はてなキーワード: オタク差別とは
キモカネやオタクが「男性差別」「オタク差別」とか言い出したのは、弱者属性がなければ弱者であっても救済の対象とされず、むしろ「強者属性なのに弱者になったのは自業自得」としか見なされないからだろう。
それな
そして、その「いまの社会で特に問題視されてる一部の差別構造」ってやつの
正当性が問われてるのが「ポリコレ」とか「オタク差別」「女性専用車両」とかだと思うわ
上記のモノはいずれも明確な差別かそれに近い性質を持っているのに、
こいつに自分が「オタクだから」って理由で受けたイジメの数々を受けて欲しいよ
こちとら別に差別でもイジメでもどうでもいいんだけど反差別語ってるやつらがキモオタキモオタ言ってるから矛盾だって怒りぶつけてんだろ
オタク差別はオタク自身が作っているところがある、という話でちょっと思い出したことなんだけど。
ゼロ年代には、オタク向けにキモオタ(外見にしろ内面にしろ)をネタにするギャグ漫画ってけっこうあったじゃないですか。一番有名なのは久米田康治の、かってに改蔵~絶望先生の中期だと思うけど、それ以外にも軽重取り混ぜて色々。
もっと古いところだとどのへんなのかなあと本棚を探していたら、「Dr.リアンが診てあげる」と「全国妹選手権」が出てきた。後者は正直読んでて笑えるというよりひたすらつらい。。
元増田があげてるのは超有名どころばかりだけど、オタ向け漫画のネタがベタになって、オタクに内面化されていく、みたいなフィードバックのほうはどれくらい機能してたんだろうね。
オタクは二次元しか愛せないもんなんだといわれて、三次元への興味が失せたふしとか、結構あるんだけど。俺が人並外れてのせられやすいだけ?
ところが、そういう人たちが「オタク相手だったらそれが許される」と思ってオタク差別してたわけな。
ところが最近になってから、オタク差別するとオタクが群れて反論するからあわててオタク差別ってのを否定しようとしてる。
別にそれはそれでいいんだけど。
そうすると残るのは何かと言うと、オタクでもなんでもないが、「他に理由もなく人に対してキモイから差別してもいいと思ってるやつ」だ。
「あるいはそれを肯定するやつ」だ。俺は差別してない。そういう問題だと指摘しただけだという逃げ道はふさいどく。
それって、オタクからの批判は少し弱まるかもしれないけど、オタク以外の人間からしたら、オタク差別よりはるかに罪が重いぞ。
ここ数日Twitterで起きている「オタク差別問題」の話について。
関連するツイートがTLで流れてくる度にもやっとする。
何故もやっとするのかを考えてみた。
既に他にも数人、この件に関して記事を書いている人が居るが…。
先ず、言える事は主語が大きいという事。
そもそも「オタクは差別されていたかいなかったか」という言い方で話をしている人が多いが「オタクは~」という主語は、
対象とする人の範囲を広げすぎている。最近の言い方で言うなら、「主語が大きい」と言うのだろう。
そもそも「オタク」の定義…「オタクとはどういう人を指すのか」という物が明確ではない。
この問題について語りたいなら、先ずはそれぞれがそれぞれに持つ「自分の考えるオタクの定義」即ち
「自分は、オタクとはこういう人を指すと思う」という、それぞれが持つ「オタク」のイメージを明確にすべきではなかろうか?
建設的な議論がしたいなら主語を共通化させる事は非常に大事なのだが、この問題に関してツイートしている人の大半は、
主語の共通化をさせずに語っている印象を受ける。
この問題に関してツイートしている人が、「議論」としてこの問題について何かを語りたいのなら、先ず「オタクとは何なのか」
という主語の共通化をさせるのが議論の筋道だろう。
しかし、それをせずにこの問題について語っている辺り、この問題について語っている人の大半は「ただ、声を上げたいだけ」なのだろう。
主語を大きくすれば大きくする程、受け取り手から見れば主張は薄っぺらくなる。
国会前で政権批判のデモを行っている人達が良く「国民は~」と言うが、あの「国民は~」と
彼らの言う、「オタクは~」が同じレベルなのだ。
「お前らそもそも『オタク』という物がどういう物なのか本当に理解しているのか?」
という疑問を抱かざるを得なくて、この問題について語っている人のツイートが無知の集合体の様な感じで見ていてもやっとするのだ。
これについては、こちらの増田の方も同様の事を感じていた様だ。
参考
「オタク差別」があるのではなく「キモい人差別」があるのだと認めろ
「被害者ぶっている」と言う言い方は良くないかも知れないが、「被害者ぶっている」と言わざるを得ない。
流れて来るツイートの大半は「オタク差別は有った」「オタクは不幸な境遇だった」という様なツイートだが…、先に述べた様に、先ず「主語が大きい」状態で、
その「大きい主語のカテゴリに含まれる者達」は皆差別されていたという様な主張が為されている。
そこに違和感がある。私だって多分オタクと言われる部類の人間だ。だが、私は差別を受けた経験は全くない。
「オタクは差別されていた」等と主張するツイートを見ていて思うのは「一緒にするな、オタクは皆差別されていたみたいに言うな」
という事だ。
実際、差別されていたオタクというのも居るのかも知れない。
だが、そうでないオタクも間違いなく存在する。少なくとも私は差別されなかったオタクだ。
その上で、…だ。差別されていたオタクは居るかも知れない。だが、今Twitterで発生している流れは、最初に「オタクは差別されていなかった」と
主張した人物に対して数で攻撃している。
これは最早、数の暴力と言っても良い。
その根底には「自分達は差別され虐げられて生きて来たのだから、自分達には他者を差別し、虐げる権利がある」という劣等感みたいな物が有る様に感じられる。
総じていえば「被害者ぶっている」と思わざるを得ない。
「嘗て自分達は差別され虐げられる側だったから、今は他者を差別し、虐げても良い」と考えているのなら、それは既に「加害者的な思考」であり、余りにも下衆い。
参考
オタク差別を批判することを、やめることにします。
長すぎたので、最後の部分を分割。 余談 とある、それなりに言動につい..
