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はてなキーワード: オタク差別とは

2018-04-25

オタクってすごい。

「俺たちは今までも人種差別発言女性差別発言障害者差別発言やその他様々な差別発言してきたし、これからも同様の差別発言を続けるけど、オタクを叩くのはやめてね。それはオタク差別から」って言ってる。

そんなの世間共感されると思ってるのかね。

しかオタクが叩かれた過去はあったのかもしれないが、現代では差別発言を繰り返す反社会的集団であるオタクに対して批判が集まっているだけ。

もちろんオタク差別があるならそれはいけないが、反社会的集団に対してきつい批判をすることも差別として扱っていいのかどうか。それを差別定義するなら差別なんだろうが。

anond:20180425023409

10年以上って、2000年代からオタク差別なんてゆるくなってるんだから当然だろ

00年台からアメコミフィギュア集めてる俺カッケー」の流れが出てきて

2007年頃、ハルヒあたりから商売の道具としてオタクが利用されたので

この10年はオタク差別なんて緩やかだ

問題はその前だって

お前ごときオタク代表ヅラすんなよバカ

https://anond.hatelabo.jp/20180425023409

https://anond.hatelabo.jp/20180425023409

https://anond.hatelabo.jp/20180425024744

こういう人はC.R.A.C.界隈の女性差別はどう見てるのだろう。まあ、そこを擁護するつもりは無いだろうが。

いろいろ言ってるけど、個人の優先度に理屈をつけただけだよね。そこで、「オタク差別批判しない」という態度を選択することこそ差別のもう一つの本質を顕にしている。

個々の差別権力構造によるものだけど、差別自体人間性構造によって出来ている。

ひとりひとりの優先度によってオタク差別には反対するが女性差別は気にしないというダブスタが生じる。

それはどこにでも見いだせる現象で、リベラル正当性現在進行系で失わせ続けている、毒のような現象だ。

 

どっちもどっちの相対化はしたくないので、この問題解決する一番いい答えを教えておきます

それは、「ツイッターで口だけ動かして、現実で行動しない奴はクソ」だ。

C.R.A.C.の良いところは、何よりもその部分で一番誠実だからだ。

理論も大切だというならせめてちゃん勉強しろネットで見た理屈だけで理論武装するようなショートカットやめろ、ネトウヨリベラルアーツでマウント取られるリベラルってなんだ!?

オタク文化が好きなら、ちゃんと正しい作品自分の手で作れ。それぐらいは現実に出てくる勇気が無いオタクでもできるだろう?

安全に痛い自己反省に逃げて、そうするのがちゃんとした人間だと自己規定しようする行為は概ね失敗する。

それは、過去自虐自己批判をそれなりにしてきたオタクがこの有様なのを見れば明らかだ。なのに未だにオタクとして正しい反省客観性責任感、お前ら記憶喪失か何かか?

行動しか無いんだ、行動しか

閉塞感? お前たちが勝手に閉塞してるんだよ。

オタクだけど差別しないことをやめます

外人差別とか障害者差別とかオタ界隈ネッで溢れかえってて

オタク差別される側なんだからやめとけやと思ってガイジとか使わないようにして来たが

オタク差別なんてないって言われ始めたので使わないことやめます

おい、お前のせいだから

オタク差別は無くなったってマジ?

オタクを「アニメ漫画好きなやつ」って定義するなら、世代によっては見ないやつの方が多いんじゃないのくらいの感覚なので別に無くなったと言っても良いとは思う。


んじゃ、オタク語源である「いつも家に居てインドア趣味に勤しむやつ」みたいに定義したらどーなんの?

この定義でも差別(というか蔑視)は無くなったって言えるのか?


