はてなキーワード: レッテル張りとは
ある日とあるポケカユーザーとメルカリで取引をする際、取引したカードを「ニアミントじゃない」と難癖を付けらました。
取引で送ったカードは間違いなくニアミントで、それはおかしいと思い取引相手の話を聞いてみたところ、工場からの出荷時にあるような微細な欠けを指してニアミントじゃないと主張してきました。
それはおかしい。もともとその状態表記が使われていたmtgでは工場出荷時の状態はよほどの初期傷ではない限りニアミントとして扱っています。
ポケカユーザーだけが工場出荷時の欠けを傷だと騒ぎ立てるのです。原因はこのmagi秋葉原店という店でした。
本来PSAで10を狙うような工場出荷時の状態劣化がない美品はジェムミント、あるいはミントなどと呼称しています。ニアミントとはあくまでミントに近い状態という意味を指すもので、完品を指す言葉ではありません。
ところがこの店はミントを何故かニアミントと呼称、他のTCGでは普通にニアミントの物をニアミントマイナスなどとレッテル張りを始め、それを期にポケカユーザー全体が状態を過剰に気にするようになる風潮が生まれました。
ポケカユーザーは次第に本来ニアミントである品をニアミント扱いしなくなり、状態の齟齬によって他のTCGユーザーとの無意味な軋轢を生むきっかけにもなり得ます。
(ただでさえ日本人は状態にピーキー過ぎると嘲笑のタネになってますが)
magi秋葉原はよく高額買取を打ち出しますが、ニアミントを持っていったのに打ち出した価格と異なる値段を提示されたとよく話題にあがります。
それもそのはず、そのそもミント品しか買取が通らないものをニアミントと呼んだことで普通にニアミントが持ち込まれるのは当然の事で、それをニアミント扱いにせず買取を下げ追い返す事で、ユーザーの顧客満足度が下がるのは当たり前の話です。
この店が何故ミントという誤解のない呼び方をせず、ニアミントという響きだけは良くて実態は何も考えていない言葉に固執するのかが分かりません。
5chの過疎った板のスレって葉っぱ天国並みにレッテル張りオウム返し等子供じみた返ししか出来ない奴いるよな。
何も考えずレスバに挑むから自分の書き込みが自分を貶してることになっててても気付かない。
高年齢化してると言われる5chだが過疎ってるところだと逆に低年齢化してるとかあるのか?
俺「知恵袋が使えないからと5chの専門板で質問し直しても大差なかった、茶化してくる奴ばっか。知恵袋も5chも等しく便所の落書きというだけの話だった。日本終わってんな」
奴「日本終わってんじゃなく知恵袋や5ちゃんで質問することに時間を費やしてるおまえがいうなよ。ググればいい」
↑茶化してくる奴ばっかということについて日本終わってると言ってるだけなので、時間を費やしてることについてお前がいうなよと言われる筋合いはない。
・
俺「ググっても知恵袋や5chが上位にひっかかって邪魔なんだが?」
奴「それで知恵袋や5ちゃんに質問して文句言ってたら本末転倒やろw」
↑俺の全体から見たら無に等しい量の書き込みで、5chが検索でひっかかる率が上がるものではないので、本末転倒ではない。というか俺の書き込みが俺がググってるときに出たことはないので別に自分で自分の首を絞めていることにはなってないので、その点でも本末転倒でもないんでもない。
・
俺「んなこたーない。グーグルがどうにかすりゃいいだけの話」
↑以下の書き込みでも言ってるが、俺は「日本が終わってるから、グーグルに表示させないようにしてほしい、と言ってるだけなので(逆に言えば日本が終わってなかったらそんな欲求出ないので)関係ないわけがない。」
・
俺「意訳:日本は終わってるからグーグルは検索しても日本の恥部が表示されないようにしろ」
俺「そもそも>>933の時点で返しがずれ始めてる。質問に時間を費やしていようが茶化した回答したことがないならいう資格あるぞ」
奴「ヤベエなコイツ。真性な基地害だ。そりゃ知恵袋でも5ちゃんの専用板でも相手にされんわ」
俺「ヤバイヤバイとヤバイ奴を無視しきれないのもヤバイというオチ」
↑これをブーメランと言った以上自分が「ヤバイ奴」であることを肯定することになってしまうところに気付けない馬鹿さ加減。
こんな具合で以下何を言っても、相手が自分と同等かそれ以下であることをアピールしなきゃ気が済まないのか何かしら言い返してくる。
おまけ
俺「精神年齢が低そうなスレ(民)。知恵袋で不快な思いしすぎて幼児退行したのか」
↑そうやってオウム返ししたり根拠もあげずレッテル張りばっかするようなところがまさに子供じみてる。
ここ老若男女が利用する5chでそんな幼稚な意趣返しをしても誰もお前を優れた人間だとか思ってはくれないからな。葉っぱ天国じゃねーんだぞ5chは。
いただけねえのはおめえだよ。立憲が先に政策を提言していたことを評価しろよ。なんでしないの?
