はてなキーワード: 低所得とは
ブサメンかと言われると自信がないが、少なくともプラス評価にはならない容姿と自負している。
服装ももちろん気を使ってないし、チブだしデブだけどハゲではない。
公私共に忙しすぎない程度に充実していて、話題には事欠くし、仕事柄コミュニケーション力も高くないはずだ。
出会いはない。毎週のように合コンやら友人の紹介と女性と知り合う機会なんてない。
当然場慣れしておらず、基本的には盛りサがる。
(以下、脳内に這いよってきた誰かの妄想)http://anond.hatelabo.jp/20140303010115
これが理解できない。なんなら女性から誘ってくれてもいいぐらいじゃないかと考えている。
俺みたいなやつと付き合いたい女性はいくらでもいるんじゃないのか? 例え、金目当てだとしても。
でも合コンの数時間や数回のデートぐらいでそれが露呈することはないだろう。
何が原因なんだろうか、思いつけば是非教えてほしい。
今回の選挙に行かなかった30歳の男性独身です。ちなみに非正規雇用のIT土方。
今回は投票率が悪かったせいもあって「選挙に行かないヤツは非国民!!」みたいな風潮で非常に肩身が狭い。実際にそうなんだけども、一応こちらの言い分も書いとく。
まず、選挙の本質って「いかに自分のためになりそうな人」を選ぶか、でしょ?
そういう意味じゃ、30歳の非正規雇用の独身男性の俺の立場ではいかに「働く環境を改善して勤労意欲を向上させてくれそうな人かどうか」が選ぶポイントなんだ。
要は給料上げてくれるか、正社員にしてくれるかどうか。もうこれしかない。
はっきり言って高齢者のための福祉とか30歳の俺には関係ないし、いくら将来自分に返ってくるからって年金対策がどーだなんて現時点では選ぶポイントにならない。
まあ東京オリンピックを盛り上げて雇用を増やすって公約はあったけど、いくら風吹けば桶屋が儲かるが経済の常といっても、IT業界にいる俺までには回ってこないのはわかるよ。
てか、世間の2~30代が一番興味があるのって「労働とその対価」でしょ?要は金儲け。そこを焦点とした公約が今回の立候補者からは全然見えてこなかった。その代わりか知らないけど、若年層向け(らしい)の公約が「原発廃止」や「靖国参拝」だ。
東京都民はこれで選ばされるのか...ってちょっと暗澹とした気持ちになった。
そういう意味じゃ今回の候補で最も近いかな、と思ったのは家入一真だったわけだが、家入一真は家入一真であるという一点だけで論外。これは今まで彼を見続けてきた結果であって、彼はどう考えても政治家向きではないよね。でも次に繋げる土壌になるのであればそれは見守りたい。
まあ今回の選挙ではっきり思ったのは、年もいってない、子供もいない、第一次産業、第二次産業にも隷属しない俺みたいなただ中途半端に若いだけの奴は、都からしてみれば何の打つ施策もないんだよね。ああ、自分で頑張ってくださいよってなもんなんだ。
俺が今、低所得で非正規雇用で結婚もできないのは全て自分のせいで、つまるところ誰が都知事になったって、何も変わらない。これは本当に事実なんだ。
これがわかったから、とりあえず俺は今回の選挙は棄権して、そして自分をちゃんと見直そうと思った。
なんというか国民としてしっかりしようと思ったんだ。
僕は月に二回ほど、安い牛丼チェーン店を利用することがあり、使ってる時間帯(早朝)も関係しているのか、当然のことながら、僕も含めて客層のほとんどはそれほど所得の多そうな人達ではありません(ヨレヨレの服を着ている、ヒゲを剃っていないといった身なりがあまり整理されていない等が判断材料なので必ずしもとは言えません。見た目で経済力を判断するのも極端な話ですが、僕自身小さい頃から何度も家庭環境を身なりで判断をされてきた経験もあるので、絶対ではないけれどある程度のバロメーターにはなるとという自負はあるんです)。ですがやはり数名は、それなりの収入はありそうな人(それなりの値段はしそうなスーツを着ている人等)も稀に訪れるのです。
あくまで僕の見てきた限りの話になるのですが、食事を終えた後に勘定を支払う際(すき家のような後払いの場合)、もしくは純粋に食事を終えて帰る前(松屋のような食券制の場合)、店員に向かって「ごちそうさま」という言葉を口にするのは、いわゆる「低所得そうな人」のほうが圧倒的に多かったりするのです。とてもフランクに「ごっそさん」くらいのノリで。
これは、店員に「ごちそうさま」を言うのが正しく、言わないのが悪い、という話ではありません。そもそもそこに善悪などは一切挟まれていません。ただ、個人的には注文やお勘定の要求以外で店員に話しかけるのって勇気がいるんですよ。なぜなら単純にそれを言う必要性がないのと、店員にウザがられるかなという考えがあるからです。