定義一つで差別の有無なんていくらでも変えれるだろ。

"差別"の定義の話もあるし

anond:20180425143639

オタク差別がーって言ってる人たちって別にオタク以外は差別されてなかったとは言ってないと思うが

非オタには差別されてこなかった女オタだよ

私(アラサー)中学の時結構オープンオタクで、オタ友とイラスト付き手紙毎日交換したりキャラ愛をクラス中に公言して回ったりスクエニ漫画非オタ布教したりと、今思い返すと赤面するようなことばっかやってたよ

でもオタク差別されなかったよ

クラスで一番強い女子グループに属していたし成績は常にベスト5だったし運動部副部長と付き合ってたか

(カラオケで歌う曲がアニソンかよwって笑われたり、親にオタ趣味取り上げられたり、彼氏に俺の前で乙女ゲーやめて!って言われたことはある)

一方で同じクラスのA君は、「オタクっぽい(括弧付きね)」外見で気が弱くて運動勉強いまいちで、かといって特にアニメ漫画ゲームも好きっぽくなかったよ(少なくとも学校で表に出してはいなかった)

でも不良グループにいじられてからかわれて馬鹿にされてて、後で聞いたらカラオケゲーセンお金とか出させられたりしてたみたい

本当に「オタク差別があったなら、(全く同じ状況下でも)A君は対象外で私だけがピンポイントで被るような迫害が世の中にはゴロゴロあったってことなのかな?免れた私は運が良かっただけ?

オタク差別っていうけどそれって「オタクっぽい≒見下していい」とコミュニティ内で認定された弱者へのいじめ迫害なんじゃないの?

女性差別はあれじゃん、倒れた人取り囲んでオロオロしてる男はスルーで、応急処置をテキパキやった女が「女だから」という理由土俵から降りろって言われる、そんな構造があるわけだよね

でもオタク差別にその構造ある?オタクへの迫害って本当に「オタクかどうか」で決まってたのかな?

もちろん、かつてあった「オタク馬鹿にして良いもの」な風潮は身にしみて知ってるし、私がたまたまそれを気にしないで済むような環境に恵まれていただけなのもわかるよ

ただ、今話題になってる「オタク差別」のいくらかは、当時A君が受けていた扱いのことを指しているんじゃないのかな

それを2018年現在マジョリティと化した現代オタクが、自分の主張の道具として用いてもいいのかな

私はずーっとオタクだけど、昔から今に至るまでずーっと彼を迫害する側の人間だと思うし、差別表現言葉遊びしかない相対化と弱者バッシング、(ここは私怨をこめて言わせて貰うね)女叩きが大好きな現代オタク迫害する側の人間だよ

anond:20180425135406

いじめは許容してよい、とは言われていない。いじめの原因は「オタクであること」だったのか?という問いたてだろう。

キモくていじめられたならそれは容姿差別だし、空気が読めなくていじめられたならそれはコミュ障差別だ。オタク差別とは別のアプローチ必要になる。

本当に「オタク」だからいじめられたのか?たとえばクラスイケメンアニメを見ていたら、同じようにいじめられたのだろうか。

人種とか性別差別との違いはここにある。ユダヤ人イケメンユダヤ人虐殺から免除されてました、とかは成立しないでしょ。

オタク差別はいじめで差別じゃない

いろいろ差別じゃないって言ってる奴ら、「いじめ差別じゃない」。

よくわかった。

じゃあ、その「オタクからいじめられる」っていじめをなくせって言ってんだよ。

キモいからいじめられる」だったら、キモいやつをいじめなくしろよ。

ダサいからいじめられる」だったら、ダサいやつをいじめ社会を変えろよ。

差別じゃない、いじめだ。だからオタク差別なんてないって、お前ら、いじめ差別よりマシだって思ってるのか?

いじめで何人死んだと思ってるんだ。

偉そうなこと言いまくって結局はそこじゃねえか。

この人権オタクどもが。

anond:20180425122546

よくわからんはちま読者なんてオタクの一部分でしかないんじゃないの?

そうなんだけど、元の人たちがしているのは、自分たちの説が正しい理由として「オタク差別主義者がいる例」というのを示しているっぽいんだが、それは藁人形論法しかない。

誰も「オタク差別主義者は全くいないから『オタク差別』があったのは事実」なんて言ってないのにね。

オタク差別』無かった説の根拠として「オタク差別主義者がいたんだからオタク差別されていたんじゃなく批判されていただけ」とでも言いたいのか?