単純におめえが立憲嫌いだからだよね?
ああおめえは政策じゃなくて感情で投票崎選んでるんだろうなって思ったよ。野党は政策提言もできてるって今回証明されたし、自民のやることにはなんでも反対なんてレッテル張りでしかないんだよね
おめえみたいなやつがフェアに政党を評価しねえんだから恨み節を言うのは当たり前だろ
おめえみたいなやつがジャップランドに大勢いる結果少子化対策10年遅れたよね?どう責任取るの?
それを実現させるには政権交代しかありませーん。おめえに自民党の人事権があるわけねーだろアホくさ
怖い(笑)ママに泣きつけよ。怖いという感情で投票先を決める坊や
野党のやることには何でも反対坊やばっかりだから日本は没落しているんだよなあ…まあジャップの自業自得だよね。おまえって自分が少子化対策遅らせた勢力であることに関してどう思ってんの?
レッテル張りしてるだけで答えになってない
https://anond.hatelabo.jp/20221219221334
なぜかいっぺんにかけないので続き
けいた
@0721_gg
この人が受けてる講習、一体何?
暇アノン、どんどんヤバくなってませんか。
ColaboをNPO法人と言ったアカウントが何を言っているのやら。
夜風
@nocturnospirito
今回のColaboの件に関連して、かなりファナティックな暇アノンの人のTwがTLに飛び込んできて、なぜかと思ったら普段かなり信頼している人がフォローしているからだったりするケースが頻発しており、もうTwitterやめちゃいたい気分になっている
https://twitter.com/nocturnospirito/status/1602990785280053248
いわゆる独り言系。まともに事業内容が説明できない税金チューチュースキーム。利益相反でしかないAV新法と有識者会議。
これらを擁護している以上、あなたも社会的な不正義の参加者であり、あなたの気分は何ら正しくない。間違っている。
@tkore61
そして今回重視したのはこれである。
@hankakudan_uo
Colabo叩きの暇アノン、北九州NPO抱僕の奥田知志さんにまで手を広げてきたぞ
「全部繋がってた」「答え合わせ完了」とかドヤってる
#暇アノン
https://twitter.com/hankakudan_uo/status/1601939428859342848
@hankakudan_uo
【 どなたでも相互フォローします、お気軽にどうぞ 】 クール&トール&ダーク&ハンサムでワン・マン・アーミーな昭和オッサン紳士の群れ。反原連(脱原発)一択で無党派ワンイシューが基本。福岡反核界隈に非政治的に出没。このアカウントでは拡散推奨なツイート紹介(RT)を主に行っています、再RTなど各位様の活用を是非お願いします
しかしそれをフェミ松速報で知るかな(苦笑)。それはさておき、この暇アノンで隠蔽しようとしたものは抱樸との繋がりであるということがここでわかる。
@KATOHSAMANOSUKE·
おじま議員が暇アノンとか使ったツイートにいいねしててしばき隊の野間レベルがバレたのは草生える
https://twitter.com/KATOHSAMANOSUKE/status/1604141833751523328
このように都議れべるでも平気で個人の抹殺に加担する。都議という連中がいかに有権者をバカにしているかがわかると思う。そういう連中しか居ない。
tama ishi
@Codr00
つまり、今頃参加しだした連中とは、勝部元気が犬笛を吹いていることに反応した連中だと言える。
そしてその目的は、コラボのためではなく、ナニカグループと抱樸の奥田に疑惑が向けられているからだと言っているアカウントが存在する。