ここまで述べた様に、この件(「オタク差別問題」)について語っている人の中で目立っているのは
「大きな主語を振りかざしながら被害者ぶりつつ、自分達より弱い者を攻撃している人達」だ。
それが「人数が多くて目立っている」のか、それとも「人数は少ないが、声が大きいから目立っている」のかは解らない。
ただ、そういう人達(「大きな主語を振りかざしながら被害者ぶりつつ、自分達より弱い者を攻撃している人達」)がオタクという言葉を使って
「自分達より弱い者」を攻撃している姿に「お前らそもそも『オタク』という物がどういう物なのか本当に理解しているのか?」
ともやもやするんだろう。
そういう事を考えながら増田を読んでいたら、とても良い事を書いている増田を見付けたので、最後にそれを紹介して置く。
>そもそもオタクってのは、本来は「何らかの趣味に傾倒する人」という定義だったはずだけれど
>今は「やたら被害意識だけが強く集団で自分以外の指向を持つ人間を攻撃したがる人」と言う枠組みとしても使われている。
>そういう人たちが繋がる為のシンボルとしてアニメが使われているだけで、彼らの多くは本当にアニメを好きな訳ですらないのではないか。
>今放映中の流行り物アニメをちょっと見るだけで、それを更に深く突き詰めようともせず放映終わればすぐ忘れ、
>他のマイナーな作品に手を出す事もなく、同人の世界もよく知らない、
>漫画やゲーム等アニメより手を出すのに金や手間がかかる分野には手を出そうとしない、という「自称オタク」を数多くみるとそう思える。
>あれは「何らかの趣味に傾倒する人」ではない。
>彼らは同類同士で繋がる為の「ネタ」としてアニメを利用しているに過ぎない。
>アニメが選ばれるのは、自宅にいながらタダで見る事ができて、
>テレビの一般番組やら世間一般の流行モノとは違う為に「普通じゃない自分」という中二気分も満たしてくれるコンテンツ、
>として体よく利用出来るからだろう。
引用元:オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定しても..
