2020-05-01

バニーガールによるメイドへの差別問題

 常々バニーガールのキワッキワの谷間とか、ギリッギリの鼠蹊部とか、アミアミタイツを見てハッピーになりたいなと思っていた。2019年12月末。久しぶりに会った大学時代の友人と2人で飲んでいた時、ちょうどエロの話で盛り上がったので、一緒にバニーガールバーへ行くことにした。

 バニーガールバーは古い雑居ビルの4階に入っていた。2階には「マッサージ、ドデスカー?」的なお店。3階にはメイドバー……という、いやらしい匂いがぷんぷんと漂うビルの狭い階段を、ドキドキムラムラしながら友人と登った。

 俺たちを迎えてくれたバニーガールは期待通り股間に訴えかけるものが多分に含まれ芸術的衣装で、さらに愛想も良く、俺はハッピーになり始めていた。俺と友人の仕事の話だとか、網タイツしょっちゅう破けて困るだとかそういう話題を経て、このバーが入っているビル話題になった。俺はなんとなく「下のメイド達と交流とかはあるの?」と聞いてみた。するとバニーガールは、眉をひそめ「メイドやばいコばっかなんですよ〜」と言って話し始めた。

「あのコら、あの狭い階段で全ッ然道譲らないの。あのスカート、広がっていて邪魔だッていうのに、全く知らん振りなんですよ!」

 友人が「メイドやばいのおもろいな〜! どこのメイドやばいんかな?」と言うと、バニーガールは一層嫌悪感を露わにして

「いや、絶対そうですよ。前メイド喫茶でバイトしてましたけど、あのコら無断欠勤かめっちゃするし、礼儀とか全ッ然身についてないし、頭おかしいコばっか。メイドにまともなコなんてほとんどいないですよ!」と言い放った。

 

 彼女メイド差別的発言をしたと感じた。その場は「へーそうなんや」と言って別の話題に切り替えたが、友達と別れた後にジリジリと不快になってきた。

 この「不快」というのは、友達同士との何気無い会話の中で、特定人種の人々に対する、本人にとっては悪意のない差別的発言と直面した後にも迫ってくる。だがそれらは決して差別的発言のものに対する、怒りだとか、悲しみといった不快感という意味ではなく、自分感情のあり方にぐるぐると悩み初め、その取り扱い方に困ってしまう、という不快感だ。

その後振り返ってみて俺はどう感じたか

 メイドへの差別的発言を目の当たりにしたが、咄嗟のことだったので「そんなことを言ってはいけないよ」とバニーガールに指摘すべきだったが、できなかった。そのことについて悔しさに震えた。

 いや、それは違う。単にバニーガールの機嫌を損なうのが恐しく差別的発言を指摘できなかっただけだ。それをメイド糾弾されるのも恐ろしく、「悔しかった」と言って誤魔化し「咄嗟のことだった」と言い訳をしているに過ぎない。結局俺は周囲を顔色を伺ってばかりいるような人間なのだ。俺は自分の臆病さを情けなく思った。

 いや、本当に考えるべきことは、差別的発言を指摘できた・できなかったという次元ではなく、そもそもなぜバニーガール彼女メイド差別的発言をしたのか、という点かもしれない。彼女自身について少し考える。どうやら彼女は、自身が「ヤバいコが多い」と感じていたメイドをやっていたようだ。それに、彼女とは別のバニーガールアームカットの跡で肩がまるで焼きイカのようになっていた。彼女のことはよく知らないが、働いてきた中で結構追い詰められていて、メイド差別し見下していないと自分肯定できない状態に陥ってしまっていたのかもしれない。俺はそんなバニーガール境遇に同情し心を痛めた。

 いや、これはバニーガールを「メイドを見下さずには自分肯定できない」と見下すことによって、俺は自らを肯定しようとしているのかもしれない。それを偉そうにバニーガール境遇に対する同情だとか言い繕うなんて、なんて高慢卑怯なんだろう。俺は自身卑劣さに悲しくなった。

 いや、そもそも悔しさに震えるのも、臆病さを情けなく思うのも、同情し心を痛めたのも、卑劣さに悲しくなったのも全部嘘で、結局どれも「差別はよくない」という世間に受け入れて貰うための薄ら寒い演技に過ぎず、本心はただ寂しさを埋めるために差別問題を利用しているだけではないだろうか。いやいや、それもまた違って……。

 差別的発言に直面すると自意識という触手にがんじがらめにされ、一体自分がどう感じているのかが全くわからなくなってしまう。鏡合わせの空間に迷い込み、どの鏡に映る自分が本物なのかわからなくなってしまったような不安に陥る。そういう意味で、差別的なシーンはとても不快だ。

 こんな不快な思いはしたくないし、バニーガールメイド共存し手を取り合い、2人で俺を笑顔で迎えてくれる社会になるのであれば、それはとてもとてもハッピー社会だと思う。なのでこのバニーガールによるメイドへの差別問題がなくなれば良い、とは思う。

 しかし、差別問題について解決しようだとか、どうこうしようだとか考えるのは、メイドでもバニーガールでもない第三者の俺にとっては想像以上に体力を消費するし、例の不安な気分に陥ることになる。こんなことに頭を悩ます位ならば、例えばマイクロビキニ女の子について考えていた方がハッピーだし、有益時間を過ごせるだろう。よし、というわけで今度はマイクロビキニバーへと行くことにしよう。

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