だから本来なら言う必要性のない場所での「ごちそうさま」を言うことにあまり抵抗がないって、いいなあと思うんですよね。僕はこの行動を好意的に解釈しました。念を押すようですが、「言わないのがダメ」というわけでは決してありません。言うも言わないも完全に個人の自由です。でもどうしてそういう行動は(僕の観測している範囲だと)いわゆる「(あくまで僕の基準に照らしあわせたうえでの)低所得そうな人」な人に集中するんだろうという疑問もあり。
言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い
— 最高の冬にしようや (@nnnn330) 2014, 1月 16
ご覧のように、これは単純に「僕はこんな疑問を持ちました」ということの表明です。「所得が低い」と言い切っているわけでもないし、「備えている『ように思える』」と、あくまで僕の中のイメージでしかないこともはっきり記しています。「本来不必要」というのも、「ごちそうさまを言うのは義務ではない」という意味です。
すると、このツイートがえらく拡散されていたので「お、同じことを考えている人が結構いるのかな?」と思っていたんですよ。
でも、違っていたんですね。
ごちそうさまって言うことの何が不必要なのさ。あなたは何様なのさ。
— 九条遥 (@kujoh_haruru) 2014, 1月 17
この人は食後にごちそうさまを言う人に親でも殺されたのかな?
……ん?
ごちそうさまくらい言ってもいいじゃない— アメボウズ@もう何も怖くない (@ame_tonberi) 2014, 1月 17
@nobody2knows 他人に丁寧に接することを揶揄する人は寂しいねえ
— でゅーくまんごう(◕‿‿◕)改二 (@nan5o) 2014, 1月 17
……や、揶揄?
個人の自由 RT @nnnn330: 言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い
— 久遠寺あにぢゃ (@xl9ngy0120) 2014, 1月 17
牛丼にごちそうさまは不必要とか頭おかしいな RT @nnnn330: 言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い
……お、おお?
これはもしかして……いや、他の人の反応を見てもまず間違いありません。
僕が「牛丼屋でごちそうさまを言うな!」と主張したように解釈されている?
えっ、どこ? どこを読んだの? あのツイートのどの部分を読んでそう解釈したの?
いや、仮に「不必要」の部分を以って「不必要なんかじゃない!」と主張するのはいいんですよ。是非はともかく個人の自由ですし。
でも、僕が牛丼屋でごちそうさまを言うなと主張している、という認識はあのツイートのどこでそう解釈したんですか? ここは譲らないですよ。譲らないというか、意味がわからなさすぎて譲りようもないというか。
もう本当に煽りなんて一切なく、もう1ミリも理解できないんですよ。何がどうなったらその受け止め方ができるのと……。
でもまあこの手にありがちな、一部の極端な発想をしちゃう層なのかな……と思っていたら、ツイートの拡散は止まらないし、先にあげたツイートのような反応がゴロゴロ転がってくるし……。
星井さんの元ツイートが誤解されやすい論調だったからかな。「エリートっぽい人より、低所得っぽい人の方が礼儀正しく見える」という意図が、「低所得っぽい人ほど無駄に礼儀正しいwww」という意図に読めるんだと思う。ごちそうさまがどこに向いているかを意見する人は本当はそこを批判したいのだ。
— 赤速 (@redswift500) 2014, 1月 17
なるほど……。
ここで再確認しておきますが、僕は「ごちそうさまを言うな」とは一言も言ってないですし、「ごちそうさまを言う奴は低所得者だ!」といった意味不明な煽りもしていませんし、「低所得者の礼儀正しさは無駄」に至ってはもうなんていうか、その解釈どこの星から持ってきたのとしか……。「僕が興味を持っている」というところ以外では「言い切ってる部分」だって殆ど無いんですよ、件のツイートには。
僕の中では「ごちそうさま」くらい、言うも言わないも好きにすればいいはずで、言う人が責められるべきでも、言わない人が責められるべきでも、どこかで義務付けられているわけでも、義務付けて強制すべきでもなく、僕にとって(少なくとも件のツイートに関しては)「本来不必要」というのは「やるな」ではなく「やらなきゃいけないわけじゃない」という意味なのです(義務付けられてなかったり高い必要性が求められていない以上「本来不必要」という表現で合っていますよね?)「マナーとして必要な場があるというのなら自分のためにもそれに従えばいいだけの話で。