彼らは決して頭が悪いんじゃないんだろうし、きっと勉強もしているんだろうけど。党派的な動きが目に余るんだと思う。

オタクを「数千人ほどの一枚岩集団」くらいの感覚で見ているから誤るのであって、

「数百万人の集団」と考えりゃ右も左もポリコレ好きも反ポリコレやらおん見てる人も蛇蝎のごとく嫌っている人も内包していることは自明だよね。

件のオタク差別問題にがっつり言及しているオタクなんて、

それこそ数千人レベル、あるいは数百人レベルしかないわけで、それをオタク全体に押し広げられてもね。

オタク差別なんてなかったって言うような奴のする反差別運動なんて信じられない」ってだけの話だよな。

  

それで儲けたいとか、それで評価上げたいだとか、それを武器に誰かを殴りたいとかしか考えてないのに、

「正しい」という強い言葉を盾に好き勝手うから多方から突っ込まれるんだ。

anond:20180425130544

日本人一定数がアンチポリコレなのだから

マジョリティたるオタクなかにアンチポリコレ存在するだろうが、

それはオタクアンチポリコレを結びつけて語ることを正当化しない。

よって「オタクの中のアンチポリコレ勢はポリコレ棒を批判していたが

いま彼らはオタク差別糾弾している」という言い方をせねばならない。

その場合、いまオタク差別糾弾しているオタクアンチポリコレであることを証明する必要が出てくる。

ついでに言えば、アンチポリコレといえども「あらゆる差別を許容せよ」という者は少なく、

多くは「差別是正すべきだがおまえたちが叩いているもの差別ではない」という理屈をとる。

まりオタク差別差別であることを主張するのに矛盾がない可能性もある。

このあたりの検証必要である

anond:20180425130800

反差別スタンスを掲げる人はすべての差別に反対しなければフェイ野郎になるが、反差別でもなんでもない人は自分権利だけ主張しても別に論理的誤謬はない非対称性がある(この間のオタク差別騒動の根っこがこれ)のと同じで

ポリコレスタンスを掲げているわけでないのなら、自分に不利なポリコレ批判し、自分に有利なポリコレ肯定しても何ら矛盾はない。むしろポリコレを是とする人間後者のような屑でもポリコレで守るか、「良いポリコレと悪いポリコレ」を分けるという地雷の埋まった泥沼へ突き進まなくてはいけない

ちょっと前のオタクポリコレ棒やめろ!」

今のオタクオタク差別やめろ!ホビーハラスメントやめろ!我々は迫害されていた!」

それはポリコレ棒じゃないんですか

自分お気持ちで叩くなとか散々言ってたのに、オタクお気持ちには優しいですねー

anond:20180425023409

「絵に描いたようなオタク像」をサブカルチャー自体再生産している、という点については同意。だが「だから差別ではない」という主張には同意できない。そもそも社会的差別存在しなければ、ステレオタイプな「オタク像」が笑いやからかい対象として成立しないのだから、それをもって「差別ではない」というのは無理筋だ。被差別者自身が彼ら自身の中に階層を作って「弱い者が更に弱い者を叩く」構造を作り出すのはよくあることだ。その構造を生み出すのが、彼ら自身の弱さなのか社会からプレッシャーなのかは問題ではない。これはよくある差別の一風景に過ぎない。

どうも、何か「差別ダメゼッタイ」的な低レベル学校人権教育からくる悪影響かとも思うのだが、「差別者=悪魔被差別者=哀れな善人」というイメージ典型モデル)を抜け出せない人は意外に多いのだなと思う。実際の「差別」の諸相でそんなことはあり得ない。とき差別者が、自らの差別意識に苦しんだり差別意識のせいで人間関係を壊して悲惨な目に遭うことがあり、彼らは十分可哀想な人であったりもする。逆に被差別者がその立場を笠に着て横暴な行動を繰り返したり被差別者の中で被差別者の王として振る舞うことだってよくあるのだ。差別を考える上で、上記のような典型モデルほど当てにならないものはない。差別者だから不正なのではないし、被差別者であることが主張の正当性担保するわけではない。

たとえば「いじめももちろん「差別事象である。そして、それが差別だということの意味は「偏見に基づいて、特定属性個人が、社会的排除されるといったことも含めて不利益を被るのは不当である」ということであり、それ以上ではない。いじめ解決はいじめ被害者の心に寄り添って周囲がそれを100%実現することではなく、いじめという差別事件引き起こした小さな社会構造自体を変えることである。その意味では、加害者を過剰に罰することは、たとえ被害者がそれを望んだとしても当然避けるべきである差別絶対カードではない。被害者に寄り添っているからといって、それが正義になるわけではない。