そうすると、不正会計で税金チューチュースキームには抱樸の奥田が関与しており、その関与を隠蔽するために暇アノンという単語をツィッターに流したということになる。
なぜなら、暇アノンはプロパガンダのうち、「ラベリング」という手法であり、この手法を使う目的は「信用破壊」ということになるからだ。暇空茜は嘘を付いている、信用ができないやつだ。あんなのを信用するのはおかしい。
この暇アノンプロパガンダは都議、学者、マスコミ、社会学部の学生、そして当然ブルージャパンが関与しているだろう。現在の流れで行けばそう言わざるを得ない。
問題なのは、このような行為は日頃あれだけ言われている人権侵害や誹謗中傷なのである。これを学生を含め、労働組合関係者等がよってたかったて行っている。しかもそれはずっと続いているのである。
これが暇空氏でなければあっさり潰されているだろう。
ホッテントリ見るとここ1,2週間毎日Colabo関連の記事が出てきて辟易してる。
ミュートすればいいじゃんと言われたらそれまでなんだけどこの騒動の行方に興味がないわけじゃないのが辛いところ。
なのでホッテントリに入ってくる記事を読んでしまうのだが、擁護側も批判側も党派性臭がすごくて辟易としちゃう。
僕自身、あまり会計の知識がないため「問題だ!」「言いがかりだ!」の言い合いのどっちが正しいんだがよくわかってないんだけども
それでも批判側、てか暇空氏の記事はもうこじつけが強くてきついし(多分、暇空氏はわざとやってる)
一方、擁護側の記事(や特にtweet、ブコメ)はまず批判する人たちをミソジニーだとか表自とか決めつけてレッテル張りから始まってるので
これまたきつい。
汚い言葉でもうしわけないけど議論ではなく、うんこの投げ合い見せつけられてるという感想。
なのでColaboの弁護団が出てきた時、これで収束するかなとちょっと期待はしてたんだよね。
が、、、
粛々と暇空氏がやっていることが侮辱及び業務妨害であることの事実を提示し、会計に瑕疵があれば是正して、なければないと言い切るだけでいいのに
リーガルハラスメントというフレーズに始まり、都は認めてるという重要な一文をしれっと消して何も報告ないし(あったらすまん)、
司法試験受けてきちんと教養と品位があるはずなのに暇空氏と同じレベルまで降りてきてしまってる。
(弁護士だからといって品位があるとは限らないと言われるかもだけど倫理規定には品位を損なうような行動をしてはならない、という一文があったはず)
もう泥試合。
(多分、裁判としては暇空氏に勝つかもしれないけどColaboという団体についたマイナスイメージを払拭するのにはだいぶ時間がかかることになると思う)
なのでまぁ、中立、っていうのは難しいかもしれないけど相手に対してレッテル張りをせずに冷静かつ品位をもって事実をまとめてくれる記事誰か書いてくれ
デビッド・ライス氏と白饅頭氏が互いを批判する文章をブログ,SNS上に投稿している。しかし,以前からこの両者の発信する文章を読んできた私としては,両者の主張は根本的なところで対立はしておらずむしろ同じ方向を見据えて書かれているように見えた。
ではなぜ,ライス氏と白饅氏は対立するに至ったのだろうか。結論から書けば,両者は主張の内容は近しいものだが,その主張をどのようにして一般に発信するべきかという点において大きな価値観の相違があった。その相違にばかりに注目し批判を繰り返した結果,現在の不必要な対立を生じさせたと私は考える。
両者は互にレッテルを張り合い,主張をよく確かめずに感情的な言葉を投げ合っているように見える。しかし,ライス氏と白饅頭氏は現代の言論界において重要な役割を担っており,こんなところで格を落とし合っている場合ではない。
