのだ

女性宮家の創設とは、過去あらゆる時点における日本人尊崇の念が無に帰す、不可逆の一手であることを知ってほしい。

2017-04-16

北のミサイルが来たら"国内の敵"を〇すと言ってる人達について

もし北朝鮮ミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく。— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2017年4月13日

「もしミサイルが打ち込まれて私の家族死ねば、テロ組織を作って国内の敵を潰す」という私のツイートが物議を醸しているようだが、「国内の敵」というのは、売国議員売国文化人である。— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2017年4月14日

実際に半島狂乱状態になれば、日本被害を受けずにはいられないでしょう。大勢の罪のない日本人死ぬことになります。その時、パヨクが無事でいられるなど思っていないでしょうね?生き残ったパヨク復讐と怒りに燃える日本人たちのパヨク狩りの餌食になるだけです。パヨクに逃げ場はない。— 桜井誠 (@Doronpa01) 2017年4月14日


言うまでもなく異常で、危険だ。

国内における暴力国家に一括して預けるからこそ、我々は国内における私人間でのやりとりにおいて、互いの暴力可能性に怯えずに暮らすことが出来る。

もしその原則を捨てれば、私闘私刑の横行するヒャッハー状態を経たのち、互いに身を守ろうとする人々毎の武装勢力国内に林立することになる。

ゆえに、安定した国家はその様な私闘私刑を決して許容は出来ない。

江戸時代の仇討ですら、免状がなければ単なる殺人として処罰された。

こんなことは歴史上何回も繰り返されてきた基本中の基本であり、右とか左とかは基本的関係がない。

必要に応じ警察には厳重に取り締まってもらう必要がある。

あるのだが。

リンク先の主張に同調する馬鹿どもは、確かに馬鹿ではある。

一部本当に暴走するのであれば、おそらく警察なりのお世話になり、一時的社会から排除されるだろう。

だが、それは問題解決なのだろうか?

このような主張が(少数派であろうとも)一定の支持を得るという事自体わたしたちの今の社会には何かが決定的に壊れ欠けてしまっているのだという事のあらわれなのではないのだろうか?

からミサイルが着弾し、被害が出た際に。

北を許せない、報復したい、報復しなければならない、というのは、賛否こそあろうが自然感情として理にかなっている。

だがそこで報復対象が"国内の敵"への私的制裁に向かうということは、なにか、国民国家というのもののどこかの回路が決定的に壊れてしまっているということのように思えてならない。

正統的で健全なナショナリズムなり、安定的包摂的なコミュニティ存在なりなんなりで、

広く国家社会への信頼といった従来の回路を回復せずに、安定した国家運営する事はできるのだろうか?

そういった回路がないと、今後も事あるごとにテロリスト(に近接した人々)を生み続けてしまうのではないのだろうか?

あ、だからやっぱ共謀罪必要なのか。

割と冗談じゃなく。(冗談です)

2017-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20170412155415

日本過大評価しすぎのシナリオだと思いました。

実際に示威行動する場合韓国より日本のほうが攻撃やすいですよね。自衛隊には攻撃能力ないし。

日本のどこかにミサイル落ちてきたとした場合米軍報復してくれるかというと、先日のシリアのソレのように限定で爆撃一回ぐらいしてお終いでしょう。

日本にだけ攻撃して韓国攻撃しない場合韓国日本に代わって北へ侵攻し報復してくれるとは思えませんし。中露も同様。

ついでに言えば、日本の現政府国民犠牲に本気で対処してくれるとは思えません。

国際関係を優先」し報復は「平和手段」に訴える程度、外患をアピールして国内スキャンダルをもみ消せる良いチャンスぐらにしか思わないでしょう。

国際社会被害を訴えて終わりです。原発事故から予想するに、犠牲者への補償も大して期待できない。

まり何か起きても、今と大して変わらない。

 

北の独裁者にとってすれば、日本人が千人万人程度に死んで本気ぶりをアピールできて、リスクは大してない。

その代価が見せかけの爆撃やミサイル何発かで済むなら安いと思うのではないでしょうか。

 