ですが、ここまで誤った認識が広まっているのなら、それはきっと僕の言葉が足りなかったのでしょう。先のツイートのように、論調が誤解を受けやすかったのかもしれません。そこで、自分の言葉のどこに、その誤った解釈ができる要素があったのか、徹底的に考えてみることにしてみました。
出来る限り言葉のひとつひとつを、出来る限り多方面から、出来る限り客観性を持って(自称する客観性ほど胡散臭いものもありませんが)、彼等の認識をすり合わせて、どこで誤解を受けるのかを考えます。
……………………。
……………………………。
…………………………………。
自分が絶対に誤解を受けるはずがない完璧な言葉を吐いた、といったような驕りを言うつもりは一切ありません。なのでそれがわからないということは、僕に欠点があるわけです。僕の目から観たらかなり跳躍した思考であっても、それがここまで大勢、しかもみんなすぐその「僕には誤っていると思っている認識」に直結したともなれば、もう僕の思考の欠落を疑うほかないからです。
唯一救いがあるとすれば、これらの誤解した意見が「多く」はあるけれど「多数派」ではなく、まあ実際の割合はわかりかねるのですが、僕の言葉の意図してることを理解してくれた人も、僕の見た具合では誤解した人と同じくらいいたことです。
結局僕は「低所得者の礼儀正しさをバカにしたうえ、牛丼屋で『ごちそうさま』をいう行為を否定した人」という枠に、そんなつもりも一切ないのに押し込められてしまったわけです。
ツイッターには文脈の一部だけを切り取られてそれが広まり解釈されるという現象も珍しくありません。僕の言葉足らずもあったのでしょう。
それでも!
そうだとしても!
やっぱり納得出来ない!
ああ、日本語って難しい。あるいは単に僕の頭がすこぶる悪いのか、人の気持ちが理解できないだけなのか……思いもよらぬことで自分の理解力の欠如が露呈し、あらゆる自信が崩壊していきました。いや自信なんて最初からないんですけれど。
今この記事を書いている間も、実は全くわかっていません。誰か僕にもわかるような簡単で合理的な説明を!
nanaoku 2014-01-17 13:06
http://anond.hatelabo.jp/20140117173200
どんな時でもごちそうさまという食事への感謝を表す言葉を著者がイメージするマナーや教養を持ちあわせいるであろう、そこそこの所得があるであろう人たちよりも、著者やがイメージするマナーや教養を持っていなさそうな低所得者層に見える人たちの口から発せられているのに著者の今までの先入観を崩され『悪くない風景だ』
という風に読めた。
相関があると言っているのではなく、
相関があるように見えるのが興味深いと言っているんだろう。
ここでは結論が出されていない。
調べてみたら低所得じゃないかもしれないし、
というところまで含めての話だろうに。
■個人的な感想
ごちそうさまの習慣と所得の多寡には、相関性があるとは思えない
むしろ何故、ある一つの食事の習慣を「金持ちか貧乏か」という軸で切り分けて見たのかが、良く分からない
「主に何を食べるか」と収入との関連は、懐事情の許す限界があるので当然だし、そういう比較なら分かるんだけど…
当該の人は、ご自身を「低所得」コミュニティに属するものとして捉えているのではと思う
ご自身より少しでも金周りが良さそうな人、に対する過剰なルサンチマンが根底にあるのではないか
そのために、世の中を「金持ちの行動原則」vs「オレの行動原則」みたいに
常に対立させて見る『色眼鏡』をかけているように感じた
このエントリを見る限り、それは一般的にはあまり「高所得者」とくくられる人ではないような気もする。
どっちかというと、平均的な所得を得ている程度のサラリーマンというか…「裕福」ではないと思う。まぁこれは私から見れば、の話だけど
個人的な尺度ではあるが、「高所得者」という修飾語の付く人は、そもそも牛丼屋で食事をとる機会が少ないのではと思う
私の身の回りには、いわゆる年収1000万円オーバー(どうも小町っぽくて困るね)の知人が何故か多いのだが
彼らは牛丼屋でごはんを食べる様子がないし、私自身は同世代平均よりはちょっと高い程度の収入だけど、やはり牛丼はあまり食べない
まぁこれは、ごく狭い私の世界における観測であって、当然、年収5000万でも牛丼大好き!な人も多そうだ