そういう(「やたら被害意識だけが強く集団で自分以外の指向を持つ人間を攻撃したがり、同類同士で繋がる為の「ネタ」としてアニメを利用している」)のが『オタク』
なのであれば、私は思う「お前らと一緒にするな」と。
話がこじれているように思うのだ
自分の居場所にためにオタク趣味になった、友達の好きなものを好きになったキモい奴もたくさんいたように思う。
今では嫌われるだけの教えたがりの先輩みたいのも、当時としてはちゃんと先導者としての機能をもっていた。
決して、好きではないものを無理にやっていたわけではない。
ちゃんと作られているエンターテイメントはちゃんと面白いのだから、ちゃんと触れればちゃんとハマる。
まあ、それは漫画アニメゲームに限らず、宝塚だろうがスポーツ観戦だろうが同じなんだけども。
でも僕は本質的にオタクではなかったのだろう。社会人になって10年もしたら、もうただのインターネットを漂う無になった。
オタク差別というのは、2次的なものであるのはそうなのかもしれない。
この元増田も野間もバッサリ切り込んでるように見えるがまだまだ優しい。
「オタク」とか「キモい」というファジーなワードでオブラートに包んでくれてるからね。
「酷い容姿+不潔さ+独善的で思いやり皆無+選民意識+他罰思考+性への倒錯+常識的模範や遵法精神の欠如+常軌を逸した執着+突飛な行動...などなど
周囲に迷惑を掛ける要素を多く持ち合わせているが当人には改善する気が更々ないのでそいつ個人が忌避されてるだけ。よってオタク差別などない。」
とはっきり書かないと気付けないぞ。ていうか因果関係が逆なのよね。
ある個人が上記のような人格破綻的な要素が原因で周囲に忌避された場合、逃げ込む先のシェルターとして昭和50年代あたりからアニメ・ゲームが機能し始めた。
これは「オタク差別」だけではなく「LGBT差別」にも同じことが言えるんだよね。
私たちはLGBTがキモいと言っているわけではなく、「LGBTの中の一部の人がキモい」と言っているだけ。
そう。だから根本は「オタク差別」ではなく、「キモい人差別」にあるという話で、元増田に賛同してるの。
別にオタクでも障害者でも朝鮮人でもいいけど、「なぜ差別するの?」 「キモいから」「容姿や動きがキモいから」「日本人になじまず朝鮮人で徒党を組んでてキモいから」ってふうに。
これが「小奇麗なオタク」「俳優や女優なみのルックスの障害者」「朝鮮の人脈や文化を捨てて日本人とだけ付き合う朝鮮人」だったら「差別は」ない。
なるほど、「オタク差別」ではなく「キモい人差別」ということか。
それだったら、あらゆる分野の世界に「キモい人」は分布しているわけだから、思想や価値観を越えて、キモい人同士で連携することが出来ると思う。
Togetterとかでまとめられてる「オタク差別」がバカバカしいのはホントこういった理由からで。
例えば「あのオタクキモい」という中傷発言があったとして、これは相手がオタク(アニメ好き)だからキモいのかといえば、そうではなくて。
もともとその発言でもその振る舞いでも、キモいと感じたから相手を「オタク」と呼び、さらに「キモイ」と感想をつけたという順番なわけね。
それがTogetterなどで「オタク差別」とまとめられて拡散した時に、それを見たオタクを名乗るアニメ・ゲーム・SF好きが皆、被害者として関わり出すようになる。
「オタク差別」は主語がでかいという話であって、「キモい人差別」はしていいとかいう話じゃない。
「キモい人差別」があるので、「オタク差別」などといって問題をごまかしてないで「キモい人差別」をやめろと言っていくべき。きみたちが「オタク差別」という言葉にこだわるのは、オタクの中にはイケメンも美女もいるし、しっかり働いていて妻子を持ち年収1000万以上の人も普通にいるからだろう? でもそれは主語が大きいんだよ。彼らは差別などされてないんだから。きみらが「オタク差別」にこだわるのは印象操作なんだよ。オタク層のいい部分まで差別されているように見せかけようとしている。これは卑怯な戦略だ。
実態は「オタク差別」ではなくて「キモい人差別」だ。「キモい人差別」はあってはいけないし、そして実際にあるということ。それこそが問題なのに、「オタク差別」なんて主語を大きくするからだめなんだ。「そんなものない」と反論されるに決まっている。
差別されているオタクがいることはたしかだが、「オタク差別」というは表現は妥当ではない。これは表現の問題だ。差別されているのはオタクの中でもキモい人たち。彼らが差別されているのはオタクだからではなくキモいから。そして彼らが差別されているのは不当なことであり、抗議していかなければならない。それは「キモい人差別」だからだ。
なぜ「オタク差別」という表現にこだわるんだろうか。この言葉は実態を正確に表した言葉ではないのに。「オタク差別」は存在するなどと言い続けるなら、そんなものはないと否定されつづけるだろう。「キモい人差別」は存在するという主張に変えれば、世間は共感するだろう。
かたくなに「オタク差別」という表現を使い続けるのは彼らのプライドのせいなのかもしれない。キモくないオタクまで巻き込んで、あたかも自分もキモくないと主張したいかのようだ。「キモい人差別」という表現を使うことを恐れている。
