はてなキーワード: オタク差別とは
いやいや
確かに清潔感のあるイケメンや美女が、アニメとかゲームとか大好きと云えば「意外な趣味」扱いされるだけで許されるが
エリートビジネスマンや有能OLでも、ょぅじょがレイープされる漫画とか、本番描写全開のBL本とか大量に持ってるとバレれればドン引きされる
人間の外見ではなく趣味の中身による嫌悪感というのも確実にある
ただし大多数のオタクはべつに変態ではない。が、オタクの中に変態も含まれるのは事実である。
たとえば、アニメとかゲームとか大好きだが全年齢向け健全作品しか消費せず自分は宮崎勤とかとは完全に別物と思っているオタクが、ょぅじょが醜いおっさんや触手に一方的にレイープされるエロ同人誌ばかりを大量に集めているような人間を「あれは僕らの仲間ではない」と切断処理するオタク内オタク差別もあるはずだ
(たとえあくまでフィクション消費でも、世間の多数からはドン引きされて仕方なさそうな趣味というものは存在する←俺もそういうの好きだし)
さて、この手の図式、じつは以外と多くの問題に共通するのではないか?
たとえばアメリカの銃問題、大量射殺事件が起きる度にライフル協会は銃規制反対を声高に叫ぶ。案外とライフル協会会員の大多数は、単に銃を所持してるだけでバンバン撃ちたいとか思ってない、主観的には善人のつもりの連中かも知れない
はたまた生活保護問題、不正受給だの保護費でパチンコ三昧(ただし食費だのを削って正規の保護費内で娯楽に金を使うのは個人の自由の筈)てのはごくごく一部のはずで、大多数の受給者はいい迷惑と思ってるだろう
君の見た目が黒人ぽければ「黒人っぽい」と言われるだろう。それは黒人差別の一環ではあるが、だからといって「黒人差別は結局容姿差別だ」ということにはならない。
君の見た目がオタクっぽくて「オタクっぽい」と言われたとしても、それはオタク差別の一環ではあるが、だからといって「オタク差別は結局容姿差別だ」という結論はおかしい。
容姿がよければオタクでも差別されないのだったらそうかもしれんけど
実際オタク仲間でこいつは顔もいいしリア充だしオタク差別なんて受けてないんだろうなあっていうやつが
そもそも、たとえば低学歴を差別する人が、実際には高学歴な人でもこの言葉を知らないすわ低学歴と言って叩くようなもので、
あくまでもオタク差別があるからこそ、「オタクと間違えられた事による差別」が発生するんじゃないかなあと思うが。
オタク差別が行われていないのであれば、何らかの要素でオタクと間違えられたからといってそれだけで差別されるってことは少なくとも普通ではないはずだし。
近親憎悪とか同族嫌悪とかいうまでも無く、オタクを最も憎んでいるのはオタク自身に他ならない。
「自分はオタクだがあいつらほど酷くはない」「あいつらはオタクの中でも最低」等というのは決まってオタクだ。
これは、あらゆる集団・組織には必ず一定確率で危ない人間が存在してしまい、同じ確率でも母数が大きくなればなるほど増えてしまうため大手ジャンルで見られやすい。さらに、害のないオタクは目立たず害のあるオタクが目立つという自明の理も関係してくる。
しかし世間から見ればこれらは全部同じ「気持ち悪いオタク」である。
オタクの敵はオタクだが、世間の敵は「気持ち悪いオタク」なのだ。よって「気持ち悪いオタク差別はあった」と言うべきだったのだ。
キモカネやオタクが「男性差別」「オタク差別」とか言い出したのは、弱者属性がなければ弱者であっても救済の対象とされず、むしろ「強者属性なのに弱者になったのは自業自得」としか見なされないからだろう。
それな
そして、その「いまの社会で特に問題視されてる一部の差別構造」ってやつの
正当性が問われてるのが「ポリコレ」とか「オタク差別」「女性専用車両」とかだと思うわ
上記のモノはいずれも明確な差別かそれに近い性質を持っているのに、
こいつに自分が「オタクだから」って理由で受けたイジメの数々を受けて欲しいよ
こちとら別に差別でもイジメでもどうでもいいんだけど反差別語ってるやつらがキモオタキモオタ言ってるから矛盾だって怒りぶつけてんだろ
オタク差別はオタク自身が作っているところがある、という話でちょっと思い出したことなんだけど。
ゼロ年代には、オタク向けにキモオタ(外見にしろ内面にしろ)をネタにするギャグ漫画ってけっこうあったじゃないですか。一番有名なのは久米田康治の、かってに改蔵~絶望先生の中期だと思うけど、それ以外にも軽重取り混ぜて色々。
もっと古いところだとどのへんなのかなあと本棚を探していたら、「Dr.リアンが診てあげる」と「全国妹選手権」が出てきた。後者は正直読んでて笑えるというよりひたすらつらい。。
元増田があげてるのは超有名どころばかりだけど、オタ向け漫画のネタがベタになって、オタクに内面化されていく、みたいなフィードバックのほうはどれくらい機能してたんだろうね。
オタクは二次元しか愛せないもんなんだといわれて、三次元への興味が失せたふしとか、結構あるんだけど。俺が人並外れてのせられやすいだけ?