知り合いの社長にアツい松屋派の方が居て、『保守的な牛丼趣味(社長談)』を持つ吉野家好きの部下と飲み屋で熱くバトルを繰り広げる現場に居合わせたことがあるしw
そういう風につらつらと考えるに、やっぱり、牛丼を好むかどうかですら、所得との相関関係はあまりなさそうだ
いわんや「ごちそうさま」をや
■結論
自分が「貧乏ルサンチマン色眼鏡」をかけている可能性を、少し考えてみてはいかがでしょうか
まぁ、ぼくの見たモノだけが現実で、それ以外は知らんぼけ、って言うなら、はーそうですかーってなもんだけど
そりゃ否定的なブコメ付けた人たちがあなたに対して思ったことでもあるから、不毛なディスコミュニケーションでしかないよね
■その他、炎上した理由があるとすれば
「低所得者に見える人たち」はうんぬん…って、主語が大きすぎる
このエントリが本人だと信じるとして、まぁそうじゃなくてもtwitterを覗いたりして感じたことは
「ぼくには理解できない」、じゃなくて、「理解する気がない」んじゃないか、ということ
あーこの人「ありのままの貧乏でお茶目なぼく」を、どうしてもはてなのコミュニティでも認めさせたい、ということなんだろう、と
一応、元の記事は読んだ。牛丼屋で支払いの時に、「ごちそうさま」という人には「低所得」を感じさせる風体の人が多い。「高所得」そうな人は、「ごちそうさま」とは言わない」という感想というか印象。
牛丼屋の後払いとか、セルフ食器を片付けるお店だと、つい「ごちそうさま」と言ってしまう自分は、きっと「貧乏人」に見えているんだろうな。さすがにファーストフードのゴミ箱は挨拶しない。店を出るときにも。
ちょっと高価なレストランだと、最初に「お会計お願いします」ははじめに言うけど、「ごちそうさま」とは言わない。いくらくらいが境界線なんだろうなぁ。ファミレスでも言わないな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/nanaoku.hateblo.jp/entry/2014/01/17/130610
該当記事が消えているようなので、ブコメのページを貼っておく。
「ごちそうさま」という言葉の由来が「走り回って食材を集め、提供する」という無償の好意に対する感謝の言葉であるということは、わりに一般的な知識だと思う。
注意したいのは、この言葉の中には、あらかじめ「無償」「好意」という意味が含まれている、ということだ。現在でも、年輩の方に、飲食的でごちそうさまということの是非を問えば、違和感を示す人は決して少なくないのではないかと思われる。なぜなら、飲食店でそう発言した瞬間、そこでの食事は無償であるという前提になるからだ。もちろんそういうことはありえないわけで、これは単純に使う場所とタイミングをまちがえている、つまり誤用であるということだ。
現在でもこの厳密な意味での運用はある。たとえば、ある女性が他人の恋人を寝とったようなときに、マンガや小説などで発せられる「ごちそうさま」という言葉だ。これは相当に下劣な響きを持つ。もっとも、近年ではそういう言い回し自体をあまり見かけないようだが、これは、この言葉にもともと「無償」という意味合いが含まれるからこそ効果的なのである。この例に限らず、時宜を得ない「ごちそうさま」は、どこか下卑た響きがある。それが現在まで残存している言葉の意味というものだ。
さて、問題のブログである。もう一度読んで確認したいところだったが、すでに削除済みである。流し読みした程度だったので、記憶の不備があればご指摘いただきたい。
記事の筆者はどうも「本来的には、飲食店でこの言葉を使うのはおかしい」という前提を崩していないように思えた。にもかかわらず「悪くない風景である」という流れだったと思う。そこに「低所得」という扇情的な言葉が絡みついてしまったがために、記事全体が煽りの要素を含んでしまったように見えた。かくいう私自身も、家に躾の厳しい年寄りがいる環境の若者で、原義的な意味でこの言葉を把握している人を見たことがある。
もちろん、現在ではこうした意味合いは薄れ、提供された食事に対する汎用性の高い感謝の言葉として通用していることは承知している。
実際のところは筆者の胸の中のことなので、わからない。ブコメの大半の方が仰るように、炎上狙いの記事だったのかもしれない。しかしこういう可能性も考えられるということで、老婆心ながら筆を取った。
RTで個人の発言が出回る時は
大体この2通りだと思う。この発言は後者の前提で出回ってる。
誤読される理由がわからないそうだが、最初から悪意を持って客観的に読んでみるとわかるのでは。