被差別者から正しいわけではない」ことを前提とすれば、「オタク」を排除しようとする社会的偏見で「オタク」が不利益を被っていることは事実であり、それは差別に相当する不当な行為である、と言えることになる(そしてそれはおそらく主張として正しい)。ゆえにオタク差別されている。一方で、それは「オタク」を正当な理由に基づいて批判することを妨げるわけではないし、「虐げられしオタク」が全面的擁護されるべきだということも意味しない。差別差別でありオタクに対して偏見をぶつける行為は不当であるが、その場合正当な反応というのは、あくまで「オタク別にいいんじゃない」であって、それ以上の反応(たとえば「オタク大好き」とか「オタクを救え」とか)ではない。そういうことは、倫理的判断されるのではなくあくま政治的判断されるべきことだ。すなわち、社会の中でお互いに正当性を主張し合い、社会的リソースをどう配分するかを合理的に話し合うということである

まり増田の主張は「差別されているとしても、オタク差別社会的リソースを配分する必要はないのでは?」という方が正確なのではないか。それはそれで一つの主張ではある。

オタク男性だけ」っていう話について汲み取るべき部分

多分皆色々思うところはあるだろし

結論から言うと彼(ちょこっと調べたけど"彼"でいいよね?)の

女性オタクとは認めない」

っていう立場は俺は基本的には取らない。


ただ、彼の気持ちについて一定程度汲み取るべき部分はあるのかなとは思う。

要するに彼のいいたいことは

オタク苛烈差別されていた1990年代女性オタクオタクであることを隠して事実上男性オタク差別に加担していた」

と言いたいんでしょ?


当時を振り返る時によく女性オタク

女性オタク社会からの抑圧が激しかったので男性のようにオタクと名乗ることは出来ない人が多かった」

って文脈で語る人がちょくちょくいる。

でもこの"言い回し"は社会的な批判を受ける役回り男性に肩代わりしてもらって自分は影に隠れて利益享受してたようにみえるんだよね。


いじめを見て見ぬ振りをした人は共犯者です。」っていう言葉がある。

その前提を踏まえた上で例の"言い回し"をする人について考えると

オタク差別共犯者でありながら、現在自分ポジション男性オタクより更に弱者に置こうとする卑怯な人」

っていうあまり褒められない行為をする人に見える。

当時学生だった人が友達グループの中で「クラスの中の気持ちわるいと言われてる男性オタク」の話になってやむを得ず、特定の人の悪口・陰口に付き合わざるをえなかった人はいるはず。


もちろん俺個人としては、そもそもあの時代でも女性かつオタクと名乗っていた人はいたと思うし、そもそも実際に差別行為主体となっていたのはオタクではないんだから身内で争うのも馬鹿馬鹿しい。

それに、一部の人が隠れていたからと言って全ての女性オタク全体に適用するのは範囲を広げすぎだと思う。

社会全体としては女性は隠れて男性オタクと名乗っていた傾向にあったとしても、局所的には逆パターンもありえた。

まり女性オタクオタクと周りからまれていた状況で男性オタクが鳴りを潜めていたパターンは極普通に存在するだろう。


なので上記文脈を踏まえると俺は

女性オタクになりえない」

という主張はしないし、ちょっと理屈でいってもありえないかなとは思う。


ただ

女性オタク社会からの抑圧が激しかったので男性のようにオタクと名乗ることは出来ない人が多かった」

という"言い回し"をする人(女性というわけではなく)に関して若干もやもやした感情を抱くことは俺もあるかなとは思う。


まぁ被差別層におけるあるある話っぽいけどね(笑

anond:20180425101249

ヘイト」の定義無限に広がって侵食してきてるからだろ。

オタクが叩いてるのは「ヘイト」の対象ではなく、

肥大化した「ヘイト」という概念やそれを使って世の中をコントロールしようとする連中だと思う。

そのアンチテーゼとして、「オタク差別」という新たなヘイト概念を作ったのでは?

