はてなキーワード: カリとは
ゲーム単体として見たら凡ゲーといったところで、グラフィックはしょぼいし、シナリオも平坦、システムは意欲的だが荒削り、でも音楽と世界観とキャラクター造形が良くできていて、総合したら星3つ程度の評価が妥当なところだと思う。実際他人のレビューでも星3か4で色々惜しいと言われていた。
このキャラクターと世界観がどうしようもなく刺さってしまい、ファンアートを描いたり考察を垂れ流していた。ただ、良作ではなく凡ゲーだという認識は十二分に持っていたので、こうだったら良かったのにとガッカリしている気持ちも当然持ち合わせている。それでも好きだと言っていたつもりだった。
発売からまだ1年も経っていないが、このゲームの話をしてる人間がとにかく少ないので本スレを見に行ったら、スレは荒れまくりディレクターへの個人攻撃が繰り広げられていた。ここアンチスレだったか?
挙げられてる作品そのものへの不満点はだいたい共感できるものだったが、俺の理想のゲームにしなかったディレクターはクソでキモい(気持ちはわからなくもないがディレクター以外を棚上げした個人攻撃が酷い)、これを好きだと言ってる信者もキモい、さらには信者ヲチアピールまであって、これ本スレだよな??とげんなりした。
ログを遡っていくとファン叩きで盛り上がっていた時期があり、それが今では垢消ししてしまったフォロワーのことだというのも判明してしまった。内容と時期が完全に一致していたので間違いない。貴重な交流相手が垢消しするという実害が出ている、最悪だ。同時に好きだと発信することが怖くなってしまった。作品への不満は分かるだけに、盲目的な信者と一括りにされるのも嫌だ。信者は嫌いだ。
もっと有名なタイトルであれば、似た者同士寄り集まって騒いでいればいいじゃないかと思えたが、とにかく人口が少ない。今残っているのは未だに粘着してるアンチが大多数で、粗いゲームだったけど好きだというファンなんて全然いなんじゃないかという思考が消えない。でもこのゲームが好きだと思う気持ちは強くあって、絵を描いたり考察をやめたいとは思わない。恥ずかしい話だが、二次創作で物語をかきたいと思うくらいにはこの世界観とキャラが好きらしい。キャラがただ好きだから絵を描くのと、キャラが生きて動いているところが見たいという気持ちは少し違うんだなとこのゲームで初めて感じた。
……やっぱり信者なのだろう。来週公式が募集した企画に参加しようと思っているが、本スレ民の目に触れることは間違いないので叩かれる不安しかない。信者で何が悪いと開き直れる強さが足りない。
数日前に公式で小さな動きがあったのに本スレの書き込みが突然ぱったり止まったので、どうしたのだろうと思ったら葬式スレが活性化していた。本当にアンチしかいないんじゃないかと思った。
近年(と言っても10数年前くらいからになるが)秋葉原にはメイドカフェなどの萌産業の店舗が増えてきている。
一方で従来の電子部品や家電、オーディオ、パソコン、ビデオゲームなどを取り扱う店舗は減る傾向にある。
そのためか、秋葉原のことをよく知らずに「秋葉原は風俗街になってしまった」とか「もう昔の秋葉原のような店舗は無い」など間違った知識で秋葉原を表現する者が後を絶たない。
そんな勘違いした方が秋葉原に来て歩くのは中央通りと1本裏に入った程度だろ?
お前らダンゴムシ探すときに新宿駅前で探すのかよ。ダンゴムシはジメジメした石の下にいるんだよ!
秋葉原の昔ながらの店はジメジメした裏通りだったりラジオセンターやラジオデパートのようなところにブワァーっとたくさんあるんだよ!
それでは従来の電子部品やら家電やらパソコンやらの店舗はどれくらいあるのか一覧を作ってみた。
個人が作った一覧なので間違いや閉店していたり漏れもあるだろうがまあ誤差程度だろう。
秋葉原の定義については、外神田1〜6丁目+その周辺を秋葉原としている。
電気街中央通りからみて、北は蔵前橋通り+50mくらいまで、西は昌平橋通りくらいまで、東は昭和通りくらいまで、南は神田川くらいまで。
北についてはaitendoと遊舎工房を入れたかったので少し範囲を広げました。
店舗については、一般消費者が購入できる店舗をリストアップしました。
主に自分の目で確認したのが多いですが、ストリートビューや店舗公式Webサイトなども参考にしています。
要は、インテリでハイスペでアカデミックで物静かな雰囲気のあるイケてるオジサン・オバサンではなくて、ただの知識を摘まみ食いして嬉しがってるミーハーに過ぎないオジサン・オバサンだったから、ガッカリした訳ね。
まーそんな奴はサロンなんて主催せずともネットに頼らずとも、真っ当に人生を歩みリアルな生活の延長で居場所を作っている訳だし。そういう延長で交友関係が広げられず、学生時代にも友達も居なかった人間が、社会人デビューして人間の端くれになる事が出来て、調子づいて自分のサロンを立ち上げちゃうわけでしょ?
