2013-06-16

なんだかんだ言って障害者は居ないほうが良い

これはもうどうしようもなく。

人権とかノーマライゼーションとか言っても、やっぱり障碍者生活につらいことがあるし不利も多いし、家族負担が大きい。

障碍者を補助するために、他人の負担も大きい。

例えば障碍者への義務教育費用と言うのは、健常者の10倍は税金がかかってる。 

本人も不幸だし、周りの人も不幸だ、これは社会努力でどうやっても同じにはならない。

足がない人と足がある人は、どうやっても違うのだ。

足を失った人は、どうやっても陸上選手にはなれない。マラソン趣味にすることも出来ない。

選択が人生幸福を生むことを考えれば、最初選択肢がないというのは、何を詭弁で論じても幸福ではない。

  

からといって、障碍者がいなくなるかというとそんなわけはない。

事故で失う人もいる、遺伝子治療も不完全だ。

障害者の数が少なければ、少ないからといってないがしろしかねないとも思える。

不幸な人間が何も対策されず見過ごされるのは犯罪自殺乞食など、社会不安引き起こしかねない。

健常者にとって、将来のことを考えても、社会維持のためにも社会福祉必要だ。これは人権だけの話ではない。

 

障碍者が健常者のおかげで生きているなどといっても、殆ど場合、その金は金持ちの払った税金がまかなっている。

私がしていることなど本当のところ殆どない。多くの人が同じくそうだ。

700万以下だったか低所得層は取られる税金よりもむしろ国家支出恩恵の方が多きい、だからといって金持ち感謝しろといわれれば腹立たしいだろう。

好きで低所得なのではない。金持ちが何故それを言わないかといえば商業ベースが多いからでもアリ、低所得層の方が数が多く政治権力的に強いからかもしれない。

ただ、それだけで私のような低所得層は何の気もせず往来を歩けるのだといわれると、多少情けない。やはりそこは、人の倫理であるほうが誇らしい。

自分もまた、自分にが助ける人には、ただ自分倫理で、自分が誇らしいかどうかでやりたいように思う。

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