ところが、そういう人たちが「オタク相手だったらそれが許される」と思ってオタク差別してたわけな。
ところが最近になってから、オタク差別するとオタクが群れて反論するからあわててオタク差別ってのを否定しようとしてる。
別にそれはそれでいいんだけど。
そうすると残るのは何かと言うと、オタクでもなんでもないが、「他に理由もなく人に対してキモイから差別してもいいと思ってるやつ」だ。
「あるいはそれを肯定するやつ」だ。俺は差別してない。そういう問題だと指摘しただけだという逃げ道はふさいどく。
それって、オタクからの批判は少し弱まるかもしれないけど、オタク以外の人間からしたら、オタク差別よりはるかに罪が重いぞ。
ここ数日Twitterで起きている「オタク差別問題」の話について。
関連するツイートがTLで流れてくる度にもやっとする。
何故もやっとするのかを考えてみた。
既に他にも数人、この件に関して記事を書いている人が居るが…。
先ず、言える事は主語が大きいという事。
そもそも「オタクは差別されていたかいなかったか」という言い方で話をしている人が多いが「オタクは~」という主語は、
対象とする人の範囲を広げすぎている。最近の言い方で言うなら、「主語が大きい」と言うのだろう。
そもそも「オタク」の定義…「オタクとはどういう人を指すのか」という物が明確ではない。
この問題について語りたいなら、先ずはそれぞれがそれぞれに持つ「自分の考えるオタクの定義」即ち
「自分は、オタクとはこういう人を指すと思う」という、それぞれが持つ「オタク」のイメージを明確にすべきではなかろうか?
建設的な議論がしたいなら主語を共通化させる事は非常に大事なのだが、この問題に関してツイートしている人の大半は、
主語の共通化をさせずに語っている印象を受ける。
この問題に関してツイートしている人が、「議論」としてこの問題について何かを語りたいのなら、先ず「オタクとは何なのか」
という主語の共通化をさせるのが議論の筋道だろう。
しかし、それをせずにこの問題について語っている辺り、この問題について語っている人の大半は「ただ、声を上げたいだけ」なのだろう。
主語を大きくすれば大きくする程、受け取り手から見れば主張は薄っぺらくなる。
国会前で政権批判のデモを行っている人達が良く「国民は~」と言うが、あの「国民は~」と
彼らの言う、「オタクは~」が同じレベルなのだ。
「お前らそもそも『オタク』という物がどういう物なのか本当に理解しているのか?」
という疑問を抱かざるを得なくて、この問題について語っている人のツイートが無知の集合体の様な感じで見ていてもやっとするのだ。
これについては、こちらの増田の方も同様の事を感じていた様だ。
参考
「オタク差別」があるのではなく「キモい人差別」があるのだと認めろ
「被害者ぶっている」と言う言い方は良くないかも知れないが、「被害者ぶっている」と言わざるを得ない。
流れて来るツイートの大半は「オタク差別は有った」「オタクは不幸な境遇だった」という様なツイートだが…、先に述べた様に、先ず「主語が大きい」状態で、
その「大きい主語のカテゴリに含まれる者達」は皆差別されていたという様な主張が為されている。
そこに違和感がある。私だって多分オタクと言われる部類の人間だ。だが、私は差別を受けた経験は全くない。
「オタクは差別されていた」等と主張するツイートを見ていて思うのは「一緒にするな、オタクは皆差別されていたみたいに言うな」
という事だ。
実際、差別されていたオタクというのも居るのかも知れない。
だが、そうでないオタクも間違いなく存在する。少なくとも私は差別されなかったオタクだ。
その上で、…だ。差別されていたオタクは居るかも知れない。だが、今Twitterで発生している流れは、最初に「オタクは差別されていなかった」と
主張した人物に対して数で攻撃している。
これは最早、数の暴力と言っても良い。
その根底には「自分達は差別され虐げられて生きて来たのだから、自分達には他者を差別し、虐げる権利がある」という劣等感みたいな物が有る様に感じられる。
総じていえば「被害者ぶっている」と思わざるを得ない。
「嘗て自分達は差別され虐げられる側だったから、今は他者を差別し、虐げても良い」と考えているのなら、それは既に「加害者的な思考」であり、余りにも下衆い。
参考
オタク差別を批判することを、やめることにします。
長すぎたので、最後の部分を分割。 余談 とある、それなりに言動につい..