『言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い』
(1) 言い方は悪いが所得の低そうな人
「自分がこう思うだけかもしれないんだけど」という弱気を前提にした一節らしいが、傲慢を前提に読むと真逆になる。
・書いた人の意図 『(あくまで僕の基準に照らしあわせたうえでの)低所得そうな人』
・読む側の捉え方 『(他人を表現する上で悪い言い方ではあるが、誰がどう見ても)低所得そうな人』
・書いた人の意図 『ごちそうさまを言うのは義務ではないのに』
・読む側の捉え方 『ごちそうさまを言うことは本来不必要だというのに、無駄に』
(1)の傲慢前提と組み合わせると、
『低所得者ごときが、ごちそうさまを言うことは本来不必要だというのに』
に悪意が肥大化する。
(3) 備えているように思えるのは興味深い
婉曲表現に期待しすぎ。「いるように思える」も「いる」もツイートごときの文脈ではたいして区別してもらえない。
あと、「興味深い」はネットだと丁寧っぽいだけの煽り文句として使われがち。 例:「>>1はこの糞小説が面白く読めるんだ、興味深い頭してんなー」
煽る相手は誰かと読み手が想像すれば、ツイートの最初にある「低所得」だろう、という結論に至る。
・書いた人の意図 『あくまで僕の中のイメージだが「備えている」ように思える。このことを僕個人は興味深く感じる』
・読む側の捉え方 『低所得者ごときが備えているんだ、面白いw』
こんな流れで、悪意的に読む側の立場からツイートを再構成するとこうなる。
『低所得な奴ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」って言う。言う必要なんかないってのに、低所得者ごときが無駄に礼儀正しくて面白いw』
じゃあ、真意を伝えるためにはどう書けばよかったんですか!?とnanaoku氏は思うかもしれない。
個人的な意見でしかないと自覚してることはtwitterなんかで書くな。自分のブログなりチラシの裏に書け。
そもそも、容易に誤読される内容を140文字で書けると思うな。どうしても公開したいならすべての誤読の可能性を潰す勢いでブログに書け。
今どきの新しい軽自動車でも高速道路で流れを乱さない程度に走るには不安になるぐらいエンジンをぶん回さないといけないし、
ぶつかった時の壊れ具合なんか見てると走る棺桶に見えてくるし。
中古で探すと小さい普通車よりも軽自動車の方が高いことも結構あるわけで
そりゃそうだよね。
普通車よりも安い税金ですむ軽自動車の思想設計はアメリカなんかじゃ考えられないものだし。
アメリカを儲けさせることを目標にしているTPPも日本という土俵においてアメ車と軽自動車がぶつかってもどちらが潰れていくか明らかなんだからね。
まぁ、他の排気量の車でもアメ車と日本車だとどちらがより好まれるかはわかりきったことなんだけど。
そして本題。
小さい普通車と軽自動車の年間維持費の差は保険等々も含めて5万円以下。
そのまま自動車税のみで考えると差額は2万円程度。
これらを高いと思うかやすいと思うかは自由だけど、20代の方々の一つの基準である年収200万程度であっても捻出できない額ではないと思う。
月収の三分の一なので、切羽詰まった状況で無い限りで払えるぐらい。
しかし、こういう考え方自体が間違っているわけで。
その証拠に軽自動車はよく売れているんだよね。
今の若い人達に言えることだけど、大学全入時代の弊害とも言えるもので奨学金の返済なんかが馬鹿にかかる。
一部の裕福な家庭を除いてみんな借金してる。
それも今まで使っていた分で300万とかの借金を背負ったまま社会にだされる。
10年か20年ぐらいかけてゆっくり返済するんだけど、それだってきつい。
でも見立てがつかないから無理してしまって少しばかり親に払ってもらったりね。
これが本当にきつい。
自営の方もおんなじ。
大体子供がいて若い方は養育費と教育費がかかるし、子供がそれなりに大きくなったときは子供の奨学金の返済の助けとか、あるいは車の購入資金の建て替えなんかしないといけない。
それなりに年収があって働いている人は現金一括か自動車ローンを組んですんなり自動車に乗ることができる。
当たり前に幸せな家庭になるんだろうね。
必要に迫られて、あるいは見栄を張って無理をして購入するわけだ。
すでに借金にまみれていてまともなローンを借りることもできない。
しょうがないから家族に頼んだりおじいちゃんやおばあちゃんに頭下げたりするんだよ。
そして車を買うときにみんな言うんだ。
軽自動車を無理して買うぐらいなら、公共交通機関を利用しなさいという人もいる。
それはぜんぜん違う。