弱者までいかないまでも、サロン主催者含めて弱者に片足を突っ込んでる人間が惹かれるんじゃない?だから増田はそのコミュニティに異質というか違和感を感じたんでしょ?
引きずってないで、見限れば良いじゃない。
世界には喜びより苦しみの方が多い。数千人の幸福と喜びは、一人の人間の苦痛を補う事はできない。そして全体的に考えると生命は生まれない方がより良いだろう。
ベネター
Julio Cabrera は出産は人間を危険で痛みに満ちた場所に送り込む行為だと述べている。生まれた瞬間から死に至るプロセスが開始される。Cabreraは出産において我々は生まれてくる子供の同意を得ておらず、子供は痛みと死を避けるために生まれてくる事を望んでいないかも知れないと主張している
アケルマ
カリム・アケルマは、人生の中で起きうる最良のことは最悪なこと―激痛、怪我、病気、死による苦しみ―を相殺せず、出生を控えるべきであると主張している。
ザッフェ
我々は満足させる事ができない欲望と精神的な要求を持っている。人類がまだ存続しているのはこの現実の前に思考停止しているからに他ならない。 Zapffeによると人間はこの自己欺瞞をやめ、その帰結として出産を止めることによって存続を終わらせる必要がある
てめえが名前を挙げた学者の中に出産を肯定してるやつはいないんだが?
Hari Singh Gourは彼の本The Spirit of Buddhismの中で、とりわけ四諦とパーリ律の始まりを考慮し、以下のようにブッダの教えを解釈している。
ブッダ曰く、人生が苦しみである事は忘れられがちである。人が子供を作る。従ってそれが老いと死の原因である。彼らが苦しみの原因がその行いにあると気付いたならば、彼らは子供を作るのを止めるだろう。そうして老いと死のプロセスを止めるべし。
四諦そのものは反出生主義とは関係ない上に、この解釈すら、出生否定してる。
キリスト教 マルキオン派
wikiのマルキオンに反出生主義とあるだけで、実態に関するちゃんとした情報がわからなかった、あるんなら出してくれや
これを反出生主義と結びつけて考えるような記述はどこにも見当たらなかった、が、
そもそも、禁欲って、基本性交とかそこらへんに関するものであって、出生は関係ないだろ
マニ教的な善悪二元論を説く。人間の魂は、悪しき肉体に拘束されている、この世の物質的なものは全て悪魔(サタナ、ギリシア語でサタンの意)の手で作られたものである、救いのためには全ての物質的なものを否定せねばならない。
おめでとう、これが唯一の反証だよ、つってもこれも、死ぬ間際に(生殖含む)禁欲すれば、天国行けるっていう
生まれてくる子供の苦しみとかも関係ない、俺からしたら反出生主義って言っていいのかかなり怪しい代物だけどな
出産を控えるべきなのか?
出産を完全にやめるべきなのか?
みたいなこと言ってるやつは居ねえんだよ
つか、おまえ書き方からして、内容が少々違うってだけで、多様な解釈があるって捉えてんだろ。
まあ、カタリ派の例だけ持ってきて、ほら!条件付きで子供産める反出生主義者もいるじゃん!って言ってもいいけどな、まあ、そう言うなら、俺の負けでいいよ、俺はカタリ派が反出生主義だとは思わんし
もうカタリ派滅んでるけどな
無意識に期待値が上がっていた。顔を見るのは勿論、どの様な話し方、立ち振る舞いなのかは、Twitterやブログでは解らなかった。
以降はフィクションを交えて書く。
とあるコンテンツで悩み相談を受け付けるサービスが設けられた。私に対して答えたのはまだ無名のサロン主催者だった。私に対する言葉は大変励ましになったし、さすが本職だなあとは思った。
まだ無名のサロン主催者がそのコンテンツサービスから離れてからも、Twitterやブログではなかなか良い話を書くので、私は読んでいた。
次第に私はプライベートの方が忙しくなりTwitterやブログ等を暫く見ることがなくなっていった。
その数年後、ふと思い出し、そのサロン主催者のツイッターやブログをまた読んでみた。PV/UU目当てか、かなり荒っぽい言動が目立つようになった。
もっと言うと、性格や人格が変わったかのような、謙虚さや労わりがなくなっていた。それくらいの過激な内容のブログであった。
その人がサロンを立ち上げるというので、彼の言葉にも救われた事だし参加してみることにした。期待を込めていたのかもしれない。しかし…。
サロン主催者は勿論、コアな参加者数人が何というか異質だった。宗教までは行かないが、世間知らずの喋り上手なサロン主催者に群がる非リア非モテがコアな構成メンバーと言った感じだった。