現代はもう国民国家時代が過ぎ去りつつあって、日本国民の命なんて自民党政権においても国際政治においても大した意味はありません。

誰にとっても大した意味はないんだから示威で適当に殺すことにリスクも伴わない。

そういう環境日本人は置かれてるんだなあ、というのが今回の話だと思います

 

~~~

 

・追記20170414

 

存外に反応されてたのもちょっとした驚きでしたが、コメントの総数に比して星が乱打されててちょっと笑いました。

 

さておきついたコメントについて。

基本的には自民党政権および官僚組織に期待していない、という話になるんですが、

 

id:kazuya53 同盟者への後詰めの重要

日本政府から要請しなければ米国にも出動する義務は発生しないでしょうし、外交的にはそれで済みそうです

宗主国様からは「ミサイルの1、2発が飛んできても大した話じゃないから気にスンナ」と内々に言い含められ、

唯々諾々と従って終わりかなあと思います

 

id:cider_kondo政権憲法改正を望んでる

自民党政権が目指す再軍備については、どうせ戦争をする気もなくてピカピカのヒコーキとミサイルを並べてバックマージン美味しい程度の人たちですし

「俺たちは別に戦争を起こす気はない(だから憲法改正しても問題ない)」ぐらいのノリでしょう。

平和ボケという意味合いで言えば、憲法改正内容も再軍備の中身も雑な自民党政権もっと平和ボケなのだと思います

というか、非正規戦が主流となっている現代に、長々と戦術ごっこを論述されるのもだいぶズレています

この先まっとうな地上戦での決着など起きようはずもなく、年に1回か2回、

からミサイルが1発2発飛んできては、米国から10億だか100億だかで買わされたミサイル自衛隊が10発やりかえしましたと

戦果を赫赫とアピールする朝のNHKニュース国内被害はいつの間にか詳細報道されなくなっている、という日常の到来だと思いました。

ミサイル購入で貿易赤字解消にもなってめでたしめでたし

 

示威行動

国内外へのアピールにはちょうどいい、という意味でしたが判りづらかったですか。今ちょうど米政権がやってますけど。

 

id:sakidatsumono 北のスパイ

これは正直、びっくりする反応でした。いわゆるネトウヨが噛みついたということなのでしょうが

彼らが噛みつきたくなるほど尖った意見だとも思っていなかったので。

星乱打の過剰反応も含めて、結果的には書いてみたかいがあったと思います

 

……全部のレスコメントするスタイルを真似しようかと思ったんですが体力が尽きました。

 

もすこし20170414

  

id:houyhnhm 日本に、ではなく、アメリカ基地となってる所に

テロリズム時代ですし、敵のいちばん弱いところを攻撃するのがセオリーですし、

基地を狙う必要はないんじゃないでしょうか。

なお、稼働中原発を狙う、という意見が一番説得力があると思います

2017-04-02

ローカリゼーション回帰

国民国家という水準をグローバリズムは確かに凌駕する。だが、グローバリズムという「環境」を自由に泳ぐことが出来るのは、経済的体力や能力資本を持っている人間だけだ。大半の人間は満足に泳げずに溺れてしまう。溺れた人々がとりあえず掴むモノとしては、ひとまずは国民国家しか用意されていない。

2017-02-25

森友学園国有地取得で会計検査

森友学園国有地取得で会計検査

https://this.kiji.is/207438898890506241

情報提供の受付

https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2

二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつ伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである

戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである

保守勢力自民党文教族文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚国歌斉唱、「教育勅語」の再評価修身の復活などを主張してきた。

国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣天野貞祐文相は、その嚆矢である内藤誉三郎(文部事務次官参議院議員第一大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。

教育機関国民国家歴史や意義を教えることは必要である国民国家は、現在国際政治基本的単位だ。これを否定するつもりはない。

グローバリズム時代国民国家というシステムいかに無理なく保守管理運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。

パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。

ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である

あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である

東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。

東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い

今日ほど「君が代」に関する議論劣化した時代はほかにないだろう。

君が代」を歌うか、歌わないか問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守愛国であり、歌わなければ左翼反日である即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している

1999年に「国旗国歌法」が施行された

ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼のもの勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。

1890年2月帝国議会の開会を直前に控え、地方治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳樹立を求めた。

→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

日本神の国であり、世界指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである

しろ教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

日本日清戦争日露戦争勝利し、帝国主義列強一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた

君主たるもの特定政治的宗教的思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的否定言葉を使うべきではない

また、井上帝国憲法の起草者として立憲主義尊重し、「君主臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

もちろん、自由民権運動対策念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想軍国主義権化のごとき過激ものでもなかった。

追加修正

西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

1919年、『勅語衍義』の執筆者井上哲次郎によって「教育勅語修正を加へよ」という論考が発表された

この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

1948年6月衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左

教育勅語」は、狂信的な神国思想権化ではないが、普遍的通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

2017-01-18

とりあえず、国民国家で決めないと、何も出来ないんじゃね?

左翼とかリベラルは、「海外では」、「国際基準では」とか言うけど、

そう言うのは、太平洋戦争で亡くなった人とか、シベリア抑留された人を

スルーする感じがあるから、何事も決める方向には

かいそうにない気がするな。

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