だってみんな車持っているのに自分だけ買わないわけにはいかないから。
みんな自動車を無理して買っているのにそれに合わせて無理しちゃう悪循環。
やめればいいのにね。
たまに、こういう人たちは保険に入っていなかったりするんだよ。
ぎりぎりにバランスを保っているだけの生活を送っている人はちょっと車をぶつけただけで首が回らなくなる。
だからこそ用心深い怖がりは車を持たなかったりもする。
その年で車持ってないのと馬鹿にされることもあるけどね。
ちなみに軽自動車の自動車税を増税することに対して「弱い者いじめで、悲しい」と発言したらしいスズキの会長の発言からこの記事を作成いたしました。
私の私怨がかなり混ざっておりますが、悪いのは自分だということはわかっているのでこんなところで書き連ねることしかできませんで。
最後にもう一つ。
この意味はもう買い方から違うっていうことが上の文章からわかっていただけたと思う。
お金はないけど車がほしいっていう人たちの頼みの綱。
つまりこれが本当の火の車というわけで。
ここhttp://musyoku.com/nikki/title.phpは底辺の集まりなので高みの見物すると楽しいですよ
主な日記書き
うつくん 古参。一ヶ月で20社ぐらいの面接を受けている就活キチガイ。自分のことをうつくんとよぶ癒し系。オススメ
ジャック 小売で営業をやっている古参。恋愛に憧れを抱いている高齢童貞。
ナイト2013 これぞ至高の孤男日記。神の言葉。皆の衆も見習えたまえ。ヘイドっ。超オススメ
40歳の男 高齢ゆうメイト。低所得なのに競馬をやり続けているギャンブル依存症。ほかの奴に煽られてもものすごい勢いで競馬をやり続けている。金がなくなってからの極貧報告が面白い。歯が抜けているにもかかわらず自分は福山雅治似だと主張している。オススメ
ぷー メンヘラ無職。かなり狂った独白を長文で書き殴っているキチガイ
アル中ブラック 説教と自慢と足引っ張りしかできない偉そうな糞。変わり者だと思われたくて必死。ちょこのこなどの人気日記や前向きにがんばっている日記を見つけると嫉妬して個人攻撃する。しかも直接本人に言わず自分の日記でネチネチ嫌味を書く卑怯者。そして該当部分をすぐに排除するヘタレ。文章がおっさん臭くてクソつまらんのだが自分を面白い人間だと勘違いしているから哀れ(笑)。他人の邪魔する奴は勝手にリタイアして牛糞でも食ってろよバーカwwwwwwwwwwww
無職.com歴九年目 精神障害2級(不正)。頻繁に更新している。文章がへたくそ。他人の日記にイチャモンをつけるゴミクズ。コメント欄つけろよヘタレwwwwwwwwwwwwwww
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130809/p1
大学ではないが、受験で入った国立付属中学で文化的差異に驚愕した覚えがある。
それまでにピアノが引ける人の数がクラスに2人だったのが、いきなりほぼ全員になった。
ただ、付属内でもサラリーマン階級と資産家階級の文化差があって、
中学まで低学歴社会から抜けたため、個人的な怨恨はない。まぁそんなもんかなという印象。
彼らは彼らで楽しくやっているのだろうし、うちらも楽しくやれれば歓迎。
じゃあ何が問題なの?と問うてみる。
前提条件として、階級移動が少なくなった事情は抑えておくべき。
高度成長期までは社会階層時代の変動があったため、(一次産業比:戦後40%→20年後10%)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5240.html
誰もが親よりも良い職業につくことができていたし、パイの成長自体もあって、
低所得層からの知的階層への参入がよりあった。おそらく今の50代くらいまで。
今ではそのどちらもがなくなったため、階級の固定化が進んでいる。
階級ごとに地域で分化し、違う階層との交わりを断つ方向へ流れている。
個人的にも、エントリを読んだら娘を公立に行かせるなんて出来ない。
http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155
階級化は進んでいるし、相互の交わりを持たない人も増えていることが想像される。
アメリカでは低所得層からの優秀な人材を登用できないこと自体が問題設定されている。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2013/04/education_and_socioeconomics.html
大した評価軸を持たない日本ではどのような問題を設定するのか?