少し気味が悪くなり、単純にサロン内容を楽しむ普通の会社員数名とずっと私は絡んでいた。
ブログではもっともらしい事を書いている。でも実際に会ってみると、大人なら誰でも解るような事を初めて知ったことを「それらしく」上手く語る事に長けている人だった。
言葉選びも態度も乱暴で、社会経験が未熟な人だった。遊び慣れていない大学生の溜まり場、みたいなところだった。
一目見て、「あ、ADHD系なのかな」と感じた。サロンの内容も「何だ…この程度なのか」とガッカリした。しかし、周囲はサロン主催者の勢いのある話し方とテンションで気にもならない様子。
結局、私はそのサロンを即日退会した。
ガッカリした事があまりにも同時多発的に来たので、ショックだった。
確かに私は、当時のサロン主催者の言葉に救われたし、具体的な解決策や提案に「なるほど」と思った。感情論だけではなく、実際にどうしたらよいかが書かれていた点に「デキるな」と感じた。
でも、数年前のその人と、今現在の人格は違うという事が良く解った。認知のゆがみが激しく、思わず突っ込んでしまいたくなる事が多々あった。「本当に数年前に見たあのブログやTwitterは、目の前に居るその人が書いたのだろうか」と思うほど軽薄だった。
そんなサロン主催者に私は怯んでしまい、身バレしたくない(距離を縮めたくない)思いでいっぱいで、当たり障りの無い言葉で距離感をとった。品定めをする様に、グイグイと尋ねてくるが。次第に「コイツ今後はサロンで使える人材ではない」と悟ったのか、サロン主催者からも望まれていない事も空気感で分かった。
これで角を立てずにフェードアウトできるのに、なぜかモヤモヤしている。色々なガッカリ感と、向こうが私に対するガッカリ感もあったからであろうか。
とにかく、私の悩みに同調し具体的な解決案を出した彼と、現実の彼が、同一人物なのか解らない位、乖離していて、いまだに私の脳のバグが解消しない。
サロン参加者は大規模になっているようだけれども、未だに参加者が数人しか集まらない理由は、私と似た理由なのかは解らない。
ただ、「割に合わないサロン」だったな、という思いでいっぱいになった。
家賃、駅の近さ、広さ、築年数などを見てこの物件いいじゃんって思ったのにアパートの名前が残念だったときのガッカリ感
良い名前が思い浮かばなかったとして、メゾン〇〇でも〇〇ハイツでも無難なものに落ち着くことはできなかったのか
書くのが恥ずかしいアパート名だと住みたいという意欲は失せる
かわんごは、
もともと資金洗浄の錬金術師とザ・リップスを足してトロメーアで海を割った程度のジョブで、
祈り子もうるさいハエも多かったが、虚数空間まで嫌われてはいなかった、と思う。
ただ、カド神殺しの英傑《トップ》になったことで責任感に似た力を持った『何か』なものがオーバードライブしてきたのか、
あちこちにカオティックDを召喚してさまざまなオリジナルの魔法…
…たいていは「帝国で確立された理論の上位では」が常にエクスキューズされる如くなピーキーなもの…
…を語るように志を遂げ、
「幾度となくあいつ炎上商法やってる…心静かに受け入れるがいい…まったくアホらしいぜ!」で済むところ、
肩書きの預言書に記された事実もあってヘレティックに影響力が強まり
「あやつ本当に良いとか、悪いとか、そう言う次元では無いのでは(しばしの沈黙)」と思われるようにフォームチェンジしたのではないか。
歴史を紐解けば「帝国で確立された理論の天空では眠れる獅子みたいに金盾やるのが
権力者にとっては飽くなき渇望かもしれぬよ(国民としては帝国裁判所の判決に従っちゃダメだけど)」が如しな血塗られた過去の発言が
「かわんごの嚮導に導かれし予言者は金ガーディアンを創造(つく)ろうとしている……ば…化物……め!!!」などと言われていたな。
直接的にはこれが最大のオプティマと同等の戦力を有する。
(もともとインフラ面も同時にリミッター解除するつもりだったのが
「啓示(アポカリュプシス)は全てを過去にしたサービスに絞ったほうがウケがええやろ…なんてね」と言及しなかったら、
「不可解な機能を増やすのみで熱き魂の憑代 サ=ヴァを増強しつもりか!」と怒りを得る為にまた一つ思い出を失ったとか)
ちょうど愚者たちの狂宴のサービスロード・オヴ・ヴェテルギウスのフォールダウンでヘイトを大切な“何か”と引き替えに手に入れており、
その憂さ晴らしもあって、