たしかにきみたちはキモくて差別されてきた。それは許せないことだ。どんどん抗議するべきだ。しかしそれはオタク差別ではない。問題の本質を見失ってはいけない。きみたちはキモいから差別されているのであって、オタクだから差別されているというわけではない。そしてきみたちがキモいからという理由で差別されているのは不当なことであり、こんなことは絶対に許されないことだ。
「キモい人差別」をなくそう。「オタク差別」などといって問題をごまかしてはいけない。いまこそ「キモい人差別」問題を正面から受け止めて、真摯に向き合っていくべきなんじゃないだろうか。
しかし、オタクお得意の「主語がでかい」がなぜオタク自身から出てこないのかよくわからない。アニメ批判やラノベ批判をすればすぐに「主語がでかい」と怒り狂うあのめんどくさいオタクが。今回は「オタク差別」だなんていう主語のでかい表現を使って自分たちを守ろうとしている。これは滑稽である。オタクのいつものノリで言えば、「オタク差別」を語るなら本当にすべてのオタクが差別されているかまず調査しなければならない。調査していないなら、本当にすべてのオタクが差別されているかなどというのはわからないのだし、「オタク差別」なんてのは主語がでかいということになる。そして、差別されていないオタクの例を出すのはとてつもなく容易である。
いや、別に、女性専用車両は男性差別ではないと思うのは構わないし、オタク差別という概念設定に批判的なのもいいと思う。
でもそう主張する理屈の中にちょくちょく別の差別に抗議してきた側の人間にとっては許容できない理屈が紛れてるのほんとつらい。
女性専用車両は男性差別って主張する男性に向けて、「そもそも男性は痴漢のせいで迷惑かけられてるのに何で他人事なの? 痴漢に怒れ」みたいなこと言ってる人とか、
えーーーーーっそれ言いますかーーーーーー私は「イスラム教徒はイスラム過激派のテロを非難しろよ」っていう主張を差別だと批判してきたけど、同じこと言いますかーーーーーーーー
ってなるし、
「裁判で女性専用車両は合法って結論出てる。裁判で差別って認定されてないから差別じゃない!」論とか、
まじかーーーーーーー知らなかったわーーーーーー強制的に夫婦が同姓になる問題を私は性差別的だと思うけどあれって最高裁によると合憲だよなーーーーーーガキ使黒塗りも差別だって私は叩いたけどあれも別に訴えられてないよなーーーーーーーー法は既存社会の秩序を守護するけどその秩序が差別的だった場合は云々って話もしてたのになーーーーーーーー
って思うし、
挙句の果てには
「「加害者をオタという集団で纏めるな!!」というなら、被害者としての集団のオタもまた纏められないので「オタ差別なんてものは存在しない」になっちゃうんだよね」
って言い出す人が出てくるんですよ。
いや多様なルーツとアイデンティティを持つアジア系アメリカ人を「アジア系」とひとくくりにするのはけしからんっていう話とアジア系差別があるって話は両立するし「差別を受けていると主張するが集団の定義がアイマイだ」ってそれアイヌ民族は存在しないって主張してる人の理屈じゃないですかーーーーーーーーーー
ってやつ。
統計的差別の肯定はさんざん見ましたねぇ。わたしゃゲイのラブホお断り問題のときにはゲイ差別けしからんって憤ったけど、あれも一部の女性専用車両擁護者や一部の反「反オタク差別」論者にとっては「ゲイは部屋を汚すことが多いから断られても仕方ない」になっちゃうのかな。
女性専用車両は、現状では妥当性のある施策なんだと思う。でもそれを擁護する際にこんな理屈つけられたら賛同なんてできるはずないじゃないですか。
オタク差別も、声高に言い立てるのは見苦しいと思う。でもこういうロジックで攻められたらいやオタク差別はあるぞって言うしかないじゃないですか。
ほんと勘弁してくださいよ。女性専用車両にしか、オタクにしか興味がないんですか。他の差別問題はどうでもいいと思ってるんですか。
結論がそれなりに正しそうなのにロジックが雑すぎるから乗れないですよ。むしろこんな理屈振りかざしてくる人は敵ですよ。頼むからもうちょいまともな筋立てで擁護したり批判したりしてくれませんかね。
「オタク差別はけしからん、女性差別もけしからん、在日差別もけしからん、ユダヤ人差別黒人差別パレスチナ人差別クルド人差別不可触カースト差別…(以下無限)もけしからん」で良いんだよ
問題は「差別されてる自分らだけいっさい汚れ無き弱者!」と思い込むと高慢で醜いって話。オタク含めて上記の全部そう。
自分は差別されてると思うなら、ほかの被差別者にも優しくなるか、「お互い様」と思って引かなければ、人の世は永遠に万人の万人に対する闘争だ
オタク差別を訴えているのがA君的人間だとしたら、彼らが被害を訴えてるのはお前みたいな迫害者のせいじゃないか。言葉遊びも弱者バッシングもお前みたいなのがいなければやってなかったんじゃないの
オタクではないにもかかわらず、「絵に描いたオタクっぽい見た目」という理由で「お前オタクだろw」とバカにされる人もいるのだ。これはオタク差別ではなく、容姿差別である。
顔の濃いキリスト教徒のイタリア人がアメリカで「お前ムスリムだろw」って言われたらムスリム差別だろ。
台湾人なり香港人なり中国人なりが日本で「おい韓国人w」とか言われたらコリアン差別だろ。
ネット上で女性っぽいハンドルネーム使ってる男性が「お前女だろw」って馬鹿にされたら女性差別だろ。
見た目が悪いやつが「お前オタクだろw」って馬鹿にされてんならどう考えてもオタク差別じゃねえか。ルッキズムと複合してる、ってだけで。