学者サイドでは、きちんと貧困問題と、再配分の問題として、定義し直すことができているが、
世論では格差が問題と言いつつ、格差への怨恨を憂さ晴らしして、終わることが、心配でならない。
馬鹿な若者に対して、強制的に教育せねばと徴兵制をねがい、http://togetter.com/li/545096
日本が勝ったと満足して、自尊心を満たすような、オナニープレイは見たくない。
そのために何をすべきかが、設定すべき問題なのかもしれない。
これはもうどうしようもなく。
人権とかノーマライゼーションとか言っても、やっぱり障碍者は生活につらいことがあるし不利も多いし、家族も負担が大きい。
例えば障碍者への義務教育費用と言うのは、健常者の10倍は税金がかかってる。
本人も不幸だし、周りの人も不幸だ、これは社会努力でどうやっても同じにはならない。
足がない人と足がある人は、どうやっても違うのだ。
足を失った人は、どうやっても陸上選手にはなれない。マラソンを趣味にすることも出来ない。
選択が人生の幸福を生むことを考えれば、最初に選択肢がないというのは、何を詭弁で論じても幸福ではない。
だからといって、障碍者がいなくなるかというとそんなわけはない。
障害者の数が少なければ、少ないからといってないがしろにしかねないとも思える。
不幸な人間が何も対策されず見過ごされるのは犯罪や自殺や乞食など、社会不安を引き起こしかねない。
健常者にとって、将来のことを考えても、社会維持のためにも社会福祉は必要だ。これは人権だけの話ではない。
障碍者が健常者のおかげで生きているなどといっても、殆どの場合、その金は金持ちの払った税金がまかなっている。
私がしていることなど本当のところ殆どない。多くの人が同じくそうだ。
700万以下だったかの低所得層は取られる税金よりもむしろ国家支出の恩恵の方が多きい、だからといって金持ちに感謝しろといわれれば腹立たしいだろう。
好きで低所得なのではない。金持ちが何故それを言わないかといえば商業ベースが多いからでもアリ、低所得層の方が数が多く政治権力的に強いからかもしれない。
ただ、それだけで私のような低所得層は何の気もせず往来を歩けるのだといわれると、多少情けない。やはりそこは、人の倫理であるほうが誇らしい。
どんどん物を作るゼェ!
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力自慢の労働力どんとこい!イケイケドンドン給料も弾んじゃうゼェ!?
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とりあえず女にはガキとジジババの世話やらせとけやぁ!
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ジャペーンアズナンバァワンやでぇ!
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よっしゃあ!この国も先進国の仲間入りだゼェ!
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あれ??なんか、景気、ヤバげヤバげ?
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なんかぁ、物作り、あんまり国内でする意味もなくなってきたかも…賃金高いし…
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正社員でやとったりできないから派遣とかバイトでおなしゃぁっす…
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ただ鼻水や糞尿にまみれたり、茶を運んだりするような職が増えたというだけ。
そしてそういう仕事をやってきたのが女。
日本では男も女も稼げなくなって、結果的に子どもが作れなくなってる。
なので閉塞感や絶望を感じている男性は海外へ行くと良いかもしれない。
日本では低所得でも現地の男性より金があれば当然モテるしちやほやしてもらえる。
それか女の移民を入れる。
貧しい国からきた女なら、
日本の貧しい男と結婚しても地元にいるよりマシだからと文句も言わず頑張ってくれるだろう。
日本の女は死に絶えれば良いので放っておけば良い。