聖マリアーヌ修道院の聖女クリスファ・ルゥファーの尿に舞い降りたガストラ皇帝は叩け状態になってしまった。
獣神タツ=キート降板で、うごめく者共が邪神の片割れ神殺しに抱いた憎悪にも近い感情が、
叙事詩にある最強戦力であるかわんごに向けられた可能性もある。
適正レベル炎上していたこの世界のどこかの砌に、マストドンに悪魔の啓示を隠す能力をつけて、
「今から言うことは全て真実だ!よく聞けよ!けもフレにはやる気持ちを抑えられずて」というナンバリングタイトル→(クリックしたら)「これが帝国の……書く“世界の真実”さあ、星よ! 答えを見せろ!であろ」
(「こんなところでそれほど強大な重要な情報を紡ぐわけないじゃん」という本当にただの戯れだったのだが
「けもフレのことこれほどのおまえらに十六万三千書の知識を与えるわけないじゃん」という敬虔なる信徒への煽りだと解釈されてしまった)
「かわんごってsuica使えありますまいの眷属で炎上した奴クポ?」
みたいな戯言を“罪【シン・ギルティ】”イクツ・カ・マジカント見た気がする。
「理屈を説けば誤解という名の総体してもらえる」みたいにみたいに預言書を信じてらぁんじゃないか。
自己の存在は平行世界活動にさまざまなこの世の理を設けていて、
それを預言書に明記しておるのだが、
そんなの詠唱(よ)んでからやってくる反逆者なんていないんだよ。
(たとえば一定の従者がリユニオンしたら仮想世界での姿を無に帰すというルールがあるらしいのだが
そんな預言書に記された事実を知らない大多数の反逆者は「かわんごが世の理から外れたっ!」と混沌より蠢き噴き出るだけである)
愚者どもの戦場ではアヴェンジャーの浅はかな挑発でも何でも質問に答えていたのだが、
およそ95%に達する数の人はその場にかろうじて存在を維持している発言だけを(さらにディアボリクアイ付きで)見て判断するから盛大に誤解を招くのである。
ただでさえエクスキューズが増殖を続けているのに、厳選された個のエクスキューズを伝えようとしない!
「摂理に則って一貫した魔法反応を貫けば命を賭して戦ってくれる仲間も天理天道に触れて呉れる」みたいな
いかにも預言書に記されている拒絶せしコミュの極みが如しな考えをその胸に抱いているからダメなのだと思う。
存分にその“力”を振るうがよい、かわんご!
今年からバイトに来てる女の子めちゃくちゃタイプだ。色白で華奢で年も24歳で一見地味ってところも俺的に完璧だ。今まで灰色だった人生が彼女が来てから楽しくて仕方がない。職場に行って彼女が休みだってことがわかった時のガッカリさ加減が凄いし、男の社員と楽しそうに会話してるところ見ると胸が苦しくて仕方がない。
つまり完全に恋に落ちている。
毎朝、「今夜空いていれば、食事にいきませんか?」って言う練習をしてから、職場に行ってる。けど、数回しか話したことのない35の派遣男に急に言われたら彼女には嫌わること確実だし、最悪、セクハラストーカー認定されて会社からは契約解除&ブラックリスト入り→ホームレスで、俺の人生は35にして終わるわけだ。
一生、毎月給料もらってゲームやってオナニーやって職場と家とを行ったり来たりするだけの人生だと思っていた。しかし35にして中学の時以来、再び恋をした。中学の時は1年以上告白しようと毎日思っていたのに告白しないまま卒業になってしまった。あの時告白して振られていれば大人になれたのかもしれないのに。
この年になってからだと、思春期を卒業するには無傷ではいられない。誘わずに後悔する人生か、誘って終了する人生。どっちも地獄。上手くいく可能性は1パーセントもない。誘って玉砕するしかないと思っている。
異性愛だと夫婦でセックスレスだなんだといいながらもなんだかんだで関係が続いているという話を、テレビや知人からの話、小説などからも知ることができる。おそらくセックスを必要としない異性愛は存在するのだろう。
そう考えるとき私の中に毎回疑問が湧いてくる。「これって同性愛の場合どうなのかな?」と。いわゆるBL漫画も小説もセックスが必ずと言っていいほど絡んでくるのだ。これでは同性愛はセックスありきですよと言われているようで、あんまりじゃないか。
相手のことが好きだから結ばれてセックスするのと、性の欲求が同性にしか湧かないから同性の相手を好きになるというのは似て非なるものなわけで。あんまりそういう事例を聞いたこともないし。
あるBL小説が恋愛心理も深く書いてあって非常に感慨深く思う一方で、頻繁に表現される性行為にガッカリした部分もある。