ここまで述べた様に、この件(「オタク差別問題」)について語っている人の中で目立っているのは
「大きな主語を振りかざしながら被害者ぶりつつ、自分達より弱い者を攻撃している人達」だ。
それが「人数が多くて目立っている」のか、それとも「人数は少ないが、声が大きいから目立っている」のかは解らない。
ただ、そういう人達(「大きな主語を振りかざしながら被害者ぶりつつ、自分達より弱い者を攻撃している人達」)がオタクという言葉を使って
「自分達より弱い者」を攻撃している姿に「お前らそもそも『オタク』という物がどういう物なのか本当に理解しているのか?」
ともやもやするんだろう。
そういう事を考えながら増田を読んでいたら、とても良い事を書いている増田を見付けたので、最後にそれを紹介して置く。
>そもそもオタクってのは、本来は「何らかの趣味に傾倒する人」という定義だったはずだけれど
>今は「やたら被害意識だけが強く集団で自分以外の指向を持つ人間を攻撃したがる人」と言う枠組みとしても使われている。
>そういう人たちが繋がる為のシンボルとしてアニメが使われているだけで、彼らの多くは本当にアニメを好きな訳ですらないのではないか。
>今放映中の流行り物アニメをちょっと見るだけで、それを更に深く突き詰めようともせず放映終わればすぐ忘れ、
>他のマイナーな作品に手を出す事もなく、同人の世界もよく知らない、
>漫画やゲーム等アニメより手を出すのに金や手間がかかる分野には手を出そうとしない、という「自称オタク」を数多くみるとそう思える。
>あれは「何らかの趣味に傾倒する人」ではない。
>彼らは同類同士で繋がる為の「ネタ」としてアニメを利用しているに過ぎない。
>アニメが選ばれるのは、自宅にいながらタダで見る事ができて、
>テレビの一般番組やら世間一般の流行モノとは違う為に「普通じゃない自分」という中二気分も満たしてくれるコンテンツ、
>として体よく利用出来るからだろう。
引用元:オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定しても..
そういう(「やたら被害意識だけが強く集団で自分以外の指向を持つ人間を攻撃したがり、同類同士で繋がる為の「ネタ」としてアニメを利用している」)のが『オタク』
なのであれば、私は思う「お前らと一緒にするな」と。
話がこじれているように思うのだ
自分の居場所にためにオタク趣味になった、友達の好きなものを好きになったキモい奴もたくさんいたように思う。
今では嫌われるだけの教えたがりの先輩みたいのも、当時としてはちゃんと先導者としての機能をもっていた。
決して、好きではないものを無理にやっていたわけではない。
ちゃんと作られているエンターテイメントはちゃんと面白いのだから、ちゃんと触れればちゃんとハマる。
まあ、それは漫画アニメゲームに限らず、宝塚だろうがスポーツ観戦だろうが同じなんだけども。
でも僕は本質的にオタクではなかったのだろう。社会人になって10年もしたら、もうただのインターネットを漂う無になった。
オタク差別というのは、2次的なものであるのはそうなのかもしれない。
この元増田も野間もバッサリ切り込んでるように見えるがまだまだ優しい。
「オタク」とか「キモい」というファジーなワードでオブラートに包んでくれてるからね。
「酷い容姿+不潔さ+独善的で思いやり皆無+選民意識+他罰思考+性への倒錯+常識的模範や遵法精神の欠如+常軌を逸した執着+突飛な行動...などなど
周囲に迷惑を掛ける要素を多く持ち合わせているが当人には改善する気が更々ないのでそいつ個人が忌避されてるだけ。よってオタク差別などない。」
とはっきり書かないと気付けないぞ。ていうか因果関係が逆なのよね。
ある個人が上記のような人格破綻的な要素が原因で周囲に忌避された場合、逃げ込む先のシェルターとして昭和50年代あたりからアニメ・ゲームが機能し始めた。
これは「オタク差別」だけではなく「LGBT差別」にも同じことが言えるんだよね。
私たちはLGBTがキモいと言っているわけではなく、「LGBTの中の一部の人がキモい」と言っているだけ。
そう。だから根本は「オタク差別」ではなく、「キモい人差別」にあるという話で、元増田に賛同してるの。
別にオタクでも障害者でも朝鮮人でもいいけど、「なぜ差別するの?」 「キモいから」「容姿や動きがキモいから」「日本人になじまず朝鮮人で徒党を組んでてキモいから」ってふうに。
これが「小奇麗なオタク」「俳優や女優なみのルックスの障害者」「朝鮮の人脈や文化を捨てて日本人とだけ付き合う朝鮮人」だったら「差別は」ない。