実際に両者がブログ,SNSに投稿した文章から,なぜ不毛な対立が生じたのかを見ていこう。
ライス氏は2022年11月2日,自身のブログ「道徳的動物日記」に,『「女性差別的な文化を脱するために」オープンレターについての雑感』というタイトルの記事を投稿した。その中で,氏は白饅頭氏の言説について
“弱者男性論者たちはアカデミシャンではなく、コンプレックスや差別を煽ったうえでnoteやYouTubeで言動を売って稼ぐ「商人」だ」”
と批判した。
弱者男性論者である白饅頭氏がアカデミシャンではないというのは事実だ。彼は学部卒で,大学等には属さず個人で発信を行っている。「商人」というのもやや悪意のある表現ではあるが,noteや書籍を販売しているとい点では間違った表現ではない。
だが,アカデミシャンでないことも「商人」であることも,白饅頭氏の論を誤りだとする根拠にはならないはずだ。ここでライス氏が批判しているのは言説ではなく,白饅頭氏の立場と手法だ。氏の言説が誤りだと主張するならば,具体的に彼の文章を引用するなりして,どこがどう誤りなのかを論理的に説明するべきだろう。
また,ライス氏は2021年4月3日に現代ビジネスに『「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由』という記事を寄稿した。その中で,
“弱者男性論でおこなわれているのは、「女性」(または「フェミニスト」「リベラル」)という属性を仮想敵にして、自分たちのつらさの原因はすべて彼女たちに責任があると主張することで、弱者男性である読者たちの溜飲を下げさせるための議論だ”
と書いた。ここで批判されているのは“溜飲を下げさせるための議論だ”とあるように,弱者男性論の主張する内容ではなくその目的だ。もちろん,その弱者男性論によって留飲を下げている男性も少なからずいるだろう。
しかし,それが決定的に弱者男性論を否定する根拠になるだろうか。卑小な目的で立てられた論であろうと,それが誤りだと証明するには論を構成する根拠や理論についての誤りを指摘するべきだ。
上記のように,ライス氏は弱者男性論を批判しながらも,その批判内容は専ら論者や読者の問題を指摘することに終始し,弱者男性論を構成する根拠や理屈についての矛盾を殆ど指摘していない。
ライス氏は上記の記事の中で,弱者男性論がある程度は妥当であることを認めてすらいる。しかし彼はその妥当性を認めながら,それが社会に与える悪影響のみを強調し,弱者男性論をこき下ろしている。これはややバランス感覚に欠けた主張だと言える。
なぜ彼はこのような一方的な主張をしたのか。それは,彼がネット論客と呼ぶ者たちによる弱者男性論が盛り上がりを見せていたからだ。ライス氏は先ほど引用したように,ネット上で学位を持たない者が政治的な主張をし注目を集めることに対し強い拒否感を持っている。彼からすれば,学位を持たず大学にも属さない者の発信する政治的主張はSNS上でフォロワーに対してアピールするだけのものにすぎず,学術的な裏付けのない稚拙な主張に過ぎないようだ。
たしかに,ネット上で政治的発言をするアカウントの発信する内容は仲間内に向けてのアピールに終始しがちな傾向があることは否めない。
しかし,白饅頭氏の発言のほとんどは客観的な妥当性を意識しているものだ。彼のどの主張にしても,必ず明確な根拠を示しながら筋道を立てた発言を行っている。弱者男性論にしてもそうだ。
SNS上には白饅頭氏と同様にアンチリベラル的な主張をするアカウントが数多く存在し,数万のフォロワーを獲得しているものもいるが,彼ほどの存在感と影響力を有している者は他にいない。それは,白饅頭氏の発言する内容がアンチリベラル層だけでなく,中立・一般層にたいしても説得力を持っていることの証左と言えなくもない。