anond:20180425083533

オタクは方々に攻撃してるのではなく、攻撃に対して反撃してると思うのだが。


フェミポリコレ等、主に自分文化侵略してくる者たちに対して、

そいつらの訴える「正義」とか「差別」とかの基準正当性を問うてる。


オタク差別」もその一つで、要は

自分たちの嫌ってる文化への攻撃スルーするのか」ということを問うてるわけだ。

anond:20180425023409

差別主義者がオタク差別を声高に叫んでるみたいな傾向はまああるよなって。そのせいで社会必要根本的な意識改革が遅れていく。(付き合ってる異性がいなくてもよい社会、一生アイドル二次元が好きでもよい社会

最近よく、ミサンドリストフェミニズムを声高に叫んでるのが晒されてて、それが女性差別を活気づけてるようなところがあって、似たものを感じて悲しい。

そのうち「女性差別批判することを、やめることにします」なんて記事も書かれるだろう。

オタク差別の解消も女性差別の解消も、結局はマイノリティーに内在する差別主義者のせいである程度のところで止まってしまうのだろうか。

オタク差別批判することを、やめることにします。

 趣旨は上の通り。

 自分オタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。

 ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。

 オタク差別批判とか、ただの害悪しかない。もうやめたほうがいい。

やはりオタク差別なんて(言うほど)なかったんじゃないのか。

 

 差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。

 つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである日本人ヘイトだの専用車両男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃん物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。

 今まで自分存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである

 そう視点を変えた方が、いろんなもの整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。

 でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴から足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子彼女からだったりした。

 もちろんきっかけがオタクから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。

 「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないか批判対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。

 なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタクから流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。

 わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。

 いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。

 

 そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティニュースを通したもの

オタへの偏見を植え付けたのは誰?

 それで思い出すのだけど、俺の中高時代あんまりオタクがいいとか悪いとかい意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。

 じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。

 だってバラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間学校にいるんだから見るわけがない。

 金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。

 テキストサイト一世を風靡していたころ、オタクオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画感想サイトや、漫画ゲームをメインで扱う日記サイトでの話である

 何を言っているかからない人もいるかもしれない。例えば、ラブひないちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイホイッスルミスフルテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんもの(ry そういう話である。この範囲結構広くて、らんま1/2H2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。

 もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈実例を挙げるの風評被害しかないので避ける。俺の好きな作家作品も混じるし。

 テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品スレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。

 そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージ自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分オタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。

 ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑ものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。

 これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。

 ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画リドミで上位常連大手サイトオタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化そもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画インターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。

 本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。

加害者としてのオタク行方不明すぎる

 これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。

 オタク差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。

 それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別行使する側の「集団」として機能してませんか、と。

 腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。

 趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記尊重)。ゴルフ車など老害趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。

 そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。

 それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分批判対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである

 逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解思想共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。

 つまりオタク文化加害者としての側面を見ないふりするか、オタク勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。

 C.R.A.C.野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイート応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまたからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか野間氏の真意など知らないけれど。

 

 そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子フェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタク差別している、という文脈批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。

 そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。

 10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言すべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。

 当時はオタク個人ニュースが全盛期。そういったサイト管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログ擁護していた。

 あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやり邪推してしまう。

 今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分関係ないところでの言論の自由に興味がないかしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。

 そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。

 オタク差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。

 反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別煽り偏見煽り強者に諂い(自分たち以外の)弱者嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。

 あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベットフリー東トルキスタン

 残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベット東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか


 こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうであるメディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。

 もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。

 そういう意味でも、失敗した責任を感じる。

2018-04-24

anond:20180424214504

いやいやオタク差別があるっていうならさ

オタクから差別されたって証拠必要でしょ?

じゃあオタクってなによ?

オタク人間じゃないっていうならさ

オタク定義必要でしょ?

じゃあオタクってなによ


雰囲気で言うのはいいよ

普通の会話ってそうだから

だけど差別していい差別されてるって話に持ってくなら定義必要でしょうよ

anond:20180424214157

うすうす自閉とオタク親和性はあると思ってたが、もしそうなら強力な武器になるわな

オタク差別差別じゃないって主張への強力な反論になる

下手したら女性差別LGBT差別よりも優先的なタブー扱いの判定をとれるかも知れない

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