ライス氏は白饅頭氏のTwitterやnote上での発言を批判している。ライス氏によっては,SNSのような誰でも発言が可能な空間では論理的に正しい意見よりも大衆の感情を煽る意見の方が支持を得やすい。だから白饅頭の主張は誤りであるにも関わらず支持されるのだという。
しかし,白饅頭氏が発言を行っているのはTwitterやnoteのような誰もが発言できるメディアに留まっていない。現代ビジネス,プレジデントオンライン,BLOGOSといった,中立性を保ったある程度格式のあるWEBメディアにおいてもその主張が掲載されている。これは,彼が一般メディアからもある程度の評価を獲得している根拠であり,仲間内に向けて偏った発信ばかりをしているというライス氏の主張を否定するものになる。ちなみに,現代ビジネスにはライス氏も寄稿している。
ライス氏は学術的な背景のある言説を至上のものとし,ネット上での言説を程度の低い物と見なす価値観を持っているようだが,これは偏った価値観だろう。
ネット上では素人の発言が可能だが,それに対して専門家が批判を加えることも可能なのだ。生半可な言説では,素人がネット上で自らの論が正しいと広く認めさせることは,実際のところかなり困難だ。ネット上で政治的主張をするアカウントのほとんどは仲間内で価値観を確認し合うことしかできないのが現実だ。
そんな中で,広い層からの支持を集め,書籍を出版するまでに至った白饅頭氏の言説は,一考に値するものであると判断されるべきだろう。たとえ学位がなくとも。
それに,学術分野での肩書を持つ者の発言が必ずしも正しいとは言い難くなってきているのはライス氏も理解しているはずだ。実際に,彼のブログでは大学に属する研究者の著書や発言の誤りを指摘する記事が多く書かれている。
ライス氏は,ネット論客の主張は仲間内へのアピールばかりで発展性も新規性もないと言うが,学術の世界ではそうでなはいと言えるだろうか。学術界でも,特定のコードに反する内容の主張が正当な理由なしに発表を拒否されるという事例が少なからずあったはずだ。
ライス氏は学術的であることを重要視しているが,それだけを至上のものとし,そうでないものを見下すような態度はそれこそ閉鎖的で彼の指摘するネット論客の悪い特徴と同じだ。
2022年12月20日,白饅頭氏はライス氏のツイートを引用リツイートしこのように書いた。
“社会正義の総本山アカデミ屋を称揚する奴がいうのマッチポンプ感があって草”
たしかに,社会正義を定義しがちなアカデミア出身のライス氏が,社会正義に疑問を呈する内容の本を紹介するというのはやや疑問を生じさせるものかもしれない。
しかしながら,ライス氏は普段からアカデミアの主張する社会正義について無批判だったわけではない。彼のブログを読めばわかることだが,学術的な地位のある人物の著書についても内容に疑問を感じる点があればしっかりと指摘をしている。
ライス氏はアカデミアを重要視こそしているが,かといって盲目的に信奉しているわけでも無い。
“いやだから、君のような人文アカデミア礼賛ネット論客が「露悪的なおもしろさ」とか語るのダブスタもいいとこでしょ。”
白饅頭氏はライス氏を“人文アカデミア礼賛ネット論客”と呼んで揶揄している。これは,ライス氏が人文アカデミアについて批判的な視点を持ち合わせていることを無視した発言だ。
“インテリの本って普通に読みにくくて面白くないという根本的問題があるんだよな。
おもんなくてわかりにくい文章を書いているだけの分際で「高尚なことをやっている」とのぼせ上がっている奴らの商売が破綻するなんて当たり前でしょ。
「本当に頭のいい人は一般の人でもわかりやすく説明する」みたいな論調には与しないまでも、かといって「複雑なものを複雑なまま理解するのが知性だ」みたいなのも、インテリの自惚れが含まれていないわけではないだろう。“
これは名指しこそしていないが,ライス氏の著書に絡めた発言ととることができる。たしかに,ライス氏の著書は硬い文体でやや学術寄りの内容でもあるため,読むために労力を要する。
だが,ライス氏の著書はより厳密な内容で社会について論じたものであるという点から,白饅頭氏の著作よりも優れていると言える。本自体の売り上げで言えば白饅頭氏のほうが圧倒的ではあるが,それは彼の知名度と,内容の易しさによるところが大きいだろう。ライス氏の著書は本人の知名度も低く,厳密で硬い内容であるために気軽に手に取れる本ではないものの,より厳しい視点を持つ読者にとってはライス氏の方が優れたものとなるはずだ。
白饅頭氏は難解な内容について“インテリの自惚れ”と言っているが,これはただの暴言だ。ライス氏の著書が難しい内容となっているのは,学術的な視点からより厳密に理論を展開しようとしているからであり,アカデミア出身としての自負心と責任感によるものだろう。アカデミアを腐したいあまり,不適切な言動をしてしまっている。
“ 世間知らずのインテリくずれがパソコンカタカタで俺に勝つなんて甘い。フォークリフト乗ってから出直せ。”
“世間知らずのインテリくずれ”とは,おそらくライス氏のことだろう。しかし,ライス氏は大学院を卒業した後企業勤めやフリーターをしながらブログを執筆していたため,白饅頭氏の言う世間知らずは根拠のないレッテル張りだ。インテリという言葉には明確な定義がないためはっきりとしたことは言えないが,少なくともライス氏は修士課程を卒業しているという点で学部卒の白饅頭氏よりも学術的な視点でのアドバンテージがあることは確かだろう。インテリくずれという揶揄も,適切な発言とは言い難い。
白饅頭氏はライス氏を頭でっかちで世間知らずな,大衆の苦労など知らない嫌味なインテリなのだと思い込んでいる節があるように見える。
しかし,ライス氏のブログを読めばわかることだが,彼は社会に出て様々な苦労や葛藤に出会い,しっかりと現実を見据えたうえでその経験を活かしながら発言をしている。決して白饅頭氏が言うような,苦労知らずや頭でっかちではない。
白饅頭氏はライス氏のブログや著書に関して,“つまらない”や“わかりづらい”,“売れない”と評している。たしかに,ライス氏の硬い文体は読む人によってはつまらないと感じるかもしれない。だが,社会について論じる以上は厳密かつ真剣な文のほうが望ましいというのも,一般的な考え方ではある。ライス氏の文章はライトな読者層にとってはつまらなく感じるかもしれないが,言説に対してより高い基準を求める読者にとっては大いに満足のいくものであるはずだ。
白饅頭氏はより広く読まれることを目的としだ文章を書くため,その内容を可能な限り平易なものにしている。彼からすれば,ライス氏の文章はわかりづらく自己満足的なものに見えるのかもしれないが,分かり易さを求めることで論理的な強度が低くなることも事実だ。ライス氏の文章は批判的な視点を持った読者に対しても説得力を持つように書かれているため,どうしても文章が複雑化することは避けられないだろう。それをわかりづらいの一言で済ませるのは不当な評価だと言わざるを得ない。
白饅頭氏の著書がライス氏の著書よりも売れているのは確かだが,市場での評価が必ずしも言説の正しさを格付けするものではないはずだ。先程も書いたように,白饅頭氏の本が売れているのは知名度と平易さによるものが大きく,世間で売れる本の殆どがそうだ。
白饅頭氏は読みやすさを重視するあまり,学術的な厳密性を軽視しすぎている。たしかに厳密性を求めた文章は難解で読みにくくなるが,一定レベル以上の読者はそう言って文章を求めるようになるにも確かだ。白饅頭氏の文章は新規の読者を獲得すことには適しているが,高い基準を求める読者からは不満を覚えられる内容だろう。
また,白饅頭氏はアカデミアに対して偏見を抱いているようにも見える。彼の発言を見ると,アカデミアとその出身者はアカデミア内でのコンセンサスに沿った発言しかできないと思っているようだ。
しかし実際には,アカデミアとその出身者には多様な背景と思想をもった人々がおり,時には学会での権威に背くような意見発表されているということは彼が知るべき事実だ。
これまで書いてきたことからわかるように,ライス氏が重視しているのは学術的な姿勢と厳密性だ。一方で白饅頭氏が重視しているのが人気と分かり易さだ。両者が重視しているものは両立が困難であり,それゆえに互いが敵対的な姿勢を取るようになってしまったのだろう。
くだけた表現をするなら,ライス氏は「ガチ」であり白饅頭氏は「エンタメ」だ。どんなコンテンツであっても,ガチとエンタメは対立しがちであると同時に両方が必要とされるものだ。
ここで,格闘技の興行を想像してみよう。コアな格闘技ファンを満足させるためには,当然実力のある選手同士の対戦を見せなければならない。しかし,実力があっても知名度は低いという選手が多い。知名度の低い選手では,新規のファンやライトなファンを呼び込むことができない。そこで,実力はともかく知名度のある選手の試合も組まなければならない。
実力のあるガチの選手と知名度のあるエンタメの選手,共に興行を成り立たせるために必要な存在だ。白饅頭が朝倉未来なら,デビッド・ライスはヴガール・ケラモフだ。
ライス氏のような,学術的な背景から厳密な文章を書ける作家も,白饅頭のような分かり易くて売れる文章を書ける作家も,言論の世界を成り立たせるために必要な存在のはずだ。
両者は現在のリベラルやネット世論に対して同様の疑問を呈することもあり,思想的な共通点もあるように見える。冷静な対話を重ねれば,互いの考えについて理解を示し合うことも可能なはずだ。
ライス氏と白饅頭氏はこれから日本の言論界をリードする存在になり得る作家であり,こんなところで小競り合いをして格を落とし合って欲しくない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E5%B7%A6
”極左は通常は、平等主義[1]・社会階層上の政治的、経済的、社会的な権力層に対する徹底した反対と闘争[2]を主張し、支配階級に関連する人々と敵対する[3]。
「極左」や「極右」の用語は学者により多くの意味で使用され、相互に矛盾するものも含まれる。また「極左」や「極右」はあくまで相対的な用語であり、自称する例は少なく、レッテル張りに使われる場合も多い。”
”社会主義や共産主義の中で特に急進的な思想のことである。しかし、どこからを急進的と呼ぶかは時代や学者や観点により異なる。”
”社会的側面における「左翼」とは通常、社会的平等を実現するために権威や権力の最少化を推進する無政府主義であり、その「極左」とは無政府主義の中で特に急進的な思想のことである。”
”代表例には集産主義的無政府主義やアナルコサンディカリスムなどがある。その「極左」とは、これらの中で特に急進的な思想のことである。
フランスの『極左の辞典』(Serge Cosseron編)は、「極左」を「共産党の左に位置しているすべての運動」と定義している[5]。
なお思想上の急進主義ではなく、行動上の暴力主義は通常「過激派」と呼ばれる。極左の暴力主義集団は日本では通常、マスコミでは「(左翼、極左)過激派」、警察では「極左暴力集団」と呼ばれる。”